18.次男、暗躍する

この世の中には好き好んで、猛獣の檻に飛び込んでくる輩が多い。

準備して武装して入ってくるなら、まだ理解できるが、裸一貫で飛び込んで、無事で済むと思っているから、救いがない。

「で?お前はどうする予定なんだ?」

公園で平和に過ごしている猛獣に、わざわざ接触してきた馬鹿の話を聞いた譲は、頭を押さえる。

「潰す。……と、言いたい所だが、取り敢えず、奴らの鼻っ柱をもいで、基本的人権の尊重を理解するまで叩き込む」

真顔で答える禅一に、引く気は見られない。

放っておけば、鋭い牙や爪がある事すら忘れてしまう程、無害なのに、その子供を奪おうなんてするから、災害級の害獣になるのだ。


アーシャが『神代かみしろ』と呼ばれていること。

力を増幅するというデマを信じ込んでいる連中がいること。

そして何より、相手は無力な子供を道具として認識していること。

それらを語った禅一は静かに怒っている。

この男は激しく周囲を攻撃したりしない分、怒りが炭火のように、とんでもない温度で長く持続する。

炭火と同じく、外からは消えたように見えて、高温をたぎらせているから、恐ろしい。

「蛇のような奴に目をつけられちゃって。まぁ……自業自得だけどな」

譲は嘆息する。

せっかく自分が時間をかけて、平和的に相手組織を侵食していこうと思っていたのに、台無しである。


「どうやって相手の所在を探すつもりだ?」

譲が尋ねると、禅一は自信に満ちた顔をする。

「もうすぐアーシャの保育園が始まるだろう?」

「あぁ、明日から預け保育始めていいって連絡が来たぞ」

明日から保育園と聞いて、一瞬、禅一の表情は暗くなるが、すぐに持ち直す。

「俺が離れたと思ったら、ちょっかいかける連中が出てくると思うんだ。だから保育園近くに潜んでおいて、そいつらを捕まえて、トップがいる所にまで案内させる」

禅一らしい荒っぽい作戦だ。


譲は大きなため息を吐く。

「禅が物陰に隠れててもバレるって。相手さんたちは『視える』奴らが多いみたいだから、そんなに氣を垂れ流してたら、すぐに見つかる」

あと、単純に保育園の近くに潜む大男なんて、怪し過ぎて通報事案だ。

呆れる譲に、禅一はニヤリと自信ありげな笑いを浮かべる。


「実はな、今日、動物園に普通に行けたんだ」

禅一の言葉に、譲は目開く。

「へぇ〜!よくパニックが起きなかったな」

譲が驚くと、『そうだろう、そうだろう』とでも言うように、微笑みながら禅一は深々と頷く。

「どうやったかは良くわからないんだが、アーシャがこう……上からぎゅっと押さえてくれて、氣が抑えられるようになったんだ」

両手で自分の体の各所を押すような仕草をしながら禅一は説明する。

「はぁ?」

しかし水蒸気を噴き出し続ける安物の加湿器くらい、氣を垂れ流しにしている禅一が、それを抑えられるなんて、到底信じられない。


「アーシャに押さえてもらわないと、難しいんだが……ちょっと見てくれ。結構抑えられているはずだから」

自信ありげに、そう言って、禅一は目を閉じる。

そして大きく深呼吸する。

「………!」

譲は目を見張る。

加湿器に喩えたくなるくらい、噴き出し続けていた氣が、禅一の周辺に集まる。

「……うん、まぁ、抑えられると言ったら抑えられているけど、それはただ高密度化しただけと言うか……エグいのが体にくっついている、みたいな……」

水蒸気が寄り集まって、禅一に結露している状態とでも言えば良いのか。

広がってはいないが、寄り集まった分、体に密着した氣が異様な濃さになっている。


「……全部出てるか?中に入ったりしていないか?」

喋ると圧縮された氣がブレる。

「ん〜〜〜」

譲はしっかりと視る。

結露が大きな水玉になると、重力に引かれて流れ落ちるように、高密度になって飽和した力は、じわりじわりと内側に流れ入っているようだが、極々微量だ。

「百対三ぐらいの割合で、入ってるといえば入ってる、かな」

「消費税より割合が低いのか……」

禅一はがっくりと肩を落とす。

「ドンマイ。初期の消費税率ぐらいには頑張れてる。少し操れるようになっただけ、大進歩だろ」

一応譲は慰めておく。

中継ぎ宗主として、力の増幅ばかりを優先されてきた禅一が、氣を操作できるようになったのは、少しだけとは言え、凄い事だ。


「隠れていたらバレないぐらいになってないか?」

淡い期待をこめて見つめられるが、嘘はつけない。

「あ〜〜〜、まぁ……そうだな。目だけに頼ってる奴なら、ワンチャンあるかな……程度」

「譲みたいに、何か感じ取れる奴は?」

「村でそこそこの奴なら半径二メートル、俺や最上もがみレベルなら半径十メートルで異変に気がつく」

そう言うと、禅一は再び、がっくりと肩を落とす。


「アーシャが押してくれたら、体の中にあるモノがわかるから、上手くやれるんだけどなぁ」

ブツブツと禅一は呟く。

(ホント、とんでもなく、得体のしれねぇ子供だぜ)

譲は内心、そんな事を思う。

禅一はあっさりと、そんなものかと受け止めているが、この男の人並外れた氣を抑えるなんて、とんでもない能力だ。

その上、神に対抗できる結界を張り、大地の中から氣を呼び起こし、植物を育て、傷を癒す。

(とんでもねぇUMAだ)

絶対にただの『人間』ではあり得ない。

全てが、つまびらかになれば、とんでもない争奪戦が起こるだろう。

普通なら、厄介ごとに巻き込まれるから、お近づきになりたくない存在だ。

しかし自分たちには絶対に必要な存在なので、そんな事も言っていられない。


譲は大きなため息を吐く。

「ったく、何で今日接触してきた奴を捕まえなかったんだ?」

そう言うと禅一は渋い顔をする。

「アーシャが一緒なのに、危害を加えるかもしれない奴を一緒に連れて行くなんて、とんでもないだろ」

危険なものを、とにかく周りから排除したいらしい。


捕まえると言ったら、すぐ物理方向に考える脳筋は、これだから困る。

「次からそんな事があったら、実力行使で真っ先に免許証と、パスコード吐かせてスマホを没収しろ」

スマホは情報の塊だ。

取り上げられれば、相手の首根っこを掴んでいるにも等しい。


「……相手は女性だったんだが……」

「その辺はジェンダーレスに対応しろ」

「そこは性差を失ったらいけない場面じゃないか?」

「犯罪者に性別は関係ねぇ。むしろ、女の方が子供は警戒心を持ちにくいから、厄介な相手になる」

殴ってくる相手は、全力で殴り返す。

それぐらいのつもりがなければ、あの子供は多分守れない。

禅一には中々難しい事だろうが、優先順位は間違えない男なので、いざという時の対応ミスは心配はしていない。

しかし釘は刺しておかなくてはいけない。


「まぁ、こっそり見張ってと言うのは、どのみち無理だな。武知のおっさんが、明日から厳戒態勢で保育園の周りを固めるって言ってたからな」

譲がそう言うと、禅一はキョトンとした顔になる。

「武知さんと話をしたのか?」

「あぁ。村に行って駐在をとっ捕まえて、分家の住所だけ教えてもらおうとしたんだけど、『自分の一存では教えられません』ってごねやがって。結局、武知のおっさんと、最上の長男が出てきて、お話し合いになったんだよ」

禅一は口に含んでいたお茶を吹き出しそうになって、咽せる。


「一人で危ない事をしに行くなよ!!」

「特に危なくねぇよ。入園準備で色々入り用だったから、領収書持って金をせびりに行ったついでに、かる〜く、丁寧に、礼儀正しく、教えを請いに行っただけだ」

年寄りはメールや電話では意思疎通が難しいので、直接資金繰りに行き、そのついでに有用な情報を得られないか、行動しただけである。

しかし禅一は疑わしそうに譲を睨む。

「で、警察の下請け会社の方は無理だったけど、分家には連絡を取ることを許された」

譲はスマホのロックを外して、本日入手してきた、分家頭の名前、電話番号、住所を禅一に示す。

そして『どうする?』とばかりに首を傾げて見せる。


禅一は譲のスマホを見ながら、眉を寄せる。

「俺たちが『家』に干渉する事を快く思ってない奴らが、よく分家の情報を出したな?」

常人には耐えられないであろう、圧の強い禅一の視線を、譲は真正面から受け止める。

「俺が交渉上手で良かったな。遠慮なく褒め称えて、崇め奉っていいぞ」

譲はニヤリと笑うが、禅一の視線は和らがない。

「宗主代理は俺が引き受けた。譲は補佐以外で巻き込まない約束だ。そうだな?変わっていないな?」

禅一は交渉内容を気にしている。

分家の情報と引き換えに、譲が差し出した物に想像がついているのだろう。

強い視線を受け流すように、譲はヒラヒラと手を振る。

「宗主代理は禅だ。変わりねぇよ」

しかしそんな言葉で禅一は納得しない。


更にに禅一が言い募ろうと、口を開けた時、家のチャイムが鳴った。

「禅ちゃ〜〜ん、いるか〜〜い?」

ドアホンなんて洒落た物はついていない昭和建築アパートの、玄関先で元気な声がする。

「シズ子だ」

「シズ子さん、だろ」

禅一は追求を一時中断して、来客に対応するため、立ち上がる。


シズ子はこのアパートの大家で、ご近所に住む老婦人だ。

この家に住むようになってから、何かと禅一が面倒を見るものだから、すっかり疑似孫のような関係になっている。

最初は大家さんと呼んでいたのだが、本人が『シズ子と呼んで♡』との事で、今ではシズ子呼びしている。


「シズ子さん、何かありました?」

「突然すまないね、禅ちゃん。実は今日の昼に道夫さんが腰をやっちゃってね」

「え!?大丈夫でしたか!?病院行きましたか?」

「ただのぎっくり腰だよ。湿布貼って安静が一番さ」

「そうですか?病院に行くなら手伝いますから。いつでも言ってくださいね」

ばーちゃん子だった禅一は、村の老人を除き、高齢者に親切だ。

シズ子は特に祖母に似ているので、禅一は大事にしている。


「ありがとね。実はマロンの散歩に困ってるんだ。あの子は悪い子じゃないんだけど、唐突に走り出したりするから、アタシの力じゃ危なっかしくてね」

「麻呂の……マロンの散歩ですか!」

譲からは禅一の後頭部しか見えないが、喜びで氣が溢れ出しているので、大体の禅一の表情が想像できる。

「俺で良ければ……」

「会ったら服従のポーズしか取られないくせに、どうやって散歩なんかするんだよ。タイヤ引っ張って走る野球部みたいになるぞ」

安請け合いしそうになる禅一に、譲はツッコミを入れる。


マロンは少々本能強めで陽気なシベリアンハスキーだ。

元はシズ子の孫の飼い犬で、転居によってシズ子夫婦が預かることになったのだが、何せ力の強い犬なので、持て余し気味なのだ。

ご近所ということもあり、禅一とは会えば尻尾を振ってもらえる関係だったのだが、狂犬病の注射に抵抗するマロンを禅一が抱えて行ってから、絶対的強者と刷り込まれてしまったらしく、会えば条件反射のように服従のポーズを取られる関係になってしまった。

マロンも禅一のことは好きなようなのだが、その氣を間近でたっぷりと浴び、全く抵抗できなかった事で、体が否応なく服従してしまうようだ。


「えっと……さっきの感じで何とかいけないか?」

禅一はほのかな期待をこめて、そう言うが、譲は首を振る。

「無理無理。世話になってるし、俺が行ってやるよ」

そう言って、譲は玄関に向かう。

拡散は無くなっても、圧縮された氣に犬はビビってしまうだろう。

「あ、あの、アーシャが一緒なら俺でも行けると思うんだが!」

禅一は犬の散歩という憧れのシチュエーションを逃すまいと、言い募る。


「チビは今、寝てるだろ?」

譲は呆れ顔になる。

「アーシャ?」

そんな二人の会話を聞いていた、シズ子は首をかしげる。

「あぁ、その、親戚の子で……」

「育児放棄されてて、親族全員引き取りたくないっていうから、俺たちで引き取って帰ってきた子供」

シズ子は「んまぁぁ!」と声を上げる。


その時、丁度、二階から

「ゼ〜〜〜ン!」

と、禅一を呼ぶ、幼い声が響く。

「起きたみたいだ!」

禅一は弾むような足取りで、二階へと迎えに行ってしまう。


「何歳くらいの子なの?」

シズ子は興味津々な顔で聞いてくる。

「それが出生届も出してなかったみたいで、よくわかんねぇんだ。見つけた時は餓死寸前で、見た目は二歳前後に見えるんだけど、栄養が足りなくて成長していないだけで、医者は五歳超えてるんじゃないかって」

譲が説明すると、シズ子は白い柳眉を逆立てる。

「んまぁぁぁ、餓死!?そんな小さな子が!」

老婦人の中では、餓死しかけていた幼児というだけで、既に保護対象になったようだ。


そこにトントンと音を立てて、アーシャを抱っこした禅一が戻ってくる。

「おや!これは、可愛い子だね!」

骨の形が見えるほどではなくなったが、まだまだ貧相なアーシャを見て、シズ子は微笑む。

あまり人見知りをしないアーシャは、そんなシズ子を見て、ニコッと笑う。

「こんちゃ」

そして小さな頭を下げる。

「んまぁぁぁ!かぁぁわぁぁいぃぃぃ!」

そんなアーシャにシズ子は相合を崩す。

彼女は手を伸ばして、アーシャを撫でまくる。


「んまぁぁ、お目目は緑なんだね。髪もふわふわ、肌も真っ白でセルロイドのお人形さんみたいじゃないかい!」

撫でられて、くすぐったそうに笑うアーシャを、シズ子は気に入ったようだ。

「何だい。住居人数が変わったんならすぐ知らせておくれよ。こんな可愛い子が来たと知っていたら、バァバがたっぷり可愛がりに来てやったのに」

既に顔がデレデレになっている。

「あ……その、どれくらいの預かりになるかわからなかったから……」

禅一がそう言うと、デレデレだった顔が固まる。

「え!?ずっとここにいるんじゃないのかい!?」

可愛がる気満々のシズ子に、譲は片頬を上げる。

「ずっといるよ。まだ手続きが完了してないってだけさ」

そう言った譲を、禅一は困り顔で振り返る。

「そうだろ?事情がある子供を他の誰が守れるって言うんだ?」

反論しようと口を開けて、それから、禅一は口を閉じて頷く。


ちゃんとした一般人の両親を見つけて、養子にしてもらって、村とは関わらない、幸せな生活を送らせてやりたい。

そう禅一は言っていたが、それはもう無理だと本人も理解したのだ。

一般人ではアーシャは守れない。

それどころか、その一般人も巻き込んでしまう恐れがある。

禅一の理想は理想でしかない。

アーシャは禅一くらいの強力な盾でないと守れない。

実現不可だと認めざるを得ないのだ。


「じゃあ、今日は歓迎の意味を込めて、バァバがアーシャちゃんに、ご馳走を食べさせてやろう」

ようやく少しだけ丸みを帯びてきたアーシャの頬を、プニプニとつつきながら、シズ子は張り切る。

頬をつつかれたアーシャは不思議そうな顔をしていたが、ニコッと笑う。

「んまぁぁぁぁ!嬉しいのかい!そうかい!」

単に愛想が良いだけなのだが、シズ子はますます相合を崩す。


「散歩のお礼だ!さあさ、みんな着いておいで!」

シズ子は張り切って踵を返す。

「譲も行くのか?散歩帰りに声をかけに来てもいいぞ?」

譲も靴を履いていると、禅一はそんなことを言う。

もう自分が散歩をする気満々だ。

「……まだ散歩できるとは限らないだろ。一応ついて行って確認したら家に戻る」

譲は呆れ半分の目で、落ち着きのない兄を見る。



宗主代行を勤め始め、朗らかなものの、どこか生を諦めたような静謐さを保っていた禅一が、年相応にはしゃぎ始めたのは大変結構だが、落ち着きがなくなりすぎて、多少心配だ。

「ふわぁぁぁ!」

シズ子の家の、門かぶりの松を見て大興奮のアーシャに、禅一もシズ子もデレデレと笑っている。

子供の影響力というのは恐ろしいものだ。


「松が好きなのかい?庭にはたくさん生えてるよ」

シズ子が地主の庭らしい、日本庭園を示すと、アーシャは無邪気に目を輝かせる。

様々な木が植わっているが、その中でも松が気に入った様子だ。

ヒーローを見るような目で、松をシゲシゲと観察している。


シズ子はそんな無邪気な子供が可愛くて仕方ないらしい。

「おいで。こっちには鯉もいるよ」

子供が喜びそうな庭池も見せようとしている。

「ふおぉぉぉぉぉ!!」

冬眠中で動きのない錦鯉にもアーシャは大興奮だ。

鯉を指差しながら、うにゃうにゃと騒いでいる。

子供としては無口な方なのに、珍しいくらい喋っている。


「あの子は、外人さんなのかい?」

「多分。ハーフかもしれないけど、とりあえず日本語は全然話せないし、色々妙な行動をとってるから、つい最近まで日本以外の所で暮らしていたっぽい」

「事情は全然わからないのかい?」

「全然だな」

「んまぁ……」

気の毒そうにシズ子は眉を寄せる。

「そりゃ、美味しいものを、たんまりと食べさせてやらないと」

なぜそんな感想に至るのか、譲にはいまいち理解できない。


シズ子は散歩用のリードと、粗相の持ち帰り用の袋を、いそいそと準備しに行く。

散歩に送り出して、何やら作る準備をするようだ。

「冬眠から覚めたら、餌をやらせて貰いに来ような」

禅一は鯉に興奮するアーシャに呑気に語りかけている。

「あっ」

シズ子の小さな呟きと同時に、庭の奥に作られたドッグランの柵が開け放たれる。

客の訪れを察知した犬が大興奮して、少しだけ開けた柵から飛び出してしまったようだ。


いち早くそれを察知した、禅一は先ほどのように、自分の氣を抑えようとする。

無駄だと言ったのに、試さずにはいられないようだ。

飛び出してきたシベリアンハスキーは、禅一の姿を見て顔を輝かせ、ブンブンと尻尾を振る。

そして迷いなく、走り始めた。

(お?意外とうまく行くのか?)

犬がどれほどの精度で、禅一の氣を感じているのかわからないので、一瞬、譲はそう思った。

禅一もそう思ったようで、顔を緩ませ―――圧縮していた氣が一気に解けてしまう。


その瞬間、正に飛びつこうとジャンプしたハスキーは、空中で見事な半回転をして、背中から土煙を上げながら、着地した。

「………………」

「………………」

見事なジャンピング服従である。

禅一は失望で肩を大きく落とし、譲は思わず笑いそうになって手で口を押さえる。

『本当は好きなのよ。でもどうしようもないの』とでも言うように、小さく揺れる尻尾が物悲しさを倍増させる。


『やっぱり禅には無理だろ』

『待ってくれ』

譲と禅一は目線だけでそんな会話を交わす。

「あ〜〜〜、アーシャ、昼の……あの……」

諦めきれない禅一は、片手で全身を抑えるような仕草で、アーシャに訴える。

「あぁ」

ちっぽけな子供は、『そんな事か』とでも言うように、禅一に体をくっつける。


「!!!」

譲はその様子を見て、驚愕する。

周りに発散されている禅一の氣が、アーシャに向かって流れたかと思うと、譲の目でさえ見落としそうな薄い氣の膜が禅一を覆う。

「ん〜〜〜〜!!」

そしてアーシャが力むと、その膜が禅一の体に少し近づく。

それに合わせて、禅一が目を閉じると、外に向かって発散されていた氣が消える。

(そんなアレが消えるなんて……)

驚いた譲は目を凝らす。

すると力の方向を変え、氣が内側に向かって流れ始めたのが

内側に溜まった氣は光の塊のようになって、禅一の体を満たす。

「っっ」

そのまま見続けたら目が焼き切れそうだったので、譲は目を閉じて、無理矢理遮断する。


(『力を増幅する』ってのが嘘から出たまことになっちまうぞ)

正確には禅一が発散していた力を、内部に圧縮して溜め込んでいるだけなのだが、他の奴らが見たら、アーシャが増幅しているように見えるだろう。


「ま……麻呂?」

肝心の禅一は全く何も感じていないらしく、服従ポーズをやめたハスキーに感動して、恐る恐る手を伸ばしている。

(マロンだって)

飼い主の前で、勝手につけた名前で思い切り呼んでいる。

禅一は目の上にある白丸を眉に見立て、麻呂と名づけ、シズ子の孫は好きなケーキの名前をとってマロンと名づけ、奇跡の一致を見せているが、早々に訂正させる必要がありそうだ。


キュンキュンと鳴くマロンを久々に撫でさせてもらって、感動に震えた禅一が、氣を外側に漏らしそうになったら、

「ふん!」

とアーシャが気合を入れ、一瞬、禅一を覆う膜が分厚くなる。

すると禅一も何かを感じるらしく、慌てて目を閉じて、氣の流れを正す。


「こりゃぁ……とんでもねぇな」

譲は一人呟く。

元から人間離れしていた禅一が、更に人外の道に逸れ始めている。


「譲も一緒に行くか?」

禅一が喜びを隠せない顔で、尋ねてくる。

「いや、大丈夫そうだから、俺は家でゴロゴロしとく。帰ってきたらスマホに連絡くれ」

そう言って、譲は禅一たちを見送る。



大切そうに、コートの上から毛布まで巻いて、チビを抱っこする禅一は楽しそうに笑っている。

その顔に、まだ何も知らなくて、無邪気に笑っていた頃の姿が重なる。

悪ガキ、悪タレ、悪童、クソガキ。

小さい頃の禅一は、考えなしで、自分がやりたい事をやりたいようにやって、周りから、そんな風に呼ばれていた。

毎日外水道で丸洗いされるぐらい、真っ黒になるまで遊んで帰ってきていた。

そんな無分別なクソガキが、一転して、『自分』でいることを諦めた。


「…………」

譲は家に入りながら、スマホを耳に当てる。

「もしもし。…………藤護から話は通ってるか?……面会がしたい」

通話先の相手は慇懃無礼な話し方で譲に対応する。

どちらも長い対話は望んでいないので、面会の時間を決めて、早々に会話を終わらせる。

『我々の一族は末子相続だ』

「知ってるよ」

『それをあるべき姿に戻す。意味がわかって了解しているんだな』

「ああ。全部了解している」

『……理解できんな。今まで全て拒否していたのに……』

「状況ってのは刻々と変わるんだよ。頭の回転の遅い老人に理解してもらおうとは思ってねぇよ」

そう言って譲は一方的に通話を切る。


「もう無力な鎖役は卒業できそうなんでね」

切れたスマホに向かって譲は呟く。

無力で、何もできなくて、禅一がいなくなったら死ぬ以外の選択肢がない。

未来の夢を語りながらも、我知らず、自分の未来を諦めてしまっている禅一が、歯を食いしばって、この世にしがみつくための理由。

そんな、この世に繋ぎ止める鎖役に最適な人材が新たに現れた。


「さて、どう動くかな〜〜〜」

ぽいっとスマホをテーブルに放り投げて、譲はソファーに転がり、これからのプランを練った。

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