19.聖女、美しき食べ物に出会う
『じーいちじ』が中々来ないなぁと思いながらも、アーシャは充実した『社交』をした。
そして神の国の『社交』とは何たるかを悟り始めた。
(人と人の交わり方を身につけさせるだけではないわ。神の国の『社交』は共に楽しみ、競い合いながら自己研鑽する場なのよ!!)
そう気がついたのは、寝かせた梯子の両側に柱をつけたような形で、踏みざん部分にぶら下がり、手の力だけで対岸に渡る器具を使った時だ。
はっきり言って全く楽しそうではない。
しかし子供たちは体を揺らし、反動を使って梯子の端から端までを目指して挑戦を繰り返す。
落ちたり、腕が痛そうにしているのに、皆で競い合い、励まし合いながら、飽きることなく挑戦する。
中々できなかった子が端から端まで行ったら、周りの子供たちは拍手したりして称賛する。
因みにアーシャは丸い鉄棒で作られた足台を一番上まで登っても手が届かず、親切な女性の補助を得てぶら下がることができたが、一手も先に進めず、落ちてしまった。
ショックなことに、この痩せっぽちな体を支えることもできないほど、アーシャの握力は衰えていたのだ。
女性が抱き止めてくれなかったら、かなり痛い目にあっただろう。
(すっごく弱ってる…………いや、落ち込むのはまだ早い!弱くなったなら鍛え直せばいいのよ!)
そう考えた時に、気がついたのだ。
ここは体やその他を成長させるための物ばかりが置いてあると言うことに。
例えば地面から立てられた二本の柱の間を、一本の鉄の棒でつないだけの器具。
子供たちはこの棒の上に体を持ち上げ、棒をお腹で挟むようにしてグルングルンと大回転するのだ。
最初はあまりの豪快な回転に、驚いて息が止まりそうだったが、これは平衡感覚と回るための筋肉を鍛る事ができる。
自重を使って前方向に回転する者が大半なのだが、中には地面を蹴り上げ、足を高々と振り上げ回る者や、蝙蝠のように逆向きに鉄の棒にぶら下がり、手の力で横回りする猛者までいる。
(三本の棒だけでこんなに無限の鍛え方を生み出すなんて……恐るべし……神の国!)
感動してアーシャも挑もうとしたが、ぶら下がることもできなかった。
前回遊んだ滑り下りられる板がついた建物も、体を鍛える様々な工夫がされている。
色とりどりの石を取り付け、それらを登ることで全身の筋肉を鍛える板。
不安定に揺れる足場を登ることで平衡感覚と腕の力を養う、格子状に編んだ大綱。
素早さと集中力、そして足の筋肉を養える、踏み板の揺れる吊り橋。
体を小さくした状態で進軍する練習をする、小さな輪を連ねた通路。
滑り降りる台は、さしずめ頑張って登ったご褒美ということだろう。
だから前に来た時に滑り降りる事だけを楽しんでいたら、コータに止められたのだ。
(そして何気に砦の防衛戦の練習をしている……!)
子供たちは紙で作ったレイピアのような物を手に持ち、小さな壁を背に、見えない敵と戦う練習までしている。
思えば一番最初に楽しんだ、砂の湖も、都市計画を練る文官としての能力を育てたり、物を作る職人になるための技術を養えたりするのではないだろうか。
(単純なる交流では終わらない神の国の『社交』……!!私も今では神の国の住人。ここで私も頑張って鍛えろと言うことなのね!)
見えない敵との防衛戦では、どんな敵が想定されているかも戦略も理解できず、コータについて右往左往するだけだったアーシャは己の不甲斐なさを感じつつも、自分の伸び代を信じて頑張ろうと思えた。
そして己を鍛えることを決心しつつも、待ちに待った『じーいちじ』。
頑張るには頑張ろうと思ったのだが、最後の方はやはりゼンたちのいる家が恋しくなってしまって、何度も確認したおかげで、時計の目盛りがどれくらいの速さで進むのがなんとなくわかってきた。
そのために時間が近くなったら、しっかりと手を洗って、色々な所に配置した自分の荷物を背負い袋に片付けて、迎えにきてくれたらすぐに帰れる万全の姿で、ゼンの姿を待つ事ができた。
今か今かと門に張り付いて、見覚えのある『くるま』と、それに乗ったゼンとユズルが見えた時は本当に嬉しかった。
「ゼンッ!!」
「アーシャ!」
笑顔で駆け寄ってきてくれたゼンに、家族が面会に来てくれた囚人ばりに喜んで門から手を出した。
アーシャが張り付いていたせいで、門が開けにくくなってしまったのはご愛嬌だ。
「ゼンッ!ゆずぅ!」
絶対に来てくれると信じつつも、やっぱり心配だったアーシャはゼンの胸に思い切り飛びついた。
力強い腕に抱き止められ、すっかり馴染んできた彼の神気が染み入るのを感じると、ホッとして涙が滲んだ。
信じていたけど、やはり不安は拭いきれていなかったのだ。
ゼンと一緒にお迎えに来てくれたユズルには、何故か頬を摘み上げられてしまった。
「???」
怒られることをした覚えはあるが、それはユズルが知る由はない。
(バレないはずなんだけどなぁ)
見た目的には全く変わらない大樹を確認して、アーシャは首を傾げる。
しかし怒られてしまっても、迎えに来てもらえたアーシャは、反省する前に喜んでしまう。
また会えた事が嬉しくてたまらない。
行きに背負い袋の中に片付けていた笛を首から下げてもらって、いよいよ帰れるのだと嬉しくなる。
苦手な『くるま』に乗るのも、全然嫌じゃない。
体をガッチリと固定してくれる椅子に座れば、ゼンがアーシャの手を握ってくれる。
「へへへ、『じーいちじ。あとわいしょ』」
アーシャはゼンの手を両手で握る。
「あとわいっしょ」
ゼンもそう言って大きく頷いてくれる。
『くるま』は息吹を取り戻すと、大きく揺れる。
普段、この動きは、高速移動が始まる前触れなので、怖く感じるのだが、家に帰る今は浮き立つ心の方が勝る。
目を閉じてしまえば、『くるま』がどれ程の速度を出して走っているかなど、わからない。
(『社交』も凄く楽しかったけど……やっぱり家が一番)
アーシャは温かくて大きな手を抱きしめて、幸せな気分に浸る。
土埃の一つもない、清潔で、何故かいつも暖かい家。
アーシャ用の椅子や踏み台が当然のようにある家。
いつもゼンとユズルがいてくれる家。
(幸せだなぁ……)
そんなに離れていたわけじゃないのに、無事に『社交』を終えたアーシャは、多幸感に包まれる。
今から帰るのはゼンとユズルの家であり、『アーシャの家』でもあると思えるのだ。
アーシャは夢見心地でゼンの手を握る。
『社交』は楽しかったが、情報量が多過ぎて、少しくたびれてしまった。
家はゼンたちの気配を常に感じられ、何物にも代え難い安心感がある。
ゼンはアーシャが望めば嫌な顔一つしないでそばにいてくれるし、ユズルは嫌そうな顔をするが、結局はそばに置いてくれる。
疲れて眠ってしまってもぶたれたりしないし、起きたらいつも笑顔で迎えてくれる。
(……幸せ……)
何をしても、何もできなくても、差し出してもらえる温かくて大きな手に頬を寄せ、アーシャは微睡む。
こんな真昼間から眠気を感じても、背徳感も危機感もない。
「……アーシャ?アーシャ?」
どれくらい微睡んでいたのだろう。
気がついたら、アーシャは『くるま』の椅子ではなく、ゼンの腕に抱っこされていた。
「…………?」
くっつきたがる瞼を何とか引き剥がして見上げると、ゼンの申し訳なさそうな顔がある。
「アーシャ、けいき」
目をこするアーシャの体は、横抱っこから縦抱っこに向きを変えられる。
「……ん」
目の前には不機嫌そうに振り向くユズルがいる。
その先に薔薇のアーチから始まる可愛らしい小道がある。
冬だから薔薇に花は咲いていないが、惚れ惚れするほど美しく作り上げられたアーチだ。
愛情を込めて世話しているのが良くわかる。
アーチを抜けると小道の周りには、庭園ではなく可愛らしい畑が現れる。
この寒いのに、愛らしく葉っぱを広げている、野菜らしき物の周りに、藁が敷き詰めてあったり、覆いがつけられたりしている。
奥の方には香草と思われる背の低い木や、檸檬の木が植えてある。
格式高そうな薔薇のアーチと、庶民的な庭の取り合わせが、なんとも微笑ましい。
二つ目の薔薇のアーチの先には、柔らかい白色に塗られた壁と、燻んだ翡翠色の窓枠に囲まれた大きな硝子の窓がある。
いや、既に窓というより、壁の一部が硝子と言った方が良いかもしれない。
上から下まである硝子の壁から、柔らかな陽光が建物の中に差し込んでいる。
(ホント、神の国って平和なんだろうなぁ)
寝ぼけながらもアーシャは感心してしまう。
上から下まで割れ易い硝子にしても、押し入ってきたりする人も魔物もいないのだ。
そんなことを思いながら、柔らかな陽光に照らされた建物の中を見て、アーシャは大きく息を吸った。
「ふわぁぁぁ〜〜〜」
素敵。
綺麗。
可愛い。
一体何と言えば、室内の様子を上手に言い表せるのか。
陽光を受ける室内はキラキラと輝き、アーシャの眠気を吹っ飛ばしてしまった。
大きな窓際には小さなティーテーブルが三卓ほど並べられており、素朴な庭を見ながらお茶を楽しめるようになっている。
そしてその先にある、硝子で作られた大きな棚に、アーシャの目は釘付けになった。
硝子で棚を作るなんて、未だかつて考えた人がいただろうか。
下の方は木の板で覆われているが、前も後ろも右も左も、全て硝子で、その中に入った仕切りの板まで硝子なのだ。
キラキラと輝く硝子の箱はそれだけで美しいのに、その中に更なる夢が詰まっている。
上段、中断、下段と分けられた硝子の棚の中に、みっちりと色とりどりの宝石のようなものが詰まっているのだ。
ゼンやユズルは躊躇いなく建物の中に入り、硝子の棚の前まで来る。
「は……はふぁぁぁぁ」
近くで見るとため息しか出ない。
赤、白、黒、緑、薄紅、黄色、茶色、オレンジ。
様々な色が白々と照らされ、眩しく光り輝いている。
ある物は真っ白な美しい波のような飾りがついており、その
薄く切ったレモンを氷の中に閉じ込めて飾りつけたような物もあるし、愛らしい器に沢山の果物と泡立てたミルクが盛り付けられている物もある。
全てが美術品のように美しく、同時に胸が高なるほど愛らしい。
(この……この宝石のような美しい物が食べられると言うの!?)
とても信じられないが、『いちご』がのっている物もあるし、並べられている品々は、以前ふわふわのパンを食べた時にゼンが作った泡だったミルクがふんだんに使われている。
食べ物なのだ。
食べ物なのだろうが、あまりに美しくて可愛い。
(食べ物なのに……食べ物なのに、何でこんなに愛らしく装われているの!?食べるのよね!?この可愛いのを崩すの!?)
アーシャには訳がわからない。
貴族たちも羊や豚、鳥の体を縫い付けた悪趣味な見た目の料理を作ったりはしていた。
飢えて死ぬ者たちも多い中、飽食と美食の果てに、貴重な肉で遊び事まで始める根性には心底呆れた。
しかしこれはそんな遊び事と次元が違う。
これはもう芸術だ。
寸分形の違わぬ形に作り上げられた美術品たちが列を成して飾られる様子には、見惚れざるを得ない。
「……きえい……」
うっとりと硝子の中を覗き込んでいたアーシャは、近づき過ぎて硝子が息で曇ってしまってから、硝子に張り付いている自分に気がついた。
「あ、あわっ」
磨き抜かれた硝子は息で曇っているし、自分の手形までついている。
アーシャは慌てて自分の服の裾で硝子を拭く。
そんなアーシャに軽やかで柔らかな笑い声が降りかかる。
見上げると、白い帽子を被った、愛らしいお爺ちゃんがいた。
彼は目の端から愛嬌が溢れてくるような、温かな笑みを浮かべている。
「煽麟懸ね〜!賢讐鰐科かい?お凶門註氏短折抱賭椴捲煩ね〜〜」
そして何事か言いながらつる植物で編まれた籠をアーシャの前に差し出してくる。
中には美味しそうな焼き菓子が、透明の袋に詰められている。
焼き菓子も
「どーぞ」
お爺ちゃんはそう言って目の前で籠を揺する。
「???」
籠に合わせて花たちが揺れて、とても可愛いが、何を言われているのか、よくわからない。
困ってゼンを見上げると、彼は笑って籠の中から焼き菓子を一つ取って、アーシャに渡す。
びっくりしてゼンとお爺さんを見ると、二人ともニコニコ笑っている。
どうやらこの愛らしいお菓子をアーシャにくれるという事らしい。
お礼を言いたいのに、その言葉がわからずモゴモゴしていると、ゼンがお爺ちゃんに手を向けて、
「アーシャ、あ・り・が・と・う」
と言って軽く頭を下げるようにして見せる。
「!」
アーシャはそれを見てピンときた。
「あいがとぉ!!」
これはきっと、ずっと知りたかった感謝の言葉だ。
張り切ってゼンの真似をして頭を下げると、お爺ちゃんは顔を皺だらけにしてアーシャの頭を沢山撫でてくれる。
(……可愛い……)
アーシャは手の中の焼き菓子を見つめる。
まるでそのままブローチにしてしまえそうな可愛らしさだ。
焼いてあるから長持ちすると思うが、食べ物なので、残念ながら宝物箱に入れて保存は出来ない。
「チビ」
我関せずで、硝子の中を見続けていたユズルが、美しい食べ物たちを指差す。
「?」
トントンと指差されるが、一体何を言われているのか良くわからない。
(綺麗だなって言ってるのかな?)
一種類一種類指差していくので、同意を示すために全部頷いていたら、二列目が終わった時点で、頬っぺたを潰されてしまった。
「???」
全部綺麗だから、全部肯定しても仕方ないと思うのだが、ユズルはそれが気に食わないらしい。
「ユズル、ユズル」
するとゼンがユズルとアーシャの間に入ってくれる。
何か説得するようにゼンが話すと、ユズルは深々とため息を吐いた。
そして渋々といった様子で、ユズルは硝子の中の食べる美術品を指差し始める。
ユズルが指差した列から、お爺ちゃんが品物を取り出して、盆の上にのせる。
そして一通り指差し終わると、お爺ちゃんは一枚の丈夫そうな紙を取り出してくる。
「わぁ!」
何だろうと思っていたら紙があっという間に箱になってしまう。
ポキポキと何回か折っただけで、本当に一瞬で箱の形になったのだ。
興奮したアーシャは、ゼンに抱っこされているのを忘れて、身を乗り出し過ぎて、抱え直されてしまう。
出来上がった紙の箱に、盆の上の物が移し替えられる。
そして盆の上が空になると、箱があっという間に閉じられる。
物凄い手際の良さだ。
「ユズル」
ゼンは黒くて四角い物をユズルに渡す。
受け取ったユズルは、その中から複雑な絵が描かれた紙を取り出して、お爺ちゃんに渡す。
するとそれを受け取ったお爺ちゃんが数枚のコインをユズルに渡す。
「はい、ありがとう」
そして先ほどの美しき食べ物たちが入った箱もユズルに渡す。
「………あ」
それを見ていて、アーシャはようやく理解した。
今、アーシャたちは買い物をしていたのだ。
先程ユズルが出していた紙は、恐らく金銀の預り証だ。
金貨や銀貨を持ち歩くのは嵩張るし危険なので、貴族や商人などは、それらを決まった場所に預け、買い物はそこから直接支払いをするのだ聞いた事がある。
金銀の預り証は金貨や銀貨と引き換えができる、いわば形を変えた金貨や銀貨なのだ。
「へへへ」
アーシャは箱を持つユズルを見て、頬が緩んでしまう。
ユズルは多分アーシャに欲しい物を選ばせようとしてくれたのだ。
味の想像がつかないので、ユズルの行動を理解できていたとしても、アーシャには選ぶことができなかったと思う。
しかし選ばせてくれようとしたのが嬉しかった。
『社交』は楽しい。
でもやっぱりお家が一番だ。
沢山の中の一人であるアーシャから、ゼンとユズルの家のアーシャに戻れる。
(コータたちも毎日こういうのを感じてるんだろうなぁ)
子供たちは交流を学び、存分にお互いに研鑽し合ってから、迎えに来てくれた家の人の温もりを感じて、幸せな気持ちなるのだろう。
アーシャは嬉しい気持ちで手の中の焼き菓子を抱きしめる。
「あいがとぉ!!」
そして素晴らしい贈り物への礼をもう一度言ってから、可愛らしい庭園を横切り、『くるま』に乗り込んだ。
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