15.聖女、野外飯を楽しむ(前)
白い猿、茶色い猿、頭髪が妙に気になる猿、顔が派手だけど多分猿。
そこは猿のフルコースだった。
(ゼンは猿が大好きなのね)
ゼンは一種類一種類の猿を、じっくりと、とにかく楽しそうに見ている。
目を輝かせ、猿が動くたびに目尻を下げて、腕の中のアーシャに一生懸命何かを語りかける。
新しい猿を見るたび、猿が動くたび、子猿を見つけるたび、神気が吹き出ようとするので、アーシャは中々に忙しい。
猿の入った籠の前にある手摺を、乗り越えてしまいそうな勢いで見ているゼンに、アーシャは密やかに笑う。
(まるで小さな男の子みたいだわ)
神気が噴き出すたびに、アーシャが力を込め、気がついた禅一は慌てて引き戻す。
そして気をつけながらも、猿を見ている間に、少しずつ緩んで神気が噴き上がってくる。
何度繰り返しても、やっぱり夢中になってしまう。
それは親に何度注意されても、遊びにのめり込んでしまう子供のようだ。
いつもの落ち着いた動作ではないせいか、目を輝かせているゼンは、少年のように見える。
(もしかして、実はゼンって若い?)
そんな彼の様子に、アーシャは首を傾げる。
威風堂々とした外見なので、何人か子供がいてもおかしくない年齢だと思っていたのだが、実はそんなにアーシャと年齢が変わらないのかもしれない。
(お父さんみたいって思ってたの、失礼だったかも)
はしゃぐゼンの横顔を見ながら、アーシャは心の中で詫びる。
「ふんっ!」
しかし神気が漏れ出すと、動物に影響が出るので、手加減はしない。
アーシャが力を込めると、ゼンはハッとした顔で、フヨフヨと神気を体の中に収める。
(良い反復練習になっているみたい)
神力を収める時間は次第に短くなり、最初は目を閉じないと上手くできなかったのに、見た猿の数が増えるに従い、少し集中するだけで、神気を元に戻せるようになってきた。
(でも、気のせいか……回を重ねる毎に出てくる神気が、濃さを増しているような……)
体の中に溜め込んだら、神気が濃くなるなんて事があるのだろうか。
そもそもゼンの器は、どれほどの量を溜め込めるのだろうか。
次第に、アーシャは心配になってしまう。
(器は訓練次第で広がるって聞いていたけど、力の圧縮技術が上がるから、沢山入るようになるだけで、実は器の大きさは変わらないとかそんな事はないわよね……?)
ぎっしりと詰まったゼンの神気が一気に解放される。
それは大変危険な気がする。
「アーシャ!簿夷融諭拷!簿夷融諭!」
ゼンが大きな硝子窓の前で、中を指差しながら、神気を再び滲ませている。
神の国のメナジェリーは、大きな硝子の中に水をたっぷりと入れて、水生の動物の展示までしているらしい。
硝子のように繊細な物に、こんなに大量の水を入れて割れてしまわないから、神の国の技術は凄い。
それとも、たまに割れてしまったりもするのだろうか。
「ふぬっ!」
全体的にゼンの神気が出始めたので、アーシャは気合を入れつつ、頷く。
ゼンはしまったと言う顔で、神気を仕舞い込んでから、再び硝子の向こう側を、うっとりと眺めている。
「かわいーな」
何度も何度もゼンが呟く単語を、アーシャは遂に覚えた。
多分『愛しい』とか『好ましい』という意味合いの単語であろうと推測される。
水の中では、こちらをチラチラと見ながらカワウソが泳いでいる。
その様子を、ゼンは頬を上気させて見ている。
(猿を愛しているのではなくて、毛深い生物全体が愛しいのね)
アーシャは納得する。
カワウソの毛皮を愛する貴族は多かったが、ゼンはそれを纏ったカワウソ自身を愛しく思っているようだ。
何となくだが、自由に泳ぐカワウソに目を輝かせているゼンは、毛皮になったカワウソを見たら、泣いてしまうような気がする。
(いずれ毛皮にされるものを、ゼンが喜んで見るとは思えないから、きっとここのカワウソは毛皮のために養殖されているのではなくて、大切にされているのね)
優雅に空気の粒を纏いながら、自由に水中を踊る様子を見ながら、アーシャは思う。
こんなに伸び伸びとしたカワウソを、アーシャは初めて見た。
人間の国では、カワウソの毛皮は高値で売買されるので、人間は完全なる外敵扱いで、彼らは常に警戒し、姿を見せても一瞬で姿を消す。
因みにアーシャはカワウソを狩った事はない。
領土に住まう獣は領主の物なので、勝手に狩ったりする事は盗みを働くのと同義なのだ。
平民や農奴が捕まえるのは、お
そんな事を思い出しながら、アーシャは首を傾げる。
(そう言えば、神の国って、鳩が沢山いるわよね)
食糧事情が物凄く満たされているから気にしていなかったが、神の国はやたらと鳩が多い。
人を恐れることもなく、普通に風景に溶け込んでいて、先ほども公園を、のこのこと呑気に歩いていた。
(……鳥は、流石に食べるわよね?)
鳥のお肉も、もちろんアーシャの好物である。
残飯でも育てられる雑食の豚と違い、ちゃんとした餌が必要な鳥を飼っている人は少なかったので、口に入る機会は少なかったが、弾力があって物凄く美味しい肉である。
鶏肉の美味しさについて考えていたアーシャは、ゼンによって次の動物の展示場所に導かれる。
「……………」
そこにいたのは、ゴブリンより大きいのではないかと思われる鳥だった。
魔鳥を思わせる恐ろしい鉤爪のついた足。
ゴブリンの手ぐらいなら、噛みちぎりそうな、短い半月刀のように、分厚く鋭く曲がった
鳥とは、こんなに目力のある生き物だっただろうかと思うほど、威圧感のある目。
籠の中は二羽の鳥がおり、一羽は鮮やかで燃えるような赤色の体に、ターコイズをそのまま砕いて塗ったかのような翼と尾羽を持ち、もう一羽は美しいターコイズの体に黄金色の胸羽根を持っていて、その姿は正しく『生きた宝石』と言うに相応しい。
美しさも凄いが、はっきり言って、迫力が一番すごい。
アーシャも流石に、この鳥は食べようとは思えない。
「かわいーな」
と、ホクホク顔でゼンが言うが、中々素直に頷けない。
(この迫力満点な鳥も『かわいーな』判定なのね……恐るべし!)
ゼンの守備範囲の広さに、アーシャは驚愕する。
人間に近い形の猿や、泳ぐ獣は何となくわかるが、こちらを一捻りにしてきそうな鳥を、『かわいーな』に含めてしまうとは、流石ゼンである。
ゼンは嬉しそうに、盛んに鳥に話しかけている。
「………?」
よく聞いていたら、ゼン以外の人も、その鳥に話しかけている。
(『こんにちわ』って名前の鳥なのかしら………)
盛んに皆が同じ言葉を繰り返すので、アーシャは首を傾げる。
ゼンの神気を抑えつつ、次の場所に向かうと、これまた、立派な
(白鳥って、実は足がすっごく長かったのね)
その鳥は、長い首の優雅なカーブなどが、白鳥にそっくりだ。
色こそ美しい薄紅色で異なっているが、さっきの鳥も極彩色だったし、神の国の鳥は、きっと色鮮やかなのだろう。
水に浮いているか、飛んでいる姿しか見たことがなかったアーシャは、途中に膝らしきものまである長い足に感心してしまう。
(ふふふ、おかしい。何で片足づつ休めているのかしら?どうせなら両足とも折りたたんで、地面にゴロンとなったら楽なのに)
白鳥たちは、皆が皆、型で抜いたように、長い足を片足づつ休めているので、アーシャはおかしくなってしまう。
アーシャが笑うと、ゼンも嬉しそうに笑う。
「かわいーな」
同意を求められている気のする『かわいーな』だ。
「ふぬっ!」
アーシャは返事の代わりに、浮いてきたゼンの神気を押さえる。
神の国のメナジェリーは本当に猿が多い。
アーシャは特に猿に興味はなかったが、ゼンの手の平くらいのサイズしかない猿にはびっくりした。
全部が子猿なのかと思ったら、何と一回り小さい猿を背中に乗せている親猿がいて、大人になっても、こんなに小さいのだとわかった。
人のそれに似た色の肌の色、くりくりとした真っ黒な目、髭を生やしたように真っ黒な口周り、フワフワな毛のついた小さな耳、体の先に向けて黄色くなる柔らかそうな毛。
「かわいーな」
と、思わずアーシャも言ってしまった。
「………アーシャ……!」
すると、ゼンが全身から神気を溢れさせそうになってしまったので、焦った。
ゼンは自分が『かわいーな』と思う物を、アーシャも『かわいーな』と言ったのが嬉しかったのかもしれない。
価値観が共有できると言うことは素晴らしいことだ。
「かわいーな!」
「…………………」
しかし人間とはすれ違う生き物である。
木にぶら下がったまま微動もしない猿にも、ゼンがそう言うので、アーシャは曖昧に頷く。
どこが目なのかはっきりしないが、真っ黒な毛が、目が垂れているようにしか見えないように生えていて、間抜けな感じがする顔だ。
真っ黒な毛が目の周りを覆っているので、どこからどこまでが目かわからないし、寝ているのか起きているのかもわからない。
(見間違えじゃないなら……この猿、毛に苔が生えているわ)
生物に苔が生えるなんてあり得ないから、おそらく毛の先が緑色の猿なのだろうが、どれだけ見ていても剥製かと思うほど動かないので、本当に苔が生えてしまいそうな気がする。
(猿、猿、猿、鳥、猿、猿)
神の国はどれだけの種類の猿がいるのだろう。
中には、これは本当に猿だろうかと疑う動物もいたが、アーシャに詳細を知る術はない。
ゼンは飽きる事なく、色々な猿と、時々鳥を楽しそうに見ている。
(ゼンは体毛、もしくは羽毛フワフワが好き。これは良くわかったわ)
アーシャは猿を見るよりより、嬉しそうなゼンを見ている方が楽しいし、その度に溢れてくる神気のお世話に忙しい。
このメナジェリーにいる大体の生物の事は把握した。
「ほわっ!?」
そんな慢心をしかけていたアーシャの目の前に、とんでもない生物が現れた。
「にゃ、にゃがい!!」
とんでもなく首と足が長い、
フワフワモコモコの毛に頭が埋まっている羊は見たことがあるが、フワフワの首が伸びてしまった羊は初めて見た。
しかもモコモコの毛に包まれた足も長くて、物凄く珍妙な形になっている。
「は!」
アーシャは首長羊と同じ柵の中に、真っ白な山羊がいる事に気がつく。
(まさか……山羊と羊のあいの子なの!?)
それなら首が伸びたことも納得……
(いやいや!!羊を山羊と掛け合わせたとしても、山羊より、こんなに大きくなるわけがないわ)
しかけて、アーシャは否定する。
大きさと足の長さ的に、ポニーと羊を掛け合わせて生まれた子供と言われた方が納得できる。
馬と羊が掛け合わせられるのかは、全くわからないが。
「ほわっ!」
大きな毛の塊に驚いていたら、ゼンの神気が物凄い勢いで溢れ、全体的に噴き出し始めている。
馬羊の豊かな毛量は、ゼンの心をガッチリ掴んでしまったようだ。
「ふんぬっ!!」
異変に気がついて後退りを始めた馬羊のためにも、アーシャは出力最大でゼンを締め付ける。
「あ!……敦槙枚」
フラフラと羊馬に歩み寄り、夢中になっていたゼンは、アーシャの最大出力に気がついて、慌てて神気を戻そうとするが、上手くいかない。
どうやらゼンの心に、かつてない動揺を与えるほどの毛量だったようだ。
無理もない。
小さい馬くらいはある毛の塊なのだ。
目を閉じて、何とか神気を収めたゼンは、そのまま後ろを向いて羊馬を視界に入れないようにする。
「アーシャ、荒敦澗葛肩うか」
殊更、馬羊から顔を背けるようにしながら、ゼンは自身の背負う袋を、指し示す。
アーシャが首を傾げると、ゼンは空いている方の手で何かを掴んで、口の中に入れ、食べる素振りをして見せる。
食事を摂ろうとのお誘いに違いない。
「ん!」
いい具合に、空腹を感じ始めていたアーシャは力強く頷いた。
ほっとした顔のゼンは、そそくさと、魅惑の馬羊から離れたのだった。
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