26.次男、戦う(前)

近常ちかとこ君を含む第三セキュリティチーム内で確保されていたメンバーが姿を消し……分家内で三男の光至みつしさんが襲われた様です」

顔色の悪い武知によって、その情報はもたらされた。

「ちかとこ…………あぁ、第三セキュリティチーム統括とか言っていた女性ですね?」

「そうです。『藤護』に接触する禁を犯した責任を問われて、高次元災害対策警備会社で蟄居ちっきょさせられていたんですが、見張りの者に睡眠薬らしき薬を盛って、逃げ出してしまったらしいんです」

禅一がアーシャと二人でいった公園で接触してきたと言っていた女が、行方をくらませたらしい。


譲は眉を顰めた。

「警察の方で牢屋にでも入れてくれてたんじゃないのか?」

そう聞くと、武知は苦笑して首を振った。

「彼女は禅一さんにアーシャさんを引き渡せと要求しただけで、国民が守るべき法律を犯したわけじゃありませんから、警察で身柄を拘束することはできないんですよ。警察で身柄が拘束できているのは最初の誘拐事件の三人だけです」

なんとも歯痒い事だが、高次元災害対策警備会社内部での処置しかできていなかったらしい。


「光至って……禅ほどじゃないけど、一度は後継者候補になったくらい強いんだろ?」

譲がそう聞くと、武知は脱いでいたコートを羽織りながら渋面になる。

「強いと言ってもまだ高校生ですし、高次元災害対策警備会社の面々は日頃から体を鍛えており、特に近常君はチームの統括を務める程の実力者ですから。……五・味・君!良い加減、豆大福に固執するのをやめなさい!」

自分の皿にのっている豆大福を慌てて食べきろうとする五味に、武知の指導が飛ぶ。

餅を喉に詰めそうな勢いで食べていた五味は、大いにしょんぼりした顔で、お茶で流し込む様にして、立ち上がる。


五味を急がせる武知を見ながら、譲は首を傾げる。

人一人が襲われたとなれば警察が動くのは当たり前かもしれないが、そんなに武知が急ぐ意味がわからない。

「アンタらが現場に急行としようとしているのは、分家の末っ子が襲われた以外に何か問題が発生したからか?」

譲がそう聞くと、武知が少し渋い顔をする。

「まだ詳細はわかりません。……しかし光至さんが分家の敷地内で……呪物らしきものを見つけたらしいんです。あまりに穢れが強くて触れないので、応急処置的に祓ってから回収しようとしていた所、突然後ろから襲われた……と」

「で、襲った犯人が、その近常って女だった?」

譲が聞くと、武知は難しい顔で頷く。


「光至さんの話では噴き出す穢れの量から間違いなく箱の中身は呪物だろうと。そして祓いが終わっていない状態で、それを持った近常君も無事ではいられないだろうとも。周辺で力尽きて動けなくなっている可能性があるので、感知能力が強い者たちで、分家周りを探す事になりました」

譲はその説明に納得がいかない。

「あそこは分家とインチキ会社の溜まり場だろ?奴らだけで何とかなるんじゃねぇの?」

その質問に武知は首を振る。

「どうも光至さんが呪物の近くで血を流した影響で、呪物が埋められていた場所や周囲の穢れが一斉に活性化して、早急に対応しなくてはいけなくなったようです。光至さん自身も血を媒介して強い呪いがうつって、危険な状態らしく……その対応に追われて人員が足りなくなったようです」

現場はかなり悲惨な状態らしい。


「見つかった呪物が、それが今問題になっている禁術で作った物なんですか?」

台所の棚からシッパー付きの食品保存用の袋を持ってきて、五味と武知の皿にのっていた豆大福を入れていた禅一は、それを五味に渡しながら尋ねる。

「恐らくは。呪物なんてそうそう作れる物ではありませんから」

武知の顔色は冴えない。

それはそうだろう。

現在の未曾有の状況を引き起こしているかもしれない呪物などという、危険極まりない存在と、今から対面するかもしれないのだ。

譲もはっきり言って対面したいとは、とても思えない。


「それ、俺もついて行きます」

そんな状況に飛び込んでいく夏の虫のような馬鹿がいる。

「はぁ!?」

ソファーの背もたれに体を預けていた譲は目を剥いて立ち上がった。

「何言い出してんだ!馬鹿かお前は!!」

譲は食ってかかるが、禅一は落ち着けとばかりに手をあげる。

「武知さんや五味さんに万が一があったら、明日からアーシャの警備に着いてくれる人がいなくなるじゃないか。俺は穢れに強いようだし、ついて行ったら二人がいざという時の安全地帯になれるだろ?」

そんな事を真顔で言ってしまえる神経が信じられない。

五味なんかすっかり頼る気で、豆大福の袋を握りながら、感動に目をウルウルさせているではないか。


「『安全地帯になれるだろ?』じゃない!お前が一番大切なことは何だ!?チビの安全を確保することだろ!?分家がやったのかインチキ会社がやったのかは知らねぇけど、身内がやらかした事はきっちり身内で責任を取らせろ!こっちが危険を犯して解決してやる必要がどこにある!?」

「アーシャを守ってくれる人を増やすのも、安全確保に繋がるだろ?俺たち二人だけで守るなんてどう考えても無理だ。信頼できる人間を失いたくない」

禅一が発言する度に、横で激しく頷く五味が鬱陶しい。


「人数増やしただけで何が変わる!?俺も含め、禅以外の奴は命を懸けてまでチビを守ったりしない!藤護がチビを便利な道具扱いしていないのは、お前がついているせいだし、警察がチビを守っているのは、藤護が命令しただけに過ぎない!結局あのチビの生命線は、お前が握ってんだ!そのお前が、どれくらいの危険があるかもわからない所に乗り込んでいってどうすんだよ!!」

言い募られた禅一は複雑そうな顔をする。

ポソっと「私は死力を尽くして守る所存ですが」と呟いた峰子の言葉は、敢えて無視をする。


「誰だって自分が一番だ。だからこそ人数を増やしたいんだ。百パーセントで守ってくれる人を探そうとしているわけじゃない。百人が少しづつ気にかけて見てくれれば、それだけアーシャは圧倒的に安全に過ごせるようになるはずだ。それに未知の危険に対応したとなれば、それだけ力を示した事になるだろう?『圧倒的な力の差を示す』っていうのが当初の目的だ」

譲は言葉に詰まる。

自分たちの力が増せば『神』をも消せると思い上がった連中の鼻を叩き折るのが、奴らに接触した一番大きな理由だ。


「呪物がどんな物かわかんねぇ状況で行ったって仕方ねぇだろ……五味さん辺りを生贄にして、どれくらいのブツか確認すべきだ」

ヒィっと小さく五味が息を呑む。

「五味さんは社会人としてどうかと思うところが多々あるが、多少自分に素直過ぎて、空気を読む気がなくて、貧弱なだけで、根は良い人だと思うから保護した方がいい」

ウンウンと頷こうとして、『あれ?何かディスられている?』という顔で五味は止まる。


譲は五味を完全に無視しながら、フーッと長いため息を吐く。

「じゃあ俺も行く。危ない時は言うから、直ぐに一緒に撤退する。良いな?」

見えざるモノを全く感知できない禅一には、危機のレベルもわからないだろう。

だからこその申し出だったが、禅一は首を振った。

「いや、譲はこのままアーシャと残ってくれ。のは武知さんに任せる。近常はアーシャを狙っていた。俺が仕留めるつもりだが、万が一ということがある。譲は残ってアーシャを守ってくれ」

禅一の発言に、「仕留めないで捕まえてください」と小声で武知が突っ込んでいるが、構っていられない。


「はぁぁぁ!?馬鹿かお前は!!万が一裏切られて、危ない所に突っ込まされたりしたらどうする気だ!!」

相手を信頼し過ぎるにも程がある。

命をかけるかもしれない局面で、二、三度しか会ったことのない人間を頼るなんてあり得ない。

「武知さん、裏切らないでくださいね」

しかし禅一は淡々と武知に『命令』する。

「裏切れるはずがありません」

それに武知は苦笑しながら頷く。


「あのなぁっ……ぃて!」

それに対して怒鳴ろうとした譲の頭が、バチンッと音を立てる。

「『家族が喧嘩しているのを見せるのも児童虐待』って言ったよね?」

音に遅れてやってきた痛みに、譲は頭を押さえて振り返ったら、そこには不機嫌そうに起き上がった篠崎がいた。

「喧嘩両成敗」

そう言って篠崎はクッションを禅一の顔に投げつける。


難なくクッションを受け止めた禅一に面白くなさそうな顔をしながら、篠崎はうぅんと大きな伸びをする。

「えっ?あれ?女性!?」

起き上がった篠崎に驚く五味や、軽く目を見張っている武知や峰子など見えてない様子で、篠崎は身軽にソファーから下りる。

「アーシャたん♡おはよ♡」

そして軽い足取りで椅子に座って、不安そうに大人たちを見ていたアーシャを抱きしめる。

「全く。アーシャちゃんの前で喧嘩すんなっつってんのが何で守れないの?メモリが揮発性なの?脳みそがダチョウなの?」

脳のサイズが人間の眼球よりも小さい、鳥の中でもアホだと言われるダチョウを出してくるあたり、にっこりと微笑みながらも、篠崎がイラついていることがわかる。


「別に喧嘩なんかしてねぇよ。事情を知らねぇ奴は……」

苦虫をダース単位で噛み潰した顔で、譲は篠崎を押し退けようとする。

「話は聞かせてもらった!と言うか、うるせーから強制的に聞かされた!」

しかしアーシャを抱き上げながら、ビシッと篠崎はアニメっぽい決めポーズで、人差し指を譲の鼻先に突きつける。

起きた瞬間から元気すぎる奴だ。


「要するに、この愛らしいアーシャたんを狙う、ド変態どもの組織に、禅が殴り込みをかけるけど、おにーちゃんが心配だヤダヤダ、僕もついて行くんだいって、ゆずっちがゴネてんだよね?」

「ゴネてんじゃねぇ!!」

屈辱的な状況把握に、譲は拳を握りしめる。

「まぁまぁ。アーシャちゃんのためなら俺がヒトハダ脱いであげちゃおう」

そんな譲に、篠崎はヒラヒラと手を振って見せる。

「あぁ?超絶一般人のお前が?」

譲は疑わしい視線を向けるが、篠崎は自信満々に胸を張る。


「この信頼の塊であるユッキーが禅に付いて行ってあげちゃおう!で、安全圏から見守ってて、禅に何かありそうになったら、このおっさんたちを強制的にバトルに放り込んで、禅を助けてやるから。ゆずっちは安心してアーシャちゃんを守ってなよ」

篠崎の言葉に譲は頭を抱える。

どこまで事態を把握しているかわからないが、篠崎は禅一と同じく、何も見えないのだ。

危険がわからない人間に、安全圏なんかわからないだろうし、禅一のピンチなんかもわからないだろう。

本人は『バトル』とか言っているが、その『バトル』がどこで起こっているかがわからないのだ。


「あ〜〜〜、その目、信頼してないね。俺、こう見えても不思議な世界のことに精通してんのよ?何せ仏具から神具までを作る職人さんだからね?そして俺が作る道具はレーゲンアタッカーと言われて、拝み屋などの全国の怪しげな職業のお友達に爆売れよ!」

「……『霊験あらたか』な。余計不安になる煽り文句吐き散らすなよ」

譲は頭を抱えるが、ふと、譲が全く対抗できなかった神崩れすら、篠崎を避けていた事を思い出す。

確かにアレは篠崎に触れまいと動いていた。


「俺、たまーに呪われた家の解体工事の助っ人とか頼まれたりするんだけど、他の人みたいに体調崩したりとか動けなくなったりとか全然ナシ。むしろ現場ではバールの魔術師と褒め称えられて頼りにされてるんだよ?ゆずっちも遠慮なく俺をあがたてまつり、頼りにするがいいよ」

「バールの魔術師……!?」

自分の有用性を語る篠崎の言葉に、ピクリと武知が反応する。

「もしかして……篠崎さんの所の……息子さん、ですか?」

言い当てた武知に、禅一と譲は目を丸くする。

ついでに五味は『息子!?』と目を丸くしている。

「武知さん、篠崎を知ってるんですか?」

驚いて聞いた禅一に、武知は深く頷く。


「一度、遠目にですが、見たことがあります。入った途端にこちらが無力化されて打つ手無しだった家があったんですが……奇妙なバールと、やたらとフリルのついたジャージっぽい何かでやって来て……片っ端から壁や窓を叩き壊して行って……あっという間に家を風穴だらけにして………」

「奇妙って!あれはデコっただけのただのバールですぅ〜〜〜!そのまんまじゃ芸がないから可愛くして行ったけど、着てたのも正真正銘のジャージですぅ〜〜〜!」

武知の説明に篠崎が口を尖らせて抗議する。


「……私はいわゆる悪霊と呼ばれる物が、家を破壊して回る存在に怯えて、子猫のように逃げ惑う姿を初めて見ました。廃屋を駆け回る異様な……個性的な姿も相まって、あれは現実離れした光景でした」

理解できない人種を前に、武知の表情が死んでいる。

「譲さん、私が保証します。この方は連れて行っても大丈夫な人です。むしろ、人手として欲しいです」

死んだ表情のまま断言されても、それはそれで何となく恐ろしい。


「それでは武知さん、五味さん、禅一さんは現場に駆けつける。篠崎さんは安全圏からの見守り役兼撲殺役として付いていく。そして私と譲さんがアーシャちゃんの護衛として残るという事で良いですかね」

そこまで静かに話を聞いていた峰子が、何故かまとめてしまう。

「俺は残るなんて言ってねぇ!」

譲は噛みつくが、峰子は首を振って却下する。


「譲さん、午前中に何か活動なさったでしょう?」

「あ……あぁ……まぁちょっとだけな」

「保育士の子供に対する観察眼を舐めないでいただきましょう。氣の消耗が激しいです。今は少し休むべきです」

「はぁぁ?子供ぉぉ!?」

グイグイと峰子は譲をソファーに向かって押す。

まさか自分が子供扱いされるなんて思っていなかった譲は半ば呆然と、ソファーに押しやられてしまう。


「そして武知さん。さっさと現場に駆けつけてください。一般人は巻き込まないように、安全行動を心がけてください」

武知は玄関に追いやられる。

「禅一さんも無茶はしないように。篠崎さん?裏切り者には死を与えてかまいませんが、必ず安全圏にいてください」

さりげなく物騒なことを言われながら禅一と篠崎も送り出される。

禅一と篠崎がアーシャに声をかけているのを見ながら、一人だけ声をかけられていない五味は、自分にも何か言ってくれるのかと、期待した顔で峰子を見ている。

「…………五味さんは………何かあった時、年少者の生きた壁になってください。期待しています」

小さく首を傾げて峰子が捻り出した言葉は、中々に無慈悲だった。


「いってきます」

「いってきま〜〜〜す」

「ちょ、まっ……」

あれよあれよという間に、譲はソファーに寝かされてしまう。

抵抗しようとしたのだが、峰子の力は意外と強い。

それに上手く力を逃し、相手の動きを封じるすべを理解している。


ジタバタしている間に禅一たちは出発してしまった。

「落ち着いて。お兄さんが心配と思いますが、今は体力を回復させてください。武知さんは口に出した事を反故にできるような人ではありません。言質さえとってしまえばこちらのものです」

「〜〜〜〜〜〜〜〜」

諭すような物言いが反骨心を煽る。


一介の保育士なんかに何がわかるか、とか。

何で危険とわかっている所に乗り込ませるのか、とか。

信頼のおける『目』無しに戦わせるつもりか、とか。

色々な文句がぐらぐらと腹の中で煮えたぎるが、実際かなりの疲労を感じている事や、今の異常事態を食い止められるのは禅一くらいしかいないとか、冷静な判断をしている自分もいて、考えがぐちゃぐちゃになっている。

そこにもっと午前中は力をセーブして動いていれば良かった等の後悔も入り混じって、感情の方向性が定まらない。


そんな自分の感情を飲み下せずにいる譲の視界の隅を、チョロチョロする影がある。

無力で守られることしかできない、いつかの自分を彷彿とさせる弱々しい姿を譲は無視する。

誰かに向かって吐き出したくなる怒りを、今は飲み込む事しかできない。


しかし無力なチビ助は鬱陶しいほどに視界に入ってくる。

「ゆずぅ」

そして遂には声を掛けてくる。

(近づいてきてんじゃねぇ)

誰彼構わず怒鳴りつけて八つ当たりしそうで、譲は小さな呼びかけを無視する。

「ゆずぅ」

不機嫌オーラを漂わせて無視していれば諦めるかと思いきや、子供は空気を読まない。


子供特有の、体温高めで、柔らかくて、少し湿っぽい指が譲の頬をつつく。

「………あぁ?」

譲は精一杯不機嫌に睨み、威嚇するような低い声で応じる。

しかしソファーに、鼻から上を覗かせる緑の目は、数々の異性を蹴散らしてきた譲の視線にも声にも動じない。

「ゆずぅ、の」

それどころか、ニコニコと笑いながら、何かを差し出してくる。


「あぁ?」

差し出された物に視線を向けて、譲は呆気に取られる。

それは先程、ケーキ屋でもらった試食品のクッキーだ。

物凄く嬉しそうに牛乳パックで作った宝箱に飾っていたやつだ。

「ゆずぅ、の」

あんまり大切そうに飾るものだから、流石に食えとは言えなかったクッキーを、彼女は譲の頬にくっつける。


「はぁぁ?」

上半身を起こして確認するが、やっぱり頬に押し付けられたのは、アーシャが大切そうにしていたクッキーだ。

嬉しい?嬉しい?とばかりに緑の目が輝いて譲を見つめる。

そしてぐぐぐっと伸びてきた小さな手の指先が、慰めるように譲の顎を撫でる。

身長がギリギリ過ぎて、撫でるというより顎を叩かれているような状況だが、多分慰めているつもりなのだろう。


急に身体中の力が抜けて、譲はがっくりと頭を下げる。

「はぁぁぁぁぁ〜〜〜〜」

そしてほんの少し前に自分の中を満たしていた、渦巻く苛立ちを吐き出すように、長い長いため息を吐き出す。

(あぁ……もう……)

一体自分は何をやっているんだとため息しか出てこない。

自分が計画した作戦で、何とか成果を出そうと焦って。

禅一が人を信頼し易いから、代わりに自分が警戒しなくてはと、疑心暗鬼になって。

新しい情報を噛み砕いて飲み込んでしまう前に、急転直下で事が起こって、思わぬ方向に話が転がって、何も上手く行かずに苛立って。

(ガキかよ)

自分が一番しっかりしなくてはと、肩に入りきっていた力が抜けていく。


喜ばせたかったのか、慰めたかったのか、もしくはその両方だったのか。

宝物をあっさりと渡してきたチビ助の鼻を譲は摘む。

「んがっ!!」

鼻を摘むと、『元気になった?』とばかりに嬉しそうに譲を見ていた顔が、途端に歪む。

「チビが余計な気を回してんじゃねぇよ」

そう言って鼻を引っ張り回すと、それはひどい顔になる。

篠崎は『ビスクドール』などと言っているが、今の顔は生まれたての猿の子供のようだ。

鼻息荒く短い手を振り回して大暴れする姿は、コミカルですらある。


「ぷはっ!」

あまりに酷い顔に、自分がやったくせに、譲は笑ってしまう。

そして笑いながら渡されたクッキーをアーシャの手に返す。

「???」

返されたアーシャは不思議そうな顔をして、譲を見つめる。

まさか返却されるなどと考えていなかったらしい。

「んんっ」

譲は小さく喉を鳴らして調子を整えてから、口を開く。

「『チビ』『の』」

この言い方しか通じないから仕方ないのだが、禅一の真似をしているようで、妙に面映ゆい。

譲はそれを誤魔化すように、乱暴にアーシャの頭をかき回す。


「ふふ」

静かに譲とアーシャを見守っていた峰子が笑う。

譲が睨むと、彼女は表情を改める。

「失敬。愛らしい兄妹交流に微笑ましくなってしまいました」

そして無表情なのに、どこか柔らかい感情を漂わせながら、彼女はそんな事を言う。

「………………」

譲が憮然としてしまったのは仕方のない事だろう。


「私の予想なんですが。禅一さんにそれほどの危険はないと思っています」

トコトコと歩き出したアーシャを視線で追いながら、峰子は独り言のように呟く。

「近常は私も知っています。『せっかくある力を何故他人のために役立てないのだ』と独善的な主張を掲げて絡んできたので、何回か煮湯を飲ませてみましたが、大した奴じゃありません。禅一さんの敵ではありませんよ」

氣が見えていたり、神の姿を見ていたりと、彼女も規格外な人だ。

一応、彼女なりに譲を安心させようと言ってくれているのは理解できたので、譲は小さく相槌をうつ。

すると彼女は少しだけ口の端を持ち上げて笑う。


「……ただ、正義の執行者ヅラしていた彼女が、禁術に手を出したり、未成年を傷つけたというのは不可解です」

そう呟いた、玄関で何やら騒いでいるアーシャのもとに歩き出した彼女の表情を、譲は確かめる事ができなかった。


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