5.聖女、美味なる蝸牛を知る

今日は刺激的な一日だ。

この国に来て、刺激がなかった日など一日もなかったが、特に今日は刺激的なのだ。

空を走る吊り橋を渡り、さまざまな景色を楽しみ、美しく煌めく苺たちに包まれて飽きるまで食べた。

既に十五年生きてきた中で、今日が一番楽しい日だったと言って良いほど、素敵な刺激ばかりだった。


それなのに、この国は更なる刺激を用意していた。

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜」

アーシャは口を閉めるのを忘れて、目の前の光景に見入っていた。

水。水。水。

右を見ても、左を見ても、途切れる事なく水。

舟を浮かべるような大きな湖は見たことがあるが、それでも向こう岸が見えないような湖はなかった。

まずはその巨大さに驚いてしまう。


巨大な水面は、熟練の宝石職人が作った宝石よりも複雑に光を乱反射して、この世のものとは思えないほど美しい。

近くの水面は昼間の空のように明るい色なのに、奥へ向かっていくに従って濃さを増し、最後は真夜中の空のような色になるのも、不思議で美しい。

空と水面が触れ合う部分は、明るい空の色と、満月の夜空の色が隣り合っていて、面白い。

(何か……水が曲がって見えるわ)

目を眇めたり、片目づつ瞑って見たりするが、空と水面が描く境界線は、大きな弧を描いている気がする。

カップを満水にした時のように、量が多いと水は丸まるのだろうかと、アーシャは首を傾げる。


魂を抜かれたように、遠くを見ていたアーシャは足元に視線を落とす。

(呼吸……してる?)

水面はこちらに迫ってきては、帰っていくを繰り返す。

風に押されたとかではなく、意思を持っているように動きで、まるで水自体が呼吸をしているようだ。

(もしかして……これは水じゃなくて巨大なスライム………!?)

アーシャの中では、そんな疑念すら生まれてくる。

(いやいや、まさかまさか。粘ついていないし、こんなに大きなモンスターがいたら、毎日の食事だけで世界が滅んでしまうわ)

すぐに自分の中の仮説を否定しながらも、念の為、動いている部分に瘴気がない事をじっと見て確認してしまう。


(スライムじゃないなら何なんだろう……?例えば……水の中に凄く大きな生き物がいて、イビキをかいているから水が揺れるとか?………それならちょっと納得できるかも?……そう言えば凄く変な匂いがするし)

アーシャはクンクンと鼻を鳴らす。

何かが腐っているような、それでいて青臭いような、奇妙な匂いがするのだ。

独特の匂いを運んでくる風は、普通の風とは違って、川などの近くの湿った空気を更に重くしたような独特な質量がある。


生きているかのような動きをする水が、大量の砂を撫でる。

(凄い量の砂……砂漠ってきっとこんな感じなのかしら)

砂漠には硬い地面はなく、全てがサラサラの砂だと聞いたことがある。

砂だらけの世界に思いを馳せるが、砂漠は雨が降らず、灼熱の太陽が地面を焼くから砂だらけなのだとの話を聞いたことがあるので、実際はこれと全然違うのかもしれない。

(こんなにも豊富な水があるのに、何故この湖の周りは砂だらけなのかしら?)

アーシャの知る湖の周りは草木に溢れる、肥沃な大地だ。


しばらく無言で巨大な湖にアーシャが見入っていたら、目の前の階段をゼンが下り始める。

「ゼン!」

慌ててアーシャもついていこうとする。

幅も高さも大きな階段で、一段がアーシャの胸の辺りまでくるので、そのまま下りることができない。

「ちびわだめ」

なので、後ろ向きになって下りようとしたのだが、足を踏み下す前に、ユズルに回収されてしまった。

「ゆずぅ!」

猫でも持ち上げるかのように、脇を持って、ぶら下げられたので、アーシャは足をバタバタと動かす。

「だ・め!」

しかしアーシャの抗議は聞き入れられない。


「ゼ〜〜〜ン!!」

ゼンを一人で動く水に近づけて良いのか分からず、アーシャは情けない声で、どんどん階段を下って行く彼を呼ぶ。

「だいじょーぶ!」

ゼンは立ち止まることなく、明るい笑顔で手を振って更に下りていってしまう。


まるで水の中からモンスターが出てくることを想定しているように、『くるま』の停まっている広場と水溜りの間には、城壁のような、高くて分厚い壁が建っている。

アーシャたちが立っているのは、その壁の上だ。

双方から壁の上に登ることのできる階段があって、広場側からは十段ほどで登れるのだが、水側は三十段以上は登らないといけない。

水からモンスターが出て来て、逃げなければならなくなった時、アーシャたちは広場側に下りるだけで良いが、ゼンは三十段以上登ってから更に広場側に下りなくてはいけない。


ユズルにぶら下げられたまま、アーシャはハラハラとゼンを見守る。

神具である錫杖は、苺の楽園に行った時も、この広場に来た時も、『くるま』の外に持って行くのを止められてしまったので、手元にない。

(いざという時の助力になれないわ)

神具の補助なしの小さな体では、とても聖女らしい働きはできない。

いざという時に物理で殴るためにも武器は必要だった。

次からは何と言われようと、常に持ち回らなくてはいけない。

アーシャは後悔しながらゼンを見つめる。


心配の視線の先のゼンは、砂の上に何回かしゃがみ込み、何かを拾っている。

「あっあっ」

そして勢い良く寄ってきた水に手をつけるから、アーシャは思わず声が出てしまう。

遠くの水は透き通っているが、寄せてくる部分は、泡立って砂を巻き込み、不透明だ。

そこに何か潜んでいるのではないかと、心配になってしまったのだ。


しかしアーシャの心配を他所に、ゼンは何事もなく、水の中から出した手を振って、水を切りながら、軽い足取りで階段を登ってくる。

「ゼン!」

ホッとしたアーシャは、ぶら下げられたままの足をパタパタと動かす。

「ったく」

ゼンが登り切ったところで、ユズルがため息を吐きながら、ぶら下げたアーシャをゼンに渡し、ゼンは濡れた方の右手がアーシャに触れないように、片手で受け取る。

無事にゼンが戻って来てくれた事に安堵して、アーシャが力を込めて抱きつくと、ゼンは手の代わりに頬を寄せて頭を撫でてくれる。


「アーシャ、か・い」

ゼンはそう言って右手を開いて見せてくれた。

「?」

その手の上にはカタツムリの殻と、絵が書いてある蝶番ちょうつがいのような物がのっている。

(この国のカタツムリはすいぶんオシャレなのね)

アーシャの知るカタツムリの殻は、一色だけで柄らしい柄がない、そっけないものだったが、ゼンが持ってきたカタツムリの殻は何とも複雑で愛らしい柄がついている。

遥か遠き砂漠の国より献上された絨毯の模様のようだ。


「あ」

手に取ってみて、中身が入っているのか確認したアーシャは目を丸くする。

その殻には既に住み主がいなかったのだが、なんと中が七色に輝いていたのだ。

「ほぉ〜〜〜!」

何と内面重視なカタツムリがいたものか。

そもそも住み主不在の殻を見た事自体初めてなのだが、あのヌメヌメした気持ち悪い外見で、中々のお洒落者だ。


ゼンが見せてくれたカタツムリは全部で三つ。

一つは裏側まで手抜きせずに装っていたのだが、後の二つの内側は白の無地だった。

(内側までお洒落なカタツムリは希少なのかも。……でも何でこんなに中身が不在の殻があるかしら)

日光でさまざまな色合いになる殻を見ながら、アーシャは首を傾げる。


上流階級の方ではカタツムリを食べる人もいるらしいが、庶民はそんな物を食べない。

雨の日に一匹二匹出てくる小さなカタツムリではお腹は満たせない。

そんな物を探して歩く程、暇を持て余している庶民はいないのだ。

なので家を担いでいるカタツムリの姿を時々見かけるくらいで、中身不在のものは見たことがない。

それなのに、大して探した様子もなく、ゼンが三つも住人不在の殻を持って来たことが、アーシャには不思議でならない。


(殻の柄が違うって事はそれぞれ別の種類のカタツムリなのかしら?)

疑問は尽きない。

白地にオレンジ色の紋様が入った殻、白地に藍色の縞々が入った殻、ツンと尖った形で白一色なのに表面の凸凹で模様を作る殻。

あの水はカタツムリの楽園なのだろうか。


(もしかして、この水を動かしているのは、すごく大きなカタツムリだったりして)

そう言えば、水の動きは、あのぬめる足に似ているような気がする。

王様のように大きなカタツムリと、その家族たちが住む湖。

やがて寿命を迎えたカタツムリは陸に埋葬される。

それなら誰かが食い散らかして、殻を捨てたのでなくても、殻が沢山落ちているはずだ。

(……カタツムリの王国……)

想像をして、アーシャは笑う。

皆、とてもゆっくり生きていそうだ。


(これは………何だろう?)

アーシャは最後に残った蝶番のようなものを手に持つ。

触った質感はカタツムリの殻に良く似ている。

親指ほどの大きさの二枚が、蝶々のように中央で繋がっており、それぞれに細かい絵柄が描き込まれていて、中々手が込んでいる。

(これは……山の絵かしら?小さいのに上手く書けてるわ)

アーシャは描かれた小さな絵に感心する。


(これ、どうやって繋がっているのかしら?)

留め具のような構造は見当たらないのに、何故か二枚は繋がっている。

「あっっっっ!!!」

不思議で、両手でそれぞれを持って、何度も開閉させてじっくり見ていたら、小さな衝撃と共に、蝶番が離れてしまった。


「あ、あう、わわ、ああ、ぁぁ」

慌てて二枚をくっつけても、もうそれらはくっつかない。

アーシャはせっかくゼンが取ってきた物を壊してしまった衝撃で、真っ青になってしまう。

「っぷ!」

そんなアーシャにゼンは噴き出す。

「じぇ、じぇん、じぇん……あ、あ、あ」

謝りたいのに、言葉が出ないアーシャを、ゼンは片手と頬で抱きしめる。

「ごめんごめん」

ゼンはそう言って、両手が塞がっているので、また頬でアーシャの頭を撫でる。


「お〜〜〜い!」

そんな二人に、いつの間にか遠くに行ってしまっていたユズルが手を振る。

『くるま』を停めた向こう側には、幾つも家をくっつけたような不思議な形の建物があり、その前にユズルは立っている。

「おっと」

ユズルの手を振る仕草に、ゼンは大股で移動を始める。


(……もしかして、あの手振りって、『あっち行け』じゃなくて『おいで』なのかしら?)

アーシャから見たら、犬を追い払うような仕草に見えるのだが、ユズルが激しく振れば振るほど、ゼンは足を早める。

ユズルは文句を言いながら、ゼンとアーシャを引き連れて建物に入る。

ついて来るのが当たり前と言う動作なので『あっちに行け』では意味が合わない。


アーシャはユズルの手の動きを真似して、手を動かしてみる。

「ん〜」

確かに動かし方に寄っては、引き寄せているように見えなくもない。

「!」

そんな事をしていたアーシャの鼻に、何とも芳しい匂いが届く。

先程お腹を苺で満たして、もう何も入らないと思っていたのに、じゅわっと口の中に唾液が出てくる。

それ程、何とも言えない美味しそうな匂いだ。


ハッとして周りを見れば、卓と椅子が並んでおり、座っている人々は何かしらを食べている。

「ほわっ!?」

たった今苺を食べたのに、更にここでご飯を食べるのだろうか。

驚くアーシャを尻目に、二人は奥の方の小さな部屋に靴を脱いで上がり込む。

昨日の夜と同じように、そこには草で編まれた敷物の上に、卓とクッション、そしてアーシャ用と思われる椅子が隅に置いてある。

(間違いない……ここはご飯を食べる所だ……!!)

何と言う飽食祭りだろうか。


もう何も入らないと思っていたのに、美味しそうな香りを嗅ぐと、途端に食欲が湧いてくる。

アーシャはワクワクしながら、隅から自分の椅子を運んできて、ゼンの隣に座る。

「…………?」

座った瞬間に椅子から音がすると思っていたアーシャは、張り切ってお尻を下ろしたのに、何の音もしない。

アーシャは不思議に思って、何度か立ち上がったり座ったりを繰り返してみるが、椅子は何の音も立てない。

「……………」

別にどうしても鳴って欲しいわけではないが、鳴ると思っていたのに、鳴らないのは何となく寂しい。

そんなアーシャの背中をゼンがポンポンと叩いて慰めてくれる。


「アーシャ、て、あらお」

そう言って、ゼンはアーシャを抱っこして連れて行く。

何事かと思ったら、排泄のための部屋に連れていかれた。

(成る程。食べる前になるだけ体の中を空にする作戦ね)

アーシャはわかったとばかりに、排泄をすませ、しっかりと手を洗ってから戻ることにした。


その過程で、入り口付近を通った時、豊かな色彩がアーシャの目に飛び込んでくる。

「わぁ〜〜〜」

最初に入った時は気が付かなかったが、そこには沢山の食べ物が入った硝子張りの棚があった。

色鮮やかで美しい食べ物が、棚の中に所狭しと並べられている光景に、アーシャは目を輝かさせる。

『薄暗い』などと言う言葉が存在しないのではないかという程、照明技術が進んだ神の国の室内は、いつも昼間のように明るい。

そんな明るい室内で一際、棚の中は明るい。

その中で食べ物たちは誇らしげに輝いている。

「『うどん』」

わかる料理を口に出そうとしたのだが、残念ながら、ぎっしりと並んだ料理の中、アーシャがわかるのは、それくらいだった。

美味しそうな『うどん』が美味しそうな具材を戴いている。


「…………??」

食べ物たちをうっとり眺めていたが、すぐにアーシャは奇妙な事に気がついた。

『うどん』を含め、全ての皿はこちらから見やすいように傾けられている。

それなのに器の中の液体は動かずに、器と一緒になって斜めになっているのだ。

(凍っている……とかじゃないよね?)

アーシャは戸惑ってしまう。

液体が動いていない以外は、どう見ても普通の食べ物にしか見えないが、何かがおかしい。


更に良く確認しようと硝子張りの棚に顔を寄せようとするが、

「おっと、驚淋虐鈷翻みたいだ」

ゼンが何事か呟いて、アーシャを抱き上げてしまう。

「あ〜」

もっと良く見たら謎が解明できたのにと、アーシャの残念さは声になって出てきてしまう。

「ごめんな。ごはんが、きたみたいだ」

そんなアーシャにゼンは困ったように眉を下げる。

彼が指差す先には自分達が座っていた小部屋があり、卓の上に何かが届いている。


謎の解明に乗り出そうとしていたことも忘れて、アーシャは頬が緩む。

「ご・は・ん」

「ごあん!」

アーシャは明るい声で復唱して、抱き上げられて地面に束縛されていない足が喜びに揺れる。

視線は自分たちの卓に釘付けだ。


卓の上には蓋のついた深い器が三つ並んでいる。

「遭声呪凄穫きたか」

「まぁ、ここの稗司埠からな」

ゼンはユズルと何事か言葉を交わしながら、小部屋に上がる。

アーシャは蓋がついた食器なんて初めて見るので、興味津々だ。

靴を脱がせてもらって、すぐに自分の椅子に走り寄る。


意気揚々と着席したアーシャに破顔しながら、ゼンが器の蓋を開けてくれる。

それとともに美味しい予感しかしない芳しい香りの湯気がアーシャの顔を覆う。

「わぁぁ……あぁあ?」

期待に胸を膨らませたアーシャの目には、汁に浸かった、否、汁から思い切り飛び出した謎の物体たちが飛び込んできた。


汁はいつもの黄色のスープだ。

「………………」

しかしその中に、山のように積み重なっている物体は見た事がない。

「……ちょうちゅがい……」

否、今まで見たことがなくて、つい先程見たばかりの物体だ。

先程ゼンが拾って見せてくれた、複雑な絵がついた蝶番がどっさりと入っているのだ。

しかも蝶番の片方には、薄い黄色の、茹で上がった生物がこびりついている。


生物をじっと見つめれば、内臓らしき物や、ひだっぽい物、黒く色のついた目らしき部分がある。

(これは……巻いていないカタツムリ!?)

アーシャは殻を脱いだカタツムリを見たことがないので、推測することしかできないが、茹でるとこんな感じになるのかもしれない。

目の感じがカタツムリに似ている気がする。

(蝶々とカタツムリの合いの子みたいな生物に違いないわ)

じっくりと観察してから、アーシャはそう結論づけた。


(この殻を動かして飛んだりするのかも……)

スープから出ているだけを見ても、蝶々カタツムリの殻は一つとして同じ柄がない。

地味な線が入っているだけの殻、縞々柄をつけている殻、これでもかと複雑な図形が描かれた殻。

これらが群れて飛んでいたらさぞかし壮観だろう。


(でもみんな何で片側の殻に入っているのかしら……?)

疑問は尽きない。

アーシャがしみじみと眺めていたら、チョンチョンと肩を叩かれる。

「アーシャ、あ・さ・り」

そう言って、ゼンは蝶々カタツムリを一匹摘んで見せる。

そうしておいて、お見本を見せるように、パクッと身がのった方の殻を口に入れる。

「!」

殻ごと食べるのだろうかと思ったが、ゼンは口から殻を引き出す。

そして住み主だけがいなくなった殻をアーシャに見せてから、ゼンはひっくり返した蓋にそれを置く。


「おいしー!」

そう言ってゼンは笑うが、アーシャは口を引き結んだまま、動けない。

視線だけを動かして、山盛りの蝶々カタツムリを見る。

「……………」

謎の生物を口に入れる事に大きな抵抗を感じる。

動けないアーシャにゼンは苦笑する。


「だいじょーぶ」

そう言って大きな手がアーシャの頭を撫で、沢山料理が載っている紙を見せる。

「これも、アーシャの」

そう言いながらゼンが指差したのは、黄金色の玉子の塊や、こんがり焼けたお肉、朱色の『うどん』に、葉物野菜までのった、豪華な皿だった。

「ふあぁぁ〜〜〜!」

玉子の上には何故か旗のような物まで刺さっていて、とても豪華な一皿だ。

これが『アーシャの』であるらしい。

アーシャは目を輝かせる。


「チビ」

そんなアーシャに何かが接近してくる。

「……………」

二本の木の棒に摘まれた、蝶々カタツムリの本体だ。

「く・え!」

二本の木の棒を持っているユズルの辞書に、『容赦』という言葉はなさそうだ。


「ユズル……」

ゼンは止めようとしてくれるが、ユズルは全くゼンの方を見ない。

焦茶色の目が、『食うまで許さない』とばかりにアーシャを睨んでいる。

唇に弾力のある肉がくっ付く。

すぐ近くの鼻に、その肉の匂いが漂ってくる。

(さっきの匂いだ)

先程の湖で嗅いだ匂いに少し似ているが、スープの匂いに混ざると、何とも美味しそうな香りに感じる。


「…………っ」

嗅ぎ馴れない匂いに戸惑いながらも、アーシャは恐る恐る口を開く。

するとポイっとその身が口の中に放り込まれる。

「……………」

そっとアーシャは、その身に歯を下ろす。

弾力があって、噛み心地は中々良い。

「…………!」

そして噛むと、ジュワッと中からスープが染み出してくる。

「………っっ!!」

いつものスープの味に近いのだが、何故かとんでもなく美味しい。


カッと目を見開いたアーシャは、確かめるように口の中の肉を、二、三度、噛み締める。

(美味しい………!!)

具体的に、いつものスープと何が違うとは言えないのだが、とにかく美味しい。

今まで味わったことのない旨味が口に広がる。

ただでさえ深いスープの味わいが、国と国を断絶する谷の如く、深さを増している。

塩っ辛さの中に、何かとんでもない美味しさが混入している。


(カタツムリ、美味しい!?カタツムリ、美味しい!!美味しい!!!)

アーシャが大好きな豚や鳥の肉にも負けない。

いや、それより美味しいかもしれない。

しっかり味わって飲み込むと、口からお腹まで全てが、謎の美味しさに包まれ、思わずアーシャは天を仰ぐ。


「ゆずぅ!!」

「お……おぉ?」

「おいしーなっっ!!」

アーシャは全力で、この美味しさを食べさせてくれたユズルに報告する。

「あ………そぉ……」

ユズルの反応は薄かったが、気にしていられない。

口が、脳が、胃袋が、今の旨味を、早くよこせと騒いでいる。


「あうっ」

ゼンの真似をして、器の中の殻を摘もうとしたのだが、意外と熱くて、取り落としてしまった。

「うぅ……」

この熱が冷めるまで次の一口を待たねばならないのか。

美味しいとわかっている物が目の前に山積みなのに。

「はい」

そんな気持ちを察したかのように、アーシャの手にスプーンが渡される。

スプーンで身を掬えと言う事だろうか。

アーシャは早速手を出そうとするのだが、そんな彼女の前に、ひっくり返った器の蓋が置かれる。

「?」

不思議に思って、ゼンを見上げると、彼は器用に木の棒を操り、その蓋の上に剥いたカタツムリをのせていく。


これは食べ易い。

「………!ゼン、あいがとぉ!!」

「どーいたしまして」

アーシャは優しい笑顔に見守られながら、スプーンで肉を掬う。

「ん〜〜〜〜!!」

やはり弾力のある身といい、旨味たっぷりのスープといい、堪らない。


アーシャは忙しく口を動かし、ゼンは次々に殻を剥いてくれる。

時々、ゼンは大きなスプーンで、スープも一緒に入れてくれるのだが、これがまた美味しい。

口の中に広がるスープは濃厚で、肉に絡むと、旨味を更に濃くしてくれる。

「おいしー!おいしー!!」

アーシャの口は食べるか、その言葉を出すかの、どちらかしかできない。


食べても食べてもスープの中から殻は出てくるし、スープの中に浸かっていた身は更に美味しいしで、アーシャは幸せに酔いしれる。

(『いちご』も、この『あさり』も美味しい……食べても……食べても、いっぱい)

目を瞑って、味の余韻を楽しんでいるつもりが、そのうち、目が開かなくなってくる。

「アーシャ、おこさまらんち!アーシャ!」

(お腹いっぱい……気持ちいい……美味しい……)

焦ったようなゼンの声が聞こえた気がしたが、幸せいっぱいのアーシャは、そのまま幸せの余韻を噛み締めつつ、夢の世界に落ちていってしまった。




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