24.幼児、『奇跡』ばかり起こす

「結構騒ぎになったな」

他人事のように禅一は呟く。

最初に駆けつけたパトカーは一台だったが、応援依頼が行ったようで最終的に三台も集合してしまった。

ついでに禅一が殴った二人を運ぶために救急車も二台やってきて、一時、病院裏の青空駐車場は騒然となった。

地方のニュースは小学生が老人施設を訪れたとか、お手柄中学生に表彰状が送られたとか、極めて平和な話題しか流れないような町なので、物々しい雰囲気に、驚いたように周囲の住人たちも出てきて、興味津々に覗き込んでいる。

「『結構な騒ぎ』を起こした奴が、何を関係ないみたいな事言ってんだ」

事情聴取から戻ってきた譲は渋い顔をする。


二階の窓から一連の暴挙を見ていた看護師と、譲が現状の説明をしてくれたので、禅一は補足するだけで済んだ。

今は良くわからないが、警官たちが写真を撮ったりしている。

「俺は騒ぎを起こしてないぞ。アーシャを保護しただけだ」

「……お前が考えなしに暴れるからだろ!大体三階から飛び降りるなんて正気の沙汰じゃねぇ!!」

失礼な、と、禅一は口を曲げる。

「ちゃんと考えてるさ。ボンネットに飛び降りたのは、衝突を吸収するように柔らかく作ってあるし、上手くやればエアバッグが開いて自走できなくなるからだ。開かなくても明らかな事故痕がある車は視線を集める。万が一取り逃がしても、追跡がやり易くなる」

自信満々に語る禅一に、譲は大きく肩を落とす。

「俺はどこに着地するかを考えろなんて言ってねぇよ。まず三階から飛ぶな。五体満足に動けてるのが不思議なくらいだぞ」

「あぁ。それは俺もラッキーだと思った。どっちかの足は折れるかなと思ったけど……昨日から妙に調子が良いんだよな」

「調子が良いだけで骨折回避なんて……」

『あるわけない』と言いかけて譲は止まる。

「……まさか小松菜?」

「それ。俺も疑ってる」

二人にしか通じない内容だが、それでも騒がしい周囲を気にして声を落とす。


「マジか……マジでパワーアップアイテムなのかよ……」

「まぁ単に運が良くて、たまたま折れも捻りもしなかったって事も考えられるがな」

ボソボソと話し合う二人に若い警察官が駆け寄ってくる。

「写真を撮り終えたので、回収して結構ですよ」

「有難うございます」

聞いた禅一は頭を下げる。

「妹さん、落ち着いたみたいですね」

「お陰様で。犯人を捕まえてもらったから安全だとわかったんだと思います」

先程まで禅一の服を握り締めて震えていたアーシャは、落ち着きを取り戻したが、泣き腫らした目と、叩かれた顔がまだ痛々しい。


仕事に戻る警官を見送り、禅一はアーシャの砕けてしまった小鳥を拾い集める。

あんなに喜んでいた品を、壊れたからと、ここに放置しては帰れない。

「お前さぁ、それを拾ってどうするんだよ」

砂利の中から破片を拾い上げる禅一に、譲は呆れ顔だ。

「こう……コップとかに入れてお洒落風に飾れるかもしれないじゃないか」

「砕けた玩具なんか飾ったってサイコ風にしかならねぇよ。怖ぇよ」

破片を拾っては胸のポケットに入れる禅一を、アーシャは潤んだ目で見つめている。

左腕でアーシャを抱き、右手で破片を拾っているのだが、彼女はしっかりと禅一に掴まってくれているので、全く邪魔にならない。

「ちゃんと持って帰るからな」

そう言って、胸ポケットを叩くと、アーシャの目は更に潤む。

「……じぇん……!!!」

嬉しい、嬉しいと言う様に、アーシャは禅一の首にしがみついて、頭を擦り付けてくる。

アーシャがこんなに喜んでくれるなら、かけら一片残すわけにはいかない。

「はぁ、もうやだ、この馬鹿親子」

余計に張り切って破片を拾い集める禅一と、感動に震えるアーシャを見て、譲は深々と息を吐く。

そして落ちていたホイッスルを拾って、アーシャの首にかける。


アーシャは大切そうに両手で笛を包む。

そして優しく汚れを払って、恐々、確かめるようにホイッスルに息を吹き込む。

「ぬにゅえいんにぃ!」

そして音が出たら嬉しそうに、ホイッスルに頬擦りする。

一気に二つも壊されてしまわなくて良かった、と、禅一も安堵する。

大人からしたら単なる防犯グッズでも、アーシャにとっては違う。

まるでホイッスルを生きているかのように撫でている様子から、彼女がどれ程これを大切に思っているかがわかる。


「……何か雲行きが怪しいな」

警察官たちを観察していた譲は嫌そうに呟く。

見れば取りまとめと思われる警察官が厳しい顔で、何か指示を飛ばしている。

彼の目は禅一を捉えている。

(まぁ、思ったより力が入ってしまったからな)

運転手の男は、これからの人生変形した顔で過ごさなければならないだろうし、アーシャを捕らえていた男も、骨が折れたというより、潰れた感触がしたのでリハビリが必要になると思う。

しかしやり過ぎと言われても、後悔はない。

アーシャの人生を狂わせるような真似をする輩は、二度と同じ事ができないようにしておきたい。


先程の取りまとめらしい警察官が、禅一たちの方へ歩いてくる。

「詳しく事情聴取したいので、ご同行願いえますか?」

口調は丁寧だが、鼻につく威圧感がある。

禅一を見る目は、犯罪予備軍を見るそれだ。

(まぁ、無理もないか)

車一台大破、二名重傷だ。

誘拐を防ぐためと言っても、治安を維持する側は、ここまでできる人間を野放しにしたくないだろう。

「……ゼン……」

別に恥じることはしていないので、出るとこに出て良い。

そう思っていた禅一だったが、泣き腫らした緑の目に、不安をいっぱいに溜めて見つめられると、弱い。

小さな手が掴む服を降り解ける気がしないし、振り解きたくない。


禅一が対応を迷っていると、後ろからカッカッカとハイヒールの音が鳴る。

砂利の駐車場では歩きにくいだろうに、白衣をはためかせ、石を華麗に蹴りながら現れたのは、小児科の女性医師だ。

「勝手に患者を連れて行ってもらっては困ります」

開口一番に彼女はそう宣言した。

「先生!午前の診察は終わったんですか?」

取り調べに協力しに来ていた看護師に、医師は頷き、『戻って良いわよ』とばかりに手を小さく振る。

看護師は少し迷った顔をした後、小さく頭を下げて帰っていく。


「患者……ですか?同行を依頼しているのは、こちらのお嬢さんじゃなくて、こっちなんですが」

「ええ。彼らです」

無理がある。

禅一も譲もお互いの顔を見る。

とても小児科にかかる図体ではない。

しかし医師は毅然とした態度のまま、あっさりと頷いた。

「失礼ですが標榜なさっているのは、小児科……ですよね?」

「ええ」

確認されても彼女の自信に満ち溢れた態度に変化はなはい。

「十八歳から成人になる、なんて法律ができましたが、私は二十歳までは子供、小児科の患者だと考えております。十代は心身ともに未成熟。私ども小児科医はその未成熟な子供たちを守るために存在しております」

彼女は堂々と言い切った。


禅一と譲はお互いに育ち切った長身を無言で確認し合う。

人混みでも余裕で頭が飛び出す二人だ。

この巨大さを前に、子供と言い切る女性医師は、色々な意味合いで凄い。

「よって、この子たちの健やかなる生活を守る診察を妨げると仰るなら、正式な手順を踏んで抗議をさせていただきます」

「いや……そんな話じゃなくてですね。重傷者を出した事件な訳で……」

「ええ、重傷者が出ましたね。しかし、そこに何の問題が?妹を守るためにたった一人で戦った十代の少年の責を問うと?」

『少年』という言葉に反応して、譲が禅一を指差して、ニヤニヤ笑いを浮かべる。

どう見ても『少年』区別には入らない容姿の禅一は、渋い顔をして譲を睨む。

「相手は大人三人。計画的に車まで用意して誘拐を企てていたんです。一人でも逃せば、妹が誘拐され、どんな目に遭わされるかわからない。……少し力が入りすぎるのは仕方ないことでは?」

医師は下がりかけたメガネのつるを持って、位置を直す。


「………これは計画的な犯行だと?」

「ええ。確信しております。……院内に子供に危害を加えようとする不道徳な者が紛れ込んでいた様です。我が院の手落です」

医師の発言に、少しふざけ合っていた禅一と譲は目を剥く。

「何か証拠を?」

「今から炙り出します」

そう言った、医師の横顔は怒気に満ちている。

「この事も含め、お話しすべきことがあるので、『後ほど人を遣ってほしいといぬいが申している』と上の方に、ご報告頂けますか?それまで彼らの身柄は私がしっかりとお預かりします」

はっきりと宣言されて、警察官は戸惑いの表情を見せる。

ちらりと視線を向けられた禅一は出来るだけ真面目な顔で、警察官を見つめ返す。

無害アピールだったのだが、何故か少しビクリとされてしまい、内心、禅一は傷付く。

「………わかりました。上に報告をあげて、早急にこちらに事情聴取に伺うようにします」

少し考えた後に、警察官は結論を出して、撤収の準備を始める。


過激な事をした自覚のある禅一は安堵の息を吐く。

危うく、誘拐未遂で不安定になっているアーシャと、引き離されるところだった。

そんな禅一に、振り向いた医師は、スッと背筋を伸ばして相対する。

「当院のセキュリティの問題で、大切なお子様を危険な目に合わせてしまい、申し訳ありませんでした」

そして直角に腰を曲げる最敬礼で謝罪を述べる。

腹の前で右手の上に左手を重ねる、素晴らしい姿勢での謝罪に、禅一たちは目を見開く。


何と声をかけるべきか。

「あいっ」

頭を下げる医師への対応を迷っている間に、何を思ったのか、禅一の腕の中のアーシャが医師の真似をするように大きく頭を下げる。

「おっと」

しかし頭に重心のある子供なので、そのまま墜落しそうになって、禅一が押さえる。

その禅一の手の下に白衣を纏った腕も伸ばされていた。

「……………コホン」

お辞儀をした姿勢から、大股を開いてアーシャを落下から救おうと、手を伸ばした医師は、少し恥ずかしそうに、咳をして、スカートの裾を直す。


「………っふ」

禅一はちょっと笑ってしまう。

瞬時に子供の落下を悟り、必死の形相で受け止めようとした彼女は根っからの『小児科医』だ。

「謝罪を受け入れます。……内通者の話、俺も気になっています」

禅一がそう答えると医師は大きく頷く。

「今、院内の看護師は全員建物から出ず、一部屋に集まって昼食を取るように指示しています。これから院内の調査をしますので、三階の特別室でお待ちいただいても?」

確認のために譲を見ると、譲も頷いて同意を示す。

「あ、でも、何か食うもん買って行きたいな」

事件のせいで、もう時刻は昼過ぎてしまった。

アーシャも、もうお腹が空いてきた頃だろう。

「そうだな。すいませんコンビニに行って来ても……」

「昼食は当院でお出しします。お向かいの定食屋さんがデリバリーしてくれますので」

そう言って医師が病院を指差す。


話がまとまり、和やかな空気が流れ始めた時だった。

「ほぇぇあああああ!!!」

突然アーシャが叫んだ。

そしてパンパンと禅一の胸を叩く。

「ゼン!ゼン!!」

「ん?」

一体何を見つけたのか。

いつも色んなことに興味を持つ子である。

そう思いつつ禅一はアーシャを見て、固まってしまった。


アーシャが差し出した手にべったりと血が張り付いていたのだ。

「あぁぁぁアーシャ!!怪我、怪我、怪我、怪我、怪我……」

その小さな手を仔細に見たが、傷口はない。

禅一はアーシャを地面に下ろし、包んでいた自分のコートを剥ぎ捨てて、血がついている箇所を探す。

膝裏から、ふくらはぎの上あたりまで、血がついている。

血の量から言って、大変な大怪我だ。

こんな小さな体から、こんな量が出るなんて大事だ。

確保した時に、顔以外にも怪我が無いか確認しなかった禅一は、己の気の回らなさを悔やむ。


「いや、君のでしょ」

目を皿のようにして傷口を探す禅一に、医師の冷静なツッコミが入る。

その指は禅一の左手を指差している。

「鈍感か」

譲もわかっていたようで、ツッコミが入る。

「……何だ、俺のか」

禅一は大きく息を吐く。

無駄に焦ってしまった。

少し熱を持っているなと思っていたが、車の窓を叩き割ったから、多少の損傷はあるだろうと、あまり気に留めていなかった。

表面を薄く削ると痛いものだが、パックリと神経まで切れていたのか、それほど痛みはない。

この程度の痛みなら、『祭り』で体に入った穢れが暴れる方がよっぽど痛い。


「素手で窓なんか破るからだろ」

「一応石も握っていたし、強化ガラスは強い衝撃が加わると、粉々になって怪我しないって聞いたんだけどな」

ギロリと譲に睨まれて、禅一は弁解する。

しかし譲は更に怖い顔になる。

「怪我しないってのは破片が飛んできた時の話な。直接拳で叩き割ったら怪我しない方がおかしいだろ」

「ま……まぁ、万が一のことを考えて、利き手で割らなかったのは正解だったな」

明るく場を和ませるように言うも、

「利き手で割らなくても大問題よ……ご飯の前に処置をしましょう」

医師にまで眉を顰められる。


ハハハと空笑いしながら立ち上ろうとすると、深刻な顔をしていたアーシャが、彼の左手に飛び付く。

「アーシャ?汚れるぞ?」

アーシャは既に色々な所に血が着いているので、早めに洗ってやらないといけない。

そう言いながら手を離そうとするが、アーシャは小さな手で、しっかりと禅一の手を握っている。

そして大きく息を吸い込んだかと思うと、アーシャは目を閉じた。

「アーシャ?汚れるから……」

そう言いながら、指先から温かい物が流れ込んでいる事に禅一は気がつく。


傷口がジンジンと熱を持つのとは違う。

その熱を包み込むような、柔らかな温かさだ。

(痛みが……消えていく?)

トロリと血に包まれた、ガラスの破片が傷口から押し出されて下に落ちる。

「破片が……」

それを見た医師が呟く。

「「「……………」」」

それ以上誰も声を出せなかった。

恐らく、ここにいる三人ともが、自分達が見ている光景を、信じられないのだろう。


逆再生されているように、奥からどんどん繋がっていく傷口。

溢れる血がどんどん少なくなり、遂には薄皮が張って完全に止まる。

桃色の頼りない薄皮は直ぐに厚みを増し、そこに傷口があったなど信じられない程しっかりとした皮膚になる。

傷の名残といえば、新しく張った皮膚が妙に綺麗な所だけだ。


ゴクン、と、誰かが生唾を飲み込む音がして、呆然と禅一の指を見つめていてた三人の硬直が解ける。

最初に動いたのは医師だった。

「早く処置に行きましょう」

そう言って白衣を脱いで素早く禅一の左手を覆う。

現場には、撤収しきっていない警察官もいるので、消えた傷口を隠したのだ。

「あ、あぁ……アーシャ?行こうか?」

しかし声をかけても、アーシャは目を閉じたまま動かない。


心配して、禅一が彼女の肩を揺すろうとした時。

「っっっっ!!!」

何かに弾かれるように、アーシャが仰け反った。

「アーシャ!!」

揺すろうとした手で禅一は崩れ落ちそうになったアーシャを掴む。

譲と医師がほぼ同時に、アーシャの背中を支える。

「支えていて」

そう言うと、医師は素早くアーシャの状態確認を行う。


「………びっくりするけど、寝ているだけね。………突然寝るなんて普通はあり得ないんだけど……」

脈や呼吸、目の状態を確認して、医師は安堵の息を零す。

言外に『この子は普通じゃないから』と言われた気がして、禅一は複雑な顔になる。

「あの……今見たことは……」

「ええ。貴方の指の状態ね。今からきちんと診て、診断書を書いてあげるわ。とりあえずは移動しましょう」

医師の目が、外で余計なことを言うなと、告げている。

傷は治っていない。

その設定で通すようだ。


アーシャを支えていた譲が、そのままアーシャを抱き上げる。

「あ、俺が……」

「その血だらけの手で触って、これ以上染み抜きの手間を増やすんじゃねぇよ」

代わろうとした禅一に、譲がシッシと手を振る。

「あ!白衣が!!」

言われて気がついたが、手にかけられた白衣にも血が染みている。

「良いわ。白衣は消耗品よ」

そう言って医師はハイヒールを鳴らして建物に入る。

服を消耗品と言える所がすごい。


「……………」

禅一は一見してはわからない、自分の血染めのコートを摘み上げる。

とても『消耗品』と言って捨てる気にはなれない。

「それ、病院で処分してもらったらどうだ?」

しかし譲はあっさりと処分を提案してくる。

「えっ、ちゃんと洗ったら良いだろ!?黒だから血も目立たないし」

「そこまで血が着いたら無理だろ。それ、作業着屋で買ったクソ安いコートだろ?新しいのに変えろよ」

そう言われて、禅一はがっくりと肩を落とす。

作業がし易いように考えられていて、丈夫で動き易いし、ポケットも深くて気に入っていたのだ。

「一応、持って帰って洗ってみる」

禅一は血が染みた面が他所に当たらないように、服を折り込む。



「……しっかし、このチビ、ホント軽いなぁ」

建物内の階段を登りながら譲が呟く。

「そうだな」

枯れ枝が小枝くらいになってきたなと思うが、やはりまだまだ細い。

これからもっと美味しいご飯を提供せねばならない、と、禅一は決心を新たにする。


「……そう、彼女の外見は完全に栄養失調なのよ」

『軽い』に反応した、医師はポツリと呟く。

「でも血液検査では全くの健康体……全てが理想的値ど真ん中の数値だったの。しかも全ての抗体持ち」

前を登っていた彼女はゆっくりと振り向く。

「この異常さがわかるかしら?」

問いかけられた禅一たちは、顔を見合わせて首を捻る。

二人とも健康優良児過ぎて、縁がなく、血液検査云々言われても、あまりピンとこない。


「何て言えば良いのかしら……?不完全な肉体を、完全な素材で再現したように見える……とでも言えば通じるかしら?どう見ても栄養失調児なのに、検査結果は欠けた要素がどこにも見当たらない健康優良児の物なのよ。……正直、検査会社のミスを疑ったわ。でも同日依頼した他の検査内容は普通だったから……とりあえず、院内で直ぐに結果が出せる尿検査の値を見て、再検査を依頼しようと思ったのだけど……」

医師は顎に手を当てて、理解できないとばかりに、首を振る。


「実は貴方たちが来る直前に上からの通達が来たの。『藤護ふじもり』を名乗る少女が現れたら最高の治療を提供し、その診療内容を報告すべし、とね」

医師は声を少し落として、驚くべき事をサラリと告げる。

「「はぁ!?」」

禅一と譲は同時に声をあげる。


「安心なさい。私は如何なる相手にも自分にできる最善の治療を与えているし、患者の情報を第三者になど報告はしないわ」

彼女は如何なる相手からの命令だろうと、自らの信念を曲げるつもりはないらしい。

「……でもまだ事情が見えてきていない。その件も併せて、後で話し合いの場を持ちたいの。『上』から事情を教えてもらわないといけないし……少し、時間を頂戴」

医師はトントンと自分のこめかみ辺りを人差し指で叩く。

情報がまだまとまっていないといった様子だ。


「とりあえず……最低限、今日の所は切除した癌細胞は目の前に引きずり出すから、のんびりお昼を食べていて?」

医師は真顔で不穏な事を言う。

これから院内で行われるであろう、内通者の炙り出し作業を思って、禅一と譲は顔を見合わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る