18.チビ、『奇跡』を使う


譲は物を作るのが好きだ。

特に生活に密着する物を作るのが好きだ。

ただの洗濯が干せる荒地、兼、藪蚊の量産地だった部屋の前も、譲が整地した。

大家に固定資産税を掛けないようにすると交渉し、建築学部の奴を捕まえて色々相談しつつ、自分の思い描いた機能的な庭を作り上げた。

庭の三方向を囲うラティス。

ポリカボーネートを嵌め込んだ、透明の屋根。

屋根から吊るした洗濯物干し竿。

落ち着いた配色のタイル。

靴箱と道具用の棚。

全て譲が時間をかけて作った。

作っている間は無心になれるし、成果が形として日常生活に残るので、最高の趣味だと自負している。


屋根の下の壁を作ると税金がかかると聞いたので、あえて作らなかった。

代わりに、急な雨を凌げるように、透明のシャワーカーテンを取り付けている。

突然の雨を防げれば良いな、くらいの気持ちで付けたのだが、意外と重宝している。

本当は庭は全面タイル張りにしてしまいたかったのだが、禅一がどうしてもと言うので、三分の一はタイルを貼らずに残している。

禅一も譲も植物とは相性が悪く、どうやっても枯らしてしまうので、土を残すのは無駄だと言ったが、禅一はどうしても家庭菜園をしたいと譲らなかったのだ。

植物をすぐに枯らすため、育ててくれた祖母のやっていた畑を手伝うことができなかったのが、未だに禅一は消化できていないようだ。


しかし本人の思いなど関係なく、何回目のチャレンジか忘れたが、整えられた庭で、小松菜が順調に枯れている。

見栄えが悪いので、そろそろ諦めて欲しいものだ。

そんな事を思いながら、譲は作った台にニスを塗る。

今回の作品も自画自賛抜きで素晴らしい物ができた。

「ちょっと出てみるか」

そんな時、窓が開けられ、禅一の声がする。

どうやらチビ助が昼寝から目覚めたらしい。


「譲、アーシャに庭を見せてもいいか?」

シャワーカーテンが少し開かれて禅一が顔を出す。

「あぁ、まだニス塗ってるから、カーテン開けるなよ。洗濯物に匂いがつく」

作っている物はほぼ完成していて、工具も片付けているので、譲は頷く。

「わぁ!」

禅一に抱っこされてやって来たチビ助は、譲の手元を見て、目を輝かせる。

中々の審美眼のある奴だ。

もっとよく見たい!とばかりにチビは体を伸ばしたが、

「こらこら、ダメだぞ」

禅一に阻まれる。

まだニスを塗っている最中なので、近くに来られるのも、触られるのもNGだ。


「譲、ここでオヤツを食べさせたいんだが、大丈夫か?」

「別に庭は俺だけのもんじゃねぇし、構わねぇよ。でもこんな殺風景な庭でピクニックか?死にかけた小松菜くらいしか見るモンねぇぞ?」

「…………」

絶賛連敗中の禅一は言葉に詰まる。

シソすら枯らすのだから、小松菜なんて上手くいくはずもない。

世話をすれば世話をするほど弱るんだから、もうそろそろ諦めれば良いのに。

「ビタミンDのためには日光も必要だと書いてあったから……」

禅一はしょんぼりと肩を落としている。

死の庭の事を、一応は気にしていたらしい。


しかし当のチビは、枯れかけた小松菜の芽に、興味津々な様子だ。

禅一の腕の中から、身を乗り出して禅一の小さな庭を見ている。

「……どうも植物と相性が悪くてな」

不思議そうにぐったりとした芽を見るチビに、禅一は説明する。

相性が悪いどころか、植物の天敵、農家から見たら生きた災害だ。

「ゼン、ゼン、あおむぃんにゅみぃな。えあみぅんうにぃあいな」

禅一の控え目な説明など通じないであろうチビは、下におりたいのか、懸命に下を指差す。


「ははは、植物が本当に好きなんだな」

禅一はちょっと嬉しそうだ。

植物とは言っても、その前に『ほぼ死んでいる』がつくが。

見て楽しいものでは、決してないだろう。

何がチビの興味を引いたのかは全くの謎だ。


軒先に集めていたチラシを、タイルの上に引いて、禅一はチビを座らせる。

そして昨日から、チビが嬉しそうに、ずっと身につけている水笛を、その首に戻してやる。

「何かあったら、呼ぶんだぞ」

言葉が通じるはずもないのに、そんな事を言っている。

「譲、アーシャを頼むぞ」

禅一は譲にもわざわざそんな声をかけていく。

(オヤツを取りに離れるだけで大袈裟な……)

禅一の過保護っぷりに、譲は呆れてしまう。

昼寝にも『くっついて安心しているようだから』とベッドに勉強道具を持ち込んで、お付き合いするくらいだ。


ラティスもしっかり固定しているし、カーテンも多少引っ張ったくらいでは壊れない。

「おい、チョロチョロすんなよ」

しかし一応譲は注意しておく。

怪我などされて、ピーピー泣かれては面倒くさい。

注意されたチビは言葉が通じないくせに、『わかってますよ!』とでも言う顔だ。


大人しく、死の畑を見ているチビを確認して、譲はまたニスを塗る作業を始める。

「…………」

すると柔らかな歌声が流れ始める。

歌う時は平素の声と違う。

そんな事はよくある事だが、あの子供の歌声は、『違い方』の次元が違う。

まるで歌う時だけ、喉を天使と入れ替えたような、同じ人間という生物が歌っているとは思えない、清らかな高音を響かせる。

以前禁域で歌っているときは『神々しい』という表現があっていると思ったが、今は厳しさが抜けて『天使の歌声』と表現できそうな柔らかさがある。


(あの黒綿毛が出しているとは思えないよなぁ)

思わず、本当に本人が歌っているか確認したくなって、譲は振り向く。

「…………………」

そして言葉を失った。

子供らしからぬ、慈しみの表情で見つめる、その先に、青々した葉が伸びている。

発芽しないか、発芽しても潰れてしまうかだった小松菜が、全て青々と芽吹き、譲の目の前でグングンと伸びて行く。

嬉しそうに、高らかに響く声に導かれるように、目に見えて葉を上に伸ばしていく。


奇跡。

それも、この世にあってはならない類の奇跡だ。

「止めろ!!」

譲はその口を塞ぐ。

すると、最早小松菜という種を超えた成長を見せていた、お化け小松菜の成長が止まる。

譲は咄嗟に周囲を見回す。

学生ばかりのオンボロ昭和建築アパートなので、長期休暇中は多くの住人が実家に帰っていて、人影はない。

庭は表通りから見辛い方向にあるし、目隠しのラティスは幸い網目が細かいので、覗き込まない限り見えないはずだ。


行動の一つ一つが間抜けで、うっかり忘れかけていたが、コレはただの子供じゃない。

元々とんでもない力を持っていたが、今、更にとんでもない力を披露されて、譲の心臓は動揺してバクバクと脈打つ。

「禅!禅!!禅っっ!!!」

譲はカーテンをかき分け、窓を乱暴に開き、室内に向かって怒鳴る。

「おい、そんな大声を出して……」

お盆に麦茶とオヤツを乗せた禅一は、眉を顰めながら出てくる。

「良いから!!こっち来い!!」

状況のわからない禅一は不可解そうな顔で、盆を床に置いて、急かす譲に続く。


「見ろ!これを!!」

譲はカーテンを派手に開いて、先ほどまで死の庭だった、巨大小松菜の群生地を禅一に見せる。

「……………」

これには豪胆な禅一も目を見開いて、言葉を失う……

「これは…………俺の今までの努力がいきなり実った……「わけねぇだろ!!」」

かと思いきや、渾身のボケをかまして来たので、譲は鋭く突っ込む。


「さっきまでの悪趣味な干物野菜展示場が、肥料や水なんかでこんな風になるわけないだろ!!」

「落ち着け、譲。あと、悪趣味な干物展示場とか俺に対して酷過ぎるぞ」

「言ってる場合か!!こんな異常事態引き起こせる奴なんか、コレしかありえねぇだろ!?」

「落ち着け。俺の細やかな土壌改良の結果が芽吹いただけかもしれん」

「真顔でボケるな!対農家の最終兵器の土壌改良なんて効くわけねぇだろ!あのクソ厄介な奴ら以外にも、コレを欲しがる奴が出てくるかも知れねぇ事態だぞ!」

「だから落ち着け」

「落ち着いていられるか!!こんな力が知れて見ろ!!下手すりゃどっかの国が出てきてもおかしくねぇぞ!!」

緊迫感のない禅一の態度に譲は、これから起こるかも知れない騒ぎを訴える。


禅一はそんな譲の鼻を急に摘んだ。

「おいっっ!!!!」

怒鳴ろうとする譲の鼻を持って、禅一はその目を覗き込む。

「良いから。落ち着け」

その目はいつもの凪いだ真っ黒な瞳だ。

緊迫感のなさに苛ついて、また声を上げようとしたら、今度は口を摘まれる。

「鼻から息を吸え。胸一杯に」

全身を押さえつけるような圧迫感を込めて、禅一は命令する。


頭ごなしの命令なんか、滅多にしない兄の言葉と、その迫力に、譲は渋々言われた通りに息を吸う。

「ゆっくり吐け」

そう言って禅一は手を離す。

「吐ききったら、吸いながら、俺の言葉を聞け」

すっとボケた兄だが、時々反論を許さない雰囲気を纏うことがある。

渋々譲は深呼吸を続ける。

「まず落ち着け。アーシャが怯えている」

ハッとして譲は小脇に抱えたチビを見る。

すると黒綿毛は真っ青になって震えている。

「この子は『特別』がわからないんだ。『氣』を自在に操れる事も全く隠していなかったし、最上の魂が抜けた時も、あっさりと治していた。俺たちには『特別』でも、この子にとっては『当たり前』なんだ。受け止めろとは言わない。でも騒いでやるな」

静かな言葉に諭されて、譲は取り乱して大声を出したことを反省する。

言葉のわからない子供にとって、大人の大声は、ただただ怖いものだっただろう。


「……みぃにゅいんない……」

肩を上げて、首を窄めて、目を閉じて、怯え切った、震える声が押し出される。

堪えようとしていたようだが、声と一緒に噴き出した涙が、パタパタとタイルに落ちる。

「みぃにゅいんない……ふ、ふぃにあ、うにゅみ、みみあめぃ……み、みぃにゅいんない……」

防御姿勢を取るように、丸くなって、怯えながら、一生懸命、何かを謝っているようだ。

声は震えて、途切れ途切れで、その姿を見て漸く、譲はこの子が栄養失調まで追い詰められている子供だったという事を思い出した。

普段があまりに天真爛漫に食い意地だけに特化していたので、失念していた。


禅一はそっと譲の抱えたアーシャに手を伸ばす。

「アーシャ」

枯れ木のような手を力一杯握りしめて、しゃっくりを抑えようと唇を噛み締めている彼女を、腕で外界から遮るように禅一は抱きしめる。

「アーシャ、大丈夫だ。アーシャは何も悪い事をしていない」

小さな体はすっぽりと禅一の腕に覆われる。

「……みぃにゅいんない……」

その声は死にかけの子猫の鳴き声のようだ。

グスッグスッと鼻を啜り、必死に堪えようとしているようだが、嗚咽が時々漏れてくる。


禅一は部屋の中のティッシュを手繰り寄せ、涙や鼻水を拭いてやりながら、じっとアーシャを抱きしめている。

根気良く相手を待てる男なので、声をかけて、泣き止むことを急かしたりはしない。

自然に落ち着くのを、じっくりと待っている。


やがて鼻を啜る音も、しゃくりも小さくなっていく。

「ゼン、みぃにゅいんない……」

ようやく落ち着いて、小さく呟いたアーシャの頭を撫で、禅一は自分の膝に彼女を座らせる。

そして大きな体をできるだけ小さく丸めて、視線が合うようにする。

「アーシャ、俺は怒っていないし、アーシャも悪い事をしたわけじゃないんだ」

その言葉に、気まずくなった譲は、意味もなく鼻の頭を掻く。

「枯れていたから、元気にしてくれたんだよな。ありがとう。俺は植物とも相性が悪いから、元気になって嬉しかったよ」

ゆったりとした調子で禅一はアーシャに語り掛ける。

「でもあれは誰も持っていない力だから隠しておいた方が良いんだ」

言葉が通じないことは百も承知なはずなのに、禅一は真剣に語り、アーシャはその言葉を一生懸命聴いている。


禅一は開かれたカーテンの先を指差す。

アーシャがそちらに顔を向けたせいで、真っ赤に充血した目が見えて、譲はなんとも言えない気分になる。

お化け小松菜たちを見て、アーシャはしょぼんと肩を落とす。

そんなアーシャに禅一は笑いかける。

「な・い・しょ」

人差し指を口に手を当てて、シーっとやる仕草は果たして通じるのか。

「ないしょ?」

首を傾げたアーシャもシーっと真似する。

果たして真似をしているだけなのか、通じているのか。

「ないしょ」

それはわからないが、禅一は何でもないことなのだとでも言う様に笑う。

禅一につられるように、アーシャもようやく笑顔を見せる。


「譲!ほら、お前も何か言ってやれよ。絶対怒ってると思っているぞ」

「えっ……」

近寄るに近寄れず、佇んでいた譲に、禅一は手招きする。

思わず固まった譲に、

「譲」

有無を言わせない、禅一の低い声が再びかけられる。


「あ〜〜〜〜〜、俺が悪かったよ!!」

子供の扱い方などわからない。

まして言葉が通じないから、どうやって謝れば良いかわからない。

仕方ないので、譲は黒綿毛を混ぜっ返す。

「ユズゥ、みぃにゅいんない」

そんな譲を、アーシャは心細そうに見上げる。

怒っているわけじゃない。

謝っているんだ。

わかるように、今度は心なし丁寧に黒綿毛を整えるように撫でる。


チラッと兄を見れば『仲直りだな!』みたいな顔をして笑っているのが癪に触る。

譲は顔を歪める。

「アーシャ、お・や・つ」

この場を一気に明るくするように、禅一は先ほど置いた盆を手繰り寄せる。

アーシャは嬉しい気持ちと、たった今怒られていたのに良いのだろうかという迷いが、せめぎ合っているようで、オタオタとするが、そんな彼女の迷いを吹き飛ばすように、禅一は笑う。


笑う禅一と譲は目が合う。

すると禅一はわかっているとばかりに小さく頷く。

事の重大さがわかっていないわけではない。

この子を不安にしないように、敢えて普段通りにやっているだけなのだ。

譲もスッと頭が冷える。

目の前で起こった『奇跡』を受け入れきれずに、半分パニックを起こしていた自分を恥じる。

今、騒ぎ立てても仕方のないことだ。

騒いだからと言って、すぐに対策が思いつくわけでもないし、これからの危機が避けられるわけではない。

寧ろ無駄に騒ぎ立てて、他人の目を引いてしまう。


「ゼンうにぁ……あ〜ん」

「照れるな〜。………うん、美味しい!」

「……………」

目の前で展開される、お花畑親子劇場に、頭の芯まで冷えた。

キャッキャとしている二人を譲は冷めきった目で見守る。

親子バカ全開に食べさせ合いっこなどしているが、敢えて普段通りを演技しているのだと信じたい。


ヒートアップしてしまった自分まで馬鹿馬鹿しくなって、譲は作業に戻ろうとした……

「ゆ……ユズゥ……」

のだが、少し遠慮した様子の小さな声が、その背中にかかる。

(まさか……このタイミングでの呼び出し……俺にも脳みそ花畑なアレさせる気か?)

「ユズゥ」

もう一度、心なし大きくなった声で呼ばれるが、譲は振り向かない。

(……聞こえなかった。うん。聞こえなかった)

ああいう事は馬鹿親子だけでやっておけば良い。

「ゆ・ず・る?」

しかし微かに怒気を込めた兄の声が追い討ちをかける。

「食べるよな?仲直りするよな?」

恐る恐る振り返れば、いつも通りに見えて、有無を言わせないオーラを纏った兄がいる。


「…………はぁ〜〜〜」

譲は諦めの深いため息を溢した。

温厚で、お気楽で、時々脳みそが緩い男だが、大事な者を傷つける者は決して許さない。

普段は『大事な者』カテゴリーに入っている譲だが、兄弟であるが故に、その恐ろしさは知っている。

渋々、差し出された、ちっぽけなお菓子を、譲は歯で齧り取る。

食べていたら、不安げな緑の目がジッと譲を見つめている。

「……反応に困る。何でこんなに見つめられてんだよ」

禅一のように素直な反応が表に出せない譲は、視線を避けるように、兄の横に身を隠す。


「アーシャ、あ〜ん」

デレッデレの禅一の声。

「ゼン、あ〜ん」

嬉しそうなチビの声。

もちろんその次は、

「ユズゥ、あ〜ん」

が続く。

(確かに慌てた俺も悪かったけど……何なんだこの羞恥プレイは……!!)

誰かに食べ物を食わされるなんて、譲にとったら悪夢のようだ。


「まぁ、対策はおいおい考えるとして……証拠隠滅にアレは食べてしまわんとなぁ」

「え……あんな急成長した怪しい野菜を食う気か!?」

「下手に捨てたりするより胃に入れてしまった方が良い。今日は小松菜のナムルにするか。譲も好きだろう」

ただの小松菜のナムルは好きだが、普通の二倍ほどに巨大化した、妙にエネルギッシュな小松菜は嫌だ。

「後は綺麗に洗って冷凍だな。しばらく副菜に困らないな~」

しかし食べ物を大切にする料理担当は捨てる気など一切なく、嬉しそうに畑を見ている。

(本当に危機感あるのかな、コイツ)

多分、この三人の中で一番繊細であろう譲は、頭を抱えるのであった。

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