21.聖女、苦いと甘いを味わう(後)

『社交』の場に戻りたいと、何とか伝えねばならない。

満腹になったアーシャは、考え込んでいた。

その目の前にコトンと音を立てて、持ち手のない、頑丈そうなカップが置かれる。

「?」

カップから漂ってくる、爽やかな香りに引かれるように、アーシャはその中を覗き込む。

置かれたカップには透き通った薄い黄緑色の液体が入っている。

(透き通ってて綺麗。香りは……『むぎちゃ』より紅茶に近いかも。凄く気持ちのいい匂い)

カップの中の液体は、茶色の『むぎちゃ』にも、それよりも赤みを帯びた紅茶にも似ていない、鮮やかな色合いだ。

アーシャは目を瞑ってクンクンと空気を吸い込み、初めて見る飲み物の香りを楽しむ。


カップに触れると、冷えた『むぎちゃ』とは違って温かい。

しかし触れないと言うほど熱くない。

「アーシャ、けえき」

興味津々でカップを覗き込んでいたアーシャの頭を、チョンチョンとゼンが叩く。

促されて見てみれば、卓の中央に、先ほど買ってきた、美しい食べ物が詰まった箱が半分開かれて置いてある。

「ほぁ〜」

その姿は宝石箱に入った宝飾品のようで、思わずため息が出てしまう。


「ど・れ?」

ゼンはそれらの食べる宝飾品を順に指差していく。

綺麗だと言っているのかなと思い、アーシャは頷いてみたが、どうも違ったらしい。

ゼンは困った顔をして腕を組む。

それから空の皿をアーシャの手元に置いて、フォークを握らせる。

「ど・れ?」

そうして、箱をアーシャの手が届く所まで引き寄せて、一つ指差すごとにアーシャの皿を指差す。

「あぁ!」

そこまでされてようやくアーシャはゼンの意図が理解できた。


何と、今からこれからを食べられるのだ。

昼食を食べてから、更にこんな素敵なものを食べてしまうなんて、貴族でもやってない贅沢かもしれない。

美しいが、そこから運ばれてくる、何とも言えない甘やかな匂いが、その美味しさをアーシャに伝える。

「ん〜〜〜〜〜〜〜」

アーシャは歓喜に震えながら、改めて光り輝く品々を見つめる。


(あっちは見たこともない果物がのっていて……あれはベリーかしら!?凄い大粒だわ!……あのプルプルとしたものはプティング!?プティングと果物の取り合わせって……味の想像がつかないわ!)

アーシャの知っているプティングはクズ野菜や肉を卵液に入れて蒸した料理なので、それが果物と合わさると、一体どんな意表をついた味に仕上がるのか想像がつかない。

必死に悩むアーシャだったが、ふと顔をあげると、ユズルとシノザキもジッと箱の中を見ていることに気がつく。

「あ、あ、っと……」

アーシャに一番に選ぶ権利を与えられ、みんなは選ぶのを待っているのだ。

それに気がついた、アーシャは気が急く。


(味が何となくわかるのは……あの美味しいミルクがたっぷりで『いちご』がのったコレよ!!)

アーシャは急いで、以前食べた事のある泡立てたミルクに包まれて、大粒の『いちご』がのった物を指さした。

頷いたゼンは、沢山ある品物の中から、アーシャが指さしたものを取り出し、彼女の目の前の皿に、そっと入れてくれる。

「ふぁぁぁ〜〜〜」

自分の皿の上にのったそれを、間近で眺めると、一際大きな感動の波が押し寄せる。

美しい白い波の中に、誇らしげに赤い冠を戴く姿は、白き女王のようだ。


女王のスカートは、黄色いフワフワのパンのような物で出来ていて、何とそのパンの間にも『いちご』と泡立てたミルクが入っている。

前にユズルが作ってくれた、ふわふわのパンを思い出して、あの美味しさに、更に美味しい『いちご』が入ってきたら、どんなに美味しくなるのだろうと、想像しただけでゴクリと喉が鳴る。

ユズルとシノザキも何やら楽しそうに言葉を交わしながら、それぞれ食べるものを選んでいる。

ユズルは大粒のベリーをはじめ、沢山のフルーツがのった、まるで小さな花園のような物を選び、シノザキは黒檀の机のように黒光りする、幾層にも重なる層を持った、黒の女王とでもいう風格がある物を選ぶ。


「…………………」

ではゼンは何を選んだのだろうと見てみると、

(コケ………?)

丸い石が苔むしたような物体を皿にのせている。

ちゃんと見たら幾重にも細い緑色の線が重ねられているとわかるのだが、ぱっと見目、苔むした石だ。

(……コケ……)

華やかな宝飾品の中に一つだけ忘れられた、緑青が生えた銅のようだ。


「ん?」

アーシャの白き女王についていた透明の硝子を取り除いてくれていたゼンが、彼女の熱視線に気がつく。

「あ〜ん」

そして迷うことなく苔を掬ってアーシャの口元に持ってきてくれる。

「……………………」

食べたくて見ていると思っての善意だが、その見た目に、アーシャは少し戸惑ってしまう。


少し警戒しながら口を近づけると、その香りが鼻腔をくすぐる。

「!」

何とも地味な外見に反して、春の瑞々しい草木を思わせる爽やかな香りだった。

あまりの香りの良さに、思わずアーシャは差し出された物をパクンと口に含んでしまう。

「!!!」

瞬間、意識が大空高く舞い上がるのを感じた。


まったりとした、全てを超越した甘さ。

こんな甘くて贅沢なものが、この世に存在したのかと感動する。

ふわりとした何とも口当たりの良い感触と共に、口の中に幸福が広がる。

緑の苔はクリーム状なのに、口に入れたらトロリと蕩ける。

(これは……茶葉!?)

口に広がったのは甘さだけではない。

甘さを引き締める、少しの渋みと爽やかな香り。

噛む必要などなく、舌で押しただけで、形は蕩けて消え去り、ゴクンと飲み込むと甘やかさが喉を通り、その後を爽やかさが押し流していく。


あまりの感動に、アーシャは動けない。

全身で口から喉、そして胃に到達するまでの悦びを感じ取る。

「………アーシャ?アーシャ?」

天を仰いで、目を瞑ってプルプル震えるアーシャに流石に不安を覚えて、ゼンが遠慮がちにアーシャの肩を揺する。

「ゼン!!」

アーシャはカッと目を見開き、肩に置かれたゼンの手を握り締める。

「『おいしーな』!これ『おいしーな』!!」

「あ……お、おう………?」

多少感情が強く入り過ぎたのか、覚えていた言葉を間違えたのか。

アーシャの力説にゼンは驚いた顔で戸惑っている。


「あ〜ん?」

もう一口食べるか?とばかりに、ゼンが苔を差し出してくれるが、アーシャは首を振る。

こんな美味しい物を、一方的に搾取するなんてあり得ない。

差し出されたフォークをグイグイと押して、ゼンの口に持っていくと、不思議な顔をしながらもゼンは苔を口に入れる。

「『おいしーな』!?」

モグモグとするゼンに、アーシャは勢い込んで尋ねる。

するとゼンは驚いたように目を見張った後に、笑って大きく頷いた。

「おいしー!」

あの素晴らしい甘味をゼンも味わったのだと思うと、アーシャは嬉しくてたまらない。

「『おいしー』!!」

椅子の上で弾むようにしながら同調してしまう。

行儀が大変悪い事をしているのだが、こうしないと嬉しさが行き場をなくして爆発しそうなのだ。

大事な人と美味しい物を共有できると言うのは、こんなにも嬉しい物なのだ。


アーシャは嬉しい気分のまま、ゼンがそうしてくれたように、自分の白き女王を一口分掬って、彼の口元に持っていく。

「んん?」

ゼンは驚いた顔でアーシャを見る。

「ゼン、あ〜ん!」

アーシャからも幸せのお裾分けをしたい。

その気持ちが通じたのか、ゼンはその一口を食べる。

「おいしー!」

そして嬉しそうに笑ってくれる。


「へへへへ」

アーシャは笑いながら、自分も白い女王を口に入れる。

「……………っっ!!」

そして驚愕に目を見開く。

完全に油断して、最初の一口目を迎え入れてしまっていた。

ふわり。

しっとり。

一体どちらの言葉で表現したら良いのだろう。

この前食べた、ゼンが泡立てたミルクも美味しかった。

しかし今、口の中に迎え入れた物は、それを遥かに凌駕した存在だった。

空気のように軽く感じるのに、口の中をしっとりと包み込む。

パンも一緒に食べたはずなのに、『ふわり』と『しっとり』の波にのって、ホロホロと崩れて口の中に広がり、およそパンとは似ても似つかない食感だ。

物凄く軽いのに、濃厚に口の中を覆う。


そして一噛みすると、中に挟まれた『いちご』が弾けて、すっきりとした酸味を含んだ甘みを口の中に広げる。

「んんんっ!!」

酸っぱい刺激的な甘さは、すぐに甘いミルクと、ミルクの一部と化したしっとりとしたパンに覆い隠される。

噛む毎に甘みが変化していって、遂には喉に染みて、入っていってしまう。

「『おいしーーーーーーー』!!」

全世界に届けとばかりにアーシャは雄叫びを上げてしまう。


神の国は何と恐ろしい食べ物を開発したのだろう。

宝石の如き見た目、そして食べれば蟻地獄に落ちていくように食べるのをやめられない。

砂糖すら殆ど食べたことのないアーシャは、夢中になって白き女王を貪る。

もう何日も食べていない餓死寸前の人間のような勢いで食べるものだから、女王はあっという間に皿の上で崩れてしまう。

「んふっ」

頂きにのっていた『いちご』を、ミルクだらけにして食べると、幸せの讃歌が聞こえるようだ。


やがてパンの部分が無くなり、泡立ったミルクだけが残ったが、アーシャは丁寧に皿の上をフォークで撫でて、全て口の中に収めてしまう。

「ふはぁぁぁぁ〜〜〜〜」

ご飯も食べたので、お腹ははち切れそうだが、途中でやめることなどできなかった。

こんな美味しいものを残したら、二度とお目にかかれないかもしれない。


アーシャはぽっこりと出てしまったお腹を撫でながら、最後に温かな黄色いお茶に手を伸ばす。

口の中に残る甘みを流すのは惜しいが、そろそろ水分を摂らないと、喉が詰まってしまいそうだったのだ。

神の国に来て飲み慣れた『むぎちゃ』を飲むような感覚で、何気なく黄色いお茶を口に含む。

「…………!」

そこで口の中に入ってきた爽やかな匂いに目を見開く。

クリームがベッタリとついていた口腔内を、お茶は洗い流し、引き締めるような渋みと共に爽やかさを振り撒く。

(すっごくいい匂い!!)

語彙の少ないアーシャにはそんな表現しかできない。

まったりとしていた口の中が気持ちよく一新されてしまった。


(紅茶もこんな感じだったかしら……!?)

もう一口飲んで、はぁ〜っと爽やかな息をアーシャは吐き出す。

貴族の集まりでは何も食べられなかったが、紅茶だけは飲んだことがある。

あの時も感動した気がするが、それほど飲める機会には恵まれなかったので、よく思い出せない。

(不思議……こんなに薄い色なのに、凄く良い香りがする)

香りを楽しみながら、引っ掛かりを覚えて、アーシャは首を傾げる。

(そう言えば、ゼンのコケ、これと同じ匂いがした気がする)

見れば、ゼンも食べ終わったらしく、食後のお茶を楽しんでいる。

(うん、一緒だった気がする)

うんうんとアーシャが頷くと、それを見たゼンもうんうんと頷いてから、アーシャの顔を拭いてくれた。

どうも夢中になって鼻にまでミルクをつけて食べていたようだ。


「???」

みんな食後のお茶を楽しんでいるだろうかと見たら、ユズルは茶色くてふわふわな物を食べているし、シノザキも紅色の塊を口に入れるところだった。

食べているものが最初と違う。

(もしかして……二個目!?)

驚くアーシャに、顔を拭いてくれたゼンがニコニコと箱の中を示す。

そこに鎮座しているのは果物に包まれたプティングだ。

「た・べ・る?」

アーシャに勧めるようにプティングを指差して、ゼンは首を傾げる。


少々興味はあったが、もう食道まで食べ物が詰まっている感覚がする。

アーシャが小さく首を振ると、ゼンは頷いて箱を閉めた。

「アーシャの」

そう言って、いつも食べ物を保存する冷たい箱の方へ持っていく。

どうやらアーシャはあのプティングまで食べる権利を与えられたようだ。


感動するアーシャの前では、食後のお茶に移行したシノザキが、何やらユズルに紙の束を見せながら、喋りかけている。

ユズルはうるさそうにしているが、シノザキは怒涛の如く語りまくっている。

「……………?」

シノザキは活力的にしゃべっているが、少し顔色が悪い気がする。


「アーシャ、あ〜ん」

首を傾げていたら、馬ブラシの小さいやつを手にゼンがやってくる。

口の掃除だ。

いつもは食後ゆっくりしてから、してくれるのに、今日はやけに早い。

不思議に思いながらも、アーシャは大人しくそれを受け入れる。

口を掃除される傍らでは、元気の良いシノザキの声と、不機嫌そうなユズルの声が続いている。

二人は中々仲が良いようで、話が途切れない。

「アーシャ、くじゅぐじゅ〜〜」

そんな事を思っている間に口の掃除が終わり、アーシャは水場に連れていってもらって、口を濯ぐ。


水を吐き出すと、ゼンは良くできましたとばかりに頭を撫でてくれる。

そしてアーシャを連れて卓に戻ってきたかと思うと、ゼンはシノザキの襟首を掴まえる。

「ぐえっ!おい、ゼン!!」

ゼンはちょっとシノザキに容赦がなさすぎる気がする。

無理やり卓から立たされて、引き摺られるシノザキが文句を言うが、まるで無視の構えだ。


そしてソファーまでシノザキを引き摺ってきた所で、ポンっと彼女の足を払う。

あまりに自然にやるので、シノザキは抵抗一つできずに、ソファーに転がる。

すぐに彼女は起きあがろうとするが、肩を押さえ込んで、簡単に封じ込んでしまう。

(ちょっと……レディに失礼すぎるのでは……)

アーシャはハラハラと見守っていたが、ゼンは何故かそんな彼女に微笑みかける。

「んん???」

そしてアーシャをシノザキにのせた。


これ何となく前もやったような気がする。

アーシャがそんな事を考えていると、ゼンは毛布を片手に戻ってくる。

「アーシャ」

『やっちまえ』とでも言うように、ゼンはシノザキを指差す。

(これは……きっとそう言う事なのよね?)

レディを男性のいる前で寝かすのはどうかと思うが、確かにシノザキは顔色が悪いし、特に目の下は色が変わってしまっている。

明らかな睡眠不足だ。


ころんとシノザキの上にうつ伏せに寝そべると、アーシャは子守唄を歌い始める。

そしてトントンとシノザキの肩の辺りを叩く。

最初は興奮して何やら盛んに喋っていたシノザキだったが、やがて無言になり、ウトウトと目を閉じ始める。

(やっぱり眠たかったのね)

あっさりと眠り始めたシノザキにアーシャは小さく微笑む。

(彼女が寝たら、『社交』の場に戻らないと)

そんな事を思いながら、我知らず、アーシャの瞼も下がり始める。

満腹で、お腹の下にはスースーと寝息を立てるシノザキ、背中には温かい毛布。


トントンとシノザキを寝かせるために叩いていた手は、どんどんとゆっくりとなり、やがて子守唄も途絶えた。

「おやすみ」

ゼンの声が夢現に聞こえた気がしたのを最後に、アーシャは完全に眠りに落ちた。


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