17.聖女、社交を試みる(前)

ミネコセンセイに連れられたアーシャは、昨日と同じように脱いだ靴を、チェリーの絵の描かれた場所に置いた。

靴を棚に入れた手に、温い水がハラハラと降り注ぐ。

「……っ」

体が小さくなるに従って、すっかり涙腺まで弱くなっている。

アーシャは服の袖に涙を吸わせて、顔をしっかりと上げる。

「じゅーいちじ。あとわいしょ」

口の中で呟いて、大きく頷く。

アーシャは姿こそ幼児になってしまったが、中身は立派な大人なのだ。

家が恋しいとか、ゼンの神気がないと安心できないとか、心細いとか、緩い事を言っていてはいけない。

(平気よ。一人で荒野に置き去りにされた時だって大丈夫だったじゃない!)

アーシャは自分に喝を入れる。

何度も死線をくぐってきた歴戦の聖女なのだ。

頑張れないはずがない。


「えらいです」

そんなアーシャの頭を、細い指が撫でてくれる。

見上げれば、目を細めているミネコセンセイがいる。

ここは敵地でも、戦場でも、荒野でもない。

アーシャに優しくしてくれる人ばかりだ。

「みにぇこしぇんしぇい」

アーシャはゼンとは違う繊細な手を握りしめて、心強い味方に笑いかける。

「……うぐっ……」

突然自分の顔を握り締めるという謎の行動をとっているが、心強い存在には違いない。


「せんせーおはよー!」

「はい。おはよーございます」

子供達は一音一音が大きく聞き取りやすく、子供たちに話しかける大人もゆっくりと発音するのでよく聞こえる。

(何故かしら………?みんなとっても元気だわ)

挨拶と思われるやり取りをしながら、子供達は元気に各々の場所に向かっている。

それを見て、アーシャは不思議に思う。

昨日は自分がパニックを起こして、それどころではなかったが、冷静に周りを見ると、首を傾げるような事ばかりが目に付く。


門からは次々と親子連れが入ってきて、子供を置いて親だけが去っていく。

中には泣いたり、何か不満を言い立てている子供もいるが、大半は元気に親に手を振ったり、友達を見つけて走ってきたりと、子供たちの表情はとても明るい。

親も明るく子供達に手を振り返したり、親同士で楽しそうに話したりしながら去っていく。

子供達を受け入れる院の大人たちも、泣いたり騒いだりする子に明るい笑顔で語り掛けている。


これが集団子捨てなら、もっと悲壮感溢れる空気になっているのだろうか。

(どう見ても爽やかな空気しかないわ。そんな気楽に子捨て、捨てられができるわけない)

そもそも毎日これだけの数が捨てられていたら、すぐに孤児院が人で溢れかえってしまう。

(もしかして……そもそも『孤児』はいない?ここは『孤児』院ではない?)

アーシャが自分の解釈に疑問を持った時だった。


「あーさ!おはよー!」

聞き覚えのある、はつらつとした声がアーシャにかかる。

振り向いた先にいたのは、元気に手を振っているコータだ。

「コータ、おはよー!」

明るい笑顔につられて、アーシャも笑って手を振り返す。

そんなやり取りが、何だかとっても『友達』っぽくて、やった後に頬が熱を持つ。

こんなの初めてかもしれない。


コータの振っていない側の手は、ほっそりとした優しそうな女性につながっている。

猫のような愛らしくツンと上がった目尻がコータにそっくりだ。

(コータの……お姉さん?お母さん?)

アーシャの目には、子供がいるような年に彼女は見えない。

少し歳の離れたお姉さんのように感じるのだが、お腹に赤ちゃんをくくり付け、コータの反対側にコータより少し小さい子を連れている様子は、堂々たる母の姿にも見える。


コータの弟と思われる子は女性と離れたくないらしく、ゴネていたが、コータに手を伸ばされると渋々といった様子で、女性から離れる。

女性はそんな二人を愛おしそうに撫でてから、お腹に括り付けていた赤ちゃんを、大切そうに外して、お迎えに来た園の人に渡す。

「あ」

その赤ちゃんはよく見れば昨日熱心にスクワットしていた赤ちゃんに似ている気がする。


「???」

昨日ここにいたコータが、再び外から、親らしき人に連れられて、やって来ている。

それはここでコータが生活しているわけではないと言うことだ。

アーシャのようにコータも自分の家に帰ったのだ。

(毎日ここに通ってきてるという事?何のために?)

疑問だらけのアーシャはミネコセンセイに手を引かれて歩く。


アーシャたち農民の子育ては、赤ちゃんのうちは籠などに入れ、動くようになったら柵などに括り付け、言葉が通じるようになれば近所の子供達と一緒に、子供にでもできる簡単な仕事を始めさせる。

商家や貴族、兵士の子供はどうやって育てられているのかは良く知らないが、農民はそんなものだ。

遊び半分に食べ物や燃料の集め方、農業を覚えていくのだ。

ご飯を食べるためには、子供と言えど呑気に遊び呆けられる時間はない。

親は労働力を増やす為に子供を産むのだ。


(そう言えば……貴族や裕福な商家の子供は一定の年齢になったら子供同士での社交を始めると聞いたわ)

貴族は顔を繋ぎ、交易などで利益の出る付き合いを増やしたり、他の領や国と折衝するのが仕事なのだ。

なので子供のうちから、大人になった時に社交界に出る練習を兼ね、子供だけの集まりを開くのだと聞いた気がする。

実際に何をしているのかは見たこともないし、興味もなかったので知らないが、子供だけが集まるという事だけは確かだ。


(この辺りには畑もないし、もしかしたら貴族や商家のような仕事をしている人が多いのかもしれないわ)

それなら子育てもきっと貴族に近い形式になるのだろう。

(じゃあここは子供たちの社交の場に違いないわ!)

アーシャは確信する。

子供だけを親が連れてきている所を見ても、ここは子供たちの社交の場であると考えて間違いないだろう。

(毎日社交があるなんて、中々大変ね)

アーシャには『社交』がどんなものか皆目見当つかないが、毎日続けるというのは何事も大変なものだ。

神の国ではきっと努力を重ね合って、濃密に関係性を構築するのだろう。


合点がいったアーシャは、また頬が熱を持つ。

捨てられたと勘違いしたアーシャの、昨日の取り乱しようは酷かった。

社交一日目は大失敗だったと言って良いだろう。

コータが助けてくれて本当に助かった。


「アーシャちゃん!おはよー!」

ミネコセンセイに連れられて、昨日の部屋に入ると、明るい挨拶が飛んで来た。

昨日親切にしてくれたレミだ。

「りぇみ、おはよー」

何か良い事があったのか、とても彼女の笑顔が晴れやかで、アーシャも嬉しくなって、笑顔で挨拶を返す。

彼女は今日も赤ちゃんや小さい子たちの面倒を見てあげているようだ。

ミネコセンセイが連れてきたアーシャの手を優しく包んで、中に導いてくれる。


レミに教えてもらいながら、アーシャは背負い袋の中に入っていた、自分の手巾やカップを並べたり、荷物を出し終わった背負い袋を棚に入れたりする。

(何となくわかってきたわ。このチェリーっぽい絵がきっと私のシンボルなのね)

アーシャの物を置く所には必ずチェリーの絵がついている。

これが自分の物、自分の場所なのだと、とても分かり易い。

同じような物が並んでいても、このシンボルがあれば誰のものかすぐにわかる。

画期的だ。

社交には色々とルールがあると聞いていたが、こんな風に皆の統制が取れるなら素晴らしいルールだ。


時々、聖女という立場上、夜会に姿を見せなくてはいけないこともあった。

その時は、お前の如き農民は貴族のルールも理解できないのだから、置物のように決められた位置から動くなと言われて、美味しそうなご飯を食べることができなかった。

その時はご馳走を見ないようにしながら、生きるための役に立たないルールに何の意味がある、もったいぶって無意味なルールばかり作ってと恨んだ。

しかし確かにこんなルールを知らない者が好き勝手したら、場をメチャクチャにしてしまったかもしれない。

(ゼンやみんなのご厚意で社交デビューしたんだから、一つ一つルールを覚えていかなくっちゃ)

アーシャは張り切る。


レミは泣き出した赤ん坊や、新しく連れてこられた赤ん坊の世話と忙しく動き回っている。

(凄いわ。あんな赤ん坊の時から社交の場に出すなんて、神の国って英才教育なのね)

アーシャは感心しつつも、レミが大変そうで心配になってしまう。

この部屋は赤ちゃんかアーシャくらいの大きさの子ばかりで、皆、一人では何もできない。

そんな子供たちをレミは一手に引き受けて、次から次に、いや、同時並行でいくつもの世話を熟している。

(もしかしてレミはここで子守りのお手伝いをしているのかしら?)

レミはとても嫋やかで、良家の子女のように見えるのに、子供の扱いに慣れていて、外見とは似つかわしくなく、赤ちゃんを一気に二人抱っこしたりと力強い。

まだまだあどけなさの残る少女なのに、しっかりと働いている姿は眩しい。


(私も『社交』を頑張らなくっちゃ)

せっかくゼンがその機会を与えてくれたのだからと、アーシャはキョロキョロと周りを見回す。

しかし一体何をしたら良いのかわからない。

子供たちはみんな自分の世界を作って、アーシャが近寄っていっても素っ気無い。

声をかけてみても、アーシャの言葉が理解できないからなのか、突然突き飛ばされてしまったりする。


(こ、困ったわ)

一応転んで泣いてしまった子を抱きしめて慰めたり、自分で投げたボールが遠くに行って文句を言っている子にボールを届けたり、ぐずっている子に歌を歌ってみたりはするのだが、これは『社交』ではない気がする。

小さい子に馴染むというのは中々大変な作業だ。

(小さい子が何を考えているのかよくわからない………!!)

レミの聖母のごとき対応はアーシャにはとても無理そうだ。

知識がないせいか、全く行動が読めない子供に、どう対応するのが正解なのかがわからない。


「は〜い!お蛾鴻猫匙椋秤榊結よ〜〜〜」

アーシャがオタオタしている間に、昨日も会った、髪を肩上に切り揃えた女性がやってきて、大きく手を振りながら皆に何か声を掛ける。

「???」

すると二本足で歩ける子供たちはヨッチヨッチと動き出す。

先程まで忙しく赤ちゃんのお世話をしていたレミも、髪の短い女性に赤ちゃんを預けて、ヨチヨチ歩く皆に続く。

「アーシャちゃん」

果たして自分は皆について行けばいいのか、赤ちゃんたちについていた方がいいのかと、右往左往するアーシャを、レミが呼ぶ。

「りぇみ」

右も左も分からない社交の場で声をかけてもらえて、アーシャは嬉しくなってレミに駆け寄る。

レミの両手は子供たちで塞がっていたが、一緒にいてもらえるだけで安心する。


(すっかり気弱になっちゃったなぁ)

前は身の置き場がない事なんて当たり前で、邪険にされなければ上等くらいだったのに、ここの所、常に温かい手が近くにあったので、それに慣れきってしまった。

弱くなったと思うが、同時にそれが幸せとも感じる。

(じーいちじ)

外に出て時計を見るが、まだ離れてから一目盛も進んでいなくて、落胆してしまう。


きゃーと甲高い声を上げて、レミに掴まっていた子供たちが走り出す。

「………?」

彼らが突進して行った先には砂がある。

紫とも茶色とも言い難い色が塗ってある、不思議な材質で囲いが作ってあり、その中に砂が一面に敷き詰められているのだ。

砂を囲いの中に集めてあるさまは、さながら砂のため池だ。

子供たちはその砂の池にのり込んで、楽しそうに砂を捏ね始める。


(これは………一体、何の儀式なの………!?)

アーシャは意味がわからず、呆然とその光景を眺める。

砂に入った子供たちは、一心不乱に穴を掘り、三角の山を作る。

器に砂を詰め、それをひっくり返すことで、小さな山を量産している子もいる。


水が貴重な地域では、砂を水の代わりに使用すると聞いた事がある。

器を洗う為に砂を擦り付けて汚れを拭き取ったり、火事の際も水ではなく砂をかけたりするとか。

太陽の熱で焼かれた砂はとても清潔で、色々と利用できるらしい。

(でも……これは何を目的として作っているの?)

皆、熱心に作業しているが、その目的がわからない。


(これはしばらく観察して、ルールを解明する必要がありそうだわ)

アーシャは傍らの大きな木の根元に腰を据えて、この砂を通じた『社交』の目的と、そのルールを解明しようと決めたのだった。

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