5.聖女、お外ご飯をいただく(前)

無事、孤児院を回避したアーシャは、ゼンの胸にもたれて、安心しきっていた。

(多分、慰問的な?訪問だったんだよね、きっと)

慰問というより、アーシャが庭先で遊ばせてもらったような感じだが、捨てられてしまうのではないかという、最大の危機を回避できたアーシャには、大した問題ではない。

(お家に帰れるの、嬉しい……!!)

相変わらず、道は『くるま』たちが、思い思いに大爆走しているが、もう家に帰れると思ったら耐えられる。

(一緒……嬉しい)

アーシャの心の中の呟きに応えるように、腹の虫がキュキュキュッと鳴く。

「うっ……」

朝から豪華に食べ物をもらったのに、リラックスした彼女の胃袋は『空になりました』と自己申告を始めたのだ。

一緒にいられるなら、ご飯も我慢すると心に誓ったのに、喉元過ぎてしまえば、アーシャの胃は図々しい主張を始める。


アーシャが恥ずかしくて、音を止めようと、お腹を押さえる。

しかしいくら強く押しても胃の自己主張は止まらない。

「アーシャ、帰戴濃穎罫うか」

必死に腹の虫を黙らせようとしていると、ゼンはアーシャの背中を撫でてから、先の方にある建物を指差す。

「?」

赤と黄色と黒が目立つ、巨大な旗が風にはためいている。

王城にすら、あんな巨大で派手なバナーが垂らされていた事は無い。

旗を垂らしている巨大な柱の頭には、巨大で色鮮やかな飾りがついていて、面白い。

(赤い大地に黄色の山?)

不思議な造形をアーシャはしみじみと眺める。

ふたこぶの山は中身が繰り抜かれて、向こうが見えるようになっている。


旗の先にある建物は、落ち着いた配色で、扉や壁が大きな硝子になっていて、とても明るい。

(小さな『すーぱー』なのかしら)

アーシャは首を傾げる。

出てくる人は紙袋を抱えていたりもするが、それほど大荷物の人はいない。

(…………『くるま』が並んでいるわ)

近づくと、一列に並んだ『くるま』が目を引く。

『くるま』を停める広場も用意されているのだが、そちらにはあまり『くるま』は行かず、入ってきた『くるま』は、ぐるりと建物を囲むように、一列に並んでいく。


『くるま』たちは何をしているのだろうと、アーシャは伸び上がって確認していたが、結局何のために彼らが並んでいるのかわからないまま、建物の中に運ばれた。

(『すーぱー』もそうだったけど、やっぱり扉は二枚一組なんだ)

硝子の扉を開けて建物の中に入ったと思ったら、直ぐ先に全く同じ扉がある。

『すーぱー』は扉と扉の間に籠なんかが置いてあったが、ここには全く何もない。

無意味な空間に扉が二つついているだけだ。

この小さな空間を作る意味が、アーシャにはわからない。

(神の国の流行りなのかしら……?もしくは……ああ!硝子は割れ易いから予備なのかしら!?一枚が割れても一枚残っていたら扉として機能するし!……あ、でもゼンの神殿では木の扉だけど同じ事をしていたわ)

ウンウンと考えていた、アーシャであったが、二枚目の扉が開かれた瞬間、思考は中断された。


「……………!!!」

二枚目の扉を越えた先は、空気が温かく、柔らかい。

そして独り言を続けていた胃が、活発に鳴き始めるほど、芳しい匂いに包まれていた。

(お、お、お肉の匂いがする……!)

とにかく色々と美味しそうな匂いがする中、一際肉の焼けた匂いが、アーシャの鼻腔に突き刺さる。

タダ飯食らいなのだから、できるだけ我慢しようと思っていたのに、美味しいものを食べられることを予感した口が、早くもジュワッと口の中に唾液を広げ始める。

お腹は鳴くし、口からは涎が溢れそうだ。


「!」

建物の中には、横に長いテーブルと木の子のような形の椅子、軽そうなテーブルに背もたれ付きの椅子や、一列つながったソファーなどが配置されており、それらに、思い思い人が座っている。

(みんな何かを食べている……?)

自由に座った人たちは、一様に、何かを口に運んでいる。

人々が集まって食事するというのは、アーシャはお祭りや戦勝パーティくらいでしか見たことがない。

祭りや兵士たちによる戦勝パーティは、大きな板を樽や石などの上にのせて、即席のテーブルを作り、野外でやっていたので、室内で大人数が食事する光景が不思議なものに見える。

因みに、貴族のパーティに狂気のような料理が供されているのは見たことあるが、挨拶の時しか参加しなかったので、どうやって食べていたのかは、よく知らない。


お揃いの服を着ている集団や、南国の鳥のような華やかな色彩の女性たちや、ぽつんと一人で座っていたりと、建物内の椅子や卓には、様々な人に溢れている。

皆、顔見知りとかではなさそうで、共通点といえば、何かを食べているということだ。

(ここは……何かを食べるための建物なのかしら)

人の国では露天で食べ物を売っている店はあったが、食べるための場所を提供する事はなかった。

食べ物は歩きながら食べたり、家に持ち帰って食べたり、その辺に座って食べたりするのだ。

食べる場所まで作って、食べ物を売るなんて、手が込んでいる。


他人が食べている所を見るなんて、失礼だ。

そう思うのに、アーシャの視線は食べ物に吸い付いてしまう。

(紙に食べ物を包んでいる……?)

神の国の徹底した紙好きには、もはや慣れてきた。

カップも紙で作るのだ。

皿を紙で作ってあっても、もう驚かない自信がある。

(随分順応してきたわ)

アーシャは自分の成長を自画自賛する。


(でも、凄いわ。食べ物を紙に包んでしまえば、手掴みでも手が汚れないもの)

流石、清潔を尊ぶ国だ。

人間の国で売られているミートパイなんて手掴み手渡しで、衛生状態なんて考えていない。

そもそもミートパイ自体、腐った肉や、捨てるはずの内臓を詰めたり、痛んだ物を焼き直して売ったりする悪質な露店が多く、手が汚れるとか汚れないとか以前の問題なのだ。

食中毒で酷い目に遭うのも、決して珍しい話ではない。

それでも人々が露天で食べ物を求めるのは、庶民の家にはパイを焼いたりできるかまどがないからだ。

貧しい家であればあるほど、家に調理するための場所を取ることができず、危険な食物を買ってきて食べるのだと聞いた。



人の食事を無遠慮に眺めていたアーシャは、空いている卓に下ろされる。

どうやら空いている卓に勝手に座っていいようだ。

ゼンは上着を脱いで、卓の上にポイッとのせる。

「ゼン、ユズゥ?」

人様の食事を夢中で観察していたら、いつの間にかユズルがいない。

キョロキョロとするアーシャに、『壁の向こう』とばかりにゼンが指でさし示す。

「アーシャ、て、あらお」

ゼンは手を擦り合わせて見せる。

手を洗うときの仕草だ。

「ん?」

手を洗おうにも、ここには水場がない。

アーシャが首を傾げると、ゼンは『わからなかったかな』とでもいう顔で、再びアーシャを抱き上げる。


「あ、あ、あ、ゼン」

そのまま移動してしまうので、アーシャは慌てる。

ゼンの仕立ての良い上着が、卓に置きっぱなしなのだ。

あんな目立つ所に放置してしまったら盗まれる。

そう思って上着が残っている事を、指差しで伝えるのだが、

「………?岐排及だ。ユズルなら竿砧到桧鋼人かか座からな」

ゼンは卓に残された上着を見ても、気にする様子がない。

そのままアーシャを抱いて卓から離れてしまう。


「あ!」

水場は卓から結構近い所にあった。

どうしてこんな所にと疑問に思うような所に、唐突に水場は作られ、衝立で隠されていた。

まるでご飯前に手を洗えと言わんばかりだ。

(神の国の人たちって本当に清潔好きなのね)

アーシャは感心してしまう。

小さい子が手を洗うことも想定されているらしく、水場の前には可愛らしい配色の足台まで用意されている。

老若男女問わず、飲食する前に手を洗うなんて不思議な習慣だ。

ぱっと見、ゼンの手もアーシャの手も汚れていないのに、それでも洗うのは不思議だ。

泥がついた手なら食べる時にジャリジャリするから、手を拭きたいなと思う気持ちは理解できるのだが。

綺麗な水が潤沢にある、神の国だからこその習慣なのかもしれない。


そんな事を考えながらも、アーシャは少し離れた卓をチラチラと見てしまう。

あんなに素晴らしい服なのに、興味を持って見る者すらいない。

手を伸ばせば届きそうな隣の卓の者も、全く気にしている素振りはない。

(何で誰も手を伸ばさないのかしら。服なんて高級品なのに)

そう思いながら、アーシャは泡だらけになった手を流そうとする。

「?」

しかし水が噴き出すはずの金属の管に、水を出させるレバーがない。

「はい、ジャーーー」

どこかに押すものは無いかと、オロオロ探すアーシャの手を、ゼンの大きな手が包み、筒の前に差し出される。

「!!!???」

するとどうした事だろう。

『心得ました!』と気の利く使用人でもいるかのように、筒から水が飛び出して来たのだ。

思わず周りを確認するが、アーシャたちを見ている者はどこにもいない。

「よ〜し」

そして手を上げたら、水は自然と止まる。


(ま………まさか……こんな何気ない場所にも魔法生物でも飼っているというの!?)

アーシャは愕然とする。

水の出し入れをする。

たったその事のためだけに魔法生物を飼うなんてあり得るだろうか。

(いや、ないない。それはない)

自分の思い付きをアーシャは否定する。

いくら清潔を好んでも、そんな事があるはずがない。

きっと足元など、目立たない所にあるレバーをゼンが引いてくれたに違いない。


(そして手を拭くのは……やっぱり紙!!)

ゼンが備え付けられている箱から紙を取り出して、アーシャの手を拭いてくれる。

その紙は特別に水を吸い込むように作ってあるのか、ぐんぐんと水を吸い込む上に、水を吸い込んでも破れない。

神の紙加工が凄すぎる。

紙への愛が計り知れない。


そんな事を考えていたら、ゼンの服の事をすっかり忘れてしまっていた。

(私としたことが……随所に凄いものがあるから!!)

アーシャは慌てて卓に戻って、爪先立ちで、その上を覗き込む。

「……ほっ」

そして離れたときのままの姿で、ゼンの服が置かれているのを確認して安堵の息を吐く。

「お擁約舜い穐い径押だな〜」

後ろから着いて来たゼンは、微笑ましそうに笑っている。

ひょいと柔らかなソファーにアーシャをのせてから、ゼンはアーシャの頭を撫でてくれる。

そしてゼンは用は無くなったとばかりに、服を畳んで自分の隣に置く。

「????」

アーシャは不可解な行動に首を傾げる。


そこに一際騒がしい声をあげる、少女たちの集団がやって来た。

五人とも縫製の素晴らしい、生地のしっかりした、お揃いの服を着ている。

お揃いのドレスを着た親子を見たことがあるが、ここまでの集団で、お揃いを着ているのは珍しい。

しかもスカートの丈が凄い。

「ふっっ」

思わず驚いて声を上げそうになって、アーシャは自分の口を自分の手で塞ぐ。

人様の姿形に何か言うことは、とても行儀の悪いことだ。

しかし目が離せない。

膝が出ている。

ちょこっと出ているとか、スリットから覗くとか、そんなレベルではなく、太ももの半ばまでしか布に覆われていなくて、大胆に足が出ている。

走ったら中身が見えそうな程だ。


アーシャの感覚で言えば、下着で歩き回っているような状態なのだが、少女たちは楽しそうに、弾むように歩く。

(裾を……裾を、押さえなくっちゃ、裾を……)

側で見ているアーシャの方が赤面してしまい、裾を押さえに行きたい衝動に駆られる。

しかし周囲も、ゼンも、少女たちの服装に何ら疑問を感じていない様子だ。

(神の国って……とっても刺激的……)

短いからこそ揺れる裾は、とても動きがあって自由な感じがする。

超前衛的なセンスだ。

こんな服装を許すのだから、それは女性がズボンをはいても、誰も文句を言わないはずだ。

(自由な国なのねぇ……)

アーシャは驚きすぎて、溜息しか出ない。


裾にドキマギしていたアーシャだが、その直後、更に驚くことが起こった。

少女たちは、肩から下げていたバッグをドサドサと椅子や卓に置くと、全員でどこかに行ってしまったのだ。

(ええええええ!!!??)

アーシャは目を見張る。

あり得ない。

荷物の全てを放置して離れるなんて、あり得ない。

もう盗んでくださいと言っているようなものだ。

(わ、私が代わりに、しっかり見張っていてあげないと!!)

盗人が現れたら大騒ぎしてあげなくては。

そう決心したアーシャだったが、卓の横を通る者も、近くの卓の者も、全く置き去りの荷物に関心を示さない。

盗むとか盗まないとか以前に、置き去りにされた荷物は、皆の目に入ってすらいない様子だ。


(神の国に盗人はいないのかしら……?)

驚きの連続だ。

人間の世界なら、手を離して余所見をした瞬間、荷物は二度と返ってこないだろう。

下手をすれば、手や命ごと盗まれてしまう事もある。

驚きながら周りを見回すと、かなりの数の者が、席から離れるときに、荷物を置きっぱなしにしている。

(神の国は、みんな、すごく裕福で、盗みを働くまでもなく生きていけると言うことなのかしら……?)

夢のような国だ。

教会の言っていた天国に少し似ている。


「アーシャ匡札い悠鼠湘鮫か践某いなぁ」

驚くアーシャの頭をゼンは撫でてくれる。

よくわからないが、撫でてもらえるのは嬉しいので、アーシャはその手にすりつく。

「いら侶焼朋、箇い結服像着か。鱗答藍掛柾橡滑掛菩横糠かなら着友操」

そこに二つの盆を持ったユズルが帰ってきた。

盆の上には何かを包んだ紙が沢山のっている。

強く漂ってきた芳香に、アーシャは口の中が急激に潤うのを感じた。

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