16.長男、圧縮の威力を知る(前)
(これは……思ってた以上に修行だな)
もう何度目になったのか。
「ふんっ!」
と言う掛け声と共に、右半身に力がかかったのを感じて、禅一は慌てて精神を落ち着かせる。
動物園はパラダイスだった。
鄙びた地方都市の、小さな動物園だが、間違いなくパラダイスだった。
強靭な長い両腕で、ロープや枝を掴み、軽やかに宙を舞う、重力を感じさせないシロテナガザル。
知性を感じる動きを見せ、何となく人間臭いフサオマキザル。
お母さんに失敗されたような髪型が何とも愛らしいトクモンキー。
粘ってみたが、そっぽを向いたままで、特徴的な顔も尻も、正面からは観察させてくれなかったマンドリル。
動物園のサイズ故に小型の動物、特に猿系が多目だ。
しかし野生を感じながらも何処か人類に近い、彼らの行動を見るのは面白いし、可愛さも、ひとしおだった。
特に広めの猿山を作って、展示されているブースなどは、最高だった。
去年に生まれたと思われる、少し大きくなった若者猿が、棒の取り合いをしてふざけ合っていたり、仲良くグルーミングをしている猿に割り入って喧嘩を始めたり、追いかけっこの果てに高台から落ちたのに、見事な回避を見せてくれたり。
(やっぱり動画とリアルは違う……!)
動画のように、撮影者が見せたい部分を見るのではなく、自分の見たい所を見回せる。
この場にいるからこそ見られる、動物たちの何気ない日常。
動画も楽しいが、リアルな感動は一味違う。
しかも動物たちが、全く禅一を気にしていない。
過剰警戒していたり、怯えていたりしていない、こんなにリラックスした動物を目の前で見られたのは、いつぶりだろう。
禅一は感動が抑えられない。
「ふぬぅ!」
その結果、氣がついつい漏れ出してしまっているようで、度々、アーシャのフォローが入る。
フォローのたびに慌てて精神統一するのだが、中々に維持が難しい。
目の前で動物たちが寛いでいるという、素晴らし過ぎる誘惑のせいで、ついつい自分の体から出続けている、氣という厄介な存在を忘れてしまう。
100%で動物を楽しみたいと主張する心を、理性で必死におさえつけるのだが、動物たちの可愛い仕草に、ついつい理性がよそ見をしてしまうのだ。
しかも先ほど初めて感じ取れるようにしてもらえた氣は、慣れていないせいか、目の前に動物がいるせいか、中々容易には動かせない。
煩悩を振り払って、中に中にと、意識を向けるのは、精神をかなり消耗する。
「アーシャ!カワウソだ!カワウソ!」
頑張ろうと思っていても、可愛い動物を前にすると、ついついテンションが上がってしまう。
猿も可愛いが、それ以外の動物も可愛い。
特に細長い体をくねらせて泳ぐカワウソなんか、圧倒的可愛さだ。
ラッコのようなフカフカ感はないものの、シャープで俊敏な動きや泳ぎがたまらない。
「可愛いなぁ」
などと、ついデレデレしてしまい、
「ふぬっ!」
と、アーシャの指導が入ってしまう。
こんなに度々になると、アーシャも疲れるのではないかと、心配になって様子を見るが、特に変わった様子は見られない。
と、言うか、全くいつも通りだ。
いつものように、興味深そうに動物や周りを見ているが、特に喜んでいる様子がない。
(あんまり楽しくないのかも?)
退屈はしていない様子だが、禅一ばかり楽しんでしまって、何となく申し訳ない。
猿の他は巨大なコンゴウインコなどもいて、喋ってくれたら、アーシャも喜ぶのではないかと、「こんにちは」と話しかけてみたが、全くの無視だった。
同じ大型インコでもヨウムとは違うらしい。
しかし盛んに話しかけると、「あ〜うるさいなぁ〜」とばかりに、殊更丁寧に、羽の手入れを始めて、ガン無視の姿勢を見せてくるのが可愛い。
冬であるため、保温のため、檻の外の薄いアクリルの窓は閉まっているのだが、こちらの声は聞こえているらしい。
「ふふふ」
アーシャが動物園の中で初めて笑ったのは、フラミンゴのブースだった。
思っていたよりも薄いピンク色の鳥たちが、片足立ちで集団昼寝をしているのが、面白かったのかもしれない。
片足立ちで、長い首をクルンと巻いて、自分の体にクチバシをしまいこんで寝ている姿は、見ているだけで癒される。
「可愛いな」
そう話しかけると、アーシャはニコッと笑って、
「ふんっ!」
そのままの顔で、気合を入れる。
再び、氣が漏れ始めていたらしい。
いかんいかんと、禅一は気を引き締めるが、その後すぐに現れたのはリスザルの展示だった。
「うっ!」
可愛い。
物凄く可愛い。
禅一の手に収まってしまいそうなサイズなのに、しっかりと小さな指が五本揃っていて、その小さな手をせっせと器用に動かして、ご飯を食べている。
周りを見る首の動きなんかも、コミカルで愛らしく、移動するときの動きも、その名の通りリスのようで、ピョンピョン弾むようで、可愛いが詰まっている。
(我慢!我慢!!)
暴走しそうな心臓を抑えながら、禅一は何とか堪える。
「かわいーな」
そんな耐える禅一の耳に、小さな呟きが届く。
見れば、アーシャもキラキラとした目でリスザルを見ている。
「………アーシャ……!」
可愛いのが、可愛いのを見て、可愛いと言っている。
(可愛いの詰め合わせ………!!)
感動のあまり、氣を吹き上がらせてしまったらしく、異変を感じた小猿たちはピュッと隠れてしまった。
折角アーシャも楽しんでいたのに、誠に申し訳ない。
氣を膨れ上がらせてしまった影響は、近くのカピバラにまで及んでしまい、彼らは可愛らしい木製の小屋に閉じこもってしまった。
折角あのヌボ〜っとした風貌をアーシャにも楽しんでもらいたかったのに、つくづく自分の体質が憎い。
しかし同じように近くで展示されていても、全く動じない動物もいる。
地上最遅哺乳類のナマケモノだ。
もしかしたら動じていないのではなく、その動きの遅さから逃げられなかったのかと思ったが、ナマケモノは呑気に木にぶら下がって眠っている。
そんな鷹揚な性格で、丸っこいフォルムの頭、垂れ目を強調したような隈取り、笑っているかのような口というのが、何とも愛らしい生き物だ。
全体的に緊張感のない外見なのに、爪だけが鋭く長く凶器っぽいのが、意外性があって、とても良い。
これが噂のギャップ萌えというやつだろう。
「可愛いな!」
と、禅一は腕の中のアーシャに同意を求めたら、曖昧な笑みを返されてしまった。
残念ながらアーシャには、まだギャップ萌えは早かったらしい。
そんな、動物に対して、それほど大きい反応のないアーシャだったが、動物園が終わりに近づいた時、
「ほわっ!?」
と驚きの声を上げた。
(わかる!)
うにゃうにゃと驚きの声を上げるアーシャに、禅一は深く頷いた。
羊のようなモコモコの毛からちょこんと飛び出た小さな耳、つぶらな黒い瞳、ツンと突き出た鼻と一体型の口、ぬいぐるみのような曲線のモコモコの体。
見る者を虜にする、罪深いフワフワボディのアルパカだ。
(可愛い〜〜〜〜!)
憧れの生アルパカに禅一のテンションも上がる。
実は、禅一は某アルパカ牧場の写真集も買っているほどの、アルパカファンだ。
(餌やり体験!!)
『餌やり体験中!』との看板に、フラフラと禅一は吸い寄せられていく。
そんな禅一に、アルパカがビクリと反応する。
そして一緒の柵に入っている山羊たちと、一緒に走り出す。
(後ろ姿も可愛い!!)
モコモコのお尻と、ちょこんと盛り上がっている尻尾が、忙しく動くのも可愛い。
「ふんぬっ!!」
アルパカに夢中になって、蕩けていた禅一は、ぐぐぐっと体にかかった力に、ハッと我にかえる。
「あ!……ごめん」
アルパカの突然の移動が、逃走だっと気がついて、慌てて禅一は氣を戻そうとする。
「……あれ……」
アーシャが強く押さえてくれているし、今日は何度もやったので、少しは慣れてきたはずなのに、全く上手くいかない。
興奮し過ぎてしまったようだ。
禅一は精神統一のために目を閉じて、情報を遮断する。
内に内にと集中して、ようやく、体の中の何かが、ずるりと動く。
(ヤバいな。アルパカパワーが半端ない)
そのまま目を開けてアルパカを見てしまったら、収まるものも収まらなくなりそうだったので、禅一は目を閉じたまま、後ろを向く。
(……こんな状態じゃ、ふれあい動物園はおろか、餌やり体験も無理だ……)
アルパカの柵の向こうは、小動物たちと触れ合える、地上の楽園が待っているというのに、そこに行ったら、楽園を崩壊させてしまう恐れがある。
(いや、確実にパニックになるな。ウサギやモルモットとアーシャが戯れていたら、可愛いと可愛いで、とんでもなく可愛くなる)
それはアルパカを超える破壊力になるだろう。
小動物を愛でるアーシャを見守る事すら、今の禅一には難しい。
(練習あるのみだな……)
禅一は遥か遠き楽園に、未練を残しつつ、肩を落とす。
今日のところは諦めて、いつかアーシャを連れてリベンジできる日を目指して、修行あるのみだ。
もっと何回もやれば、上手にできるようになるはずだ。
「アーシャ、ご飯にしようか」
食べるジェスチャーをして、アーシャにそう言うと、アーシャは嬉しそうに笑って、
「ん!」
と、力強く頷いた。
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