15.聖女、野外飯を楽しむ(後)

それからゼンは、アーシャを排泄するための場所に連れて行ってから、芝生の上に鮮やかな青い敷物を広げた。

その敷物の上に小さな毛布が重ねられ、靴を脱がされたアーシャは、その上に下ろされる。

(食事の前は絶対に手を洗うのね)

アーシャは外に出ても綺麗な水で手を洗える、神の国に、改めて驚かされる。

洒落た小さな住まいがあると思ったら、何と、排泄のためのだけの家で、中は排泄するための小部屋と、手を洗うための台が整えられていたのだ。

こんなに綺麗な排泄場所があるのだから、確かに人々は不用意な場所で排泄したりしないだろう。

至る所に、清浄さを保とうとする神の国の情熱が垣間見える。


ゼンは大きな背負い袋から、先程お茶を入れていた筒や、四角い箱を取り出す。

(野戦食的な感じのご飯なのかしら?)

馬上で塩の塊のような干し肉や、歯が折れそうなパンを、飛んでくる土埃を払いながら食べた記憶が蘇り、アーシャは少しだけ気分が落ち込む。

神の国のように飲用の水が簡単に手に入らなかったので、本当に遠征の食事は酷かった。

周りの兵士たちは飲料水の代用であるエールを回し飲みしていたが、何故か聖女は飲んではいけない事になっており、まずい物を流し込むことも出来なかった。

最悪な食事情だった。


(それに比べたら、お茶もあるし、綺麗な敷物もあるし、枯れ気味だけど芝生があるから土埃の心配もないわ)

比べたら、天国のような環境である。

湖や木々を見ながら、綺麗な敷物の上で、ご飯を食べるなんて、開放感すらある。

(これなら野戦食でも十分に楽しめるわ)

足を伸ばして、毛布の上を転がってみたりして、アーシャは恵まれた環境を満喫する。


「アーシャ」

そんなアーシャを微笑ましそうにしながら、ゼンが呼ぶ。

「ん」

アーシャはゴロゴロと反対方向に転がって、ゼンの足にぶつかって止まる。

「ふひひ」

開放感から、何となく、ゼンにちょっかいをかけてみたい気分になったのだ。

笑うアーシャに、ゼンも満面の笑みになる。

そしてクシャクシャと、収まりの悪い髪をかき混ぜてくれる。

(………あれ?)

アーシャが膜を張らなくなったら、再び、ゼンから神気が漏れ始めたのだが、それが以前より濃くなったような気がする。

同調した影響もあるのか、意識しなくても染み込む率が高いし、更に濃厚にアーシャを取り囲んでいる。


「…………」

見上げると、そこには慈愛たっぷりなゼンの目がある。

いつもより『お父さん』な気がする。

頭以外に、これといった体毛がなくて、ツルツルなのだが、動物たちと同じように、いや、それ以上に愛情を注がれている気がする。

「ふへへ」

急に照れ臭くなって、しかし嬉しくて、アーシャは奇妙な笑い声をあげてしまう。

思ったより若いかもと思ったが、やっぱりゼンは『お兄さん』と言うより、『お父さん』のような気がする。


「はい。アーシャの」

そう言ってゼンはアーシャに取り出した四角い箱を渡す。

「わぁ!!!」

渡された箱を見たら、中には美味しそうな匂いと色が溢れていた。

箱の半分は、『こめ』を小さな丸い形にして詰めているのだが、それらの一つ一つが交互に緑と紫に染められていて、まるでチェック柄のようだ。

残りの半分も凄い。

玉子を四角に焼いた物や、野菜を煮た物、そして不思議な形に切られた腸詰と思われる物。

びっくりするぐらい色んな物が詰まっている。


これが本当に『アーシャの』なのだろうか。

驚愕して見上げると、ゼンは恥ずかしそうに頬を掻く。

「あん寵曝升浜茜札妾枯翁車添な寿夙な」

そして食べなさいとばかりに、アーシャが家で使っているフォークを渡してくる。

(野戦食なんてとんでもないわ!)

アーシャは箱をひっくり返さないように気をつけながら、ゼンを抱きしめて感謝を表す。

「いたぁきましゅ!」

言葉が思いつかなくて、食前の祈りの言葉をゼンに捧げることしかできない。

「桶尭殻唱窺」

ゼンは破顔して、そんなアーシャの頭をまた撫でる。


アーシャは迷うことなく、腸詰にフォークを突き立てる。

プツンとフォークを受け入れる感触に、いやがおうでも期待は高まる。

「〜〜〜〜〜〜!!!」

歯を立てると、プチンと皮が弾けて、中から旨味のある肉汁が飛び出し、口に広がる。

腸詰はすごく美味しいのだが、匂いが強いという難点があった。

しかし神の国の腸詰は、全く嫌な匂いがしない。

噛む毎に食欲を倍増させる肉の匂いと、弾ける皮の快い歯応え、そして凝縮した旨味が広がる。

中に入っている肉は柔らかい中に、コリッとした歯応えがある所もあったりして、食感まで美味しい。

「おいしぃ……おいしぃぃぃいい!」

アーシャは輝く湖に向かって叫ぶ。

叫ばずにはいられない美味しさだった。


アーシャは夢中で二つ目の腸詰にもフォークを突き刺す。

(そう言えば、なんで神の国の腸詰は下が切られているのかしら?)

腸詰は肉を詰めて捻って作るので、通常長丸なのだが、神の国のそれは下が切られて、ほうきのような形になっている。

明らかにわざわざ切れ込みが入れられているのを見て、アーシャは首を傾げる。

何かの工夫なのだろうか。

「炉帰崎な、晴紳側た刻零丈鉱松姶入挺舎菖唇わ鳴東惹団……」

アーシャがじっと観察していると、ゼンが何か言って申し訳なさそうな顔になる。

しみじみ見ていたので、不味いと思っていると勘違いされたのかも知れない。


「これおいしいよ!大しゅき!」

アーシャは慌てて訂正するが、自分の言葉は通じない。

そこで彼女は先程の覚えたての言葉を思い出す。

「『かわいーな』!これ、『かわいーな』!」

それを聞いたゼンは驚いたように目を見張る。

凄く気に入ったと伝えたかったのだが、ゼンはプルプルと震え出す。

もしかして思っていたのと違う意味の単語だったのかなと、アーシャが思っていたら、

「かわいー……!かわいーー!!」

と、頭を抱き寄せて、頬擦りまでされてしまった。

ゼンも腸詰大好き仲間だったらしい。

『かわいーな』は『かわいー』とも略せるようだ。


「へへへ」

ゼンが嬉しそうだと、アーシャも嬉しい。

アーシャは笑って、腸詰を頬張る。

「ん〜〜〜〜!!!」

更に肉の味が美味しくなったような気がする。

パリンパリンと口の中で弾ける皮の感触と、濃厚な肉の味がたまらない。


次は四角に焼かれた玉子を頂く。

「んっ」

想像していた玉子の味と違って、何と、ほんのりと甘い。

玉子が甘いなんて、誰が想像しただろう。

思っていた味との落差に、アーシャは驚いたが、中がほんの少しトロッとした玉子に、ほんのりとした甘みは、物凄く合う。

意表を突かれたが、納得の味だ。

ご飯中にデザートを食べているような気分になれる。

「あまぁい!おいしい!」

アーシャは我慢できずに、三切れ入っていた玉子を、次々と口の中に入れてしまう。

見た目は玉子、味はデザートなんて最高だ。


野菜と『こめ』は、どちらを先に食べようかと、アーシャは迷う。

食べる順番を迷うほどの種類が入ったご飯を、外で食べられるなんて、幸せだ。

(これは人参……こっちは、何だろう?)

煮込んで茶色くなっているが、一つは人参を細長に切ったものとわかる。

しかしもう一種類入っている野菜が、何かがわからない。


アーシャは好奇心から野菜の方にフォークを突き立てる。

神の国でよく嗅ぐ、香ばしい匂いが食欲をそそる。

「!」

口の中に入れて、一噛みして、アーシャは目を見開く。

シャクッと、思った以上に繊維を感じる、気持ちの良い歯応えだ。

こんな食感を持った野菜をアーシャは知らない。

旨味を含んだ、程よい塩辛さと、少しだけピリッと舌に感じる刺激。

そして何回噛んでもなくならない、シャクシャクとしたこころよい歯触り。

人参ももちろん美味しいのだが、この歯応えの凄い野菜が特に美味しい。

アーシャは夢中で、野菜を口の中に入れ、その歯応えを楽しむ。


次は神の国の主食の『こめ』だ。

アーシャは美しい紫に染まった『こめ』を口の中に放り込む。

「!!!」

色がついているから、味もついているだろうと予想していたが、その味は予想外過ぎた。

アーシャは頬を押さえて、体をよじる。


酸っぱい。

『こめ』が酸っぱい。

まさかの酸っぱさに、びっくりして、アーシャの奥歯の後ろから、涎が湧いて出てくる。

腐った酸っぱさとも、ビネガーの酸っぱさとも違う。

酸っぱさの中に、程よい塩気があり、ハーブのような香りが、爽やかに鼻から抜ける。

びっくりしながら咀嚼すると、『こめ』と絡んで、絶妙な甘いと酸っぱいの関係になる。

「………美味しい」

ごくんと飲み込んでから、アーシャは呆然として呟いた。


強烈な味で、驚愕した。

刺激が強過ぎるとも思った。

しかし飲み込んでみると、再び同じ刺激を味わいたい衝動に駆られる。

(紫の『こめ』……!!美味しい!!!)

神の国に来てから、頻繁に食べているから、『こめ』は食べ慣れたと思って油断していたら、とんでもない伏兵がいた。

癖がある故に、癖になる味だ。


もう一つ、紫色の『こめ』を食べようとして、アーシャのフォークは迷う。

緑の方の『こめ』も美味しいのではないだろうか。

こちらは『こめ』自体に色がついているのではなく、緑色の細かく切った、野菜らしきものが混ぜ込まれている。

アーシャは緑の方を口に入れると、普通に少し塩っ気のある味が、口に広がる。

『こめ』のほのかな甘さと、塩辛さは本当に相性が良い。

「………?」

無難な美味しさを噛み締めていたら、不思議な事に、噛めば噛むほど旨味が溢れてくる。

それに嗅いだことのない不思議な香りがする。


「………美味しい!」

ごくんと飲み込んでから、アーシャは再び呟いた。

紫の『こめ』とは違い、口の中に入れた瞬間の衝撃はなかったが、噛めば噛むほど美味しくなっていく味は衝撃的だった。

神の国には不味いものは、ないのだろうか。


少し喉が渇いたなと思ったら、暖かな湯気を上げるカップを手渡される。

良い香りのお茶で、アーシャは美味しいだらけの口を、まっさらに戻す。

「ふはぁ〜〜〜〜!」

上には青空が広がり、はるか先には輝く湖、そして見渡せば風に揺れる木々がある。

こんな環境で、最高のご飯をいただく。

感動だ。

アーシャは感謝の視線をゼンに向ける。

「えっ!?」

そして驚いた。


ゼンはアーシャのように、箱詰めされた物を食べていない。

拳より大きな真っ黒な塊を食べている。

(ま……まさか……これ、二人分だったんじゃ……)

アーシャは手の中の箱を見て、青くなる。

もう箱の中は『こめ』以外残っていない。

思い切り食べてしまった。


「埋陀鮒た?」

箱とゼンを見比べて、オロオロとするアーシャに、ゼンは首を傾げる。

「あ、あ、あの……あの……」

なんと言ったら良いのかわからなくて、アーシャは自分の持っている箱と、ゼンが食べている黒い塊を指差す。

「あぁ」

すると納得したよう頷いてに、ゼンは食べている真っ黒なものを、アーシャに見せてくれる。


「い・しょ」

その黒い物の中には、『こめ』と、その中に先程食べた腸詰やらが詰まっている。

神の国の主食『こめ』で、主菜たちを包み、更にそれを黒い紙で巻いているのだ。

(『こめ』とそれ以外を一気に食べられる……凄い発想!!しかも『こめ』が手につかないように、食べられる紙を作って巻いているのね!?凄い機能的な食べ物だわ!!)

神の国は本当に想像もつかないような物を作ってしまう。

どうせならもっと美味しそうな色の紙を作ったら良いのにとも考えてしまうが、そう言えば、神の国の美味しい物は黒っぽい物が多い。

神の国では、黒が美味しい色の象徴なのかもしれない。


「しゅごい!」

アーシャがウンウンと頷きながら、そう言うと、ゼンは笑う。

そして何かを思い出したらしく、黒い塊を持ったまま、背負い袋の中を漁り始める。

「アーシャ、いちご」

そして彼は小さな箱に入った、赤い宝石の如き、『いちご』を、アーシャに渡してくる。

「ふわぁぁぁぁ!」

朝に引き続き、昼にも食べてしまって良いのだろうか。

アーシャは大喜びで、小さな箱を受け取り、『いちご』を食べようとして、まだ美味しい『こめ』も残っていることを思い出す。


「あ……う……う〜〜」

どれを最初に食べるべきか。

悩むアーシャの頭を、ゼンが笑って撫でる。

「改圃曾丑から課昼宇いいからな」

アーシャが見上げると、ゼンは『好きな物を好きなだけ食べなさい』とでも言ってくれているような、穏やかな笑みを向けてくれている。

「へへへ」

お腹がこそばゆく感じて、アーシャも笑う。


(幸せだなぁ)

アーシャはペタンとゼンに体を預けながら、『いちご』を齧る。

美味しい食べ物が沢山あって、隣にはゼンがいる。

なんて恵まれた環境だろう。

「あまい」

『いちご』の甘さと、幸せを、アーシャは目を瞑って噛み締める。

(ぬくいなぁ)

そんなアーシャをゼンの上着が覆う。

寒さを感じないくらい、沢山の衣類にくるまれているが、頭からすっぽりと寒さから切り離されると、その温もりが、堪らなく気持ち良い。

少しだけ目を瞑ったつもりだったアーシャは、そのまま眠りの世界に誘われるのだった。

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