16.長男、圧縮の威力を知る(後)
禅一が奇妙な気配を感じたのは、ご飯を食べようと、ブルーシートの上に広げた、小さな毛布の上に、アーシャを下ろしてからだった。
(気のせいか……?)
あまりに唐突に感じたので、禅一は首を傾げる。
時々感じる武知たちの無害な気配ではない。
見守るというより、見張っているような、粘つく視線だ。
撤退すべきか迷ったが、毛布に下ろされたアーシャは、その上を楽しそうに転がっている。
今からのご飯が楽しみなのか、コロンコロンと回っては笑って、はしゃいでいる。
(まぁ、ここは見晴もいいからな。何か来ても対処できるだろう)
ご飯を楽しみにしているようだから、先延ばしにするのは可哀想だ。
シートを張ったのは、小高い丘のようになった場所で、周りには遮蔽物らしい遮蔽物がない。
咄嗟に隠れる場所がないとも言えるが、敵が近寄ってきたら、すぐにわかる。
最悪、アーシャだけ担いで逃げても良い。
(昼寝用毛布とブルーシート置いて逃げたら、譲が怒るだろうが)
それが一番気がかりではある。
譲は自分の物に、こだわりが強いので、頭を下げて借りたのに、返せないなんてことになったら、怒り狂いそうだ。
(弁当箱も貸してくれないくらいだもんなぁ)
禅一がリュックから取り出したのは、禅一が高校の頃に使っていた弁当箱だ。
譲も似たサイズの弁当箱を持っているので、貸してくれるように頼んだのだが、
「食器を貸すのは無理」
とすげなく断られてしまった。
よって禅一の弁当箱はアーシャ用にして、禅一用のピクニック飯は、適当におかずを包んだ爆弾おにぎりとなった。
(アーシャ用の弁当箱も買わないといけないな)
保育園は基本的に給食なので、箸セットしか買っていない。
しかし遠足もあるだろうし、こうやってピクニックにも行く機会も、まだまだあるだろう。
「アーシャ」
そんな事を考えつつ、禅一がアーシャを呼ぶと、アーシャはニヤッと笑う。
そしてゴロゴロと転がって、禅一の足にぶつかってきた。
恐らく本人的には勢いをつけてやったつもりなのだろうが、芋虫の方がまだ上手いくらいの、不器用な転がり方で、衝撃は全くない。
「ふひひ」
『悪いことしました』的な顔で、禅一を見上げながら、アーシャは笑う。
リラックスして、楽しんでいる様子に、禅一も破顔する。
ちょっと悪戯してやろうと思うくらいに、心を許してくれているのが、嬉しい。
自由な方向にポワポワと広がっている、黒綿毛を混ぜっ返してやると、アーシャははにかむ。
嬉しそうに、アーシャは禅一の横にピッタリと座る。
「はい。アーシャの」
そう言って体に対して大き過ぎる弁当箱を渡すと、アーシャは顔を輝かせる。
「わぁ!!!」
とても喜んでくれているようだが、その中身は、急遽、家にあるものだけで作った、全く見栄えしないラインナップだ。
子供が喜ぶようなキャラ弁を作れると良いのだが、生憎と禅一は細かい作業が得意ではない。
頑張って、色の違うオニギリを交互に並べた程度だ。
しかしそれすら
「緑と紫って……すっげぇ映えねぇ市松模様だな」
と譲にツッコミを受けた。
確かに映えない。
しかし家に常備されているのは、譲が好んで食べる、ゆかりと青しそのフリカケだけだったのだ。
これでも似たり寄ったりの味ばかりにならぬよう、急遽乾燥わかめで、わかめご飯オニギリを追加したりして工夫したのだが、よく考えたら、青しそと同じ色で、市松模様にするために、ゆかり:青しそ:ワカメが2:1:1の、微妙な割合になってしまうという結果に終わった。
(今度から色鮮やかな混ぜ込みご飯の素を常備しよう)
禅一は心秘かに決意する。
あり合わせで作ったオカズも、玉子焼き、きんぴら、焼いたウィンナーの三品だけと、かなり寂しい。
微妙な色合いの市松模様含め、お世辞にも美味しそうには見えない。
「あんまり弁当作るの得意じゃなくてな」
言葉が通じないとわかっているが、ついつい、禅一は言い訳めいた事を言ってしまう。
しかしアーシャはキラキラと緑の目を輝かせ、フォークを渡したら、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
そして禅一の腰にほっぺたを押し当てて、
「いたぁきましゅ!」
と、嬉しくて嬉しくて堪らないというように、満面の笑みで言ってくれる。。
「召し上がれ」
貧相な弁当でも、無邪気に喜んでくれるので、禅一も嬉しくなって、黒い癖っ毛をかき回す。
成人男性用サイズのお弁当箱なので、食べたい物を好きように食べてくれて良いと思っていたら、アーシャは迷わずウィンナーを頬張る。
(やっぱり肉から行くんだ)
禅一は笑いを噛み殺す。
藤護兄弟揃って好物で、ちょっとお高いが、弾ける皮がクセになる、粗挽きポークウィンナーを、アーシャも気に入ったらしい。
「うぃにぁぃあぅ……うぃにぃあぅぅぅうう!!」
両手を突き上げて、湖に向かって吠えている。
いつも通りの大喜びだ。
(レストランに連れて行けるのはまだ先だな)
微笑ましく見守りながら、禅一はそんな事を思う。
首をフリフリ食べる様子はとても微笑ましいが、ファミリー向けのレストランでも目立ってしまいそうだ。
大満足という顔で、飲み込んで、アーシャは意気揚々と二個目のウィンナーを口に入れようとして、首を傾げて、止まる。
「………?」
ウィンナーの不格好な形に気がついたらしい。
「ごめんな、頑張ったんだけど八本足にするのは難しくて……」
せめてちょっとでも見栄えを良くしようと、禅一はタコさんウィンナーに初挑戦したのだが、殆どのタコさんは足を損傷している。
切っている最中に千切れてしまったり、焼いている間にぎりぎりくっついていた足が取れてしまったり。
弁当といえばタコさんウィンナーと言うくらいメジャーなはずなのに、恐ろしく難しかった。
世のお母さんたちの技術の高さには驚くばかりだ。
己の不甲斐なさに、禅一が少し気落ちしていたら、アーシャはアワアワと細かく動く。
「にーみぃうぃにぁぃあぅみ!いーじゅしぃ!」
そしてフォークをブンブン振りながら、何かを主張している。
アーシャは緑の目を右に左に動かして、考えを巡らせた後に、思いついた!とばかりに顔を輝かせる。
「『かわいーな』!にーみぃ、『かわいーな』!」
頭をフォークに突き刺されたタコさんを振り回しながら、アーシャは舌ったらずな発音で、一生懸命伝えてくれる。
「…………!!」
禅一は胸を押さえる。
下手に顔を作ろうと穴を開けたタコさんウィンナーは、ムンクの叫びそのものの顔だ。
その足がもげ、頭にはフォークが突き刺さっているから、ちょっとした呪物にしか見えない。
それなのに覚えたての単語で、一生懸命、可愛いと持ち上げようとしてくれている。
「可愛い……!可愛いぃぃ!!」
健気すぎる。
(絶対に次からは本当に『可愛い』タコさんウィンナーを作るからな!!)
ふわふわの頭を抱き締めながら、禅一は誓う。
少なくとも皆との遠足で、アーシャが恥をかかないレベルのものを作ってみせる。
「へへへ」
思い切り撫で回されて、鳥の巣のようになった頭で、アーシャは笑う。
そしてニコニコと楽しそうにお弁当を食べる。
それを見ながら禅一も、弁当の残り物を無差別に詰め、海苔を巻いたオニギリを食べる。
(……何か、こう言うのも悪くないな)
外でピクニックをするなんて、いつぶりだろう。
いつになく気持ちが凪いで、穏やかだ。
(こんな時間をくれたアーシャには感謝しないといけないな)
うにゃうにゃと、砂糖を入れた玉子焼きを掲げたり、ニンジンとゴボウのキンピラを食べて、目を輝かせたりと、アーシャは楽しそうにお弁当を食べる。
ゆかりのオニギリはちょっと刺激が強かったのか、口に入れて大慌てしていた。
(外国の人は梅干しとかも苦手な人もいると言うし、避けた方が良さそうだな)
ワカメご飯のオニギリは、ダシもしっかりと入っているので、美味しかったらしい。
ほっぺたを幸せそうに撫でている。
(子供は見ていて飽きないな)
素直で、表情豊かで、振れ幅が大きくていて、観察しているだけで楽しい。
そんなアーシャは、禅一のオニギリを見ると、びっくりして目を見開く。
「どうした?」
そう聞くと、禅一の食べているオニギリが、自分の弁当箱に入っていないと、指差しで示してくる。
(食いしん坊だなぁ)
禅一は微笑ましくなってしまう。
小さな体で、成人男性用の弁当箱半分の量を食べるだけある。
この調子で食べてくれれば、平均体重になる日も遠くない。
しかし弁当の残りで、適当に作ったオニギリは、はっきり言って、そんなに美味しくない。
特に気にせず、全部混ぜたので、甘い卵焼きとゆかりの味など、最高に合わなくて、気楽に一口どうぞと勧められない。
「いっ・しょ」
そう言って中身を見せるように差し出したら、興味津々に覗き込んで、しみじみと観察したかと思うと、
「きぅいぬぅに!」
何故か楽しそうに、目を輝かせる。
(おっと、今のうちに出しておかないと入らなくなるかもしれない)
禅一は保冷袋からイチゴの入ったタッパーを取り出す。
「アーシャ、イチゴ」
そう言って差し出すと、
「ふわぁぁぁぁ!」
もうオニギリのことも忘れたかのように、アーシャは嬉しそうに顔を輝かせる。
アーシャは嬉しそうに、大口を開けてイチゴにかぶりつこうとして、弁当が残っていることに気がついて停止する。
「あ……う……う〜〜」
真剣に苦悩しているのが面白い。
弁当を残すことを気にしているのだろうか。
子供なんだから、自由に食べれば良いのに、と、禅一はおかしくなる。
「好きな物から食べて良いからな」
そう声をかけると、理解したのか、アーシャは顔を緩ませる。
「へへへ」
アーシャは嬉しそうに、ゼンの太ももに、もたれるようにしながら、イチゴを頬張る。
こんな風に甘えるのは珍しいな、と、思っていたら、急速にアーシャのシャットダウンが始まっていた。
たった今の今まで、生き生きと元気にしていたのに、小さな体は力が抜けて、目がトロンとし始める。
最初は勢い良くイチゴを食べていたのに、咀嚼が一回噛むごとにドンドンゆっくりになっていく。
「みぃにぃになぁ」
やっとイチゴを一つ完食したかと思ったら、トロンとしていた目が閉じてしまう。
「……………」
禅一は腰まである自分のコートの前を開いて、アーシャごと包むようにする。
グラグラと揺れていた小さな頭が、禅一の太ももにのる。
禅一は更なる深い眠りに誘うように、自分のコートの上から、アーシャの背中をポンポンと撫でる。
「……嫌な所を見せなくて良かった。」
コートの中でクウクウと寝息を立て始めたアーシャに微笑んでから、禅一は顔をあげた。
そしておもむろに近づいて来る人影を睨む。
人影は三つ。
両手を広げて、残りの二人を止めようとしている人物には見覚えがある。
へっぴり腰で、右に左にと動きながら弱々しい声をあげている、長身痩躯の男。
「五味さん」
禅一が声をかけると、五味は情けない顔で振り向く。
「禅一さん〜〜〜、何回も連絡したのに〜〜〜」
彼の手にはスマホが握られている。
そう言われて、禅一は自分のスマホをリュックに入れっぱなしにしていた事を思い出す。
「藤護禅一さんですね?」
話しかけてきたのはモノクロの目立たないスーツの女性だった。
いかにも仕事のできる社会人といった雰囲気で、歳のころは二十代後半といった所だ。
これといって目立つ所のない、無難な印象を受ける外見だが、目だけは妙にギラついている。
「ちょっと!藤護本家の者に触れてはならない!本来に近づくことも許されてっっ……!!」
「うるせぇんだよ!!感知能力しか持ってねぇ役立たずがよ!!」
その女と禅一の間に、頼りない足取りで、五味が割り込もうとしたのだが、女の横に立っていた、巨体の男に突き飛ばされてしまう。
「五味さん!」
禅一は思わず立ち上がりそうになったが、彼の太ももには眠ったアーシャがもたれている。
「大丈夫です!」
運動神経が悪そうだと思っていた五味は、意外にも一回転して、そのまま立ち上がる。
そして彼は腰がひけたままの姿勢で、再び、禅一たちの前に立ち塞がろうとする。
運動神経は良くても、荒事には向いていないようだ。
「五味さん、良いですよ。俺が対処します」
「禅一さん……良いんですか?」
「ええ。代わりにアーシャを見ていてください」
禅一はアーシャを外気に晒さないように気をつけながら、コートを脱いで、寝息を立てているアーシャを包む。
それから、そっと足を外して、アーシャを横たえる。
「あら、思ったより素直なのね」
女性も、その隣の巨体の男も、相手は所詮十代の小僧と舐めてかかっているのが見てとれる。
「呼ばれもしないのに、他人のプライベートに押し入ってくるような礼儀知らずに、うちの子の安眠を妨げられたら困るからな」
普段は歳上に敬意を持って対応する禅一だが、相手が招かれざる客なら話は別だ。
速攻で叩き潰す。
そう決めて禅一が立ち上がると、女たちがギョッとした顔つきになる。
威圧要員と思われる男を、禅一は上から睨み下ろす。
座っていたから気が付かなかったかもしれないが、女が連れている男より、禅一の方が身長では優っているのだ。
「……ぁ、っぅう……」
先程、五味に暴言を吐いた姿が嘘のように、巨体の男は青くなる。
(体はデカいが、戦う体つきじゃないな)
それなりに筋肉はあるが、同じくらい脂肪もついていて、とても素早く動けるタイプではない。
容赦しなくて良いなら、無力化するのは簡単だ。
「は、あ、ぁ、ぁ、ぁ」
禅一がそんな事を考えながら、男を一瞥したら、男はカクンとその場に座り込む。
「…………?」
まだ手を出していないのに、訳がわからない。
禅一は首を傾げたが、座り込んだ男の顔を、しゃがんで覗き込む。
「漏らしそうな顔で、ここで座り込むな。このシートを汚したら俺が怒られるんだから、とっとと離れろ」
シッシと手を振ったら、男は大袈裟なまでに、ブンブンとヘッドバンギングしながら、転がるようにして後ろに下がっていく。
(器用な男だな?)
その不気味な移動の様子に、禅一は戸惑い半分、感心半分だ。
巨体の男があっという間に下がってしまったので、禅一は次なる排除標的を見る。
「っっ!」
目を向けられた女性は、男のように地面に座り込んだりはしなかったが、顔色が真っ白になっている。
口紅を塗っている口すら色を失っているように見える。
しかし下がろうとする様子はない。
「で?アンタは誰で、俺に何の用事だ?」
禅一が女性を睨みながら問いただす。
すると女性は唇を振るわせながらも、口を開く。
「わ、私は高次元災害対策警備社、第三セキュリティチーム統括の
名乗りながら、彼女は自らを奮い起こすように胸を張る。
「で、何の用で押しかけてきた?」
禅一が問いかけると、近常は息を吸って背中を伸ばす。
「単刀直入に言うわ。
聞き慣れない単語に、禅一は首を傾げる。
「カミシロ?」
そんな禅一に、女は少し顔色を取り戻す。
「藤護の後継なのにそんな事も知らないの?」
知識でマウントを取れたことが、嬉しい様子だ。
「勝手に後継扱いしないでもらおうか。俺は正式な後継ぎが生まれるまでの中継ぎだ」
現金な女性の態度に、禅一は呆れてしまう。
「神代は読んで字の如く、神の
近常は鼻高々として説明する。
禅一の後継者否定など聴こえていない様子だ。
「字なんか知らんし」
禅一は小声でツッコむ。
『神の依代』をカミシロと呼ぶなら、神代と書くのだろうなと逆に予想できるが、この説明だけで、目の前の人物が厄介そうなのはわかる。
自分の知識を当たり前の基準として説明するタイプは、大体頭が弱く、思い込みが強いので、話し合いでの解決が難しい傾向がある。
「神代は神の器となるのだから、数々の奇跡を持ち合わせると聞くわ。……そう、力を何倍にも増幅させたり、ね」
近常の視線がチラリとアーシャに向かう。
その視線で禅一は悟る。
神代とはアーシャのことであり、この女はアーシャが力を増幅するという妄言を信じ込んでいる『敵』だ。
「藤護が『力』を必要とするのは、大祓えの時だけと聞いているわ。対して我々は日夜、日本各地の穢れを清めて、神級になる事を抑え、新しい災害の芽を摘み取っている。神代があれば、我々の活動も捗るでしょう。大祓えの際には藤護に貸し出す事を確約するわ。だから、この国のために、神代をこちらに渡していただきたいの」
アーシャを渡す事が、当然の正義であるように相手は語る。
「……………」
禅一は咄嗟に返事ができなかった。
激しい怒りが、吐き気を伴って胃から迫り上がってくる。
「……………ひっ!!」
「ひぃえぇぇぇぇぇ!!!」
禅一の怒りの表情を見た目の前の人物が、息を呑むのはわかる。
しかし背後の五味からも情けない悲鳴が上がるのが解せない。
何か起こったのかと思ったが、彼はアーシャに覆い被さるようにして丸くなっているだけだ。
特に何かに襲われていると言うわけではない。
怒りのままに口を開いたら、とんでもない罵詈雑言を吐き出しそうで、禅一は何回か呼吸をして心を鎮める。
「まず第一に、うちの子は『神代』なんて物じゃない。れっきとした一人の人間だ。道具のように言わないでいただこう」
随分と我慢しているが、獰猛な獣の唸り声のような低音の声になるのは、どうしようもない。
「そして第二にうちの子は、まだまだ周りの人間の助けがないと生きていけない、小さな子供だ。まだ自己主張も上手くできない、自分の意思で何かを決定するには未熟すぎる子を、人間を道具扱いする奴らに渡す気はない」
喋りながら、奥歯に力が入って、歯軋りしそうだ。
感情を堪えようとするあまり、喉の奥から低い唸り声のようなものが出てしまう。
「ぁ、で、でも……我々は、全国民の、安全を、守るために……」
真っ青になって、膝を震わせながらも、女性は反論を試みる。
「最後に、大した確認もせず、『力が増幅される』なんて与太話を信じ込んで、幼児を道具扱いするような奴らは、俺の敵だ!藤護など関係ない!!どんな善行を積んでいようが関係ない!近日中にお前らの組織を潰しに行く!貴様らのトップに伝えろ!!お前らのような存在を許した組織が無傷でいられると思うな!!」
多数のために、小さな一人を差し出す正義を、最後まで聞く事はできずに、禅一は吠えた。
禅一の声に空気がビリビリと震える。
その音量に吹き飛ばされるように女性は後ろに倒れ、耐えられないと言うような様子で、禅一の言葉の途中で、地面を這いずって逃げる。
女性は綺麗なスーツを、枯れた芝生だらけにしながら、立つこともできずに、転がったり這いずったりしながら禅一から離れていく。
その姿を見ても可哀相とも何とも思えなかった。
自分の大切な子を、道具扱いされた禅一は、振り上げたい拳を堪えるので精一杯だった。
怒りのあまりに、ガチガチと奥歯を鳴らし、追撃で怒鳴りたくなる言葉を飲み込む。
「じぇ、じぇ、じぇんいちしゃ〜〜〜ん」
フーフーと何度も深呼吸をする禅一の後ろで、情けない声が響く。
振り向けば、五味が泣きながら震えている。
震えながらも、しっかりアーシャを守るために丸くなっているから、中々根性のある人のようだ。
「……五味さん、どうしました?」
驚いて尋ねると、五味はプルプルと震えながら禅一を見上げる。
「氣を……氣を押さえてください〜〜〜!心臓が止まります〜〜〜!!!」
「き?……あっ……氣?」
禅一は驚いて自分の腕や体を見るが、当然何も見えない。
「一体、何をやったんですか〜〜〜もう人間の域を大きく越えてますよぅ〜〜〜神仏にランクアップするつもりですか〜〜〜〜」
五味はモソモソと動いて、アーシャの上から移動するが、腰が抜けているらしく、そのままシートに倒れこむ。
「す、すいません?」
緊張から解放されたらしい五味は、滂沱の涙を流している。
禅一は慌てて、先ほどの感覚を思い出そうとするが、上手く行かない。
自分の中にある物も、垂れ流しになっていると言われる物も、全く感じ取れない。
(あ……さっきまでアーシャが、何かで押さえてくれていたから感じられただけなのか)
アーシャがいなければ、禅一は何も感じられないのだ。
そういえばアーシャをシートに下ろしてから、周りの気配を、正確に感じ取れるようになった。
それまでは何らかの力で、アーシャが禅一を覆って、外界とシャットアウトくれていたのだろう。
禅一はそう判断する。
そっとコートの中を覗き込んでみると、五味の泣き声をものともせずに、アーシャは気持ちよさそうに眠っている。
「あの、押さえてるつもりなんですが、どうですか?」
こうなると、しゃくりを上げて泣いている五味に聞くしかない。
「さっきより良くなりましたけど〜〜〜エグさが半端ないですよ〜〜〜。もうエグエグで人間の域超えてますよ〜〜〜」
酷い言われようである。
「まだ出てますか?」
「絶賛放出中です!いつもより量は控えめなんですけど〜、質がエグい!」
この場で確認できるのが五味だけなので、何とも言えないが、エグいエグいと言われると、逆に信用できない気がする。
(これが譲の言う事なら信頼できるんだがなぁ)
禅一はそっとため息を吐く。
「ほら、聞いてくださいよぉ、動物も一気に鳴き止んで。こんなに静かな公園。ありえないでしょぉ?」
禅一は周囲を見回す。
そう言えば、いつもは動物園の鳴き声や、公園を楽しむ人たちの声がしているはずなのに、全く何の音もしない。
「何やったんですかぁ?こんなに一気に質が変わるなんてあり得ないですよぉ」
ようやく涙が止まり始めたらしい五味が、自分の服の裾で顔を拭くので、禅一は食後にアーシャの手を拭こうと思っていたおしぼりを差し出す。
「ありがとうございます〜〜〜」
五味は遠慮のかけらもなく、豪快に顔面を拭く。
(さっきの男が怯えていたのも、そのせいなのか…………質、質、質が変わるようなこと……)
そう考えて、はたと禅一は思い当たる。
普段は垂れ流している『氣』を内側に向けて出さないようにした。
譲には歩く噴水とまで言われた『氣』は、内に向けられてどうなったかと言えば……
(体の中に詰め込まれて……もしかして入りきれなくて圧縮されていた?)
禅一は感じ取れない・見えないなりに仮説を立てる。
普段垂れ流している分が、体内で圧縮されていて、それが怒りで堰が切れて、一気に噴き出したのかもしれない。
「武知さんにも俺一人で見張りなんて無理ですって言ったのに、今日は禅一さんが一緒だから大丈夫だって、一応着いとくだけだから言われて。でも警備チームが近くに来ちゃって、慌てて知らせようとしても、禅一さん、電話出てくれないし。そのうち近常さん、やって来ちゃうし。禅一さん、エグモンになっちゃってるし」
泣き止んだ五味は、愚痴マシーンと化している。
(……エグモン……俺はポケ○ンみたいな感じなのか……)
ゴシゴシと顔を拭きすぎて、赤くなってきている社会人を、禅一は遠い目で見つめる。
「えぇっと……五味さん、ご迷惑をおかけしました」
禅一は素直に頭を下げる。
「いえいえいえいえ、電話かけてもメッセージ飛ばしても無視されて、とばっちりの波動で死にかけても、俺のお仕事はアーシャちゃんの安全を守る事ですから。アーシャちゃんがスヤスヤ眠れている今があるから、別に良いんですよ」
「……………」
ちょっと素直すぎるが、決して悪い人ではない。
力の器を守っているのではなく、アーシャを守ろうと頑張ってくれていた事は伝わってくる。
「で、お話なんですけど」
「何でしょう?」
こんな人が属している組織の下に、あんな連中がいる事が信じられない。
「さっきの高次元なんとかの、取締役みたいなのがいる所を教えてください」
しかし降りかかる火の粉は、早々に火元から消さないといけない。
「禅一さん……早まっちゃダメです」
五味の顔色が、再びグッと悪くなる。
「すいません。でも、正当防衛だと思うんです」
「禅一さん、流石に相手にロケットランチャーを打ち込むのは、過剰正当防衛だと思います」
「流石に武器は使いません。あいつらは今、俺に殴りかかってきました。イメージはクロスカウンターを決める感じでお願いします」
「すみません、言い方が悪かったです。禅一さんがロケットランチャーなんです。打ち込まれたら、組織が壊滅しちゃいます。まともな人が九割で、一割のおかしな連中がいるだけなので、勘弁してやってください」
五味は流れるような土下座を見せる。
着信を無視してしまったり、死ぬような目に遭わせてしまった人に、土下座をされて断られたら、情報を聞き出せない。
(どうするかなぁ)
禅一は考えながら、空を仰いだ。
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