7.聖女、爆買い体験をする(前)

「ふぁぁ……………」

アーシャはまだ夢の中にいるような感覚で、服、服、服、服に埋め尽くされた空間を見た。

今まで生きてきた中で、こんなに服が並べられた所を見たことがあるだろうか。

布や古着を背負って売り歩く商人は見たことがある。

しかし服とは本来各々の家で作るもので、店を構えて売るようなものではない。

女たちが糸を紡ぎ、布を織り、家族の服を作るのである。

服作りは、良い家に嫁ぐための必須と言っていい能力なのである。

生活での必需品でありながら、作るのが大変な物だから、服は貴重品であり、何着も持てるものではない。

高価だから、盗賊は文字通り『追い剥ぎ』をやって、身ぐるみ全部、剥いでしまうのだ。

その高価な服が、所狭しと壁に掛けられている様子は、圧巻としか言いようがない。


アーシャの目が覚めたのはつい先程の事だ。

体が持ち上がる感覚がして、目を開けると、『くるま』から、降ろされている所だった。

「アーシャ、お・は・よ・う」

ちょうどゼンが抱き上げてくれていて、目覚めから幸せな気分になってしまって、ギュウっと抱きつくと、彼は笑いながらアーシャの背中を大きな手で撫でてくれた。

「ゼン、おはよぉ」

『おはよー』は目が覚めた時の挨拶だ。

「ユズゥ、おはよぉ」

前を見たら、サッサと歩いているユズルがいたので、挨拶をしたら、後ろ向きのままピコピコと手を振り返された。


(白くて大きい建物……)

そして半分寝ぼけて、ゼンの肩に頭を預けたまま、まるで神殿のような巨大な建物に入ったら、この目が覚めるような光景が広がっていたのだ。

建物の中は、大きな一つの部屋になっていて、その中に巨大な衝立が幾つも建ち並んで、空間を分けているのだが、とにかく見える限りが服で埋め尽くされている。

衝立はゼンの身長より高く、それらの間隔は、大人一人が両腕を上げて寝転がって転がれるほど広い。

衝立や壁からは、沢山の鉄の棒が突き出ていて、その棒に、これでもかという程の服が、ぶら下がっている。

それらは一着二着と数えられる量ではない。

一本あたり何着もの服が掛かっている棒すら、数えられないくらい並んでいるのだ。


(……色の洪水……)

アーシャは口を閉めることも忘れて、呆然と周りを見る。

神の国はとても色彩鮮やかだなと思っていたが、服も凄い。

人の世界では染料は高価なので、庶民はみんな同じような色の服を着ていた。

藍色、緑などは比較的その辺に生えている草や木で色つけ出来たので、おしゃれなご婦人は染めたりしていたが、手間がかかるので、大体は、綿や麻そのままの色だったのだ。

それが神の国の服は赤、青、緑、白、桃色、黄色と、染められていない服の方が珍しい。

しかも一体どうやって染めたのか、襟、袖、裾と、それぞれが別々の色になっていたり、色違いの縞々になっていたりと、一着の中にたくさんの色が詰まっている。


(形もすごく色々あって……凄い……)

あまりに凄すぎて、一つの服に目が止まらず、次へ次へと目が滑るが、溢れているのは色だけではなく、形も様々だ。

短かったり、長かったり、裾に可愛らしいレースがついていたり、リボンの飾りがついていたり、様々な形の襟がついていたり、複雑な図形が描かれていたり、同じものは二枚とないのではないかと思ってしまう程、凄いバリエーションだ。


「アーシャ、お靴痛診朝か?」

呆然と見ていると、するりとゼンが下におろしてくれる。

アーシャは一番下に吊るされている服に近付いて、その美しい縫い目にため息を溢す。

布地は均一の細かい糸で織られ、縫い目は驚くほど細かい。

貴族御用達の仕立て屋でも、こんなに美しい縫い目は作れないだろう。

物凄く細かく縫ってあるのに、縫い目が一定で、匠の仕事としか思えない。

今、アーシャが着ている服も、ゼンやユズルの服もそうなのだが、神の国の服は匠が作ったとしか思えない物ばかりだ。

しかしこんなに服があって、一枚として不出来な物がないというのは、どういう事なのだろう。


(神の国は裁縫が得意な人しかいないんだわ!)

アーシャは確信する。

街中でもほつれた服を着た人はおらず、皆、素晴らしい服を着ていた。

きっと技術水準が高いに違いない。

(ぜひとも、ここの主に弟子入りしたい……!!)

裁縫上手が、素晴らしい結婚をする条件なので、世の女性たちはこぞって練習していたのだが、実は、アーシャは裁縫ができない。

出来ないというか、やった経験がない。

聖女業が忙しくて、機織りや縫い物なんてしている時間はなかったのだ。

針に糸を通せるかすら怪しい。

それなのに、こんな縫製技術の高い所に来てしまった。

ゴブリンの嫁など誰も欲しがらないのは明白だが、だからと言って何も努力しないわけないはいかない。

ゴブリンでも、人間水準に能力を持って行く努力を、しなくてはならない。


熱く闘志を燃やすアーシャだが、

「おい、塞仇洋脅月樽頁花柔凪尺んだよ」

不機嫌なユズルが、サッサと来いとばかりに衝立の向こうから顔を出して、指を動かすので、慌ててそちらに向かう。

「這確拳らい恐隔アーシャが爪幾な眉お跡格捗やらないか?」

「蝕喜輝襟薫恨あ御!拝駐!」

静かな建物内で、控えめな声で言い争うゼンとユズルの声を聞きながら、アーシャは彼らに続く。

(服の垣根の間を走るなんて……こんな不思議なこと、誰に言っても、きっと信じないわ)

右を見ても左を見ても服、服、服と、色鮮やかな垣根に挟まれた通路を、アーシャは夢見心地で走る。


「!」

少し行くと、服以外の物も並べられている事にアーシャは気がついた。

車輪のついた椅子に、奇妙な形の桶、物凄い色合いの車輪のついた芋虫のようなもの。

(あれはこの前の二輪車!………じゃない、三輪だわ)

神の国は、とにかく物を整然と並べるのが好きなようで、物珍しい品々が、衝立から出た棒や、棚に、これでもかと綺麗に並べられている。

(『すーぱー』は図書館のようだったけど、ここは……そうね博物館みたい)

几帳面な館長が作った展示室のようだ。


アーシャは展示されたそれらを、興味深く眺めつつ、ユズルの後ろを歩く。

「チビ」

ユズルはアーシャを見てから、彼の前の布を指差す。

「アーシャ!」

アーシャは自分の名前を訂正しつつ、彼が示した所を見る。

お風呂の後に使うフワフワの布の角に、輪っかになった紐がついていて、鉄の棒に沢山ぶら下げられている。

(何かしら……周りが縁取りされていて……とっても賑やかな絵が描かれているわ)

布は目が覚めるような色鮮やかさで、不思議で複雑な紋様が描かれている。


「チビ、跨蕃隔宰お勿張」

「?」

ユズルはそれらを指し示すが、よく意味がわからない。

早くしろと言いたげに、ユズルは何かブツブツと言っているが、何をしたらいいのかわからない。

「アーシャ、アーシャ」

首を傾げて困っていたアーシャに、ゼンが精一杯体を縮めて、両手に持った布を見せる。

右と左の手に二枚ずづ持って、上げ下げを繰り返す。

「あっ……!」

この前、『すーぱー』で、お買い物をさせてくれた時と同じ仕草だ。


「選んでいいの!?」

こんなに色鮮やかな布を、アーシャに買ってくれるのだろうか。

嬉しくて、アーシャは飛びつくようにして、布を見つめる。

可愛い動物のような物が描かれていたり、複雑な図形が描かれていたり、どれもとても素敵なのだが、アーシャは馴染みのある林檎が沢山描かれた布を指差す。

するとゼンはウンウンと大きく頷きながら、ユズルの持った籠に、それを放り込む。

そしてまた四枚を新たに手に取って、『選んでごらん』と示す。

「二枚も!?」

こんなに触り心地の良い布を、二枚も買ってもらうなんて良いのかしらと、高鳴る胸を押さえつつ、花のモチーフがついた布を、アーシャは指差す。

するとゼンはニカッと笑って、その布をまた籠に放り込む。


アーシャは籠に入った二枚の布を、うっとりと見つめる。

頬が熱を持っているのを感じる。

フワフワで、色鮮やかな布を買ってもらえるなんて、夢のようだ。

「ふふふ」

嬉しい感情が蝶のように、お腹の中を飛び回っている。

服がいっぱいの建物に入った時から、ずっと楽しい夢を見続けているようだ。

(夢でも幸せだから良いわ)

アーシャは顔の緩みを止められない。


ウキウキとしていたら、

「アーシャ、アーシャ」

ゼンがアーシャの肩を叩く。

「?」

何だろうと振り返ると、今度はゼンとユズルが、それぞれ左右の手に一つづつ、背負い袋を持っている。

ゼンが『すーぱー』に行った時に背負っていた袋の四分の一くらいの大きさで、とても愛らしい。

ユズルが持っているのは淡い桃色と、水色の、可愛らしいリボンがついた袋で、ゼンが持っているのは、まんまゼンが持っているヤツを小さくしたような黒い袋だ。


(これも選んで良いって言われているのかしら!?)

袋は複雑な形で、明らかに手がかかっていることがわかる。

手間がかかる=高価なもの、だ。

そんな品を前に、流石にアーシャは面食らってしまう。

しかしサイズ的に二人の背中には、とても背負えない小ささだ。

小さなゴブリンの体に相応しいサイズで、アーシャ用だとわかる。


おずおずと、アーシャはユズルが持っている水色の愛らしい物に手を伸ばそうとしたのだが、

(あ!よく見たら、猫ちゃんになっている!!)

アピールされるかのように振られた、ゼンの持っていた袋に、可愛い耳と髭がついていて、黒猫を模した物だと気がついて、そちらを手に取ってしまう。


選ばれたゼンは誇らしげな顔で、その袋を籠に入れてしまう。

(……この籠って、買う物を入れるのよね……?)

あまりにあっさりと入れてしまうので、アーシャは目を見開いてしまう。

こんな高価そうなものを、アーシャの一存で買ってしまうのだろうか。

嬉しいを通り越して、戸惑いが生まれてしまったアーシャは二人を見上げるが、ゼンとユズルは何やらじゃれあっている。


彼らは何かを言い合いながら、今度は布の袋をアーシャの前に示す。

「えっと……」

ここまでくると、本当に選んで良いのかと、アーシャは迷うのだが、二人とも自信満々な顔で、それぞれの一押しらしい袋を彼女に示す。

ユズルは薄い桃と白の縞々、ゼンは小さな動物がたくさん描いてある布だ。

「これ……かな?」

ユズルの持っていたものは柄はシンプルながら、手の込んだレースがついていて、とても愛らしい。

選ばれたユズルは小さく握り拳を作ってから、それを籠に入れる。

「えっ、あっ」

同じデザインで大きさの違う袋も、ぽいぽいと彼は籠に突っ込んでしまう。

もうカゴの中は山のようになっている。


(こ、こんなに贅沢をしても大丈夫なの!?すごくお金がかかると思うんだけど!?)

あまりの物量にアーシャは不安になってしまう。

しかしゼンとユズルは止まらない。

軽くて丈夫な神の金属オリハルコンで作られたコップ、毎日歯を掃除してくれる小さな馬ブラシのようなもの、スプーンとフォークと二本の棒が収められた箱、履きやすそうな靴。

次々と持ってきては『さあ選択して』とばかりにアーシャの目の前に並べ、アーシャが選んだ品を持ってきた方はにこやかに、選ばれなかった方は悔しそうにする。


最初こそ物量にビビって萎縮してしまったアーシャであったが、ゼンとユズルが子供のように、喜んだり悔しがったりしているのを見て、次第におかしくなってきてしまった。

ゼンは意外と可愛い感じのものが好きで、小さな柄が賑やかに入っているものが多く、ユズルは全体的に淡い色合いで可愛らしいワンポイントが入っているものを選択する。

ユズルが持ってきてくれるものは清楚で統一感があるのだが、ゼンが持ってくる面白い柄も捨て難く、気がついたら、籠の中は混沌となっている。

(まさかこんなに買ったりするわけないわ)

きっと好きな物を集めたりする遊びなのだ。

買わないとわかっても、夢が詰まった玩具箱のようになった籠は、見ているだけでも楽しい。


「妊わ送だ診込萎いから寸告凪左培励い」

ユズルが籠の中を見て、満足そうに頷く。

「お襟紀芳朔鍾揚網やっ曜路いいか?」

「……煮宰だ沸な。蔚暑罫料識宵弁期」

言葉を交わすと、ゼンは嬉しそうにニコニコと笑ってアーシャの手を引く。

「アーシャ、いこう」

「ん?」

また新たな選択遊びだろうか。

アーシャもわからないなりに、弾むような足取りのゼンに合わせて、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら進む。

「ふふふ」

体が弾めば、心も弾む。

愉快な気分になって、アーシャは笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る