10.鍛人、出会う(前)
現在は我が道を突っ走っているが、これでも色々と悩みながら生きてきた。
子供は親の命令に従うべきで、家族は助け合うべき。
長男は家業を継ぐべきで、弟たちは長男を支えるべき。
女子は母を助け、男たちの世話をするべき。
生まれた家、生まれた順番、生まれた性別。
それらで生き方が割り振られる息苦しい地元。
彼の生まれた場所は、大昔は鉄の産地だったとかで、鉄器を産業の中心として特殊な発展を遂げ、往来は自由なのに閉塞感に満ちていた。
地域の半分以上は職人の家で、残りは農家。
職人たちは互いに協力しあって一つの作品を作り上げるせいか、鬱陶しいほどに繋がりが強く、『ご近所付き合い』が通常の数倍濃く、新規が入り難い空気で、地域への人間の流入は殆どない。
だからかテレビもスマホもパソコンもあるのに、江戸時代あたりから保存し続けて、半分腐ったような価値観のまま取り残されている。
男は男らしさを求められ、女は女らしさを求められる、ジェンダーフリーやら多様性を認めようという世の風潮から取り残された村社会だ。
皆、自分達に割り振られた役割を果たしながら、そこそこ楽しそうに生きているが、芳幸にはずっと違和感が付き纏っていた。
父たち各家庭の男たちは粗暴だし、『家長』を気取って、無駄に偉ぶって好きになれない。
同世代の男友達と遊んでも、虫なんか集めて何が楽しいのかわからないし、缶を蹴ったり走り回ったりするのも泥と汗まみれになるだけで全然楽しくない。
彼らと自分が『同じ性別』に区分されることにずっと疑問があった。
かと言って逆の性別の女に馴染めるかというと、それも話は別だった。
母たちはハイハイと従順に夫や子供たちの世話をして、暇な時間を旦那の愚痴や、噂話だけにただ浪費する
同世代の女子たちは可愛い物を沢山持って楽しそうだが、一歩内部に入ろうものなら、大人の男女関係に勝るとも劣らないドロドロの人間関係が待っている。
その中に入ってやっていけるとはとても思えなかった。
男には属せないが、女になりたいわけでもない。
そんな自分を持て余し続けていた。
キラキラしたものが好き。
ふわふわしたものが好き。
そんな『男』は許されない。
『男』がそんな物を好きなんて、おかしいし、馬鹿にされる。
だから自分をひた隠しにして生きていた。
訳のわからない力強い英語が書かれたTシャツも、ダメージ加工を通り越したお下がりのジーンズも、真っ黒で飾り気のない学生服も全然好きじゃなかった。
でも我慢するしかなかった。
自分だけが他人と違うのだから耐えるしかないのだと思っていた。
そんな息を潜めて生きる毎日に大きな変化が起こったのは中学に入ってからだった。
『藤護様の後継が入学するんだって』
『後継じゃなくて、私生児?よそで出来た子供だってよ』
『双子なんだって。二人も露払いがいれば、藤護様の家も安泰だって父ちゃんが喜んでたよ』
藤護とこの地域の職人は切っても切り離せないので、その家の人間が中学に来ると聞いて学校は騒然となっていた。
この付近の職人たちは藤護が庇護して育てたと言っても過言ではない。
職人たちの納品先の多くは藤護で、大口の取引先だったのだ。
戦前はもっと絶大な影響力があって、この辺りの職人と藤護は主従関係に近かったと聞いているが、お家騒ぎがあったらしく、今ではその力が弱まり、子供たちの間では『この地方での一番のお得意様』くらいの認識だった。
一体どんな奴かと思っていたら、やって来たのは、刺々しい能面ヅラの色黒チビと、白けた顔の色素の足りないチビだった。
噂の『藤護』だったのに、二人とも陰気で、話しかけてもろくに返事すらしない。
周りと馴れ合う気はないとでも言いたげな態度で、特に黒い方は愛想のカケラもなかった。
最初は私生児だとか、妾の子だとか言いながらも、周りは『藤護』だからと好意的に接しようとしていたが、そんな対応では村社会で反発を買わないはずがない。
彼らに話しかける者はどんどん減っていった。
そのうち、少し調子にのった連中が、彼らに手を出した。
彼ら曰くの『ちょっとしたおふざけ』の一環だったのだろうと思う。
しかしそのおふざけで彼らの払った代償は大きかった。
その時はクラスが違ったので詳しい事情はわからないが、『少しだけ痛い目にあわせよう』とした六人は反撃され、六人とも病院送りにされたらしい。
しかも藤護と問題を起こしたとして、そいつらの家は職人の組合から外されてしまった。
組合から外されるということは、現代の村八分だ。
その事件から周囲は彼らを腫れ物のように扱い、誰も彼らに近づこうとはしなくなった。
いや、近づけなくなったと言った方が良いかもしれない。
その事件あたりから彼らは急な成長期に入ったらしく、どんどん身長と質量を増し、比例して迫力が激増し、その威圧感に皆の腰が引けてしまったのだ。
皆から遠巻きにされようが、爪弾きにされようが、彼らは超然としていた。
群れに入れない事の何が悪いという顔で、いつも背筋を伸ばし、真っ直ぐ顔を上げて過ごしていた。
皆は彼らを恐れたが、馬鹿にされて、爪弾きに合うことを恐れて『自分』を隠している芳幸にとっては眩しい姿だった。
(少しくらい周りと違っても良いんじゃない?)
彼らの姿を見ていたら、何となく、そう思えた。
彼らの姿に勝手に勇気をもらって、最初に買ったのは、ピンクのウサギの小物入れだった。
形や色が可愛い上に綺麗なビーズがついていて、それを持っているだけで胸が高鳴った。
『男がこんなの持って、気持ち悪りぃ』
しかしカバンの中に隠していた小さな秘密は呆気なく暴かれた。
笑って取り上げられ、晒し者にするように教室中でパスをして回される。
無理やり暴かれた秘密が、嘲笑と共に晒される。
終わった。
死にたい。
消えたい。
『可愛いじゃないか』
全身の血が下がっていた所で、ピンクのウサギを空中で掴まえたのは、褐色の巨人だった。
空気を読まないどころが、みんなが笑える生贄を見つけて楽しそうに盛り上がる空気を凍り付かせても全く平気な精神力。
『俺が欲しいくらいだ』
あっさりとそう言って彼はウサギを戻してくれた。
『あはは、でも、こんなの、男が持ってたらおかしいよな……』
そう言って、自分を笑い物にすることで難を逃れようとする芳幸に、彼は首を傾げた。
『似合ってるからいいんじゃないか?』
その答えはシンプルだった
今思えばかなり適当な言葉だったのだと思うが、その一言は物凄い力を持っていた。
大きく人生を変えた。
可愛い物も、キラキラする物も、『似合ってるんだから』持っていて良い。
『藤護』であり、少し憧れていた存在からの、強力な肯定だった。
それで良いんだと何故か納得してしまえる力があった。
最初は少しづつ。
『似合っている』大好きなものを集め始めて。
もっと欲しいから、大好きなものに『似合っている』自分に変化していく。
大好きな物は集めれば集めるほど、自分を肯定する武器になり、防具になった。
自分はこれで良いのだと自信になった。
今思うと、それは中学生くらいの年齢にありがちな、熱病のような思い込みによる行き過ぎた行動だったのかもしれない。
しかし大好きな物に囲まれると、深く呼吸ができた。
息苦しさが少なくなっていった。
親兄弟から嫌な顔をされることもあっても、周りから笑われてることがあっても、ずっと生き易くなった。
そんな機会を与えてくれた男と再会したのは大学になってからだった。
同じアパートになったのは親の意向もあったのではないかと、少し疑っている。
何せ、自分達の本家は藤護御用達の刀鍛冶だ。
分家である自分達も祭事に必要な道具類を多く納品している。
宗主に近い人間と、強力なつながりを持って欲しいと思うのも、当然だろう。
ただ、高校から市内に通うようになり、視野が広がり、更に我が道を突っ走っている芳幸に、あれこれ指示をしたら拗れると思っている節があるので、特に何の指示もなかった。
しかし同じアパートに住めたのは幸運だった。
藤護兄弟は思っていた以上に変わっていて、黒い方は自宅の庭で虚無の空間を育てていたり、白い方はストーカーを常に二、三匹飼っていたりと、中々独創的だ。
しかし双方細かいことは気にならないらしく、常に『可愛い』で満たされている芳幸を見ても
『似合ってるし良いんじゃないか?』
『作業は作業着でやれ。安全管理がなってねぇ』
そんな反応だった。
別人かと思うほど空気は柔らかくなっているし、記憶の片隅にも芳幸の存在は留まっていなかったが、昔と感覚が変わっていないらしい。
彼らの近くは息がし易かった。
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