16.兄弟、伝達の難しさを知る

始まりは譲の買ってきたホイッスルだった。

「流石。行動が早い」

ホームセンター通いが趣味と言っても過言ではない譲は、毎度毎度、色んな工作資材を買ってくるのだが、今回は資材だけではなく、製品も買って帰ってきた。

何も言わずにポイッと放り投げられた品を、難なく受け取った禅一は、手の中の物を確認して、感心してしまった。

「当たり前だろ。そのガキは俺たちの生命線なんだ。万が一を起こしたら、こっちの未来さきがヤバくなる」

譲は不愉快そうに顔を顰めながら、買い込んできた資材の仕分けを始める。

また何か作る気なのだろう。


禅一は包装を破いて、早速受け取った物の中身を取り出す。

「……何か一見USBメモリみたいだな」

「それっぽくない見た目の方が良いだろ」

「体育教師が持っているようなヤツを想像していたが、最近は笛も格好良いんだな」

まるで自分が最近の人間ではないような事を禅一は言う。

ホイッスルは吹き口にキャップが付いていて、衛生が守れるようになっていて、いかにも譲が選びそうだ。

「アーシャ」

禅一は隣に座っている、一心不乱に紙に向かって鉛筆を動かしているアーシャを呼ぶが、夢中になっているらしく、彼女は気がつかない。


「……何させてんの?」

「あぁ、いい暇つぶしになるかなと、ネットの迷路をプリントアウトしてみたら、ハマってしまったみたいでな。凄いぞ、今チャレンジしているのは、大人用なんだ!」

「……あ、っそ」

目を輝かせて禅一は自慢するが、譲には見事に流されてしまう。

「見たら凄さがわかるって、物凄く複雑なのが出来るんだ!」

何故かアーシャ自身ではなく、禅一のほうが鼻高々だ。

『うちの子凄い!』状態の兄に、譲はこれ以上ない冷たい眼差しを向ける。


全く聞いてくれる気のない弟にガッカリしながら、禅一はホイッスルを見つめる。

「そう言えば、これをどうやって非常時用だと教えるかな……」

「笛だって教えときゃ、危ない時には吹くだろ」

すぐ使うであろう資材を、作業場所と化している庭に出しながら譲は適当に答える。

「しかし危ない時は、咄嗟に行動できるか出来ないかがキーになるからな」

特に大人から比べれば、身体能力が大きく劣る子供だ。

相手に何か勘付かれてからでは、行動させてもらえない可能性もある。

子供の生き残りは、初動で決まると言っても過言ではない。


しばし悩んで禅一は手を打つ。

「絵だな、絵!」

そう言って、既にチャレンジの終わった迷路の裏紙に、禅一は絵を描き始める。

「歯医者でも歯科衛生士の女性が紙芝居みたいにして説明してくれてさ。わかりやすかったんだよな」

禅一はウンウンと頷きながら、真剣に鉛筆を動かし始める。


しかし描き始めて数分で、禅一は首を傾げ始める。

「…………。中々難しいな。………。う〜ん……意外と人間って複雑だな……」

何度も消しゴムをかけて、書き直している。

台所で卵を取り出したり、ホイップクリームをボウルに入れたりしていた譲は、兄の冴えない様子が気になったらしく、禅一の手元を覗き込みにくる。

「ふぐっっ!!!」

そして吹き出す。


「………何だよ?」

禅一は少しムッとして譲を睨む。

「だって、ちょ、ま、待てっっ」

しかし譲の腹筋の痙攣は止まらない。

成長してから、お互いに絵なんか描かなくなったから、兄の絵の実力を忘れていたのだが、そこに描かれていた絵は、譲の腹筋に重大なダメージを与えた。

「……そんなに笑う事か?」

禅一は憮然としている。

「だって、お前っ、何だよっ、この、人類やめちゃった感じの化け物はっっ!ありえねぇ所に関節生えてるわ、曲がったらダメな方向に足曲がってるしっっ。え?しかも何で頭が二つ生えてるんだよっっ」

譲は酸欠になりそうに笑っている。

「違う!頭が二個生えてるんじゃなくて、こっちは子供の頭で……」

禅一は説明しようとしたが、自分の絵を見直して、止める。

確かにこの画力では、言語による説明に成り代われないのは明白だ。


「何だよ。じゃあ譲は俺より上手く表現できるのかよ」

禅一はすっかりいじけてしまっている。

沢山笑ってヒーヒーと言っていた譲は、余裕の表情で頷く。

「俺が毎日どんだけ図面描いてると思ってんだ」

笑い過ぎて滲んだ涙を指で弾きながら、譲は禅一から鉛筆を受け取る。

「要は『襲われた時に吹け』って伝われば良いんだ」

そして慣れた手つきで譲は簡素な線を引き始める。


子供のように何度も線を走らせる禅一の絵とは違い、譲はフリーハンドでも、直線・曲線が器具を使って書いたように正確だ。

「………ピクトグラム」

結果、書きあがったのは、絵というより図形に近かった。

襲われた時という非常時を表現しているので、通常の可愛いらしさを感じるピクトグラムではなく、どこか狂気を含んだ仕上がりになっている。

目も鼻もない円と直線で仕上げられた人間は、感情が見えないので、襲われている様子が何とも不気味で怖い。

「極限まで線を絞って分かり易くなってるだろ?」

「分かり易いというか……うん。B級ホラーを表すピクトグラム?的な?」

その禅一の表現が何よりその絵を言い表していた。

「あぁ?これのどこが…………」

譲は不機嫌な顔で自分の絵を見直し、口を噤む。

『確かに』と声には出さなかったが、譲の顔がそう言っている。


「……………」

「……………」

兄弟はお互いの顔をじっと見つめ合う。

そしてお互いの書いた絵を見て、首を振り合う。

「にゃににぃな!」

丁度そこで迷路を解き終わったアーシャが目を輝かせて、自分の紙を掲げる。

そして禅一に解いた迷路を見せようとして、彼らの前にある絵に気がつく。

「………………?」

物凄く不可解そうな顔で、彼女は絵を覗き込んでいる。

顔の角度を変えて、絵を見る方向を変えたりしているが、よくわからないらしく、怪訝な顔のままだ。

「………素人に絵での説明は無理だな」

「………とりあえずは、笛を吹く練習だけさせとこう」

そんな結論に彼らは落ち着く。


「はぁ、徒労、徒労」

そんな事を言いながら譲は元の作業に戻る。

禅一は先ほど受け取ったホイッスルをアーシャに見せる。

「?」

不思議そうなアーシャに、禅一はホイッスルの吹き口のキャップを外して、彼女の口に近づける。

「ふ〜〜〜〜」

そしてお見本でエアホイッスルを吹いて見せる。

「………?ふ〜〜〜〜……!!!」

アーシャは首を傾げて不思議そうにしながらも、フーッと息を吐き出して禅一の真似をする。

すると咥えていないが、ホイッスルの吹き口に空気が入ったようで、弱々しくヒュ〜っと音が鳴る。

その音にアーシャは驚いて目を見張る。


「アーシャ、あむっ」

禅一は自分の指を咥えて見せながら、ホイッスルの吹き口をアーシャの唇にくっつける。

「………?あむ?」

首を傾げながらも、アーシャは何とか禅一の意図を組もうと、笛に口をつける。

「ふ〜〜〜〜〜」

禅一が自分の指を咥えたまま、息を吐いて見せる。

するとアーシャも真似して、フ〜っと息を吐いて、ピューっと鳴ったホイッスルに目を見開く。

「へむぃぬ、あにゃにぃぬぅ!!にぃぬぅにゃ!!」

驚いた!とばかりに禅一に訴えてから、アーシャはいそいそと、再びホイッスルに口をつける。

そして、今度はもう少し大きな音でピューっと笛を鳴らす。

「うぇいんにゃみ!」

そして興奮したように、頬を紅潮させながら、何かを報告してくる。


ピッ、ピッ、ピッ、と短く鳴らしたり、ピ〜〜〜っと長く鳴らしたり、強さを変えてみたりと、アーシャは目をキラキラと輝かせてホイッスルを吹く。

禅一はその様子を、微笑ましく見守りながら、ホイッスルのストラップをアーシャが首から下げている水笛の紐に結びつける。

首に付けられたホイッスルを見て、アーシャはびっくりした顔をする。

「『アーシャの』。譲、プ・レ・ゼ・ン・ト」

禅一は譲とホイッスルの間を人差し指で何往復もさせて、これが譲が買ってきてくれた物だと説明する。

自分に贈られたものとわかったらしく、アーシャは目を潤ませながら、水笛とホイッスルを一緒に持って、抱き締める。


「ゆずぅ!あうにぅんまい〜〜〜!」

スクッと立ち上がったアーシャは、とととっと走っていって、譲の足に抱きつく。

(あ、やっぱり、あの足にしがみつくのって『ありがとう』なんだな)

禅一は微笑ましく見守るが、

「邪魔!これから火を使うから、向こうに行く!」

譲は邪険にシッシと振り払ってしまう。

「譲、照れるなよ」

「照れてねぇ!!俺はこのガキを確保しとくための手段を講じているだけだから、変なことを吹き込むな!」

イライラと譲は噛みついてきそうな顔だ。


「くだらねぇ事言ってないで手伝え、人動ミキサー」

泡立て器とホイップクリームの入ったボウルを、譲は禅一に押し付ける。

「え?氷水とかは?」

「下らねぇ事言ってる暇があったら、氷水分、混ぜろ」

その眼差しの冷たい事と言ったら、雪女ならぬ雪男だ。

弟の機嫌を損ねてしまった禅一は、苦笑してそれを受け取る。

「?」

アーシャはボウルの中を不思議そうに覗き込んでいる。


「ちょっと時間がかかるからな」

禅一はそう言って、中に入ったホイップクリームを泡立て器で混ぜ始める。

彼は『さっくり』とか『だまが残らない程度』に混ぜるのは苦手なのだが、力一杯混ぜるのは得意である。

「???」

ただの液体を延々と混ぜている様子が不思議なようで、アーシャは怪訝そうに禅一を観察している。


次第に変化のない液体に飽きたのか、アーシャは貰ったばかりのホイッスルを咥えて、ピッと鳴らして遊び始める。

禅一も混ぜている腕以外暇なので、ピッとなると、

「はい」

と返事を返してみる。

最初のうち、アーシャは不可解そうな視線を禅一に投げかけていたが、ピッと鳴る度に返事していたら、『あぁ!』と突然理解の時が訪れたようだ。


ピッ

「はい」

ピ〜〜〜

「は〜〜〜い」

ピッピッピッ

「はっいっ」

返事をするたびに、アーシャはクスクスと笑う。

『笛を吹く=禅一を呼ぶ』という図式を彼女の中に作りたくて返事を始めたが、楽しそうなアーシャを見ていたら、わからなくても、まぁ良いかという気分になる。

有効な伝達手段を持っていない禅一は、遊びを交えながら、少しづつ伝えていく事しかできないのだ。


そんな遊びをしていると、空気を含んだホイップクリームがムクムクと湧き上がり始める。

「わぁぁぁぁ」

笛に夢中になっていたアーシャは、ボウルの中の泡に気が付いて、歓声を上げる。

クルンと泡立て器を回して綺麗なツノを立てて見せると、小さな手が忙しく動いて拍手をしてくれる。

「冷やしもしないで、ここまで短時間で泡立てるのは禅くらいだな」

ホットケーキタワーを作った譲が、満足そうにボウルを持っていく。

「まぁ元々冷えていたからな。俺も市販のホットケーキミックスで、そこまで膨らます奴は譲くらいしか知らんな」

禅一がやるとフリスビーみたいな形になるホットケーキが、譲の手にかかると、写真のように分厚くなるから不思議だ。


「あ、俺はバターだけで」

「わぁってるよ」

禅一と譲は三段、アーシャは二段。

禅一のホットケーキタワーはバターしかのせられないが、譲とアーシャのにはバターの上からシロップがかけられ、その周りに美しく搾り出されたクリームと、チョコソースが添えられる。

揚げ物にもうるさいが、お菓子にも譲はうるさいのだ。

どうせ胃に収めるものと思ったら、見た目などどうでもよくなる禅一からしたら、凄い情熱だ。

(物作りをする奴は、これくらいのこだわりがないと大成しないんだろうなぁ)

一応一卵性の双子だが、性格趣味嗜好は対極と言って良いほど逆だ。


「ふあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

超豪華なホットケーキタワーを見たアーシャは大興奮だ。

そんな可愛い姿を膝に抱き上げようとして、

「あ、椅子も買ってきたんだった」

無慈悲な弟の一言に、禅一は叩き潰されてしまった。

「中古品だけど、良い造りだったんだ」

恐らく車のトランクに置いてあったであろう椅子を運んできて、それでも禅一の隣に配置してくれるのは、譲なりの慈悲なのだろう。


譲とアーシャにはナイフとフォーク、禅一はフォークだけが添えられる。

「アーシャはナイフなんて使えないんじゃないか?」

バターナイフなので手を切る事なんて無いが、禅一はハラハラとアーシャを見守る。

「昨日の食事の感じだと……ほら、しっかり使ってる。欧米人は子供もちゃんとナイフを使い熟すんだよ。誰かさんと違って」

アーシャは歓声(奇声?)を上げながら、しっかりとナイフでホットケーキを切って食べている。

「…………俺は洗い物量削減に努めているんだ。エコだ」

一方、禅一は面倒なので、切るのも刺すのも全てフォーク一本だ。

何なら箸で食べたいくらいだ。


「おい、チビ、ちゃんとクリームもつけろ。クリーム」

うにゃうにゃと、揺れたり震えたり身を捩ったりと、大騒ぎをしながら食べているアーシャに譲が食べ方指導をするが、無論、言葉が通じるはずもない。

「アーシャ、アーシャ」

禅一はアーシャの肩をトントンと人差し指で叩く。

「ん?」

「んふっ!!」

振り向いたアーシャの口周りは中々悲惨なことになっている。

どうも口のサイズより大きくホットケーキを切って食べているようだ。

ベタベタしている物をティッシュで拭いたら、くっつきそうなので、禅一は台所からクッキングペーパーを濡らして戻ってくる。


そして禅一はアーシャの口周りを綺麗にしてから、彼女の手ごと、バターナイフを握って、絞ってあるクリームを一山掬って、次にアーシャが食べるであろう、小さく切られたホットケーキにのせる。

「!!!!!!!!!!」

不思議そうにしながらも、それを食べた瞬間、椅子の上でアーシャが立ち上がった。

物凄い衝撃を受けたようだ。

「うぃにぃあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぅ!!」

全身での『美味しい』に、クリームを勧めた譲がドン引きした顔をしている。

「……良かったな、譲と味覚が近いみたいだぞ」

「近くないだろ。俺はライオンキング化する程旨いと思ってる訳じゃない」

「またまた。人目がなかったら、譲もあれくらい「絶対ない」」

全否定だ。


「まぁ、表現にはお国柄が出るから」

「俺は一生コイツの国とは分かり合えない気がする」

「え、俺は好きだけどな。食事時間が楽しくなるだろ」

「禅は食事中にサンバ隊が突入してきても、受け入れそうな所があるからな」

「いや、サンバは流石に……埃が立ちそうだし」

「埃が立たなかったら良いのかよ!!」

基本的に黙々と食べる譲は、色々と文句がありそうだ。

(でも、俺と二人だけの時より絶対楽しそうなんだけどなぁ)

口に出したら百倍返しで文句がきそうなので、禅一は沈黙を守る。


アーシャが何を言っているかは、さっぱりわからない。

でも彼女の楽しそうな様子は、食事風景を明るくする。

(言葉は通じ合わないけど、『美味しい』を共有してるのは、わかるもんなぁ)

素直じゃない弟、小さな妹を見て、禅一は密やかに笑った。

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