21.長兄、夢の続きを見る

「今年の実りは『奇跡の子』のお陰だな!」

そんな声と共に、唐突に映像が流れ始めた。

(…………?)

禅一の前には、皮袋の様なものに口をつけている、赤ら顔の男がいる。

皮袋には何か飲み物が入っているらしく、男は美味しそうに喉を鳴らして、それを飲む。

くすんだ茶色の髪が、まだらに禿げ上がり、顔の造りが日本人ではない。

「へへへ」

禅一の口からは、可愛らしい笑い声がこぼれ落ちる。


―――うれしい

―――みんなが笑ってる

―――うれしい

―――ご飯がいっぱい


禅一の気持ちではない。

幼い喜びの感情が、胸に満ちる。

(これは……またアーシャの夢を見ているのか……?)

誰かが横から頭を撫でてくる。

「おっちゃん、アーシャがいて良かっただろ?」

見上げると、黒髪の少年が誇らしそうに笑っている。

髪も肌も、アーシャを見つけた時と同じように汚れているが、その茶色の目は生き生きと輝いている。


「本当に良かったよ!お前らが妹を連れ戻しに行った時は、『あぁ、この家族は冬を越せねぇ』と思ったもんだが、返ってこっちまで助けられちまってな」

男は豪快に笑う。

首を巡らせると、黄金色に輝く畑が見える。

稲穂のように垂れていないので、恐らく麦科の植物だろう。

(それにしても……何か整っていない畑だな)

麦の植え方にムラがあるし、畦道はガタガタで、作物の搬出はおろか、歩くのにすら苦労しそうだ。


「別に冬が越せなくても、一緒が良かったんだよ。な!」

ガサガサした頬が、自分の頬に擦り寄せられる。

頭を撫でたのと別の少年が、横から抱きついてくる。

「ん!」

禅一の体は元気良く返事しながら、その少年を抱きしめ返す。

「俺たちはずっと一緒なんだ!」

反対側から、頭を撫でてくれた少年も、抱きついてくる。


―――大好き

―――お兄ちゃん、大好き


じんわりと広がる喜びの感情に、禅一はほっとする。

夢の続きを見るなんて珍しいが、こんな続きなら、見られて良かった。

夢の中のアーシャが、一人で泣いているままでなくて良かった。

二人の兄にサンドイッチのように挟まれて、楽しそうな笑い声が響く。


「みんな!ご飯だよ〜〜〜!」

そこに明るい声がかかる。

振り返れば、石に板をのせただけの即席のテーブルに、粗末な木の器が並んでいる。

手を振る女性たちの中に、いつか見た、黒髪に緑の目をした、アーシャの母親と思われる女性もいる。

服は相変わらず綺麗とは言えないが、以前の幽鬼のようにやせ細った姿ではなく、幾分かふっくらしたように見える。


女性たちの周りには、我先にと子供たちが駆け寄る。

(おいおい……あんな小さい子供に鎌を持たせているのか?)

走る子供たちを、信じられない思いで禅一は見る。

ふざけ合うように、相手を押したりして、お互いに走るのを邪魔するように走る少年たちの手には、農具と思われる刃物が握られている。

そんな危険な物を持たせていたら、転けたりしたら大惨事が起こるのではないか。

禅一がそう思った次の瞬間、ふざけ合っていた二人の子供が、肩をぶつけ合った拍子に転ぶ。


「うわぁぁぁぁぁ!!!」

瞬間赤い物が飛び散る。

手に持っていた鎌が、少年の太ももを切ったのだ。

「キャァァァァ!!」

見ていた女性たちからも悲鳴が上がる。


「…………!!」

兄たちと手を繋いで移動していた、禅一の入っている体は、息を呑んで、走り始める。

走りながら、じっと目を凝らすと、地面から立ち上る白い光が見える。

氣だ。

禅一の足は、その白い光に飛び乗る。

それと同時に、温かいものが体に満ちる。

―――これをあげたら、きっと、治る

体を一転させると、体に満ちていた熱が手に満ちる。


「アーシャ!!!駄目!!!」

その声が聞こえた時には、力が満ちていた手で、少年の傷口を塞いでいた。

手に溜まっていた熱を、傷口に向かっって押し出す。

―――上手く、入らない

禅一の体は首を傾げる。

―――麦とは、入れ方が、ちがう?

上手く熱が移動しないことを不思議に思う、心の声がする。

何とか上手く熱を移せないか。

目を瞑って、手の熱に集中しようとした所で、体が浮き上がる感覚がする。


「お母さん?」

目を開けると、顔を引き攣らせた母親の顔がある。

真っ青になった母は、小さな体を抱いて走る。

「血が止まっている!」

「傷口が塞がりかけてるぞ!!」

「『奇跡』だ!!」

その背後で驚きの声が響く。


「お母さん!」

「母さん!どうしたんだよ!」

後ろから小さな少年たちが追いかけてくる。

子供を抱えた状態では早く走れず、母はそれほど離れることなく、少年たちに掴まれる。

母は周りを見回した上で、禅一が入っている体を下ろす。

「お母さん?」

小さな手は顔色の悪い母を心配して、その頬を撫でる。


「アーシャ!」

大きな声に反応して、体がビクリと跳ね上がる。

「もうを使ってはだめ!」

怯え、恐怖、焦り、怒り。

色々な感情がない混ぜになった母の顔に、禅一が宿った体の主が、戸惑う気持ちが伝わってくる。

「母さん!」

「何でアーシャを怒るんだよ!!」

兄二人が庇うように割り込んでくる。

しかし母の厳しい顔は変わらない。


「土地の活性化は良いの。たまたま豊作だった土地もあるし、子供がやった豊作のまじないなんて土着の迷信と笑い飛ばされるわ。でも、治癒は駄目。治癒だけは駄目。……嗅ぎつけられてしまう……!!」

「…………?」

母の言葉が理解できなくて、体の持ち主は首を傾げる。

「お母さん…………?何を言っているの?」

兄たちも戸惑った顔をしている。


「アーシャ、もう麦も育てては駄目。怪我を治したり、病気を治すのは絶対に駄目」

母は頬を掴んで、顔を逸らせないようにして、そう言う。

その気迫に、小さな体が震える。

「……でも、麦がないと、みんな、おなかへるよ?」

「良いの。一度元気になった畑は豊作が続くから」

「……いたいの、かわいそう」

「良いの。怪我をするのも、病気をするのも、それがその人の運命なの。神様が決めたことなの」

母の言葉に、体の持ち主は頷けない。


「アーシャ?わかったわね?神様が決めたことに逆らってはいけないわ」

頷かない娘に、母はもどかしそうに言葉を重ねる。

「でも……アーシャ……お母さんや、お兄ちゃんに、ケガしたり、びょうきしてほしくない」

宝物のように、小さな手は母の両頬を包む。

頬の小さな手を握って、母親は泣きそうな顔になる。

「じゃあ、お約束して?治すのは、家族だけ。誰も見ていない所で。ね?わかった?」

返事を求められるが、やはり、体の主は頷かない。


「……あのね、フィーがケガをしたでしょう?そしたら、フィーはいたいし、フィーのお母さんもかなしいと思う」

「………………」

そう言うと、母親は祈るように目を閉じた。

そして小さな体を抱きしめた。

「これは人に過ぎた力。授かってはならない力。使ってはならないの。わかって、お願い」

(ああ……わかる……)

助けられる者に対して手を伸ばすな、見捨てろと教える残酷さ。

そしてその残酷を飲み込ませなくてはいけない苦悩。

アーシャを守るために、彼女の持つ力を否定せねばいけない。

母の声に滲む感情が分かりすぎて、禅一は辛くなる。




道夫のぎっくり腰を見て、アーシャはまず治そうと手を伸ばした。

しかし禅一たちに禁じられていることを思い出して、伸ばしかけた手を固く握りしめた。

泣きそうな顔で真っ白になるまで拳を握りしめていたアーシャの姿が、可哀想で、辛くて、でも周囲に知られるわけにはいかないから、禁じる以外にできない。

アーシャが何の力もない、ただの子供だったら、道夫の腰を撫でて労っただけで、偉かったと思い切り褒めてあげられたのに。

アーシャもきっと、自分の小さな親切を、誇らしく思えたはずだ。

少なくとも、あんな後ろめたそうな顔をさせる必要もなかったのに。


『今はぎっくり腰で、時間が経てば治るって知ってるものだから良いけど……万が一、アーシャの目の前に、彼女の能力が生死を左右する人間が現れた時……どんな線引きにしたら良いんだろうな』

自己治癒と現代医療で救えない人間に出会ってしまった時。

その人間を見捨てさせたら、どれ程アーシャの心に傷を残すだろう。

『まぁ、基本的に、見殺しだな。最悪、助けた本人が言いふらして、恩を仇で返されかねない。こんな能力が周りにばれたら、個人ではもう守れない』

悩む禅一に対して、譲の答えは決まっていた。

いや、譲が決めたのではなく、それ以外に答えはないのだ。


禅一にできる事と言えば、物理的にアーシャが相手を助けられないようにする事だ。

アーシャは助ける気で、助けるつもりだった。

ただ禅一が引き離したから、禅一のせいで助けられなかった。

そうやって見殺しにする役を引き受けることしかできない。

恨まれても、嫌われても、それだけは禅一がやらなくてはいけない。

絶対にアーシャが見殺しにしたという状態にさせてはいけない。


『禅、わかってるか?』

『わかってる。万が一があった場合は俺が……』

『違う』

譲は真っ直ぐに禅一を見た。

『一番引き起こしたらいけない事態は、禅がの状態になる事だ』

譲のその言葉は禅一に刺さった。

『あ、でも……その時は譲が止めてくれれば……』

『あのチビはお前の危機を嗅ぎつけて、迷わず禁域に飛び込んで行くような奴だぞ。俺はそんな奴を止めて一生恨まれる役なんてゴメンだ。それに腹の中から一緒にいる奴と、ぽっと出の子供を天秤にかけたら……俺がどうするかは、わかるよな?』

譲の言葉は、起こり得るかもしれない最悪の事態に気付かせてくれた。


禅一にもまた、譲とアーシャを天秤にかけなくてはいけない事態が、あり得るのだ。

『あ、因みに、俺は禅と違って、君子だから、危うきには絶対近づかねぇぞ。俺は自分が一番可愛いし、大事にしてるから、万が一は絶対にない』

譲はあっさりと、そう言い切っていたが、『万が一』は絶対なんて、この世にない。




息子たちかアーシャか。

選ばなくてはいけなくなったら、この女性は苦しむだろう。

それでなくても、彼女は一度、アーシャを切り捨てる選択してしまった。

二度目の選択は更に苦しむだろう。

息子たちが自発的に迎えに行ったから、奇跡的に生き残った娘。

そしてその娘によってもたらされた、大きな恵みは、彼女自身や息子、そして周辺の人々を救った。

幾重にも重なった現状が、母親を絡め取っている。


「お母さん!酷いよ!助けられる人を見捨てろって言うの!?」

「そうだよ!アーシャの力は過ぎたモノとかじゃないよ!神様が間違えるわけない!みんなを幸せにしてあげなさいって、この力を与えてくれたんだよ!」

息子たちが母を責める。

与えられた能力を独占せず、皆で等しく分ける。

一見、正しい意見だ。

しかし彼らは人間の恐ろしさを知らない。

皆で分け合える人間ばかりであるなら、この世に戦争はないし、貧富の差もない。


「聞いて。過ぎた恵みは人の心を腐らせるわ。神は恵みをお与えになるけど、人はそれを等分する事ができないし、更に大きな恵みを望むようになるの。手に届く範囲の小さな幸せを望む。それが一番なの」

身なりはボロボロで、痩せこけているが、母の言葉は深い。

農作業をしつつ、飢えに怯える底辺の暮らしをしている女性に、これ程の発言ができるだろうか。

禅一は疑問に思う。


小さな手は震える母の背中を抱きしめる。

「お母さん……泣かないで」

自分がやったことで、母が泣いている。

「お母さん、大丈夫だよ。村のみんな、アーシャに感謝してるもん!」

「そうだよ。何で良い事をするのが駄目なの?みんなに親切にしてあげなさいって、母さんも言ってたよね!?」

兄たちが口々に言うと、母は震える。

「違うの。違うのよ……これは人々を狂わす力なの……」

最後の言葉は囁きのように小さかったが、確かに禅一の耳に届いた。


―――これは、怖い力なのかな

―――わたし、ダメなことを、したのかな

―――みんなに、笑っていてほしいのは、ダメなのかな

不安そうな心の声に耳を塞ぎたくなるが、今の禅一は瞼すら自分の力で動かすことはできない。

この夢では、ただ、小さな体の中にいることしかできないのだ。


(目覚めたい。今すぐ、目覚めたい)

目を覚まして、アーシャを抱きしめてやりたい。

それで何も解決しないが、少しでも彼女が苦しまなくて良いように、少しでも苦しみが和らぐように抱きしめてやりたい。



すると、始まった時と同じように、唐突に夢は真っ暗になり、終わりを告げる。

目を開けたい。

現実の、自分の目を開けたい。

「………………」

強く願ったおかげだろうか。

開いた視界に、ぼやけた薄暗い部屋が入る。




(……酷い夢だった……)

禅一は大きく溜め息を吐いて、お腹の辺りにある温もりを確認する。

「ん………?」

温かいが、何か濡れた感触がする。

そっと布団を捲ると、禅一のシャツを咥えて眠っている幼児がいる。

(またシャツを食ってる)

悩みのなさそうな幸せそうな顔で、シャツを食べながら寝ているアーシャに、禅一は笑う。

(色々考えていたから、変な夢を見てしまったな)

禅一は鳥の巣のようになっている、柔らかい黒髪を撫でる。

「……ぃひひ……」

するとだらしない笑みをアーシャは浮かべる。

口に入っていたシャツは解放されたが、小さな手が、まだしっかりとシャツを握っている。

(当面は見えてる敵の排除。後のことは考えない。そもそも人の生死に関わることなんて滅多にないんだ。杞憂で終わる確率の方が高い)

自分の不安を見せないこと。

普通の子供と同じ生活をさせること。

それが今の禅一の最優先だ。


信頼の現れのように、しっかりとシャツを握った小さな手を、自身の手で覆い、再び禅一は目を閉じた。

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