14.幼児、初めてのお買い物
「譲、後でスーパー行くけど、なんか買ってくるか?」
「ホットケーキミックスとホイップクリーム」
「あ〜〜〜、昼はホットケーキにするのか?」
「……簡単だし、良いだろ」
「悪いとか言ってないだろ。ホットケーキならアーシャも喜ぶかもな」
「昼には帰ってくるから、禅は絶対に焼くなよ」
「えぇ?ホットケーキくらい誰が焼いても一緒だろ?」
「料理手順を守らない奴は、揚げ物とスイーツに手を出すな!」
「細かい奴だなぁ……」
「禅が大雑把すぎるんだ。お前は大人しく煮物だけ作ってろ」
「はいはい」
「あ、後、ガキにアホみたいにオヤツを買うなよ?」
「え?」
「カロリーはできるだけご飯ものから取らせるようにしろ。脂肪だけ増やしてもクソの役にもたたねぇ。それから歯の治療が終わるまでチョコ、飴、キャラメルとかは避けろ。但し、甘い物でもキシリトール配合なら許す」
「えぇぇぇぇ〜〜〜〜」
「うるせぇ!わかったな!?」
そんな会話を交わしたのが、朝のこと。
さっさと出かけていってしまった譲に、禅一はでっかい釘を刺されてしまった。
せっかく二人で買い物に行って、精一杯甘やかす機会が巡ってきたと言うのに、弟も殺生な事を言う。
しかし小さなアーシャが食べられる量は少なく、栄養価が低いもので胃を満たすのは得策でもないのも事実。
朝もエビを二本とうどん十本程度でギブアップしてしまった。
食い意地と胃の容量は必ずしも一致しないと言うことだ。
(でもできるなら喜ばせてやりたいよなぁ)
禅一は切なくため息を吐く。
コンコンコンッと小さな手が鉄の柵を叩く。
「ガー・ド・レー・ル」
「がーどりぇーぅ」
まだ会話なんて成り立たないので、のんびりと歩きながら、禅一は町にある物の名前を教える。
「この内側を歩くんだぞ」
通じないとわかっているが、身振りも併せて少し説明を加える。
沢山話しかければ、そのうち単語を覚えてくれるかもしれないし、こちらも覚えられるかもしれない。
そんな事を考えつつ、禅一はアーシャと歩く。
運動と日光浴と甘やかしを兼ねた、買い出し散歩はのんびりとしている。
アーシャは植物が好きなようで、アスファルトの隙間から生えている雑草を見つけては、禅一に報告してくれる。
たまにどこかのご家庭から種が飛んだのか、野生化したパンジーが生えていたりすると、歓声を上げている。
残念な事に植物に全く造詣が深くない禅一は、それらの名前を答える事が出来ない。
うっすら『パンジーとかだったか?』とは思うのだが、自信が持てないレベルだ。
なので結局『花』としか教えられない。
雑草に至っては、名前の輪郭すら出てこないので、『草』としか答えようがない。
全くもって平和な光景だ。
「……………」
しかし、時折、禅一は周りに鋭い視線を向ける。
何か気持ち悪い気配を感じるのだ。
悪意、害意のような、明確に排除しなくてはならない気配ではない。
こちらをじっと観察しているような、まとわりつく視線を感じる。
明確に根拠があるわけではなく、普通の人間なら気のせいで済ませる程度の事だ。
(絶対に離れない方がいいな)
しかし禅一は自分のセンサーを信じている。
過去、自分の直感を信じずに取り戻せない失敗をしたし、弟と二人になり頼れる存在がいなくなってからは、直感を頼りに行動して何度か命拾いしてきた。
どちらかと言うと、頭で考えた選択の方が失敗することが多いくらいだ。
『動物は直感で動け』
と、譲のお墨付きだ。
「っと」
周りに気を配っていたお陰で、大通りに出た途端に突っ込んできた自転車を見つけて、禅一はアーシャを抱え上げる。
「ふぉ!?」
自転車が通り過ぎてしまってから、一呼吸遅れてアーシャは驚きの声をあげる。
「全く……歩道でなんてスピードを出すんだ」
厳密に道路交通法を守れとはいえないが、せめて歩行者に害を与えない行動を心がけてほしい。
今までなんとも思っていなかったが、子供を連れていると、自転車も凶器に見えるから不思議だ。
楽しそうに歩いていたアーシャには申し訳ないが、自分で危機回避できる俊敏さはなさそうなので、交通量の多い道は禅一が持ち上げて運んだ方が良さそうだ。
ジッと禅一を見上げ、ハクハクと何か言いたそうにする、アーシャの頭を彼は撫でる。
「すまないな。ここからは抱っこだ。だっ・こ」
別にご機嫌取りに撫でているわけではないが、途端に嬉しそうに手に頭を擦り寄せてくる姿に、禅一は相好を崩す。
禅一に撫でられて喜ぶなんて奇特な存在はアーシャくらいだ。
普段は歩いて十分も経たずに到着できるスーパーも、アーシャの足に合わせていたら、たっぷり三十分程経っている。
(これくらい太陽を浴びればビタミンDもバッチリだな)
昨日は病院巡りで、しっかり日光浴をさせられなかったので、禅一は一人満足して、頷く。
妙な気配もあるし、まだ予防接種が終わっていないので、他の児童との接触が増えそうな公園は避けたいので、午後は庭で過ごすのも良いかもしれない。
そんな事を禅一は考える。
まぁ、庭とは名ばかりの二坪程度の洗濯物干しスペースだが。
「アーシャ、すー・ぱー」
目的地が見えてきたので、禅一はアーシャに示す。
「わぁ………」
この辺りでは大き方のスーパーに、アーシャは目を輝かせる。
「すーぱー?」
しかしどうも彼女が指差しているのは、手前の駐車場のような気がしたので、禅一はその手を少し上げて、軌道修正する。
「すーぱー」
そう言うと、彼女はウンウンと頷く。
そして興味深そうにスーパーを見つめる。
アーシャは自動ドアを興味深そうに見つめていたり、カートに歓声をあげたり、色々な所を落ち着きなく見回している。
(もしかして……買い物とかにも連れてきてもらったこともないのか?)
その様子に禅一の心は、少し沈む。
これは恐らくスーパーに来たことのない反応だ。
口はポカンと開いて、自由に空気が出入りできる状態で、アーシャは不思議そうに周りを見ている。
いくら外国出身だろうと、どこかの部族でない限り、この時代、物流と切り離して暮らせるはずはない。
形態は違えど、どの国にもスーパーくらいあるだろう。
それなのに、この反応だ。
(一体どこに放置されて育っていたんだ……)
何処かの汚い古アパートで、ゴミと一緒に放置されているアーシャの姿を想像してしまって、禅一の心は痛む。
(今日はキノコたっぷりシャケのホイル焼きだ)
禅一は気を取り直して、何種類もキノコを取っていく。
いつもは外国産の安い養殖銀鮭で済ませているが、今日は思い切って紅鮭に手を出す。
(俺と譲のは……まぁ養殖でいいか)
育ち切っている兄弟の分はいつも通りだが。
次々に禅一は食べ物を買い込んでいくが、彼の腕の中のアーシャは呆然としたまま、店の中を見ている。
何にでも興味津々の彼女なら、すぐに歩きたがるだろうと思っていたが、アーシャは微動だにしない。
「アーシャ?」
流石に心配になって禅一はアーシャの顔を覗き込む。
「……ぜん……」
視線が合ったアーシャは途方に暮れたような顔をしている。
禅一はお菓子が並んだ棚に行って、それらを指差す。
「アーシャ、欲しいものはあるか?」
幼児に好まれそうな、作って食べる系のオヤツなんかを見せてみるが、アーシャの反応は芳しくない。
困った顔で首を傾げるばかりだ。
お菓子売り場にいる子供たちは、楽しそうに沢山のお菓子を選定して、
「百円しか買わないわよ!」
等と怒られていると言うのに、アーシャは泣きそうな顔をするばかりだ。
(あ、あっちの駄菓子系の方が子供には人気なのか)
駄菓子コーナーには子供用の小さな買い物カゴが用意されていて、そのカゴに子供たちは計算しながら、お菓子を入れている。
確かに駄菓子の方が、子供視線で見え易い配置にされているし、取り易いように工夫されている。
「アーシャ、好きな物を選んでいいぞ?」
そう言って禅一はアーシャを駄菓子の棚の前に下ろす。
自分でじっくり見て、興味があるものを選べば良い。
そう思っての事だったのだが、アーシャは棚と禅一を交互に見るだけで、何かを選ぶ素振りがない。
どう見ても戸惑っている様子で、その目には、じんわりと涙が浮かび始めている。
お菓子が好きではないのか、一人にされたのが嫌だったのかなど、禅一はぐるぐる考えていたが、
「………あ」
どの品物も見ていない様子に、ある可能性が思いついた。
(選ばないんじゃなくて、選べないんじゃないか?)
何かを選んだことのない人間に、視界に入りきらない程の選択肢を与えても、選ぶ事なんてできないだろう。
それにアーシャはお菓子自体食べた事がないかもしれない。
禅一は慌ててお菓子の棚を覗き込む。
彼自身お菓子をあまり食べないため、その種類を把握できていない。
(できれば、パッと見て中身が分かりやすくて、一般的で……えぇっと……甘くないやつ、甘くないやつ)
お菓子は八割が甘そうなもので選ぶのが中々難しい。
禅一は昔からある、認知度が高そうなお菓子の小袋を、二つ選んで、手にとる。
「アーシャ」
そしてそれらを両手に持って、アーシャを呼ぶ。
沢山の中から選ぶことはできなくても、二択ならできるだろう。
アーシャが『選ぶ』事に慣れていないなら、禅一が簡単な選択肢にしてやれば良い。
小さい所から始めていけば良いのだ。
二つの袋を示すと、アーシャは迷わずエビの絵が書いてある方に手を伸ばした。
エビフライを大喜びで食べていたし、どうやらエビが好きなようだ。
これを自身が選んだのだと実感できるように、駄菓子用の小さなカゴに、彼女の手で入れさせて、カゴを彼女に持たせる。
「???」
アーシャはカゴを覗き込んで、物凄く不思議そうにしている。
(一回だけじゃ選んだ感がないな……もう一つぐらいなら譲もうるさい事言わないだろ)
禅一は再び、棚に向かって、アーシャが好みそうな物を探す。
(お、カルパス、肉だし、好きそうだな。カツも肉だし、これが良いか)
まだ一緒に過ごして、少ししか経っていないが、肉を食べる時は顔の輝きが違うのは把握できている。
なるだけ肉っぽいものを選び、禅一はアーシャの前にしゃがみ込む。
「どっ・ち?」
そう言って手旗信号のように、両手に持ったお菓子を交互に上げ下げして見せる。
すると今度は、どちらかを選べと言われていると理解したらしく、アーシャは一直線にカルパスの袋を指差す。
キラキラと目を輝かせて選ぶものだから、禅一も嬉しくなって、笑顔になってしまう。
袋を渡すと、アーシャは嬉しそうに、自分の小さなカゴにそれを入れる。
『あってる?』
とばかりに問い掛けてくる緑の目に、禅一は大きく頷いて見せる。
「あんまり買いすぎると、うるさい奴がいるからな」
もっと沢山選ばせてあげたかったが、見つかると二人とも怒られそうな予感がする。
禅一が我慢してくれなとばかりに頭を撫でると、たった二つだけのお菓子が入ったカゴを持って、アーシャは嬉しそうに笑う。
(あと三十個くらい選ばせてやりたい……!!)
その笑顔に思わず暴走したくなったが、健康面を配慮すれば、やはり買いすぎは良くない。
ぐっと堪えて、禅一はアーシャを伴って、レジに向かう。
アーシャは二つしかお菓子の入っていないカゴを、少し誇らしげに、前の主婦を真似て、腕に持ち手をかけて、胸を張る。
一人前に『お客様』として並んでいる。
何度も、周りを見て、自分の姿を見て、『買い物しているよ!』とでも言う顔で禅一を見上げるのが、可笑しいし、可愛い。
そうだね、と、禅一も何度も頷く。
アーシャは自分の番が回ってきたら、張り切ってカゴを台にのせようとするが、残念ながら大きさが少し足りない。
禅一が持ち上げて手伝うと、目をキラキラさせながら、カゴをレジの女性に押し出す。
「いらっしゃいませ」
アーシャの誇らしげな様子に、女性の笑顔が営業用ではなく、微笑ましそうなものになる。
そして心得たもので、何を言うまでもなく、肉などを詰める小袋にお菓子を詰めて、
「どうぞ」
とアーシャに手渡してくれる。
「あうにぅんまいな!!」
アーシャは元気よく返事をしながら、もらった袋に頬擦りをする。
プッと小さく吹き出した女性は、全開の笑顔になる。
「可愛い妹さんですね」
そして同じく顔が緩んでいるであろう禅一にそう言ってくれた。
「はい!………あ、有難うございます」
日本人の美徳である謙遜を忘れた禅一は全力で同意してしまってから、失言した口を押さえて照れてしまう。
視線の先のアーシャは、自分の『お買い物』を持ってクルクルと回っている。
物凄く浮かれているようだ。
高くもない、たった二つだけのお菓子なのに、あそこまで喜ばれて、可愛く思わないはずがない。
禅一は会計を終わらせた商品をリュックに詰めて、中からウェットティッシュを取り出す。
「アーシャ」
禅一が呼ぶと、フワフワと動いていたアーシャは、ぶつかり稽古のような勢いで飛び付いてくる。
嬉しくて嬉しくて堪らないと、体全体で伝えている。
(どうせなら、もっと喜ばせたいよな)
そう思った禅一は、スキップになり損なったステップを踏むアーシャを、店の外の、人の邪魔にならない場所に導く。
「ちょっとだけ買い食いするか」
そう言って禅一は、キョトンとしているアーシャと自分の手をウェットティッシュで拭く。
余計な病気を拾わせるなと譲に厳命されているので、買い食いも衛生に気をつけねばならない。
(菓子を渡してくれと言ったら嫌がるかな?)
そう思いつつ、禅一がアーシャの袋を指差すと、あっさりとアーシャは袋を渡してくれる。
素直なのは助かる反面、あまりに抵抗がなさすぎて、心配になってしまう。
自分のものをあっさりあげてしまうのは、禅一が取り上げたりしないと信頼しているからだと思いたい。
(個包装の方が食べ易いか)
そう思ってカルパスの袋を開けると、
「あっ」
と、小さく声が上がる。
取り上げるんじゃないぞ、と、禅一は慌てて、その中の一つを小袋から出す。
「アーシャ、あ〜ん」
禅一はそう言ってアーシャにカルパスを差し出す。
しかしアーシャはポカンとした顔でそれを見つめるだけで、口を開けない。
(もしかして……食べ物とわかっていない?)
その場合はどうしたら良いのだろう。
(食べて見せるとかしないといけないのか!?こんなちょっとしか入ってない内の貴重な一個を!?)
禅一は俄に焦る。
「あ〜ん?」
祈るようにもう一度そう言ってみたら、祈りが通じたのか、アーシャはオズオズと口を開く。
「あむっ」
その口の中に禅一はカルパスを放り込む。
「!」
恐る恐ると言ったふうに、一口噛んだアーシャは目を見開く。
「ん〜〜〜〜〜〜!!!」
そして口を押さえながらピョンピョンと弾む。
(流石、肉。目の輝きが違う)
発光するのではないかと思うほどの勢いで、緑色の目が輝く。
高速カミカミをした後は、側で見ていて、ゴクンと嚥下するのがわかるほど大仰に飲み込んで、彼女は身を捩る。
「うぃにぃあぅ!!」
そして頬を紅潮させて、何やら報告してくる。
きっと美味しかったのだろう。
抱っこしている間は暇だろうから、おやつでも食べていて貰おうと、禅一は小袋の開け方をアーシャに教える。
目の前で開けて見せると、真剣にふんふんとアーシャは頷きながら、観察する。
「あ〜ん」
禅一はご褒美も兼ねて、そんなアーシャの口に開けた小袋の中身を入れる。
「んん〜〜〜〜!」
今度は躊躇いなく、鯉のように飛びついてくる。
これがお菓子であるとしっかりわかったようだ。
お菓子の袋をアーシャの手元に戻して、禅一はアーシャを抱き上げる。
手元にお菓子を戻されたアーシャは、モジモジしながら、禅一を見つめてくる。
食べていいか確認しているようだ。
彼女の物なのだから、許可なんか取らなくてどんどん食べて良いのに、律儀な子だ。
禅一が頷くと、アーシャはパッと笑顔になる。
「ん〜〜〜〜っ」
そして唸りながら必死の形相で小袋に挑む。
開けてあげようかとも思ったが、口をへの字にして、顎に梅干型の皺まで作って頑張っているので、禅一は黙って見守る。
実に二分ほど格闘して、アーシャはようやく小袋から中身を取り出す。
伝説の剣でも掲げるように、取り出したカルパスを掲げているのがおかしい。
そしてしっかりゴミを袋に入れる所も感心だ。
「ゼン」
美味しく食べるのだろうと思っていたら、アーシャは禅一の胸をつつく。
「ん?」
食べる所を見て欲しいのかと思ったら、アーシャはニコニコしながら、掲げたカルパスを禅一の口元に持ってくる。
「あ〜ん」
そして驚いた事に、そう言ってくるのだ。
「いいのか?」
禅一が驚いて聞き返すと、アーシャは大きく何度も頷く。
渋々とかではなく、全開の笑顔で食べさせようとしてくれている。
(そんなに量が入っているわけじゃないのに……)
それでも美味しい物を分けてくれようとする心意気に、禅一は感動する。
「……なんか照れるな」
まさか誰かに物を食べさせてもらう日が来るとは思わなかった。
妙に気恥ずかしく思いながら、禅一は口を開ける。
勢い余ってカルパスと一緒にアーシャの人差し指まで口に刺さったが、嬉しい事には変わりない。
「うん、美味しい」
ただの駄菓子のはずなのに、妙に美味しく感じる。
「へへへ」
禅一が頷くと、アーシャはへにゃっと笑う。
そして照れたのか、グリグリと禅一の胸に頭を押し付ける。
(今度から二袋づつ買おう………!!)
アーシャが食べたら、また禅一と、彼女は少ないオヤツを、しっかりと禅一に分配してくる。
そんな健気な姿を見ながら、禅一は心に固く誓う。
(あ、俺も別のを選んで、色々食べさせてやった方が良いか……?)
家に帰り着く前から、もう次の買い物のことを考えてしまう兄馬鹿の禅一であった。
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