3.聖女、捨てられる?(前)

三人でのお出かけは、とても嬉しかったし、楽しかった。

すっかり浮かれてしまって、朧げに覚えている麦踏みの歌や子守歌が口から飛び出し、足が軽やかに弾む。

「……………」

その楽しい気分に暗雲が立ち込めたのは、自分達が歩いている道が、一昨日に歩いた道だと気がついた時だ。

(この前の孤児院に行くの……?)

目的地は他にあって、途中にたまたま孤児院があるだけであって欲しい。

「……ゼン……」

アーシャは自分を抱っこしてくれているゼンに声をかけてみたが、その後は口がむなしく開閉するだけで、言葉が続かない。

目的地が孤児院じゃないと確認して、安心したいのに、尋ねる言葉をアーシャは持っていない。


彼女の視線の先には、手を繋いだ親子がいる。

子供は何やら激しく首を振って、泣き叫んでいるのだが、その手をひいている母親は疲れた顔で、苛立ちを一生懸命飲み込んでいるように見える。

(……まさか……)

足を踏ん張って嫌がっていた子供と、それを引っ張る親は孤児院に入っていく。

ドキンドキンとアーシャには自分の鼓動の音が聞こえる。


以前来た時には、人の往来が殆どないように見えたのに、今日の孤児院は沢山の人が出入りしている。

先程の親子同様、沢山の親子連れか入っていく。

しかし出てくるのは親だけだ。

(集団子捨て……?そんな事、ある?そんなの、あるはずがないよね)

アーシャは心の中で否定しようと思うが、建物から出てくる子供がいない。

そうこうしているうちに、先程の母親が孤児院から逃げるように、走って出ていく。

泣いて嫌がっていた子供の姿はない。

それを見たアーシャは、全身の血が引いていく。


「………………」

アーシャは無言で、ゼンに張り付いた。

(いやいや……私は小さいけど、ちょっとゴブリンなだけで、れっきとした大人だし。……捨てられたり……しないよね?)

孤児院に入るのが恐ろしくてたまらないのに、ゼンもユズルも歩みを止めない。

彼らの迷いのない歩みに、泣きたい気分になる。

(違うよね。また慰問的な訪問で、一緒に帰れるんだよね)

そう思うのに、近づくにつて不安に食い潰されそうで、アーシャはゼンにしがみつく。


「あ!おはよー似驚倣代輝!!」

明るい女性の声が響く。

「おはよー縫牽劃弗肢」

「……はよー錐杉苛伴勉」

それにゼンたちが答えている。

アーシャは顔が変形するほど、全力でゼンにへばりつく。

「アーシャちゃん!おはよー!」

そんなアーシャの鼻先に、ぴょこんと女性が顔を近づけてくる。

とても人懐っこい笑顔で、まるで会ったことがある親しい間柄のような雰囲気だ。

「………?おはよ……?」

思わず、知り合いだっただろうかと、アーシャは相手をまじまじと見てしまう。


髪は女性の命と言うが、彼女は肩より上で短く切り揃えている。

人の国では髪を切られるのは罪人だったりするので暗い印象だったが、彼女の髪は気持ちよさそうに風に揺れていて、自由の象徴のようだ。

唇に紅を差しているが、まだその顔は少女のように見える。

顔をくしゃくしゃにして笑う顔は、とても愛らしい。

(でも……知らない人……よね?)

驚いて見つめていたら、彼女は見た目によらぬ力強さでアーシャを抱き上げる。


「あっ、ま、まっ」

アーシャはゼンの腕に戻ろうと手を伸ばそうとしたが、女性は弾むような足取りで、ゼンから離れてしまう。

「澱賊、アーシャ執艦卵杉あえ逢障抹旗侯劣兎雑及纂陳〜〜〜!」

そして嬉しくてたまらないという、こちらまでつられて笑顔になってしまうような、素敵な笑顔で何かを話しかけてくる。

「???」

言っている内容は全くわからないが、彼女に物凄く歓迎されている事はわかる。


「審鯛簡律網誉烹ね!鴛板恨縞麺隷遥丹升渉薮均歴達複鹸依霜な!」

喜びに満ち溢れた声で、アーシャに話しかけながら女性は軽い足取りで歩く。

「あ……えっと、言葉がわかりゃにゃい……」

まるで毎日一緒にお喋りをしている仲のように、親しげに話しかけられて、アーシャは戸惑うことしかできない。

「鉢彩制既僧伸競餌間」

「あっ」

そんなアーシャの首から下げていた、大切な笛がするりと外される。

慌てて掴もうとしたら、笛は少し離れたゼンの首にかけられる。


笛を移動させたのは、以前会ったことのある、ミネコセンセイだ。

暗殺者顔負けの気配の消し方で、いつの間にか背後にいたらしい。

一昨日に笛をゼンに移された時は何とも思わなかったのだが、今のアーシャの胸には不安が立ち込める。

ゼンたちと離れたのは距離にして十歩程度だが、妙に遠いような気がする。

「あ、ゼ……」

「は〜〜〜い、アーシャちゃん、お選棲熟侮告奮伎脳薄かな〜〜〜?」

怖くなって手を伸ばしたのだが、元気な声に遮られる。

くるんと半回転してから、アーシャの足は地面に着地する。

「???」

女性はアーシャの靴をツンツンと指差した後に、靴を脱ぐ仕草をして見せる。


周りを見ると、ゴブリンサイズより少し大きい子が入り口の段差に座って靴を脱ぐ。

ポカンとしていたら、彼女はアーシャを見て、少し誇らしげな顔をして、脱いだ靴を箱の中に片付ける。

そうして振り向いて、大きく背筋を伸ばして、フンッと胸を張る。

(素敵。小さいのに、お片付けが上手だわ)

アーシャは小さな拍手を、愛らしい小さなレディに送る。

すると彼女はまんざらでもない顔をした後に、次はアーシャの番だと言う顔で、こちらを見守ってくれている。

(えっと……これは私も靴を脱ぐ流れなのね?)

子供を待たせるのも申し訳ないので、アーシャは急いで靴を脱ぐ。

「わ!えらい!!蓬澱葉謎磐測たね!!」

すると隣の女性が大きく拍手をして、子供も『それで良いのだ』という顔で頷いている。


女性の少しカサついた、ひんやりとした手がアーシャの手を包む。

小柄なので当然だが、その手はゼンの手より繊細で小さい。

(こんなに若いのに、とても働き者の手だわ)

水仕事などをこなしているのだろう。

アーシャは両手で温めるように、冷えている指先を包む。

「……まぁ……ありがと!!」

女性は驚いた顔をした後に、破顔した。

そして優しく何度もアーシャの頭を撫でる。


彼女はアーシャが脱いだ靴を持って、アーシャの手を引く。

「アーシャ軌提陳林繕誉売戯発怨手斥かな〜〜〜?あ!披画類んぼ!披画類んぼ賢蓉賭温ね!」

そしてニコニコと笑いながら、靴箱の縁を示す。

驚くほど多彩な色と形の小さな靴が並ぶ靴箱には、一定の間隔で何かが貼ってある。

女性はその中の一つを指差している。

赤い丸を緑の線で繋いだ絵と、文字のような図形とミミズがはったような線。

(これは……チェリー?かしら?そして隣のこの図形見覚えが……)

首を傾げていると、指差した所にアーシャの靴が置かれる。

「あ!」

その靴の背中にも、同じ図形が書いてあって、思い出した。

(串刺しになったミミズ!間違いない!背負い袋に書いてある図形と一緒なんだわ!!)

アーシャは嬉しくなって、背負い袋の肩の部分に書いてある図形を指差して、女性に見せる。

「そーね!」

彼女もゼンが書いてくれた図形と一緒だと気がついてくれたらしい。


アーシャはゼンにも報告しようと勢いこんで振り向く。

「…………………ゼン?」

しかしそこに大きな人影はなかった。

振り向いたら絶対にあるはずだった笑顔がない。

不機嫌そうな顔もいない。


「え…………?」

目を限界まで見開いて、アーシャは立ちすくむ。

右を見ても、左を見ても、知らない顔しかいない。

あんなに大きな影が、二つとも、まるで存在していなかったのように消えてしまった。

「………っ…………っっ」

急に胸の鼓動が強く打ち始めて、それが鼓膜をも揺らし、耳鳴りのように聞こえる。

「………ゼン?」

呼んでも、応えてくれる声はない。


大きな人影を探して、アーシャは来た方向へと走り出そうとする。

「アーシャ蕗洞庁?」

が、繋がれている手に力が入り、来た道を戻れない。

「ゼン!?ユズゥ!!」

アーシャは声を張り上げる。

しかしどちらも姿を表してくれない。


(まさか………まさか………)

嫌な予感が胃から迫り上がってきて、ガクガクと膝が震える。

はぁはぁと自分の口から漏れる、荒い息が他人の物のように感じる。

「ゼン!!ユズゥ!!」

不安をかき消すように今度は思いっきり大きな声で二人を呼ぶ。

しかしやはり応える声も姿もない。

無意識に胸の笛を探るが、アーシャの手には何も当たらない。

服の感触があるだけだ。

「あ………」

何回も胸元を触ってから、笛は先程ゼンの首にかけられたのだったと、アーシャは思い至る。


「ゼーーーーーーッッン!!ユズーーーーーーーッッ!!」

恐怖を追い払うようにアーシャは二人の名前を叫ぶ。

「アーシャ礁聡縫!備棚払糧躍淵奄濫捕服捨拭偏且!」

そんなアーシャに、誰かが声をかけ、抱き上げる。

そして宥めるように、背中を摩られるが、ゴトゴトと音をたてる心臓は止まらない。

「ゼン!ゼーーーーーンッ!!ズェェーーーーーーーーーン!!」

あらん限りの声を張り上げてアーシャはゼンを呼ぶ。




『十年経ったら解放される?そんな事を信じていたのかい?馬鹿だねぇ。解放なんてあるはずがないじゃないか』

ゼンとユズルの名を叫ぶアーシャの脳裏に、誰かの声が蘇る。

『この国の聖女は使い捨てなんだよ。散々利用されて瘴気まみれになって使い物にならなくなったら、廃棄されるの』

誰かのザラザラとした声。

『まぁ、物は言いようよね。聖女たちは十年持ち堪えられないし、廃棄されることで、聖女という立場から解放される。だから十年経ったらみんな解放されてるわ』

アーシャは耳を押さえる。

『信じても信じなくてもいいよ。アンタを女神のように慕う連中も、瘴気まみれの汚物に成り下がった時―――アンタをあっさりと捨てるのさ』

しかし耳の奥に響く声は止まらない。


『何をそんなにショックを受けているんだい?聖女に差し出されたって事は、アンタは既に―――』

「違う!違う!違う!ゼンは違う!!」

アーシャは耳を押さえて首を振りながら叫ぶ。

『今のアンタの価値は―――』

「やだ!やだ!やだやだやだ!!」

とんでもない物が、溢れてくる。

そんな予感がして、アーシャは激しく叫ぶ。

これ以上この声は聞いてはならない。




「アーシャ請築鴛!」

叫んで、耳を塞いで、頭を振る。

そんなアーシャを誰かが強く抱き締めてくれる。

ゼンの丸太のような腕じゃない。

しかし離さないとばかりに、ガッチリとアーシャを抱き締めてくれる。

アーシャがどんなに暴れても、その腕は揺らがない。

温もりがアーシャの体を包み込んで、ずっと『アーシャ』と呼びかけてくれる。


どのくらいそうしていた事だろう。

少しづつ、呼吸が楽になって、体の力が抜け始める。

(ゼン………ゼンは、私を……)

叫びまくったせいで、ぼんやりする頭で、アーシャは考える。

ゼンが自分を置いて行ってしまった。

孤児院に置いて行かれてしまった。

そこから導き出される答えにアーシャは絶望しそうになる。



『アーシャの』



しかし、ふと、笑ったゼンの顔が浮かぶ。

それはついさっきの事だ。

アーシャが食べられなかった具入りのパンを、食べ物を入れる冷たい箱に入れながら、ゼンは確かにそう言った。

(あれは『アーシャの』。ゼンは『アーシャの』って言った)

アーシャは自分の考えに、大きく頷く。

捨てる奴の物なんて保存するはずがない。

ゼンはあれを後でアーシャに与えるために保存したのだ。

と、言う事は、ゼンは何かの用事で席を外したが、きっとすぐに戻ってきてくれる。

そして家に連れて帰って、あのパンをアーシャにくれるはずだ。

(ゼンは捨ててない。絶対に捨ててない)

ポッと胸の奥に明かりが灯ったような気分になった。


アーシャは顔を上げる。

すると黒絹のような美しい髪が目に入る。

「アーシャちゃん」

そして視線を上げると、ホッと安心した顔のミネコセンセイがいた。

どうやらアーシャを抱き締めてくれていたのはミネコセンセイだったらしい。

「みにぇこしぇんしぇい……ごめんなさい……」

随分取り乱して、迷惑をかけてしまった気がする。

アーシャが謝ると、ミネコセンセイはギュッとアーシャを抱き締め直してくれた。


温かな腕に抱かれながら、アーシャは孤児院の入口を見つめる。

(ちょっと、何かの用事を済ませに行ったんだ。すぐ、帰ってくる)

そう思って大きな影たちが帰ってくるのを待つ。

入り口には親子連れが現れては、子供を置いて親だけ去っていく。

(すぐ、帰ってくる)

アーシャは念じながら入口を見つめ続ける。

やってくる中には子供が先に走ってきて、後ろから親が追いかけてきたりもする。

走ってきた子供の顔は輝いていて、とても捨てられたようには見えない。

アーシャを抱えたミネコセンセイにも元気に挨拶をしながら、中に駆け入っていく。

悲壮感の欠片もない。


(絶対帰ってくる)

外から差し込んでくる日の光が、じわりと滲む。

しっかりと入口を見ておきたいのに、視界が、下の方からどんどん歪んでいく。

(帰ってくる)

入り口からは親子連れが、沢山訪れているようだが、目の前に張った水の膜が映像を歪めて、きちんと見せてくれない。

明るい声は沢山聞こえてくるのに、あの低い声はどこからも聞こえてこない。

「……帰ってきてぇ……」

その言葉と一緒に、限界まで目の中に溜まった涙は、零れ落ちた。

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