11.聖女、癒す
アーシャは両手両足を伸ばして、毛布の山に掴まっている。
「おい、チビ、どけっ」
毛布の山はウネウネと左右に動き、時々隆起する。
結構複雑な動きをするが、アーシャを床に落とさないよう配慮しているので、どんなに動いても落ちる心配はない。
むしろ、アーシャが落ちそうな方向に傾くと、慌てて動きが止まるので、落ちそうになった方が毛布の山が大人しくなるのかも知れない。
(おっきな赤ちゃんは寝ぐずりが酷いわ)
傾いていたアーシャは毛布の山を登り直して、その上に再び四肢を伸ばして掴まる。
彼女がくっついている毛布の山は、体を毛布でぐるぐる巻きにされ、人面芋虫のようにされたユズルだ。
おくるみ状態の毛布から出た顔は、とても恨めしそうだ。
普通に毛布をかけられただけだったら、立ち上がって終わりなのだろうが、ユズルは二枚の毛布で念入りに巻かれて、両手が出せない。
下手に立ち上がって、上にのったアーシャがソファーから落ちたら受け止められないから、ユズルはアーシャがおりたくなるように、ウネウネと動くしかないのだ。
家に帰ってきても、ユズルは何か作業をしたかったようなのだが、それをゼンが許さなかった。
それはそうだろう。
ユズルの神気は大きく削れて、顔色は酷いものだったし、少し震えていて、安静が必要なのはアーシャの目から見ても明らかだった。
そんなユズルはあれよあれよと言う間に、毛布に巻かれて、ソファーに設置され、仕上げとばかりに、重石のアーシャをのせられた。
ゼンから離れるのはまだまだ不安を感じたが、『頼む』とばかりに頭を撫でもらったし、ユズルも心配だったので、アーシャは重石役を頑張ることにしたのだ。
(眠ったら少しは回復するのに)
酷い顔色で、何やら文句を言っているユズルに、アーシャは仕方ないなぁとため息を吐く。
ぽんぽんとアーシャはユズルの胸を叩きながら、子守唄を口ずさむ。
歌詞は朧げなので適当だ。
ユズルは子守唄が大変不満だったようで、ブツブツと文句を言っていたが、アーシャは構わない。
先程、何故か頂いてしまった神具で合いの手を入れながら、歌い続ける。
もしかしたらこれは神の国の楽器なのではないかと思う程、涼やかで優しいシャラシャラという音が響く。
不服そうな顔でユズルは頑張っていたが、体調不良や疲れが強かったのだろう、やがてウトウトと目を瞑り始めた。
意地でも寝てやるかとする姿が、何だかちょっと微笑ましい。
しかしすぐに目を瞑る時間の方が長くなって、遂には寝息が立ち始める。
意外とあどけない寝顔に、寝かしつけに成功したアーシャは声を出さずに笑う。
ユズルが完全に眠りに落ちてからも、アーシャは上機嫌でポンポンとその胸を叩き続ける。
「…………」
しかしやがて顔を曇らせた。
(こんなに大きく神気が削られているのに……回復が始まらない)
寝た途端に回復するはずもないが、この地はとにかく神気が薄い。
ゼンのように規格外でないと、この大地から力を取り込むのは無理かもしれない。
そっと頬に触れて、体温があまり上がっていない事にもアーシャは眉を寄せる。
こんなに厳重に暖められているのに、頬に赤みが差す様子が全くない。
(神気を削られ過ぎて体の機能が滞り出している)
神具を手にしたせいか、ユズルの不調をまざまざと感じる。
「………………」
チラッとアーシャは美味しそうな肉の匂いを漂わせているゼンを見る。
(ゼンは後ろを向いているし……)
次いで自分の手の中の神具を見る。
「………………」
目を瞑って現実の映像を遮断したら、大地の中の神気を感じることが出来る。
この枯れそうな小川程度しか神気が流れていない土地で、それを感じ取れるのは、ひとえに神具のお陰だろう。
(ユズルを庭に安置するわけにもいかないし)
この家の庭にだけ、神気の吹き溜まりが出来ているのも感じる。
シャランとアーシャの手の中の神具を鳴らす。
(私の力では大地からここまで神気を吹き上がらせるのは無理だけど、庭の神気をここに呼び寄せて注ぎ込むくらいならできる)
そう考えてアーシャはゼンの後ろ姿をもう一度見る。
彼は忙しくご飯を作ってくれている。
「………っは」
いつの間にか流れてくる匂いを夢中でクンクンと嗅いでしまっていたアーシャは、うっとりしかけて我に返る。
そして我知らず口から溢れてきていた涎を手の甲で拭く。
(もうこんなに美味しい匂いがしているから完成は近いはず。チャンスはゼンが後ろを向いている間だけよ!)
アーシャはそう思って、スルスルとユズルの上から滑り下りる。
(別に癒しじゃないし。庭にある物をちょっと移動させて注ぎ込むだけだし)
アーシャは心の中で言い訳をしながら、神具を構える。
「アーシャ」
「っぴっっ!」
始めようとした、まさにその瞬間、ゼンが振り向いて、アーシャは大きく飛び上がる。
駄目と言われた『癒し』じゃないと言い訳しながらも、見つかったら気まずくて仕方ない。
神具を抱き込みながら、アーシャは視線を彷徨わせる。
「アーシャ、隙燥鴻頒耀咽い虜編楓妨礎、彪得撞か?」
しかしゼンはそんなアーシャに気がつくことなく、何かを話しかけてくる。
彼はお盆に何やらのせて、説明している。
「???」
お盆を指差し、外に出る扉を指差し、ぐるっと回して、再び扉を指差してから、今いる足元を指差す。
「す・ぐ、も・ど・る」
彼は何度かそう言う。
多分、お盆にのせたご飯を誰かにお裾分けしに行くのではないだろうか。
「ユッキー?」
試しにアーシャが聞いてみたら、ゼンは大きく頷いた。
「そー!ユッキー!」
通じた事が嬉しいようだ。
そんなゼンにアーシャは頷いて見せる。
ゼンが同じ空間に居なくなるのは、はっきり言って嫌だ。
お盆で手がふさがるからアーシャに待っていて欲しいのだろうが、それなら後ろから歩いてついて行きたい。
(でも……これは千載一遇のチャンス……!!)
しかしアーシャはグッと堪える。
ゼンが席を外したら、後に残っているのは眠っているユズルだけだ。
思い切りやれる、またとない機会だ。
「すぐもどる」
そんなアーシャを一回強く抱きしめてから、ゼンは立ち上がる。
不安そうに振り返りながらもお盆を持って外に出るゼンを、アーシャも不安いっぱいで見送る。
(ユッキーはすぐそこにいるんだもん。平気。平気)
奥歯で頬の内側を噛みながら、必死に笑顔を浮かべてアーシャは手を振る。
「すぐもどる」
扉を閉める前にももう一度そう言って、ゼンの姿は向こう側に消える。
「………よしっ!!」
不安な気持ちを吹き飛ばすようにアーシャは声を出す。
そしてユズルの前に立ち、神具を水平に構える。
神具に神気を集めるように力を注ぎながら、アーシャはぐるりと回転する。
すると庭の神気が神具に引かれるように移動してくる。
―――我が元に集え
アーシャは水の力を集める水車のように回転を続け、神気を巻き取る。
「…………!?」
三回転ほどしてからアーシャは異変に気がつく。
巻き取れても毛糸ほどの力だと思っていたら、
「あわ、あわわっ」
絶対に庭に溜まっていた神気が全て引っ張られている。
神具の予想以上の力に、アーシャは慌てて巻き取りを止める。
しかし既に巻きとってしまった分は、もうユズルに注ぐしかない。
(いや……こんな量が全部入るはずない……!!)
アーシャはおもむろに息を吸い込んで、歌い出す。
そうしてヒラリヒラリと回りながら、既に巻き取った神気を極太大海蛇から人間の腕くらいの太さに紡ぎ直す。
もっと細くしたいところだが、元の力が太過ぎて、制御しきれない。
(ゼンとユズルの神気は似ているから……多分大丈夫……!!……大丈夫……!?)
じょうごに入りきれなかった神気は、外に溢れると信じたい。
聖女は神気を体内に溜め込んだりしないので、どれぐらいの量を体に入れられるのかが良くわからない。
―――降り注げ!
シャランという音と共に、アーシャは声で神気をユズルに注ぎ込む。
神気は外に全く溢れる事なく、どんどん神気はユズルの中に入り込んでいく。
あまりに抵抗なく吸い込まれて、途中から引っ張られているのかと思うほど勢い良く入っていく。
(あ、やばいやばい!!)
その物凄い量に焦って、アーシャは途中で注ぎ込みを中止するが、勢いがついていて中々止まらない。
もうユズル自体が蛍のように発光するのではないかと言う量を注ぎ込んでしまってから、アーシャは力が流れる方向を、やっと自分のほうに切り替える事ができた。
ユズルと違って、アーシャの中にはそれ程急激に入りきらない。
入りきれなかった神気は岩に当たって砕ける滝の様に、アーシャに当たって周囲に広がる。
(家が、家が、神気まみれに!!)
まるで即席の神殿だ。
―――癒しの光よ!
何とか散らばった神気を消費しようと、もう一度巻き上げてアーシャは癒しの歌を奏で、ユズルの体に降り注がせる。
しかし当然それくらいでは神気は消え去らない。
(どどどどどどうしよう!!)
もうこの地域一帯に祝福をかけるくらいしか消費方法が思いつかない。
(あ、外!外に戻そう!そうだよ!残ったものは全部……)
慌てながらアーシャが更に歌を紡ごうとした時だった。
「こら……チビ……」
地獄から響いてくるような声が耳に入った。
「ぴっ!!」
アーシャは思わず飛び上がって、周りを舞っていた神気が、桶をひっくり返してばら撒かれた水のように部屋中に広がる。
「あっ……!わ、わ……」
慌てて持ち直そうとするが、一度切ってしまった集中がすぐに戻らない。
「なぁに、やってんだぁ?」
普段は聞き取れない神の国の発音が、しっかりと聞こえる。
それくらいゆっくり、かつ、一音一音に怒気がこもっている。
「あ………う………」
床に広がった神気を見ていたアーシャは、降ってくる怒りのオーラに、油の切れた蝶番のような動きで顔を上げる。
ソファーの人面芋虫の目が開いてる。
「あう……あ………」
震えたせいでアーシャの握りしめた神具がシャラシャラと涼やかな音を立てる。
大きく動いた人面芋虫から、ズボッと腕が生えて、ガシッとアーシャの両頬が掴まれる。
無理やり合わせられた視線が怖過ぎる。
「ちからはつかうな、っつったよなぁ?」
聞き取れても意味はわからない。
でも物凄く怒っていることはわかる。
「っと」
モゾモゾと動いて、もう片手が毛布から出てきて、遂には完全脱皮する。
芋虫から怒れる魔神が羽化してきた。
(殴られる!!)
これだけ怒ったら、人はやることは一つだ。
アーシャは頭を腕で防御してしゃがみ込む。
そして今か今かと衝撃に備える。
「…………はぁ」
そんなアーシャの頭の上からため息が降り注ぐ。
「おい、チビ」
そしてスボっと両脇の下に手を入れて、持ち上げられる。
びっくりして目を開くと、鼻先にユズルの顔がある。
「だめ!堪窒蝶恭?だめ!」
ユズルは物凄く怒った顔をしている。
こめかみ辺りに青筋ができるくらい怒っている。
でも今までぶつけられてきた『怒り』とは何となく違う。
聖女を道具のように扱った奴に聖書を
『悪い事』『やってはならない事』をやった時は、そりゃあ怒られた。
怒りを叩きつけられるように殴られた。
小さい頃はそれこそ体ごと吹き飛ばされる勢いで殴られた。
「叉膜廿太侮省塚蘭弧案鉾、給抽婦!いいな!?」
でもユズルの怒りはそれらと何か違う。
(怒ってる……けど、心配している……?)
何か色々捲し立てられているが、それはユズルの感情をぶつけられているのではなく、力を使うなと懸命に訴えられかけている様な気がする。
『治癒は駄目。治癒だけは駄目』
同じような顔で、誰かに言われたことがある気がする。
とても必死に。
険しくて、少し怖いくらいなのに、不思議と優しさを感じる表情。
(………?何でだろう?思い出せない)
アーシャはユズルに怒られながら、ついついそんな事を考えてしまう。
眉、目、口の形は思い出せるのに、それらを繋ぎ合わせようとすると、途端に記憶がぐちゃぐちゃになる。
でも何故か思い出さなくてはいけない気分になって、アーシャは記憶の海から、そう言った人の顔を手繰り寄せようとする。
しかし思い出そうとすればする程、もどかしいような、寂しいような、悲しいような、辛いような、奇妙な感情が湧いてくるだけで、一向に思い出せない。
「うわっ!」
そんな声で現実に引き戻されると、目の前にはユズルの驚いた顔があった。
彼は驚いた顔でアーシャを見たまま、数秒間固まって、唐突にアーシャを頭上に持ち上げる。
そして一旦下げて、再び上げるという謎の繰り返しが始まる。
「???」
ブンブンと上下に振られて、アーシャはポカンとユズルを見つめる。
戸惑いに戸惑ったユズルの顔に雨粒が降り注いでいる。
「?????」
天井を確認するが、穴なんて空いていない。
不思議に思っていたら、ドスンとユズルの膝の上にのせられて、ゴシゴシとユズルの服の裾で顔を拭かれる。
「あ………」
拭かれて初めてアーシャは気がついた。
何故かアーシャは涙を零していたのだ。
全く泣く気なんてなかったし、泣く要素もなかったのに、何故か涙が次から次に溢れている。
「あ〜〜〜、なくな!なくな!」
ユズルは犬を褒める時のように、アーシャの頭や背中をぐちゃぐちゃに撫でまくる。
あんなに怒っていたのに、アーシャを泣き止ませようと頑張っている。
(やっぱり、心配してくれてたんだ)
聖女の力が堕落を導くから忌まわしい等と思っていないのは、弱りきった顔をしながら、髪が逆立つほどに撫でている様子からわかる。
忌まわしいなら、こんなに激しく触らないはずだ。
ユズル自体に忌避感がないのに使うなと言うのは、きっと理由があるに違いない。
(『聖女』だとバレると良くない事が起こるとか……?)
こんなに豊かで清潔で、争いらしい争いがない、モンスターの影すら見えない、平和に見える神の国だが、実は聖女に選ばれると、アーシャの国より理不尽な過重労働させられるのかもしれない。
だからユズルは見つかったら危ないと、こんなに必死に叱ってくれているのかもしれない。
口を真一文字に結んで、珍しく眉尻を下げているユズルをアーシャは見上げる。
ゼンと違う形で、ユズルもアーシャを大切にしてくれる。
「ユズゥ、ごめんなしゃい……あいがとう」
ユズルにアーシャの言葉は通じない。
わかっているけど、駄目と言われた事をやった事への謝罪と、本気で心配してくれる事への感謝を、口に出して伝えたかった。
こんな時、この国の言葉が話せないのが、もどかしくてたまらない。
心を体から取り出して、相手の中に投げ込んで、共有できたら良いのに。
そんな思いで、アーシャはユズルのお腹に抱きつく。
どんなにくっついても、心が相手の中に移動しないことは知っているが、どうにかして伝えたかったのだ。
物理力で伝われとばかりに手に力を込めると、暫く微動だにしなかったユズルの手が、そろりそろりと輪郭を確かめるように、アーシャを撫でる。
先程の犬を褒めるような力強い撫で方と打って変わった、弱々しい手つきだ。
両極端で中間というものがないユズルがちょっと可笑しい。
「……ごめんなしゃい……」
アーシャは小声で謝る。
それは今日のことに対する謝罪ではない。
(周りの人にバレないように気をつけるけど……何かあった時は……)
自分が未来にしでかす事に対してだ。
このユズルの不器用な手と、ゼンの温かい手は失いたくない。
どんなに駄目な事だと言われても、きっと二人に何かがあったなら、アーシャは躊躇わないだろう。
この力が害にならないのであれば、迷う理由はない。
恐る恐る撫でる手を感じながら、アーシャは更に手に力を込めた。
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