3.聖女、魔法生物に出会う
今日も今日とて、朝から豪華に卵入りの『うどん』を頂き、お風呂で綺麗にしてもらって、香ばしい匂いのする爽やかなお茶『むぎちゃ』を飲ませてもらい、綺麗な服を着せてもらう。
(王侯貴族になったみたい)
はふ、と、アーシャは息を吐き出す。
あまりに恵まれすぎた環境で、幸せのため息しか出てこない。
(ゼンのお引越し先にも連れて来てもらったし、こんなに幸せで良いのかしら……)
ゼンの旅支度はどうやら居を移す準備だったようだ。
当然のように連れて来てもらえた事に、喜びしかない。
(凄い……こんなに可愛い刺繍の服なんて初めて)
アーシャはクルクルと回って、風で広がるスカートをうっとりと眺める。
青、赤、黄色の小さな花の刺繍が沢山入っていて、こんな手が込んだ物を自分が着て良いのかと、アーシャは戸惑いながらも、ときめきが止まらない。
自分がこんな素敵な服を着られる日が来るなんて思わなかった。
神の世界には、もしかしてスカートがないのではないかと思っていたのだが、そんな事は無かったらしい。
上から下までが一枚になっていて、腰を全く締め付けない、とても珍しい形だが、着心地が素晴らしい。
しかもスカートの丈は膝の辺りまでと短くて、動くと裾が自由に揺れ動くのが、何とも可愛い。
おまけにスカートに入った刺繍は、どの花も見分けがつかないほど、均一な出来栄えで、ため息が出るほど美しい。
きっと熟練の手によるものだ。
「ふふふっ」
思わず足元が弾んでしまう。
お姫様にでもなった気分だ。
まぁ、実際のところは、ゴブリンなのだが。
「アーシャ」
ゼンに呼ばれて走っていくと、今度は何とも不思議な材質の靴を履かせてもらう。
上側は鮮やかな水色の、ツルツルとした光沢のある素材が作られており、底は白くて、やたら弾力のある素材が使われている。
そして中には、何と、布がわざわざ貼ってある。
「わぁ……!」
神の国での初めての靴に、アーシャは歓声を上げてしまう。
とても柔らかいのに、がっしりと足を包み込み、立ってみると羽のように軽い。
ぴょんぴょんと飛んでみると、普通の皮靴のように直接地面に当たる感じではなく、靴が衝撃を吸収している。
(凄い……!履いていないように軽いのに、しっかりと守られている感が凄い……!!)
流石、神の国は一味違う。
一体どのような魔法がかかっているのか、恐ろしく履き心地が良い。
これならどこまでも歩けそうだ。
しかし、とても柔らかく、すぐ壊れそうなので、大切に扱わなくてはいけない。
「農交網、灯杵う墓!」
ゼンが目の前の扉を開けると、強い太陽の光が差し込んでくる。
(外だ!)
一瞬明るさに目が眩んだアーシャは、手で庇を作りながら、いざ神の靴を試さんと、勇んで外に出ようと踏み出して―――、
「………ほぁ〜〜」
ポカンと口を開いて立ちすくんでしまった。
そこは、これまでアーシャが見てきた、どんな風景とも重ならない世界だった。
空は沢山の黒い縄が張り巡らされ、あらゆる所に巨大な柱が立ち、その縄を空高く掲げている。
(結界………?)
巨大な柱は石造りのようだが、上の方には金属の輪や突起が嵌め込まれていて、宗教的な物を感じる。
その柱の足元は、地面を覆う黒い石で塗り固められ、大樹のように揺るぎなく立っている。
(硬い)
アーシャはしゃがみ込んで、地面に触れて、
一枚岩のようだと思ったが、これは岩よりも硬い。
しかも沢山の黒い小石を敷き詰めているのかと思いきや、指で動かしてみても、どの小石もびくともしない。
敷き詰めているのではなく、塗り固めている感じだ。
まるで溶かした金属で小石たちを接着しているようだ。
(こんな物を一面に塗っているの……?)
いかなる技術かはわからないが、目につく全ての地面が、この黒い石で塗り固められている。
石畳を敷くのでさえ一大事業だったのに、見る限り全てを覆うなんて、一体どれほどの労力がかかっているのか、想像もつかない。
土が見えずに、空は縄が覆う。
それだけで異質なのに、周りの家々と思われる建物も、変わっている。
何と表現したら良いのかわからないが、とにかく自由で統一性がない。
塀で囲まれている建物があれば、唐突に薔薇で作られたアーチがある建物もあり、塀など全く無く、どこからどこまでが道なのかわからない建物もある。
陽の方向に入口らしき扉がある家があれば、陽の方向は全て窓にしている家もあるし、緑に埋もれて、どこが入口かわからない家もあって、みんな好きな方向を向いている。
四角い煉瓦造りの建物があれば、この前見たエルフの家のような可愛らしい建物もあるし、貴族の邸宅を小さく切り取ったような建物もあって、色も形もかなり自由だ。
道に沿って、隙間を惜しむかのように、似た配色の建物が並ぶ、王都を見慣れた身としては驚く事しかできない。
色・形・配置と情報量が多くて、頭がぼんやりとしてしまう。
「アーシャ」
口をポカンと開けたまま停止してしまったアーシャを、ゼンが抱き上げてくれる。
混乱しながらも、ペタンと彼にくっつくと、その温かさと、力強い神気で、気分が落ち着く。
わからない物が多すぎて混乱してしまうが、ゼンがいるから大丈夫だ。
何が大丈夫かわからないが、きっと大丈夫だ。
アーシャは一人ウンウンと頷く。
「………?」
そう思って一息ついていたら、黒光りする、いつぞやの、馬の必要がない馬車に導かれる。
「…………」
何となく、この箱には悪い印象がある。
ゼンと引き離されそうになった記憶が、まだ新しい。
入りたくないけど、ゼンを困らせるような事もしたくない。
不安でゼンを掴む指に力が入る。
そんなアーシャの背中をポンポンとゼンは宥めるように叩いてくれる。
「反湯露い偶痔品瀧」
そして彼は笑って、箱の扉を開ける。
箱の中は向かい合って座るのではなく、同じ方向を向いて座るように座席が作ってある。
その座席の上に更に、バラの蕾のような形の椅子が取り付けられており、アーシャはそこに下される。
座った椅子は、恐ろしく座り心地が良い。
布張りのように見えるのだが、その下にとても弾力性のある物が入っており、アーシャの背中と体の形に馴染んで、かっちりと固定される。
(ネックレスとか、こんな感じで箱に入ってるわよね……)
高級品が布張りの宝石箱に嵌められるのはわかるが、何でゴブリンがこんなにガッチリと包装されているのだろう。
「……ゼン」
体の上からカッチリとリボンまでかけられて、動けなくなってしまったアーシャは、流石に不安になって、ゼンを呼ぶ。
「週嘆湛黙殿弔償彫換」
しかし頼りの彼は、何事か言って、バタンと扉を閉めてしまった。
「ゼン!!」
彼の姿が見えなくなってしまって、大きな声をあげると、前の座席に座っていたユズルが迷惑そうに振り向いて、反対側の扉を指差す。
すると、その扉がバッと開けられ、隣にゼンが滑り込んでくる。
そして彼は自分にもリボンをかけてから、手を伸ばして、アーシャの手を握ってくれた。
「霜姶俗い淘誉鋒な」
大丈夫だとでも言わんばかりに、ギュッギュと手を包まれると、途方もなく安心する。
「っ継悔……帆閏練寝通誤」
ユズルが何事か呟くと、急に箱が振動を始める。
「ひっ!!」
大きく揺れて、アーシャは思わず、息を呑む。
どうやらユズルは、この箱を起動させる呪文を持っているようだ。
起動された箱は、強く振動した後は、ドッドッドッドッとまるで生物のように振動する。
(も、も、もしかして、これはただの箱じゃなくて、何らかの生き物なのかも)
ゼンの手を思い切り握りながら、アーシャは考える。
この振動は、まるで何かの生物の中にいるようだ。
アーシャ自身は見た事がないが、魔法生物という、魔法使いたちによって生み出された生物がいるということは聞いた事がある。
普段は器物のように動かないが、魔法使いが、そのコアに力を注ぐと目を覚まし、意のまま動くと聞く。
(ユズルは高名な魔法使いだったりするのかしら)
アーシャは初めての振動に、緊張の汗を流しながら、尊敬の眼差しをユズルに向ける。
大して気合を入れる様子もなく、この箱を起動させるのだから、凄い。
体も頭もしっかり固定された椅子に座っているので、前に座っているユズルの様子は確認できないが、何やら、この箱に指示を出している感じはある。
箱はスルスルと器用に動き、黒く塗り固められた道を進む。
道は狭くて、左右の建物の塀にぶつかりそうなのに、危うげなく、箱は進む。
馬車ならこの道は絶対に通れない。
しかも道が平らなせいなのか、この箱の能力なのか、殆ど揺れがない。
鼓動のような振動はあるが、それ以外はとても静かだ。
(……凄い……)
馬車は悪路だと尻にあざが出来るほど激しい衝撃が来るので、この滑らかな動きは感動ものだ。
この世の命綱とばかりに、ゼンの手を握りしめていた手から、ゆるゆると力が抜ける。
(凄い快適〜)
そう、アーシャが気を抜き始めた時だった。
細かった道が急に開け、
「えぇ!?」
アーシャは目を疑った。
目の前を魔法生物たちが、群れを成して、物凄い速さで走り抜けている。
一度、ゼンから引き離されそうな時に、この箱がかなり早く走る所は見た事があった。
が、今走っている箱は、その比ではない。
馬を単騎乗りで、最高に飛ばした時くらいの速さはあるのではないだろうか。
しかも走っているのは、一つや二つではない。
物凄い数が爆走している。
(朝から聞こえていた音は……コレだったんだ)
建物の外からブーンブーンと音がすると思っていたら、この箱が道を走り抜ける音だったのだ。
巨大な箱が、こんな速度で走れば、確かにこんな音がするだろう。
「えっえっえっえっ」
納得していたアーシャだったが、自分達が乗った箱が前進し始めて、思わず足を突っ張る。
自分達が進んできた細い道と、魔法生物たちが爆走しているかなり広い道は、垂直に交わっている。
前進するということは、あの爆走する魔法生物の群れに突っ込むという事だ。
「ぶ、ぶ、ぶつかる、ぶつかるっ、ぶつかるよっ、ぶつかるっ」
思わず情けない声が出る。
「アーシャ、杭匡ぶ、杭匡ぶ」
ゼンがのばしてくれた手に、アーシャは必死にしがみつく。
馬に撥ねられた事はないが、全力疾走してきたキメラに頭突きをされた経験はある。
自分で回復する事が難しいくらいのダメージを受けて、しばらくトラウマで四つ足のモンスターに近寄れなくなった。
あの時の衝撃と、「あ、死んだ」という感覚と、絶望しながら見た青空が脳裏を横切る。
箱が甲高い声で鳴く。
「っっっっっ」
体にくるであろう衝撃に、ゼンの手を抱き込むように縮こまって備える。
「っっっ…………?」
しかし衝撃はいつまで経っても来なかった。
「祖桃、貌案壁簡渥織藤栽薪見数曲杵応街村」
「はぁ〜?予装弘店替風抄?」
気がついたら、ゼンとユズルが何か言い合いをしている。
「い……生きてる……」
アーシャはフハッと息を吐く。
そして現状を確認しようと外を見て……固まった。
物凄い速さで景色が流れていっている。
馬は移動用に乗れる程度で、それ程得意ではなかったアーシャは、精々やれて、ちょっと速い
だから硝子窓の外の光景は恐怖でしかなかった。
個性的な街並みも、道も、楽しんで見る余裕はない。
ヒュンヒュンと、窓の外を凄いスピードで、緑が駆け抜けていく。
「…………っっっ」
これはもう叫ぶしかない。
叫んで恐怖を中和するしかないとアーシャは思い切り息を吸い込む。
「アーシャ、削英傾孤?」
しかしその息は、悲鳴になることは無かった。
気がつけば、少し遠くに座っていたはずのゼンの顔が、すぐそこにある。
そして椅子ごと、しっかりと体が抱き締められている。
「鶏瞳ぶ。廠紫侠托閑唯夫撤研件い糟酬旺剖。罪い鳴迅川鍾傍酢木耕給い嬬」
真っ黒な目が、優しくアーシャを見つめている。
彼の体温があったかい。
「………じぇん………」
その一言で、身体中の空気が出ていった。
ついでに、そこまで出てきていた涙と鼻水まで飛び出した。
ゼンはヨシヨシと頭を撫でてから、顔を拭いてくれる。
怖かったので、木にぶら下がる猿のように彼の腕に掴まったら、ゼンは破顔した。
「弊い廠石悔轟葉蒋お庚う悩」
彼にとっては辛い体勢だと思うが、笑って受け入れてくれた。
申し訳ないと思いながら、アーシャは安堵で脱力した。
今更、凄い速さで打っている心臓の音が、鼓膜を揺らす。
「アーシャ?」
小さいゴブリンの心臓には、魔法生物体験はちょっと早かった気がする。
そんな事を思いながら、アーシャは意識を手放した。
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