30.聖女、『らめん』を食す
何だかよくわからないけど、無事に社交場に馴染めたような気がする。
そんな事を考えながら、アーシャは苦手だったはずの『くるま』の座席でウトウトと微睡む。
しっかりとゼンが手を繋いでくれているので、安心感が凄い。
この世に歪な形で繋ぎ止められた子たちを見送った後、ゼンとユズルとシノザキは沢山の大人たちと話をしていた。
身体中に疲労を感じて、ゼンにもたれて、ぼんやりとしていたら、外に出てきた子供たちに囲まれてしまった。
子供たちは顔を紅潮させ、しきりに何かをアーシャに話しかけてきたのだ。
よくわからないが、手には紙で作った細長い筒を持って、素振りをする子が多かった。
(……一緒に素振りをしようってお誘いなのかしら……?)
そう思って、ゼンから下りて、持っていた錫杖を一緒に振ったら、何故か歓声が上がった。
全く意味はわからなかったが、子供とはこんな感じなのかもしれない。
不思議と皆でやる素振りは楽しかった。
調子に乗って歌いながら踊ったりもして、ゼンたちが話をしている間中、頬っぺたが痛くなるほど笑った。
こうやって笑い合うこともなく消えていった子たちを思うと、周りで笑う子たちの元気な姿は尊くて、空に舞い上がっていったあの子たちも、いつかこんな風に過ごしてほしいと願わずにはいられなかった。
帰る時は抱きしめて引き留めてくる子が出る程だった。
(すっかり馴染んだような気がするわ)
右も左も分からない社交場に訪れるのは三回目。
二日間だけなのに、こんなに仲良くしてもらえると言うことは、アーシャのデビュタントは成功と言えるのではないだろうか。
(上手くやっていけそう)
アーシャはトロトロと目を閉じる。
初めの頃は怖くてたまらなかった『くるま』にも慣れてきて、アーシャ専用座席の密着感に安らぎすら感じるようになってきた。
急に『くるま』が大きな声を上げて早く走り出しても、それほど怖くはない。
疲れているせいもあるだろうが、これは進歩だと思う。
まだゼンに手を繋いでもらうのは必須だが、これからちょっとづつ、色んな事ができるようになるだろう。
明日も小さな友達たちと、社交場で精一杯体を動かして鍛え、色んな事を学び、この国の生活に溶け込んでいけるように頑張ろう。
そんな風にアーシャが考えていたら、『くるま』の鼓動が止まった。
「?」
既に外は暗くなっていて、よく見えないが、見覚えのない景色であることだけはわかる。
寝ぼけ眼を擦りながら外を見ていたら、扉が開けられ、座席にアーシャを固定するベルトが解放される。
「アーシャ、らー・め・ん」
「あめん?」
先に『くるま』からおりたゼンがニコニコとしながら、アーシャを抱き上げる。
「ほあ〜」
ゼンが指差す方向を、アーシャはぼんやりと見る。
神の国でよく見かける大きな硝子張りの建物だ。
但し『スーパー』のように大きな建物ではなく、硝子の中央部分に四角が複雑に絡み合った絵が書いてあって、目隠しのようになっている。
外から見えるのは、真っ直ぐの棒に赤くて丸いクッションを突き刺したような、変わった形の椅子だけだ。
それが一目でアーシャが椅子と分かったのは、座っている人たちがいるからだ。
硝子の目隠し柄のおかげで、どんな人が座っているのかは見えないが、窓に背中を向けて座っているのだけは見える。
「おぉ!」
神の国ではお馴染みの、謎の空間を挟んだ二重の扉をくぐると、ムアッと蒸れた空気に包まれる。
外のカサカサの空気に冷やされた頬が、一気に温められる。
「「「っしゃ〜せ〜〜〜!」」」
それと同時に頭に布を巻いた人たちが元気よく挨拶してくれる。
「しゃーせー」
誰に挨拶を返したら良いのかわからなかったので、アーシャはキョロキョロしながら挨拶を返す。
「おくど〜ぞ〜〜!」
すると一番近くにいた人が、ものすごく良い笑顔で、アーシャたちを導く。
やたらとお腹に響く美味しそうな匂いから、ここは食べ物を提供してくれる場所のようだ。
中央の調理場と
(凄いわ。仕切りとテーブルが一体化しているのね。……よく見たら椅子も全部くっついているわ!!)
一本足の椅子は、地面付近で全て鉄の筒に繋がっている。
(木の子みたいで可愛い!!)
その姿は菌糸でつながって並ぶ、赤い木の子のようだ。
アーシャも木の子の椅子に座るのかとワクワクしたのだが、通されたのは靴を脱いで上がる、小さな部屋だった。
(建物の中に家がある!)
驚いたのはアーシャだけで、ユズルやシノザキは当然のように靴を脱いで、小部屋に入っていく。
アーシャもゼンが座って靴を脱がせようとしたので、作法はわかっているとばかりに、しっかりと自分から靴を脱いだ。
小部屋には大きな机と、それを囲む平べったいクッションが置いてあり、その床には草の編み物が敷き詰められている。
(あ!これ!ゼンが最初にいた家にも敷いてあった!)
ゼンに出会って、あれこれ美味しい物を食べさせてくれたり、体を綺麗にしてくれたり、一緒に眠ってくれたりと、初めての感動をくれた家は、彼女の中で輝くように美しい補正がかかって記憶の中に残っている。
「………………?」
そのせいか、あの家に敷いてあった草の敷物と比べると、良い匂いが薄い気がするし、色も青々とした緑ではなく黄色いし、全体的にぐったりしている気がする。
(草だから、枯れちゃったらこうなるのかなぁ)
アーシャは段々と緑から黄色に枯れていく様子を想像する。
(枯れたら新しくするのかしら!?………いやいや、きっとそんな事はしないわよね。こんなに綺麗に編んであるし、この縁の飾りもすっごく素敵だもの。……きっと完全に腐るまでは使うんだわ)
そんな事を考えつつ、草の敷物を撫でていたら、チョンチョンと背中を突かれる。
「アーシャ、い・す」
ニコニコとゼンが小さな椅子を指し示す。
ゼン、ユズル、シノザキはクッションに座っているが、どうやら座高の低いアーシャには椅子が与えられるらしい。
差し出された椅子を見て、アーシャは目を輝かせる。
薄紅色に塗られた鉄の筒で作られた椅子なのだが、何ともその形が愛らしい。
ゼンの膝よりも小さい、小人専用の椅子のようなのに、しっかりと背もたれまでついている。
背もたれ部分で柔らかな曲線を描く鉄の筒は、そのまま下に繋がり、四本の足になり、それぞれが小さな白い靴を履いている。
そして座面には愛らしい絵が書いてあり、何とヘタのついた苺になっている。
「『かわいーな』!」
自分だけこんなに愛らしい椅子に座ってしまうのは申し訳ないが、とても嬉しい。
喜び勇んでアーシャは椅子に腰掛ける。
と、同時に『ぴぃ!』と笛のような大きな音が鳴る。
「ひゃっっ!!」
その音に驚いて立ち上がる。
「?????」
確かにすぐ近くで音がしたはずなのに、発生源がわからない。
キョロキョロと周りを警戒しながら、腰を落ち着けようとして……『ぴぃ!』と再び音がして、また慌てて立ち上がる。
(この椅子が鳴いたわ!絶対鳴いたわ!!)
アーシャは確信を持って、そっと椅子の座面を押す。
すると椅子は『ぺぁ〜』と何とも気の抜けた、反省したような音をたてる。
「ふふふふ」
その情けない音が何とも可愛らしくて、数回手で鳴らしてから、アーシャが再び座ると、『ぴぃ!』と景気良く鳴く。
「あ〜〜〜も〜〜〜〜〜〜きゃ〜わ〜い〜い〜〜〜〜!!」
そうこうしていたら、ゼンからは思い切り抱きしめられ、シノザキから撫でまくられる。
ユズルは顔を押さえて震えている。
「????」
皆、椅子が鳴いた喜びを、分かち合いたいのだろうか。
上手く馴染めてきたが、細かい文化の違いは、これからも埋めていく必要がありそうだ。
テーブルの上に置かれた精巧な食べ物らしき物の絵を眺めたり、沢山の木の棒が入っている不思議な箱を見たり、高価な生薬そっくりの匂いがする、細切りされた真っ赤な物体の正体を考察していたりしていたら、室内に漂う美味しそうな匂いが一層濃くなった。
見上げると、頭に布を巻いた人が、大きな黒い盆に、物凄い大きな器をのせて運んできていた。
「!!!!」
ドンドンドンとテーブルに並べられる器にアーシャは目を見開く。
(お………大きい!!)
その器はアーシャの顔なら二つぐらい入りそうなほど大きいのだ。
何とも刺激的で美味しそうな匂いのする、温かな湯気がアーシャを包み、彼女はそれを夢中で嗅ぐ。
「お……お肉!お肉の匂い!!」
間違いない。
アーシャの大好きな豚の匂いがする。
途端に顎の奥から涎が溢れ出し、キュキュキュイキュキュ〜〜〜と腹が開戦の宣言を声高く告げる。
「は……はわ………!!」
アーシャは両頬を押さえ、幸せな光景に見入った。
大きな器の中で、物凄い肉厚の丸い肉が、湯気を上げている。
緑色の野菜を誇らしげに頭にのせ、肉の油でテラテラと輝く、その姿は尊い。
泥水のように薄茶に濁った不吉な色合いの液体に浮かんでいても、物凄く尊い。
「はい」
アーシャ用のフォークを渡され、遠慮なくいざ開戦!と構えるが、目の前に手を広げられる。
「???」
ポカンとするアーシャの目の前に、小さな器が運ばれてくる。
そしてゼンが器用に二本の木の棒で、器の中にあった、物凄く細い『うどん』を小さな器に移し、まん丸の肉をその上に一切れだけのせてくれる。
(なるほど、これは凄く細いうどんと肉の料理なのね)
そんな事を思っていたら、肉の横に、黄色い木の皮のような物も入れられる。
「……………?」
不思議な物を凝視していたら、とても口には入らなさそうな大きなスプーンで、泥水似の液体が小さな器に注がれる。
(お肉……一切れになった……)
体のサイズ的に大きな器一杯を食べられるはずがないので、小さくされるのは納得がいく。
しかし肉が一切れになったのは悲しい。
(いやいや!!肉よ!?肉!!こんなに大きな肉を食べられるなんて幸運、ここにくるまでなかったじゃない!!)
そんな自分にアーシャは語りかける。
いつの間にか、すっかり欲の皮が急成長してしまったようだ。
「いたぁきましゅ!」
気を取り直したアーシャはパンっと手を鳴らしてから、肉にフォークを突き刺す。
「おお?おおぉぉぉぉ!」
肉とは思えない、柔らかな感触がフォークを通じて伝わってくる。
ナイフはないので、そのまま齧り付くしかない。
期待に胸を膨らませて噛み付いたら、涎でいっぱいになっていた口の中に、何とも濃厚な味が広がる。
歯ごたえは思った通りで、肉は蕩けるようにアーシャの歯を受け入れる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
美味い。
美味い以外何と言っていいのかわからない。
とにかく美味い。
口に入れた途端、トロッと広がるこれは一体何だろうか。
アーシャが知っている、貧相な残飯育ちの豚ではあり得ない、濃厚な脂身なので彼女には理解できない。
しかしそれに染み込んでいる、『美味しい』以外何と表現して良いのかわからないスープと一緒に、噛めば噛むほどトロトロと口の中に広がって、アーシャの中では幸せが膨らむ。
「んはぁぁぁぁぁ〜〜〜〜」
ゴクンと飲み込むと、肉とは思えない柔らかさと、肉ならではのしっかりとした質量がお腹に向かって流れていくのを感じる。
幸せ過ぎて、何も入っていない口をハクハクと動かして、余韻を楽しんでしまう。
そこからは夢中でアーシャは肉を貪る。
確かな厚みのある肉は、齧り付く瞬間から、とんでもなくアーシャを幸せにしてくれる。
(肉、肉、肉、口も喉もお腹も肉で一杯〜〜〜)
最早先程の、肉が一切れになった残念感など忘却の彼方だ。
一枚でも満足感が果てしなく深い。
何口かに分けて、肉を堪能しまくったアーシャは深い満足のため息を吐く。
(次はこの細い『うどん』)
アーシャはシノザキに習ったように、フォークを刺してクルクルと『うどん』を巻き取る。
すると、スゾゾゾゾゾゾ!!と周りから凄い音がしていることに、気がつく。
「…………………」
肉に夢中になっていたアーシャは、顔を上げて周りを確認し、絶句した。
神の国の『うどん』は啜って食べる物だとは理解していた。
しかしこの細い『うどん』の啜り方は今までと違って、激しい。
物凄く吸い上げている音がする。
これがここではマナー違反でないということは分かっていても、驚く食べ方だ。
(神の国は………本当に自由なんだ)
アーシャは目の前で凄い勢いで『うどん』を吸い上げるシノザキを呆然と眺める。
彼女は髪を押さえながら、ゼンやユズルと何ら変わりないペースで食べている。
アーシャの知っている女性たちは、小鳥のように食べ物を啄むのを良しとしていた。
貴族の女性などは本当に食べているのかと聞きたくなるくらい、小さく食べ物を切って口の中に運んでいた。
『食べない美徳』そんなものが確かにあった。
神の国では医師として働く女性がいて、面白い乗り物で颯爽と移動する老婦人がいて、シノザキのようにゼンたちを叱り飛ばしたりする女性がいる。
今までのアーシャの世界とは比べ物にならないぐらい、皆、生き生きとしている。
生きるという事は食べること。
(そっか……だから堂々と食べても良いんだ)
ハフハフと『うどん』を食べて、硝子のカップで水を飲んで「カーーーッ!」と言っているシノザキは美味しくて、楽しそうだ。
「ふふ」
アーシャはフォークに巻いた『うどん』を口に放り込む。
まだ音を立ててご飯を食べることに抵抗はあるが、それでも何となく楽しい。
「!」
何気なく『うどん』を口に入れたアーシャは目を見開く。
口の中に広がった『うどん』は、『うどん』なのだが、肉なのだ。
何を言っているのかわからないと思うが、プツプツと切れる変わった歯ごたえなのに、味は肉なのだ。
「んんんんんんん!!!」
アーシャは夢中で食感を楽しみながら悶える。
動くたびに椅子がプップと音を立て、騒がしくて申し訳ないが、これは踊り出したい美味しさだ。
(このスープが既に肉なんだ!!)
肉の脂が溶け出している濃厚なスープは、色々と味付けはしてあるが、基本は肉味なのだ。
(全てを肉に変えるスープ!!画期的!!)
アーシャは夢中で麺をフォークに巻いては口の中に入れる。
時々緑の野菜が絡んで一緒に口に入るのだが、肉の味に負けない、爽やかな鼻に抜ける匂いと、サクリサクリとした食感が何とも言えない、新しい調和を生み出す。
「ふふぁ〜〜〜」
夢中で『うどん』を食べたアーシャは、満足のため息をこぼす。
「…………」
そして器の中に残った、物体をシミジミと眺める。
(木…… どう見ても木片……いや、木の皮かな……)
長方形で、木の幹と同じような筋が走っている。
チョンチョンとフォークで押してみると、結構弾力がある。
「……………」
器に入っているのだから、きっと食べられるのだろうと思うが、あまり食欲をそそられる形ではない。
アーシャはグッと力を入れて、フォークにその物体を突き刺す。
そして恐る恐る齧り付く。
「!」
すると、それは強い弾力があるのに、力を入れて噛むと、ジャコっと何とも気持ちの良い歯ごたえで切れる。
「!!!」
しかもしっかりと味がついていて、噛めば噛むほど美味しい。
最初は肉味で、噛む毎に、どんどん味が内側から出てくる。
何回も噛んで、その食感を余す事なく楽しみ、飲み込む。
「………………『おいしー』!」
下手したら肉より美味しかったかもしれない。
呆然としながら、アーシャはゼンに報告する。
「そうか!」
報告を受けたゼンは、ちょっと驚いた顔をした後、そう言って白い歯を見せて笑った。
そして大きな器からまた『うどん』と肉と木の皮っぽいものを、小さな器に入れてくれる。
「ふあぁぁぁぁ!!」
まさかのおかわりに、アーシャは歓喜の声をあげる。
そんなアーシャの頭を大きな手が撫でる。
(至福!至福!!)
唇がヌメヌメするのがちょっと気になるが、汁が垂れそうになると、横からゼンが拭いてくれる。
甘やかされっぱなしだ。
(至福……至福………)
夢中で二杯目も平らげ、三杯目に取り掛かろうとしたあたりから、頭が重くて真っ直ぐ立っていられなくなった。
ガクンガクンと色んな方向に首が折れてしまう。
まだまだ食べたいのに、瞼が閉まる。
グラグラとしていたアーシャは、椅子の上から、大きい手に引き抜かれ、ゼンの
(も……ちょっと……食べたいのに……)
支えてくれる体温が心地よくて、もう目が開けられない。
目を閉じていても、安心できる神気に包まれているのがわかる。
(ゼン……食べにくくないかな………社交場で頑張って……早く一人前になって……)
そんな思考もあっという間に途切れてしまう。
こうしてアーシャの波乱の社交界デビューは、満足したお腹と共に、幕を下ろしたのであった。
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