7.聖女、黄金の山をいただく

「ふふ……へへへ………ふひひ」

アーシャは素敵な置物を陽にかざして、眺めながら、顔が緩むのを止められない。

置物と言っても、アーシャの手のひらにのるくらい小ささで、神の金属オリハルコンでできているので、とても軽い。

色硝子のようで、透き通っているのに、緑の色がついていて、可愛い小鳥の姿をしている。

陽にかざすと、緑色の光が床や壁に落ちる。

(……綺麗……)

しかも小鳥の背中には紐がついており、首から下げて持ち歩けるのだ。

しっかりと首に下げて、アーシャは小鳥を愛でる。


瀉血しゃけつをした後、何故か誉められまくって、この小鳥を貰ったのだ。

一体何故貰えたのかが未だによくわからないが、ゼンもユズルも貰えるのが当然と言う顔だったので、あの建物に行ったら貰える物なのかもしれない。

こんなに素敵な物を無償で貰えるなんて、やっぱり神の国は凄いと、アーシャは思う。

ピンと尖った尾羽に穴が空いているのは不思議だが、硝子の杯は息を吹き込んで作ると聞くので、この小鳥もここから息を吹きこんで、膨らませて作ったのかもしれない。

小鳥がプクリと膨らんで出来上がるさまを想像して、アーシャは笑う。


あの施設からの帰りも魔法生物に乗ったのだが、今度は最初からゼンが隣にいてくれたので、目を閉じて彼の腕にこびりついて、何とかしのげた。

でもあまり得意ではない。

あの魔法生物が声高く鳴いて、グッと体に圧力がかかると、『あぁ、加速している』と思って、背中が粟立ってしまうのだ。

苦手に思って申し訳なかったので、降りた後に鼻先を撫でて謝っておいた。

特に反応はなかったが、移動は彼(?)にお世話になるようなので、少しづつ仲良くなっていければ良いと思っている。


それにしても神の世界は驚きに満ちている。

魔法生物が道を爆走し、馬など一頭もいない。

道は例の黒い石に塗り固められており、魔法生物が通る部分と、人が歩く所が、白い柵や段差で、明確に分離されている。

如何なる染料なのかわからないが、道には魔法生物が通る道を示す線や、不思議な記号が書き記され、上から踏んだりしても消えることが無い。

これならば無軌道に走る馬車に轢かれて亡くなる人もいないだろう。


馬がいないから馬糞がないのは納得できるが、道には排泄物はおろか、ゴミすら落ちていない。

本当にこれは驚いた。

林檎の芯一つ落ちていないのだ。

神の国はゴミを、何らかの方法で完全に消し去る術を持っているのかもしれない。

ゴミも排泄物もないお陰で、街全体は無臭で、駆け抜ける風は心地良さしかない。

何て清浄な場所なのだろう。


街並みは、やはり凄く自由で、様々な形や色に溢れていて、同じ形のものが二つとない。

色を使い過ぎて贅沢だとか、統一性が無いとか、神官なら渋い顔をしそうだが、アーシャには抑圧のない街が輝いて見える。

石、煉瓦、木、そして硝子。

街は色んな素材に満ち溢れている。

特に、どんな建物でも高価なはずな硝子を惜しみなく使っているのにびっくりした。

しかも硝子を扉にしている建物が、ことのほか多い。

硝子なんて壊れ易い物を扉にしてしまうなんて、神の国はよっぽど治安が良いらしい。

王都で硝子窓を取り入れているのは、衛兵が巡回する王宮か教会くらいだ。

そして衛兵がいても硝子は破られないように、柵で覆われている。


(そう言えば城壁がどこからも見えなかったなぁ)

アーシャは小鳥を愛でながら首を傾げる。

街を壁で覆わないのは、小さな村くらいで、ある程度の都市になると必ず壁を作る。

そうしないとモンスターや敵国から街を守れない。

街に入る前に通行証を確認しないとスパイなんかも入り放題になってしまう。

アーシャが小さ過ぎて見えないだけかもしれないが、これだけ発展した街に壁がないなんて信じられない。


色々と思い出しながら、アーシャは小鳥を撫でる。

ぼんやりと、こんな風に過ごせる日が来るなんて、思ったこともなかった。

人々を癒し、豊穣の祈りを捧げ、瘴気の発生がないか巡回し、モンスターの駆逐に駆り出される。

こんな風に愛しい物を眺め、のんびりと考え事ができるなんて、初めてのことだ。

嬉しい反面、少し落ち着かない。

ゼンとユズルは二人で何事か話しながら、調理をしてくれている。

お手伝いする事はないかと周りをチョロチョロしていたのだが、邪魔とばかりにユズルに放り出されてしまった。

二人とも仕事をしているのに、アーシャだけダラダラしていていいものなのだろうかと、少し身の置き所がない。


ゼンとユズルは丁々発止ちょうちょうはっしと何か言い合いをしながらも、お互いを信頼しているのが良くわかる。

(せめて言葉がわかったらなぁ……)

仲の良い二人の間に割り込むことはできないが、彼らがどんな話をしているのか聞いて、仲良くなれる糸口が掴めるかもしれないのに。

じっと二人を見ていたら、気がついたゼンが笑って小さくてを振ってくれる。

ちょっと寂しくなっていたアーシャは嬉しくてブンブンと手を振りかえしてしまう。


(どうしてゼンは私にこんなに良くしてくれるんだろう?)

今のアーシャはご飯を食べて、寝るくらいしかすることができない。

それどころか、排泄の際はゼンに介助してもらわなくてはいけない。

ただの世話のかかるゴブリンだ。


癒してください。

守ってください。

豊かな実りをください。

強化してください。

浄化してください。

人々がアーシャに望むのはそれだけだった。

でもゼンは何も望んでいる節がない。

アーシャが美味しくご飯を食べるのを見て、一緒に笑うだけだ。

(本当にお父さんみたい……)

アーシャは手の中の小鳥に陽の光をあてながら、ひっそりと微笑む。


しかしながら一方的な関係など長持ちはしない。

アーシャも何かゼンやユズルの喜ぶことが出来るようにならなくてはいけない。

(とにかく神の国にいち早く慣れて、私でも出来るお仕事を見つけなくっちゃ……見つけなきゃ………お仕事を……)

ムンッと気合を入れ直していたのだが、物凄く良い匂いがアーシャの鼻腔をくすぐり、意識が逸れていく。

クンクンと匂いを吸い込んでアーシャの頬は緩む。

(間違いない……これは玉子が焼ける臭い……!)

先ほどから流れてきていた、ちょっと酸っぱい感じの匂いも素敵だったが、玉子は格別だ。

あの黄色と白の魅惑的な姿。

食べるだけで無限の力が湧いてきそうな、力強い味。

堪らない。

朝から美味しい『うどん』を、お腹いっぱいいただいたのに、既に胃が『準備できていますぞ!』とばかりに大声で主張を始める。


「アーシャ」

大声で存在をアピールする胃を、押さえつけて黙らせようとしていたアーシャに、ゼンの声がかかる。

呼ばれて嬉しくなったアーシャは、飛び上がってゼンの方へ走っていく。

呼んでもらったのが嬉しかったわけで、決して胃の大騒ぎに便乗したわけでは、断じてない。

アーシャが走っていくと、ゼンは当たり前のように、彼女を抱き上げる。

「ふわぁぁぁぁ!!」

抱き上げられたアーシャは思わず叫んでしまった。


何と言う事だろう、テーブルの上に燦然さんぜんと輝く、三つの黄金の山があるではないか。

「ちゃ、ちゃ、ちゃまご!!」

興奮で舌が回らない。

アーシャの顔よりも巨大な山が二つ。

アーシャの顔サイズの大きな山が一つ。

深く冠雪したように玉子を戴く山の裾野に見えるのは、赤い穀物だ。

見るからに玉子の分厚さが凄い。

これはとても玉子一個で作れる山ではない。

二個、もしかしたら三個の禁断領域に突入しているかもしれない。

拝まずにはいられない。

玉子を一個丸ごと食べたいと願いは既に叶えられたのに、こんな追加恩恵が来るなんて信じられない。


もしやこれは局地的蜃気楼では、とすら思ったが、ホコホコと湯気を上げる尊容そんようは確かに目の前に存在する。

「あ、竹苅遡鶏干、竹苅遡鶏干」

アーシャを膝にのせて席に座ったゼンが、テーブル上の赤い物が入った容器を取る。

「えっ」

黄金の山を拝んでいたアーシャは目を見開いた。

止める間も無く、真っ赤な、豚の血のような液体が黄金の山を覆ったのだ。

「あっ、あっ」

尊い黄金の山が、一瞬にして呪われた山に様相を変えていく。


「……あ因?崩洩註除斎酷陥い飴い愉埜」

「あぁ?嘗琵腸沖関愛矯潟施獅筑訴聖姶幾刑葛李只李?尿園線力贈栓榊声昇双乍親竣汚鷲迦桁没泰侠頻家創謬代暁叩嵐」

ワナワナと震えるアーシャを見て、ゼンとユズルが何か話し合っている。

そして何を思ったのか、ゼンは再び赤い物が入った容器をひっくり返す。

「あっ、あっ、あっ」

ビチャビチャと投下される赤い液体を止める術をアーシャは持たない。

ただ、黄金が赤く染められていくのを見守ることしかできない。


「………寧芝い陰」

黄金の山を赤く染めたゼンは、首を傾げている。

「……………」

「……………」

ユズルとアーシャは無言で、赤く染まった山を見つめる。

(これは……もしかしなくても、心臓のシンボル……?)

意図を持って何かを描いたようなのだが、それはどう見ても、心臓のシンボルにしか見えない。

しかも赤い液体が跳ねて、潰された心臓のようだ。

山頂で捧げられた生贄の構図に見える。

激しく食欲を減退させる見た目だ。


「ま、遡詑搾惣売酎あ稚彪琵繊奴い疏得!」

重くなった空気を吹き飛ばすように、ゼンが手をパタパタと動かす。

そして匙で、赤く染まった卵と、下の穀物を掬う。

「アーシャ、あ〜ん」

小さく切られると、呪いの図式は気にならない。

「……あ〜ん」

アーシャは恐る恐る口を開く。


匙が口の中にフワッと玉子の香りを広げる。

「ん〜〜〜」

赤く染め上げられても玉子は玉子。

玉子は最強なのだ。

口を閉じると、舌の上に、玉子と一緒に掬われた穀物が着地する。

「ん!」

酸っぱいような、辛いような、不思議な味わいに、アーシャは目を見開く。

「んん!」

あむと噛めば、ふわふわの玉子が酸味と絡み合う。

「んんん〜〜〜!!」

更に噛めば、まろやかな甘みと、程よい辛さのある酸味が更に混ざり合い、口の中に広がる。

この酸味は柔らかな玉子の魅力を最大限に生かしている。

混ざりあえば混ざり合うほど豊かな味わいになる。

噛んでいる最中に、慌てて唾液たちが飛び出してきて、顎が痺れる。


「美味しい〜〜〜!!!」

もう、そう叫ぶしかない。

こんな玉子を冒涜したような外見なのに、身を捩るほど美味しい。

もう口の中には玉子はいなくなったと言うのに、唾液はどんどん分泌されてくる。

頬を押さえてアーシャは揺れる。

自分の山にも赤いものをドバドバっと掛けて、ひと匙食べたゼンも、納得の味だったようで、頷いている。

そりゃあこんな美味しいもの、頷くしかない。


「あ〜ん」

そして再び差し出された匙にアーシャは飛びつく。

「んんん〜〜〜!」

噛めば穀物からも甘味が出るが、この玉子自体が、ほのかに甘い。

もしかしたら玉子に何らかの味が入れられているのかもしれない。

細かい事は全くわからないが、その甘味が、酸味の効いた辛さと溶け合うと、とんでもなく食欲をそそる味になる。

飲み込んだ瞬間から次の一口が待ち遠しくなる。


「状蒼較戒え、九倹掴!」

ゼンが大きな一口を食べているのを、うっとりと見ていたら、前に座っていたユズルに、匙を押し付けられる。

「?」

何だろうと見上げると、手のひらに匙を押し付けられ、ギュッ、ギュッと力を入れて握らされる。

「じ・ぶ・ん・で・く・え!」

そう言って、ユズルはアーシャの手を動かして玉子を掬う。

「?」

何だろうと思ったが、アーシャは迷いなく、それを口の中に入れる。


「んっ!」

再び酸っぱ美味しい味が口に広がって、夢中で噛むと、穀物の中にプチっとする何かが入っていた。

(豆……?)

鼻先にある皿の中の玉子をめくってみると、何と穀物だけではなく、えんどう豆、黄色い豆、四角く切った人参等、様々な具が隠れていた。

(凄い………!あんな短時間にこんな下拵えをしてしまったの!?)

アーシャはゼンとユズルに尊敬の眼差しを向ける。


そして渡してもらった匙を動かして、せっせと元・黄金の山を崩しては口の中に詰め込む。

俯くと皿の縁が、鼻の頭に当たるが、気にしていられない。

(んん!この豆は皮も口に残らなくて食べ易い!人参の甘味が絶妙に合っているわ!!)

心の中で評論しつつ、アーシャは全力で口を動かす。

「人参美味しい!」

「甘い!」

「ゼン、これ美味しい!!」

言葉は通じないが、伝えずにはいられない。

アーシャの口は伝えたり食べたりと、大忙しだ。


お陰でゼンが少し寂しそうにアーシャの様子を見ている事に全然気がつける事は無かった。

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