19.聖女、お呼ばれする

神の国では、犬も家の中に入るものらしい。

「ほぉ」

アーシャは当然のような顔をして足を洗われて、家の中に入る犬に感心してしまう。

神の国では犬の足を洗うのでさえ、綺麗な水を使い、洗濯されている布を使う。

猟師は犬を大切に扱うし、農民たちは寒さを凌ぐために汚れた家畜を家に入れて暖を取ることもある。

しかしそれらとはちょっと意味が違うような気がする。

まるで犬もれっきとした家族の一員のようなのだ。


「ふふふ、アーシャちゃん、おいで~~~」

興味深く観察していたら、犬の足を綺麗に拭いた後に、手を洗った老婦人がアーシャの手を引く。

「あ、あ」

骨張った手の優しさに、拒否することもできなくて、ゼンの足にくっついていたアーシャは戸惑って、彼を見上げる。

するとゼンは笑って、背中を丸めて、逆側のアーシャの手を握る。

「あら、お凍箱捜講緬涜廠碑いい景赴〜〜〜」

老婦人はケタケタと快活に笑い、家の中にアーシャを導く。


「お濁掴訳在憧」

アーシャに続いて家の中に入ったゼンは、頭を下げながら、何か呟く。

何だろうと、それを見上げるアーシャの頭を、ポスンとユズルが叩く。

「チビ、お・じゃ・ま・し・ま・す」

「アーシャ!」

名前を訂正すると、老婦人とゼンが、おかしそうに吹き出す。

「お・じゃ・ま・し・ま・す」

ユズルは手荒にアーシャの頭を揺する。

どうやら、訪問した時にする挨拶があるようだ。

「おじゃまましゅ……?」

少し発音が難しい挨拶だ。

ポコンと後頭部が押されて、アーシャの頭は下がる。

(成る程。頭を下げながら言うのね)

ふむふむとアーシャは理解する。


アーシャは自分の左手を握る老婦人を見上げる。

「おじゃまましゅ!」

そしてビシッと頭を下げて、完璧な訪問の挨拶をやってみせる。

「んまぁぁぁ!かぁぁぁわぁぁぁいぃぃぃ!!」

すると猛烈な歓迎を受けた。

頭や頬や体、背中と猛烈に撫でられる。


猛烈な歓迎を受け、上着と靴を脱いで、アーシャは床張りの家に上がる。

ゼンとユズルが几帳面に靴を並べているのや、家の中の様子を見ていたら、ギシッギシッと木の床を踏む音が近づいてくる。

「壕裡社釦豪?峡葺、蓋似乙盗裡四砦飲慣転刈蛇樽多星画……」

奥から現れたのは、老婦人と同じ位の歳かと思われる老紳士だ。

体つきはしっかりしているが、動きが緩慢で、背中か腰を痛めていると見受けられる。

老婦人は慌てて、老紳士に声をかけながら、支えるように手を伸ばす。

どうやら老婦人の旦那さんのようだ。


老婦人がアーシャを紹介すると、老紳士は顔をくしゃくしゃにして笑う。

「珪兇肯誉、アーシャちゃっっっ……!!!」

そしてアーシャの頭を撫でようと手を伸ばした時、彼は苦痛に顔を顰める。

手を伸ばしただけで、痛みが走ったようだ。

老婦人は心配そうに、老紳士を支える。

(治癒を……!!)

アーシャは慌てて治癒をかけようとして、手を伸ばしかけて、止まる。


(そうだ、治癒は、駄目だった)

広げた手をアーシャはギュッと握る。

目の前では、アーシャを猛烈に歓迎してくれた老婦人が心配そうに、旦那さんの腰をさすっている。

旦那さんも苦痛の声を上げながらも、心配するなとばかりに、老婦人の肩を優しく撫でる。


(……治せるのに……)

アーシャは俯く。

自分なら一瞬で治せる。

あっという間に、老婦人は心配しなくて良くなるし、老紳士は苦痛から解放される。

握った拳に力が入る。

治せるものを見過ごしてしまって、それは良い事なのだろうか。

自分ができることを放棄してしまって良いのだろうか。



『これは人に過ぎた力。授かってはならない力。使ってはならないの』



やっぱり癒した方が良いんじゃないかと、思い直して顔を上げたアーシャの脳裏に、そんな言葉がよぎる。

(………?)

言葉と同時に、朧げな人影が頭に浮かぶが、その言葉を発した人物を、アーシャは思い出せない。

(誰……?……その人も駄目だと言っていた……?)

とても重要な事のような気がするのに、記憶にもやがかかったように思い出せない。


しかし記憶はあやふやなのに、一つだけ確信していることがある。

(私は……確か、その時、『間違えた』)

救える者を見捨ててしまったのか、救えるからと救ったのか。

それすらあやふやなのに、間違えたとだけは言い切れる。

ちぐはぐな記憶に不安を覚えて、アーシャは眉を寄せる。


「アーシャ」

大きな手が、真っ白になるまで握り締めたアーシャの拳を包む。

見上げると、眉尻を下げたゼンの顔がある。

ゼンはアーシャの拳を撫でて、優しくその指を開かせる。

そしてアーシャを抱え上げて抱きしめる。

「アーシャ、ごめんな」

大きな手が背中を摩ってくれる。


「劉弼揺躯、釈麦顛」

ユズルは進み出て、老紳士をがっしりと支える。

老紳士は支えを得て、苦痛が和らいだようだ。

足はあまり上がらないようだが、ユズルの介助で、老紳士は微笑んで歩き出す。

アーシャはそれを見て、少しだけ安心する。



ユズルは老紳士を支え、ゼンは彼が座りやすいようにクッションを折って環境を整える。

卓は足が短いので、卓に着こうと思ったら、床に直接座らなくてはいけない。

腰を痛めているなら、それは辛いのではないかと思っていたら、ゼンたちは老紳士を左右から支えて、座らせる。

助けを得て、何とか座った老紳士は、二人に笑いかける。


「…………」

卓の横に重ねたクッションの上に座らせられたアーシャは、そんな姿を見つめる。

そしてジッと自分の手を見る。

爪の跡のついた手の平は、とても小さい。

そんな、ちっぽけで非力な自分の手は、聖女の力を使わなくては何もできないと思っていた。


ピョンとアーシャはクッションから下りる。

そして老紳士の横にしゃがんで、その腰をさすってみる。

体にいいとか悪いとかはよくわからない。

しかしゼンが背中をさすってくれたら、アーシャはホッとするので、老紳士も少し痛みが和らぐのではないかと、やってみる。

(こういう時、力を使わないときは、どうするんだろう……勉強したいな……)

アーシャは手当のことなど、何一つわからない。

苦痛は消し去ることが一番だと思っていたし、アーシャにはその力があったから、学ぼうとすら思った事がなかった。


「んまぁぁぁぁ!んまぁぁぁぁ!」

そうやっていると、突如飛んできた老婦人に、掻っ攫われるように抱きしめられて、アーシャは目を丸くする。

見れば、老紳士も目尻を皺々にして笑っている。

「へへへ」

アーシャがやった事に効果は多分ない。

でも嬉しそうにしてくれるから、アーシャも頬が緩む。

神の国に来て、物凄く人の体温を感じる機会が多くなった。

じんわりと感じる体温にアーシャは頬を寄せる。

老婦人の胸は、とても美味しそうな匂いがする。


きゅきゅきゅきゅきゅ〜〜〜。

美味しそうと思った途端に、アーシャの腹の虫が、大きな鳴き声を上げる。

「!!!!」

アーシャは慌てて、お腹を押さえるが、自己主張を始めた胃袋は止まらない。

「んまぁ!うふふふふ」

老婦人はアーシャをもう一度ギュッと抱きしめた後に、いそいそと立ち上がる。


そういえば今日は、お昼に外でご飯を食べてから、何も食べていない。

いつも昼寝後に何か食べさせてもらっていたから、胃がすっかりそれに慣れて、食べ物を要求し始めてしまったのだ。

今までは一日二回の粗食だったのに、あっという間に、アーシャの内臓は、豪華な食習慣に慣れきってしまったようだ。

鳴り止まない腹を抱えるアーシャを、ゼンがクッションの上に戻してくれる。


「さぁ〜〜〜!燭圃倍淘層不頻忌お噛秤情栖意!」

老婦人がニコニコと、お盆を持ってやってくる。

その後ろから、物凄く重そうな蓋のついた鉄鍋を持ったユズルがついてくる。

漂ってくる芳香に、アーシャの胃は嬉しそうに三重奏を始めるし、用意できました!とばかりに、顎の奥から涎が噴き出し始める。

アーシャの目はご飯に釘付けだ。


(茶色い『こめ』!)

アーシャは目の前に配膳された器を見て、ゴクンと唾を飲み込む。

これは知っている。

中にお肉まで入っていて、いつもは甘い『こめ』に香ばし塩っぱい味付けがされていて、すごく美味しいのだ。

その隣にはゼンがいつも作ってくれる黄色いスープも並べられる。

「?」

そしていつもならメインが並ぶ場所に、空の皿が置かれる。

神の国だから、透明な食材があったりするのだろうかと、アーシャはそっと皿に触れてみたが、やはり空だった。


「アーシャ、い・た・だ・き・ま・す」

そんなアーシャに笑いながら、ゼンが手を合わせて見せる。

「いたぁきましゅ!」

アーシャも張り切って手を合わせる。

茶色い『こめ』だけでも、肉が入っていて、凄いご馳走なのだ。


「んっ!?」

早速一掬い食べたアーシャは目を見開く。

ゼンが作ってくれた、茶色い『こめ』も美味しかったのだが、こちらの茶色い『こめ』も物凄く美味しい。

ゼンが作ったのより甘味があって、物凄く柔らかい。

いや、柔らかいというか、弾力が凄い。

噛んだら、あっさりと歯を受け入れるのに、口を開くと、歯に柔らかい『こめ』がくっついてくる。

歯を繋ぎ止めようとする不思議な弾力は、噛めば噛むほど強くなり、ピークを越えると、『こめ』が一つの柔らかい塊のようになる。

初めての食感だ。


「美味しい!これ、美味しい!!」

飲み込んだアーシャは、隣のゼンに訴える。

癖になる弾力といい、甘辛い味付けといい、最高だ。

思わずスプーンを振り回しながら主張してしまうアーシャに、老夫婦とゼンが笑い、ユズルが呆れた顔をする。

一人騒いでしまったアーシャは何となく恥ずかしくなってしまう。


「さーさー、管窄冊卦舞松桧〜〜〜」

老婦人が赤くなったアーシャに微笑みかけながら、先程ユズルが運んでいた大きな鍋の蓋を開く。

「ふぁぁぁぁぁ〜〜〜」

アーシャの位置からは、鍋の中は見えない。

しかし蓋を開けると同時に広がった湯気と、美味しい予感しかしない、香ばしい匂いに、アーシャは震える。


「アーシャ濠健怯、憶斤僻蔦博淑邑導嘱縄乳汗いから。芙抜燕単弧不祭鰯糞逸雷いい」

老紳士が何か言いながら、アーシャに手を差し出す。

アーシャが良く分からなくて首を傾げていたら、アーシャの前にあった皿を、ゼンが老紳士に渡す。

すると彼はニコニコとしながら、湯気の中から大きなスプーンで何かを掬い、皿に入れる。

「???」

ゼンを経由して目の前に戻ってきた皿を見て、アーシャは目を見張る。


器にはなみなみと、トパーズを溶かしたような、透き通った液体が入っており、その中には厚く輪切りにされたカブと、茹でた玉子、串に刺さった肉、そして三角の形をした謎の物体が入っている。

「???」

アーシャは握っていたスプーンで、ちょんちょんと謎の物体をつついてみる。

すると、その物体はスプーンをプルンと押し返す、驚きの反発力を見せる。

三辺が全て長さの違う三角形で、半透明の灰色の中に、砂のような黒い粒が沢山入っている。

スプーンを受け付けない硬さといい、不気味な見た目といい、とても食べ物とは思えない。

(飾り的な物なのかしら?)

プルンプルンとスプーンの猛攻を避ける物体に、アーシャは首を傾げる。


「アーシャ、はい」

隣のゼンがアーシャの手にフォークを渡してくる。

そして灰色の三角を突き刺せとばかりに指を差す。

先の丸いスプーンより、フォークの方が刺さり易いだろうが、先ほど突いた感じでは、とても刺さるとは思えない。

「ふぉ!!」

そう思ったのだが、先の尖ったフォークに少し力を加えると、にゅるんとフォークが飲み込まれてしまった。

「……………」

突き刺せてしまったら、次は口に入れるしか無いだろう。


食べたらいけない物なら、途中で止められるだろうと思いつつ、アーシャは恐々と三角の先っちょを齧る。

「!」

こんなににゅるにゅるした物を齧れるのだろうかと、半信半疑で噛み付いたのだが、意外にも灰色の物体は歯をあっさりと受け入れ、プツンと前歯が入ったら、そこから驚くほどスムーズに裂けていく。

「!!」

その異様な弾力から、おおよそ味などしないだろう思っていたのだが、しっかりと香ばしい深みのある塩味が染み込んでいる。

「!!!」

この不思議な食感をなんと表現したら良いのだろうか。

プリプリ。

にゅちにゅち。

歯を食い込ませるまでは、凄い弾力なのに、一旦裂け目ができると、一気に歯を飲み込む。


(面白い!!)

水でも、氷でもありえない独特の食感にアーシャは夢中で、灰色のものに噛み付く。

どこを噛んでも均一に味が染みているのも凄い。

「ほふほふ」

中はまだ熱いので、口の中に空気を入れ、冷ましながら、存分ににゅるにゅるとした食感と味をアーシャは楽しむ。

この灰色はどんなに噛んで、小さくしてもプルプルのままで、喉ごしもすごく面白い。


「ふはぁ〜〜〜」

見た目と裏腹に、美味しかった灰色の物体にアーシャは満足のため息をこぼす。

「ふひひ」

次に狙うは、丸々とした玉子様だ。

茹でただけだと真っ白な玉子だが、しっかり煮込まれているようで、茶色く色が付いている。

見た目から美味しそうだ。

フォークを突き刺して、半分にすると、黄金に輝く黄身が現れる。


満面の笑みで黄身を突き刺そうとしたアーシャだったが、

「あっ、あっ!」

しっかりと火を通された黄身は、フォークで突き刺すと、ホロホロと崩れて、トパーズ色のスープに墜落してしまう。

「お、おっ」

慌てて掬うが、バラバラになって上手くいかない。

なんとか掬い上げた黄身は、半分スープに溶けて、小さくなってしまっている。

しょんぼりしながら口に運んだが、

「ん〜〜〜〜!」

スープがしっかりと染み込んだ黄身は、しっとりと口の中に広がる。

その濃厚な味にアーシャは頬を押さえる。

黄身は噛む必要など全くなく、舌だけで潰せてしまう。

ペースト状になった黄身を飲み込むと、口から喉まで、全部が玉子味に満たされる。

「おいしぃ〜〜〜〜!!」

アーシャは残り半分の黄身にも、スープを染み込ませて食べる。


「ふはぁ〜」

黄身を満喫したアーシャは、残りの白身もいただく。

玉子のメインは黄身。

そんな先入観が確かにアーシャにはあった。

白身は黄身ほど濃厚な味はない。

「!」

しかし一齧りして、目を見開く。

淡白な白身には、しっかりとスープの味が染み込んでいる。

先程の灰色の物のように、プルンプルンなわけではないが、弾力のある白身を噛むと、あっさりとした旨味が、口の中にまだ張り付いている黄身の後味をさらって行く。

「おいふぃ〜〜〜」

あっさりとした旨味に、思わず飲み込む前に声を出してしまう。


神の国はどれだけ玉子を美味しくするつもりなのだろうか。

ここに来て、今まで色々な形になった玉子を食べたが、全て美味しかった。

玉子の余韻を楽しみながら、アーシャは肉の刺さった木の串を手に取る。

「あ、アーシャ、まって」

すると横からゼンの手が伸びてくる。


ゼンは串にフォークを引っ掛けて、上手に肉を串から外す。

せっかく串刺しになっているのに、串から外して食べるのが、神の国流なのだろうか。

しかしユズルは串にそのまま噛み付いている。

「爆肘詮皇姉舟赫具いから」

疑問に思っていたことが顔に出ていたらしく、ゼンは苦笑しながら、アーシャの頭をポンポンと撫でる。

「???」

よくわからないなと思っていたら、目の前で老婦人が肉を串から外す。

そして背筋を伸ばして、二本の棒で肉を挟んで、そっと口に運ぶ。

「……………」

その美しい所作にアーシャは見惚れる。

串から外して食べた方が、断然美しい食べ方だ。


アーシャも真似して、背筋を伸ばして、肉を上品に口の中に運ぶ。

自分の所作も結構綺麗なのではないか。

ゴブリンなりに満足しながら肉を噛み、

「………!?」

思っていた感触と違って目を見開く。


頭の中では肉の中に歯が食い込むものと思っていたのに、歯が肉に弾き返された。

「???」

干し肉のように、硬くて歯がたたないというわけではない。

ぐっと肉に押し入った歯が、びよんっと弾かれるのだ。

その反発力たるや、灰色の物体の比ではない。


(こ、この不思議な感触の肉は何の肉なのかしら!?)

噛んでも噛んでも、噛み切れない。

口の中を転がして、悪戦苦闘していたのだが、そのうち、噛む度に、肉の旨味が染み出してくる事に気がつく。

(噛めば噛むほど美味しいし、ずっと味わっていられる。さすが神の国、長い時間楽しめる肉があるのね)

そのうち、噛むのが面白くなってきたのだが、少しづつ削られた肉は、やがて柔らかくなってくる。

まだ味わっていたかったが、柔らかくなってくると、我慢できない喉がゴクンと飲み込んでしまう。

すると確かな質量が喉を流れていくのを感じる。

『ああ、肉を飲み込んでいる』と実感できる、素晴らしい感触だ。


「ふ〜〜〜」

噛むのは大変だったが、すごく幸せな時間だった。

もう一回楽しもうとアーシャは次なる肉を口の中に放り込む。

「んんん!」

しかし今度の肉は噛むと、柔らかく蕩けて、スープと合わさった濃厚な肉汁が、とろりと口の中に広がる。

同じ串に、異なる特性の肉を刺すとは。

なんて凝った事をするのだろう。

「美味しい〜〜〜!!」

アーシャは柔らかな肉を飲み込みながら感動に震える。


串に刺さっていた肉は四個で、最初の塊は歯が通らない程の弾力で、次の塊は濃厚に蕩け、三番目の塊は『これぞ肉!』という感触の中にコリコリとした弾力が含まれて、最後の塊は蕩ける部分と弾力がある部分が絶妙に混ざっていた。

(天国……天国!!!)

色々なお肉が味わえて、アーシャは昇天寸前だ。

美味しくて、視界がぼやけるくらいだ。

顎はすごく疲れたが、満足感が凄い。

こんなに肉を噛んだのは生まれて初めてかもしれない。


アーシャは満足しながら、最後に残ったカブにとりかかる。

本来白いはずのカブが、スープのトパーズ色に染まり、中心から放射状に走った皺が光を反射して、いかにも美味しそうだ。

表面に小さく十字に切り込みが入っているので、そこにフォークを差し込んでみたら、スッとフォークが吸い込まれ、カブが半分に割れてしまう。

凄い柔らかさだ。

「ほぉ〜」

もう一つの切れ目にフォークを差し込んだら、やはり、するりとカブは割れてしまう。

表面に走っている皺から、繊維があることはわかるのに、驚きの柔らかさだ。


「はふ、はふ、はふ」

口に含むと、カブはホロリと崩れて、熱い汁がジュワッと染み出してくる。

染み出してきた汁は、野菜独特の香りと味がついていて、凄く美味しい。

アーシャは息をして、熱い汁を冷ましながら、カブを噛む。

(これは本当にカブなの!?)

少し癖のある味はアーシャの知るカブとは違っている。

濃縮されたスープの塊は噛む度に、ジュワッとその汁を口の中に広げる。

火傷しそうなくらい熱いのだが、咀嚼が止められない。

喉が早く飲み込んでくれと、ヒクヒクと動くのを、何とか我慢するので精一杯だ。


「んはぁ~~~!」

飲み込んだ時の満足感と言ったら、肉に勝るとも劣らない。

もう一度感動を追い求めて、熱々であることを知りつつも、アーシャは夢中で次のカブにフォークを突き刺す。

もっと冷まして食べた方が良いと頭ではわかっているのだが、体が我慢できない。

「ハフッ、ハフッ、ハフッ!!」

またカブを口に放り込んで、アーシャは口の中を転がす。


「ふはぁ〜!!」

夢中で食べていたら、あっという間に皿は空になってしまう。

寂しいが、アーシャにはまだ茶色い『こめ』がある。

これも物凄く美味しい。

再び『こめ』を楽しもうとしていたら、スッと空になった皿が持ち上げられる。

「?」

今度は老婦人が、ひょいひょいとアーシャの皿に鍋の中のものを入れてくれる。


(まさかのおかわりが!!!)

アーシャは驚きながらも、咄嗟に両手で丸を作る。

もう一度、今のカブが食べたい。

そう思ってのおねだりだった。

(あつかましいかしら?)

ドキドキしながらアーシャが老婦人を見上げると、彼女は快活に笑って頷いた。

そして大きなカブを三つも入れてくれる。


「有難うございましゅ!!」

アーシャは目を輝かせる。

「?」

そしてカブの他に、もう一つ皿に入ってた物に、首を傾げる。

長細く、小枝を切ったような物に見えるが、真ん中に、人の手で開けたとしか思えない、まん丸な穴が空いている。

「???」

フォークで刺してみたら、見た目と違って、物凄く柔らかい。

(何で穴が空いているのかしら?)

外側は茶色でガサガサした感じの皮がついているのだが、中は白い。


アーシャは材質不明の長細い物の穴を覗き込む。

「………???」

これと言って変哲のない穴だ。

穴が空いている事に大きな意味はないように感じる。

アーシャは恐る恐る、それを小さく齧る。

「!」

そして目を見開いて、大きく齧る。


(お肉だ!?いや、お肉じゃない!?いやいや、お肉のような気がする!?)

歯当たりは玉子の白身、いや、それよりもっとプリプリとして柔らかい。

噛むと塩っ気のある旨味が口に広がる。

野菜ではあり得ない歯応えと味だが、肉とも言い切れない。

不思議な物体だが、とにかく美味しい。

(美味しいが正義!うん、美味しい!!)

野菜とも肉とも判別がつかないが、どちらでも美味しい事には変わりない。

アーシャは夢中で、それを咀嚼していく。

「おいひぃ、おいひぃ!」

そう訴えながら食べるアーシャに老婦人は優しく笑ってくれた。



アーシャは最早、綺麗に食べるなどという事は忘れて、夢中で美味しいものを胃の中に収めていった。

結果、茶色い『こめ』、スープ、灰色の三角、玉子、肉串、真ん中に穴が空いた物体を二個、カブ四個を平らげ、下も向けないほど、お腹いっぱいになってしまった。

食べまくったアーシャに、嫌な顔をするどころか、沢山食べて偉いとばかりに、老夫婦は沢山アーシャを撫でてくれた。


(お爺さん、こんなに良くしてもらってるのに……ごめんなさい)

アーシャは老紳士に心の中で謝りながら、彼の腰を撫でる。

治せる力があるのに、使わないのは申し訳ない。

(治癒は使えないけど、きっと役に立てる方法を探すから)

アーシャは撫でる手に、力を込める。


ゼンに対しても何も返せないと思っていたが、力を抑える手伝いなどはできるようになった。

(これから頑張って色々と勉強しなくちゃ)

優しくしてくれる人々に、何かを返せるようになりたい。

アーシャは美味しい物がたっぷり詰まったお腹を撫でながら、決意を新たにするのであった。


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