3.聖女、飽食を知る(後)

ゼンに手を引かれて、アーシャは足取り軽く、弾むように歩く。

(出入り口が二つあるんだ)

そして建物に入ってきた扉とは逆方向の扉から、再び外に出る。

「わぁ!」

扉の外は鉄製のアーチがかかっており、愛らしい花の鉢植えがアーチに引っ掛けられている。

(凄い!この花ってこんなに色も形も色々あったんだ!)

アーシャは目を輝かせてその花を観察する。


生憎花に詳しくないので名前は知らないが、アーシャが知っているその花は、紫と白から黄色に変化する二種類の花弁を持っていて、紫の花に淡い黄色の蝶々がとまっているように見える可憐な花だった。

しかしここに植えられているのは、黄色と黒という対比が強烈な色合いだったり、薄紅の花弁に可憐な白い蝶々がとまっているような色合いだったり、日が沈んでしまったばかりの空のような美しい青紫一色だったりと、様々な種類がある。

「……きえい……」

思わずため息の出る美しさだ。

実りを許さない、刺すように冷えた空気の中、健気に咲く姿にアーシャは見惚れる。


「あ」

一通り、じっくりと花を眺めて、アーシャはゼンとユズルを待たせていることに気がついた。

ゼンは微笑ましそうにアーシャを見つめ、ユズルは明後日の方向を見ている。

「あいがとぉ」

待っていてくれたことに、アーシャは感謝を示す。

「どーいたしまして」

ゼンはニカっと笑って、アーシャの手をギュッギュっと握ってから歩き出し、ユズルは二人が歩き始めたことを、チラッと見て確認して、用事は終わったとばかりに、大股で歩き始める。


一行はユズルが先導する形で歩き始める。

「わぁ〜〜〜」

アーシャは彼の肩の先の風景を見て、歓声を上げた。

行く手に、見たことのない不思議な建物が建っていたのだ。

その建物は巨大な金属の枠の上を、一面不透明な硝子が覆っている。

(すっごく脆そう!)

建物全体が硝子でできているなんて、小石一つで全部壊れてしまいそうだ。

(でも可愛い!)

硝子で作られた家というだけで、浪漫があるのに、その建物の屋根はコロンとした半円形になっているのだ。

小さければ妖精の棲家かと思ってしまう。

御伽話の世界の産物のような形だ。


「びに・る・は・う・す」

ゼンが指を差して、教えてくれる。

「びにりゅはうしゅ!」

アーシャは興奮気味に復唱しながら、ピョンピョンと弾んでしまう。

ユズルはどう見ても、巨大な硝子の館に向かっている。

あの中に入れるのではないかという期待が、急速に成長するのをアーシャは感じる。


「わ〜〜〜!!」

近づいていくと、その硝子の建物がとんでもない大きさであることに気がついた。

半円の屋根は奥へ奥へと同じ形が連なっており、アーシャの目からは果てが見えないほど続いている。

(硝子だけでこんなに巨大な建物を建ててしまうなんて……)

アーシャは目を見開きながら、改めてこの国の技術に感心してしまう。


(硝子って溶けたり、割れたりしないのかしら………?)

建物から巨大な鉄の煙突らしき物がとび出しているのを見て、アーシャは首を傾げる。

金属で煙突を作ってしまう技術にも驚くが、それが硝子でできた建物から出ている事にも驚く。

アーシャにとって硝子は脆いというイメージしかない。

熱なんて加わったら簡単に割れてしまいそうだ。


そんな建物の前にニコニコと笑うお爺さんがいる。

「馨儒致姪魅でーす!」

陽気な声で何かを言いながら、彼は硝子の建物に入る扉を開く。

無論、扉も硝子が張ってある。


中に入れるのだと心を躍らせたアーシャの顔に、甘酸っぱい匂いを含んだ春風が吹き付ける。

「わっわっわっ!わぁぁぁぁぁ!!」

アーシャは扉の中を見て、思わず声を上げた。

そこは見た事がない光景が広がっていたのだ。


丁度アーシャと同じくらいの高さの、金属でできた棚があり、その上には真っ黒な塊がのっている。

その真っ黒な塊からは、いかにも新鮮そうな緑が生い茂り、そこから愛らしい白い花と、赤く光り輝く果実がぶら下がり、芳香を放っている。

そんな魅惑的な棚はとんでもなく長くて、棚の終わりの方にいる人が親指サイズに見えてしまう程だ。

そんな物凄い長さの棚が沢山並んでいる。

棚の列が何十に及ぶのか、アーシャには想像もつかない。

小さなアーシャからは緑の果てが見えないのだ。


絶対に大聖堂よりこの空間は広い。

何なら大聖堂が三個くらい入りそうなほど広い。

それ程広い空間いっぱいに、緑とその合間から垂れ下がる果実がある。

「い……『いちご』!ゼン、『いちご』!!」

こんな夢の空間があるのだろうか。

ゼンも一緒にいるのだから、当然この驚きの光景を見ているはずなのに、アーシャは思わず彼に報告してしまう。


「は〜い!いちごの履堤博頴鎌痴謬よ!」

扉を開けてくれたお爺さんが微笑みながら、目の前に成っている赤い宝石のような苺を指差す。

そしてアーシャに見えるように、中指と薬指の間にヘタに繋がる茎を挟むような不思議な持ち方をして見せる。

彼は優しく手で苺を包んで、苺のお尻を上げるように、手を手前に持ち上げる。

「あ!」

すると引っ張ったわけでもないのに、苺は簡単にぶら下がっていた茎から外れてしまう。

「いちごわ廉贋錠館ない雁藍婚贋期冶舌倒屈糊う表鎧絵半替盤ね」

お爺ちゃんは採りたての苺をアーシャの目の前に差し出す。


「あいがとぉ!」

アーシャは嬉しくなって両手を出す。

「……あ〜っと……」

するとお爺さんは少し困ったように笑いながら、採りたての赤い宝石を、そこにのせてくれる。

「あっ……あっ……」

お爺さんの表情から、貰えると思ったのは早とちりだったのだと気がついて、アーシャは顔に血が集まるのを感じる。

返せば良いのか、食べてしまって良いのか。

アーシャはオロオロとお爺さんと自分の手の中の果実を見比べる。


「アーシャ、あ〜ん?」

すると隣にしゃがみ込んだゼンが、アーシャの手の上の苺のヘタを持って、それを口元に運んでくれる。

(良いのかな)

恐る恐るそれに噛み付くと、ジュワッと甘い汁が口の中に溢れる。

「んふっ!」

まるで果実水のように、実からは次々に甘い汁が溢れ、ごくんと飲み込むと、爽やかな酸味が口の中に残る。

「おいしー?」

「おいしーーー!!」

笑顔で尋ねるゼンに、アーシャも笑顔で答える。

そして残りの苺に再び齧り付く。

「んふ〜〜〜!!」

最早これは食べる果実水である。

アーシャは両頬を押さえて、ぴょんぴょんと弾みながら回る。


「たくさん摂輿歎ね!」

お爺さんはニコニコと笑って手を振ってくれる。

「あいがとぉ!」

アーシャも幸せいっぱいに手を振りかえす。


再びゼンと手を繋いで、アーシャは弾むように歩く。

弾まずにはいられない程、気分が昂っている。

当然のように、ゼンたちは硝子の建物の中を進む。

彼らは何かを話し合いながら歩いているのだが、ユズルの声は心なし楽しそうだ。

ここで何をするのだろうと、アーシャは周りを見回して、この建物の中には他にも沢山の人がいることに気がついた。

小さな子供を連れた親子、仲睦まじい夫婦、楽しそうに笑い合う女性たち。

整然と並んだ、苺を戴く棚と棚の間の通路に、人がポツポツと立っている。

「!」

最初は緑の中を散歩しているのかと思ったが、彼らは気ままに歩きながら、通路の両側に成っている苺を摘んで食べている。

その光景に、アーシャは驚いて目を見開く。


確かに見渡す限り苺苺苺だ。

芳しい甘い香りが絶え間なく鼻腔を刺激し、棚から垂れ下がる苺は艶やかに赤く輝いている。

絶えず誘惑されているような状況だが、豊かな実りを勝手に摘んでしまうのは良くない。

まるで苺は摘んでくれと言うように、アーシャの目線に垂れ下がっているが、食べてしまってはいけない。

ジュルッと溢れる涎を飲み込みながら、アーシャは耐える。

口に残っていた、先程食べた苺の甘やかな残滓が喉を抜けていくが、耐える。

盗みなど、規範となるべき聖女がやってはならないことだ。


「ここ」

涎を何度も飲み込んでいるアーシャと、のんびり周りを見ていたゼンに、ユズルが一つの通路を指し示す。

その通路には他の人間はいないようだ。

大人二人が並んでも狭く感じない、広い通路に入ると、ユズルは颯爽と片側の棚に歩み寄る。

「あ……」

そして厳しい目で苺の株を見ていたかと思ったら、一際赤く輝く苺に手を伸ばし、あっさり収穫してしまう。

口に入れるまでの動作が流れるようであった。


ポカンとして見守っていたら、ユズルはさっさと食べ終わり、手に持っていた、ペラペラの硝子にヘタを押し込む。

服の一部になった紙と一緒に買った硝子だ。

「……………ふくりょ?」

何と、あのペラペラの硝子は小さな袋だったのだ。

食べ終わったヘタをその辺に放置しない、綺麗好きな神の国ならではの工夫なのだろうが、アーシャは驚いてしまう。

(硝子で袋を作るなんて……技術力と素材の無駄遣いというか……)

アーシャはそんな事を考えつつも、次なる赤い果実を齧るユズルから目を離せない。


「あ"ぁ?」

あまりにもジッと見過ぎたせいか、ユズルは不機嫌そうにアーシャを睨む。

それでも苺を食べる姿から目を離せずにいると、彼は大きくため息を吐いて、再び苺の株へ目をやる。

「ほれ」

そして一際赤い苺を摘んだ彼は、アーシャの目の前にそれを突きつける。

「はむっ!!」

キラキラと光を弾く美しい赤い果実を目の前に持ってこられては、我慢も限界だ。

アーシャは飛びつくように、煌めく赤い皮に歯を突き立てる。


「ん〜〜〜〜!!」

最初に食べたものより、ずっと甘い気がする。

酸味が少なく、噛むと同時に口の中に爽やかな甘みのある果汁が広がる。

ユズルの選別眼のおかげだろうか。


ジュジュっと果実から染み出してくる果汁を楽しんで、もう一度ユズルの手にある苺に噛み付く。

二口目も美味しくて、アーシャは上機嫌で噛んでいたのだが、美味しく咀嚼している間に、まだ赤い部分が付いている苺を、ユズルは透明な袋の中に入れてしまう。

そして次なる苺を求めて移動を始める。

「ゆ、ゆひゅう」

口をもごもごさせながらも、ユズルの手から可食部の残った苺を奪還しようと声をかけようとするが、

「アーシャ、アーシャ!」

ゼンがキラキラと目を輝かせて、アーシャに新しい苺を差し出してきた。


「ほわっ!!!」

アーシャは差し出された苺を見て目を見開く。

神の国に来て食べた苺は、全て大きい頭と小さなお尻の三角形だったが、その苺にはお尻が三個もついている。

大きさといい、形といい、アーシャの拳に似ている。

「わぁ〜〜〜!!」

ゼンが差し出してくれた苺の横に、アーシャは拳を並べて、二つを交互に指差す。

そっくりだと言いたいことが通じたのか、それを見たゼンは笑って頷く。


「あ〜ん」

そしてニコニコと苺を口元に差し出してくる。

「『アーシャの』!?」

驚いて聞くと、ゼンは大きく頷く。

「アーシャの!」

こんなに大きくてお尻が沢山の苺を惜しげもなく与えてくれるなんて、やっぱりゼンは優しい。

アーシャは大喜びで、苺に齧り付く。

ユズルがくれた物と比べると少し水っぽいが、それだけに果汁が溢れるように出てくる。

アーシャは齧りながら果汁を吸い込む。


大きい苺は食べ応えが素晴らしく、何回も齧り付いては咀嚼を繰り返す。

アーシャがせっせと拳苺を食べている間も、ユズルは次々に真っ赤な苺を選んでは、ちぎって食べている。

流れるように優雅でありながら、無駄のない、的確過ぎる採取だ。

「…………」

口いっぱいの果汁を楽しみながら周りを見ると、苺をのせた棚の下から見える、お隣の列の家族連れも、楽しそうな声を上げながら苺を頬張っている。


(まさか……まさかと思ったけど……まさかのまさかなの!?)

全開の笑顔で苺を差し出すゼン。

次々に苺を吸い込んでいくユズル。

隣の通路で美味しそうに苺を頬張る子供たち。

皆が思い思いに、当然のように苺を採っている。

そこから導き出される答えは———

(ここは散歩しながら苺を楽しむための庭園……だと言うことではないかしら!?)

唇から果汁が滴りそうになりながら、アーシャは自分なりの解答に頷く。


仄かな酸味が爽やかな後口にしてくれる事に、アーシャは感動する。

(いや、でも、こんな美味しい物を惜しげもなく食べまくることが、本当に許されると言うの!?もう、これは天然の果実水だよ!?)

美味しすぎて、うっとりとため息を吐き出してしまうくらいだ。

これを際限なく食べて良いなんて、そんな事が本当にあり得るのだろうか。


今度はヘタの所まできちんと食べて、アーシャが満足していると、ゼンも硝子の袋にヘタを入れる。

どうやら一人につき一袋与えられるようで、ゼン用の袋はまだ何も入っていない。

アーシャは既に三個も食べているのに、ゼンはまだ一個も苺を食べていないのだ。

「ゼン」

また大物を狙っているのか、立ち上がって赤い果実たちを見るゼンにアーシャは声をかける。

「ん?」

ゼンは再びしゃがんでアーシャの目線に合わせてくれる。


「えっと……『アーシャの』?」

どうやって聞こうかと悩んでから、アーシャは目につく苺を全部指差す。

こうする以外に、ここの苺は全て食べて良いものか、尋ねる方法が思いつかなかったのだ。

聞かれたゼンはおかしそうに噴き出しながら、破顔した。

「ぜ〜んぶ、アーシャの!」

そしてアーシャの頭を撫で回しながら、楽しそうにグルリと周りを指差す。

どうやらここが飽食の楽園であることに間違いはないらしい。

『ぜ〜んぶ』とは恐らく『見渡す限り』とか『周囲』とか、そう言う意味の単語だろう。


また一つ賢くなってしまったと、ほくそ笑みながら、アーシャは真っ赤に熟した苺に手をかける。

先程のお爺さんのように優しく持って、手前に苺のお尻を持ち上げるようにしたら、ポキリという小さな感覚と共に、簡単に苺は茎から離れる。

隣でその様子を楽しそうに観察していたゼンに、アーシャは向き直る。

「ゼン、あーん」

アーシャもユズルも食べているのだから、ゼンにも食べてほしい。

そんな気持ちで差し出すと、ゼンは驚いたように目を見開く。

「てれるな〜〜〜」

しかしすぐに口を開けて、一口で差し出した苺を食べてしまう。


「『おいしーな』?」

もぐもぐと口を動かすゼンに聞くと、彼は大きく頷く。

そしてぎゅっとアーシャを抱きしめて、髪の毛が逆立つほど、頭を撫でてくれる。

「おいしー!」

どうやらアーシャの選別眼も良かったようで美味しかったようだ。

ゼン用の硝子の袋にもヘタが入れる事ができて、アーシャはニヤニヤと笑う。


「閥嬰糊債蔑淡ろ」

そんな事をしていると、ユズルがゼンに何か言って、アーシャ用の袋が手渡される。

「いけ!」

そして苺に向かって指を差される。

まるで猟犬をけしかけるような仕草だが、ユズル自身効率よく食べている所を見ると、負けてはいられないと、やる気が出てくる。


アーシャは夢中で熟した苺を探しては食べるを始める。

右を見ても、左を見ても苺。

(美味しいがいっぱい………!!)

甘さの濃度にムラはあるが、どれもが甘くて、口に入る前から甘酸っぱい匂いでアーシャを誘う。

果物を食べた経験自体がそんなにないし、数少ない機会でも、酸っぱさの中から甘さを探すような状態だったから、ここの苺の甘やかさと言ったら、舌が蕩けてしまいそうだ。

夢中にならざるを得ない。


苺は食べてくれとでも言うように、丁度アーシャが取り易い位置に垂れ下がっている。

真っ黒な塊から生えた、青々とした葉のついた茎は、手が届かない上の方に伸びているのだが、何故か果実がついている茎は、下に向かって伸びている。

(もしかして『いちご』は土を探して下に伸びるのかしら!?)

実だけが取りやすい位置にあるのが、不思議でならないアーシャは、そんなことを考える。

土に直接植えるのではなく、見た事もない摩訶不思議な方法で育てているが、植物は植物だ。

地面に種を撒きたくて、土を探しているのかもしれない。


(この黒いのは何だろう?……土の匂いはするけど……)

アーシャは苺を食べながら、苗が生えている黒い塊をつつくが、

「だーめ」

そう言ってゼンに止められてしまう。

黄金を産む鶏も腹を割いてしまえば、何も生まない屍と化してしまう。

この苺も農法を知ろうとしてしまえば、枯れてしまうのかもしれない。

美味しい苺は、不思議な苺でもあるらしい。

今の幸せな状況を守るため、アーシャは謹んで謎の解明を諦める。



見渡す限り美味しい苺で、しかも自由に食べられるという、夢のような時間をアーシャは精一杯楽しむ。

(やった!すっごく甘い!)

思わず嬉しくて跳ねてしまったり、

(あ、ちょっと水っぽい……でも凄い果汁!)

少しがっかりした後に満足したり、

(これは歯ごたえが最高!!)

プツッと弾ける表皮に震えたり。

欲張って詰め込むものだから、淑女らしからぬゲップなどが出てしまいそうになって、慌てて押し殺すのだが、自分の中から出てくる空気まで甘酸っぱい匂いがして、そんな事にすら幸せを感じてしまう。


「ん……?」

ふとユズルの方を見たら、何やら不思議な事をやっている。

何か筒のような物から、白いクリームを出して、苺にのせて食べている。

それは何だろうとじっと見ていると、気がついたユズルが片頬を上げる。

「あじへん」

彼はそう言って、アーシャの持っていた苺にも、白いクリームを落とす。

鼻を寄せてみると、クリームは凄く甘い香りがする。

「!」

その香りに誘われるように口に含んで、アーシャは目を見開く。


クリームはトロリと濃厚な甘さを持っていた。

最初は甘過ぎると思ったのだが、苺を噛んで果汁と混ざり合うと、苺の酸味を優しく包み込み、まろやかな味にしてくれる。

「んんん!」

たった少しで、味が劇的に変わって、アーシャは目を見開く。

これは革命だ。

苺の味と香りは確かにするのに、果実から進化して新しい甘味となった。

いつぞや食べた、溶ける硝子玉のようだ。


ごくんと飲み込むと口と喉に濃厚な甘みが広がる。

「『おいしーな』!『あじへ』、『おいしーな』!!」

アーシャが感動を伝えると、ユズルはまた片頬でニヤリと笑う。

そしてゴソゴソと荷物を探って小さな器を取り出し、白いクリームを目一杯入れて、渡してくれる。

「わぁぁぁぁ!あいがとぉぉぉ!!」

アーシャは歓声と一緒にそれを受け取る。

「おいふぃぃぃぃぃ!」

そしてそれをたっぷりとつけた苺に齧り付き、蕩けてしまう。


苺だけでも美味しいのに、白いクリームをつけると、お菓子のようだ。

(こんな………こんな、お腹いっぱい美味しい物を詰め込んで、詰め込んで、それでも詰め込めるなんて!!)

アーシャの足はステップを踏んでしまう。

踊ってどの方向を見ても、真っ赤に熟れた果実がアーシャを待っていて、食べても食べても減らない。

(楽園……ここが楽園なのね……!!)

アーシャは絶好調で食べ続ける。


……が、ステップを踏んでいた足が、動きを小刻みに変化させる。

(ど、ど、どうしよう!!)

溢れんばかりの果汁が滴ると言うことは、それだけ水分が多いと言うことだ。

アーシャのお腹は、急に溜まった水分を排出したいと言い出したのだ。


ゼンはのんびりと、ユズルは職人のように苺を食べている。

彼らをこの苺の楽園から追い出すなんてことはできない。

しかし突如として襲いかかってきた尿意は風雲急を告げている。

これはいつ急変して我慢できなくなってもおかしくない。

「あわ………あわわ…………」

アーシャは足踏みしながら右往左往してしまう。


「アーシャ?」

ゼンはアーシャの不気味なダンスに気がついて、不思議そうな顔をする。

「といれか!!」

しかしすぐにアーシャの状態を悟ったらしく、腹部を刺激しないように担ぎ上げて、走り出した。


行きは結構長く歩いた気がしたのに、ゼンが走ると、あっという間に常春の楽園から抜け出してしまう。

「あ、あぁぁぁぁ〜〜〜」

温かい空気の中から出て、アーシャは声を上げる。

情けない。

アーシャの貯水量が少ないばっかりに、ゼンまで巻き添えにしてしまった。

ゼンの硝子の袋には、ヘタがあまり入っていない。

アーシャの半分くらいだ。

ゼンはゆっくりと苺を味わっていたのだろう。


「ぅっ………っくっ………」

ゼンのおかげで、ギリギリで何とか淑女の面目は守られたが、申し訳なくて、嗚咽が上がってきてしまう。

どうも、体が小さくなったせいか、最近は少し悲しいだけで涙が出てしまいそうになる。

ごめんなさいと謝りたいのに、口を開けたら涙まで溢れてしまいそうで、アーシャは必死に堪える。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

そんなアーシャの背中を撫でながら、ゼンはあっさりと言う。


そして自身とアーシャの肩についた紙を交互に指差し、彼は手で大きな丸を作る。

「?」

苺の絵が書いてある紙を見て、アーシャは首を傾げる。

「さいにゅーじょできる。だいじょーぶ」

「???」

素敵な紙だが、これに何か意味があるのだろうか。

不思議に思うアーシャに、ゼンは自信ありげに笑う。


「おかえりー!」

先程のお爺さんが手を振って出迎えてくれる。

「あれ、碕懐謝医梓台己謝華か?関羊明か?」

アーシャの情けない顔を見たお爺さんは、心配そうな顔になる。

「いちご寓尼柏おわった沸碗腺采均たいで」

ゼンが何やら説明すると、老人は楽しそうに笑い始めた。


「だーいじょーぶ!巌逝粛包諮輿からな!」

老人もアーシャの肩にある紙を指差しながら、優しく語りかけてくれる。

そして再び楽園の扉は開けられる。

「たくさ墓瞥酌鐸な!」

お爺さんに見送られて、アーシャは再び暖かな空気に包まれる。

「???」

アーシャは手を振りかえしながらも、首を傾げる。


服の柄となった、苺の書いてある紙。

これに何かの意味があるらしい。

(ん………『いちご』……!?)

この紙に書いてある絵は苺だ。

そしてここは苺を食べる場所だ。

アーシャはハッとして、周囲の人を確認する。

すると苺の楽園を楽しんでいる人々の肩や胸には、必ずこの紙が着いている。


『通行証』

そんな単語がアーシャの脳裏に閃く。

(わ………わかった!!わかってしまったわ!!)

ゼンたちは服の柄になる素敵な紙を買ったと思ったのだが、実はこの紙こそが、この苺の国に入るための通行証だったのだ。

つまりゼンたちはあの時、通行料を納めていたのだ。


(謎は……解けた!!)

通行証だから、これを身につけている限り、この国への出入りは自由という事だ。

(何回もよおしたとしても、出し放題!そして出したそばから食べられる!凄い、永久にここに住めるわ!!!)

到底淑女が出すとは思えない解答に、アーシャは辿り着いてしまった。



その後、時間制限という落とし穴と、どれだけ出しても満腹は避けられないという事実により、楽園を撤退した聖女が、紙を剥がされるのを全力で阻止し、兄弟からの失笑を買ったのは言うまでもない。

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