7.聖女、爆買い体験をする(後)
ゼンがアーシャを導いた通路はとても賑やかだった。
他の通路は整然と服や物が展示されていたのに、ここだけ所狭しと、色々な物が雑然と並べられている。
上を見れば、オレンジや赤などの暖色が目立つ、大小さまざまな箱がぎっしりと並び、手が届く辺りには、ドラゴンの模型や、少し悪趣味な角の生えた油虫の模型、野菜や果物の模型などが詰まった小さな箱が並んでいる。
「わぁ!」
そんな中、アーシャの目を引いたのは、小さな『くるま』だった。
道を我が物顔で爆走している『くるま』が、手で掴めるくらいのサイズになって、棚に並んでいるのだ。
そっと指を伸ばして、そのお尻をつついてみると、コロコロと爪の先より小さな車輪が回転して、ちゃんと前進する。
「しゅごい!!ね、進むよ!」
アーシャは目を輝かせる。
言葉が通じない事も忘れて、思わず話しかけるが、隣で小さくなって座っているゼンはウンウンと頷いてくれる。
彼はアーシャがつついた『くるま』を、押さえつけるように掴んで、後退させる。
「!!!!!!」
すると何と言う事だろう。
ゼンが手を離した瞬間に、小さな『くるま』は勝手に走り出したのだ。
勝手に模型だと思い込んでいたが、その小さい体に、しっかりと動力を備えていたらしい。
「あっ」
勢い良く走ったせいで、棚から落ちそうになった、『くるま』をアーシャは両手で受け止める。
「ふふふ、しゅごい元気!」
走り足りなかったのか、『くるま』は小さな車輪を、アーシャの手の中で回転させる。
掴んでいる事に、抗議するかのように車輪を動かすのが、何とも可愛らしい。
「はい、どうぞ!」
そう言って、アーシャは彼を棚に戻してやる。
「………?」
しかし棚に戻った途端、やる気を無くしたように、彼は沈黙してしまう。
「走っていいにょよ?」
ヨシヨシと頭(天井?)を撫でても、彼は走り出さない。
「???」
もう走る気がしないのだろうか。
アーシャは魔法生物に詳しくないし、神力と相反する魔力は、これっぽっちも持っていない。
首を傾げていたら、ゼンが『くるま』を掴んで、元の位置に戻してから、再び少しだけ後退させる。
「わっ!」
途端に彼はやる気を取り戻して、走り出す。
走り出す位置に、こだわりがあるのだろうか。
また元気に棚から飛んでいこうとする、『くるま』を保護しようと、アーシャは手を伸ばしたのだが、急に横から出てきた手が、それを押し退ける。
「……あっ」
びっくりしたが、小さな男の子がいつの間にか隣に来ていたのだ。
男の子は走っていた『くるま』をギュッと握る。
そしてアーシャの視線から隠すように、『くるま』を抱き込む。
「…………?」
感動の再会か何かなのだろうか。
少年のサイズは、ゴブリンよりちょっと大きいくらいなので、手のひらサイズの『くるま』と友人付き合いをしているとは考え辛いが、抱きしめているから、きっと大切な相手なのだろう。
「こら!お巻品椎古車たら頻緩輔脅蒜!!」
アーシャが勝手に納得していたら、向こうのほうから、女性が走ってくる。
化粧っ気がなく、まだ少女のように見えるが、少年を叱る様子から、母親なのだとわかる。
(とっても疲れているように見えるわ)
愛らしく垂れた目尻は、目の下にできたクマに存在を隠され、ぽってりとした唇は本来赤味を帯びて魅力的に見えるはずなのに、青ざめて魅力が半減している。
髪も風に靡かせたら美しいはずなのに、キツく縛り付けているので、苦しそうだ。
母親は垂れた眉を逆立てながら、少年に何事か注意している。
それに対して少年はイヤイヤと首と体を振る。
「いやぁぁぁ!いやぁぁぁぁぁ!!」
それだけなら良かったのだが、激昂したらしい少年は、あろう事か、女性を叩こうとするように、手に持った『くるま』を振り回す。
(これはいけないわ!!)
『くるま』は金属でできている。
そんなもので叩かれたら、女性が怪我をしてしまう。
「よっ!」
アーシャは少年の手を握って、自分の方に引き寄せる。
「わっ!!」
「へぁっ?」
女性に手があたらないように、距離を取らせるつもりだったのだが、少年もゴブリンも、足元がおぼつかない体だったので、少年がよろけて、アーシャにぶつかり、アーシャも少年を支えきれずに、一緒に後ろに倒れる。
「おっと」
そのまま一緒に床に転がるかと思いきや、大きな手が二人を支える。
「ゼン」
見上げれば苦笑したゼンが覗き込んでいる。
「ピッ」
と、小さな声をあげて、同じく支えられた少年は、ゼンを見上げた姿勢で固まる。
「輯喧お叡瀬岨前お門弼脅此たら叉達だ奄」
少年ともども転びそうになったアーシャのおでこを、ゼンは優しく人差し指で叩く。
危ないことはダメだと嗜められたようだ。
ゼンは立ち上がり、少年の母親と何事か話し始める。
「………だいじょぶ?」
アーシャは、支えられた時の形のまま、固まっている少年の背中をポンポンと叩いてみる。
自分の親より頭三つ分は大きいゼンに、びっくりしてしまったようだ。
「ゼンは怖くないよ。だいじょーぶ」
そのまま、お漏らしでもしてしまいそうな顔をしている少年の頭を、アーシャは撫でる。
固まった顔が、ギギギっと動いて、アーシャの方を向いたので、アーシャは少年に笑って見せる。
人間もモンスターも、笑顔だ。
敵意が無い事を示さねばならない。
邪竜に笑いかけられた時は、漏らしそうな衝動に駆られたものだが、こちらは最弱モンスター・ゴブリンだ。
笑えば、親しみを持ってもらえる可能性が高い。
「くるま、しゃーって進むんだよ。しってりゅ?」
半分ベソをかいている少年に、アーシャは笑顔を心がけつつ話しかける。
言語が違うことは百も承知だが、『言語を操る生物である』とのアピールが大切なのだ。
グルグル唸るだけの獣とは違う事を、積極的に主張していきたい。
「くるま?」
「くるま、しゃーって進むの」
『くるま』が進む様を手で表現しながら、アーシャは少年に言う。
すると少年は大きく首を振る。
「くるまわ、ぶっぶー」
「ぶっぶー?」
新しい単語が出てきて、アーシャは首を傾げる。
「ぶっぶー」
聞き返すと、少年は大きく頷く。
そして彼は見ておけとでも言うように、手に持った『くるま』を床に置く。
「ぶっぶ〜」
そう言って、彼が手を離した瞬間、放たれた矢のようなスピードで、『くるま』が通路を走り始める。
「おおおっ!」
アーシャは思わず拍手を送る。
ゼンが動かした倍以上の勢いで『くるま』が走り抜ける。
惜しみない拍手に、少年は少し得意そうな顔をして、鼻を撫でる。
(『ぶっぶー』って何かしら?もしかして『くるま』を起動させる呪文かしら?)
アーシャは内心首を傾げるが、拍手を受けた少年が嬉しそうなので、褒め称え続ける。
「こらっ!成脅耀!」
母親は何かを怒って、少年を捕まえようと手を伸ばすが、その手を掻い潜って、少年は向こうまで走って行き、
「ぶっぶ〜」
と、向こうから、こちらに向けて『くるま』を発進させる。
「しゅごい!」
素晴らしい速度で、『くるま』はアーシャの所にまで駆け戻ってくる。
「ぶ……ぶっぶ〜?」
しかし『くるま』を再発進させようと、アーシャが呪文を唱えても、やはり『くるま』はピクリとも動いてくれない。
どうもアーシャには『くるま』を動かす力がないようで、しょんぼりする。
「こーやうの!」
すると駆け戻ってきた少年は、アーシャの手ごと、『くるま』を掴む。
「おおお」
手が潰される勢いで押されながら、『くるま』が後退すると、手に不思議な振動が伝わってくる。
「ぶっぶ〜!」
そしてパッと手を上げられると、『くるま』が勢い良く走り出す。
「おおおお〜〜〜!」
補助されたが、アーシャの手で『くるま』が走り出す。
嬉しくてパチパチと拍手していたら、少年と目があったので、アーシャは両手を前に出す。
少年はちょっとびっくりした顔をしながらも、アーシャの真似をするように、手を出してくれる。
「うい〜〜〜〜にっ!」
パァンっと高い音を立てて、アーシャは少年と手を合わせる。
「へへへ」
「ふふふ」
共同作業というものは、言葉が通じなくても心を繋げてくれる。
同志となった彼らは笑い合う。
「おーでっ!」
「んっ」
少年はアーシャの手を引いて『くるま』を追いかける。
突然だったので、手が抜けるかと思ったが、アーシャも少年に従って走る。
通路の先の方で止まった『くるま』を、ムシッと掴んだ少年は、おもむろにアーシャに差し出す。
「どーぞ!」
どうやら『くるま』の所有権を譲渡してくれたようだ。
『ありがとう』と言いたい所なのだが、その言葉がわからない。
なので、アーシャは『くるま』を両手で包んで、嬉しいと伝わるように、笑う。
そして感謝を込めて少年を抱きしめる。
「アーシャ」
ゼンに呼ばれてアーシャは上を見上げる。
するとゼンの隣で涙ぐんでいる女性が目に入る。
「だ、だいじょうぶ?」
慌ててアーシャは女性に走り寄り、手を伸ばしても背中には届かないので、太ももの辺りを撫でる。
(物凄い疲れが見えるし、色々足りてない)
そして手から伝わる女性の生命力が減っていることに気がつく。
どこが悪いとは言えないが、全体的に気力が減っている。
(すごく疲れてるのかな)
見た目もちょっと草臥れているので、疲労で気力が回復しないようになっているのかもしれない。
この状態は辛いだろう。
アーシャは自分の手をニギニギして確認する。
美味しいものを食べ、たっぷり寝て、常にゼンの神気を浴びているので、体の状態はすごく良い。
ちょっとくらいなら、自分の力を分けてあげる事が可能だ。
「ゼン、だっこしてくだしゃい。だっこ」
アーシャはゼンに向けて両手を広げる。
下から上に注ぐより、上から下に注いだ方が効率が良いのは、水も神気も生命力も一緒だ。
「鱒う匡た?」
両手を広げると、ゼンは不思議な顔をしながらも、すぐにアーシャを抱き上げてくれる。
「へへへ」
手を伸ばせば、抱き上げてもらえる。
こんなに無条件で受け入れてもらえると、体中がくすぐったくて、顔の筋肉が緩んでしまう。
アーシャはデレデレと笑いながら、母親の方を振り返る。
腕を動かし、自分の中にある力が、きちんと動くことをアーシャは確認する。
そして、大きく息を吸った。
―――癒しよ、きたれ
祈りと同時にアーシャは高く声を出して、自分の中の力を編み上げる。
そして女性の波長に合うように、手で掬い上げて注ぎ込む。
沢山分け与えることはできないので、特に彼女の頭部に目がけて力を注ぐ。
大きく欠けた所を補えば、後は彼女自身が休んで回復できるはずだ。
(意外と寝るのも体力が要るからね)
声で力を紡いでいると、血の気がなくなっていた彼女の唇が、艶やかな紅に戻っていく。
「チビ!!」
もうちょっとと思っていたら、女性に振りかけていた力の糸が、プチンと横から切られてしまう。
「ゆ、ユズゥ……」
力を切った主は、ズンズンとアーシャ目がけて歩いてくる。
物凄く怒った顔をしている。
「な・に・し・て・ん・だ!」
ユズルの指がアーシャの頬を摘んで、遠慮なく伸ばす。
「あひゃ、いひゃぁい、いひゃぁい〜〜〜」
「ゆ、ユズル!」
慌ててゼンが止めてくれるが、ユズルの怒りは今度はゼンに向く。
「お背蜜胡馳営会坑匠仔剛拙河詔勾枯了んだよ!」
決して大きい声ではないが、しっかりと怒りが伝わってくる声だ。
事情が良く分からないが、自分のせいで、ゼンがユズルに怒られていることだけはわかる。
頭を下げるゼンに、更に何事か言って怒るユズル。
彼らに割り込みたいが、
「あの……ユズゥ……」
アーシャが声をかけても、ユズルはこちらを向いてくれない。
ゼンはユズルにしっかりと怒られてから、女性にも頭を下げさせられ、シッシと追い払われてしまう。
「ゼン、ごめんなさい」
何かわからないが、力を分け与えるのは、良くない事だったようだ。
アーシャが謝ると、ゼンはその頭を撫でてから、
「アーシャ、な・い・しょ。な?」
唇に人差し指を立てる。
(回復も『ないしょ』にしないといけないことなんだ)
アーシャはしょぼんと落ち込む。
『過剰なる恵みは人心を腐らせる』
そんな一言が頭に響く。
(あぁ、そうだ。『聖女』が全部ダメだったんだった)
悄然とアーシャは俯く。
誰に言われたかも思い出せないけど、聖女は堕落を導く者だった。
(豊穣、回復、結界、浄化……多分全部が駄目だったんだ)
アーシャはすっかり落ち込んでしまう。
(じゃあ、私、何もできる事がないわ)
楽しかった気持ちが、シオシオと萎れていく。
「アーシャ」
そんなアーシャにゼンが声をかける。
申し訳なく思いつつ、ノロノロと顔をあげると、ゼンの大きな手がアーシャの髪を梳く。
「アーシャ、いーこ、いーこっ」
突然のナデナデにびっくりして、アーシャは目を見開く。
そんなアーシャをゼンは念入りに撫でる。
「伯精たら嶺芯だから綻舗緊移なんだ象答な。支わアーシャ蒜透お輩約碑勝聯た癌。砥が脅い」
優しい黒い目が、アーシャの目を真っ直ぐに見つめている。
神の国の言葉は、わからない。
言葉はわからないけど、何かを真摯に伝えようとしてくれている。
その『何か』は、はっきりとはわからないが、ゼンはアーシャを誇らしく思ってくれているように感じるのは、アーシャの願望だけではないような気がする。
真摯な目の輝きが緩んで、アーシャは大きな腕に抱きしめられて、ブンブンと左右に揺らされる。
「……って楕逢都蜂鉦蕃たら尤なん収戊圏な〜〜〜。アーシャわいーこ、いーこ!」
「ひゃっ!」
そしてアーシャは、子供をあやすように、高く上に掲げられる。
元が大きいゼンに、叩く掲げられると、地面が物凄く遠くなる。
迫力だ。
「いーこ、いーこ!」
「ふふふっ、ふひゃっ、ふひゃっ!」
満面の笑みで何回も持ち上げられると、お腹が勝手に笑い始めてしまう。
「………暁鐸蒜遂丞碧椎やが椎」
苦虫を潰したような顔のユズルに、二人揃って叱られたのは、それからすぐのことだった。
そして山のようになった籠が、お金を払うための卓にのせられて、呆然とするのもすぐの事だった。
少年から譲られた『くるま』も勿論、籠の中に入っている。
「ぜーんぶ、アーシャの」
明るく笑ったゼンの腕の中で、力が抜けて、肩に寄りかかってしまったのは、女性に自分の力を分け与えたせいではなく、突然自分の物になってしまった合計十五点の品々に度肝を抜かれたからだった。
(十五個………十五個……十五個!?)
『自分の物』なんて、ほとんど持った経験がなかったのに、一気に物持ちになってしまった。
あまりに現実味のない事実を受け入れられず、アーシャは呆然と大きく膨れた袋を見つめ続けるのだった。
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