4.聖女、社交界デビューを果たす
1.聖女、具入りパンをいただく
朝、うっすら意識が戻って来るたびに、暖かくて、肌触りの良い、フカフカの寝具に包まれていて、幸せな気持ちになる。
そして薄く目を開けると、土埃一つない、天蓋の必要のない、綺麗な寝床にいる自分を確認できて嬉しくなり、ぬくぬくの布にくるまって、最高の寝床を満喫してしまう。
「アーシャ?お・は・よ」
そんなアーシャの寝癖だらけの頭を、大きな優しい手が包むように撫でてくれる。
「……ゼン……おはよぉ」
そしてアーシャは多幸感最高潮で、目を覚ますのだ。
手を伸ばせば、当然のように抱え上げてもらえる。
既に衣服を整えたゼンは、アーシャを大切そうに抱えて、二階から一階におりる。
一階に下ろしてもらったら、まずは良い匂いしかない排泄場所にて用を足して、その正面にある、お風呂場横の手洗い場で、手を洗い、顔も洗う。
清らかな水を惜しげなく使い、清潔で肌触りの良い布で顔を拭くなんて贅沢に、最近慣れつつあるのが怖い。
手洗い場の横に、洗濯物を放り込む巨大な鉄の籠があるのだが、首を伸ばして確認すると、既にその中に洗濯物はない。
(一体ゼンたちは、いつ洗濯をしているのかしら………?)
今日はまだ太陽が低いうちに目覚めたのに、既に洗濯が終わっている事実に、アーシャは首を傾げる。
「アーシャ」
おいでとばかりにゼンに手を伸ばされて、アーシャは踏み台から飛び降りて、その手を掴む。
ゼンはアーシャが一連の事を終えるまで、いつもそばで待ってくれている。
振り向くと、いつも笑いかけてもらえる。
それだけでこんなにも安心できるのだと、アーシャは神の国に来て初めて知った。
手を引かれて、卓に導かれると、そこには既に湯気を上がっている。
「ふあぁぁぁぁぁ!!」
アーシャは自分の椅子によじ登って、卓の上を見て歓喜の声を上げる。
黄色いスープに、パンが二枚も用意されている。
「………?」
アーシャはパンを見つめて首を傾げる。
そのお腹は妙に膨れているし、端のほうは潰れたように薄くなっている。
「ちゃまご……?」
しかも皿のどこにも玉子はのっていないのに、アーシャの嗅覚が、ここには美味しい卵があるよ!と語りかけてくる。
クンクンと匂いの元を辿っていたら、ゼンが笑う。
「アーシャ、いただきます」
手を合わせるゼンに、アーシャは首を傾げる。
卓にユズルが揃っていないのだ。
「あぁ、ユズルわ……ごちそうさま」
そう言って、ゼンは『わかるかな?』という顔をする。
「ユズゥ、ごちしゃーま」
ユズルのご飯が終わってしまったのだと、通じたので、ウンウンとアーシャは頷いてみせる。
いつも一緒に食べていたので、前に誰もいないとちょっと寂しい。
そんな事を思ったアーシャの頭を、ゼンは優しく撫でてくれる。
「へへへ、いたぁきましゅ!」
アーシャは勢い良く手を合わせる。
そして二枚も皿にのっているパンを手に取る。
自分達の国ではパンは水分に浸して食べないと、とても食べられる物ではなかったが、神の国のパンは柔らかいと学習しているので、アーシャは勢い良く噛み付く。
「!!!!???」
そして驚愕に目を見開く。
「んふ、んんんん!」
アーシャは口をもぐつかせながら、目で驚きをゼンに伝える。
ただのパンと思って噛みついたら、その中に美味しいものが詰まっていた。
この、不意をつかれすぎて、舞い上がってしまった意識が伝わるだろうか。
美味しいと思って食べたら、美味しいが三重ぐらいに重なっていた。
そんな表現で伝わるだろうか。
このパンは幸せのびっくり箱だ。
少し甘味のあるサクサクの香ばしいパンの中に感じるのは、確かな玉子と肉の旨味。
そしてトロッと舌に纏わりつく、圧倒的存在感を主張する濃厚な味。
(チーズ!!チーズだ!?チーズだけど!?)
味はチーズなのだが、感触がチーズじゃない。
こんなにトロトロのチーズをアーシャは知らない。
(とろっとろ〜〜〜〜!!)
よく噛んで味わおうと思ったのだが、あまりの美味しさに、喉が我慢できずに、ゴクリと飲み込んでしまう。
「のどごしチージュ!!」
あまりの美味しさに、自分の言語でゼンに伝えてしまう。
パンも玉子も肉も美味しい。
そしてこれらを包み込むチーズがとにかく美味しい。
通じないとわかっていても、主張せずにいられない。
「うまいな」
一口でパンの三分の一くらい食べてしまっているゼンが笑う。
「うまーな!!」
それがきっと『美味しい』という単語だと、彼の笑う顔からわかったので、アーシャも張り切って真似する。
この美味しさは魂で響き合う。
アーシャは夢中で、大口を開けて二口目を齧りとる。
「ん〜〜〜〜〜!!」
美味しいぞ、美味しいぞと思いながら食べても、やっぱり物凄く美味しい。
夢中で咀嚼して、『早く早く』と急かす喉や胃にも、この素晴らしく美味しい、具入りのパンを送り込む。
三口目を大口で頬張りながら、アーシャは齧りとった断面を見つめる。
何と一枚だと思っていたパンは薄く切られた二枚で、その間に具材が挟まれている。
白く輝く玉子の白身、以前食べたことのある薄い肉、そしてその間にトロトロと溢れて出てくるチーズが挟まれている。
「ん!」
シャクシャクと気持ち良い歯応えがするなと思っていたら、トロトロのチーズと薄い肉の間に、熱でグッタリとなった葉っぱが入っている。
(これはきっと『くぁべつ』ね!)
アーシャは自分の勉強の成果を誇らしく思いながら頷く。
頷きながらも、口は忙しく動いている。
「!!!!」
半分まで食べたところで、遂に旨味界のボスが現れた。
濃厚な味の黄身だ。
半熟の黄身と肉、そして『くぁべつ』がチーズと溶け合うと、
(て……天国!!!)
昇天しそうな勢いで美味しい。
神の国に来て、沢山玉子を食べるようになったが、やっぱりアーシャの中で玉子は特別だ。
こんなに毎食のように、玉子が食べられる神の国は、本当に豊かだと思う。
「うまーな!うまーな!」
アーシャが何度もそう言いながら食べる。
ゼンはその度に笑って『うまいな』と答えてくれる。
(幸せ………)
美味しいご飯も嬉しいが、一緒に美味しいと言い合える事も、いつ見上げても、すぐに気がついて笑ってくれる事も、全てが嬉しくて幸せでたまらない。
一枚目を食べ終わり、少し喉を潤そうと、アーシャは黄色いスープを掬う。
「………!?」
そしてその味に目を見開く。
甘いのだが、しっかり塩味も感じる。
相反する味のはずなのに、全くお互いを邪魔していない。
(甘いけど、しっかり塩も入ってて、美味しい………!!)
アーシャは小さなスプーンを忙しく動かして、スープを飲む。
(この味はどこかで……はっ、これは、この前の四角くて黄色い豆!!)
まろやかな口触りで、とても豆を潰したスープとは思えないが、スープの中には、いつぞや食べたプリプリの黄色い四角の豆が浮いている。
(甘いはずだわ……あのプリプリの豆を、こんなにまろやかになるまで、すり潰してくれたんだわ)
アーシャは感動してしまう。
ゼンが作ってくれる料理はどれもすごく美味しい。
「うまーな!」
感謝を込めて、そう報告すると、スープの皿を手に持って飲んでいたゼンが大きく頷く。
「…………」
その豪快なスープの飲み方に驚いてしまったが、そう言えば、神の国ではいつも飲んでいるスープも直接器に口をつけて飲むのだったと、アーシャは思い出す。
アーシャはスプーンとフォークを出してもらえるが、神の国では二本の棒で食事をするため、水分はそうやって飲むしかないのだ。
アーシャはゴクンと唾を飲んでから、自分も器を持ち上げる。
そう言えば、持ち上げることが前提なのか、神の国のスープ皿はカップのように深く、持ち手がついている。
(別に行儀悪いんじゃないわ!)
規律を破るちょっとした背徳感は、口の中一杯に入ってきた幸せに、すぐに消し飛ぶ。
「んふ〜〜〜!」
口一杯の幸せを、喉や胃袋にもお裾分けしたら、顔が自然と笑顔になる。
パンとスープでお腹は大満足だ。
でもあと何口かは食べられる。
「………」
アーシャは一枚残ったパンを前に迷う。
(全部は食べられないよね……そのまま残した方がいいかな……でももうちょっと食べたいような気も……)
うんうんと考えていたら、ポンっと頭に手を置かれる。
見上げると、ゼンが微笑んで頷く。
何の同意だろうと思っていたら、彼はアーシャの皿を持っていってしまう。
「あ、あぁ〜……」
ついつい食い意地が情けない声を出させる。
すると皿を持って調理台に向かったゼンが大きく吹き出す。
(食い意地先行……恥ずかしい……)
アーシャは恥ずかしくなって、小さくなる。
「はい、どーぞ」
そんなアーシャの前に皿が戻される。
その上には四つに切られて、小さくなったパンが並んでいる。
「ふぁっ!」
アーシャは驚いてゼンを見上げる。
これなら食べたい量だけを綺麗に食べられる。
「どーぞ?」
笑いながら首を傾げるゼンは、まるで人の心を見透かす占術士のようだ。
「〜〜〜!!ゼン、大しゅき!!」
感謝を込めてハグをしようとしたのだが、椅子から立ち上がった勢いが良すぎて、頭突きするような形になってしまう。
しかしゼンは笑って飛び出してきたアーシャを受け止めて、椅子に戻してくれる。
アーシャは嬉しさそのままに、大きな口を開いてパンに齧り付く。
「!!!!???」
そして再び、驚愕に目を見開く。
思っていた味と違った。
そしてそれがすごく美味しすぎて脳の処理が追いつかない。
本日二度目の現象だ。
噛んだ瞬間に、とんでもない旨味が口の中に広がり、シャクッという心地よい歯応えがした。
しょっぱくて、まろやかで、噛んだ所からジュワッと旨味の詰まった油が出てくる。
しかし全然しつこくない。
たっぷりと入った野菜が濃厚な味を受け止め、爽やかな後口にしてくれる。
夢中でその美味しさを噛みしめながら、アーシャはパンの切り口を見つめる。
薄茶色のペースト状の何かと、細かく刻まれた葉物野菜の緑が並んでいる。
具材は二つだけのようだ。
心地よい歯ごたえと、爽やかさを与えてくれているのは、細かく刻まれた『くぁべつ』だ。
しかしこの薄茶色のペーストの正体がわからない。
「んふ〜〜〜おいひぃ!おいひぃぃぃぃ!!」
わからないけど、美味しい事には変わりない。
はしたない事だが、頬いっぱいに詰め込んでしまうのを止められない。
圧倒的な旨味で、噛む度に幸せが止まらない。
「おいひぃようぅぅ〜〜〜!!」
もう世界を内包しているのではないかと思うほど、豊かな味わいなのだ。
「う………う………」
お腹はいっぱいになっても、アーシャは止められず、二切れも食べて、未練たっぷりに、皿に残った二切れを見つめてしまう。
「墳砕鵬から、また匙丑歯因いい」
アーシャが大きく張った腹をさすっていたら、禅一が笑いながら、いつも食べ物を保存する時にかけてくれる透明なガラスを、皿に張ってくれる。
「アーシャの」
そしてアーシャを抱っこして、目の前で冷たい箱の中に保存してくれる。
「へへへ、アーシャの」
アーシャが頷くと、また大きな手が頭を撫でてくれる。
ご飯を食べた後に着替えをしていると、ユズルはフラッと帰ってきた。
「まだ賄擾徽蓄郊ない垣耗岸」
彼は靴を脱がずに、入口の段差に座り込み、急かすように何かを言う。
「?」
何処かにお出かけするのだろうか。
首を傾げるアーシャに、先日買ってもらった背負い袋をゼンが示す。
「アーシャ、の」
肩にかける部分に何やら書き足されており、それを指差しながら、ゼンが言う。
「アー・シ・ヤ」
アーシャは書き足された、文字のようなものを見る。
最初にとても複雑な形が書かれ、後はミミズが運動しているような線が続く。
「???」
「アー・シ・ヤ」
その文字のような物を、指で辿りながら、ゼンが教えるようにそう言う。
(最初の難しい形が文字……?後ろのミミズも?)
一番最初の形は何となく納得できるが、後のミミズは文字とは思えない。
最後の塊なんて、串刺しにされたミミズのように見えて、何となく不吉だ。
納得できないながら、何となく頷いたら、ゼンは『ダメだったか』という顔で苦笑して、アーシャに背負い袋を背負わせてくれる。
「……………!!」
あの可愛い形を背負っているのだと思うと、気分が盛り上がってくる。
ゼンも外では袋を背負っているから、お揃いな気がして、嬉しいような、誇らしいような気分になる。
「いくぞ!」
ユズルが扉を開けて急かす。
(ゼンとお揃いで、みんなでお出かけ!!)
アーシャは弾むような足取りで、扉に向かった。
その後ろで顔を曇らせているゼンにアーシャが気がつくことはなかった。
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