31.三兄弟、平穏に戻る

「今回の事件は薬物中毒者の、せん妄による襲撃としてケリをつけさせていただきたい」

上司と思しき相手と連絡をしていた、武知は深々と頭を下げた。


「俺は今回の連中たちが罰されて、こちらに接触しなくなれば何でも良いです」

これに対し、禅一は鷹揚に答え、

「まぁ、見えざるものを立証できない以上、そうするしかないでしょうね」

濃い疲労を残しつつも、真っ直ぐに立つ峰子は頷き、

「いや〜〜〜!!俺のお宝映像予定にノイズ入りまくってる〜〜〜!暗い〜〜〜!酷い〜〜〜!!」

人の言葉など聞いていない篠崎は、自分の撮影した動画が、ほぼ写っていない事に涙している。

譲は無言で頷き、武知たちの聞き取り調査に応じた。


最初に駆けつけてくれて、呪いに刺し貫かれた警察官たちは、禅一の浄化のおかげか、アーシャの舞のおかげか、無事に意識が戻り、外傷も大したことないらしい。

現場の指揮をとっているのは武知だ。

どうも一般の警察官より発言権があるように見える。

「あのさぁ、実は武知のおっさんって、結構権力あるわけ?」

事情を知ってそうな峰子に聞いてみたら、彼女の目は少しだけ大きくなった。

「武知さんの所属は聞いていないですか?」

「………あぁ、聞いたけど?警備部?とか言ってたよな」

それがどうしたと思っていたら、彼女は一人納得したように頷く。


「各都道府県の警察警備部は警察庁警備局に所属しているんです」

改めて言われてもピンとこない。

そんな譲の耳元に峰子は口を寄せる。

「一般人にわかりやすく言うと、公安です」

ぎょっとした譲に、峰子は薄く笑う。

「まぁ、武知さんの場合、テロや過激派なんかの対応をしているわけではなく、今回のような公式に認められない事件の対応に当たっているだけですので、物騒な事はないですよ。まぁ、表に出せない事件に対して秘密裏に活動するって点では一緒ですが」

そう言ってヒラヒラと手を振って峰子は園児たちの方に歩き去った。


やがてフロントガラスのない車の撤去や、壊された門の撤去と応急処置がされた時点で、子供達が建物から顔を出し始める。

大部分の子は建物から出てこずに、保育士の先生たちにくっついているようだが、明らかにわんぱくそうな子たちは許可が出た途端、禅一の腕で半分夢の世界に足を突っ込んでいるアーシャに駆け寄って行った。

「やるじゃん!」

「ワルモノ、ぶっとばしてたな!」

なんて、キラキラした顔で語りかけている。

どうやら園児が突っ込んでいった衝撃現場を見せないように、アーシャが相手に一撃を喰らわした辺りで、避難していた部屋のカーテンを閉めたらしい。

それで大部分の園児がアーシャが犯人をやっつけたと誤解しているようだ。


「違いますよ。あの後、ピンチになったアーシャちゃんを麗美先生が頑張って助けたんです。それに犯人をやっつけたのはアーシャちゃんのお兄ちゃんたちです。大人に勝てるのは大人だけですから、皆さんは戦っちゃダメですよ。危ない人がいたら、まず逃げる!これが基本です」

峰子は口を酸っぱくして子供たちに言い聞かせている。

しかし戦隊モノの必殺技などを叫びながら、チラシを巻いて作った剣を振る子供たちの脳みそには、届いていない様子だ。

さっぱり事情がわかっていない様子のアーシャが、一緒になってデコ錫杖を振り始めると、更に興奮して、子供たちは騒ぎ始める。


動画がほぼ撮れていなかったせいで、死にそうな顔をしていた篠崎だったが、アーシャが楽しそうにデコ錫杖を振って踊ったり歌ったり始めたら、デレデレとしまりのない顔になる。

持ち歩きポータブルとしては今の錫杖もアリだけど、もうちょっと魔法少女っぽさとリーチと攻撃力が欲しいよねぇ〜。衣装も揃えて!」

そして、恐ろしい独り言を呟いている。

「いらねぇぞ。絶対に作るなよ」

「え?フリ?『絶対に』ってフリ?」

真顔で聞いてくる篠崎に、拳で返事をしてから、譲は家に車を取りに帰るため、踵を返した。

事実を曲げるなら、事情聴取はそれ程必要ではないだろうと判断したのだ。


普段は鬼のようなマラソンの後でもケロッとして動き回る禅一が、壊れた門に座っている。

顔色は悪くないが、本人の気が付かないところで、消耗している。

(まぁ、フツーの人間が神なんか降ろしたら精神が蒸発しちまうからな)

図太い禅一が、無意識に体力温存に努めている所を見ると、かなり精神的にも疲労しているのだろう。

こうなったら、さっさと全員で食事して帰った方が良い。


「あ!譲さ〜ん、俺、車出しますよ!」

そんな中、五味が呑気に手を振ってやってくる。

「五味さん、仕事は?」

「いても役に立たないから、譲さんを送ってこいって」

面と向かって役に立たないなんて言われたら、落ち込みそうだが、五味は元気だ。


それほど親しくない相手と密閉空間に入るのは嫌だったが、譲もかなり消耗していたので、素直に提案を受け入れた。

「いや〜〜〜凄かったですね!神降ろし!高次元災害対策警備会社のお偉いさんも来てましたけど、びっくりしてましたよ!」

テンションの低い譲に対して、五味は呆れるほど元気に喋り続ける。

「………テンションたけぇ……」

ボソッと口からそんな言葉が溢れると、五味は嬉しそうに笑う。

「あ、わかります?禅一さんが氣をぶっ放してから、凄い空気が気持ち良くって!何て言うか……町全体の空気が入れ替えられたみたいで、息がし易くって!体調が最高に良くなっちゃったんですよ!」

超絶ご機嫌な五味にそんな事を言われて、譲はハッとした。


車窓から見える風景が妙にすっきりしている。

空気の澱みが一掃されて、町の至る所にできていた、穢れの吹き溜まりが見当たらない。

「まさか……な」

思わずそう呟いたが、自分の車を取って、禅一たちを迎えに戻り、ラーメン屋に向かうまで、清める予定だった土地を経由してみたが、穢れが影も形も残っていない。

(嘘だろ……)

チラリとルームミラーで確認すると、後部座席に座った、本日の功労者たちは、二人揃って半分白目、口半開きの、眠りかけの間抜け面を晒している。

とても奇跡を起こせる顔じゃない。


(いや、顔じゃねぇ、顔じゃねぇけど……納得いかねぇぇぇぇ!!)

譲の心の中の絶叫など、間抜け面親子は知る由もない。

「「「っしゃ〜せ〜〜〜!」」」

ラーメン屋について店員たちにそう言われたら、

「しゃーせー」

などと、小さい方は間抜けな復唱をして、ニコニコしている。

大きい方は恥ずかしげもなく、『挨拶を返せてエライ!』みたいな顔をして、誇らし気にしているから腹が立つ。

「奥、どうぞ〜〜!」

と、店員が笑いを噛み殺しながら、案内する。


「あ、大盛り2、ラーメン1、大盛りチャーシュー1で♡」

因みに、篠崎はいつものようにマイペースに勝手に注文している。

地域密着型のラーメン屋のメニューは、五種類だけだ。

基本は肉厚のチャーシューとメンマにネギで、これにチャーシュー、もやし、わかめ、メンマのトッピングを加えることでバリエーションを出している。

禅一と譲は、まずは大盛りラーメンで、その後、足りなければサイドメニューを頼む。

因みにサイドメニューもチャーハンと餃子のみという、簡単な選択だ。

簡単だが、それが良いし、旨い。

店に入ってくる常連たちは、大体、入ってくると同時に注文してから席に着く。


「奥の座敷に入るのって初めてじゃん?」

「基本家族向けなんじゃねぇの?」

そんなことを言いながら、年季の入った畳の部屋に入り、煎餅のようになった座布団に腰を下ろす。

レースだらけの篠崎は明らかに店の雰囲気から浮いているが、彼は気にする様子もない。

「あ、子供用椅子ある。使うよね?」

隅に置いてあった椅子を当たり前のようにとって、禅一に渡す。


「アーシャ、い・す」

物珍しそうに畳の上で丸くなって、その網目を確認していたアーシャに、禅一は声をかける。

振り向いたアーシャに、禅一がポンポンと小さな椅子の背もたれを叩いて示すと、驚いたように緑の目が見開かれた後に、キラキラと輝き始める。

よく見かける変哲のない、ピンクのフレームの椅子だが、アーシャは嬉しそうに、それを見回す。

「かわいーな!」

そして満面の笑みで、張り切って椅子に座る。


座ると同時に、椅子が『ぴぃっ!』と高い音を上げると、

「ひゃっっ!!」

と、アーシャは驚いて尻を上げる。

座ったら音がするタイプの椅子は初めてだったらしい。

「んふっ!!!」

ばね仕掛けのオモチャのように立ち上がるアーシャに、篠崎が噴き出す。


アーシャは音の発生源を探すように左右を見ていたが、やがて首を傾げながら再び椅子に腰を下ろし、

「おひゃっ!」

と、再び、鳴った椅子に驚いて、跳ね上がる。

「……………」

アーシャは疑いの視線で自分の椅子を見つめる。

そして恐る恐る、そっと座面を押す。


椅子から何とも気の抜けた音が鳴ると、アーシャは『謎は解けた!』とばかりのドヤ顔を始め、何度も確認するように鳴らす。

『もう驚かないよ!全てわかったよ!』

表情は口より雄弁に語る。

アーシャは鼻高々な様子で、堂々と椅子に座る。

しかしやっぱり音が鳴った瞬間小さくビクッと動いている。

あまりの残念な子っぷりに、腹筋が震え始めたので、譲は手で顔を覆って情報を遮断する。

「あ〜〜〜も〜〜〜〜〜〜きゃ〜わ〜い〜い〜〜〜〜!!」

篠崎の元気にはしゃぐ声がうるさい。


鳴る椅子の秘密を解いた後のアーシャはとても大人しかった。

メニューを楽しそうに見ていたり、箸箱を開けて、割り箸と爪楊枝を見て首を傾げていたり、紅生姜を見て何やら考え込んでいたりと、じっとはしていなかったが、うるさく騒いだりはしなかった。

「はい、まずはラーメンと大盛りチャーシューね!」

ラーメンが運ばれてくるまでが短かかったというのもあるだろう。

品数を絞っているおかげで、客が来ると同時に用意を始めるので提供までが早いのだ。

「はい大盛り二つ。そっちのお嬢ちゃんは小皿とフォークがいるよね?」

顔見知りの女性店員は、目の前に置かれたラーメンに、今にも顔をつけてしまいそうな勢いで顔を輝かせているアーシャに目を細めている。

「お願いします」

禅一が頼むと、いかにも子供用というプラスチックのお椀とフォークが届けられる。


「あ、待って待って」

フォークを手に渡されたアーシャは、張り切ってラーメン本体に切り込もうとするので、禅一は慌てて止める。

そして各具材をお椀に取り分けて、オタマと言った方が良さそうな巨大なレンゲでスープを入れて、彼女に渡す。

「………………」

すると、明らかにアーシャのテンションが下がってしまう。

シュシュシュっと音が鳴りそうな勢いで肩が落ちて、体積が一割ぐらい萎んで減ってしまったような気がする。

「あ、全部食べて良いんだぞ。ただ、食べ易いように分けただけだから。全部『アーシャの』だから」

「ユッキーのチャーシューもわけてあげるからね!」

禅一と篠崎が一生懸命声をかけていたら、持ち直したらしく、アーシャは再びフォークを掲げる。


「いたぁきましゅ!」

そして激し目のいただきますをしたかと思うと、

「おおお?おおおおお!」

いつも通りの大はしゃぎを始めてしまう。

店内は激しい換気扇の音と、地方のラジオ番組の音が響いているので、目立つというほどではないが、平日に子供連れでくる客は珍しいので、チラチラと常連たちや店員が座敷を覗き込んでくる。


「妹?」

「はい。すみません、騒がしくしています」

「良いって、良いって。夢中で食べちゃって可愛いなぁ〜〜〜」

奥座敷の近くにレジがあるので、時々お会計のついでに声をかけて行ったり、お釣り待ちの間に観察されたりする。

「はい、お水」

店員も代わる代わるセルフサービスのお冷を、わざわざテーブルに運んできたりして、夢中でラーメンを貪っている子供を、目尻を下げて観察していく。

幸いにも皆、好意的に取ってくれているが、やはり外食はまだ早かったようだ。


「んふふ。みんなビスクドールのお食事を見たいんだねぇ〜」

篠崎は何故かとても嬉しそうだ。

「曇りなきまなこで見ろ。どう見ても成長途中の餓鬼だぞ」

禅一も美味しそうに食べるアーシャにデレデレと笑っているので、唯一現実が見えている譲はツッコむ。

「わかってないなぁ〜〜〜。あ、禅、汁はあんまり入れない方が良いかもよ。豚骨だから味濃いし」

「おい、チビ、水も飲め、水」

混ぜないと沈殿する程濃い豚骨スープでもチビ助は平気な様子で、夢中で口を動かしている。


「お、メンマに戸惑ってる」

「まぁ、見た目で何ってわからない、謎の食材だもんな」

うんうんと禅一と譲は頷き合う。

「ぶっちゃけ俺も知らない。メンマって何なの?コリコリして美味しいけど、キクラゲ系?」

「竹だろ。竹」

「え〜〜〜流石に竹は草」

「訳のわからねぇ日本語使ってんじゃねぇぞ」

「こんな柔い竹ってないっしょ。せめてタケノコっしょ」

「竹とタケノコの間ぐらいの若い竹だったはずだぞ。あと、日本の竹じゃなくて、中国とかにしかない竹だったはず」

そんな事を話しながら、男三人は食事をする。


恐る恐るメンマを口に入れたアーシャは、カッと目を見開くと同時に、高速咀嚼を開始する。

どうやらお気に召したらしい。

小さいうちは、その美味しさを理解できないと思っていたが、中々のグルメらしい。

「………………『おいしー』!」

「そうか!」

物凄く驚いた顔で報告を受けて、禅一は全開の笑顔になる。

そして今度はメンマを多めにしてお代わりを注ぐ。


「ふあぁぁぁぁ!!」

それを見たアーシャはこの上なく嬉しそうに声を上げる。

「しー」っと一応注意しながらも、アーシャが楽しそうに食べるのが嬉しい様子で、禅一は鳥の巣のような頭を撫でまくっている。

いつもは一番に食べ終わる禅一だが、アーシャの口を拭いたりと、介助しているので、スピードが出ていない。

しかしモリモリと食べるアーシャが嬉しいようで、自分の食事が中断されるのも大歓迎な様子だ。


「ん〜〜〜、俺、餃子頼もっかな」

「肉食極まれりだな。俺、半チャーハン」

「それ言ったら、ゆずっちは炭水化物祭りじゃん。健康に悪ぅ〜〜〜」

「健康に気を付けてたら、そもそもラーメン屋に来てねぇよ。このスープと一緒に食うチャーハンの旨さがわからねぇ奴は、肉の油にまみれてろ」

ラーメンで胃袋を落ち着かせた篠崎と譲は追加メニューに入る。

「あ、俺も……」

と、禅一は言いかけてやめる。


アーシャの瞬きが長くなり始めている。

嬉しそうにフォークを口の中に突っ込んで、もぐもぐと咀嚼しているうちに瞼が閉まる。

そしてハッとして飲み込んで、また張り切って口の中にフォークを突っ込む。

もっと食べたい。

でも眠たい。

そんな食欲と睡眠欲のせめぎ合いが見える。

「全部食べきれないだろうから。俺は追加なしで」

禅一は微笑ましそうに、眠りながらも必死に食べるアーシャを眺めている。


そのうち遂に、ほぼ目が開かなくなってしまって、首がガックンガックンと色んな方向に倒れ始めたアーシャを、禅一は自分の胡座を組んだ足の上に寝かせる。

「伸びた麺、不味くない?」

「これくらい伸びた範疇じゃないだろ」

そう言って禅一は半分は残ってしまったアーシャのラーメンを片付ける。

基本的に禅一はお腹が膨れれば満足なタイプなのだ。



「あ〜〜〜、悪い。何か眠くなってきた。先に車に戻ってて良いか?」

食べ終わった禅一は、家計用の財布を譲に預け、大欠伸してからフラフラと車に戻る。

「あ〜〜〜眠ってる顔を見てたのに〜〜〜」

アーシャを持って行かれてしまった篠崎は不満そうな声をあげる。

「まぁ、今日は色々あったし、しょうがねぇだろ」

普通の人間なら、神を受け入れた瞬間人事不省に陥っても不思議じゃない。

ウロウロ動き回って、ラーメンなんか食べられる禅一が、そもそもおかしいのだ。


丁度、運ばれて来た、追加注文分を受け取りながら、篠崎はなおも不満そうだ。

「あ〜あ、この旨い餃子分けてあげたかったなぁ〜〜〜」

女性と見まごう体のラインを維持しているのが不思議なくらい、篠崎は気持ちよく食事を平らげる。

「お前も元気だな………ってか、今日の事件に思うことねぇの?」

普通の人間なら到底信じられない事件を目の当たりにしているはずなのに、篠崎はその辺りに突っ込んでくる事はない。


「思う事はそりゃ色々あるっしょ。あの全身鬱血してたおねーさん、二十代後半から三十代前半だから、治りが遅くて、半年後ぐらいまで全身青タンみたいな状況になるんじゃね?とか」

「………………」

「鬱血おねーさんたちのひっつきもっつきの図、二人羽織っぽくてウケたな〜とか」

「………………」

「次にアーシャたんが踊るときはプリンセス系のドレスを着せたいけど、より映えるのは薄い生地を重ねたティアードで、回転すると持ち上がってヒラヒラするやつかも、とか」

「………………」

「あぁ、禅もアーシャたんと踊りたいなら、もうちょっと衣装に気を遣って欲しいね。禅って黒と紺と白くらいしかカラーバリエーションないじゃん?あれ、どうにかしたほうがいいと思う。別にスパンコールをつけろとかいう気はないんだけど、せめて色と形を……………」

その後もツラツラと語る篠崎に譲は頭を抱える。


人が見えざるものに引っ張られて動いたり、人の腹から触手が生えたり、禅一が祝詞をあげたりと、その辺りの非日常は篠崎にとって『どうでも良い』カテゴリーに入る事らしい。

常々おかしい奴だと思っていたが、これ程振り切れているとは思わなかった。

(まぁ、都合がいいと言えば、都合がいいんだがな)

殊更騒ぎ立てて、周りに言いふらす心配もなければ、こちらに奇異の目を向けてくる事もない。

その上、穢れを寄せ付けない特異体質で、禅一とは波長が合うようで仲が良いし、アーシャの事を気に入っているから、味方に引き入れるなら申し分ない。


食べ終わって車に戻ってからも篠崎は超絶マイペースで、

「ん〜〜〜、天使の寝顔!けど禅が邪魔!」

そんな事を言って、掛け布団代わりのコートをアーシャとシェアするために、チャイルドシートを抱えるようにして寝ている禅一を、コートを頭まで引き上げることで物理的削除をして、写真を撮ったりと、やりたい放題だ。

「あ〜〜〜アーシャたんとお泊まり会したいけど、今日は創作意欲がバンバン湧いてくるから、出力しなくっちゃ」

家に帰って行くのも、やっぱり自己理由だ。

とんでもない事件の後なのに、篠崎は軽やかに自宅に向かって走っていく。

もしかしたら今日も徹夜する気かもしれない。


「おい、禅!チビは運べてもお前は運べねぇぞ!」

コートの塊を強目に叩くと、モソモソと動いて、禅一は寝ぼけた顔を出す。

「…………………あれ」

状況が掴めないようで禅一は、目を開けてからも、しばし、周りを見回す。

「あぁ」

そして少ししてから頷く。


「ほら、寝ぼけてんじゃねぇぞ、自分の足で歩けよ!」

譲はそう言い捨てて、アーシャをチャイルドシートから取り出して運ぶ。

禅一はその後を、頭を振りながらついてくる。

寝起きの良い禅一には珍しく、調子が出ない様子だ。


(まぁ、これだけのことやったんだ。疲れもするか)

知らぬ間に堆積していた穢れや、まだ穢れになりきっていない澱みが、すっきりとした空気になった事を思い出して、譲は納得する。

「あのさ………現代で、土間しかないような家で、藁を敷き詰めて寝るような環境って、あると思うか?壁は臭くって……土とか排泄物を混ぜたような感じで。水とか電気とか、インフラ皆無で」

すると禅一は眉を寄せながら、唐突にそんな事を言い出す。

「そりゃあるだろ」

まだまだ秘境と呼ばれる所で生きる部族などはいる。


「アーシャがそんな環境で育ってた可能性ってあると思うか?」

唐突な質問が続いて、譲は眉間に皺を寄せる。

「絶対とは言えねぇけど……ないだろ。大体そんな生活している奴が、どうやって日本に来るんだよ。交換留学生とかの可能性もねぇし」

訳のわからない話に譲は軽く困惑する。

「ないよなぁ……」

そう言いながら、禅一は靴を脱いで、家に上がる。


「でも、時々、妙にリアルなアーシャの夢を見るんだ」

深くため息をついてから、禅一は言葉を続ける。

「言ったみたいな、酷い環境で育ってて、食べる物がなくて、動けないくらい衰弱してて……最初は親に口減くちべらしで捨てられるんだ。でも氣を体に取り込む事を覚えて、どうにか生き延びていたら、兄弟が探しに来て家に連れ帰られる。それで植物を育てたり、人の怪我を治したりできるようになるんだ。でも母親に『治癒の力だけは使っちゃいけない』って言われる」

「へー」

禅一は真剣な顔で話すが、譲は適当に受け流してしまう。

そして鼻が詰まっているのか、ピピョピピョと不思議な寝息をたてているアーシャをソファーに下ろす。


「今見た夢では………雷に驚いた馬が暴走して、アーシャの兄が轢かれてしまって………アーシャがみんなの前で治してしまうんだ。そしたらアーシャの母親が泣き叫んでいて……」

部屋の明かりの下で見ると、禅一の顔色が酷いことに気がつく。

思い詰めたような表情をしている禅一の肩を、譲はバンバンと叩く。

「安心しろ、夢は夢だ!どんなにリアルでも所詮、夢だ。禅が常日頃からチビが人前で傷を治したりしたらどうしようとか、ウジウジ考えてるから変な夢を見るんだよ」

そう、譲が言い切ると、禅一は何かを呑み込むようにして、頷く。

「そう……だよな。うん、そうだな。確かに、夢では明らかにアーシャが今より大きかったし。……ただの夢だよな」

何とか納得できたようだ。


「風呂沸かしてやるから、軽くチビも濯いでさっさと寝ろ」

「すまん。助かる」

疲れた様子の禅一に、譲は風呂を洗って支度を始める。

今日の騒ぎで、市内の大半の穢れが除去できているかもしれないという朗報は明日に伝えれば良いだろう。

焦って対応しようとしていた事が、一気に解決してしまったかもしれないという期待に、譲の頭からは、すぐに禅一の見た夢の話など消えてしまった。


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