20.愚兄、九死に一生を得る(前)
彼には手間のかかる兄がいる。
ファッションセンスが皆無で、放っておけば、ホームセンターやスーパーに売ってある、果てしなくダサい洋服を買ってきてしまうし、友達が悪ふざけで贈ったダサTシャツも堂々と着こなしてしまう。
とにかく外見に無頓着で、マメに理髪店に連れて行かなければ、前髪が鬱陶しいと、平気で工作用ハサミで真っ直ぐに切ってしまうし、カゴに入っていた時点で回避したが、丸刈り用のバリカンを購入しようとした事もあった。
そんな細かい事を気にしない大雑把さと、自分を取り繕う気がない性質である上に、ババァっ子で無駄に道徳心高めに育ってしまった為、道で困っていそうな人間がいれば、躊躇せず、すぐに拾う。
どんなにヤバそうな人間にでも平気で声をかけてしまう。
鈍感なのか、声を掛けて無視されたり、にべもなく拒否されても、全く気にも留めずに、次に似たような状況が来ても、迷うことなく首を突っ込む。
お陰で、近所のジジババに便利屋扱いされてしまっているし、癖が強くて集団に馴染めなかったような連中に懐かれまくっているし、テスト期間前だけの自称友人に擦り寄られている。
ただ利用される事を良しとしたりしないので、断る時は、どんなに罵られても、懇願されても、あっさりと断る。
それによって、どれだけ逆恨みをされても、一度拒否した事を曲げる事はしない。
鋼メンタル……と言いたい所だが、普通に傷つき易く、人懐こくて有名な近所の猫が自分だけを避けていている事に気がついた時は涙目になっていたし、勇気を出して参加した動物ふれあいコーナーでモルモット・ウサギ・ヤギ・アヒルの全種動物に逃げられ三日間何も喋らなくなった事もある。
人並みの感性を持っているので、いつも平然とした顔をしているが、親切につけこまれたり、仇で返されて傷付かないはずがない。
だから最初から逆恨みしてくるような奴には声を掛けるな、情けをかけるなと言って聞かせても効果がない。
まぁ、大らかで、面倒見が良いのは、結構な事だと思う。
目の前に困っていたり、不幸になりそうな人がいたら、迷わず手を差し伸べられるのは、人間としては素晴らしい事だ。
しかしそれで自分が傷付けられたり、自身の事が後回しになってしまうのは違うだろう。
溺れた者を助けたいなら、本人は決して溺れてはならない。
口を酸っぱくして常々そう言い聞かせているのに、記憶装置が壊れているのか、耳がちくわなのか、全く効果がない。
今もそうだ。
『封印が破れた。あの子を村の入り口まで連れて行ってもらうから、連れ帰ってくれ。譲も村に入るな』
こんな下らないメッセージを送って、自分はさっさと一番危険な所に行ってしまっている。
「ちょっと目を離したらこれか。クソが!」
彼―――譲は荒々しく運転席のドアを叩きつける。
後も先も考えず、用意もなく幼児を引き取るなんて言い出す馬鹿のために、一度生活環境を整えに戻ったら、このザマだ。
今、村に通じる唯一の一本道は、急いで避難する村民の車でいっぱいだ。
村の中は二車線道路が完備されているのに、入り口付近道路だけは、車一台が入るのがやっとの細い道にしているのが災いしている。
普段は交通量が少ないので、村以外の者が入ってくるのを防ぐために、入口を私道っぽく偽装してあっても、問題ないのだが、こんな時は最悪だ。
そんな中、クラクションを鳴らしまくって、逆流してきたのが、譲だ。
「退きやがれ!このクソ鼠どもがっ」
と、沈没する船から泳いで逃げるネズミのように連なる車を、ぶつけるのも厭わない非常識な運転で無理矢理退かして、村に入って来たのだ。
普段は『村のため』『この地を守るため』と、立派なお題目を唱えている奴らが、我先に村の外に逃げ出しているのが、腹立たしい。
そんな中、自己犠牲精神も、この地への愛着も持ち合わせていない譲だけが、村に戻って来たのが、何とも皮肉な話だ。
彼にはこの村も、『御神体』も、ついでに世界平和もどうでもいい。
そんな物は普段大きい顔をして、自分たちに説教垂れている奴らが、死に物狂いで守れば良いと思っている。
しかし兄だけは話が別だ。
面倒な奴だが、血を分けた兄弟なので、見捨てるわけにはいかない。
「譲様!?」
そんな彼に声がかかる。
村では顔が割れているので、声をかけられること自体珍しくない。
村の奴らと親しくする気がない譲は、声をかけて来た相手を一瞥しただけで、無視する。
……つもりだった。
「……オタクら、何やってんの?」
しかし目に入った光景があまりに異様だったので、ついつい声をかけてしまった。
避難するため、車に入ろうとしているのだろうが、幼児がドアにしがみついて抵抗している。
大人二人がかりで何とか車に入れようとしているのだが、右手を剥がされたら、左手、左手を剥がされたら、大股を開いてドアに引っかかろうとする、何とも根性のある幼児だ。
「ゼェェェェェェン"ン"!!ズゥゥゥエェェェン!!」
大昔に祖母がやっていた『ファイト一発ぅぅぅ!!』みたいなノリで叫ばれているのが、譲の兄の名前に似ているのは気のせいだろうか。
「あの……若様に
「ミコ?」
大人たちの攻勢が緩んだことを察した子供は、体を大きく振るわせて手を払い、一気に走り出そうとしたが、その首根っこを譲は捕まえる。
「コレ、禅が拾った餓鬼……じゃねぇのか?」
ブランと目の高さまで持ち上げて確認して、譲は首を傾げる。
禅一が拾ったのは、もっと黒っぽいゴミ袋みたいな子供だったはずなのに、短い手足をブンブンと振り回している子供は、ロウのように真っ白な肌とタンポポの綿毛みたいなフワフワな頭で、ゴミっぽくない。
「若様が引き取った御子様です。あの、譲様、早目に避難をするようにとの若様からのお達しで……」
「このチビは退避したくないみたいだけど?」
何とか子供を避難させようとしていた女性は、悲しげに顔を翳らせる。
「若様に大変懐いていらっしゃって……」
女性の顔色は悪い。
車の中では彼女らの子供たちが既にシートに座らせられ、不安げに親たちを見ている。
「あの、譲様、早く避難しなくてはいけないのですが……」
子供を連れているなら余計に早く避難したいだろう。
連れて行っても足手纏いなので、詰め込むのを手伝うかと思ったのだが、
「ゆずぅっ!」
目の前にぶら下げた幼児が激しく反応した。
「ゆずぅ!!」
一丁前に小さな指で彼を指さしてくる。
「譲、だ。変な呼び方すんじゃねぇぞ、ガキ」
一応ツッコミを入れてみるが、幼児は目をキラキラと輝かせて、譲を見つめる。
「ゆずぅ!ゼンうにぁう!むににゅうゼン!ゼン!!」
そして仲間が来たとでも言いたげに何か捲し立ててくる。
懸命に禁域の方を指差し、禅一に関する何かを訴えているようだ。
「……間違いなく、禅が拾ったガキだな」
ゴミ袋から黒綿毛に進化したが、じっと『視る』と恐ろしい力の奔流に呑まれそうになる所と、輪郭が光で霞む所は変わらない。
禁域産の、厄介な匂いしかしない不気味な子供だったが、目を開けると随分イメージが変わる。
普通のクソガキに見える。
目まぐるしく表情を動かしながら、何か言っている様子には、邪悪さは全く無く、どちらかと言うと、単に頭の悪い落ち着きのない子供のようだ。
地面に下ろしてみると、一目散に禁域に向かって走り出そうとする。
「ぐぇっ!!」
その襟首を捕まえると、潰れたカエルのような声を上げる。
「落ち着きのねぇガキだ……おい、チビ、俺の話を聞け」
そう言って彼はジタバタする子供の鼻を掴んで、こちらを向かせる。
「………ガイジンでも子供のうちは鼻が低いんだな」
「フガッフググッッ!!」
子供は憤慨した顔をしている。
「お前、禅の所に行きたいのか?」
一応鼻を開放してやってから、彼は尋ねる。
「ゼン!!」
子供は大きく頷く。
「俺と一緒に禅の所に行くか?」
「ゼン!!」
やっぱり体全体で子供は同意を示す。
「……って事だから、ソッチは自分らだけで避難してくれ」
立ち上がった彼は、オロオロと事態を見守っていた女性たちに声をかける。
「で、でもっ………」
「禅は何って言ってた?このチビを俺に預けろって言ってたんじゃないか?」
「それは、そうですが……」
思った通りで彼は思わず笑いそうになる。
自分がダメかもしれないと思ったなら、禅一は大切な物を譲に一任するだろうと思っていた。
「じゃあここでアンタの役目は終わりだ。後は好きにしろ」
手を離すとチビ助は弾丸のように走り出した……つもりだろうが、ガニ股なので、大したスピードは出ていない。
譲も女性に背を向けて、その後を走り出す。
女性たちは少しの間、逡巡していたようだが、すぐに車のエンジンがかかる音がした。
彼女らが一番に守らねばならないのは、自分の子供なのだ。
きっと禅一も、この女性たちのように、譲がこのチビを守ってくれる事を期待したに違いない。
「……俺に託したのが大間違いだ。チビ、急ぐぞ!」
しかし彼には彼の優先順位があるのだ。
譲は小さな背中を掴み上げて、走る。
「ゼン!ゼンうにぃみゅみにい!」
小脇に抱えられて、幼児は強く頷きながら、禁域を指差す。
「……お前、実は適当に頷いてるだろ?」
「ゼン!」
幼児はやはり力強く頷く。
最早『ゼン』と鳴く動物のようだ。
「ゼン!じゃねぇ!!」
譲は黒綿毛の頭に容赦なくチョップを食らわせる。
「みぃぬぅえい!!」
痛い!とばかりに幼児は抗議の声を上げる。
ちょっと目を離した間に、良くここまで懐いたものだ。
子供、小動物からは怯えられ、近所の大型犬には服従のポーズしかとられない禅一に懐くとは、奇特な子供だ。
「ゆずぅ!ゼン!ゼン!!」
「じゃかまし!俺は譲だ!変なあだ名つけるんじゃねぇ!」
輪郭がぼやけて見えるなんて、怪しさ満点で、禅一に拘っているのも怪しい。
しかし抱えられているくせに、自分も走っているつもりのように足をバタつかせる様子を見る限り、何か計算して動ける感じではない。
大変残念な頭脳に見える。
「取り敢えず、お前には禅を奮起させるエサになってもらうからな」
「ゼン!」
「禅、禅、鳴くんじゃねぇ。普通に返事しろ!」
そんな事を言いながら、譲は土足で正殿の中に乗り込む。
ここは禁域に入る為の通過点に過ぎないので、一度靴を脱いで、再び履くという過程をショートカットしたのだ。
「ゆずぅ!!」
そのまま禁域に続く鉄門を開けようとしたのだが、腕の中の子供が、マグロのようにビチビチと、彼の小脇でもがいている。
「こらっ!騒ぐなら置いていくぞ!」
譲は突然荒ぶり始めた子供に怒鳴る。
「まぬぃ!まぬぃ!まいみぃゼンぬうんにぃ!!ゼン!!」
しかし負けじと子供の方も、必死の表情で怒鳴り返してくる。
「え……カンチョー?……じゃなくって、神楽鈴?」
両手を組んだ形で激しく突き出すので、何事かと思ったが、子供の視線は儀礼用の剣と神楽鈴を飾っている棚を見ている。
その先を見て譲は首を傾げる。
儀礼用の剣は禅一が持っているから、その棚に残っているのは、神楽を奉納するときに使用する、沢山の鈴がついている神楽鈴だけだ。
大昔から手入れに手入れを重ねて使っている剣と違って、それほど古い物ではないし、鈴が取れたら気楽に修理に出されているし、ついている五色の布も良く取り替えられている。
神剣には決して宗主以外は触れるなと言われているが、こちらは特に取り扱いに注意をされた事もないので、お飾り的な物だと思っていた。
正体不明の子供が、何故これにこだわるのかがわからない。
「これか?」
試しに一つ取って渡すと、大きく頷かれた。
「ぬぃなぅ!!」
そしてもう一つも取れと促される。
「???」
しかし二つとも渡そうとしたら、一つをグイグイと譲の手に押し付けてくる。
全く意味がわからないが、幼児に整合性を求めてもどうしようもないかもしれない。
とにかく、この子供は大人しくついて来て、起爆剤の役割を果たしてくれれば良いのだ。
「ゼン!ゼン!!」
準備はできたとばかりの顔で幼児は鉄門を指さす。
自分は抱えられて指示を出すんだから、良い御身分だ。
「へいへい。言われなくっても行くっての。……ったく、お前が足止めしてんだって」
ブツブツ言いながらも、鉄の扉を蹴り開くようにして、譲は走り出した。
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