7.聖女、もちもちを手に入れる
美味しそうな巨大玉子に噛みつこうと、アーシャは大きな口を開けていた。
両手を伸ばしても足りないくらいの、自分より大きな玉子だ。
「あ〜〜〜」
しかし噛みついたアーシャの口には何にも入ってこない。
ただの空気を噛んでしまった。
見れば玉子が少し逃げていっている。
「うぬっ!」
アーシャはもう一度大口を開いて玉子に噛み付く。
しかしやはり歯がカチンと言って噛み合っただけで、口には何も入ってこない。
「うぬぬっ!!」
また少し逃げた玉子をアーシャは睨みつける。
大してお腹が空いているわけではない。
むしろ満ち足りている。
しかし目の前に美味しそうなものがあるのに、諦めるなんてあり得ない。
突撃とばかりに、今度は口を開いたまま玉子に突っ込む。
———タスケテ
「命乞い無用!美味しくいただくぅ〜〜〜!!」
そう言いながらアーシャは口を開けたまま走る。
「おへっ!!」
しかし玉子に向かって大きく飛んだはずなのに、何もない空間に転がってしまう。
———タスケテ
「うぬぬぬ……ぬ?」
追い詰めてくれるわと立ち上がったアーシャは、目の前でホカホカと湯気を上げていた黄色い玉子が、丸く小さく収束していくのを見て驚く。
「あ、あ、ちっちゃくなっちゃう〜〜〜〜!!」
尚も慌てて食べようとしたが、玉子は口に入る前に小さな光の玉になってしまう。
———タスケテ……キエル……
光の玉はアーシャに語りかける。
「流石に……光を食べる趣味はないので……安心してください」
アーシャはしょんぼりとしながら答える。
喋る玉子はギリギリいけるが、喋る光なんて怪しげな物は食べたくない。
———コノママ、ハナレタラ……ハヤク……ヌシサマ……
切な気な声に、食欲を優先していたアーシャも可哀想になってしまう。
「誰かを探しているの?迷子?」
アーシャが手を伸ばすと、光の玉はシュルリと、紐のように解けて……否、紐ではない。
「蛇!?」
突然の落下感にビクンと大きく足が跳ねる。
それと同時にアーシャは目を開けた。
「アーシャ?」
「…………?」
目の前に驚いた顔をしたゼンが現れる。
アーシャはバクンバクンと鳴る自身の心臓の音を聞きながら、周りを見回し、ここが『くるま』の中であり、ゼンの腕にしがみついている自分に気がつく。
「……夢かぁ……」
落下したと思ったのに、お尻も背中もがっちりと専用の椅子の中で固定されている。
ほっとアーシャは息を吐く。
足が多いムカデと違って、足がない蛇は平気なのだが、突然現れると驚いてしまう。
生理的には平気でも、蛇は毒を持った危険な種類が多いからだ。
(自分から質問してそのままにするなんて、夢の蛇には申し訳ない事したわ)
思わず反応して、目が覚めてしまった。
ほぁ〜〜〜と大きな欠伸をした後に、アーシャはゼンの手に顎を預ける。
「アーシャ、ねんね、ねんね」
頭が大きな手に優しく撫でられて、アーシャはホッとして目を閉じる。
まだ体は眠いと言っている。
(すぐに寝たら、今の夢に戻れるかしら)
そんな事を思いながら、うとうとし始めていたら、『くるま』から伝わる振動が止まる。
「ん………?」
『くるま』が止まる時は、目的地に着いた時だ。
アーシャは眠い目を何とかこじ開ける。
「ユズル〜〜〜」
「しゃーねーだろ」
ゼンはユズルに何か文句があるような声をあげるが、ユズルに文句を言い返されている。
アーシャは目をこすりながら、体を起こし、『くるま』の外を見る。
「………わぁぁ〜〜〜」
また『くるま』を停める広場だなと思って、周りを見回したアーシャの視界に、巨大な吊り橋が入った。
最初は大きさがよく分からず、頑強に作られた立派な橋があるなと思ったのだが、すぐにその吊り橋の上を、小さく見える『くるま』が走っている事に気がついた。
吊り橋の上を走る車は、 アーシャの人差し指程度の大きさにしか見えない。
(つ……つまり、あの橋はすっごく遠くにあって……えっと……『くるま』がこれくらいに見えているから……)
自分の指を見たり、現在自分が乗っている『くるま』を見たりして、必死にその大きさを想像するが、想像力の限界で推し量れない。
(『くるま』がこのくらいに見えているから……何倍ぐらいになるのかな……とにかく……ワイバーンが二匹並んで滑走できるくらい……?)
頭の中に、ドッドッドッドッと羽根をはためかせながら、ワイバーンが二匹並走して橋を渡るシュールな画像が浮かんできてしまう。
(恐るべし。神の国。理解を超えるわ)
そして結局は全てを理解する事を諦め、あるがままに受け入れる。
そんな結論に至ってしまう。
「アーシャ」
ゼンはアーシャの固定具を外し、手を差し伸べてくれる。
アーシャは両手を広げて、応えようとして、
「あ!」
慌てて、座席の横に置いてある錫杖に手を伸ばす。
すっかり弱体化した今、これを手放すのは良くないと、つい先頃思ったばかりだったのだ。
錫杖を握ったアーシャに、ゼンは眉尻を下げて困った顔をする。
「アーシャ、おいてこ?」
錫杖をここに置いて行こうとばかりに、ゼンは錫杖と座席を交互に指差す。
しかしアーシャは首を振る。
これまでは素直に従って置いて出ていたが、ゼンやユズルに万が一のことがあった時のためにも、これはちゃんと持っていないといけない。
戦は戦う前の準備が肝要なのだ。
ゼンは少しの間、困った顔をしていたが、すぐに小さく息を吐いてから、笑って頷いた。
「わかた」
そう言ってアーシャを抱き上げてくれる。
「わっ」
『くるま』の外に出た途端、強い風が吹きつけてきて、アーシャは目を閉じる。
(あ、またこの匂い)
先ほど、湖を見た時ほどの腐ったような匂いはしないが、やはりしょっぱいさを含んだ青臭い匂いがする。
「おっと」
強い風に目を閉じたアーシャが寒がっていると思ったのか、ゼンが自分の上着の中に、彼女を隠す。
途端に強い風から切り離されて、温かい空気と、慣れ親しんだゼンの濃い神気に包まれる。
こちらに来てから、分厚くてしっかりとした服を幾重にも着せてもらっているので、寒さは大して気にならない。
「……………へへへ」
しかしこうやって大切にして貰えると、体よりも心が温かくなって、アーシャの頬は緩む。
アーシャは緩んだその頬をぺたんとゼンの体に預ける。
「………………」
そしてゼンの上着の内側に差し込まれていた、布袋に包まれた神具が目に入って、思わず真顔になってしまう。
アーシャが間に入ったおかげで、ゼンから引き離された神具は不機嫌そうに唸っている。
怒ってはいないが、『私の位置がズレてる!』とでも言うように、苛々とした神気を発している。
(凄い神具になると意志を持つ事が多いらしいけど……ここまで人間臭いものなのかな……)
ゼンが持つ神具は、お出かけに置いていかれそうになったら、怒り狂って、刺々しい神気を発し、ゼンが持ったら、刺々しい神気を彼に突き刺すようにしながらも、嬉しそうに纏わり付かせていた。
まるで『そう!私を忘れるなんて、とんでも無いことよ!』とでも喋り出しそうな様子だった。
その後、ゼンがアーシャに神具を渡そうとしてしまうから、身につけて貰えると思ったのに他人に渡されそうになった神具は最初よりも怒り狂っていた。
(『愛と憎しみは双子である』とはよく言ったものだわ)
愛の分、憎しみは深くなる。
自分の位置が気に食わないだけなら、懐を奪ってしまったアーシャにも怒りをぶつけてきそうな物だが、神具の刺々しい神気はゼンにだけ刺さりまくっている。
(神具に対してひじょーーーに不敬だけど………悋気持ちの奥さんみたい)
アーシャの頭の中には『アンタ!また浮気したわね!!』と怒鳴りながら下級兵士の夫を殴りまくる奥さんが浮かんでくる。
愛しているからこその怒りだとありありと伝わってくる。
夫婦の間に割り込む、愛人の子供にでもなったような気分がするが、ゼンの神具はアーシャの存在自体には全く怒っていない様子なので、アーシャは安心してゼンにもたれて、温かさを堪能する。
目は完全に覚めていたのだが、温さが気持ちよくて、大きな欠伸が出てしまう。
「アーシャ、アーシャ」
そんなアーシャをゼンが服の上からポンポンと叩く。
「?」
何事だろうと、アーシャはゼンの懐から顔を出す。
するといつの間にかゼンは建物の中に入ったらしく、顔は温かい空気に触れた。
「『すーぱー』?」
キョロキョロと周りを見たアーシャはゼンに尋ねる。
以前行った『すーぱー』程整然とはしていないが、苺の楽園の前に行った『すーぱー』程の野生味は無い。
商品と思われる物が所狭しと並んでいるが、何というか、色も形も大小も様々で、統一性に乏しい。
(箱ばっかり)
野菜や肉など、分かり易い品物は見えなくて、何が入っているのか分からない箱だらけなのも不思議だ。
「う〜ん………み・や・げ・や?」
アーシャの質問に、少し自信無さげに、ゼンは首を傾げながら答える。
「みゃーげあ」
『すーぱー』との違いがよく分からないが、アーシャはわかったとばかりに頷く。
もしかしたら何かに特化したマーケットなのかもしれない。
そう言えば、やたらと縦長の旗が目につくし、天井から不思議なオブジェが沢山垂れ下がっている。
正体不明の物が積み上がり、ぶら下げられている様子は魔女の部屋を思わせる。
(
教会と魔女たちは対立関係にあり、摘発にアーシャも何度か駆り出された事があるので、魔女の部屋の構成も知っている。
広さと清潔さは段違いだが、何となく雰囲気が似ている。
(あの丸いのは……魚?魚よね?)
アーシャは天井から下がったオブジェに首を傾げる。
小さいがヒレがあって、舵のような尻尾も着いているので、魚だとは思うのだが、形が水流の中ではとても生きていけなさそうな、丸なのだ。
(あれじゃお腹が水に押されて、まともに泳げないよねぇ……?)
魚といえば、川の流れの中を泳いでいる様子しか思い浮かばないアーシャは首を傾げる。
「アーシャ、ぬ・い・ぐ・る・み!」
謎の生物に対して考察していたアーシャに、ゼンがニコニコと前の棚を指差す。
「………?」
その棚を見たアーシャは首を傾げる。
そこには所狭しと、布で作られたオブジェが並んでいる。
見てごらんとばかりにアーシャは棚の前に下ろされるが、これにどう反応すれば良いのかよく分からない。
(これは多分、狐?)
茶色の毛布のような生地で、フワフワとした毛並みを表現し、足が四本で、耳は三角。
鼻の長さがいまいち足りないが、色といい、形といい、狐に似ている気がする。
(剥製……には、とても見えないよねぇ……?)
目は刺繍されただけの黒い丸だし、これを見て剥製と思う人はいないだろう。
思わず抱きしめたくなる愛らしさはあるが、置物としても、これを飾っても箔はつかない気がする。
狐の隣には猫が置いてあり、こちらの目には硝子玉のような物がついている。
しかしこれも本物の剥製と思うような品質ではない。
(こっちは……青い魚?)
猫の隣には、晴れた空色の、魚に似た生物が置かれている。
魚とは何処かが違うような気がするが、流線型だし、陸の生き物ではあり得ない形状だ。
アーシャは首を傾げるばかりだ。
「あ!」
下の段を見ると、先程天井からぶら下がっていた、まん丸魚にそっくりな物があって、アーシャは思わず手に取る。
黒地の布に白の水玉がついた上半分に、ぽっこりと丸まった、真っ白の布地で作られたお腹。
巨体に似合わぬ小さなヒレ、おまけのような尻尾。
間違いなく一緒だ。
(……白目と黒目がまん丸で、ちょっとしたモンスター感があるわ)
アーシャはしみじみと観察する。
真顔で睨んでくるような顔なのに、手触りが滑らかでクセになりそうな張りがあるのが狡い。
見た目は気持ち悪いくらいなのに、撫でる手を止められない。
「あ、アーシャ、うさぎさん、うさぎさん」
無心で丸い魚を撫でているアーシャの目の前に、ゼンが真っ白な塊を差し出してくる。
真っ白な長い耳にフサフサの毛で、人間のような服を着ている。
(……兎獣人……)
そう認識した途端にアーシャは首を振って、ゼンから一歩離れてしまった。
兎獣人にこれと言った悪感情はないのだが、前に攫われかけた時に、これに似た物が、詰め込まれた袋の中に入っていたせいで、嫌な記憶が脳裏を過ぎってしまったのだ。
「……そうか……」
ゼンはがっかりした顔で、兎獣人を棚に戻す。
「あ・ざ・ら・し」
そして今度は真っ白でフワフワな、一見とても愛らしい、謎の生き物を見せてきた。
「……マーマン……?」
マーマンは半人半魚で、尾ヒレと腕を持っていると聞いたことがある。
足はあると言う人もいたり、無いと言う人もいたりと、様々だ。
(いやいや。これはどちらかというと半犬半魚……いや犬面魚……?)
顔は耳の無い犬で、体は白い魚だ。
魚なのに毛がモコモコと生えているのが、また違和感を与えてくる。
アーシャが謎の生物を訝しげに観察していると、ゼンは大きく肩を落とす。
大きな体を縮こめて、アーシャの隣にしょんぼりと座る姿が、可哀想でアーシャは慌ててしまう。
「ゼン、ゼン」
この撫で心地の良さをゼンにお裾分けして、元気づけようと、アーシャは彼の手を取って、丸い生物を撫でさせる。
「………もちもち」
すると少し撫でてから、ゼンはフッと眉を下げて笑った。
「もちもち?」
「もちもち」
どうやらこの魚は『もちもち』と言うらしい。
手触りが気に入ったらしく、ゼンも『もちもち』を撫でまくる。
この一連のやり取りは、アーシャにこれらのオブジェを選ばせるためのものだったのだと、気がついた時には、彼女の腕には『もちもち』が抱かれていた。
(犬面魚にしておくべきだった……!?)
撫で心地は最高だが、顔が怖過ぎる魚を前に、そう思っても手遅れだった。
(いや、丸いし可愛いかも!?うん。可愛い。可愛い……可愛い!!)
深淵を眺めていそうな魚の目を見ながら、必死に自己暗示をかけるアーシャであった。
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