5.聖女、お外ご飯をいただく(後)
ユズルが持ってきた盆からの芳香を嗅いだ途端、ぐるぐるぐる〜、キュキュキュ〜と、アーシャのお腹が同時に二種類の声を上げる。
「〜〜〜〜〜〜!!」
慌てて、押さえ込もうとするが、腹はますます元気いっぱいに鳴くばかりだ。
まるで『どれが私のワケマエですか!?』と聞いているようだ。
「ふふふ」
お腹を抱えて丸くなるアーシャを、ゼンは微笑ましそうに見ている。
こんな姿を見て、食い意地が張ってるとか、卑しいとか言わない彼は、正しく神様だ。
「アーシャ」
チョンチョンとアーシャの肩を突いて、ゼンは食べ易く紙を曲げた状態の食べ物を差し出す。
「……………!!!」
アーシャは差し出されたものを見て、息を呑む。
上と下にふわふわの柔らかそうなパン。
そしてその間に挟まれているのは……
「お肉………!?」
こんがりと焼かれた、分厚いお肉だ。
爪の半分くらいの厚みがあって、いかにも美味しそうな色に焼かれている。
(お肉だ、お肉だ、お肉だ!いい匂いのお肉だ!)
それを認識した瞬間、アーシャはそれしか考えられなくなった。
「わっ」
そして気がついた時には、パクッと齧り付いてしまっていた。
柔らかく歯を受け入れるパン。
そしてその先に待ち受けるお肉も、これまたびっくりするほど柔らかい。
「んんん!!」
肉の生臭さは全くなく、舌に不快ではない刺激がある。
その味は、やはり香辛料が入っているとしか思えない。
肉を別物のように美味しくすると聞く、黄金よりも価値のある魔法の調味料だ。
逆にそれが入っていないと言われると、何でこんなに美味しいのかと疑問に感じてしまう程だ。
パンと一緒に味わうと脳が叫び出しそうだ。
(味が濃くて……それでいてあっさりしていて………いったい何のお肉なのかしら!?)
庶民のご馳走お肉は豚。
何とか捕まえて食べられるのは鳩などの鳥。
口の中の肉は、そのどちらとも違う気がする。
(強いて言えば……モンスターなら似た味がいたような………)
しかし何の肉か判明する前に、こらえ性のない喉がごくんと口の中の物を飲み込んでしまう。
アーシャは謎を解明するべく、新たにパンに齧りつく。
そしてパンと肉を堪能しようとしたのだが、
「!?」
舌に肉以外の味が当たる。
トロリと濃厚に絡まってくる、豊かな味には覚えがある。
「!!!!」
アーシャはもっと味わうべく、何回も噛む。
(間違いない………塩っ辛さは控えめだけど、これはチーズ!!)
アーシャはモッモッモッと咀嚼しながら、自分が噛み付いた断層を見る。
肉の上にある、濃い黄色の物体。
アーシャが知っているチーズの色とは違うが、恐らくこれがチーズに違いない。
もっと口の中で転がしたかったが、やはり耐えきれなかった喉がゴクンと飲み込んでしまう。
「んはぁぁぁぁ〜〜〜」
チーズの塩っ気が肉と絡むと、とんでもない美味しさだ。
口の中から、喉、そして体の中に幸せが広がっていく。
チーズも肉も滅多に食べられない高級品だったのに、それらを二つまとめて食べてしまうなんて、とんでもない贅沢だ。
「あふっ!」
アーシャは夢中になって三口目に食らいつく。
「ん〜〜……んんん!?」
そして再び美味しさに震えようとして……目を見開く。
甘酸っぱいけど、塩辛さも感じる。
そんなソースがトロリと口の中に広がったのだ。
神の国に来るまで、塩以外の味付けを知らなかったアーシャには、この複雑な味のソースは刺激的だった。
「お………美味しい………!!」
咀嚼しまくって飲み込んだアーシャは、真顔でゼンに報告してしまう。
美味しさを感じる以外の所にエネルギーを使う余裕がない。
アーシャは紙に突撃するように、夢中でパンの間に肉とチーズを挟んだ食べ物に食らいつく。
(この赤いソース……甘いけど……辛くって……この酸っぱさがクセになる!!)
果実のような甘酸っぱさを持った、辛すぎないソースが美味しすぎる。
夢中で噛んでいたら、シャクシャクっと歯に爽快な感触がする。
ふわふわのパンに、あっさりした肉、トロリとしたチーズ、そんな食感たちの中で、サクサクという歯応えは存在感がある。
(このサクサクは……玉ねぎ!?)
口を止めることができないので、モグモグと口を動かしながら断面を観察して、アーシャはサクサクの正体を見つけた。
びっくりする程、小さく切り刻まれているが、玉ねぎだ。
(恐るべし……恐るべし、玉ねぎ!!神の手にかかると、こんなにも美味しい食材になるとは……!!)
こんなに小さく切られても歯応えを残すとは凄い。
「んんん?」
夢中で食らいついていたら、コリッと気持ちの良い歯応えと共に、新しい味が広がる。
「んっ!!」
酸っぱ辛い、食べ覚えのある味に、アーシャは目を見開く。
(まさか……まさか……これは………ピクルス!!)
信じられない思いで、アーシャは懐かしい漬物を見つめる。
神の国は自分達の国と全く違う食べ物しかないのだと思っていた。
しかしここで食べ慣れた物に出会えるとは。
「………おいひぃ……」
自分達の食べ物も捨てたものではない。
パンと肉、チーズそして赤いソースのハーモニーに、新たな風を入れる、すごく良い仕事をしている。
(ん………?)
夢中でモッモッと食べ進めていたアーシャは妙な事に気がつく。
しっかりと食べ物を握って食べていると思っていたら、アーシャの手はパンを包んだ紙を握っていない。
包みを持っている大きな手を握っている。
「あっ………!!」
気がついて顔を上げると、蕩けそうに優しい顔で笑っているゼンがいた。
包みを差し出したゼンの手を、アーシャは握りしめて、食べていたのだ。
アーシャが食べていた間、ゼンは利き手が使えなくて、ご飯を食べられなかったはずなのに、ちっとも嫌そうな顔をしていない。
むしろとても微笑ましそうな顔をしている。
「ゼン……ごめんなさい……」
突然目の前に現れた分厚いお肉に、完全に意識を持っていかれてしまっていた。
こんな無作法、よくユズルが静かに見守っていたなと思ったら、
「……………」
ものすごく嫌そうな顔で、彼は下を向いていた。
「……ユズゥ……」
謝まろうと声をかけるが、彼は顔を上げない。
自分が悪いのだが、反応してもらえなくて、アーシャはしょんぼりしてしまう。
アーシャはゼンから紙の包みを受け取って、今度はできるだけがっつかないように気をつけて食べる。
「アーシャ」
ゼンがニコニコと小さな紙の箱を差し出す。
その小さな箱には赤々と実った林檎の絵が描かれている。
「……林檎?」
アーシャは首を傾げる。
小箱には小さな棒が突き刺さっているのだが、そこから、確かに甘い林檎の匂いがする。
よく見ると、その棒の真ん中には穴が空いていて筒状になっている。
小箱の中の匂いが、そこから出てきているようだ。
「アーシャ、あ〜ん」
ゼンはその筒で、チョンチョンとアーシャの唇をつつく。
この棒を口に入れろと言う事だろうか。
恐る恐るアーシャはその小さな筒を咥えてみる。
「!!!」
するとチュチュチュっと甘い液体が筒の中から出てくる。
「……林檎だ!!」
アーシャは驚いて目を丸くする。
筒から出てきたのは林檎の果実水だ。
先日ゼンが作ってくれた物とは全く別物で、本当に水のようなのに、しっかりと甘くて、リンゴの香りがして、これも美味しい。
(紙箱の中には果実水が入っていて、この小さな筒から吸い込むのね!)
アーシャは小箱を受け取り、筒に口をつけて息を吸い込む。
しかしジュルジュルと空気が口に入ってきて、上手く果実水だけを飲めない。
「うぅ……」
同じ紙でも、紙のカップなら上手く飲めるのに、何故に小箱にして、わざわざ筒を介して液体を飲むのか。
焦れたアーシャの手には力がこもる。
「んんんっ!」
すると小箱が押されて、中の果実水が飛び出してくる。
慌ててアーシャは水を零さないようにピッタリと筒に唇をくっつける。
すると空気が入って来ずに、果実水だけが口に入る。
(なるほど!こうやって吸うと良いんだわ!)
口を窄めて何かを啜った経験と言えば、渇きに耐えかねて泥水を啜ったくらいだったので、よくわからなかったが、コツが掴めた。
要は口笛の逆だ。
そうすると驚くほどスムーズに果実水が口の中に入ってくる。
「あまぁ〜いっ」
甘味は幸せだ。
幸福の味だ。
何故筒を介して飲むのかは理解できないが、神の国だから、きっと衛生的な何かがあるのだろう。
ゼンを見上げると、ゼンも紙の中に入ったパンを食べながら、笑ってくれる。
「美味しい!」
そう報告すると、彼は頷きながらアーシャの頭を撫でてくれる。
「…………」
幸せな気分で、また紙に顔を突っ込もうとして、アーシャはもう一度ゼンを見上げる。
「ん?据う窯た?」
彼は和かに微笑む。
中身の無くなった紙を畳みながら。
「…………」
アーシャはそれを見てビックリしてしまう。
ゼンはアーシャに果実水を渡すまで、何も食べていなかった。
そして果実水を何口か飲んだ後見上げたら、彼は消えかけの三日月のようなパンを持っていた。
見間違いかともう一度見直したら、パンは消えていた。
「……手品……?」
因みに一心不乱に食べていたアーシャのパンは、まだ半月を迎えた程度だ。
じっと自分を見つめるアーシャに首を傾げながら、ゼンは新しい紙の包みに手を伸ばす。
「努菊裂か?」
そして、まだ一個目を食べ終わっていないアーシャに、新しく開けた包みを差し出してくれる。
物欲しそうに見ていると思われたらしい。
アーシャは慌てて首を振る。
そんなアーシャを不思議そうに見ながら、ゼンは開いた包みに齧り付く。
そんなに大きく口を開けて食らいついたわけでもないのに、その一口でパンの三分の一が消失する。
モグモグと咀嚼しながら、パンの位置を巧みに変えて、次の一口で更に三分の一のパンが彼の口に吸い込まれる。
二口で三分の二が消えたのだから、当然三口目でパンは跡形もなく消失する。
ポカンとアーシャはゼンを見つめる。
このお肉の入った豪華なパンがたった三口で終わった。
がっついているとか、そう言う感じではない。
三口で食べるのが当然という顔で食べてしまった。
そしてゼンは綺麗に紙を畳んでしまう。
アーシャのようにチマチマ齧っていないので、ゼンの食べ終わった紙には何もついていなくて、もう一度使えそうなほど綺麗だ。
(ゼンが大きい理由がわかったわ……)
こんなに食べるから大きいのだ。
(私も頑張って大きくならないと!)
アーシャは手元のパンに食らいつく。
早く大きくなって、体力をつけて、ゼンの体の中の『漆黒』を排除する。
そして大きくなった体で、何か職にありついて、こんなに美味しいものを食べさせてくれるゼンに恩返しをするのだ。
アーシャは汚く見えないように、がっつかない様に、パンに齧り付く。
「ゼン、あ暇が湯敬拡お混運牧濠畦」
「いや……肝早畏わわか作が、稔わ醤労所詩渦ういう稗が燭蕎需いんだ」
相変わらず美味しい肉にアーシャが感動しながら食べていると、ユズルとゼンは何やら揉め始めた。
ユズルが不機嫌に、ゼンに何か言っており、ゼンは困った顔で首を傾げている。
アーシャは二人を仲裁したいが、一体二人が何で揉めているのかわからない。
「……ゆ、ユズゥ……」
それでも何とかユズルに怒りを収めてもらおうと、アーシャは彼に手を伸ばす。
「あぁ?」
うるさそうにユズルはアーシャを見て……プッと噴き出した。
「箪が萩か宕なっ諜径星チビ鱒」
そして半笑いで、アーシャの顔をゴシゴシと拭いてくれる。
どうやら派手にソースが顔についてしまっていたようだ。
頬に当たる感触は布のように柔らかいが、勿論これも紙だ。
神の紙好きは、最早疑いようがない。
もう紙の服が出てきても驚かない。
「うしっ」
顔にソースをつけてしまっていたのは、恥ずべき事だが、ユズルの表情が和らいだので、アーシャはホッとする。
「ユズゥ、ありがとう」
未だ、こちらの感謝の言葉がわからないので、アーシャは自分の言葉で礼を述べる。
「まぁ、う才さ侵翌い篠奨墾栢憲蛸おか納乱い誰集んだから、悠いん栓浮朽倫迅?」
そんなアーシャに片頬だけ上げて、皮肉っぽく笑いながら、ユズルはボスボスとアシャの頭を叩くようにして、手荒に撫でる。
ゼンは良く撫でてくれるが、ユズルは珍しい。
「!?」
アーシャが胸を撫で下ろしていると、更に珍しいことが起こった。
隣に座っていたゼンの神気が一気に濃度を増し、驚いて見上げると、ゼンが険しい顔をしている。
いつも太陽のようにニコニコしている、優しいゼンが、だ。
厳しい目つきや固く結ばれた唇はまるで別人のようだ。
アーシャは驚いて目と口がまん丸になってしまう。
一体何が起こっているのか。
全くアーシャに状況が理解できないが、ゼンの神気に応えるように、地中の神気が噴き上がってくるのを感じる。
「ゼン?」
神気が活性化する事自体は土地のために良い。
しかし大地の力を荒ぶらせるほど、ゼンは何を怒っているのか。
そして単純に、いつもの優しい顔に戻って欲しくて、アーシャはゼンの服の裾を掴む。
声をかけられたゼンはハッとして、アーシャを見下ろす。
瞬間、視界を遮るほど濃くなっていた神気が、ゆっくりと薄らいでいく。
「宏う委た?」
アーシャを見る目は、いつもの暖かい夜の色だ。
ホッとして、アーシャは思わず、いつものゼンにくっつく。
ほんのひと時だっただが、ゼンが別の人のように見えて、心細くなってしまったのだ。
(子供じゃないんだから……)
そう思いつつも、ゼンの大きな手が背中を撫でてくれると、ものすごく安心する。
周りでバタバタと何人かが移動する音がするが、アーシャは顔も上げずに、ゼンに背中を撫で続けてもらう。
(ゼンの食事の邪魔だわ)
そう思うのに、心地よさから離れられない。
お腹は美味しい肉と、ふわふわのパンで気持ちよく膨らんでいる。
頬や体の前面はゼンの体温で、暖かい。
ホッとアーシャは息を吐く。
幸せでもため息が出るんだと、神の国に来て初めて知った。
(気持ちいいなぁ……)
アーシャは心地良さに、少しだけと、目を閉じた。
初めての環境に行き、捨てられるかもと怯え、今までやったことのない遊びをした。
それだけで体力のないゴブリンボディは疲れてしまっていたらしい。
少しだけだったはずなのに、アーシャはそのまま、濃い目の神気に包まれて、意識を手放した。
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