24.関係者、会談する(前)

『あの……その……今日、アーシャちゃんが退園した後に、俺、あそこの保育園の保育士さんに捕まえられてしまって……』

電話の先の五味は半泣きだった。

『あの……俺が、昨日から保育園に張り付いていた事に気がついていたみたいで……俺、不審者の疑いをかけられて……きちんと説明したんですが、納得してくれなくて……禅一さんと一緒の場で確認したいと言われてまして……』

感知能力が高い故に園から少し離れて見守っているはずの五味を見つけけられる保育士。

現役の警察官を捕まえられる身体能力を持った保育士。

国家権力からの説明を受けても容易に納得しないであろう保育士。

(………乾先生か………)

そんな保育士は禅一が知る限り、たった一人だけだ。


泣きの入った五味から申し込まれた面談を、禅一は断らなかった。

ついでだからと、渋る譲を説得して、武知も連れてきてもらって、そちら側とも情報交換ができるように手配をした。

(これで暗中模索状態から抜けられるかもしれん)

高次元災害対策警備会社から出された、実際の状態とかけ離れた情報は、組織全体で正しいと認識されている物なのか。

市内にこれだけ穢れが発生している中、分家のみ無風状態の安全圏になっている状態を、組織として認識しているのか。

そして分家の周りにだけ、恐ろしく強力な穢れが発生している事を認知しているのか。

今の組織の状態はどうなっているのか。

これらをまとめて確認できる。

一般人に捕まるなんて、五味の評価は散々になってしまっただろうが、ちょうど良い機会をもらった。


譲は他人を信頼しすぎるな、疑ってかかれとの姿勢だが、今はあまりにも情報も足がかりもなさすぎる。

全てに全幅の信頼を持てとは言わないが、少なくとも武知は信じて良いと禅一は感じている。

彼は公僕として、おおやけの利益を守らなくてはいけない立場だが、彼を禅一たちに引き合わせたのは、他でもない乾医師だ。

親密な関係ではないが、彼女はアーシャの秘密を守り、禅一を守るために矢面に立ってくれた。

会った回数こそは少ないが、信頼できると感じている。

彼女が害を及ぼす存在と禅一を引き合わせたとは、とても考えられない。

だからこそアーシャの日中の警備を武知たちに任せているのだ。


『疑心暗鬼になりすぎて自ら敵を作りすぎたら動けなくなる。俺は少なくとも乾医師を信頼している』

譲は大いに嫌がったがが、最終的には禅一のその一言で、渋々情報交換を認めた。

彼もまた乾医師は信頼しているのだろう。

ブツブツと文句を言いながらだが、話し合い易いように、手持ちの地図をコピーしたりして、話し合いへの準備をしていた。

ソファーでぐっすりと眠り込んでいる篠崎は、目覚めそうに無いので、気休め的に耳の両側にタオルを入れて、放置することになった。

途中で起きたら帰らせれば良いし、万が一何か聞かれたとしても、篠崎は『可愛い』を追い求める以外には興味を持たない奴なので安全だ。


禅一が昼に使った食器を洗い、来客用に家を掃除し、出せるような茶菓子が無いかと探しているうちに、玄関のチャイムが鳴った。

「早いな」

問題の保育士は十五時退勤なので、その後、合流してから来るとの話だったが、時計を見ればまだ十五時過ぎて十分も経っていない。

早すぎる到着だ。


「ど……どうも〜〜〜」

玄関を開ければ、手土産らしい包みをしょんぼりとした顔で持っている五味と、何かを悟り切った顔の武知、そして二人を従えるかのような立ち位置に、予想通りの峰子が立っていた。

「えっと……乾先生……その姿は……?」

人物は予想通りだったのだが、その装いは予想外だった。


真っ黒なスキニージーンズに、真っ黒なパーカー。

ここまでは蜂に襲われたら大惨事になりそうな黒づくめだなとしか思わないのだが、峰子は何故かフードを深く被り、首元の紐を引き絞って、顔しか見えない、全身黒タイツのような姿になっている。

真っ黒なシルエットの中に、真っ白な顔が埋もれている姿ははっきり言って不気味だ。

その顔が造形的に優れているだけに、真顔での擬似全身黒タイツは、愉快とはかけ離れた、次元の裂け目から唐突に現れた非現実的な生物のように感じる。


「フードのまま失礼。隠密行動中です」

「はぁ、隠密、ですか」

確かに忍者に見えなくもないスタイルだ。

「保育士という公平を期すべき立場で、私的に一園児のご家庭を訪問するのは問題かと思いましたので。内密に行動しようかと」

真剣な顔で言い切る峰子に、その姿、返って目立っていますよとツッコむ勇気を、禅一は持ち合わせていなかった。


「今日はお時間ありがとうございます。園児が関わる事ですので、双方のご意見を聞きながら色々と確認させていただければと考えております」

峰子は全身黒タイツの類似品の姿のまま、生真面目に一礼する。

「申し訳ないです、禅一さん。乾のお嬢さんは中々頑固で……我々の説明だけではどうしても納得してくれなくて」

その斜め後ろで、武知は少し疲れた表情で頭を下げる。

峰子は武知の言葉など全く聞こえませんという顔で、斜め上の空間を無表情に眺めている。

「いいえ。俺たちも色々と行き詰まっていて。ちょうど良い機会でした。中へどうぞ」

そういえば武知は峰子先生と顔見知りだったなと思いながら、禅一は三人を中に導く。


「あの、禅一さん、これ、つまらないものですが!」

一礼しながら武知と峰子が家に上がり、最後の五味が表彰状を受け取るかのようなポーズで、手に持っていたビニール袋を差し出す。

「ありがとうございます。丁度、皆さんに出すお茶菓子がなくて困っていたんで、助かります」

そう言って禅一が受け取ると、五味は嬉しそうに笑う。

「これ、商店街入り口の船木さんの豆大福なんです!美味しいんですよ〜」

そんな五味に、部屋に上がって靴を揃えていた峰子が、刺すような視線を向ける。

「……小さなお子さんがいるご家庭に大福……」

「ひぃっ」

その視線だけで五味は縮み上がる。


「まぁ……縁遠そうな方ですから、そこまでの配慮を求めるのは酷ですね」

少し気の毒そうな顔でそう言ってから、峰子はシュッとフードの縛り口を解放する。

全身黒タイツ状態から、黒づくめの綺麗なお姉さんに早変わりだ。

峰子の髪は真っ黒なので、配色的にはそのままなのだが、やはりフードと髪では違う。

「な……なんか面と向かって文句言われるより悲しい対応をされているような……!?」

五味は意味がわからないなりにショックを受けている。


「五味君……通常、手土産で賞味期限が短い生菓子はNGだよ。あと、老人と小さいお子さんがいる家庭に餅は持っていかない事。……それから、君があそこの豆大福が大好きな事は知っているが、贈答品としては向かないから、以後、慎むように」

「え、でも、これ差し入れでも大人気で……」

「差し入れと手土産は違うからね。一パック五百円の品は……」

「今回は奮発して三パック買ってきましたよ!」

「五・味・君!」

天然なのか方向違いのことばかり口走る五味を、武知はアイアンクローで黙らせる。

意外と教育的指導が実力行使系だ。


「すみません。アーシャがまだお昼寝中なので、できるだけ静かにお願いします」

禅一は慌てて注意をする。

「あら、アーシャちゃんはまだお昼寝を?」

「はい。保育園に行くと疲れるみたいで、ぐっすり寝ていて」

峰子はフムと大きく頷く。

「疲れている場合は仕方ないと思いますが、お昼寝は二時半くらいまでに切り上げたほうが、夜の睡眠に影響が出ませんよ。二時半を超える時は、優しく声をかけてあげてくださいね」

警察官を捕まえたり、全身黒タイツだったりと、常識から逸脱したような峰子だが、アドバイスは至極真っ当だ。


「お邪魔します」

「どうぞ」

居間で待っていた譲に峰子が頭を下げ、譲は峰子の座る椅子を示す。

「武知さんと五味さんはこっちへ……禅も卓につけ」

教育的指導を受けて涙目の五味と、深々と頭を下げる武知も椅子に座らせ、禅にも椅子を勧める。

譲は外から話し合いを見るつもりのようで、台所に向かってお茶を淹れ始める。

部外者である峰子が去るまで具体的な話にならないと見ての事だろう。


「この度は突然の訪問すみません。母からお子さんが入って来るから守ってやれと言われた事と、お二方の苗字から大体の察しはついていたのですが、色々と確認をさせていただきたく」

峰子は美しいお辞儀をする。

相変わらず体に芯が入っているような、所作の美しさだ。

「乾医師からは何も聞いていなかったんですね」

意外に思いつつ、手で座ってくださいと示しつつ、禅一も席に着く。

「母は職務に忠実ですから。患者の事は家族にすら漏らしません。お二人にうちの保育園を紹介した事と、アーシャちゃんが全く日本語が話せない事、そして守れとしか言われませんでした」

美しいが近づく虫を棘で退ける黒薔薇の如き空気を持った峰子と、病院という王国を治める椿の如き空気の乾医師が、一緒にいる空間はどうも想像できない。

一体二人は家庭内でどんな会話を交わしているのだろうと、禅一は詮無いことを考えてしまう。


「先生は『藤護』の事は?」

「存じております。うちの祖父は小さい頃から、隙あれば共に藤護の地を守ろうと布教してくる厄介な藤護オタクなので、色々と聞かされています」

実の祖父にも容赦のない物言いだ。

「あれ……確かお祖父さんは外と連携するべきだと主張して、村八分で追い出されたのでは……」

禅一が首を傾げると、峰子は斜め上の虚空を見つめる。

「殴っても蹴っても食らいついていく、無駄な行動力に溢れた、暴走機関車のような人ですので、追放されたくらいでは……。村で処分されかけて体に不自由が残ろうと、村の老害から蛇蝎だかつの如く嫌われて、村の周りに祖父避けの結界まで張られようと、『命を懸けて村の子どもたちの未来を守る』と、今だに暑苦しく活動を続けています」

はぁ〜〜〜っと吐き出された、ため息の長さが、峰子の祖父に対する感情が、どのようなものであるかを表している。


「いや、乾師範は偉大な方ですよ!政府と藤護を取り持ち、分家たちを説き伏せて人材の育成に務め、教育の大切さを先代当主様に説いて、村の子どもたちに教育の機会を与えたのは師範です」

武知がとりなすようにそう言うが、峰子の目に光は戻ってこない。

「尊敬はしていますが………まぁ、行動力に溢れすぎた藤護オタクの話は置いておきましょう。今回重要なのはアーシャちゃんの事です」

そして興味なさげに逸れそうになった話を元に戻す。

色々と偉業を成し遂げている凄いお祖父さんなのに、孫から見ると、ただの『藤護オタク』でしかないらしい。


「『藤護』が後見についた子に、手を出す輩は居ないはずなのに、うちの母がわざわざ『守れ』と言ったのが妙に気になっていまして……とっても素直で、笑顔がキュートで、人懐こく、心優しく、とても元気なアーシャちゃんを『藤護』と敵対してでも害したい人間など存在するのだろうかと最初は悩みました」

アーシャを形容する言葉が多すぎて、一瞬冗談を言い出したのだろうかと思ったが、峰子は真剣そのものの顔だ。

「しかし今日、アーシャちゃんの歌を聞いて、この力を狙う下種ゲスがいるのだと理解したんです」

全く気負った様子もなく、あまりに自然に『歌』に関する話を切り出されたので、思わず禅一は小さく息を呑んでしまった。


「歌?」

武知は報告を聞いていないぞとばかりに、五味に視線を向ける。

「あの……俺、その時丁度裏手にいて……氣が動いたわけじゃないんですけど、何か温かいものが満ちて……慌てて見える所まで移動したら、例の御神木が生気を取り戻していて……すみません。目を離したわけじゃないんですけど……アーシャちゃんが何かしたって確信が持てなくて……」

「……離れるべきじゃなかったな……」

モタモタと気まずそうに報告する五味に、武知は頭を抱える。


峰子はそんな武知や、禅一たちの反応を見て、少し考える仕草をする。

「……失礼。あの歌を聞いた後に、彼を捕まえたら『警護に当たっている』との事でしたので、彼女のこの力を狙う輩がいて、それを公安とお兄さん方が守っているのだと思い込んでいました。ここで昼のことをお話しするべきではありませんでしたか?」

大祓の時に皆の前で披露した以外の、アーシャの力はできれば内密にしておきたかった。

しかし峰子と五味が現場にいた以上、隠し通すのは難しいだろう。


『どうする?』

『仕方ないだろ』

禅一と譲は短く視線で問答し、譲が諦めたように肩を上下させる。

「まずは保育園で何があったのか話してもらえます?」

譲は全員にお茶を出しながら、峰子に話を振る。

目を離した間、アーシャが何をしたか、禅一と譲は予想をしただけで、正確にはわかっていないのだ。


峰子は大きく頷く。

「うちの保育園には、古くから人々に大切に祀られ、地下を流れる龍脈の力を吸い上げた事により、神格を得た御神木があります。とても子供好きな方で、お名前を桜さんと言います」

うんうんと頷きながら話を聞き始めた禅一だったが、後半から頭の中に『?』マークが現れる。

龍脈とは氣が特に多く流れる、大地の血管のようなもので、これが噴き出す場所には大いなる繁栄がもたらされることから、社が建てられ、祀られることが多い。

そこに木が生えたなら、それが御神木として崇められても不思議ではない。

「えっと……桜の御神木の、桜さん……ですか?」

しかし突然桜の木を人間のように語られる意味がわからない。


「はい。小さい頃にお名前を聞いたら『桜』だと答えられましたので」

何と聞いたら良いのかわからずに発した禅一の質問に、峰子はハキハキと答える。

「………あっと……木と話ができる感じですか?」

『桜』は個人名じゃなくて種類名を答えられたんじゃないだろうかとか、色々突っ込みたいところを抑えて、まずは木が喋るという謎を解き明かさなかくてはならない。

「はい。子供の頃ははっきりと姿を見て、声も聞けました。……七歳を超えてからは朧げに見えるくらいで、声はもう聞こえませんが。でも何となく気持ちは気配でわかります」

「姿……ですか?」

「ええ。素晴らしい鋼の肉体を持った、元気なお婆様です」

「桜の木が……マッチョのお婆ちゃん……?」

しかし話せば話すほど迷宮に迷い込んでいくようだ。


「禅、全く見えないから理解できないと思うが、神格を得ると植物や物品も姿や意思を持ったりするんだ。特に、自然発生したものじゃなくて、人に祀られて顕現すると、人間に近い姿を取ったり、喋ったりする」

譲の説明を受けても、禅一の頭の中には、女性物の着物を着て白髪を生やした桜の木が、陽気にサイドチェストを決める姿しか浮かばない。

「あ、変な事を考えるなよ。木が人間に化けるんじゃなくて、木とリンクした幽霊みたいなものが出てくると思え」

「ナルホド」

伊達に十九年一緒にいない。

禅一の思考回路を読み取ったように、譲は的確なフォローを入れる。


「元々去年の春を終えたくらいから、桜さんは元気がなくなってきて、鋼のボディもすっかり萎んできていたのですが、お正月を終えて見てみたら、気配がほぼ感じられないほど希薄になっていまして。これでは桜さんが消えてしまうと危惧していた所、今日の朝に気配がほぼ感じ取れなくなってしまったのです」

峰子は表情の変化は少ないが、何となく沈んでいるのだろうと言うことは、感じ取れる。

「何か手を打たなくてはと思っていたら、アーシャちゃんが突然桜さんの前で歌い出して……歌っている間に、ぐんぐんと桜さんの気配が元通りになって。あっという間に漲った姿を取り戻したんです」

やはり表情変化は少ないが、声の感じで、とても喜んでいることが伝わってくる。


「彼女の中からは、通常の氣とは異なる、暖かな力を感じました。神霊を癒す力……そんな力、聞いたことがありませんから、これを良からぬ輩に知られれば危ない、と感じました。……なので、弱っちそうですし、こちらに害意がなさそうだったので放置していた輩も警戒した方が良いと思って、そちらの方を捕まえた次第です」

自分が買ってきた豆大福に手を伸ばしていた五味は、『弱っちい』との評価に肩を落とす。

「武知さんは旧知ですし、信じたい所ではあるんですが……どうも最近キナ臭くて」

峰子の目が少し細くなり、その眼光の鋭さが増す。


鋭い視線に晒された武知は小さく首を傾げるだけだが、豆大福のパックを開けていた五味は縮み上がる。

「先ほども言いましたが、我らは藤護の要請によりアーシャさんを守っているんです。藤護の味方であり、間違ってもアーシャさんを害するようなことはしません。そうですよね?禅一さん」

そう言って武知は禅一の顔を見る。

禅一は峰子に頷いて見せる。


しかし峰子の視線は緩むことはない。

「藤護の要請で警護についていることは理解しました。……あの歌が関係ないのなら藤護が何故アーシャちゃんの警護依頼を出したのか、私にはわかりませんが……私が聞きたいのは、その先です」

「先?」

「ええ。あなた方はどの『ふじもり』の命令を優先するかと言うことです」

それどころか、視線を逸らす事を許さないとばかりに、その目は強さを増している。

「どの、とは?」

「アーシャちゃんの保護者であるお兄さんたち『藤護』、現当主である『藤護』、当主の縁戚となった事により『藤護』を名乗る最上たち。そして村の外で活動する『藤守』。あなた方はどの『ふじもり』の味方ですか?」

峰子の質問に、場の空気は鋭く凍りついたかのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る