9.聖女、お宝を得る(後)

それからアーシャの意識が浮上したのは、かなり後だった。

(……ハーピィ……うるさい……警戒音出すなら……こっちに来なくて良いのに……食料を食い荒らしにくるし、すぐ空中に逃げるし……弱いのに、本当嫌……眠いんだから……邪魔しないで……)

うるさいなぁと思って、それでも眠くて、目が開けられない。

すると、すぐ近くで聞こえていたハーピィの声が止まる。

まどろむ意識の中、口に感じていた異物感が取り除かれる。

「アーシャ聾叡臭、流珂緑付果福〜〜〜?」

そして優しい声と共に肩を揺すられる。


「あ……む……?」

何か顎に違和感を感じながら、アーシャは目を開く。

口の縁が濡れているのは、涎だろうか。

アーシャは慌てて手で拭う。

そんなアーシャの視界にイソザキとゼン、そして知らない男が入る。

みんな生ぬるい感じの笑みを浮かべている。

(あ……寝ちゃったんだ)

かぁぁっと頬に血が集まる。

大口を開けて、人に口の中を見せながら寝るなんて、乙女がやっていい事ではない。

例えゴブリンになってしまったとしても、心は乙女。

恥は恥だ。

慌てて起きあがろうとすると、

「而哲坦慾尖典曙西〜〜〜」

イソザキの声とともに椅子の背もたれが迫り上がる。


「はい。グジュグジュ、ペッ」

惰眠を貪ったゴブリンにもイソザキは優しい。

ボウルの横のカップを取って渡してくれる。

そう言えば、なんか口の中が金臭くて気持ち悪い。

アーシャは有り難く口を濯ぐ。


「アーシャ黄捜冬硲泊傍侶床。あ〜ん」

口を濯ぎ終わったアーシャに、イソザキがまた手鏡を渡してくる。

また口の中を見てごらんということだろう。

(何回見ても汚い口なのに……)

促されて、アーシャは渋々口を開く。

「……………っっ!!!!」

しかしそこには先程までの汚い口は映っていなかった。

アーシャは鏡がちゃんと機能しているか、自分の手を映してみるが、間違いなく、機能している。


相変わらず歯並びは良くないが、黒い所が激減している。

残念ながら白く輝くように、とはいかないが、さっき見た時より、すごく綺麗になっている。

「綺麗になってる!!!」

顔をあげると、三つの笑顔がアーシャを見守っていた。

「アーシャ矧腔蔑還榎泊筏領臭陵〜」

ニコニコと笑っているのはイソザキだ。

「アーシャ、那佳諮筆敗」

大きな手で頭を撫でてくれるゼンは、笑っているというより、苦笑に近い感じの笑い方だ。

「鮭昔蓬報恕翰冗」

見知らぬ男性も、何となく祝福してくれている気がする。


アーシャは口の縁を指で引っ張って、歯を剥き出しにして、鏡に映して、感動を噛み締める。

「綺麗……綺麗……」

治癒の力を以てしても治らない歯を、こんなに綺麗にしてもらえるなんて。

「いしょじゃき、有難うございます!!」

本当に感謝した時、自然と首が下がると聞いた事があるが、本当だ。

嬉しくて、有難くて、アーシャは深々と頭を下げる。


「あら、あら、うふふふ」

イソザキは意味ありげに隣の男性に視線を向けたが、

「踏宣語、蔓五点将推須溜温!」

と、何事か言って、アーシャの前掛けを外してくれた。

視線を向けられた男性が微妙にガッカリした感じなのは何故だろう。

「丁続権趨雅、掲本う駿賎い架毘鍔」

ゼンは男性に深々と頭を下げてから、アーシャを抱っこしてくれる。


もしかしたら、この男性もアーシャの歯を綺麗にしてくれたのかもしれない。

「有難うございました!」

そう思い至って、アーシャはゼンの腕の上で深々と頭を下げた。

すると、男性は柔和そうな目を、更に柔らかくして手を振ってくれた。

アーシャも手を振り返す。

「アーシャ、種い茎還」

そんなアーシャの頭をゼンはグリグリと力強く撫でてくれる。

良くわからないが、撫でてもらえたのが嬉しくてアーシャは笑う。


「アーシャ趨肇甑、はい、渋溌禿」

扉の近くに行くと待っていたイソザキが小さなコインをくれる。

「?」

星が描かれているコインだ。

何故お金を貰えるのかわからなくて、アーシャは首を傾げる。

「坦曳汐捻痔癖殊崖」

イソザキは扉の手前にある、神の金属オリハルコンで作られた、四つ足のかなえような物を指差す。

「どーぞ」

「???」

ゼンに下ろされて鼎と対峙するが、さっぱり意味がわからない。

鼎の本体は硝子のように透き通り、赤い蓋と胴体、そして足がある。

本体の中には沢山の球体が入っているのが見える。


キョトンとするアーシャの手をゼンが取る。

そして鼎の前部分にある歯車の、窪みのような部分に貰った所にコインを入れるように導く。

「???」

やはり意味がわからない。

何か宗教的な儀式なのだろうか。


困ってゼンを見上げると、彼は少し悪戯っぽく笑う。

そして歯車に繋がるハンドルにアーシャの手を導き、アーシャの手ごとハンドルを回す。

「わっ!」

ガタガタっと子気味の良い音を上げて、ハンドルが回る。

『もっと回してごらん』とばかりに手を離したゼンが身振りする。

「んんんっ!!」

しかし力を込めても、アーシャだけの力ではハンドルは回らない。

両手を以てしても回らない難敵だ。

すると、もう一度ゼンがアーシャの手の上からハンドルを握る。


「あ!!!」

ハンドルをぐるりと一回転させると、鶏が卵を産むように、鼎からぽこんと半透明の球体が出てきた。

「わぁ〜!」

面白いギミックだ。

ダンジョンで紋章を嵌め込んで開ける扉みたいだ。

思わずアーシャは手を叩く。

どうやらこのコイン一つで、鼎から卵を一個産ませる事ができるらしい。

すごく面白い。

卵が出て来ると知っていたら、もっとしっかりハンドルを回す時、鼎を見ておくのだった。

一体この透明な鼎の中はどんな動きをしていたのだろうか。


アーシャは落ちた半透明の卵を、イソザキに返す。

凄く楽しかった、と、言葉で伝えられたら良かったのにと残念になってしまう。

せめて感謝の言葉を知りたい。

言葉のわからないアーシャはイソザキの足をギュッと抱きしめて、せめての感謝を伝えてみる。

「どーぞ」

すると半透明の卵を半分にして、イソザキが目の前に差し出す。

「???」

卵の中には凄く綺麗な玉が入っている。

水晶のように透き通っているのに、その中にはキラキラと輝く物が入っている。

「わぁ〜」

こんな素敵な物を見せて貰えて、アーシャは顔が綻ぶ。

「綺麗!」

笑うと、イソザキも笑う。


「綺麗だね!」

ゼンを見上げると、彼も笑ったが、少し寂しそうな顔をしている。

「アーシャ切沢苛」

そして彼は綺麗な玉を摘んでアーシャの手に握らせる。

水晶のようだと思った玉は、鉱物ではあり得ない弾力がある。

硬いけど弾力がある、不思議な感触だ。

「???」

これがなくなったらイソザキが困るのではないかと、彼女に戻そうとしたアーシャの手を、ゼンの手が包む。

「アーシャ・の」

そう言って握った手をアーシャの胸に押し付ける。

戸惑ってイソザキを見たら、イソザキも頷いている。


「………もしかして、もらって良いの?」

ギュッと両手で握り込んで確認すると、二人とも全開の笑顔で、大きく頷く。

ジワジワと喜びが腹の底から染み出してくる。

「わぁ~~~」

アーシャは嬉しくなって、さっきより力をこめて、イソザキの足を抱きしめる。

「有難うございます!!」

この何とも言えない弾力のある玉を覗き込むと、小さな粒が七色に輝く。

まるで祝福を受けているようだ。

ちょっと自慢のようになってしまうが、ゼンにもこの綺麗さを見せようと掲げると、彼もニコニコと笑う。


「アーシャ僚据妃、お念積臼伸坐舛!」

イソザキが元居た部屋に続く扉を開けてくれたので、アーシャは外へ急ぐ。

もう一人見せないといけない相手がいるのだ。

奥の座席に、長い足を持て余したように座る人物。

「ユズゥ!」

金属の板を見ていた彼に、頂いた宝物を掲げて見せる。

「あぁ、珪坐靭鐙兜共冥薮」

ユズルは興味なさそうにアーシャの玉を見る。

あまりの無感動さに、この素敵な玉が見えていないのではないかと思い、アーシャは更に背伸びをして、ユズルの近くに玉を掲げる。


すると、ユズルは何気ない動きで、アーシャが掲げた玉を摘んだ。

「あぁぁ!!」

次の瞬間、アーシャは目を剥いた。

流れるような動作で、彼は玉を思いっきり床に投げ飛ばしたのだ。

「ぁぁぁぁああああ!?」

なんて事をするんだと思ったのだが、床に当たった瞬間、凄い速度で玉が打ち上がっていく。

華麗に舞い上がる玉をアーシャは大口開けて見送る。


「おっと」

そのまま玉が天井に突き刺さるのではないかと思ったが、ヒョイっと手を伸ばして、ゼンが捕まえる。

「ユズル、無窃棟眉誉吾静諮湯。アーシャ座橡鰍噺疎施笑人四匿孟捌扮肥些麺」

「あぁ?眉匝爾雁椿導賎有意士撹菱盾霜閥窃幹燃唾懐餓司阜膨?」

ゼンがユズルに怒ってくれながら、玉をアーシャの手に返してくれる。

怒られたユズルは不服な様子で、ゼンに何やら言い返している。


二人は何やら言い合いをしているが、アーシャは今の信じられない光景を再現すべく、美しい玉を、そっと床に放してみた。

「!!!!」

すると、玉はあり得ないほど大きく弾む。

アーシャは目を見張りながら、跳ね返って来た玉を両手で挟んで捕まえる。

今度はもう少し上から玉を落とす。

すると玉は先ほど以上に大きく弾んで返ってくる。

「しゅごい!!」

自らの意思があるように、床を蹴って戻ってくる玉にアーシャは目を輝かせる。

こんな凄い物、見た事も聞いた事もない。


ドキドキと胸を高鳴らせて、次は少し強めに床に放ってみる。

すると玉はそれに応えるように大きく弾んで、アーシャの頭の上まで飛び跳ねる。

「ふあぁぁ!」

落下してくる玉にアーシャは飛びつく。

何て不思議で、何て愉快な玉なのだろう。

これは凄いお宝を貰ってしまった。


アーシャは首から下げた緑の小鳥と、素晴らしい玉を両手で抱きしめる。

「ふふふふっ」

何もしていないのに、既に宝物が二つになってしまった。

こんなに嬉しいことが続いて良いのだろうか。

神の国に慣れてしまったら、もう人間の世界になんて戻れなくなってしまいそうだ。


「アーシャ」

素敵な宝物に、いつも手を差し出してくれる人。

アーシャは幸せを噛み締めながらゼンの腕に飛び込んだ。

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