3.聖女、満喫する(前)
神の国のスカートは、とても軽くて、風に
着ただけで、心がフワフワする。
でもズボンも凄く良い。
ピッタリと足を包んでくれて、守られている感じがするし、何より裾を気にしないで動ける、この自由な感じが堪らない。
行動を妨げられない分、機敏に動き回れる気分になる。
(神の国ってホントに素敵)
ズボンを履いても誰も文句を言わない。
(ズボンに、この靴!どこまでも歩けそう!)
どんな硬い地面でも柔らかく歩ませてくれる、凄い靴だ。
(このバリバリってなるヤツが凄いのよね)
革靴なんて足に沿わないのが当たり前で、長時間歩く時は、わざと濡らして、足の形にピッタリと張り付くように乾かして使ったものだ。
しかし神の国の靴には、前面にベルトが着いていて、しっかり留めて、足を包むことができるのだ。
しかもこのベルト、着脱が凄く簡単なのだ。
ベルトの先についている硬い繊維は、軽く貼り付けただけで、しっかりと下の布に繋がるし、少し力を入れたら、簡単にバリバリと音を立てて剥がれる。
(こんな便利な物、誰が作ったのかしら)
何度もバリバリやって、つけたり外したりしながら、アーシャは感動する。
「アーシャ」
家の入り口に座って、そんな事をやっていたら、目の前に大きな手が差し伸べられる。
「……ふあぁぁ」
何故かゼンとユズルの二人は少し風変わりな
いつもはピッタリと体に沿う服を着ないゼンは、少し窮屈そうで、ユズルは生まれた時から貴族でしたみたいな顔をして着こなしている。
(馬に乗るのかしら?)
神の国に来てから馬なんか一回も見た事はないし、その
外を走っているのは『くるま』ばかりだし、彼らの声しかしない。
(でもゼンが馬に乗ったら凄く映えそうだわ。大きい槍なんか持ったら、本当に戦神様のように見えると思うわ)
アーシャは思わず想像するが、ゼンは乗馬服より甲冑の方が似合う気がする。
更に言うなら、整えられた馬場でお上品に乗るより、草原を走る方が彼らしい気がする。
そんな事を考えていたら、彼らは普通に歩き始める。
『くるま』にも乗らず、この前、『すーぱー』に行った道を三人で歩く。
(もしかして……もしかして……)
アーシャの目は輝く。
これは三人で『すーぱー』にお買い物に行くのではないかと、アーシャの胸は高鳴る。
「…………?」
しかしゼンたちは『すーぱー』に通じる大通りに出る前に、違う小道に入る。
(………すーぱーじゃなかった……)
ちょっとがっかりしてしまうが、すぐにアーシャは気を取りなおす。
(でも三人でお出かけ!嬉しい!)
三人で歩くなんて、まるで家族のようではないか。
ゼンに手を引いてもらいながら、アーシャの足は弾む。
「がーどりぇーりゅ、はくしぇん、でんしぇん!」
そしてこの前の散歩の時に教えてもらった、神の国の言葉を、鼻高々にご披露する。
教えてもらった事はちゃんと覚えているのだ。
「………はくせん?」
「はくしぇん」
しかしそれを聞いたユズルは首を傾げる。
それにアーシャが頷いて答えると、彼は変な顔をする。
ユズルはポンポンと地面を足で蹴る。
「ど・う・ろ」
ユズルはニヤリと笑う。
「……どうりょ?」
地面は『はくせん』のはずなんだけど、と、アーシャが首を傾げると、もう一度ユズルは足で地面を叩く。
「あ・す・ふぁ・る・と」
「あしゅ………?」
続けて、またユズルは地面を足で叩く。
「じ・め・ん」
「???」
アーシャが戸惑って、首を傾げれば傾げるほど、ユズルは愉快そうに笑う。
「ろ・そ・く・た・い」
「???????」
「……ユズル!」
また違う事を言い始めたユズルを、ゼンが遮る。
愉快そうに笑うユズルを、何やらゼンが怒っている。
「????」
結局の所ユズルがアーシャに教えようとしたものは何だったのか。
わからないアーシャは、首を傾げたまま、仲良く喧嘩する二人を見守る。
多少の言い争いはあったが、どうやら、神の国は同じ物でも色々な呼び方があるのは理解できた。
空も『でんせん』『くも』『そら』など色々あるようだ。
神の国の言葉を覚えようと思っているが、これは中々手強い。
言語は挨拶から覚えると良いと、誰かが言っていたが、それすらまだよくわかっていない。
まだ一番重要な感謝の言葉すらわからない状態だ。
体力をつけること、言葉を覚えること。
これがアーシャの目下の目標なのだが、どうやって達成すれば良いのか、手探りもできていない状態だ。
道が大きくなると、ゼンはアーシャを抱っこする。
大きい道には面白いものが沢山ある。
恐らくこちらの文字が書いてあるであろう、色鮮やかな立札。
一定間隔で植えてある、葉っぱのない木。
城かと思うほど広くて大きい建物。
鐘塔よりも高い、登ったら、空に手が届きそうな高い塔。
「わぁぁぁ!」
アーシャは凄い物を見つけて、声を上げる。
何と川の上にではなく、道の上に橋が架けられているのだ。
ビュンビュンと我が物顔で道を走る『くるま』の上に橋が架かっていて、その上空の橋へ上る階段がある。
下を『くるま』たちが走り抜けるために、なんと橋桁が始まりと終わりにしかない。
小川を渡る程度の短い橋なら、橋桁なしも可能だろうが、かなり長い橋なのに、支えなしに折れないのが不思議だ。
橋桁がなくても成り立つ橋はあるが、その場合、ロープで吊ったりしなくてはいけないはずなのに、それも無い。
「打錠嬰低恕うか」
アーシャがあまりに興味津々に見ていたせいか、ゼンは笑って、その橋に上ってくれる。
「ふわ〜〜〜〜」
下から見たら、そんなに高そうに見えなかったのに、上って見ると結構高い。
道の遠くまで見える。
(やっぱり城壁がない)
そこでアーシャは改めて周りを確認する。
道はどこまでも続いていて、どれほど見回しても、街を囲う壁は見当たらない。
(街がどこまでも続くなんて有り得るのかしら……?)
アーシャには街がどこまでも続くなんて、理解不能だ。
城壁がないなら、モンスターや盗賊、敵兵はどうやって防いでいるのだろう。
「あわわっ!!」
不思議に思って伸び上がっていたら、橋が大きく揺れる。
下を一際大きな『くるま』が通過した影響だろうか。
慌ててゼンの肩にしがみついたら、『大丈夫』とばかりに、立ち止まったゼンが支えてくれる。
「おおおおっ」
ゼンが歩いている時は気が付かなかったが、前を行くユズルの振動だけで、橋は結構、揺れている。
堅牢な石橋しか渡ったことのないアーシャにとって、揺れる橋は怖い。
下に落ちそうだ。
「ゼン〜〜〜〜」
思わず情けない声が出てしまう。
「よしよし。蓉催錘糖替」
ゼンはアーシャの背中を宥めるように撫でながら、大股で歩いて、橋を渡り切ってくれる。
情けないと呆れられても仕方ないのに、ゼンはやはり優しい。
それからは橋を使わずに道を渡ってくれた。
「ううううう」
しかしこれも怖い。
どう言う理屈なのかわからないが、『くるま』たちが一斉に止まるタイミングがあるのだ。
それを見計らって対岸に行くのだが、ブルンブルンと鳴いている『くるま』の前を歩くのは怖すぎる。
「あぁぁぁぁ」
しかも時々、ぶつかる直前まで進んでくる『くるま』がいるから、恐怖だ。
こんな踏ん張りの効かない体では、ゼンやユズルを『くるま』から守ることなんて出来ない。
ユズルは命知らずで、どんどん前を行くので、何度『くるま』に跳ねられてしまうと肝を冷やしただろう。
せめてもと、ゼンの上半身にこびり付いて、生きた鎧になっていたが、何故か苦笑されてしまった。
『すーぱー』に行った時は対岸に渡る必要も無かったので、わからなかったが、神の国の道は怖い。
綺麗で、整然としているが、『くるま』が怖過ぎる。
(いけないわ……あんな幼児も道を歩いていると言うのに……!慣れなくっちゃ!!)
何度もそう思ってしっかりと体を立てるのだが、大きい『くるま』や凄い速さの『くるま』、鳴き声が妙に大きな『くるま』が横を通るたびに、ゼンの腕の中に隠れてしまう。
(私、神の国でやっていけるのかしら……)
何度も繰り返し、すっかり自信がなくなった頃だった。
「アーシャ」
トントンと、ゼンがアーシャの肩を叩いた。
そして顔を上げたアーシャに、指を差して示す。
「?」
アーシャはその指の先を追う。
「!」
そして目を見開いた。
格子状に組まれた柵の中を子供たちが走り回っている。
(あれは……滑り降りる脚立!?)
広い庭の中でアーシャの目を引いたのは、鮮やかな原色が惜しみなく使われた建造物だった。
登り梯子や、足場らしい石が取り付けられた板にロープを垂らしたもの、妙にとんがった屋根のようなもの、小さなドアなど、全く脈絡なく意味不明なものが寄せ集められた物なのだが、その両側に滑り降りる台がついているのだ。
(凄く大きい上に、渦を巻いているわ!!)
アーシャは身を乗り出す。
原色の建造物に登った子供たちは、両側からスーッと滑り降りるのだが、どちらも、この前アーシャが滑ったものより大きい。
しかも片方は螺旋を描いて、くるくると回りながら滑り降りるようになっている。
最早脚立ではあり得ない形状だが、アーシャの胸は高鳴る。
他にも簡素な骨組みから鎖を垂らし、その鎖に座るための板を括り付けた物がある。
(ゆらゆらしているわ!凄い!面白そう!)
小さい子は板に乗って、ゆらゆらと前後に揺れているだけだが、端の男の子はビュンビュンと速度を上げて風を切っていて、実に気持ちよさそうだ。
柱にくくりつけた鎖が、振り子の要領で、前後に動くだけの簡単な構造なのに、凄く面白そうだ。
(良いなぁ……)
しかし遊んでいるのは、どれも小さな子供たちだ。
大人……否、ゴブリンは入っていけない。
そこまで考えて、アーシャは気がつく。
この施設は異様なまでに子供が多い。
どこを見ても子供、子供、子供で、ほとんどが年端の行かない子供ばかりで、所々に大きくなった少女がいる。
(孤児院……なのかしら?)
子供だらけの施設と言えば、アーシャはそれくらいしか思いつかない。
しかしアーシャの知る孤児院とは全然空気が違う。
人の世では、大抵の孤児院は善行の一環として、教会が運営しており、儲けがないので、子供たちの扱いはぞんざいで、馬小屋のような所に詰め込まれていたのだが、目の前の施設は二階建ての、柔らかな色合いと曲線を持った建物で、清潔感があり、とても立派だ。
子供たちに与えられる食糧は乏しく、『ギリギリ生き残れる』程度で、訪問した際は精一杯神力を注ぎ込んでやらないと、死んでしまうのではないかと不安になるくらいだったが、目の前で動き回っている子供たちは、見ていて微笑みが溢れそうな程、丸々としていて元気だ。
着る物も薄汚れた麻の、最早ボロ布と言って差し障りない物で、冬前には凍死しないようにと、何とか古着を集めて寄付していたくらいだったが、ここの子供たちは色鮮やかで、形も様々な、フカフカとした上着を着込んでいる。
『死んでいない』状態ではなく、全ての子供が玉のように大切にされ、幸せなのが見てとれる。
(神の国の孤児はとても大切にされているのね。本当に素敵な国だわ)
アーシャは感動すると同時に、人の世界の子供たちも、ここのようであったならと、悲しくも感じてしまう。
「???」
そんな感傷に浸っていたら、施設の中から、年嵩の女性が出てきて、にこやかにユズルとゼンに話しかける。
ゼンとユズルもこの女性を知っているらしく、頭を下げて挨拶を返している。
「あら?範脆西粁アーシャ詣蝦粁措。こ・ん・に・ち・わ」
女性は目元の皺を深くして、アーシャにも声をかけてくれる。
「こ……こんちゃ……?」
頭を下げられたので、慌ててアーシャも真似をして頭を下げると、女性の皺は益々深くなる。
何と言えば良いのだろう。
老女は慈愛の象徴のようだ。
無条件に信じたくなるような、甘えたくなるような、とんでもない包容力と引力を感じる。
ゼンの胸の辺りまでしかない小ささだが、そこに居るだけで安心感が湧いてくるようだ。
ゼンが巨大で堅牢な壁のような安心感だとすると、老女はいつでも逃げ込める毛布のような安心感だ。
存在感はないのに、何かあったら包んで、外界から守ってくれる気がする。
「アーシャ符砦潮」
「ぴっっ!!」
老女の癒しのオーラを全身で感じ取っていたアーシャは、突然かかった声に驚いて、ゼンの腕の上で少し飛び上がってしまった。
見れば、老女の斜め後ろに真っ黒な女性がいた。
(あ……あれ?いたっけ?そこに人はいたっけ?)
バクンバクンとアーシャの心臓は騒ぐ。
まるで老女の影から染み出したようだ。
真っ黒な女性とは言っても、日に焼けているとか、そう言う話ではない。
磨き抜かれた
迷いなく黒インクで引いたような、キリリと上がった眉。
存在感のある、長いまつ毛に縁取られた、切長の、光さえも吸い込みそうな黒い目。
雪の白さを思わせる、肌にそれらのパーツが並んでいるので、妙に黒が強調されているのだ。
可愛らしいピンクのエプロンが、彼女の体のほとんどを覆っているのだが、『黒い女性』と言ってしまう、圧倒的黒の存在感だ。
女性は絵筆でサラリと書いたような赤い唇の両端を上げる。
「…………」
何とも妖しい、アルラウネの微笑みのようだ。
少し細くなった目も、魂を引っこ抜かれるような迫力がある。
(でも……少しだけど神気を纏っている……悪い人じゃない……はず)
ゼンやユズルのように全く濁りのない神気ではないが、澄んでいる。
「頬烈彫燈柿。冒沌賢蓉靴祷脱頬お替迄岸胸鯖」
すっと彼女から手を差し出される。
「???」
よくわからないが、他の誰でもないアーシャに向かって出されたようなので、アーシャは差し出された手を握る。
握手を求められたと思ったので、握ったのだが、触れた瞬間、何故か女性の目は僅かに見開かれる。
(あれ?違ったかな?)
慌てて離そうと思ったのだが、次の瞬間には、しっかりと手を握り返され、大きく上下に振られていた。
彼女の口の両端は更に吊り上がり、更に笑みが怪しくなっている。
「柿冒沌賢蓉靴祷脱。み・ね・こ・せ・ん・せ・い」
握っていない方の手を彼女は胸に添える。
きっと『ミネコセンセイ』が彼女の名前なのだろう。
アーシャは大きく頷く。
「みにぇこしぇんしぇい、アーシャでしゅ」
今度こそ、ちゃんとした名乗りを返そうと思ったのだが、やっぱり噛んでしまった。
ゴブリンの舌はとにかく滑舌が悪い。
「ふぐっ!!」
聞いた瞬間、ミネコセンセイは顔を伏せてしまった。
視界の隅にいるユズルもブッと吹き出している。
アーシャは頬に熱が集まるのを感じる。
しかし直ぐにミネコセンセイは顔を真っ直ぐに上げる。
そしてニヤッと笑って頷いた後、老女の後ろに下がった。
別に笑ったわけではなかったのか、気を使って表情をすぐに改めてくれたのかわからないが、悪い人ではない。
(滑舌も練習次第で何とかなるのかしら)
アーシャはしょんぼりしてしまう。
そんなアーシャを他所に、ユズルやゼンは、老女と女性に導かれて、孤児院に入る。
一体彼らは孤児院に何の用事なのだろうか。
ゼンもユズルも小さな荷物は持っているが、寄付の品などを持っている様子はない。
寄付でもなければ、孤児院に何の用事だろうか。
孤児院は孤児、つまり、身寄りのない、生活力の無い者が入る所で、二人には縁がなさそうだ。
そこまで考えてアーシャは止まってしまった。
『身寄りがない穀潰し』に物凄く身に覚えがある。
「……………」
アーシャは不安の暗雲が、自分の胸に広がるのを感じる。
それと同時に、ゼンの服を握り締めてしまう。
せっかく皺一つなかった服に皺が寄ってしまうが、手の力を緩める事ができない。
ミネコセンセイが出てきた時よりも、心臓が強く打っている。
「アーシャ?」
優しい声が、彼女の名前を呼ぶ。
アーシャはその声に顔を上げる事ができない。
ゼンを信じていないわけではない。
しかしアーシャには神の国の決まり事が全然わからない。
神の国で身寄りのない者は、こういう施設に入るのが当たり前で、幸せな事だとされているのではないのだろうか。
ここの孤児院の子供たちは、凄く幸せそうにしている。
聞こえるのは明るい声ばかりだ。
もしかしてゼンはアーシャの幸せを願って、ここに入れようとしてくれているのではないか。
嫌だ、と、言う権利はアーシャにはない。
何せ、今のアーシャは一日に三回も美味しいご飯を食べて、惰眠を貪っている以外、何もしていない。
完全なるお荷物だ。
(でも……でも……)
アーシャは歯を食いしばる。
ゼンと一緒がいいと言うには、自分は無力過ぎる。
できることが何一つ思い浮かばない。
何かできることを探そうにも、アーシャには神の国の知識が無さすぎる。
「アーシャ」
不安で震えそうな体を、大きな腕が抱き締めてくれる。
頭にもゼンの頬が当たって、温かい。
ゼンの胸にくっついた耳から、彼の鼓動が聞こえる。
問題が何一つ解決したわけではないが、ホッとアーシャの口から息がこぼれる。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
ゼンがゆっくりと、そう、アーシャに語りかける。
胸から直接聞こえる声は、体全体に染み入るようだ。
アーシャの体から力が抜けると、大きな手が背中を撫でてくれる。
恐る恐るゼンを見上げると、彼は心配そうにアーシャを見つめている。
何一つ解決したわけではないが、その黒い目を見つめるだけで、心のさざ波が治まっていく。
(今は役立たずだけど、絶対できることを見つけてみせるから)
今は穀潰しの最弱モンスターだが、絶対に後から恩返しをしてみせる。
だから今はワガママを言いたい。
どんな幸せな場所よりも、ゼンと一緒がいい。
(置いていかないで)
アーシャは精一杯の願いを込めて、ゼンにしがみついた。
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