4.幼児、友達?を得る(後)

園長と譲の勧めに従い、禅一は園庭に出たのだが、何故か峰子先生もぴったり着いてくる。

部外者の男を園内で野放しできないから、仕方ないのかもしれないが、よりによってお目付役が彼女かと思ってしまう。

(……俺とこの先生って、組み合わせ的に最悪じゃないか……?)

幼児を含めた小さな生き物に避けられる禅一と、保育士とは思えない雰囲気の峰子先生で、最強の対幼児結界が張られてしまう気がする。

そうするとアーシャが、同年代の子供と楽しく遊べなくなってしまう。


「アーシャ、アーシャ」

園庭に出た禅一は、生きた腹巻きのようになっているアーシャに呼びかける。

「す・べ・り・だ・い」

そして彼女が好きな遊具を指し示す。

丁度良い感じに、子供たちが楽しそうに歓声を上げて、滑り降りている。


少し興味ありそうなアーシャの反応に、禅一は彼女を下ろして、遊びに行かせようとする。

「ふんぬっ!!」

しかしアーシャはコアラのように禅一の胸に張り付く。

「ぬぬぬぅぅぅぅ〜〜〜」

すぐに力の弱いO脚の足が外れてしまうが、それでもアーシャはジタバタともがいて、離れまいともがく。

可哀想だが、禅一がアーシャに着いていく限り、アーシャは友達と遊べない。

「ゼン〜〜〜〜」

しかし泣きそうな顔で訴えかけられると、突き離せない。


禅一が迷っていると、アーシャの後ろに回り込んだ峰子先生が、アーシャの両脇を持つ。

「わっ!」

突然抱き上げられたアーシャは目を白黒させ……いや、目が緑だから白緑だろうか。

とにかく激しく瞬きをしている。

「みにぇこしぇんしぇい!」

「ふぐっ!」

優しく諭すのだろうかと思ったが、峰子先生はアーシャの先制攻撃にやられて、胸を押さえる。

しかし『みにぇこしぇんしぇい』攻撃は二回目だったので、耐性がついていたらしい。

峰子先生はすぐに立ち直って、アーシャに声をかけようとしたのだが、

「にゅい、みんにゃゼンむいにゃぁ!」

と、アーシャがウニャウニャと鳴き始めたので、再び大ダメージを食らっている。

一体どこの言葉かわからないが、アーシャの言葉は、とにかく子猫が鳴いているような可愛い発音が多いのだ。

アーシャが舌足らずなだけで本当の言葉は、もっとしっかりしているのかも知れないが。


可愛いのは理解できる。

効果抜群なのもわかる。

しかし抱きしめ過ぎては困る。

「ぜ、ゼン〜〜〜〜」

ぬいぐるみのように抱きしめられてしまったアーシャは、困惑顔でジタバタともがく。

禅一はアーシャを解放しようと手を伸ばす。

「失礼。取り乱しました」

するとその禅一の手に、アーシャがしっかりと渡される。

意外と復旧が早かった。

「これは危ないから外しておきましょうね」

渡すついでに、峰子先生はアーシャの首から下がった笛を外す。

「遊具に引っかけて事故になってしまうかもしれませんから、お兄さんが持っていてください」

そして禅一の首にその笛を掛ける。

確かに首に何かをかけたまま遊ぶのは、危ないかもしれない。


峰子先生はアーシャを抱っこした禅一の背中を、遊具に向かって押す。

「お兄さんも遠慮せず、一緒に遊んでください」

「いや、しかし……俺が入ると子供たちが怯えるかと……」

禅一は謹んで辞退しようとするが、峰子先生は首を振る。

「うちの園の子は私鍛えられておりますので。多少のことには動じません」

『私が』鍛えているのではなく、『私で』鍛えられていると言うのは凄い。

彼女も色々自覚があるのかもしれない。

「そばにいてあげてください。アーシャちゃん一人ではリラックスして遊べないと思います。お兄さんが一緒に遊ぶことで、この施設が恐ろしい所ではないと学習してくれるはずです。………必ずや、学習してくれるはずです」

アーシャ入園にかける気迫が、彼女の瞳にはこもっている。


禅一は子供たちを驚かさないように、出来るだけにこやかに、ゆっくりとした動きで遊具に近づいていく。

「……っっ!」

「ひっ!」

「うわっ!!」

しかし思った通り。

子供たちは禅一が近付くと同時に、ビクッとして逃げて行ってしまう。

「あぁ〜〜〜」

残念そうなアーシャにも、楽しく遊んでいたのに追い払われてしまった子供たちにも、本当に申し訳ない。

やっぱり離れようかとも思ったが、視界の隅で能面がガッツポーズを見せてくる。

頑張れと、無言で強要……否、応援してくれているのだ。


「………アーシャ、滑ろうか!」

ここは一秒でも早くアーシャに慣れてもらうしかない。

安心で楽しい場所だと理解して、禅一から離れれば、他の子たちと遊べるはずだ。

そう思って禅一は努めて明るく、アーシャが楽しめる雰囲気を醸し出す努力をする。

滑り台の上にのせても、少し不安そうなので、アーシャの手は離さない。

とにかく楽しい方に意識を全て持って行かせるために、少しも不安を感じさせない事が肝要だ。


「ふわぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜!」

滑り出すと、一転、アーシャは大きな歓声を上げる。

「ぬえいにゅぅう!ぬえいにゅぅう!!」

そして滑り降りたら、その場でピョンピョンと跳ね回る。

興奮そのままに、滑り台を指差して、何やらエキサイティングに感想を語りはじめる。

たかが滑り台だが、アーシャにとっては素晴らしい体験だったようだ。


大騒ぎして喜んでいるアーシャを、チラチラと子供たちが見ている。

遊具を独占されて怒っているとかではなく、喜びの表現が激しいので、興味を引かれている様子だ。

「ふわぁぁぁぁぁ!!」

二回目の滑り台でもアーシャは大喜びだった。

意識が滑り台の方に向き出したようで、禅一の手を握る力もずいぶん弱くなっている。


あと何回か滑ったら夢中で遊び出すかもしれない。

そしたら少しづつ距離を置いて、離れよう。

「おい!おまえ!」

そんな事を禅一が考えていたら、わりと体の大きな子供が、殊更胸を張ってアーシャに近づいて来た。

「おまえ、わかってねぇな!すべり台ってのは、じぶんでのぼるからたのしいんだぜ!」

何か文句をつけられるかと心配したが、ビシッと先輩風を吹かせて、少年はそんな事を言った。


「彼は人のお世話が大好きな幸太君です。この私に煽り対応ができる、肝っ玉ボーイです」

ひそっと峰子先生が背後から話しかけてくる。

「それは凄い子ですね」

言ってしまってから、結構失礼な事を言った事に禅一は気がつくが、峰子先生は気に留めた風もない。

「五歳という若さで、三人兄弟の長男を務める、生粋のお兄ちゃんです。多少やんちゃで調子にのりやすいのが欠点ですが、とても優しい子です」

色々ツッコミを入れたい説明であったが、禅一は何とか無言を守り、彼女の言葉に頷く。


「こい!おれがいろいろおしえてやる!」

「あっ!!」

少年に引っ張られて、禅一から離れてしまったアーシャは、不安そうな顔を見せる。

「ついて行きましょう。常にそばにいるというアピールするんです」

そう促されて、禅一は峰子先生と一緒にアーシャの後を追う。

「ここからのぼるんだぜ!」

パンパンと手すりを叩きつつ、幸太少年はアーシャを導く。

ちゃんと手すりを持つように指示する所が、中々良いお兄ちゃんである。

「きをつけてわたるんだぞ!」

登った先にある吊り橋でも、アーシャを振り返って注意してくれている。

しっかり手を握って、万が一に備えてくれているのも、微笑ましい。


下から見上げていたら、アーシャと目があったので、禅一は手を振る。

するとアーシャは嬉しそうにブンブンと手を振りかえしてくれる。

「おまえのにーちゃん、こえーな!くまみてぇじゃん!」

それを見た幸太少年は、容赦のない感想を、遠慮のない音量で述べる。

「……すみません。後で、悪口を言う時は声を落とすように指導しておきます」

峰子先生がフォローを入れてくれるが、どちらかと言うと、そのフォローの方が鋭利な切れ味を持っている。

子供は悪口のつもりではなく、素直な感想を述べているだけなのだ。


アーシャはニコニコと笑いながら禅一を指差す。

「ゼン」

紹介してくれるらしい。

「へ〜〜〜ゼンか!おれはこーただ!こーた!」

が、幸太は禅一の名前はどうでも良かったらしい。

波に乗って、ちゃっかり自己紹介している。

「……こーた?」

アーシャがそう呼ぶと、ちょっと照れ臭そうに、しかし嬉しそうに幸太は笑う。

「コータ、アーシャ」

アーシャも自己紹介するが、

「あーさか!へんななまえだな!」

あまり通じなかったようだ。

「後でアーシャちゃんだと訂正しておきますね」

再び峰子先生のフォローが入る。

能面顔だが、気遣いをする人のようだ。


「あーさ!すべるぞ!」

幸太少年は元気に宣言する。

「こわくないぞ!おれがしたでまっててやるからな!」

流石、お兄ちゃんだ。

しっかりとアーシャの両手を握って、勇気づける事を忘れない。

禅一は感心して見ていたが、隣の峰子先生は眉を顰めている。

「良くないですね。彼のテンションが上がっています。『ええとこ見せたろう』メーターが上がっている気がします」

彼女がそう言った瞬間、幸太は大きく飛んで、勢いを付けて滑り台に飛び込む。

「失礼」

そう言うと、峰子先生は素早く滑り台の終点に移動する。


「あぁぁぁぁっ!」

物凄い勢いで幸太少年は滑り降りていく。

「アーシャ、ゆっくり……」

禅一は声をかけようとしたが、

「へ〜」

と感心するように言ったアーシャも、元気よくジャンプして滑り台に飛び込んでしまった。

「ひゃ〜〜〜!!」

アーシャもまた、凄い速度で滑り始める。


「うあっっっ!」

「次っ!」

凄い勢いで出てきた幸太をキャッチして、峰子先生は素早く横に移動する。

指示を受けた禅一も、急いで滑り台の出口に立ち、リュージュの選手のような姿勢で、シュポンと排出されてきたアーシャを受け止める。

「ほわっ!!」

滑空すると同時に体を丸めたアーシャを、禅一は掬い上げる。


「幸太君、小さい子に危険な滑り台の使い方を教えてはいけません。また、あなた自身も怪我をするような事をしていけません」

先に出てきた幸太は、峰子先生に叱られて、ちょっと気まずそうな顔をしている。

禅一はため息を吐きながら、アーシャをその横に並べる。

「コータ」

アーシャは幸太に笑いかける。

「二人とも、滑り台は飛び込むんじゃないぞ」

そう注意して、少ししょげ気味の幸太と、状況がよくわかっていないアーシャの頭を、禅一は撫でる。

幸太はびっくりした顔で禅一を見上げた後に、へへへっといかにもガキ大将のような笑みを見せる。


「あーさ!つぎはぶらんこだ!」

立ち直りが恐ろしく早い。

幸太は笑ったと思ったら、アーシャの手を引いて走り出した。

「すみません。彼は気持ちの切り替えが早過ぎて……大人には着いていけない速度で生きているんです」

峰子先生はフォローになっているのか、なっていないのか、わからない事を真顔で告げてくる。


「まえにいれてやるよ!」

そう言って幸太少年はアーシャに順番の前を譲っている。

先ほどから面倒を見てくれているし、拙いながら、気を遣ってくれているのがわかる。

「にじゅっかいこうたいなんだ!」

そんな説明をするだけして、アーシャからの返事を求めていない所も、言葉が喋れないアーシャには有難い。

禅一から離れられなかったアーシャを連れ出してくれたし、友達になってくれるなら心強い相手だ。


「多少やんちゃで調子にのりやすいですが、とても良い子なんですよ。優しくて面倒見が良いから、みんなに好かれていますし。多少やんちゃで調子にのりやすいですが」

禅一の内心を読んだかのように、隣の峰子先生は力強く頷く。

(……普段手を焼かされているんだろうなぁ……)

『やんちゃで調子にのりやすい』を妙に強調する彼女に、禅一は苦笑する。

そういえば禅一も幼稚園で先生にマークされる存在だった。

きっとこんな感じだったのだろうなと、当時に思いを馳せる。


「あーさ!」

目の前では順番が回ってきたアーシャを、幸太が導いてくれている。

「こーするんだぜ!」

そして地面を大きく蹴って、ブランコに飛び乗る。

中々の運動神経だが、アーシャにはあまり真似してほしくない乗り方だ。

「んっ!」

アーシャも同じようにやろうとするが、いかんせん、足が短い。

彼女なりに勢い良くブランコに乗ったようだが、揺れ幅は一メートル程度で、人生に疲れた顔でブランコに乗っているサラリーマンレベルだ。

「ふおおおおおっ!」

しかしそんな状態でもアーシャは興奮している。

大きく見開かれた瞳が彼女が楽しんでいる事を語っている。

そんなアーシャを『まだまだだな』とでも言うような顔で、幸太少年は見ている。

「あーさ!みろ!」

そして彼は、お見本とばかりに足を動かして、ブランコを漕ぐ。

「ふぁぁ〜〜〜!!」

そんな幸太をアーシャは尊敬の眼差して見つめる。


「あぁ……まずいですね。素直なリスペクトの視線に、『ええとこ見せたろう』メーターが再び上昇しています」

二人の様子を見守っている、峰子先生は由々しき事態だと言いたげな口調だ。

「とうっ!………ほっ!!」

子供用の低いブランコですら、つま先しか地面に着かないアーシャは、上手くブランコを動かすことができず、相変わらず草臥れたサラリーマンレベルから脱却できない。

それに対して、幸太少年のほうはぐんぐん速度を増して行っている。


「……幸太君、打ち上がりそうな角度まで行っていますけど」

「……止めた方が良さそうですね」

「あ、俺がやりますよ」

「有難うございます。しかし子供を守るのは我々の仕事ですから」

そんなやりとりをしながら、ブランコの周りを囲む柵を、禅一たちが超えた時、

「「「にーーーじゅうーーー!!!」」」

交代の合図である二十がカウントされた。


最高潮に達したブランコの高さと速さ。

しかし急いで降りなくてはいけない。

新入りに良い所を見せることに夢中になっていた幸太少年は、そんな状態に気が付いて慌ててしまったらしい。

上昇中に地面の方を振り向いたせいで、右手が鎖からつるんと外れ、遠心力に打ち上げられた体が座席から離れてしまう。

咄嗟に禅一は少年を確保するために走る。

禅一と少年の間には、ブランコが入る。

右手でブランコを払って、左手で少年を確保する。

「あぁぁぁぁ!?」

そう思っていたら、何と禅一と少年の間に、ピョコンと小さな影が入り込んだ。


四股を踏む力士の如く、腰を落として手を広げたアーシャだ。

受け止める気満々の構えだ。

冗談ではない。

身長的には二十センチも差はないが、圧倒的に少年よりアーシャの質量が小さい。

跳ね飛ばされて終わりだ。

「くっ」

禅一は咄嗟に右足に力を込めた。

左手にアーシャ、右手に幸太を受け止めて、背中でブランコを受け止める。

そう思ったが、アーシャと幸太の衝突の方が早い。

しっかりと幸太がブランコの鎖を持っているから、ブランコと彼の間に体を捻り込めない。

(駄目だ……!!)

極度の集中状態、いわゆるゾーンに入っていた禅一は、間に合わない事を悟った。


しかしスローモーションで見えていた幸太の落下が、一瞬ストップした。

そして不自然にブランコの軌道が曲がる。

(間に合えっ!!)

驚くよりも前に、禅一は跳んだ。

アーシャと幸太に手が届き、それぞれの腕に彼らを抱き込む。

「ふっ!」

背中に来ると思っていた衝撃は来なかった。

着地しながら背後を確認すれば、高々と足を跳ね上げて、ブランコの座面を蹴り飛ばしている峰子先生がいた。

ただの保育園の先生とは思えない、素晴らしい角度の蹴りだった。

打ち上がった後、不規則な動きで落ちてくるブランコを、片手で軽々と受け止めた腕力と反射神経も、只者ではない。


「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

危機が去った。

周りで大騒ぎをしている園児たちの声を聞きつつ、禅一は大きく息を吐いた。

絶対間に合わないと思ったが、彼の両腕には、ポカンとした顔の幼児が、それぞれ抱っこされている。

「怪我はないな?」

双方は呆然としているが、異常は見受けられない。

「あっ、お、おれっ」

ハッと意識を取り戻すと同時に、幸太の目には、じわりじわりと涙が溜まり始める。

安心すると同時に、遅れて恐怖がやってきたのだろう。

そんな少年の頭を、アーシャの小さな手が撫でる。

幼児にありがちな、力いっぱいの撫でではなく、なぐさめるような、慈愛に満ちた手つきだ。

その手に導かれるように、彼の目の中の涙はかさを増し、流れ落ちる。


「お手間をおかけしました。園児の安全確保にご協力ありがとうございます」

ブランコを戻した峰子先生は、母親譲りなのか、美しいお辞儀を見せる。

そして彼女は、禅一にしっかりとしがみついていた幸太をペリッと剥がして回収する。

「傷一つなくって良かったですね」

「さだこせんせい~~~」

「貞子ではなく峰子です。教育的指導をお望みのようですね」

「うぅ〜〜〜おれ、メイせんせいがいい〜〜〜」

「泣きながらも太々しいチェンジを要求してきますね。そんな君にはブランコの安全な乗り方について、峰子のスペシャルコーチングをして差し上げます」

「おこるきだ〜〜〜」

「怒りません。二度と危険な事をする気にならないよう、しっかりお話しするだけです」

「やっぱりおこるんだ〜〜〜」

アーシャの友達候補は、泣きながら連行されていく。

あちらは言葉が通じるので、お説教も思いのままのようだ。


禅一は自分の腕の中に残った問題児を見下ろす。

アーシャは泣いているお友達を心配そうに見送っている。

「アーシャ、あんな時に受け止めようとするなんて無茶だぞ」

通じないとわかっていても、お小言が口から飛び出す。

禅一はアーシャのおでこを人差し指でつつく。

「???」

勿論、アーシャは不思議そうな顔をするだけで、通じるはずもない。


この子は危うい。

向こうみずに、危険に飛び込んでしまう。

禅一の時だって、常人には入ることすらできない、禁域に迷わず飛び込んできた。

しかし『自分の安全をまず第一に』なんて言葉以外で教えられるはずがない。


他の子供たちのように元気に育ててやりたい。

友達も作ってやりたい。

きっと保育園での生活は彼女の大きなプラスになる。

言葉だってきっと保育園に入れたほうが早く覚えるに違いない。

しかしそれらを思っても尚、心配が先立つ。

目を離すと大怪我をしてしまいそうだ。

「…………はぁ〜〜〜〜」

正解のない問題に、禅一は頭を悩ませる。


あの峰子先生の対応速度を見たら、アーシャを守ってくれそうだと思えるが、数多くいる園児の中で特別扱いはしてもらえないし、彼女は心配になるレベルの変わり者だ。

今も何故か桜の大木に、最敬礼をしている。

「ゼンッ!チビッ!」

そこで譲の声がかかる。

彼は貰った書類が入っているであろう、茶封筒を振っている。


禅一はアーシャを抱えて、譲に合流する。

「どうだ?チビは馴染めそうか?」

期待を込めて彼は聞く。

禅一は一瞬、躊躇ったが、

「一名、友達になってくれそうな子がいた」

正直に答えた。

譲は意外そうに目を見開く。

「へぇ、禅の圧力に負けずに近づいてくるとは、中々骨のあるガキがいたな」

「………俺の圧力って何だよ……」

「擬人化された威圧感の塊みたいな奴が、今更それを聞いてくるか?」

「……擬人化された威圧感……」

がっくりと肩を落とした禅一に、ニヤッと笑って譲は門に向かって歩き出す。


「このチビには怖いバックがいるとわかれば、いじめてくるガキは、いなくなるだろうと思って、禅を行かせたんだけど、見所のあるガキがいて良かったな」

「お前な……俺の影響でアーシャに友達ができなくなったら、どうする気だったんだ……」

「虐められるよりマシだろう?良くも悪くも子供は正直だから、異物が混入したら弾き出そうとするからな」

譲は涼しい顔で、アーシャをくるくると指さす。

目の色が違う、肌の色も違う、痩せ細っている、言葉も通じない。

保護者が祖母しかいないと言うだけで、虐めてこようとする奴らがいたくらいだから、譲の心配は最もかもしれない。

しかしそれを防ぐために、禅一と一緒に、アーシャを園児たちで賑わう園庭に送り出したとは、相変わらず腹黒い。


門を開きながら、園庭を振り返り、譲はニヤリと笑う。

「ま、友達もできそうなら、ここで良いな。家から近いし、施設もちょっと古いけど清潔だし、園長もこちらの事情を汲んでくれるようだし……ちょっと弱ってるが、土地も中々良い」

「土地……?」

「子供に良い土地って事だ。ま、細かいことは後で良いだろ。飯食って帰ろうぜ」

聞き返したが、譲は適当にはぐらかしてしまう。


禅一はキツい首元を引っ張る。

「飯は家で着替えてからにしないか?俺はジャケットとか着慣れてないから、これで飯を食うのはちょっと……」

いつもの服で行こうとしたら、『舐められねぇ身嗜みにしろ!』と譲に大目玉を食らって、譲コーディネイトの服に着替えさせられたのだ。

しかも禅一の服はどれも動き易さをメインに買い揃えていたので、全NGを出されて、譲の服を着せられたので、狭くてたまらない。

身長は大差ないのだが、禅一に比べて譲は薄いし、体にピッタリと沿うジャケットは伸び縮みしない生地で、圧縮されている気分になる。

「あのなぁ……人は見た目が九割なんだぜ。『きっちり』してるって印象が根付くまでは、ちゃんとした服装で送迎しろよ」

そう言う譲はお洒落でありながら清潔感と『きっちり』感を出している。

着慣れているからジャケットも良く似合っている。

「えぇ……」

そんな服ではリラックスして食事すら楽しめない禅一は、渋い顔になる。

「チビのために隙を作るなって言ってんの。この際だから、禅の服もちゃんとした奴を買い足すぞ」

恥も外聞も気にしなくて良いなら、ジャージが一番好きな禅一の顔は、ますます渋くなるが、『ちゃんとした保護者役』をこなすためなら仕方ない。


「ゼン?」

大丈夫?とばかりに見上げてくるアーシャを、心配するなとに、禅一は撫でる。

色々と悩むところも、訂正するところもあるが、保護者生活は始まったばかりだ。

服装も合わせ、少しの間は手探りで試行錯誤を繰り返すしかない。

「お互い、がんばろうな」

そうアーシャに言って、禅一は譲の後に続いた。

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