6.長男、お子様ランチをいただく
イチゴ狩りを終えてからも、アーシャは物凄くテンションが高かった。
チャイルドシートからはみ出した足を鼻歌混じりにぴょこぴょこと揺らし、窓の外に珍しい物を見つけるたびに歓声を上げる。
そんな様子だったので、海を見せたら、もっと喜ぶだろうと、禅一は内心ワクワクしていた。
しかし堤防の上に立ったアーシャは、それまでのハイテンションが嘘のように、静かに海を見つめ始めた。
無言で右を見たり左を見たり、遠くを見て目を細めていたりと、小さい動きはあるが、想像したように『わぁ〜〜〜!』とならなくて禅一は少し寂しい。
「アーシャ?」
声をかけても気が付かないくらいに集中して海を観察しているので、全く喜んでいないと言うことはないと思うのだが、いつもは激しすぎるくらいの感情表現なので、何となく物足りなく感じてしまう。
(まぁ、子供は想像通りに動く物じゃないからな)
アーシャが無心で海を見ている内に、下の砂浜で貝を拾ってこようと、禅一は海側階段を下りる。
「ゼン!」
すると今まで海を見つめたままで、これといった動きがなかったアーシャが、血相を変えて追いかけてこようとする。
「チビは駄目」
アーシャの体に対しては高過ぎる階段を、後ろ向きで下りようとするのを、譲が拾い上げる。
「ゆずぅ!」
脇を持ってぶら下げられたアーシャは、抗議するように足を動かすが、
「駄目!」
譲に容赦はない。
「ゼ〜〜〜ン!!」
心細そうな声が禅一を呼ぶ。
振り返って見ると、小さな眉を八の字にして口をへの字にして、幼い顔を精一杯深刻そうにしている。
「大丈夫!」
ちょっと笑ってしまいつつ、禅一はアーシャに手を振る。
満潮時間は近づいているが、まだまだ波は遠い。
風は穏やかで高波の心配もない。
しかしアーシャが心配している様子なので、出来るだけすぐ戻ろうと、禅一は急いで足元を探す。
(桜貝とかが欲しいところだが……)
できれば綺麗な貝が欲しい。
そう思って砂浜を歩くが、桜貝は小さいし脆いので、そうそう簡単には見つからない。
ゆっくり探せば見つかるかもしれないが、背後から心配の視線が背中に突き刺さるのを感じ、気が急いてしまう。
(仕方ない。形が綺麗に残ってる巻貝を拾うか。……お、繋がったままのアサリの殻はレアだな)
禅一基準で、そこそこいいなと思う巻貝を三つと、二枚貝がくっついたままのアサリの殻を拾い、海水で洗う。
そうして急ぎ足で堤防の上のアーシャの元に戻る。
「ゼン!」
ほんの五分にも満たない時間離れただけなのに、譲にぶら下げられたままのアーシャは、駆け寄るように空を蹴る。
「ったく」
動きまくるアーシャに迷惑そうな顔をしながら、譲は彼女を禅一に渡す。
両手を大きく開いたアーシャは、体当たりするように禅一に抱きついてきて、もう離れないぞとでも言うように腕に力を込める。
たった少し離れただけなのに、こんなに熱く歓迎されると、禅一も相合を崩さざるを得ない。
体いっぱいの感情表現に応えるように、禅一もギュッとアーシャを抱きしめ返す。
そして両手が塞がっているので、頬を使ってアーシャの頭を撫でる。
数分ぶりの再会を喜び合う兄妹を、譲が半目で観察しているが、彼らは気が付かない。
「先行って席取っとく」
付き合いきれないとばかりに、譲は冷めた声でそう言って、駐車場を挟んで反対側の道の駅に向かって歩き出す。
「アーシャ、か・い」
そう言って禅一はアーシャに拾ってきた貝を見せる。
アーシャは不思議そうな顔で禅一の手を覗き込む。
喜ぶとかそう言う感じではなく、アーシャはじっと、真剣に貝を見つめる。
(下で見た時は綺麗だと思ったんだが……)
改めて見ると、自分の拾った貝がイマイチな気がしてきてしまう。
(喜ばせたかったんだけど、難しいもんだな)
などと思いつつ、真剣に貝を見ているアーシャを揺らさないように気をつけながら、禅一は堤防の階段を下りる。
「あ」
そっと貝を手に取ったアーシャが嬉しそうな声をあげる。
どうやら拾った貝のうち、内側にうっすら真珠層が作られている物があったらしい。
「ほぉ〜〜〜!」
禅一から見ると『うっすら光っている?』程度で、大した輝きではないのだが、アーシャは嬉しそうに、いろんな角度で光を当てて楽しんでいる。
(もうちょっと暖かくなったら一緒に磯遊びに行くか〜〜〜)
嬉しそうな顔に、アーシャの宝物になるような貝を探しに行くのも悪くない、などと禅一は考える。
アーシャの反応ひとつで、沈んだり浮いたりしてしまっている禅一である。
楽しそうに巻貝を確認していたアーシャは、これと言って珍しくない、ヒンジのようにくっついているだけのアサリの殻も手に取る。
そして両手でパクパクと動かして楽しんでいる。
無邪気に遊ぶ様子に禅一の頬は緩む。
「あっっっっ!!!」
そんな中、アーシャの声が響く。
彼女の両手には右と左に別れてしまったアサリの貝殻がそれぞれ握られている。
「あ、あう、わわ、ああ、ぁぁ」
ギュッと二枚貝を合わせて、お尻の部分をギュッギュとくっつけるように押し、それでも元には戻らない貝に、アーシャは大慌てだ。
「っぷ!」
たかがアサリ貝が離れてしまっただけで、顔色を変えて焦るアーシャに、禅一はついつい噴き出してしまう。
どうでも良い事に本気で焦る姿が、可愛くて、可笑しい。
「じぇ、じぇん、じぇん……あ、あ、あ」
混乱続行中のアーシャを禅一は体全体で抱きしめる。
「ごめんごめん」
アーシャにとっては深刻な問題なのだ。
笑ってしまっては申し訳ない。
そうは思うものの、ついつい顔が緩んでしまう。
「お〜〜〜い!」
のんびりとコミュニケーションをとりながら歩いていたら、譲が道の駅の食堂前で早く来いとばかりに手を振る。
「おっと」
のんびりし過ぎていた禅一は歩く速度を上げる。
そんな禅一に走れとばかりに譲は更に手を振る。
昼時のはずだが、平日ということもあって、すぐに席が取れたようだ。
禅一は強く地面を蹴り、アーシャを揺らさない程度に急いで食堂へ向かう。
子供連れと言うと、食べ物屋では座敷を勧められる。
それはアーシャを引き取ってから知った事実だ。
今まで一度も座敷なんて勧められなかったし、何なら男同士だとカウンターに二人並んで案内されるなんて事も珍しくないので新鮮だ。
「今まで座敷なんて靴を脱ぐのが面倒くせぇって思ってたけど、中々良いよな」
どこに行っても視線を向けられる事の多い譲は、半個室の座敷の居心地が良いようだ。
座布団の上に寛いで座っている。
先に靴を脱がせて座敷に上げたアーシャは、キラキラと顔を輝かせながら、子供用椅子に走り寄る。
すっかり『自分の椅子』として認識しているようだ。
アーシャのサイズでは小さな椅子を運ぶのも大変なようで、フラフラとしながら運ぶ。
代わってやろうかと思ったが、あまりにも嬉々として運んでいるので手出しができない。
そしてアーシャは禅一が座るであろう座布団の横に、ピッタリと椅子をくっつけて配置し、大仕事をやり遂げた顔で、胸を張っている。
これだけでも禅一の腹筋には負荷がかかったのだが、『さぁ!鳴れ!』とばかりに勢い良く子供椅子に着席したのに、何の音も出ない椅子にビックリしている様子がトドメを刺しにきた。
どうやらここの子供椅子は座っても音が出ないタイプだったらしいが、アーシャにはそれがわからないようだ。
顔の周りに疑問符が見えそうな勢いで、不思議そうな顔をしながら、何回も尻の上げ下ろしをする。
そして鳴らない事を理解してしょんぼりと背中を丸める。
「っっっ………!!」
禅一は噴き出さないように口を押さえつつ、哀愁を漂わせる小さな背中を元気づけるように撫でる。
「禅、チビの分も貝汁頼むぞ」
「あぁ」
レストランというより、食堂という呼び方が似合っている店だが、注文はタッチパネルだ。
「チビはお子様ランチでいいな?」
「あぁ。入らなかったら俺が食うから」
アサリ貝の味噌汁、略して貝汁を三つと、お子様ランチ、そして好物の天ぷらの盛り合わせを譲はタップしていく。
「ホレ」
そこまで頼んでから、注文用タブレットが禅一に渡される。
「今日は焼肉定食にしようかな〜」
ここは海鮮がウリの食堂なので、いつもは魚介類メニューを頼むのだが、アーシャが肉を見たら喜ぶかもしれないと、禅一は焼肉定食を注文する。
禅一の注文が終わっても、アーシャは寂しそうに鳴らない椅子を見ている。
子供用椅子は何で音がするのだろうと思っていたのだが、子供を楽しませるためだったんだなと、禅一は納得する。
「アーシャ、手、洗おう」
そう言って禅一は気分転換も兼ねてトイレに連れ出した。
『できるだけ自分で歩かせる!』
禅一としては小さいアーシャは抱き上げていた方が移動が楽なのだが、足腰を鍛えさせろという譲の指導のもと、アーシャは自由に歩かせる。
よく親を振り切って爆走する幼児を見かけるが、アーシャはそういう事がない。
自由に歩いても良いのに、当たり前のように禅一の手をしっかりと掴んで、彼の歩く方向に素直についてくる。
素直にトイレに行って、素直に席に帰る。
そうなるかと思っていたのだが、入り口前を通過しようとした時、アーシャは立ち止まった。
「わぁ〜〜〜」
そして珍しく自分から禅一を引っ張って棚に走り寄る。
彼女が走り寄った先は、食品サンプルが並べられたメニュー棚だ。
「うどん」
そう言ってアーシャは棚に張り付く。
彼女の目は、豪華な海老天やカマボコ、玉子、ワカメがのった、うどんの食品サンプルに釘付けだ。
先程までイチゴをお腹いっぱい食べていたのに、もう涎を垂らしそうな顔で見ている。
うどんの一段下で、おもちゃに囲まれて燦然と輝いているお子様ランチには目もくれていない。
(しまったな。アーシャはうどんが食べたいのか。安易にお子様ランチを選ぶんじゃなくて、アーシャにメニューを見せれば良かった)
食品サンプルに熱視線を送るアーシャを見ながら、禅一は少し後悔する。
お子様ランチ程度なら禅一はおやつ感覚で食べられる。
一度戻って、メニューを見せながら再度注文をしようか。
そんな事を考えながら禅一が自分たちの座席を見ると、早くも料理が運ばれてきている。
「おっと、料理が来たみたいだ」
まだ熱心に食品サンプルに張り付いているアーシャを禅一は抱き上げる。
「あ〜」
アーシャは未練たっぷりに食品サンプルを見つめる。
「ごめんな。ご飯が来たみたいだ」
なるだけゆっくりとした口調で説明しながら、禅一は自分たちの座席を指差す。
説明が通じるだろうかと、禅一が不安に思っていたら、指の先を視線で辿ったアーシャの顔がパァッと明るくなる。
「ご・は・ん」
「ごあん!」
禅一の言葉を真似て、嬉しくてたまらないと言う様子で、アーシャの足が跳ねる。
(うどんじゃないと知ると、がっかりするだろうなぁ)
この無邪気な笑顔が曇ってしまう事を予想して、禅一の心は沈む。
テーブルの上には丼物用と同じサイズのどんぶりが三つ置いてある。
「汁が先に来たか」
「まぁ、ここの名物だからな」
そんな事を話しながら禅一はアーシャの靴を脱がせる。
アサリの旨みがしっかりと染み出した名物の味噌汁は、学校給食を作るような巨大な鍋で、一日中すぐ出せるようになっているのではないかと、禅一は勝手に予想している。
「わぁ〜」
歓声と一緒にどんぶりに走り寄っていくアーシャに禅一は顔を曇らせる。
(すまん……うどんじゃないんだ……!!)
アーシャなら何でも喜んで食べてくれるという慢心があった。
禅一はがっかりされてしまう覚悟を決めながら、アーシャのどんぶりの蓋を開ける。
「わぁぁ……あぁあ?」
笑顔で器を覗き込んだアーシャの顔が真顔になる。
(わかり易い失望!!)
これは早めに次の注文を入れねばならない。
そう心に決めながら、禅一は自分の味噌汁の蓋も開ける。
「……えにぃみゅい……」
そう呟いたきり、アーシャは微動だにしない。
アーシャの周りだけ時が止まったようだ。
いくら見つめてもアサリはうどんにはならない。
それでもアーシャはアサリを凝視し続ける。
全く食べ始めようとしないアーシャに、譲が眉を顰める。
彼は箸箱から新しい箸を一膳取って、強制食事を開始しようとしている。
小児科の検査で、アレルギーもなければ、完全な抗体を持っていると確認されているアーシャが、食べ物を拒否すると言うことは、好き嫌いだと判定されるのだ。
「待って、待ってくれ、譲。俺が勧めるから」
せっかくイチゴを食べて、ここまで楽しい気分で過ごせているのだ。
うどんの口になっているアーシャに無理強いは可哀想だ。
禅一は腹を決めて、真顔でアサリの観察を続けるアーシャの肩を叩く。
「アーシャ、あ・さ・り」
さっき見せた貝だよ、と示すように、自分のお椀の一番上にのっているアサリを摘んでアーシャに見せる。
いつもはすぐに復唱してくれるアーシャは、眉間に皺を寄せて禅一の手元を凝視している。
(食べ辛い……)
そう思いつつ、禅一はアサリを口に運ぶ。
「美味しい!」
精一杯の演技で美味しそうに食べて見せるが、アーシャは固まったままだ。
(やっぱりダメそうだな……)
口を真一文字にしているアーシャに、禅一は失敗を悟った。
貝の味噌汁を前に、『食べるの?これを?』とでも言いたそうな深刻そうな顔をしているから、苦笑するしかない。
「大丈夫」
そんなアーシャに禅一は声をかける。
無理に食べる必要はないのだ。
禅一は机の隅に立ててあるメニュー表を手に取る。
「これも、アーシャの」
禅一はそう言いながら、お子様ランチを指差す。
うどんではないが、対お子様に作られた、ハタの立ったオムライス、ミニハンバーグとその下に敷かれたレタスとナポリタン、そして付属のおもちゃと、完璧な布陣のプレートだ。
(お子様ランチもダメそうなら、うどんを頼み直そう)
そう思いながら禅一はアーシャの反応を伺う。
「ふあぁぁ〜〜〜!」
メニューの写真を見たアーシャは目を輝かせる。
どうやら対お子様用の最強プレートはアーシャの心を掴んだらしい。
名物は食べられなさそうだが、他の物を喜んで食べられそうなら良かった。
そう、禅一が安心しきっていたところに、脅威は近づいてきた。
「チビ」
超低音の不機嫌そうな顔。
無駄に綺麗な箸遣い。
「食・え!」
食わず嫌い反対過激派の譲が、剥き身のアサリをアーシャの口元に突きつける。
「……譲……」
確かに好き嫌いは少ない方が、色々と生き易い。
しかし今日は行楽で来ているのだ。
色々大目に見てやって良いのではないだろうか。
そう思って禅一は声をかけるが、譲は目の前の兄をガン無視である。
存在すら否定する勢いでの無視である。
(……兄の立つ背がない……)
言い争いにならないことは結構だが、キツい言葉より無視の方が傷つく。
アーシャの前で喧嘩するなと、篠崎に再三言われている禅一が、どうするかと考えているうちに、アーシャはオズオズと口を開く。
小さく開いた口の中に、流れるような箸遣いで、譲はアサリを投入する。
アーシャは眉や口の両端を極端に下げて、シワだらけにした渋い顔で、恐る恐るといった様子で、そっと口を動かす。
「…………!」
そしてカッと目を見開く。
アーシャは大袈裟なほどゆっくりと、口の中のアサリを噛み締める。
「………っっ!!」
食品系のプロがテイスティングするかのように、ゆっくり味ったかと思うと、アーシャは大きく息を吸った。
そして口だけが物凄い速さで動く、高速咀嚼が始まる。
どうやら美味しかったらしい。
相変わらずアーシャの高速咀嚼に慣れない譲は、引き気味になりながらも、ほら見ろとばかりに、禅一に視線を向ける。
自分が好きなものを受け入れられて、ご満悦の様子だ。
「ゆずぅ!!」
そんな譲に突如として、力強いアーシャの声がかかる。
「お……おぉ?」
あまりの迫力にますます譲の腰が引けている。
「おいしーなっっ!!」
そんな譲にトドメとばかりにアーシャが、真っ赤に頬を紅潮ながら力強く宣言する。
「あ………そぉ……」
自分が勧めた食べ物だが、あまりの熱量が返って来て、譲は持て余し気味だ。
(軽い気持ちで勧めた本についての感想を一時間ノンストップで語られた時みたいな気分なんだろうなぁ)
弟妹の触れ合いを、禅一は微笑ましく見守る。
「あうっ」
目をキラキラさせながらアサリに手を伸ばしたアーシャは、熱さに触れて手をブンブンと振り回す。
「おっと」
味噌汁の熱さを失念していた禅一は手を伸ばして、テーブルに備え付けられているスプーンを取る。
「うぅ……」
そして悲しそうにフウフウと味噌汁に息を吹きかけるアーシャに、噴き出しそうになりながら、それを渡す。
すると途端に緑の目を輝かせ、アーシャは伝説の剣のようにスプーンを掲げる。
アサリをほじくり返す気満々だ。
本当に無邪気に食い意地が張っていて可愛い。
貝の味噌汁が入っているどんぶりの蓋は、本来貝のから入れに使うのだが、ちょうど良いので取り皿として使用する。
禅一はアーシャの目の前に蓋を置き、アサリの剥き身を次々とそこに入れていく。
「ゼン、あいがとぉ!!」
そんな禅一にアーシャは会心の笑みを見せる。
「どういたしまして」
素直すぎる感謝に、禅一の頬が緩まないはずもない。
「おい、チビの世話ばっかりしてたら、お前の味噌汁が冷めるぞ」
先程、ハウスのイチゴを狩り尽くす勢いで食べていたはずの譲だが、どうやら別腹が存在するらしく、彼は普通に味噌汁を平らげている。
「冷めても美味いものは美味いだろ」
そうは言ったが、時々身の一部が殻にこびりついて残ってしまったりする禅一より、貝柱までを綺麗に剥ぎ取る、恐るべき箸遣いを身につけている譲の方が、剥き係としては相応しい。
渋々禅一はアーシャ用の箸を譲に明け渡す。
アーシャは給仕役が変わった事にも気が付かず、夢中でアサリを食べている。
口を動かしながら、うにゃうにゃと言ったり、味わうように目を瞑ったりと大忙しだ。
それを微笑ましく眺めながら禅一は自分の食事を進める。
「…………ん?」
最初は喜びを露わに左右に揺れていたのだが、そのうち、目を閉じたままバランスを崩すように揺れ始めた。
「えっ」
「おいおい……」
禅一と譲は視線を交わす。
まだアーシャのお子様ランチは届いていない。
あのプレートを見たら、気力を振り起こせるかもしれない。
そう思って、座敷から首を出して店員の様子を見るが、一向に届くような気配はない。
焦っている間に、アーシャの頭は完全に下がってしまう。
「アーシャ、お子様ランチ!アーシャ!」
禅一はアーシャの背中をさすって、何とか起こそうとするが、
「ぷぅ………ぷぅ………ぷぅ………」
アーシャの口から健やかな寝息が聞こえ始める。
「寝たな」
「………眠っちゃったな………」
がっくりと禅一は肩を落とす。
「ま、良いだろ。さっき死ぬほどイチゴを食ってたし、アサリも食ったから、カロリー不足にはならねぇだろ。食事前にトイレも行ったから漏らす心配もねぇ」
譲は淡々とそう判断するが、メニューを見た時のアーシャの輝く顔を覚えている禅一は諦めきれない。
「ここ、言ったら持ち帰り用のプラスチック容器とかもらえないかな……?」
「無理だろ。ここ、イートインしかねぇし。おやつ代わりに禅が食っちまえ」
一縷の望みを譲はバッサリと切り捨てる。
お子様ランチ程度の量は全く問題なく食べられるが、禅一の頭の中では嬉しそうに食べるアーシャの映像が出来上がってしまっていたので、落胆してしまう。
「お待たせしました〜〜〜!」
アーシャが椅子から落ちてしまわないうちに、膝の上に回収して布団がわりにコートをかけたところで、待っていたお子様ランチが運ばれてきた。
あと一歩遅かった。
「あ……お子様のおもちゃは……」
一緒におもちゃの詰まったカゴを持ってきた店員は、眠ってしまっているアーシャに気づいて戸惑う。
こんなにたくさんの中から選んで良いと言われたら、アーシャは目を輝かせただろう。
「どうする………?」
「ん〜〜〜、このちっこい色鉛筆セットで良いんじゃねぇの?家に帰ってから、お絵描きさせられるだろ」
実に味気ないオモチャの選定になってしまった。
悄然と自分のバッグに、貰ったオモチャを入れてから、禅一はお子様セットに向かう。
「んふっ!」
その様子を見て譲が小さく噴き出す。
「何だよ」
「いやいや、大男がお子様ランチって!中々間抜けな絵面だな!」
ニヤニヤと譲は笑う。
そしてスマホを取り出して構える。
「………………」
持っていた箸を置いた禅一は、備え付けの紙ナプキンに手を伸ばし、広げてから首元に挟む。
そして子供用の小さなフォークとスプーンを両手に持ち、一口でも食べられそうなオムライスを、スプーンをナイフに見立てて切り分け、殊更上品に口に運ぶ。
「ふっっっ!」
全力で丁寧にお子様ランチを食べる大男を、腹を抱えながら譲は撮影する。
「ヤベェ、これは酷いっっっ」
撮影したものを見返して、もう一度笑う。
「これは俺だけで楽しむのはもったいねぇな。住民グループに投稿しとくか」
そんな事を言いながら譲はスマホを操作する。
「ちょっと大人のお子様ランチ、って書いといてくれ」
再び箸に持ち替えて、普通に食事を始めた禅一は注文をつける。
「涎掛けして大人はねぇだろ!」
「涎掛けじゃなくて、貴族がご飯食べる時によくやってるやつだって」
そんなくだらない会話をしながら、兄弟は次々と到着した注文の品を食べ始める。
因みに『住民グループ』とは禅一たちのアパートの住民たちで作っている、各々がくだらない事を思いついた時に発言していくグループだ。
「…………ん?」
譲のスマホが震える。
「お、和泉姉からだ」
「くだらん物を送ってくるなって来たか?」
スマホを確認していた譲は、少し眉間に皺を寄せる。
「いや。『暇持て余してるなら迎えに来い。愚弟が動けなくなって困ってる』だと」
譲は送られて来たらしい地点情報を禅一に示す。
「場所は…………高速のサービスエリアか。ここから四十分くらいか?」
「ん〜〜〜、そこまではかかんねぇと思うけど……どうする?」
一口でハンバーグとレタスを食べて、咀嚼しながら禅一は考える。
アーシャはこれから昼寝に入る。
下道で迎えに行き、高速にのって一時間で家に帰る。
いつもの調子だったら、それくらいの間は眠り続けるだろう。
「俺は高速代出してくれるなら行っても良いかな?」
「じゃ、高速代とガソリン代と手間賃で行ってやるって言っとくか」
さり気なく料金を追加して譲は返信する。
こうして眠ったアーシャを連れたまま、ちょっとしたドライブに兄弟は出かけることとなった。
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