22.長兄、子守唄を聞く(前)
『起きてるか』
『ずっと起きてるよ〜
帰ってきた?
鬼良いデザインができたから見に来て』
『昨日の礼に昼飯食いに来ないか』
『無理。今外に出れる感じじゃない
お肌が砂漠気味で目の下に大きなクマがコンニチワしちゃってんの』
『ケーキもあるぞ。どれが良いかわからんから選びに来てほしい』
『ケーキ!!
おけまる〜〜〜
お風呂入ってスキンケアしたら行く!!』
『スキンケア
要るのかソレ』
『水分入れないとお肌がアーメンする』
『肌のこと考えるなら徹夜するなよ』
メッセージのやりとりを終えた禅一は、スマホを置いて、ため息を吐いた。
ピーマンのワタを抜いて、玉ねぎを切って、ウィンナーをスライスする。
(ビタミンD、ビタミンD……)
小児科医に摂らせたほうが良いとアドバイスを受けたので、普段は入れないエリンギもスライスして投入する。
野菜を入れる順番は適当だ。
塩胡椒で適当に炒めた具材に、チューブのニンニクを控え目に入れ、隣の鍋で茹で上がったスパゲティを、フライパンに放り込む。
箸で移動させるのだから良いだろうと、湯切りも適当だ。
それからケチャップを適量投下して、混ぜれば出来上がりだ。
これからたっぷり糖分を取ることを考えて、アーシャの皿は具材の方を多めに盛って、後の男どもの皿には適当に三等分して盛る。
「アーシャちゃぁぁぁぁぁん!!」
簡単な昼食を皿に盛り終わった頃に、先程メッセージを送った、二つ隣の住人はノックもせずに部屋に入ってきた。
「おあぁぁぁぁああ……あ、ユッキー?」
玄関の上り口に座っていたアーシャは、唐突に抱き上げられて、手足をバタつかせていたが、すぐに篠崎に気がついてプランとその身を任せる。
そのチマチマとした動きは、何となくハムスターを連想させる。
「今日も可愛過ぎない?控えめに言ってまじエンジェル!もっと可愛くする道具を持ってきたよぉぉぉ!!」
眠っていない篠崎のテンションは酷い。
何故かアーシャを頭上に掲げて回転を始める。
無駄にフワモコしたルームウェアと、乾きたての髪を緩く三つ編みにしている姿は、どこかの女子高生の湯上り姿のようだが、内部は無駄な力を持て余した男子学生だ。
このまま放置していたら、高速回転によりアーシャの足が浮き上がって、周りにぶつかってしまう。
「やめんか」
禅一はアーシャを回収して、篠崎の顔面を掴んで、回転を止める。
「あ!ちょっ!止めろ!禅の手に俺の高級保湿液が吸い込まれる!!」
「人ん家の玄関で高速回転するな。必要なら洗面所に馬油があるから、塗ってこい」
「俺の高級保湿液と、お前ん家の去年からありそうな馬油を一緒にしないで欲しいんですけど!!」
「夏は冷蔵庫に入れてたから大丈夫だ」
物には消費期限ってものがあるんだとか、自分の保湿液の値段をいくらだと思っているとか、文句を続ける篠崎を無視し、禅一はアーシャを床に下ろして、玄関ドアを閉じる。
文句を言いつつ上がってきた篠崎だったが、すぐに上機嫌に戻って、アーシャに絡みに行く。
膝の上にアーシャをのせて、スケッチブックを破り取ったと思われる画用紙を見せて、楽しそうに髪型の話をしている。
禅一は皿を運んだり、フォークを並べたりしながら、篠崎の手元の紙を覗き込む。
(う………上手い……!!)
誰が見ても、一目でアーシャの髪型見本とわかる絵に、禅一は衝撃を受ける。
これなら言葉がわからないアーシャにも的確に通じるだろう。
「どれがいい?俺的なおすすめとしては、姫ボブかな!」
篠崎は卓上鏡を開いて、一つ一つ仕上がりがどんな感じになるかをアーシャに説明している。
「一番上はね、ベリーショート!傷んでいる部分とか一度全部切って揃えられるけど、ちょっと可愛さが足りないかな〜。二番目は俺のおすすめ、姫ボブ!前髪はできるだけ揃えて、サイドに流すの。耳ん所だけ綺麗に揃えるとキチンと感が出るっしょ?全体的にちょっと整えるだけだからそんなに切らなくていいし。三番目は重めのショートボブ。後ろを結構切るけど、まぁ、これから伸ばすには良いかも」
言葉が通じないということは知っているはずなのに、ものすごい勢いで喋りまくっている。
身振り手振りを交えているせいか、アーシャはわかっている様子で、ウンウンと頷きながら聞いている。
見れば、篠崎は櫛やすきバサミまで用意してきてくれている。
(人の髪も切れるのか。ホントに器用だな)
床屋に連れて行ってもお断りされそうな年齢なので、とても助かる。
アーシャの前髪は長いままで横に流しているだけだし、後ろ髪も垢と汚れでひどく絡んでいた箇所を禅一が切って取り除いたので、全体的に不揃い感がある。
綺麗にしてやりたかったが、禅一がやったら絶対取り返しがつかない事になりそうだったので、手付かずだったのだ。
「……ユッキー……あいがとぉ」
アーシャも自分の頭が綺麗になるのが嬉しいようで、篠崎にタックルするように抱きついて、感謝を表している。
「え〜〜〜!なになに!?突然の可愛いムーブ!!」
篠崎は自分がしたいことをすると言うスタンスで生きているので、お礼を言われると思っていなかったらしく、デレデレと嬉しそうな顔でアーシャを抱きしめ返している。
「俺は三番が良いな」
篠崎が手を離したおかげで床に広がった髪型見本を、じっくり見てから、禅一は一応意見を述べておく。
この髪型なら毎日梳かすだけで、禅一にも可愛くできそうだ。
「一番一択だろ」
まるでテーブルに向かうついでだと言わんばかりに、横を通り過ぎながら、しかし、しっかりと譲は主張する。
傷んだ髪は一度全て綺麗に切ってしまいたいのだろう。
「俺的には二番が超絶おすすめなんだけど〜〜〜!?」
アーシャをぬいぐるみのように愛でていた篠崎は、慌てたように説明を始める。
「絶対アーシャちゃんは前髪長い方が似合うと思うんだよね。最終的には、こう左右に前髪を巻いた感じで後ろに流したら、まさにお人形さんみたいで……」
「すまん。この前髪を編むヤツ、俺には無理だ」
しかしそれを禅一はぶった斬る。
挑戦する前から諦めてどうすると言われそうだが、禅一は己の不器用さを弁えている。
下手に髪を結ぼうとしたら、悲惨な姿にしてしまうこと請け合いだ。
「毎朝、俺がセットしにくる!」
「却下」
「何でだよ!?俺が毎日最高のお姫様に仕上げて……」
「朝からうるさくされたくない」
それならばと篠崎が意気込むが、速攻で譲に却下されてしまう。
尚も言い募ろうとする、篠崎だったが、その胸をちょんちょんとアーシャがつつく。
「ん?」
トロトロの優しい笑みで、篠崎がアーシャを覗き込むと、彼女は何とも無邪気な顔で、眉よりかなり上のラインを両手の人差し指で示す。
その仕草は『ここで切ってくれ』と言っているのは明白だ。
「しょ……しょんな〜〜〜」
篠崎はがっくりと肩を落とす。
譲はテーブルに頬杖をついて、そんな篠崎に冷たい視線を送っている。
「あのね、アーシャちゃん、こーやって前髪巻くっしょ?すると、ほら!この可愛さ、神じゃん!?」
篠崎はどうしても前髪を長く残したいらしく、鏡を見せながら、力説している。
(俺たちもこれくらい話しかけた方が良いのかもしれないな)
言葉が通じないと知りつつも、熱心に語りかける姿に禅一は感心してしまう。
一昔前に流行った、聞き流しで覚える英会話ではないが、ここまでの言葉のシャワーを浴びせかけたら、アーシャも日本語を覚えるかもしれない。
「篠崎、アーシャ」
それはそうと、昼食の準備が整ったので、篠崎の必死の説得を禅一は遮る。
アーシャは午前中の登園で疲れているだろうから、さっさとご飯を食べさせないと眠ってしまう可能性がある。
髪型の議論は後だ。
嬉しそうにテーブルを見上げて、クンクンと匂いを嗅いだアーシャの腹の虫が、大きな声で鳴き始める。
相変わらず、そんなに小さな体から、どうしてそんな大きい音がなるのだと聞きたくなる元気な腹の虫だ。
「んんっっ!か〜わ〜い〜い〜〜〜」
真っ赤になってお腹を押さえるアーシャを、篠崎が愛でようとするが、幼児の栄養補給が先なので、容赦なく禅一はアーシャをその腕から奪い取る。
「わぁ〜〜〜」
アーシャを奪われた篠崎は憤怒の表情になったが、嬉しそうにナポリタンの皿を眺め回すアーシャに、再び相好を崩す。
「アーシャ、いただきます」
そう言って禅一が促すと、アーシャは嬉しそうに満面の笑みで両手を打ち鳴らす。
「いたぁきましゅ!」
そう言ってフォークを掲げ、アーシャは勢い良く食べ始める。
(やっぱり肉から行くんだ)
幸せそうにウィンナーを頬張る姿に、禅一は笑いを噛み殺す。
そして電気ケトルのスイッチを入れてから、自身もご飯を食べ始める。
「ビスクドールも可愛いけど、元気なのも良き〜〜〜」
一口食べる毎に幸せそうにクネクネと踊るアーシャに、篠崎の目尻は下がりっぱなしだ。
「…………」
それと対照的に、連続でウィンナーばかりを食べているアーシャに、厳しい顔をしているのは譲だ。
「チビ!」
麺の中に半分隠れていたウィンナーをアーシャが掘り出して食べた所で、譲の指導が入る。
小さく肩を跳ね上げたアーシャは怒られた事がわかったらしく、慌ててパスタにフォークを突き立てる。
しかし幼児用の太い三又フォークからはスルスルとパスタが逃げて、玉ねぎとピーマンだけが残っている。
(あれ……子供はスパゲティの時スプーンいるんだったっけ?)
その様子を見ながら禅一は呑気にそんなことを考えていた。
(確か日本人がスプーン使って食べるのを見た本場の人が、そんな事をするのは子供だけと言ったとか………じゃあ、子供にはスプーンがいるのか?)
スプーンを取ってきてあげようかと考えながら、アーシャをもう一度見ると、
「……………」
見たことのない表情で彼女は固まっていた。
突然悟りを開こうと瞑想を始めたように、アーシャは全くの無の顔で目を閉じている。
微動だにしない。
「アーシャ?」
心配して覗き込むと、驚いたようにアーシャは目を開ける。
そして気まずそうな顔をしてから、口を動かし、
「……………」
苦悶の表情で固まった。
その顔があまりにも、某有名ゲームの黄色いキャラクターが、実写CG映画で見せたシワシワの顔に似ていて、禅一は吹き出しかけるが、アーシャは苦悶の表情のままプルプル震えている。
(もしかしてピーマンかな)
笑いを堪えつつ、吐き出させようとティッシュの箱を引き寄せた時だった。
「っっっ」
その顔のまま、両手を踏ん張って、アーシャは口の中の物を飲み込んでしまったのだ。
噛めぬなら、飲み込んでしまえ、青ピーマン。
そんなどうでも良い五七五が頭の中に浮かんだが、まだ飲み込めるサイズまで噛んでいなかったようで、アーシャは首を押さえて呻き始めた。
「アーシャ!」
大人なら思い切り背中を叩く所だが、子供にそうして良いのか咄嗟に判断がつかない。
禅一は慌ててアーシャの背中を摩る。
自分の掌だけで覆えてしまいそうな小さな背中を叩いて良いのか、どのくらいの強さで叩いたら良いのか、壊れてしまわないか。
一瞬で禅一の脳裏には色々な考えが流れたが、小さく背中を震わせたかと思ったら、アーシャは顔を上げた。
「ゼン」
そして目に一杯涙を溜めながらも笑って、禅一の手を小さな手が握る。
アーシャの顔には、やり遂げた達成感があるが、これはとんでもない事だ。
(深く考えてなかった)
禅一にとってのピーマンは、味にアクセントがあって歯応えの良い、美味しい野菜で、一度も苦手と思った事がなかった。
しかし奴は子供の苦手な食べ物ランキングには必ず出てくる常連だった。
(無理に食べさせて、喉に詰めたらコトだ)
そう思って、禅一はアーシャのフォークを借りて、彼女の皿からピーマンを除去する。
「おい、禅!」
それを見て怒ったのが譲だ。
「何で取り除いてんだよ!」
「見てなかったか?今、喉に引っかけそうになっただろう?」
「そこはどけるんじゃなくて、ちゃんと噛むように教える所だろ」
「噛みたくないから、無理やり飲み込んだんだ。見てなかったのか?」
「好き嫌い関係なく、ちゃんと噛むように教えるべきだろ」
禅一と譲は真正面から睨み合う。
「ちょっと〜、ご飯中に険悪ムーブされると、美味しさが20パーセントカットなんだけど〜〜〜」
篠崎が嫌そうに言うが、これは喧嘩ではなく、兄弟で良くある意見の相違だ。
「無理して食べさせる必要はないだろ。ピーマンからしか摂取できない栄養素があるわけでもない」
「あぁ?何、寝ぼけたこと言ってんだよ。チビは家だけでメシを食うわけじゃねぇんだぞ?来週からはフルで預けるから給食も始まるんだ。目の届かねぇ所で喉に引っかけたらどうするんだ」
「先生に言っておけば良いだろ。苦手なものは丸呑みする危険があるので、無理に食べさせないでくださいって」
「はぁぁぁ?馬鹿かお前は。そうやって甘やかして、チビを偏食に育てる気か?」
「甘やかしじゃないだろう。アーシャにはきちんと食べる意思がある。これから少量づつ食べやすい形にして、慣らして行ってやれば良いんだ」
多少お互いの主張に熱が入るが、大した言い合いでもない。
「へ!?」
「あぁ!?」
なので議論していた禅一と譲は、唐突なアーシャの行動に虚を突かれた。
禅一の皿に積み重なっていたピーマンを、アーシャが素手で鷲掴みにして、それらを自分の口の中に押し込んでしまったのだ。
「………っっ」
顔を皺だらけにして、必死の形相で、アーシャは口を動かす。
「………んぷっ」
そして吐き出しかけた口を、小さい手で覆って、無理やり咀嚼を継続する。
「アーシャ!!」
吐き出させようと、禅一はティッシュをアーシャの前に出すが、目を瞑って、必死の形相でピーマンを食べている彼女は気がつかない。
「今、頑張ってるから見守ってやりなよ」
そんな禅一に、ブスッとした顔で篠崎が声をかける。
彼はアーシャのフォークを拾って、ウィンナーをプスプスと刺していく。
「あのさ、家族が喧嘩しているのを見せるのも児童虐待だって言われてるって知ってる?」
そして普段の作った声とは違う、男そのものの声で、禅一と譲を睨みながら言う。
「別に喧嘩というほどのことじゃ……」
「軽い言い合いじゃねぇか」
プスープスーと激しい鼻息を出しながら、必死に咀嚼するアーシャを見ながら、禅一と譲はモゴモゴと言い返す。
「巨大な男二匹がマジ討論してたら、そんだけで怖いっつぅの!ましてアーシャちゃんの事で、アーシャちゃんの目の前で争うって、どんだけ空気読めないの。空気没収して真空中に放り出すよ?」
篠崎のお説教を聞きながら、禅一と譲の肩は下がる。
二人を喧嘩させたと思ったらしいアーシャは、目尻と目頭に涙を溜めながら、口を押さえて、ピーマン群を飲み下す。
その姿に申し訳なさが募る。
この程度の言い争い、兄弟間では全く珍しくなかったが、確かにアーシャの前でやる事ではなかった。
「……いじなぁぁ……」
大変だったとでも言いたげな嘆息を漏らす、その鼻からはちょっと緑っぽい液体まで出ている。
そんな状態で食べ切ったのに、すぐに『もう怒っていない?』とばかりに、キラキラした目で、禅一と譲の顔を交互に見るものだから、ますます二人の肩は下がる。
「アーシャちゃん、あ〜〜〜ん」
いつもの女声に戻した篠崎は、ウィンナーを三重に突き刺したフォークを、アーシャの口元に伸ばす。
するとアーシャは餌に飛びつく鯉のようにウインナーに飛びつく。
「んふぁ〜〜〜!!」
アーシャの幸せそうな顔に、篠崎も幸せそうだ。
事情を知らないと、歳の離れた姉妹が仲良くしているように見えてしまう。
「アーシャちゃん、ちゅうもく〜〜〜」
そう言いながらフォークを大きく振って、アーシャの視線がフォークを捉えた所で、篠崎は器用にパスタを幼児用フォークに巻き付ける。
「アーシャちゃん、あ〜〜〜ん」
そう言うと、当たり前のようにアーシャはフォークを口の中に迎え入れる。
篠崎の顔はデレッデレで溶けそうだ。
(俺だってやりたいのに)
そんな篠崎を禅一は恨みがましい目で見る。
アーシャは顔を輝かせながら、皿中の麺を巻き付けるような勢いで、フォークの先に巨大な麺の塊を作っている。
そして顔中をケチャップだらけにしながら何とも幸せそうに、それを頬張る。
エリンギは好きだったようで嬉しそうに噛んでいる。
ピーマンを鷲掴みにした手や、顔中のケチャップを拭いてやりながら、禅一自身も食事を続ける。
「ま、好き嫌い問題なんて、そうそう解決しないんだから。アーシャちゃんが寝た後にでも、しっかり兄弟で話し合いなよね」
篠崎は大欠伸をしながらそう言った。
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