20.愚兄、九死に一生を得る(後)
鉄門を潜った先には恐ろしい程、清浄な空気が流れ、土が剥き出しの獣道を走るに従い、空気がどんどん重くなる。
最初は青々と生い茂っている木や草が、進むに従い、ねじ曲がり、立ち枯れを起こし、姿を消していき、遂には何も生えていない岩場になる。
「クソッ、相変わらず気持ち悪りぃ……」
土地そのものの力が、何者かに吸い取られてしまっているようだ。
つい先日入ったから一年は来ないで済むと思っていたのに、三日程度で戻ってくる羽目になった。
譲は吐き捨てながら、最初に張られた、しめ縄を潜る。
しめ縄の先には、人為的に作られた、原始的で巨大な石の砦がある。
クレーンもブルトーザーもない時代に、こんな巨大な石たちを集めてきて、良く組み合わせた物だと譲は感心する。
石の砦を越えると三重に貼られた、紙垂の下がった縄が見えてくる。
「譲様!?」
その外側に立っていた男が、譲を見て驚きの声をあげる。
「何でこちらに!?」
「ここは封じ役以外入るなと若様が………!!」
「早く村から出てください!若様に万が一のことがあったら………!!」
顔色の悪い男たちが、譲の姿に気がついて、口々に騒ぐ。
「禅が死んだら、代打はお前になるんだから安全な所に居ろってか?……ふざけんじゃねぇ」
譲の声は静かだったが、男たちの口を塞いだ。
彼等は『封じ役』と呼ばれ、禅一が『御神体』を清め、石室に神気を満たしたら、その上から封じの縄を貼る役割の者たちだ。
安全とは言い難いが、三重に貼られた封印の中に入って、直接『御神体』を清める宗主に比べれば安全な役割だ。
「禅、テメェもふざけんじゃねぇぞ。自分が全部やれば良いとでも思ってやがるんだろ?………そんなモンは絶対自分だけでできる時だけにやれ!俺は無駄死にリレーのアンカーになる気はねぇんだよ!!」
譲は三重の封印の中に向かって吠える。
封印の中は、陽の光すら吸い取ってしまう、黒煙のような気体と、その煙の中に隠されて蠢いている、何かがいる。
その前に剣を構えたまま、片膝をついている兄の姿がある。
ほぼ体を黒い霧に包まれ、見えなくなりつつある。
風もないのに這い回る霧の中で、禅一の持つ剣だけがはっきりと見える。
「おい!禅!!」
譲が呼びかけるが、その目は焦点を結んでいない。
歯を食いしばり、辛うじて意識を保とうとしているようだが、どんどん濃くなる霧に囲まれつつある。
「もう食われかけてるじゃねぇか、クソが!!」
譲は焦点を結んでいない目が、それでも見ている方向に移動する。
そして小脇に抱えていた子供の背中を掴んで、ぶら下げる。
「禅!見ろ!!お前が拾ったガキだぞ!!お前が食われたらコイツをそこに投げ込むぞ!!」
子供を振り回して見せると、シャラシャラと子供の持った神楽鈴が鳴る。
「う……ぐっ………」
声は少し耳に入っているのか、禅一の持つ剣が揺れる。
「途中でいいから!氣をぶっ放して出てこい!!」
「ぐっ……ぐっ………」
禅一の周りの黒い霧が、何かに警戒するような動きになる。
完全に塗り潰されそうだった禅一の周りに、再び煌めく気が漂い始め、姿がはっきりし始める。
「おい!チビ!泣き叫んで禅を呼べ!!」
譲はブンブンと手を振って子供を揺らす。
禅一は底力がある。
しかしそれを本人の意思で引き出す事ができない。
発破をかける存在が必要になるのだ。
「ゼン!!!」
そう、例えば、到底自分一人の力では生きられないような、こんなチビのピンチだ。
「もっとでかい声で泣き叫べ!!」
哀れっぽく子供が泣き叫べば良いと思ったが、この子供は元気が良すぎる。
「ゼン!!!」
「っっあっっ!!!」
大きく手を振った瞬間、子供は自ら、グルンと横周りに回転した。
予想外の動きに、譲は掴んでいた服を手放してしまう。
「ガキ!!」
慌てて受け止めようと手を伸ばしたが、譲の揺すったエネルギーをも利用して、子供はフィギュアスケートの回転ジャンプの様に、身をぐっと寄せて、回転しながら封印の中へ飛び込んで行く。
「ゼン!!」
そして着地に失敗して地面をゴロゴロと転がったかと思ったら、回転しながら立ち上がって禅一目指して走る。
「クソっ!!」
流石に子供をそのままに出来ない。
舌打ちしながら譲も封印の中へ入ろうとした時だった。
シャララランと、清らかな鈴の音が周りに響いた。
「………は………?」
右手に神楽鈴を高々と構え、左手で五色の布を持ち、子供が突然、不思議な足踏みを始めたのだ。
踊っていると言われれば、そのように見えるが、譲の目には何かの目印を辿るように、足を運んでいるように映る。
しかも子供が踏んだ地面からは、あり得ない量の『氣』か噴き上がっているのだ。
トンットンッと幼児では難しそうな、複雑な足の運びを、へっぴり腰で行う。
その拙い動きに合わせて、出涸らしのようになったはずの土地から『氣』が湧き出てくるのだ。
普段は水平に持って手首を捻る事で音を出されている神楽鈴は、乱暴にブンブンと振り回されている。
幼児は複雑なステップを踏みながらも、神楽鈴を振り回して、禅一に取り憑いた霧を払っているのだ。
まるで霧の根元が何処から来ているのかがわかっているように、神楽鈴を降るたびに禅一から霧が引き剥がされる。
「氣が………」
「これは……奇跡なのか……?」
呆然と『封じ役』たちが呟いている。
奇跡かと聞かれたら、奇跡だとしか答えられない。
禅一から黒い霧を剥がし終わった子供は、幼い声で異国の歌を、
「!?」
その歌に合わせるように、譲が持っていた神楽鈴が鳴動を始める。
「なっ!!!」
それと同時に彼の足から『氣』が流れ込み、神楽鈴を持つ手に向かって体内を走る。そして奔流となって子供の持つ、対の鈴に向かって飛んで行く。
最初は呆然とするしか無かった。
しかし譲と子供によって、大地から汲み上げられた『氣』は、禅一を中心とした薄壁の半円形のドームを形作り、更にその中に水が溜まるように、満ちていく。
ドーム内の『氣』は、禅一が持つ剣を中心に渦巻く。
譲が神楽鈴を構え、自分でも、地中の『氣』を掘り出し、汲み上げるように意識したら、流れ込む『氣』の量が一気に増える。
少女の歌声に応えるように、朗々とした
完全に目の焦点を取り戻した禅一だ。
祝詞を上げながら、彼も所作の通りに剣を持って舞う。
「一体……これは……」
「………神が……降りられた………」
先程まで辿々しかった幼児の舞が、重力の干渉を逃れたように軽やかになり、禅一の剣舞と合わさり、まるで一つの踊りであるかのようだ。
貧相な黒タンポポだったはずの幼児は、今は内側から光り輝く、神の遣わした稚児のようだ。
剣を持って舞う禅一も、普段の人間臭さが抜けて、褐色の肌が抜けるように透明になり、こちらも発光しているようだ。
『封じ役』たちが言うように、神が降りてきたようだ。
これが本来の
自らも『氣』を汲み上げながら、譲はその光景を見守る。
完璧な一対の舞だ。
これをたった一日ちょっと一緒にいただけの二人に実現できるはずがない。
神の器となった二人が、神に動かされているようにしか見えない。
あの子供に関しては、表情、動きから全く違い過ぎる。
そこにあるのは神々しさだけで、間抜けさが微塵も感じられない。
祝詞の最後の言葉が、力強く朗吟される。
それと同時に動かしてもいないのに、譲と子供の持つ神楽鈴が激しく鳴り響く。
それに合わせるかのように渦を巻いていた『氣』が、一気に剣に集約し、目も眩むような輝きを放つ。
それと同時に巻き上がる竜巻のような突風が、石室内に吹き荒れる。
「うわっ」
「ひぃっ!!」
「眩しいっっ!!」
「風がっっ」
周りにいた『封じ役』たちが、声を上げる。
「『封じ役』ども!!叫んでねぇで仕事しろ!!結界を張り直せ!!」
譲は苛立ちの声を上げる。
通常は、燐光と微風程度しか起こらないので、動揺するのはわかるが、戸惑っている場合ではない。
宗主が『御神体』を圧倒する一瞬に、封印を貼り直さねばいけないのだ。
恐らく今年の大祓での封印が甘かったから直ぐに綻んだのだろう。
責任をとって奴等にも命懸けで働いてもらわないといけない。
「アーシャ!!」
譲の檄が飛んで、慌ただしく縄が張り巡らされる石室内に、禅一の声が響く。
譲が振り返った時には、小さな体はペシャリと石畳に崩れ落ちていた。
支えようとした禅一も腰から下が砕けるように、石畳に蹲ってしまう。
禅一からは、まるでフルマラソンを全速力で走り抜けたように、大量の汗が吹き出している。
呼吸も石室に響く程、激しい。
それでも禅一は這うようにして、子供の元に向かっている。
「チッ!」
譲は大きく舌打ちして、紙垂の下がった縄の下を潜る。
そしてガクガクと震える手足で這っていた禅一の肩を掴む。
「………譲?」
「譲?じゃねぇ!!いつまで意識飛ばしてんだ!!出るぞ!!」
譲は兄の肩の下に潜り込むようにして支えようとするが、禅一は子供の方に手を伸ばそうと動く。
「譲、アーシャを、あの子を先に……」
「黙れ!!このクソ馬鹿野郎が!!」
普段は鬱陶しい程野太いのに、今は喋るのもやっとと言った様子の禅一の声を、譲は遮る。
「俺は俺の優先順位で動く!ガキはお前の後だ!あのガキを助けたいならとっとと足を動かせ!!今抵抗しても俺はあのガキを助けない!お前がやる事は、その扱い辛い剣を握ったまま外に出る事だ!!」
今は『氣』の奔流に包まれて、『御神体』は動きを止めている。
子供がどう言う状況か知らないが、禅一をこれ以上『御神体』の側に置くと言う事は、彼を見殺しにすると言うことになる。
「ぐっ」
言葉を尽くしても譲が動かせないことがわかったのか、禅一は震える足を必死に奮い立たせて歩く。
しかし足に力が入らないようで、肩を貸しても上手く歩けない。
「後は……転がる」
譲の肩から滑り落ちたのを好機とばかりに、禅一は剣を抱き込むようにして、ゴロゴロと、みっともなく転がる。
「芋虫みてぇ」
全く取り繕わない兄に、皮肉の一つも言いたくなる。
「良いから……アーシャを……」
真っ白な着物を汚しながら、結界の外に出た禅一が急かす。
高々二日程度一緒にいただけの子供を、ここまで優先したがる気持ちが、譲にはわからない。
しかし何かあったら寝覚めが悪いので、地面に転がった子供と、鈴が二、三個取れた神楽鈴を素早く回収して、譲も結界の外に出る。
「……………たな……」
その際、聞き覚え無い声がしたような気がして後ろを振り返ったが、そこには圧倒的な『氣』に押さえつけられ、塩をかけられたナメクジのように縮む『御神体』しか居ない。
「アーシャ……アーシャ……」
倒れた禅一の横に子供を置くと、心配そうに彼は名前を呼びかける。
子供は蝋人形か何かのように動かない。
微かに胸が上下していなければ、死体と思ってしまいそうだ。
「何で……何で、この子を連れてきた……!?」
呼吸が落ち着いてきた禅一は譲を睨む。
「そいつが行きたがったからだよ」
平然と答えてやると、禅一の顔が怒りに歪む。
そして何か言おうと口を開けるが、それより早く譲は口を開く。
「デケェ口叩くんじゃねぇぞ!?しっかりアレに食われかけてやがったくせに!!」
「っっ………」
禅一は悔しそうに口を閉じる。
「無謀と勇敢を履き違えるんじゃねぇぞ!?何で封印が解けたのかはわからねぇけど、お前が中に入る必要が何処にあった!?」
「封印が弾けたら厄災か出てくるだろう。……止められたのは俺だけだ」
禅一はヨロヨロと起き上がり、袴を緩め、上の着物を抜き取る。
「お前は大祓の穢れに侵されてたんだ!引き込まれる事なんて、いくらでも予想出来たはずだ!!そこの直ぐに解けるような封印しか施せねぇくせに、普段デカいツラしてる奴ら全員で突っ込ませれば良かったんだよ!!四、五人は食われただろうが、一人でも生き残れば再封印は出来ただろうが!!」
祝詞を上げながら、封印をやり直していた連中が、ギョッとした顔をするが、譲は気にしない。
「………全員食われていたかも知れない」
禅一はモソモソと上着を脱ぎながら、くぐもるような声で反論する。
「だからってお前が食われてどうすんだ!?自分が生き残る方法を取れって、いつも言ってるだろう!!」
気まずそうに、脱いだ上着で子供を包んでいる禅一の頭を、譲は思い切り叩く。
「言ってる側からお前は何してんだよ!!」
キョトンとしている禅一に、譲は子供を指差す。
「いや、冷えたら大変だから……」
「そう思うなら俺か周りの奴の上着を剥げ!!何でヨボヨボしてる自分の上着を使ってんだ!!お前は着とけ!!」
子供から着物を剥ぎ取って禅一に突っ返した譲は、自分の上着で子供をぐるぐる巻きにする。
「良いか?その腐った自己犠牲精神はとっとと捨てろ!!お前が死ねば次の生贄は俺なんだ。俺にクソみてぇな順番を回してくるんじゃねぇ!!死にたいなら他の生贄を見つけてからにしろ!!」
「いや……死ぬつもりは全然……」
「たった今、死にかけておいて、ミジンコすら納得しねぇ言い訳してんじゃねぇ!!」
「ミジンコには日本語は通じないと……」
「比喩表現だよ!!この聞き取り能力皆無の無能野郎!!今!このガキが居なかったら、テメェは食われてたんだからならな!?クソくだらねぇ言い訳すんな!!」
この男は自分の火事場の馬鹿力を過信しすぎている。
確かに凄まじい力を発揮することがあるが、それは自分の為では発動させられないと言うことを、そろそろ学習して欲しい。
「……しかし、早く着いたな。さっき連絡したのに」
「あぁ?」
不機嫌そうに譲は、話しかけてきた禅一を睨む。
「俺が普通に帰宅してたとでも思ってたのか」
「……違うのか?」
呑気な兄に、譲は頬をひくつかせる。
「何の準備もせずに、子供を引き取るとか言い出す単細胞のフォローの為に町に戻って環境を整えてきたに決まってるだろうが!!」
愚兄賢弟とはよく言った物だ。
腹に据えかねて、譲は怒鳴る。
「大体そのチビをどうやって連れて帰るつもりだったんだよ!?」
「……車しかないんじゃないか?」
田舎は交通インフラが死亡しているので、車以外の交通手段はない。
「そうだな。車だな。で、こんなチビを車にそのまま乗せられるとでも思っているのか?」
「……?」
「チャイルドシート!」
脳細胞の動きの悪い兄を持つと苦労が絶えない。
「あ……すまん。全然考えてなかった……」
ここまで言われて漸く思い至ったらしい禅一は、申し訳なさそうに頭を下げる。
「チビの寝床も要るし、服も身の回りの品も一切持ってねぇんだ。買って集めるしか無いだろ」
不機嫌そうに、歯を剥き出しながら譲は言う。
「すまん。色々準備して迎えに来ていてくれてたんだな」
素直に非を認めて謝れる所は、数少ない彼の美徳だろう。
「今回の事もそうだが、ちゃんと後先考えて行動しろよ」
ちゃんと学習して次からの行動に活かせれば。
譲は鼻を鳴らす。
「おい!お前ら!再封印が終わったなら、猫車でも取ってこい。動けない筋肉の塊なんか堆肥以下だ!とっとと家まで運べ!!」
まだ半分夢を見ているような状態の『封じ役』たちを、譲は怒鳴りつける。
「猫車………」
一輪の手押し車で運ばれる自分の姿を想像したらしい禅一は、塩をかけられた青菜のようになっている。
譲はそんな禅一に、身動き一つしない子供を突き返す。
「おら。一緒に運ばれろ」
渡された子供を胡座の上にのせて、禅一はホッと息を吐く。
本当に大事に思っているらしい。
親切なくせに、人間関係にはドライな彼らしくない。
人にも物にも、あまり執着するタチではないのに、珍しい事もある物だ。
「……まぁ、好都合か……」
譲は小さく呟く。
この子供は既にほぼ食われている状態から、禅一を蘇らせる、奇跡の技を持っている。
この子供の力は、絶対この地で役に立つ。
出所不明・詳細不明で人知を超える力を持っているなど、怪しさ満点だが、人を欺けるほど頭は良くなさそうだし、何より禅一に懐いている。
ならば手元に置いて損はない。
「何か言ったか?」
「うるせぇ、堆肥。さっさと運ばれちまえ」
単細胞な兄を一蹴して、譲はこれから自分が取るべき行動を考えるのだった。
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