4.弟妹、イチゴを狩りまくる(後)

直売所の裏手から出て、ビニールハウスへ続く道を、譲は大股で歩き出す。

いちご狩りには制限時間があるので、気が急いているのだろう。

(とは言っても、現実的に一時間もイチゴを食べ続けるなんて、できんだろ)

禅一は心の中で苦笑する。

彼もイチゴは好きだが、一パック丸々食べたいとか、そんな感じではない。

美味しいと思えるだけの量を食べられれば満足する程度だ。

一時間なんて時間制限は建前で、実質無制限と変わらないだろうと禅一は思う。


『アーシャをイチゴ狩りに連れて行ってやろうと思うんだが……』

そう切り出して、一緒にどうだと聞く前に、譲はさっさとスマホを出して予約を始めてしまった。

その素早さたるや、口を挟む余裕もなかった。

まずイチゴ狩りができる農家を探して……等と思っていたのに、譲は迷わずこの観光農園を選んだ。

『家からちょっと遠くないか?』

そう言ってみたら、

『俺のおすすめ品種の食べ放題ができるのはここしかねぇの』

とあっさりと切り捨てられてしまった。


(そう言えば、ばあちゃんが生きてた頃は近所のイチゴ農家の出荷の手伝いに嬉々として行ってたな。……イチゴ狩りにいきたかったんだな)

譲の楽しみが押し殺しきれていない様子を見て、禅一はふと思い出す。

因みに小さい頃は禅一もお手伝いに行っていたのだが、彼が行くと植物が萎びていくようになったので、最終的に、手伝いは譲と祖母だけで行っていた。

祖母が亡くなってから大学に入るまで、楽しみのために割く時間はなかったので、今まで譲が毎冬のイチゴ農家の手伝いを楽しみにしていたという事すら忘れていた。


(そんなに行きたかったら言えば良かったのに)

イチゴ狩りにお一人様は流石にハードルが高い。

それなら自分が付き合ったのにと思う禅一は、ジェンダーフリーが声高に宣言される昨今でもゴツい男二人でのイチゴ狩りは、お一人様と同じくらいのハードルだと言うことに気がついていない。

(機会をくれたアーシャに感謝だな)

そう思って禅一がアーシャを見ると、彼女は花籠で飾られたアーチに夢中になっている。


(花が好きなんだな)

パンジーとビオラの寄せ植えを、一つ一つうっとりと眺めている様子を、微笑ましく禅一は見守る。

ついてこない二人に気がついて、譲は怒鳴ろうとしたが、アーシャが楽しそうに花を観察している姿を禅一が指差したら、ブスッと不満そうな顔をしながらも二人の元に戻ってくる。

「確かここ、花の直売もやってたよな?帰りに何鉢か買って帰ろうか?」

「やめとけやめとけ。虚無の庭の仲間に入れたら速やかに虚無になるぞ。花は外で短時間見るだけにしとけ」

花には手を出したことがなかったので、もしかしたら上手く育てられるかもしれないと思ったが、枯れてしまっては花もアーシャも可哀想なので、禅一は諦める。


「あ」

うっとりと花を眺めていたアーシャは一通り見たところで、ハッと禅一と譲を確認する。

彼女は少し慌てたように、そそっと禅一の足に近寄る。

「あいがとぉ」

そして少し恥ずかしそうに笑う。


禅一は少しだけ目を見開く。

これが大人なら『待っていてくれて有難う』と言っても不思議ではないのだが、アーシャは大人の腰ほどもない小さな子供だ。

ここで『有難う』が出てくるなんて、精神年齢が高すぎないだろうか。

「……どういたしまして」

しかし花を見ただけで幸せそうな姿を見ていたら、そんな疑問はどうでも良くなる。

禅一は繋いだ小さな手を確認するように、ギュッギュと握って、歩き出す。


「わぁ〜〜〜」

すぐに見えてきたビニールハウスにアーシャは歓声を上げる。

「大きいな……」

禅一も思わず、驚いてしまう。

ほぼ半円に近い形のビニールハウスを想像していたのだが、ドーム下の足元部分がすごく長い。

二メートル近い鉄パイプの柱の上に半円の屋根がのっているような状態だ。

しかもそんなビニールハウスが何個も連結されていてる。

「イチゴなのにこんなに広いハウスにしてるのか?暖房費とか馬鹿にならなさそうだが……」

呟く禅一を、譲が鼻で笑う。

「ば〜か。ここは観光農園だぜ?普通の農家みたいに露地栽培になんかできねぇよ。圧迫感がないように広々と、歩きながら気楽にイチゴが取れるように工夫されてんの」

『イチゴ狩り』自体は初めてなのに、常連のように言うから、禅一は笑いを噛み殺す。

珍しく譲が浮き足立っている。


そんな譲に負けず劣らず、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、物理的に浮き足立っているのが アーシャだ。

「ビニール・ハ・ウ・ス」

指を差して教えると、

「びにりゅはうしゅ!」

と、元気よく復唱される。


ビニールハウスの入り口には緑の帽子にツナギ姿の初老の男性が立っている。

「本日はB棟でーす!」

巨大なビニールハウス群はどうやら三つに分かれているようで、日によって解放する棟を分けているらしい。

禅一たちが近づいて行ったら、ビニールハウスの入り口を開けて、迎え入れてくれる。

扉を開くと同時に甘酸っぱい香りの温かい風が流れ出してくる。

「わっわっわっ!わぁぁぁぁぁ!!」

視界いっぱいに広がる緑の波間に、輝く赤色の果実たちを見て、アーシャは歓声を上げる。


「これは……凄いな」

禅一も目を丸くしながら周りを見る。

サッカーコートくらいの広々とした空間に規則的に並ぶ金属の棚は、大人も子供も手が届きやすい絶妙な高さだ。

棚の上の、雑草を防ぐ黒ビニールの中から生えたイチゴの葉は青々としており、一見では病気になっているものや枯れているものは見受けられない。

手入れが行き届いている。

ハウス上部にはスプリンクラーが備え付けられたり、巨大な暖房器具があったりと設備も整っている。


禅一たちが中に入ると初老の男性は素早く扉を閉める。

案内のためもあるが、客が扉を閉め忘れて暖気が逃げないように入り口付近に常駐しているのだろう。

「い……いちご!ゼン、いちご!!」

アーシャは早くもテンションマックスで、キラキラと目を輝かせながらイチゴの発見報告をしてくれる。

顔を真っ赤に上気させて一生懸命報告してくれるのがなんとも愛らしい。

大はしゃぎのアーシャに初老の男性も目を細めている。


「は〜い!いちごの取り方を教えるよ!」

男性は一番手前に成っているイチゴで採り方の説明を始める。

無理に引っ張られたりしたら、苗自体に影響が出てしまうからだろう。

「あ!」

アーシャは男性がイチゴを九十度くらい曲げて、簡単に茎を折って採取してしまったのを見て、目を丸くしている。

素直な反応に、男性の目尻の皺が深くなる。


「いちごは引っ張らないで優しく持ち上げるようにして取ってね」

そう言いながら、男性が優しい手つきでイチゴを持つ様子を見せていたら、アーシャは小さな両手を差し出す。

「あいがとぉ!」

目はキラキラと輝いて、頬も艶々と赤く輝く。

嬉しくて嬉しくてたまらないという様子に、男性は大いに戸惑う。


昨今は他人が触ったものを子供に食べさせることを嫌がる保護者は多い。

「……あ〜っと……」

渡すのを躊躇った男性は確認するように視線を送ってきたので、禅一は彼に頷いて見せる。

すると男性は少し目を細めながら、アーシャの小さな手にイチゴをのせる。


「あっ……あっ……」

微妙な間で、ちぎったイチゴは自分にくれる物ではなかったのだと気がついたらしく、アーシャの首から上が真っ赤になっていく。

オロオロと視線を彷徨わせるアーシャの横に、禅一はしゃがみ込む。

「アーシャ、あ〜ん?」

そしてアーシャの手の中のイチゴを摘んで、彼女の口元に持っていく。

戸惑いから、喜びへ。

わかりやすく表情を変えながら、アーシャは差し出したイチゴに齧り付く。

「んふっ!」

そして幸せそうに両頬を押さえながら笑った。


「美味しい?」

幸せそうな顔でイチゴを飲み込んだアーシャに尋ねてみると、

「おいしーーー!!」

答えを聞くまでもないような、輝く笑みで、彼女は元気よく答える。

そしてその勢いそのままに残りのイチゴを齧り取る。

「んふ〜〜〜!!」

両頬を押さえて、ぴょんぴょんと弾みながら回る姿に、イチゴをくれた男性は顔をクシャクシャにして微笑む。

「たくさん食べてね!」

全身で喜んでいるアーシャを見ていたら、運営側でもそう言ってしまうだろう。

禅一は一人納得してウンウンと頷く。

「あいがとぉ!」

アーシャが元気に答えると、ますます男性の皺は深くなる。


「どの通路も凄い数のイチゴだな。譲、こことかどうだ?人いないぞ」

禅一は早くアーシャにイチゴを食べさせたくて、手近な通路を指差すが、鋭い視線でビニールハウス内を眺めていた譲は首を振る。

「ここは入り口から近いし、オススメの品種じゃない」

相変わらず、初めて来たとは思えない口ぶりだ。

もしかして前もって調べているのかもしれない。


「へぇ〜、区画ごとに品種が決まってるのか」

譲に指差されて初めて、禅一は列の始まりに品種のネームプレートが付いていることに気がつく。

「イチゴってそんなに品種で味が変わるか?」

味に大雑把な禅一には、スーパーで買ってきたイチゴは、どれも同じ味に感じる。

「ぜんっぜん違う!俺のオススメは甘みが強くて酸味がまろやかだから子供も食べ易い。しかも香りが強いから食べた時にさらに美味しく感じる。しかも身がしっかりとしてるから子供が握っても潰れにくい」

譲は滔々と語る。


(何だかんだ言って、しっかり考えてくれているんだよなぁ)

下手な事を言うと噛み付かれるので、口には出さずに、禅一はそんな事を考える。

「ここ」

イチゴ農家にお手伝いに行っていた譲のお眼鏡にかなった通路の左右には、陽光を弾く艶やかな赤い皮のイチゴがたくさん実っている。


譲は真っ先に通路に入って行き、ヘタまで赤くなったイチゴを、流れるように摘んで口に運ぶ。

「ん」

そして満足そうに頷く。

思った通りの味だったらしい。

食べながら次のイチゴに目をつけていたらしく、譲はヘタをゴミ袋に突っ込むと、再び流れるように採取する。

小五までイチゴ農家のお手伝いに行っていただけあって手際が良い。


そんな譲に熱い眼差しを向ける者が居る。

緑の目が溢れてしまうのではないかと言うほど、目を見開いたアーシャだ。

「あ"ぁ?」

二個食べ終わるまで無視できていた譲だが、それでも見つめ続けるので、遂に彼は折れた。


溜め息を吐いて、渋々と言った顔で、それでも真っ赤に熟れたイチゴを譲は摘む。

「はむっ!!」

受け取れとばかりに差し出されたイチゴにアーシャが飛びつく。

「ん〜〜〜〜!!」

そして幸せそうに咀嚼する。

物凄い勢いで食らいついてきたアーシャに、譲は引き気味だが、禅一は目を輝かせる。


(俺も!)

とびっきりのイチゴをアーシャに食べさせようと、禅一は周囲のイチゴを見回す。

「!」

そんな禅一の目に真っ赤で、かつ、巨大なイチゴが目に入る。

三つの実がくっついたような形の、三つ子イチゴだ。

「アーシャ、アーシャ!」

禅一はウキウキとそれを摘み取り、イチゴをアーシャに差し出す。

「ほわっ!!!」

すると期待した通り、アーシャは目をまんまるにしてそのイチゴを見る。


「わぁ〜〜〜!!」

驚いた後は嬉しそうに目を輝かせ、アーシャは小指を親指で押さえた自分の拳をイチゴの横に出す。

どうやら『似ている!』と言いたいらしい。

確かに連結したイチゴは、アーシャの拳に似ている。

「あ〜ん」

そう言って三つ子イチゴをアーシャの口元に持っていくと、アーシャは驚いた顔になる。

「アーシャ、の!?」

貰えると思っていなかったらしい。

「アーシャの!」

禅一は笑って答える。


大きなイチゴを小さな口で何回も啄む様は、まるで小鳥に餌をやっているようだ。

鳥のような小さな生き物が禅一に寄ってくることはないので、禅一は思う存分疑似小鳥感覚を楽しむ。

いつの間にか、アーシャはしっかりと禅一の手を持って食べている。

夢中になってイチゴを齧って、美味しそうに飲み込むのを見ていたら、自分まで幸せな気分になる。


大きなイチゴをヘタギリギリのところまできっちりと食べて、アーシャは満足そうにため息を吐く。

ヘタをゴミ袋に入れながら、禅一は次なる獲物を探す。

「ゼン」

そんな禅一の足をチョンチョンとアーシャがつつく。

「ん?」

しゃがんで話を聞こうとすると、アーシャは思案するようにモゴモゴと何か呟いた後に、周囲のイチゴを指差し始める。

「アーシャの?」

何とも食いしん坊な質問に禅一は笑ってしまう。

周りのイチゴを全部食べてしまいたいのだろう。

「ぜ〜んぶ、アーシャの!」

小さい子が食欲旺盛なのは微笑ましい。

食いしん坊なアーシャが可愛くて、禅一はその頭を撫で回す。


全てのイチゴを食べて良いと言われたアーシャは目を輝かせて、真っ赤なイチゴを探し、上手に摘み取る。

その楽しそうな様子を禅一も微笑ましく見守る。

「ゼン、あーん」

そのまま美味しく食べるのかと思いきや、満面の笑みでアーシャは初めて採ったイチゴを禅一の口元に持ってくる。

「………………!」

意外すぎる行動に禅一は一瞬言葉に詰まる。


食いしん坊のアーシャが、自分で採った最初のイチゴを禅一に差し出す。

「………照れるな〜〜〜」

茶化したように言って誤魔化したが、これは少々涙腺にくる衝撃だった。

「おいしーな?」

禅一がイチゴを食べると、アーシャは満面の笑みで聞いてくる。

(うちの子が優しい!可愛い!!健気!!!)

小さな体を抱きしめて、気持ちを昇華させるように、癖っ毛をガシャガシャと禅一は撫でる。

「美味しいっっ!!!」

うちの子が初めて摘んだイチゴを俺にくれたんですと、周りの人に自慢して回りたいほど嬉しい。


「効率が悪い!」

もうこのハウス中のイチゴをアーシャのために摘もうかと思ってしまった禅一の頭を、ペチンと譲が叩く。

「自分で持たせろ」

そしてアーシャ用のヘタ入れの袋を、奪われ、アーシャに手渡される。

「ああっ!」

可愛い妹との楽しい交流の時間を強制終了された禅一は悲痛な声を出すが、譲はお構いなしだ。

「行け!」

某モンスター同士を戦わせるゲームのようにアーシャを、イチゴに向かってけしかける。

けしかけられたアーシャも素直にぴょんぴょんとイチゴの方に歩き去ってしまう。


その小さな背中を、がっくりと肩を落として見送った禅一は、譲が持っている袋が視界に入って、ギョッとする。

「……………え、もうそんなに食べたのか?」

わずかに目を離した間に袋の四分の一くらいがヘタで埋まっている。

「あのな。大人一人二千百円だぞ。二千百円。五百円のパックを四つ以上は食わないと大敗だろ。効率的に食わねぇと」

そんな主張をする間も、譲の手は流れるようにイチゴを採取している。


「えっと……うん。まぁ、善処する、かな」

禅一は遊興費として割り切っていたのだが、譲は本気で食べる気だ。

(そうは言っても………イチゴなんてそんなに量が食べられるわけ………)

好きでも少量しか要らないものは世の中にいくらでもある。

例えば禅一は辛子明太子を好んで食べるが、ご飯一杯に対し半腹で十分だ。

イチゴもそんな括りなのだ。


「…………………」

しかしそんなやる気のない禅一とは裏腹に、譲はマシーンのように、アーシャは楽しそうに、次々とイチゴを吸い込んでいく。

どこぞの有名掃除機メーカーも驚きの吸引率だ。

全く衰えなく吸い込みまくっている。

(凄いな……こんな客ばっかりだったら、イチゴ狩り農園は破産だ)

禅一は大人料金で、アーシャは無料だったわけだが、二人の立場はまるきり逆だ。

土が入った黒ビニールをつつこうとするアーシャを止めたりしながら、禅一もそれなりに食べるが、ある程度食べたら満足してしまって、それ以上食が進まない。


(本気度が違いすぎる……)

譲はある程度食べて、味に飽きてきた頃に、カバンから練乳を出して、味変をして吸引率を維持している。

(俺は健康被害がありそうな辛い駄菓子が欲しい)

甘いに甘いを足しても食が進むとはとても思えず、禅一はジャンクな辛さに思いを馳せる。

一口辛いものを食べたら、また頑張れそうな気がするのだが、更に甘くするのは絶対に無理だ。


そんな禅一を置いてけぼりで、譲はアーシャに練乳をお裾分けしている。

お裾分け用のカップを持ってきているあたり、準備が良い。

(口では何だかんだと言ってるけど、可愛がっているんだよなぁ)

本人に指摘したら凄く嫌な顔をされそうなので、仲良く練乳イチゴに盛り上がりつつ、イチゴを吸い込み続ける弟妹を、禅一は無言で眺める。


「………ん?」

しばらく微笑ましく見守っていたのだが、右に左にとステップを踏むように楽しそうに食べていたアーシャの足踏みが激しくなっている事に気がついた。

ワルツ程度の動きが、情熱的なフラメンコのように激しくなっている。

「アーシャ?」

声をかけると、アーシャは泣きそうな顔で、モジモジと特徴的な動きをする。

「トイレか!!」

気がついた禅一は焦る。

確かに水分たっぷりなイチゴをこんなに食べていたら、小さい子供の膀胱なんてすぐに満水だ。


アーシャの練乳やヘタ入れを譲に託し、禅一はアーシャを担ぎ、受付があった建物に急ぐ。

「あ、あぁぁぁぁ〜〜〜」

未練たっぷりにイチゴを見ながらアーシャは叫ぶ。

親子の一大事を敏感に察知した出入り口の年配の男性が扉を開けてくれて、禅一は速やかにトイレを目指す事ができた。




周りの協力もあり、何とか事なきを得たが、ヘタ入れも練乳入れも没収されて、ビニールハウスから撤退したアーシャは目に涙を溜めて、歯を食いしばっている。

イチゴ狩りが終了してしまったと思っているようだ。

「ぅっ………っくっ………」

こんなに泣きそうになっても、アーシャは必死に耐えている。

本当にイチゴ狩りを強制終了させられたなら、地面に泣いて転がっても不思議じゃないのに、それでも涙を堪える姿に禅一は心が痛い。


「大丈夫、大丈夫」

震える小さな背中を禅一は撫でる。

禅一は何でもないような顔を作って、できるだけ明るく、アーシャと自分の肩についているイチゴ狩りのシールを示して、片手でOKサインを出す。

「再入場できる。大丈夫」

多分通じないだろうが、禅一は説明する。


「おかえりー!」

心配顔だった入り口の初老の男性は、漏れた様子もなく無事帰ってきたアーシャの姿を見て、安心した顔になって、手を振ってくれる。

「あれ、嬢ちゃん泣いてるんか?大丈夫か?」

涙を決壊寸前まで溜め込んでいるアーシャを見て、男性は途端に元の心配顔に戻る。

「イチゴ狩りが終わったと思ったみたいで」

禅一が説明すると、男性は一瞬止まった後に、笑い声を上げた。

「だ〜いじょ〜ぶ!しるしがついてるからな!」

シールを指差しながら男性はアーシャを慰める。

「たくさん食べてな!」

そして扉を開けて、再びビニールハウス内に禅一たちを迎え入れてくれる。


「???」

アーシャはポカンとした顔をしながらも、手を振ってくれる係の人に、手を振りかえす。

そして今の状況がわからないという顔で、しばらく首を傾げつつ、自分の肩についたシールを見ていたが、やがて何やら納得したように、激しく頷き始めた。

何かが彼女の中で繋がったようだ。

子供とは思えない理解力だ。

納得したアーシャは再び、楽しそうに踊りながらイチゴの吸い込み作業に入る。

譲と揃って、このイチゴ狩り農場の打倒を誓ったかのように食べまくる。



彼らの勢いが衰えたのは、それから更に十五分ほど食べ続けてからだった。

「………そろそろ終わろうか?」

勢いが弱まっても尚、しつこく食べ続けようとする二人に禅一は声をかける。

譲はなおも未練がありそうだったが、禅一はアーシャを抱き上げる。

「このままアーシャをここに置いておいたら、ずっと食べ続けるだろ?確かイチゴって、食べすぎたらお腹を下したり、脱水になったりするって話だっただろ?今日はこれくらいにしておかないか?」

アーシャを引き合いに出されては、譲も納得せざるを得ず、渋々といった顔で大人しくビニールハウスを出る。


「ま、結構食ったな」

譲はそんな事を言いながら、出入り口付近に置いてある巨大なゴミ捨て用のポリバケツに、ヘタ入れの袋を放り込み、肩のシールも剥がして放り込む。

禅一も同じように自分とアーシャのヘタ入れを放り込み、肩のシールを剥がして捨てる。

「………………」

その様子をアーシャが目玉を落としそうな凄い顔で見ている。

「アーシャ?」

傍に禅一がしゃがみ込んで声をかけると、時が止まったように立ち尽くしていたアーシャは、顔色を変える。


「アーシャ?お〜い」

禅一がシールを剥がそうと手を伸ばすと、アーシャは慌てたようにカサカサと後ろに下がっていく。

「何やってんだ、チビ」

しかし後ろを見ずに下がっていた彼女は譲の足にぶつかってしまう。

ホラー映画ばりに『ハッ!』として振り向いたアーシャに譲の手が迫る。

「みーみにゃ!」

すると驚くほど俊敏にアーシャは走り出した。


「こら!チビ!帰る方向はそっちじゃねぇぞ!」

しかし悲しいかな。

左右に揺れるようにしながらしか走れないアーシャは、あっさりと捕縛される。

「みぃみにゃ!みにゃ!」

プラ〜ンと脇を掴まれて送還されながら、アーシャは仕切りと何かを訴えている。


「………何だぁ?」

あまりに騒ぐので、譲は首を傾げている。

基本的には大人しいアーシャが、自発的に何かを訴えてくるのは珍しい事だ。

「何だろうな?」

わけがわからないながら、禅一は譲からアーシャを受け取る。

いや、受け取ろうとしたのだが、足をばたつかせたアーシャは譲の手から逃れて、地面に下りた途端に、自分の背丈より大きなゴミバケツに向かって走っていく。


「んっ!んっ!」

両手をあげて、アーシャはゴミバケツのヘリに掴まる。

そして登ろうとするように体重をかける。

「わっ!こらこら!!」

ポリバケツが大きく傾いたので禅一は慌てて押さえたが、アーシャは構わずゴミの中に手を伸ばす。

「こら!チビ助!!」

突然荒ぶり始めたアーシャを再び捕まえようと、譲が手を伸ばす。

それより早く、アーシャは傾いたポリバケツの中のゴミを、両手に一つづつ握り込んだ。


「こら!汚ねぇだろ!ゴミを拾うな!」

「みにゃ!」

譲はアーシャからゴミを取ろうとするが、アーシャは両拳を抱き込むようにして抵抗する。

「こんのクソチビ〜〜〜」

「ゆずぅ、みぃみにゃ!みにゃ〜〜〜!」

バケツを元に戻し、揉める弟妹を見ながら、ポンと禅一は手を鳴らす。


「シールだ!」

アーシャが握り込んでいるのはイチゴのヘタではなく、譲と禅一が捨てたシールの残骸だ。

そしてアーシャは自分のシールを剥がされる前に逃げ出した。

それらの事から導かれる答えは……

「譲、アーシャはまたここに来たいんじゃないか?」

そう、禅一は結論づける。


「はぁぁぁぁぁ!?」

譲が情けない顔になる。

「いや、さっき、シールがあるからビニールハウスに入れるって教えたんだ」

禅一がそういうと、譲の情けない顔が更に情けなくなる。

「……ってぇ事は、このチビはシールさえあれば何度でも、ここに来れるって思ってるってことか?」

「多分。自分のだけじゃなくて俺たちのシールも掴んでるし」

三人でまたここに来たい。

そんな思いで突然荒ぶったのだろう。


譲は乾いた笑いを漏らしながら、肩を落とす。

「………で、お前は何でこんな状況で、そんなに嬉しそうなんだよ」

ジロリと睨まれてから、禅一は自分が笑っていることに気がついた。

「あ〜〜〜、いや、ワガママが言えたんだなぁって思ってさ」

気を遣っているんではないか、萎縮しているのではないか、良い子でいようと我慢しているのではないか。

そんな疑念が解消されて、禅一は晴々とした気分だった。


本当に願う事はちゃんと行動で示せるのだ。

少々突飛な方法だが、伝えられるなら、それはそれで良いと禅一は思う。



結局、捨てたシールはもう張り付かなくなっていたので、譲と禅一は一枚づつ各自のポケットに入れることで折り合いがついた。

「何でうちのチビはこんなにバカなんだよ」

「可愛いじゃないか。許してやってくれ」

もう使えないイチゴ狩りのシールを貼ったままにして、嬉しそうに弾むアーシャに、二人は笑ってしまうのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る