4.不思議ちゃん、現る(後)
まるで大人のような賢さを持ち合わせた、不思議な子供。
それが麗美の新入園児・アーシャに対する感想だった。
(この見た目でトイレトレーニングも完璧だなんて……)
アーシャのお世話をしながら、麗美はそんなことを思う。
トイレは当然介助が必要だろうと思っていたら、一人でスボンも下着も下ろして、用を足したら、きちんと拭いて立ち上がる。
最後は上着まできっちりとズボンに入れて、完璧に服装を整える、素晴らしさだった。
トイレのドアを閉めるという概念は抜け落ちているようだが、見ていて不安になる事は全くなかった。
そのまま手も洗えてしまうのではないかと見守っていたら、流石にわからなかったらしく、暫くぼんやりした後に、手洗い場の前面に貼られた鏡で遊び出してしまった。
(そうよね。『子供』ならこれくらい脱線しちゃうわよね)
麗美はアーシャに手洗いを教えながら、ホッと息を吐き出した。
他の子供と比べて、あまりに行動に整合性がありすぎて、本当に子供なのだろうかと、疑問を持ち始めていたのだ。
しかし手を引けば大人しく着いてくるし、初めて身につける帽子も嫌がらないし、靴を見せれば、あっさりと足を入れてくれる。
一度も抵抗や、あちらに行きたいとかあれで遊びたいなどの主張もなかった。
イヤイヤ期真っ盛りの子供なら、これ程スムーズにこちらの指示に従うはずがない。
(やっぱり二歳さんじゃあり得ないな。この落ち着きっぷりなら年長さん……いや、年長さんでも、こんなに扱い易い子はいないかも)
そんなことを思いながら、麗美はアーシャをお散歩カートに入れる。
お散歩カートは、まだまだ交通ルールを理解できていない、又は長い時間歩く事が出来ない幼児をお散歩に連れて行くための物だ。
素直なアーシャはきちんと歩けそうなのだが、衰弱している外見と、車を怖がる傾向があるとの保護者からの申告により、しばらくお散歩はお散歩カートで行く事になっている。
「…………えいみぃ?」
大人しくカートに乗せられたアーシャは、何やら呆然とした顔で麗美を見つめる。
「みんなを連れてくるからね」
麗美は忙しく踵を返す。
お散歩カートに乗せる子供はあと四人。
(あとの子達はオムツだからオムツチェックして……)
みんな動く乗り物が大好きなので、カートに入れてしまえば、こちらのものなのだが、乗せるまでが大変なのだ。
お散歩カートには赤松が着いて、麗美は園児を連れて往復する。
「危ないから、だーめ!」
お散歩にカートに乗ったら、おでかけとわかっている子供たちとは違い、初めてのアーシャは驚いている様子だ。
怯えた顔で逃亡しようとするが、ベテラン・赤松のオフェンスは完璧だ。
カートの柵を乗り越えようとするアーシャは、あっさりと柵から引き離されて、中に戻されている。
(………ちょっと怖がり方が普通と違うような……)
赤松は微笑ましそうにしているが、麗美は子供たちを運びながら、一抹の不安を感じる。
赤ちゃんたちを多人数用ベビーカートに乗せ、最後の一人を何とか捕まえてお散歩カートに入れる。
「この子で最後です〜〜〜!」
そう言いながら、ようやく散歩に出られることにホッとする。
絶対安全な園内とは別の意味で道路は気を使うが、お散歩を嫌う子は少ない。
みんな機嫌良くカートに乗っておいてくれるので、出発すると比較的楽なのだ。
静々と隊列の先頭のお散歩カートが出発する。
「い〜にぃ〜ねぃな〜!!のあのあ!!みりゅえいにぃぜんにぃ〜〜〜!!」
と、思ったのだが、カートはすぐに止まってしまう。
「アーシャちゃん、大丈夫だよ〜〜〜、怖くないよ〜〜〜」
赤松が落ち着かせようとするが、アーシャがガシャガシャとカートにしがみついて荒ぶっている。
「のあ!の〜〜〜あ〜〜〜〜!!ゼン!ゼンッ!!ゼンンンッ!!」
空気を裂くような声に、出発しようとした園児たちに動揺が広がる。
先程まで聞き分けが良かったアーシャが激しく荒ぶる。
一生懸命、誰かの名前らしきものを呼んでいる。
(あ……もしかして、お兄ちゃんと更に引き離されると思っている!?)
咄嗟に思い出せるのは苗字だけだが、そんな名前だったような気がする。
アーシャはパニックを起こしつつあるようで、泣き声が悲鳴のようになっている。
赤松が一生懸命声をかけているが、既に聞こえていなさそうだ。
散歩に出たら機嫌が治るかもしれないが、柵を登ろうとしているので、危なくて出発もできない。
ここは出番かと、峰子がカートに歩み寄る。
しかしその峰子を抜かして、小さな影がカートに取りすがる。
「あーさ!!」
そして鼓膜に響くような大声で呼びかける。
園内で度々暴走して問題を起こしている年中さんの幸太だ。
正義感と義侠心を持ち合わせた素晴らしい『お兄ちゃん』なのだが、多少調子にのり易く、暴走しがちな子だ。
彼は体を伸ばして、カートの柵にしがみついているアーシャの手を握る。
「……こーた……」
ホタホタと涙を零しながら、アーシャは幸太を見る。
どうやら二人は顔見知りな様子だ。
「おれがついてるぜ!あーさ!まもってやるからな!」
そう言う幸太は戦隊モノの
彼が背中には、
「流石。世界で一番のお兄ちゃんを目指して日々
ポツリと呟いた峰子は、しっかりと彼の背後にスタンバイしている。
彼の自信の源である段ボールソードを取り上げる気満々だ。
「あーさ!おれがいっしょにのってやるよ!せんせい!いいだろ!?」
キリリとした顔で告げる幸太に、赤松は苦笑する。
お散歩カートの制限人数は六人。
ギリギリ乗れるし、幸太のお陰でアーシャが落ち着きを取り戻し始めている。
年中さんには交通ルールを覚えるためにも歩いて欲しいのだが、特例を認めざるを得ない。
赤松に抱えられてカートの中に入った幸太は、しっかりとアーシャと手を繋ぐ。
「あーさ!おれがにーちゃんになってやるからな!」
戦隊モノの影響を受けているにしろ、幸太のアーシャを思いやる気持ちは本物だ。
(人の事をよく見ているのね、幸太くん)
お兄ちゃんと引き離されて泣くアーシャのために、お兄ちゃん代理を申し出ることのできる、優しさと賢さ、そしてその観察眼に、麗美は胸が温かくなる。
それと同時に自分が恥ずかしくなる。
『子供』だから仕方ない。
『子供』だから何を言ってもわからない。
叱ったら『子供』に嫌われてしまう。
相手は『子供』なんだから、自分は我慢するしかない。
いつの間にかそんな風に思い込んでいたが、彼らは『子供』ではなく成長中の人間なのだ。
幸太のように、相手の心を思い遣って、自分ができる事を考えて、行動できる力がある。
泣き叫んでいる子に近づいて行くのは勇気がいっただろう。
常に元気で兄貴風を常に吹かせている彼にとって、赤ちゃん組たちと一緒にカートに乗るのは恥ずかしいだろう。
でも彼は怯えるアーシャのために行動する道を選んだ。
たった五歳なのに、彼は自分で考えて、他者のためにできる事をやったのだ。
幸太は空いている方の手で、袖を掴み、アーシャの涙を拭う。
するとギュッと縮こまっていたアーシャの肩が緩む。
そんなアーシャに幸太は胸を張る。
「あーさ、にーちゃんがいろいろおしえてやるからな!」
何でも聞けと言わんばかりに、自身の胸を叩く幸太を、緑の目がキラキラと輝きながら見つめている。
小さな彼は自分の言葉と行動で、怯えるアーシャを助けたのだ。
「あ!」
そんな幸太に忍び寄った影は、彼の背中から段ボールソードを取り上げる。
「さだこせんせい!!」
感動的なシーンにあっさりと割り込んだのは峰子だ。
「貞子ではなく峰子です。武器の園外持ち出しは禁止しているはずですよ?」
「おれはあーさをまもるために……」
反論しようとする幸太を峰子は撫でる。
「はい。ですから何かあった時は、アーシャちゃんを連れて逃げてあげてください」
「にげるなんてしない!おれはワルモノをぶったぎって……」
「ええ。幸太くんは大きくなったら立派なヒーローになると思います。ですから今は小さな君の体とアーシャちゃんを守るために逃げてください。戦略的撤退というやつです」
「せんりゃ………?」
「後でワルモノをぶちのめすために、修行する時間を稼ぐ作戦のことです」
幸太は何を言われているのかあまり理解していない様子だが、『修行』や『作戦』などの魅力的な単語に見事にのせられて、しっかりと頷く。
「さくせんか。そっか、さくせんか」
「逃げるときは大声を上げるのを忘れてはいけませんよ。将来のヒーローの、声の大きさを、ワルモノに思い知らせてやってください」
峰子は薄く笑うと、さっさと段ボールの剣を片付けに行ってしまう。
注意を
口うるさい峰子に幸太は懐いておらず、むしろちょっと怖がっているが、いつも危ない所でフォローに入るため、深く信頼されている。
(私の仕事は子供に好かれる事じゃなくて、不安を取り除いて安心できる環境を作って、良い方向に成長させることなんだよね)
麗美はカートを握る手に力を込める。
「はーい、出発しまーす」
赤松の元気な号令でお散歩カート、ベビーカートに続き、お散歩ロープに掴まる小さい組が続く。
その後ろが二人組で手を繋いだ大きい組さんだ。
お散歩は広い歩道がある道を通って、近所のアーケード商店街を経由して帰ってくる。
大人が普通に歩いたなら十分程度の道のりだが、子供の足になると途端に三倍くらいかかる。
この為、小さい組さんは途中の公園で休憩して、カート組と年長さんだけが全行程を歩く。
大昔は栄えていたアーケード街も、今ではめっきりシャッター街と化している。
そんな中でも、頑張っている店がちらほらあるが、活気はない。
平日の午前中ということもあり、アーケードの中にいるのはほぼ高齢者だ。
アーケード内に机と椅子を出して、自宅のようにくつろいでいるご老人までいる。
彼らは園児たちに好意的で、手を振ったり、声をかけたりしてくれる。
顔をくしゃくしゃにした青果店の店主は園長に果物を渡してくれたりなんかもする。
前を行くカートの中には、お兄さん風を吹かせて色々と解説している幸太に、何でも珍しそうに眺めるアーシャの姿がある。
ここを散歩コースに入れているのは、アーケード内に若い人を呼び戻そうとの活動の一環と聞いたが、残念ながら園児の興味を引きそうな店はあまりない。
しかし彼女には全てのものが新鮮で興味深いようだ。
その中でも強く彼女が興味を持ったのは、アーケード街側からの入り口もある神社だ。
街中なので鎮守の森というより、ただの生垣に囲まれた小さな神社だが、外国の子には物珍しいのだろう。
「おれ、ここのうじっこなんだぜ!」
うじっこではなく
小さな神社だが、秋祭りなども行われる地域密着型の神社なのだ。
同じように、アーシャは仏具屋も物珍しそうに、身を乗り出して見ていた。
「う〜ん……おはかやさん?」
幸太は自信がなさそうに説明していた。
確かに、子供にとって仏具屋なんてわからないだろう。
お墓との関連性を理解しているだけでも凄い。
幸太はアーシャがここで過ごすための情報を絶え間なく教えている。
彼自身も園児なので、『信号は青の時渡る』『イチョウの実(銀杏)は手で触ったら危ない』『あの植え込みはセミの抜け殻がたくさん手に入る』などの、何とも可愛らしい情報なのだが、妹分のために精一杯のお役立ち情報を、惜しみなく出している。
それでいて何か見返りを期待しているわけではない。
園に帰ってきて、すっかり落ち着いたアーシャを確認したら、自分の役目は終わったとばかりに、走っていってしまった。
(あんなに小さい子が他の子のために頑張れるのに……)
他の先生のように子供に好かれたい。
好かれる先生でありたい。
そんな気持ちが先行して、きちんと叱ることもできなかった。
人の体を許可なく触る事はいけない事なのだと諭すのが、先生としては正しい事だったのに、曖昧に笑いながら『ダメよ』『触らないでほしいな』と嗜めることしかできなかった。
(私は『先生』になれてなかったんだ。……ちゃんと『先生』にならないと)
子供たちを教室に返し、手を洗わせながら麗美は自分を奮い立たせる。
「こんにちは」
そんな麗美の後ろから低い声がかかる。
こんな時間に園内に成人男性がいる事はないので、声をあげそうになったが、何とか彼女は飲み込む。
「こんにち……は………」
笑顔で取り繕って、振り向いた麗美は固まる。
彼女の目の前にあったのは巨大な壁……ではなく壁のような胸板だった。
「………………」
相手の顔は見上げる位置にあった。
「本日から慣らし保育をお願いしている藤護です。お迎えに来ました」
十九歳とは思えない礼儀正しい挨拶だったが、麗美は保育士としての笑顔を貼り付けたまま、固まってしまった。
頭二つはあろうかという身長差。
コートの上からですらわかるほどの、屈強な体つき。
健康的に日焼けした浅黒い肌。
逆光の笑顔に感じる謎の威圧感。
「ぴっ」
男性恐怖症気味の麗美の喉は不思議な音を出してしまった。
「ぴ?」
男性は不思議そうに首を傾げる。
ジロジロと体を舐めるような視線ではない。
むしろただの『先生』を見る目なのに、麗美は動けない。
口もパクパクと動くだけで咄嗟の言葉が出てこない。
「お」
固まった麗美の後ろに男性は視線を向ける。
「アーシャ!」
そしてこの上なく嬉しそうに笑った。
声をかけられたアーシャは哀愁を背中に漂わせながら、ヨロヨロと歩いている。
「アーシャ?」
不思議そうに男性がもう一度呼ぶと、小さな背中はぴたりと立ち止まり、驚くほど素早い動作で振り返った。
緑の目がこぼれ落ちるのではないのかと思うほど見開かれる。
「……………」
その目にゆっくりと水の膜が浮かび上がる。
「アーシャ?」
はるか頭上から麗美に声をかけてきた男性は、しゃがみ込んで両腕を広げる。
(……大きい……)
しゃがみ込んでも存在感と威圧感が凄い。
これは子供も怖いのでは?と思ったら、既に殆どの園児が影響範囲から逃げてしまっている。
「…………ゼンッッッ!!」
そんな中涙を散らしながら、アーシャは漫画のような勢いで足を動かし、彼の胸に飛び込んだ。
全く力加減なしで飛び込んだのに、男性は微動だにせずに受け止めて、抱きしめる。
「ゼン!ゼン!ゼン〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
雄叫びのような声をあげて、彼女はワンワンと泣き出した。
もう離れないとでも言いたげに、両手両足で彼に張り付き、めり込むのではないだろうかと思う勢いで頭をグリグリと押し付けている。
「アーシャ!頑張ったな〜〜〜〜!!」
そんなアーシャを抱きしめる男性の目にも、ちょっと涙が浮かんでいる。
八時前に預かって現在十一時。
三時間ぶりの再会を兄妹は噛み締めている。
「感動の再会ですね」
固まってしまっていた麗美に峰子が近づいて来る。
「多少迫力に溢れてるお兄さんだけど、とても礼儀正しい方よ。あの威圧感を克服できれば、そんじょそこらの男への恐怖感なんてなくなるかもしれないわ。いわば彼は無害化された不活化ワクチンよ。頑張って」
そして麗美の耳元で囁いて、ぐっと親指を上げる。
「はぁ……」
麗美は曖昧に頷く。
そして小さな妹を貼り付けて、『頑張った、頑張った』と繰り返し褒めている男性を見る。
(確かに……こんなに威圧感のある人、初めて……)
そばにいるだけで眩暈がしそうだ。
麗美は何度も深呼吸を繰り返して、覚悟を決める。
「ふ、藤護さん」
しゃがみ込んだアーシャの兄の顔は、ちょうど麗美の胸の辺りの位置にある。
「はい」
しかし彼は視線を彷徨わせることなく、麗美の目をまっすぐに見た。
胸を気にされないのは、すごく嬉しい。
(目力が凄い)
しかし真っ直ぐに目を見られると、腰や膝が砕けてしまいそうな迫力だ。
この迫力を『多少』と言える峰子はやはり凄い人だ。
「お帰りの準備について聞いていらっしゃいますか?」
腹筋に力を込めながら麗美は頑張る。
「いえ、よくわからないので、教えて欲しいです」
幼児を一人、胸にくっつけているとは思えない、身軽な動作で立ち上がられて、麗美は反りそうになる背筋に力を込めて耐える。
「帰りは朝に持ってきた荷物と、汚れ物の持ち帰りもお願いしているんです。今日のアーシャちゃんは何もありませんが、各自入れ物が決まっていますので、帰りはチェックしてください」
声が震えないように気をつけながら、麗美は説明する。
(あ……)
そして勇気を振り絞って彼を見上げて、その表情に気がつく。
(めちゃくちゃ泣きそうな顔してる)
麗美の話を聞きながら、真夏のセミにも負けない勢いで声を張り上げて泣いているアーシャを見て、彼は目に涙を溜めている。
「………アーシャちゃん、さっきまでお友達とお散歩して楽しそうにしていたんですよ。きっとお兄ちゃんが来て、張っていた気が抜けたんですね」
「あ………そ、そうなんですね。この子を預かってから初めて離れたし、言葉も通じないから、ずっと不安で泣いていたんじゃないかと……良かった……」
泣いてしがみついているアーシャを、彼は大切そうに、少し嬉しそうに抱きしめる。
「いや……泣かれると辛いですね」
そして鼻を啜ってから、少し照れたように彼は言った。
アーシャの兄が教室に入った途端、赤ちゃんたちの大泣きが始まったり、よちよち歩きの幼児たちが教室から脱走してしまったりと、色々と問題が起きた。
そんな中、彼は手早くお帰りの準備をして、赤松と麗美に『明日もよろしくお願いします』と深々と頭を下げて、帰っていった。
(行動は何の問題ないのに……何故か濃い人だった)
各自の荷物棚や、お帰りの手順の案内をした麗美は大きく息を吐き出す。
素手で首の骨くらい折りそうな、クマのような体つきだし、謎の威圧感に満ちていたが、悪い人ではなかった。
むしろ微笑ましい人だった。
泣きぐずる妹を大切そうに抱えて帰る後ろ姿が麗美の心に残った。
(良いお兄ちゃんだわ)
アーシャが何故、幸太と一緒にいることで安定したのかわかった気がする。
幸太がこのまま健やかな精神を持って大きくなったら、きっと彼のようになるのだろうと予想がついた。
下の弟妹に惜しみない愛情を傾けられる
そんな風になったのは彼らの資質もあるだろうが、導いた人々の力も大きいだろう。
大人も昔は子供。
子供もいずれ大人になる。
(私の仕事は子供たちの健やかな成長を助ける事。子供でもダメなことはちゃんとダメだって教えなくっちゃ)
そんな決意を固めながら、麗美は赤ちゃんのオムツを替える。
「れみせーんせ!!」
そんな両手が塞がっている麗美に後ろから、小さな体が抱きついてくる。
その手が胸を掴んだので、麗美の背筋に悪寒が走る。
「っっ!!」
悲鳴を上げそうになったが、麗美は何とかそれを呑み込む。
嫌がったり驚いたりという反応も相手を喜ばせるのだと知っているからだ。
「れみせんせー?」
麗美の反応がないので、不思議そうな声が上がる。
「手を離して、そこに座ろうか」
手早く新しいオムツを赤ちゃんに履かせ、麗美は後ろに張り付いた園児を振り返る。
思ったよりも冷静で落ち着いた声が出せたことに、麗美は内心胸を撫で下ろした。
振り向いた先には小さな顔があった。
(あれ……こんなに小さかったっけ)
いつもの甘い反応の麗美でないことに、不満の浮かんだ顔を、彼女はじっと見つめる。
(嫌われても良い。でも傷つけてはいけない。駄目なことだけを的確に伝える)
麗美は自分にそう言い聞かせながら、落ち着くために大きな深呼吸をする。
「ねぇ、先生は人の嫌がることをしてはいけませんって何度も言ったよね?どうして何度言ってもうやめてくれないのかな?」
初めての対話だ。
この子の顔を真正面から見て、こんなにちゃんと話したことがなかった。
うまく話せる自信がなくて、真剣に注意したら嫌われるのではないかと、曖昧に関わってきた。
麗美を見上げる顔に、戸惑いが浮かぶ。
いつもの半端な愛想笑いを、麗美が浮かべないせいだろう。
「これから先生は大切な話をしようと思います。少しの間聞いてください」
そう言って、相手の許可なく触ってはいけない部分がある事を、麗美は語り始めた。
麗美の真剣な態度に、相手も逃げたりはしない。
『彼は無害化された不活化ワクチンよ』
茶化すように峰子はそう言ったが、本当にそうだった。
強大すぎる存在感のせいで、普段感じていた恐怖心なんかが吹き飛んでしまった。
こうして麗美は保育士としての大きな一歩を踏み出した。
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