5.化物、現る(中)


道場内は修練する人々の騒がしい声や音で、最初は闖入者に気がつく者はいなかった。

「一至さん!?」

しかし師範代を務める男が驚いて声を上げたため、そこから次々と沈黙が広がり、皆が何事かと修練を中断していく。

道場内で分家頭の長男である一至の顔を知らない者はないが、その横の大男二人組は知らないので、自然と彼等に疑わしそうな視線が集まっていく。

四十人はいる道場内の人々の視線を集めても、宗主代理もその弟も全く気圧された様子はない。


「はいは〜〜〜〜い!高次元サイコパス会社の皆さんご注目〜〜〜〜!」

弟の方に至っては、パンパンと手を叩きながら、初手から喧嘩を売りはじめた。

胡散臭いものを見る目だった皆の視線に敵意が混ざる。

「日々、幼児誘拐のための訓練ご苦労様で〜〜〜す!」

刺さるような視線の中、殊更彼は明るく燃料投下をする。

『幼児誘拐』に反応して数人の視線が厳しくなる。


「急に入ってきて、訓練を邪魔して……一体何事です?一至さん」

闖入者の唐突なる煽りに乗らないのは流石と言うべきか。

今朝の稽古対象チームの統括補佐である中村が、ニヤニヤとしている弟を無視して、一至に話しかける。

「……こちら、藤護の宗主代理、藤護禅一さん、そしてその弟の「譲サマと遠慮なく敬い尊敬して呼んでくれ」」

一至の紹介にも弟は割り込んでくる。

煽り倒すつもりのようだ。


「宗主代理!?」

「藤護本家の!?」

「おい、接触して良いのか?」

藤護の宗主代理と聞いた道場内には、さざ波のように動揺の声が広がっていく。

紹介を受けた禅一は、軽く頭を下げただけで、その後は厳しい視線で道場内を見回している。

『譲サマ』と名乗った弟も、口にはにこやかな笑みを浮かべながら、冷え切った目で道場内を一瞥する。

「いるか?」

小さく譲が呟いた声に禅一が頷く。


「藤護本家の方がいらっしゃるとは……我々は彼等と接触してはいけないことになっているんですが……」

統括補佐の中村は、交渉相手を一至だけと思い定めているようで、殊更藤護兄弟の方に目を向けない。

接触禁止の規則を守るとともに、喧嘩をふっかける気満々の譲との接触を避けているのだろう。

「あ、俺たちは『藤護本家』の人間じゃねぇから。現宗主に正式な跡取りができるまでの代理に過ぎない超絶一般人雑種ミックスの、ほぼ部外者だ」

「……だ、そうだ。ちょっと話を聞きたいらしい」

周りの者が憚って口にしない事実をあっさりと晒す譲に、一至は頭を抱える。


譲の一言を聞いた道場内には、ちょっとした嘲りの空気が流れ始める。

「そういや、今の宗主が外で作った子供だって聞いた」

「宗主代理と言っても外の人間で、分家頭のように生まれながら修行してるわけじゃないらしいぞ」

「どおりで『藤護』って言ってもウチのトップたちくらいの氣じゃんか」

「これなら光至みつしさんの方が力が強いんじゃない?」

本来、本人たちに聞こえない様にしなくてはいけない陰口が、どんどん大きくなっていっている。

『宗主代理』の力が大した物ではないと判断したこと、そしてその弟の態度が明らかにこちらを馬鹿にしていることで、敵対しても問題ないと思ったのだろう。

それにあちらは四十人を越える大人数で、相手はたったの二人だ。

気も大きくなるだろう。


「何かご質問でも?」

嫌々、中村は、二人に水を向ける。

そうすると譲は嘘くさい笑みを浮かべる。

「ここにいる人間だけで良いんで、ちょこっとアンケート取らせてもらいたいんだよね」

顔の造作が良いせいで、余計に相手を逆なでする笑顔と、こちらを馬鹿にしたような、ふざけたような口調に、道場内の空気がどんどん悪くなっていく。


どうぞとばかりに中村が譲の前を空けると、彼は殊更相手を馬鹿にしたような顔で道場内の人間を見回す。

「まずは『藤護本家』を知ってる奴!手ぇ上げて〜〜〜」

あまりに当然の知識すぎて、一体何を聞いているんだとばかりに、道場内の人々は白けた顔を見合わせながら、全員手をあげる。

「あ〜、流石にそれは知ってるか。はいはい。了解了解。んじゃ次に、今、藤護には宗主代理がいることを知ってる奴!」

『はーい』とばかりに、手を上げて見せる譲に戸惑いながら、皆、手をあげたままだ。

「宗主代理がうら若き十九歳の青二才だと知っている奴!」

本人を目の前に年齢を聞く、その意図が掴めず、この茶番は何だとでも言いたげな顔で、再び、皆が手を上げる。


「市内に宗主代理が住んでる事を知っている奴!」

この質問で十人ほど手を下ろしたが、やはり殆どの手が上がったままだ。

「宗主代理の名前が藤護禅一だと知っている奴!」

先程の質問で手を下ろした者も再び手を上げて、全員が手を上げる。

「宗主代理が子供を引き取ったことを知っている奴!」

その質問でパラパラと手が下がる。

「その子供の特別だっていう噂を知っている奴!」

今までと全く調子の変わらない質問だったので、半数程の手は上がったままだ。


「はい、今、手を上げてる奴だけこっちに来て。あ、そこのツーブロックとポニーテールはいいや。朝練に戻っちゃって」

一度手を下げた者は除外される。

(これだけの人数をちゃんと見てるんだな)

ふざけた態度をしているのに、しっかりと見ている事に一至は驚く。

同時に、どうでも良い質問で手を上げることに拒否感を無くしつつ、本当に聞きたい質問を何気なく混ぜ込む、年齢に見合わない老獪ろうかいさに、油断できないものを感じる。


「はい、アンタ、噂の内容言って」

何だ何だと、譲の手の動きに従って、集団から分離された中の一人に質問が飛ぶ。

「あ、えっと……何か重要そうな子供で、近いうちに『本家』から保護の通達が出されるんじゃないかって……」

「他は?」

「え?いや、それくらいで……」

「うわっ、使えねぇ。知ってる噂がコイツと一緒な奴!手ぇ上げて」

使えないと言われた者は屈辱に顔を歪めるが、譲は全く気にする素振りがない。

その言葉に困ったような顔で五人が手を上げる。

「はい、今手を上げた奴と、お前、使えないから戻って」

しっしと最初に質問した者と、手を上げた五人が追い払われる。


集団の残りは十四人だ。

「はい、次はアンタ、噂の内容言って」

「えっと……ウチの会社の奴がその子を誘拐しようとしたって……」

「何で誘拐しようとしたか知ってるか?」

「よくわかんないけど……『藤護』の子供だから何か能力があるって言って……利用しようとしたとか……」

「何の能力があるんだ?」

「いや……何か凄い能力が……」

「は〜〜〜い、コイツと一緒で何の能力があるか知らない無能!手ぇ上げて〜」

困り顔で、おずおずと四名が手を上げる。

「はい、お前らも使えねぇから戻れ」

シッシと譲は手を振る。

五人は悔しそうな顔をして修練に戻っていく。


残りの九人は『自分達は他と違う』という反抗的な目で、譲を睨んでいるが、彼らは気がついているのだろうか。

最初、集団を切り分けるときは、手を挙げ易い環境を作っていたのに対して、戻らせている連中は、こき下ろして、手を挙げにくい環境を作った上で切り離している。

「で、禅、どいつだ?」

腕を組んで静かに事態を見守っている禅一に、譲は尋ねる。

すると禅一は迷わずに集団の一番後ろで、大きな体を精一杯小さくしている男を指差す。


「そこの下を向いてる肉団子、前に出てこい」

ビクリとした男は視線を下に向けたまま動かない。

「あれ?出てこないの?ウチの狂犬に喧嘩売ったくせに顔を覚えられないとか思ってる?コイツ、爽やか体育会系の大型犬みたいな顔をしているけど、恨みはネコ並みに忘れないよ?三代祟るぜ?遺伝子レベルで記憶されてんぞ」

煽っているのか、兄を貶しているのかわからない言葉に、男は反応しなかったが、他の者の顔はどんどん険しくなっていく。


「おい、藤護本家だからってチョーシにのってんじゃねぇぞ!」

「そうよ!持ち上げられてるけど実際に会ったら、全然大した力じゃないし!」

「俺たちの方がお前らより断然上手く神代を使いこなせる!とっとと神代を寄越せよ!」

「回りくどい方法で俺たちを炙り出したつもりか!!便利な道具を独占して偉ぶりやがって!」

口々に言い出した四人に、肉団子を除く残りの四人がギョッとした顔をする。

「ちょ、ちょっと、いくら何でも……!本家の人に言い過ぎよ!!」

ギョッとした内でも気の強そうな女性が四人を嗜めようとする。

「うるせぇ!お前だって神代の話をしたら乗り気だったじゃねぇか!」

そう怒鳴りながら、男は女性を突き飛ばそうとした。


「『使いこなせる』ね。へぇ。『使う』つもりなのか」

しかし突き飛ばそうとした男の手は素早く横から握られた。

その低い声にガクガクと、先程譲に絡まれた『肉団子』が震え始める。

「まだ言葉も理解できずに、自分の意思すら誰にも伝えられない、小さなアーシャを『使う』のか」

「離しやがれ!いてぇ………ん………あ……あぁ……」

腕を捻り上げられた男は怒りを込めて、睨みつけようとして、その表情が驚愕に変わる。

『あ〜あ』という顔で譲は首を振る。



そこには突如として白く輝く、光の柱が現れていた。

いや、光の柱の如く、細かい光の粒子のように輝く氣が、渦巻きながら立ち昇っていた。

それはまるで巨大な太陽柱サンピラーだ。

その中心にいるのは男の手を握った禅一だ。


『下手に近づいたら、神経を焼き切られかねない』


そう言った父の言葉は、脅しでも、比喩でも、怖気付いたのでもない。

ただの事実だったのだ。

一至は目の前に現れた氣の奔流に、カクンと膝が折れた。

光輝き、質量を持って周りの全てを押し潰すかのような氣が、ほとばしっている。

こんな放出があり得るのだろうか。

普通の人間が、いや、藤護の血を引く一至が命をかけて、自分の中の氣を外に出したとして、こんな爆発のような氣にはならない。


「答えろ。神代なんてふざけた名前をつけた子が、言葉すら理解できない程小さい事は知っているんだろう?お前たちはどうやってその子を『使う』つもりだったんだ?」

手を握られて逃げられない男は、答えるどころか、氣に呑まれて立っていることすらできなくなって、操り糸の切れた人形のように床にうずくまる。

「おい、その口は飾りか?なんか喋ったらどうだ」

そんな男の腕を吊り上げて、禅一はその顔を覗き込む。

「は、ひっ、ひっ、ひっ」

数秒前までの面影なく、じんわりと男の股間から黄色いシミが広がる。


「…………」

一至は何とか這いずるようにして禅一から離れたが、信じられないものを見て、息を呑む。

祝詞も、神剣も、神経を集中することすらなく、放出された禅一の氣に呼応するように、床下から氣が噴き上がってきている。

静かに、ゆっくりと波紋が広がるように、噴き出してくる氣の範囲が広がっていっている。

道場内にいる者は基本的に氣が見える。

見え方には個人差があるが、見えない・感じないでは使いこなせないので、氣を使う者はそれが大前提なのだ。

なので道場内は呆然と広がる氣を見つめる者、動けなくなる者、悲鳴を上げて遠ざかる者と反応は様々だが、パニックが起こりつつある。


喋ることはおろか、息継ぎすらまともにできなくなった男は、ポイッと投げ捨てられる。

軽く腕を振っただけに見えたが、まるでヒグマの一撃を食らったかのように、男は宙を舞い、床に激しくぶつかって、跳ね返る。

バラバラに動いて、それぞれのタイミングで床に叩きつけられた手足が、衝撃の大きさを物語る。


「アンタ、公園で会ったな。五味さんに報告を上げてもらうように伝えたはずなのに、何で拘束もされず、のうのうと自由に動き回っている?」

ガクガクと震えながら真っ先に逃げようとしていた肉団子が捕まった。

質量的には自身よりも重そうな体を、いとも容易く引きずり上げ、禅一はその顔を覗き込む。

「あ、お、俺、俺は、めい、命令された、だけで……」

肉団子は息も絶え絶えな様子で、全身の肉を恐怖に揺らす。

「『我々は日夜、日本各地の穢れを清めて、神級になる事を抑え、新しい災害の芽を摘み取っている』『だからこの国の安全のために神代をこちらに渡せ』だったか?」

怒っているように見えない、冷静な顔が逆に怖い。

冷たい表情の中、その目だけが憤怒に煮えたぎっている

そんな顔を近づけられた肉団子は、痙攣するように震える。

「アンタもそう思ったから、あの近常とか言う奴と一緒に来たんだろう?人の大事な妹を『この国のため』だから『使って』やろうと思っていたんだろう?」

最早震えているのか、首を振っているのかわからないが、あの氣に晒され続けたら、そこそこの実力者でもひとたまりもない。


「ふ、藤護様!!」

真っ青になりながらも、統括補佐としての仕事を果たそうと、中村が禅一に近づいて行く。

「か、彼は近常ちかとこ統括に命令されて、貴方に接触しただけです!本人の意思では……」

しかし禅一に顔を向けられただけで、彼は動けなくなる。

「本人の意思ではない?本当にそうか?アンタたちは自分達が何をやるかもわからずに仕事をしているのか?小さな子を保護者から引き離す事が良い事か悪い事かすら自分で判定できない無能なのか?それとも誘拐でも仕事だったらやるのか?『お国のため』だから自分達は何をやっても許されるとでも?」

上からの命令に従っただけと言う擁護は、真っ向から否定される。


何も言えなくなった中村に、禅一はゆっくりと近づく。

「アンタは責任者か?」

禅一が近づくほどに、中村は青くなっていく。

「だ、だい、第三セキュリティチーム統括補佐の中村です。ち、近常統括が更迭され、一時的に統括役を任されています」

声は震えているが、何とか返事ができたのはチームを束ねる者の意地だろう。

そんな中村の心臓あたりを、禅一が人差し指でトンっと押す。

「部下を庇える上司というものは素晴らしい事だと思う。アンタが気苦労を背負い込むだけで済むならいくらでも庇ってやればいい。しかし社外の人間に被害がいくなら話は別だろう?」

小さな振動だけで、中村の膝がカクンと折れる。

あり得ない氣に至近距離で晒されて、限界だったのだろう。

「次にうちの子に手を出されたら俺は徹底的にやる。お国のために働いていようが、誰かのためになる活動をしていようが関係ない。社内に癌を残して俺に潰されるか、自分達で癌を治療するか選べ」

床に座り込んだ中村を睥睨へいげいしながら禅一は宣言する。


バックに国の支援がついた会社を『潰す』なんて一般人が言ったら、笑い話だ。

しかし道場内の誰も笑ったりできない。

彼の怒りに共鳴するように苛烈で、あり得ない量の氣が自分達を取り巻いているのだ。

その姿は正に『化け物』だ。

人間ではあり得ない。

道場内は異常な静寂に包まれた。

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