23.聖女、プティングをいただく

誰かが話し合っている。

アーシャは意識が浮上するとともに、複数人の声を認識した。

「ん……」

目を開けたアーシャはペタペタと自分の周囲を触って探る。

「…………?」

無意識の動作だったので、自分でも何をしているのか疑問に思ったが、しばらく探してゼンもゼンのぬけがらも無かったことに落胆している自分に気がついた。

「……ぜん……」

呼んでも応える声はない。

途端に心細くなって、アーシャはまだ閉まりそうな目を擦りながら、ベッドから後ろ向きに下りる。


小さく開かれているドアからは複数人の話し声がする。

(知らない人の声が沢山……)

階段前につけられた木の柵はアーシャでは開けられない。

下に降りたければゼンを呼ぶしかないのだが、何やらボソボソと低い声で真剣な話し合いをしている気配に、アーシャはゼンを呼んで良いのか迷う。

「アーシャ?」

すると階段の下に、ひょこっとゼンが顔を出した。

「ゼン……!」

瞬間、心細さが消えてアーシャは嬉しくなってしまう。

身軽に柵を飛び越え、迎えにきてくれたゼンに両手を伸ばすと、当然のように抱き上げてくれる。


「アーシャちゃん」

下に降りた途端に呼ばれて、アーシャは目を丸くする。

「みにぇこしぇんしぇい!」

社交場でしか会ったことがないミネコセンセイが家にいるので驚いてしまった。

ついでに座っていた椅子から流れる水のように距離を詰めてきたミネコセンセイの動きにも驚く。

「お・じゃ・ま・して・い・ます」

頭を高速で撫でるミネコセンセイをアーシャは見上げる。

「おじゃま……しちぇ……むしゅ?」

挨拶をしてくれたことは何となくわかるのだが、少し難しくて、上手く返すことができなかった。

誤魔化してしまえとばかりに、ミネコセンセイに笑いかけたら、彼女は力強くアーシャを抱きしめる。


「………?」

力強いミネコセンセイを抱きしめ返してから、来客は彼女だけではないと言うことにアーシャは気がつく。

白髪混じりの黒髪を後ろに撫で付けた、老人というにはあまりにも若々しい体つきの男性と、波打つ黒髪で、ひょろっと長細い、頼りなさそうな顔つきの青年だ。

寝起きの子供が入ってきただけなのに、彼らは姿勢を正してアーシャに対面する。

「た・け・ち、です」

白髪混じりの頭が深々と下される。

「チャケ……タチェ……チャケチ。アーシャ」

何回か言い直したが、結局彼の名前を正確に発音できなかった。

アーシャもタケチに倣って、頭を下げ返す。

するとタケチは好々爺のような笑顔になる。

神の国の挨拶は、基本的に相手と同じことを返せば良いのだと、最近アーシャは学習してきた。


「ご・ご・み、です」

タケチと笑い合っていたら、少し性急なタイミングで、ひょろっとした青年が頭を下げる。

「ゴゴミ。アーシャ」

アーシャが頭を下げると、青年は慌てたように、手をブンブンと振る。

「あっ、ごみ!ごみ!ご・み・です!」

どうやら名前を訂正しているようだ。

「ゴミ?」

「はい!」

聞き直すと、大きく何度も彼は頷く。

「ゴミ、アーシャ」

「あっ、はい!」

アーシャが頭を下げなおすと、何故か彼も一緒に頭を下げる。


卓にはアーシャの椅子を入れて四つの椅子があり、タケチとゴミは隣同士で座り、アーシャの隣の、いつもはゼンが座る椅子にミネコセンセイが座っている。

アーシャの椅子を入れる代わりに、卓の外側に避けられた椅子にゼンが座り、ソファーの背もたれ部分にユズルが体を預けている。


(物凄い人口密度)

そんなことを思いながら椅子に座ったアーシャの目の前には『むぎちゃ』が置かれる。

(ミネコセンセイたちは、あの匂いの良いお茶だわ)

アーシャは『むぎちゃ』の香ばしさも好きなのだが、黄色のお茶の爽やかさも好きだ。

「は〜〜〜」

寝起きから美味しいお茶を提供してもらえる幸せを噛み締めながら、アーシャは『むぎちゃ』を飲む。


大人たちは何やら真剣な顔で、話し合いを再開する。

(戦略会議?)

ゼンとユズルが使っていた地図を指差したりして何かを話し合っていて、雰囲気的にはそれに似ている。

「?」

アーシャは真剣な話し合いを聞きながら、ふと、妙な物を卓の上に見つける。


見た目は白い石に似ている。

その白い石は、麦を挽いた粉より更に細かく真っ白な粉を纏っている。

何が奇妙かと言えば、その白い石の中に黒くて丸い小さな石が入っているようで、所々から唐突にポコポコ飛び出していて透けて見えているのだ。

(変な形の石)

何故石を食事を摂る卓の上にのせているのだろうと不思議に思っていたら、アーシャの目の前に座っているゴミが、その石をおもむろに握った。


「!」

石かと思っていたら、かなり柔らかい様子で、彼の手の形にぐにゃりと形を変える。

ゴミは皆の話をうんうんと頷きながら聞きながらも、嬉しそうに、柔らかな石にかぶりつく。

柔らかいらしく、あっさりと石はゴミの歯を受け入れる。

「!!!?」

そこでアーシャは自分の目を疑った。

歯を受け入れたかに見えた白い石は、噛み切られる事なく、みよんと伸びたのだ。

物凄い弾力だ。

一見固体なのに蕩けたチーズ並みに伸びる。


ゴミは美味しそうにモッチャモッチャと白い石を噛む。

みよんと伸びてから切れた石は、中に真っ黒な塊が入っている。

どうやら表面だけ白い皮をつけているが、本体は黒いらしい。

(表面に出てた黒い粒は、本体の黒いのが時々外に飛び出していたのかしら)

アーシャは考えつつ、石の断面を良く観察する。


中身は真っ黒で、およそ食べ物の色ではない。

泥に水を加えて練ったような形状といい、とても美味しそうではない。

「ん〜〜〜」

しかし石を食べているゴミは幸せそのものの顔で、黄色いお茶を飲む。

(物凄く美味しそうに食べてるわ……)

ゴクっとアーシャの喉が鳴る。

神の国の黒は美味である。

それはこれまでの経験で培った真実だ。

生まれた国の感覚のままでは、美味しいものを逃してしまう。


白い石に似た物はまだ沢山ある。

お願いしたら、一つもらえるのではないか。

そう思って白い石を見つめていたアーシャの視線を、細くて長い、美しい手が遮る。

「みにぇこしぇんしぇ?」

手の主をアーシャが見上げると、眉を下げた、少し困った顔で微笑まれた。

「???」

そして何故かギュッと抱きしめられる。

ミネコセンセイの髪からは凄く良い匂いが漂ってくる。


「あ……?」

謎の抱擁から解放された時には、卓の上から白い石がなくなっていた。

たった一瞬のうちに消えたのが不思議で、先程まで美味しそうに食べていたゴミを見てみると、露骨に顔を背けられてしまった。

「?」

あんまり美味しいから、ゴミが丸呑みにしたのだろうか。

しかし結構量があったのに、そんな事ができるだろうか。


「アーシャ」

なくなった白い石の行き先に思いを馳せていたら、ゼンがニコニコと笑いながら、アーシャの目の前に、豪華な器を置いてくれる。

「あ!」

寝る前にゼンが『アーシャの』にしてくれたやつだ。


透明の硝子にみっちりと詰まったプティング。

その上を美しく彩るオレンジと、それによく似た色のつるんとした果物、大粒でいかにも美味しそうなベリー。

鮮やかな果物たちにに囲まれ、泡立てたミルクの台座の上に飾り付けられた、茎まで赤い、ド派手なチェリー。

そして一際目立つ、器から飛び出し、空にかかる虹のように飾り付けられた緑色の果実。

アーシャの手の平くらいの空間は、完璧に調和の取れた美が展開されている。

果物たちはいかにも瑞々しくキラキラと輝いていて、そのあまりの綺麗さに思わずため息が出でしまう。


アーシャはゼンからスプーンを受け取り、大喜びで構える。

「あっ……」

しかし掬ったベリーを口に入れる直前に、周囲の視線に気がつく。

皆がじっとアーシャを見つめていたのだ。

アーシャは一人だけ豪華な宝石箱を食べようとしていた現状に焦る。

「あっ、あっ、あ〜ん?」

そして一際熱視線を向けてきていたミネコセンセイにスプーンを向ける。


ミネコセンセイは少し驚いたように目を見開いてから、

「くはっぁぁあああぁぁぁぁぁ」

と突如顔を覆いながら叫び始める。

「み、みにぇこしぇんしぇい!?」

アーシャは自分が差し出したスプーンとミネコセンセイを何度も見直す。

何か神の国のタブーに触れる行動をとってしまったのだろうか。

焦ってオロオロとしたが、三秒も待たず、ミネコセンセイは顔を覆っていた手を離し、姿勢を正す。

晒された顔は元の冷静な表情に戻っており、少し、いや、かなり紅潮していることを除けば、いつものミネコセンセイだ。


「鎚吃。斯常辺慮ました」

ミネコセンセイは軽く頭を下げた後、激しくアーシャの頭を撫でまくる。

「???????」

アーシャは一連の行動の意味が全く理解できずに、スプーンを持ったまま固まることしかできない。

「アーシャ、あ〜ん」

そんな固まったアーシャの手をとって、スプーンを口に運んでくれるのはゼンだ。


「んんんっ!」

ほんのり甘くて酸っぱいベリーが弾け、その後をベリーにくっついていたミルクのクリームが甘やかに覆う。

果物の酸味がミルクのクリームに包まれる感覚にアーシャは身を震わせる。

「おいしー?」

ゼンが笑って尋ねる。

「おいしー!」

アーシャは大きく頷いた。


そんなやりとりを微笑ましそうに見守ってくれている、周りの大人たちの前に、先ほどの白い食べ物を、小さなお皿にのせて、ゼンが配る。

どうやら真ん中に置くのではなく、一人一人に配る形に変更するために、一度下げたようだ。

「いただきます」

ミネコセンセイがニコリと唇に曲線を描かせて、白い物を掲げるようにして食べ始める。

「いただきます」

「あ、あ……いただぃ……てぃます……」

タケチも同じように、笑いながら白い物を掲げるようにして食べ始め、先程から白い物を食べていたゴミは恥ずかしそうに微笑む。


(成る程……!私にはこれがあったから止められたのね)

こんな豪華な食べ物があるのに、他のもので胃を満たしたら、もったいないとのことだったのだろう。

アーシャはウンウンと納得して、次はオレンジをすくう。

「んふゅっ」

オレンジは思ったよりも酸味が少なく、甘味が強い。

溢れ出した果汁が、甘いクリームを溶かし、爽やかな甘さを口中に広げてくれる。


(これは何だろ?)

次なる果物をすくって、アーシャはしみじみと見つめる。

色はオレンジに似ているのだが、オレンジのような小さな房の集合体ではなく、大きな果物から切り出された果肉のように見える。

緩やかに円を描く形なので、きっと丸い果物の一部なのだろうと予想がつくが、それ以上はよくわからない。

以前ゼンが出してくれた、砂糖で煮た林檎に少し似ているなと思うくらいだ。

「!!!」

林檎を想像しながら口の中に入れると、まずその歯応えに驚いた。

プリプリとした、林檎より強い弾力、しかしながら噛むとジャクッと心地よい感触と共に割ける。

そして酸味の一切ない、濃い甘味が口の中に広がる。

果物というより、砂糖菓子のようだ。

繊維を感じるのに、繊維は弾力の気持ち良さだけを残し、噛むたびに歯に心地よい感触を与えて、小さくなっていく。

甘いクリームと相まって、至福の味だ。


謎の果実を感動しながら飲み下し、アーシャは器の中の次なる獲物を見定める。

最高級の台座を与えられたチェリーか、器から豪快にはみ出る緑の虹か。

(チェリーはいかにも最後のとっておき!って感じだもんね)

そう思って、アーシャは緑の果物をスプーンで半分にしてから掬う。

「んんんふっ!!!」

そして口の中に運んで、目を見開いた。

スプーンであっさり切れたから、柔らかいであろうことは予想がついていた。

しかしこれほど柔らかいとは思わなかった。

一噛みしただけで、蕩けるように潰れて、口中に濃厚な甘みが広がる。

そのとんでもない甘さを何と形容したら良いのかわからない。

砂糖とは異次元の、砂糖よりも脳を刺激する、とんでもない甘み。

果肉が存在していたなんて信じられないほど、あっという間に果汁だけになって口中に溢れる。


あまりの美味しさに、アーシャは両顎を押さえて震え上がる。

「め・ろ・ん」

隣のミネコセンセイが、器に残っている緑の果実を指差して教えてくれる。

「めおん……!!」

アーシャはこの恐ろしく美味しい果物の名前を心に刻む。

(『めろん』、『めろん』。覚えたわ!!神の国の果物は……何故こんなにも美味しいの!?土壌が違うの!?水!?)

それから残り半分を感動しながら頬張る。


(なんて豪華な一皿なの……!!)

こんなに素晴らしい物をアーシャだけが食べる事に罪悪感すら覚えるが、他の者たちは、ニコニコと微笑み合いながら、白い物を食べている。

(申し訳ない……でも美味しい!!)

アーシャのスプーンは止まらない。

茎まで真っ赤に染まっているチェリーを摘み上げ、台座のクリームごと頬張る。

「ん〜〜〜」

先程の『めろん』ほどの衝撃はない。

しかしとても甘やかで身も柔らかい。


「アーシャちゃん、ぺっ」

真っ赤な茎と、口の中に残った小さな種をどうしようかなと思っていたアーシャの目の前に、白い布が差し出される。

「ぺっ」

ミネコセンセイはアーシャの唇から布に向かって、種を吐き出しなさいというように、指を差す。

布があるとはいえ人の手に、吐き出すのは気が引けてアーシャは迷ったが、グイグイと布を寄せられるので、おずおずと口の中の種をその上に出す。

「よく、できました」

するとミネコセンセイは目を細めて、アーシャが持っていた赤い茎も引き取って、白い布の中に包む。

そしてアーシャの癖っ毛を手で梳かすように撫でてくれる。

果物がなくなって、ミルクを泡立てたクリームだけが盛られたプティングに、アーシャはついに取り掛かる。

「わぁ〜」

スプーンは少しの力でプティングに飲み込まれていく。

アーシャの思っていたプティングの数倍柔らかい。

しかもスプーンが滑った断面は美しく、穴一つ、塊一つない、均一な黄色い壁になっていく。


一体味はどんな物だろうと、どきどきしながら口の中に入れると、何とも甘やかな香りが鼻に抜ける。

そして歯で噛む必要など全くない、まったりとした生地が、舌をあっという間に覆う。

プティングに似た外見だが、内部には硬くなった所や空気の穴など一切ない。

一体どうやって作ったのか、生地には一切偏りがなく、全てが均一に甘やかで、トロトロなのだ。

「ほへぁ〜〜〜」

飲み込むと喉までトロトロと生地が流れる。

玉子の味はするのに、玉子の存在を感じさせない香りも、本当に火が入っているのだろうかと疑う程柔らかく、まったりとした生地も、どこを掬っても偏りのない完璧さで、これだけで芸術品だ。


アーシャは夢中で次の一口、次の一口と甘いプティングを口に放り込む。

「!?」

すると底に近づいた時、真っ黒な液体が現れた。

ほぼ白に近い、柔らかな黄色に染み入る、真っ黒な液体。

アーシャのスプーンは一度止まったが、恐る恐るその液体と一緒にプティングをすくう。

なんだかんだ言っても、神の国のものなので、きっと甘くて美味しいに違いない。

(苦い!?)

そう油断して口の中に放り込んだ、アーシャの舌が感じたのは苦味だった。


苦味を感じてから三秒ほど固まったアーシャだったが、その口の中では変化が起こっていた。

(いや、香ばしい!?)

苦いと思った液体がプティングと共に口の中に広がっていくと、何とも言えない香ばしさを醸し始めたのだ。

アーシャは口をゆっくりと動かして確認する。

(苦い……確かに苦い……でも香ばしい)

黒い液体は単体だと苦味の方が強い。

しかしプティングと混ざることで、何とも言えない香ばしさとともに、味を引き締めてくれる。


(苦い……でも、香ばしい!!)

一口二口三口と食べ進めると、食べ方がわかってきた。

この黒い液体は単体で味わうのではなく、プティングと共に味わうことによって、最後の味を引き締めてくれているのだ。

ここまで甘い果実とプティングで、甘味天国と化していた口の中に、香ばしさが広がり、何となくスッキリする。

(甘いままで終わっても全然良いけど……これはこれで美味しい……?)

あまり苦味が得意ではないアーシャなので完全には理解できないが、『ここで甘味は終わりだ』と宣言されているようで、これはこれで良い気がする。



そんな事を考えながら、アーシャが最後の一口をスプーンに集めている時の事だった。

何とも不思議な音が食卓に流れた。

金属の音のようで、金属ではあり得ない柔らかさのある音が、せわしなく大きくなったり小さくなったりする。

「おっと……儀些」

すると慌てたようにタケチが立ち上がり、金属板を手に部屋の隅に向かう。

「……………?」

そして何故か部屋の隅で、金属板に向けて独り言を始めてしまった。

最初はボソボソと、それから徐々に独り言とは言えないような音量で、話し始める。


突然の奇行にアーシャは不安を感じたが、大きくて温かな手が、アーシャの背中を撫でる。

「……ゼン……」

見上げると、ゼンはいつものお日様のような顔で笑っている。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

その笑顔に安心して、アーシャは最後の一口を口の中に入れた。


甘やかだったプティングは微かな苦味を口の中に残して溶けた。


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