5.化物、現る(後)

道場内は異様な静寂に支配されていた。

皆、声はおろか物音すら立てられずに、じっと静かに怒り狂う男を見つめる。

そんな中、道場の入り口から誰かが入ってくる音がした。

「こ、これは……一体……」

「……ひっ………」

道場の入り口をくぐった、二人の中年男性たちは声を上げた。

分家頭である一至の父親と、高次元災害対策会社の本部長だ。

客人が道場に行ったと聞いて、慌てて駆けつけて来たのだろう。

一至の父は顔色を悪くしながらも、中に入ってくるが、本部長の方は驚きのあまり靴を脱ぐことすらできないようだ。


「……一至、これは一体……」

父の問いかけに、一至は噛み締めていた口の力を何とか抜く。

「宗主代行の……逆鱗に触れました」

自分の声が震えていないことに、一至は少しだけ安堵する。

藤護の血を引く、指導者の立場として、情けない姿は晒せない。


「分家頭?」

皆が顔色を無くしている中、ただ一人、平気そうに事態を見守っていた譲が尋ねる。

「あ、あぁ、分家頭を務める藤守栄至えいしだ。こちらは高次元災害対策会社の本部長で……」

「ちゅ、中国地方本部長の田嶋です」

年配の二人を前に『はいどーも』と譲は軽く答える。


「禅!下っ端じゃなくて親玉が出てきたぞ!」

そう声をかけられて、禅一はゆっくりと振り向く。

父の体がビクリと小さく動き、本部長は大きく息を呑む。

「禅、怒るのはわかるけど、その垂れ流しの氣をしまえ。視界がうざったくて仕方ねぇ」

この恐るべき氣を『うざったい』の一言で片付けられる神経が信じられない。

「自分で制御できるなら苦労はない」

「さっきまでちゃんと抑えられていただろ。ったく、親玉へのサプライズがやりたかったのに、サッサとキレやがって」

「俺はこれでも我慢してる。今はこれが精一杯だ」

禅一はギリっと歯を慣らして噛み締める。


「え〜っと、そっちはエセ警備会社の責任者?」

譲が聞くと、歯を鳴らす禅一を倒れそうな顔色で見ていた田嶋が大きく頷く。

「は、はひっ!」

返事をしながら、彼は靴を後ろに脱ぎ飛ばしながら道場に入って来る。

「社員の生殺与奪権とか持ってるレベル?」

「せいさつ……いや、流石にそこまでは……解雇や更迭の指示ができるくらいで……」

ふんふんと譲は頷く。

「んじゃ、ここにいる九人を処分してくれ。俺らが育ててるチビに手を出そうとしている奴らだ」

あっさりと彼が放った言葉に、真っ青な九人から悲鳴のような声が上がる。


「いや、ですから殺すことは……」

「別に処分ころせとは言ってねぇよ。即刻コイツらを拘束して、スマホとパソコン、その他情報機器を取り上げて調査してくれ。幼児の誘拐に加担してた疑いがある。コイツらの情報をもとに関係者を全部洗い出してくれ……それくらい可能だろ?」

「は、あ、あ、えっと……」

咄嗟に判断できない田嶋の目は激しく泳ぐ。

しかし禅一が苛立ったように近づこうとしたのを見て、激しく頷く。

「はい!す、すぐに!な、な、中村君!彼らを拘束したまえ!!」

そんな指示を出された中村は驚愕の表情になる。

「え!?いや、彼らが加担したという明確な証拠はないので拘束するわけには……」

顔色を無くした九人が中村に縋るような視線を向ける。


「……証拠はいい。そいつらが手を出そうとしていた子供には、昨日『本家』から『藤護の人間として対応しろ』との庇護命令が出された。触れようとしているなら禁忌違反だ。容赦はいらない。捕まえて全ての繋がりを洗え」

しかし分家頭が容赦ない判断を示す。

「そんな!」

「嘘だろ!?」

「私は話を聞いただけで加担なんかしてないわ!!」

「横暴すぎるだろ!!」

その判断に悲鳴のような声が上がる。

最初は単なる驚きからくる単純な悲鳴だったが、そのうち口々に彼らは主張の声を上げる。


「お、俺たちはセキュリティチームの中でもトップクラスの実力なんだぞ!」

「ただでさえ手が足りないのに、お、俺たちを捕まえたら穢れがどうなると思ってるんだ!」

「そ、そうだ!穢れが異常活性している中、藤護が便利な『道具』を出し惜しみしてるのが……っっ」

男たちが一斉に吠え始めたのを、ヒュッと空を切る音が切り裂く。

「ひぇぇえええええ!!」

次いで情けない声が響いた。

迂闊に『道具』などという禁句を吐いた男の真横の床が大きな音をたてて、折れたのだ。


「……何で邪魔する?」

床を拳で破るという非常識な真似をした禅一は、唸るような低い声を出す。

「『何で』じゃねぇよ!お前、今、力加減ができる状態じゃねぇだろうが!グロ画像見たら、俺がミンチを食えなくなるだろうが!」

ここにきても『道具』などと言った男に対して、振り下ろされた拳を、接触直前で蹴り飛ばして軌道を逸らした譲は、渋い顔で反論する。

「コイツはもう手遅れだ。更生の見込みがない。潰そう」

「法治国家で人間を物理的に潰そうとすんな。大問題になるぞ」

「大丈夫だ。原型が分からなくなるまで叩く」

「だから人肉ミンチを作ろうとするな。あと原型がなくなっても目撃者多数で有罪になるからな。落ち着け。やるなら人目のない所でやれ」

折れた床の穴の横で、ミンチを寸前で回避した男は、兄弟の会話を聞きながら、足元に水溜りを作っている。


はぁぁぁ〜っと一際長いため息を譲は吐き出す。

「ったく、自分達の程度も把握できない馬鹿どもは、もう黙れ。禅がこれ以上キレたら視界がホワイトアウトする」

譲は面倒臭そうに周りを見回す。

「俺たちがいないと世界が困る的なヒロイック発言をしている奴がいたけど、全く困らないから、遠慮なく拘束されて調べられてこい。自分がシロだと言いたい奴も、しっかり調べられてシロだと証明しろ」

言われた者たちは、恐れで顔を青くしながらも、何か言いたそうだ。

そんな者たちの顔を譲は白けた顔で見る。


「自分を客観視できないっていうのは全くもって厄介なもんだ」

そう言って譲は鼻を鳴らす。

「お前らは自分達の4とか5の力を見て、この世は5段回評価と思い込んで大はしゃぎしてたみたいだけど、残念ながら世の中は100点満点だったってオチだ。コレがこの世の100」

漂う異臭に顔を顰める禅一の肩を、譲はポンポンと叩く。

今すぐコイツらを潰したい。

そんな獰猛な彼の心内を表すように、超高密度で重量級の氣が、彼らを押し潰すように降り注いでいる。

更にそれに共鳴して、大地から噴き出してくる、圧縮された氣に挟まれ、彼らの口からは、意味のある言葉は出てこない。

出てくるのは『あぁ』とか『うぅ』という呻き声だけだ。


「力を倍増させる秘密兵器とやらが本当にあったとして、ゴミ同然のお前らに使っても何の意味がないって理解しろよ。井戸の中のカエルちゃんたちは『神』本体を鎮めるとか小っ恥ずかしい事を言ってるらしいけど、5の力を倍増して10にしたところで、100が命懸けで何とか鎮めている『神』の前にすら立てねぇの。カエルじゃ海を見にいくことすら出来ねぇんだよ」

一至は聞いていて頭が痛む。

禅一が余りに規格外すぎるので、比べるのも烏滸おこがましいという事になってしまうが、炙り出された九人は、会社の中ではかなりの実力者なのだ。

彼らを『ゴミ同然』と言うなら、道場内の殆どの者がゴミという事になってしまう。

この場にいる者たちの気持ちが一気にへし折られてしまっている。

道場内がお通夜状態だ。


分家頭がため息を吐く。

「藤護を見たら『外』の人間たちが自分達で問題を解決をしなくなると言うのも『藤護本家に触れてはならない』という禁忌ができた理由の一つだ。藤護は神を鎮めるための一族。本来は『外』に手を貸す事はない。しかしその力を知れば頼りたくなると言うのが人の情だ」

一至は父の言葉に頷く。

「藤護は絶対的な力を持っていますが、普段の生活を守れるのは皆さんだけなんです」

何とか今後の運営に大きく影響が出ないようにしなくてはいけない。


「でも今、守りきれてないから、ウチのチビに手を出して、大元である『神』に対抗しようなんて連中が出てきたんだろ?」

そんな一至たちに、譲は反論を述べる。

口を挟んだ彼は、う〜んと考えるそぶりを見せる。

そぶりだけで、考えているわけではないことは、その目にイタズラを仕掛けるような光が踊っているからわかる。

「その原因が、さっきあいつらが言っていた穢れの異常発生?ってやつ?お仕事の発生件数が多過ぎて、職場環境がブラックになっちゃってるから過激思想がはびこっちゃったとか、そんなトコじゃねぇの?」

疑問の形をとっているが、確信しているのだろう。


分家頭である父は渋い顔をしている。

父は藤護の宗主は『生贄』なのだと言っていた。

使命という名の洗脳をかけて、脅威を鎮め、神域に留める、命懸けの番人にするのだと。

だから父は藤護兄弟に余計な繋がりを持たせたくない。

今回の件も彼らを母家に呼んで、うまく丸め込みたかったに違いない。

「あれ?違うのかな?」

しかしこれは丸め込めるタマじゃない。

こちらの腹の底を承知で敵地に乗り込んできて、首を食い破りに来たと言う目だ。




分家頭が言葉につまり、一至も方針がわからないので口出しができない。

高次元災害対策会社の連中は、代わりに答えて良いものかとオロオロしている。

「父さん、兄さん!?何かとんでもない氣が道場から……」

そんな中、新たな人物が道場の入り口に現れた。

一至の弟の光至だ。

異様な氣を感じて駆けつけてきたらしい。

「え………化け物……?」

手には法具を持って、氣を鎮める準備万端の様子だが、氣の中に立っている人物を見てポカンと口を開ける。

家族内で一番の才能に恵まれているが、まだ高校生なので、状況把握が追いつかないようだ。


「弟さん?」

道場内で唯一余裕の表情の譲が尋ねる。

「弟の光至みつしです。光至、宗主代理とその弟さんだ」

「あ……あぁ……」

光至は驚いた顔をしながらも、構えていた法具を下ろす。

「へぇ……この中では一番の実力者って感じだな」

譲はそんな弟を、目を細めて見つめる。


「光至、ここは良いから母家に……」

「はいはい。光至クン、ちょっと聞きたいんだけど、君も穢れを払ったりしてんの?」

一至は光至を慌てて道場から追い出そうとしたが、獲物を見つけた譲の方が早かった。

「あっ……はい。こちらの高次元災害対策会社の方々と一緒に修行させてもらっています」

まだ世間に出ていない光至は、素直に答えてしまう。

「今って穢れの発生件数ってすげぇことになってんだろ?」

「はい。最近はかなり増加傾向だったんですが、お正月に『変異』が起こった後は、僕らが入っても中々手が回りきらなくて……正直ちょっと大変です」

末っ子として大切に育てられた光至は相手を疑うことなく、あっさりと返事をしてしまう。


譲はニタリと笑う。

「それ、俺たちも手伝ってやるよ」

その言葉に分家頭の顔が凍りつく。

「いや……藤護が……藤護が直接動くのは……」

「だから俺たち、苗字が藤護になっただけで、実質部外者だから」

何とか止めようとする分家頭を遮って、譲は田嶋本部長に向き直る。

「え〜っと部長さん?コイツらを拘束してくれたら、俺らがその代わりに仕事をやってやるよ」

床を壊したことを申し訳なく思ったのか、割ってしまった床板を、そっと組み合わせて元に戻そうとしている禅一の頭を、譲は遠慮なくポンポンと叩く。


「……コイツらを手伝うのか?」

禅一は嫌そうな顔だ。

「良いだろ。それともお前、ソレの修繕費自分で支払える?どうせ悪霊の類はお前が近寄っただけで蒸発するんだから。楽にお小遣い稼ぎに勤しもうぜ」

譲は抉れた床を指差すが、禅一は無言で首を振る。

関わり合いになりたくないくらい悪印象が強い様子だ。

「チビに色々買ってやりたくないか?ヌイグルミとか人形とか。牛乳パックで作った宝物入れじゃ可哀想だろ?綺麗なやつを買ってやりたくねぇ?」

分家頭は祈るような顔で禅一を見ていたが、譲の一言で、禅一はスッと立ち上がる。

「手を貸そう。有料で」

一瞬での見事な手のひら返しだった。


驚いたことに、怒りに渦巻いていた禅一の氣が、見る見る落ち着き始める。

「チビを出した途端落ち付くとか……」

譲は呆れ顔で呟く。

彼が放出した氣が消えることはないが、臓腑をも握り潰そうとするような、鋭い威圧感が和らぐ。

その氣が光の柱のように噴き上がる事はなくなり、穏やかに、まるで後光のように彼の周りに留まる。

(感情だけで……あんな恐ろしい量が噴き出すのか……)

あまりの急激な変化に一至は驚くことしかできない。


「じゃ、決まり。人手不足が問題で、疑わしきを拘束できないって言うなら、その代わりに俺たちが入る。だからウチのチビをチートアイテムか何かと思い込んでいる低脳たちを回収してくれ」

化け物ふじもりと比べられたら、無力に等しいが、人々の生活を守るには貴重な戦力だから、拘束されるはずがないと思っていた九人は真っ青になっている。

「こ、これほどの力の持ち主が……!!こちらとしては大歓迎です!!中村くん!早く拘束して!」

それに対して、今にも枯れてしまいそうだった田嶋本部長は、途端に元気になっている。

自分の部下を拘束しろと命令された中村は、複雑そうな顔をしたが、命令に従って動き始める。


「兄さん、俺、もしかしてすごく良くない時に来ちゃった?あの人たちどうなるの?」

固まる父や、拘束される顔見知りに光至はオロオロとする。

「いや……大丈夫」

全く大丈夫ではないが、一至はそう言って弟を安心させる。

(多分、こっちがどう動いても、この流れに持っていくつもりだったと思うからな)

諦め半分で一至は譲を見る。

わざと力を抑えて自分達を侮らせて、危険因子を見つけ出し、最後は圧倒的な力を見せつけて高次元災害対策会社との繋がりをもぎ取る。

一体これから、彼がどういう展開を描いているのかわからないが、油断ならない男だ。


『今の末子が正式な次期宗主候補になったら、その時点でこちらはお役御免だ』

古きしきたりに従って、事が進められると喜んでいた分家頭である父は、ひよっ子と甘く見ていた相手に、まんまとしてやられて呆然としている。

自分の子供を本家にとられる可能性を完全になくそうと動いた結果、本家や分家たちから叱責される事態を招いてしまったから、仕方ないのかも知れない。


一至は不安そうに自分を見上げる弟の肩を叩く。

「良いんだ。今の状態だったら、早かれ遅かれ限界が来ていた。藤護としては……まぁ困った状態になるだろうが、全体として見たらきっと良い方向に動くはずだ」

自分にも言い聞かせるように、一至は言う。

実力至上主義に流れ始めていた高次元災害対策会社の空気も、原因不明で活性化を始めた穢れたちの対応も、あの兄弟が入ると大きく変わる気がする。




「視界がウザいから、もうちょっと頑張って抑えろよ」

「そんなにか?」

「ウザさが半端ない。……小松菜ブーストはやり過ぎだったな」

田嶋本部長との話し合いの合間に、密やかに藤護兄弟が交わした会話は誰の耳に入ることもなかった。

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