19.聖女、舞う(前)

「ゼンッ!!ゼェェェンン"!!」

アーシャはそう叫びながら、金属と硝子で作られた扉にしがみついた。



戻らなくては、ゼンを助けなくてはいけないのだと、どれだけ言葉を尽くしても、誰もわかってくれない。

そもそも使う言語が違うのだ。

通じるはずがない。

そこでアーシャはゼンの名前を叫びまくる事にした。

誰か、誰か一人だけで良いのだ。

ゼンの所に行かせてくれようとする味方が欲しい。

哀れっぽく、助けを求めるように、そして誰の元に行きたいのか明確に伝わるように。

「ゼン!ゼン!」

アーシャは叫びまくった。


しかし誰一人アーシャの叫びを聞いてくれる者はいない。

皆、粛々と、家から何か袋を取り出し、各家にある馬車のなり損ないのような箱に詰め、自分達もその中に入るのだ。

「…………!!!」

びっくりしたのは人間がその箱に入ってしまうと、その箱はドラゴンの腹の虫のような音を立て、何にも引かれていないのに勝手に動き出した事だ。

御者も居ないのに、普通の馬車の数倍滑らかに、器用に動く。

そして動き出した箱は、全て、アーシャが行きたい方向と真逆に走っていってしまう。

しかも馬車なんか比べ物にならない、物凄い速さだ。


しばらく、叫ぶのも忘れて、動いていく箱達を見ていたが、

(アレに入れられてしまったら、物凄い速さでゼンと引き離されてしまう!!)

その事に気がついてから、更に激しく抵抗を始めた。

アーシャを掴んでいた腕は、急に動き出したゴブリンに驚いたようだが、扱いを心得ているように、がっしりと掴み直されてしまった。

そして白馬が似合いそうな、真っ白でコロンとした形の箱に、アーシャは連れられて行ったのである。


ここからアーシャの必死の抵抗が始まった。

先ずは箱に入れようとする少女の体にしがみつく。

アーシャを箱の中に下ろせなくて、困った少女が立ち上がり、小さな手を体から引き離そうとした所で、アーシャは体を捻って、逃亡を図る。

しかしもう一人の少女に、あっさりと捕まってしまう。

今度は二人がかりで箱に詰められそうになるが、箱の入り口は狭くて、二人がもたついた隙に、ドアに飛び付いた。

ゴブリンの小さくて非力な手なので、二人がかりで剥がされたら、ひとたまりない。

なので引き剥がされると同時に、大股を開いて、ドアに引っ掛かる。


色んな所で顔や頭を打つし、手も指も足も何処かで削るか打つかして、痛い。

でもゼンをたった一人で、あんな恐ろしいものと対峙させるなんて、とんでもない。

ここでアーシャが諦めるわけにはいかないのだ。

抵抗の合間もゼンの名を叫びまくる。

「ゼェェェェェェン"ン"!!ズゥゥゥエェェェン!!」

最早、哀れっぽさとか気にしていられないので、かけ声のようになってしまっているが。


「伐齢……起玉焼祇棺蜜嬉窯逮贈息凄寓構働洗掩裸厚携田反寂演斥……」

「王寄?」

そうこうしていたら、何やら話し声が聞こえて、微かに少女の力が緩んだので、アーシャは高速振動して、遂に少女たちの手を逃れる事ができた。

ドスンと地面に落ち、強かに尻を打ったが、痛みに構っている場合ではない。

全速力でゼンの所に行かなくてはいけないのだ。

アーシャは力強く立ち上がり、走り始めた。


が、アーシャの逃亡劇は三歩で幕を閉じた。

背中に強い力を感じたと思った、次の瞬間には、空中に吊り上げられてしまった。

走ろうとしていた足が、むなしく空転する。

「篇飾、ゼン碕過卓杜渇惰……允錆舎侠鐸渡?」

ブランと吊り上げられた先にあったのは、茶色の瞳に透明感のある白い肌、太陽に輝く金茶色の髪、そして……ゼンに瓜二つの神気だった。


(????????)

ブラン、ブランと背中を掴んで己を荷物のように持つ男を、空中に引き揚げられたアーシャは見つめる。

(今、ゼンって言わなかった!?)

目を皿のようにしてアーシャは、相手を観察する。

凡そ外見はゼンに似ていない。

ゼンは夜空の如き髪と瞳、そして太陽の恵みを感じる褐色の肌で、雄々しい戦神のような外見だ。

対する目の前の男は、全体的に色素が抜けて、今にも透き通ってしまいそうな透明感のある、美の女神を思わせる外見だ。


全く外見的には共通点はなく、むしろ正反対なのだが、身に纏う神気が、恐ろしく良く似ている。

違うところと言えば、神だと確信できるほど、迸り溢れ出すゼンに対して、目の前の男は薄衣のように纏っているだけという所だろう。

彼の神気の量は、修行した高位神官なら人間でも纏える程度なので、初見で神とは思わない。


「喫伐、ユズル杉、鰻喚紬諭練害特吠欠潮貞使弧励訳勲辻翫斎卒……」

「悦相冥並蛮毎獲遣応阜笹季椛宇茂捌伏獲?」

少女たちと男の会話に、アーシャは耳をそばだてる。

(『ゆずる』!『ゆずる』って言わなかった!?いや、言ったわ!?言ったわよね!?)

確かに少女は男に対して、『ゆずる』と呼びかけた。

それを聞いたアーシャは興奮で足をジタバタと動かすが、男に空中に吊り上げられたままなので、ブランブランと虚しく動くだけだ。


(もしかして『ゆずる』は名前だったんじゃないかしら!?ゼン様はきっと私に『ゆずる』を連れてきてくれるように頼んだんじゃないかしら!?)

アーシャは興奮しながらも、更に耳をそばだてる。

「粥凋、ユズル昌、嬬頓遵衆洞戸界駒餓床滋剣予註丙濫激……」

少女は確かに『ゆずる』と言った。

男に呼びかけるように、『ゆずる』と言った。

「ゆずぅっ!」

アーシャは張り切って男に呼びかける。

しかしちょっと発音しにくい。

ゴブリンの舌が上手く回らないせいか、男は反応しない。


仕方ないので、貴方の名前を呼んでいるのだとわかるように、指差して再戦を挑む。

「ゆずぅ!!」

すると男の眉の間がギュッと寄って、不快そうな顔になる。

「ゆずる、だ。感統港蟻費残散没替蟹慎畷、耶祇」

反応した。

間違いない。

彼がゼンの言っていた『ゆずる』だ。

「ゆずぅ!ゼンのとこおに行こう!ゼンが危にゃいの!ゼン!!」

アーシャは動きにくい舌で頑張る。

ゼンの名前を何回も出せば通じるだろうと、殊更ゼンゼンと言ってやると、男は小さく頷く。

そして何事か言って、じっとアーシャを


(『鑑定目』!!)

瞬間、勝手に人の秘密を暴こうとする男を、ぶっ叩いてやろうと思ったが、吊り上げられたままで、手が届かない。

神の世界は相手に断りもなく鑑定するのが普通なのだろうかと憤慨したが、ユズルは深層部を見る前にさっさと通信を切ってしまう。

もしかして、アーシャが敵か味方か見極めるために、軽く確認したのかもしれない。

(じゃあ、私がゼンの味方だってわかってくれたわね!!)

アーシャはホッとする。

ここにきて、漸く味方が見つかったのだ。


「……杜沿謁讃応、ゼン王都頒薪駒刻怒貞」

ユズルは何事か呟いて、アーシャを地面に解放してくれる。

これはゼンの所に行って良しと言う事だろうと、アーシャは走り出す。

「ぐぇっ!!」

が、走り出そうとした瞬間、首根っこを掴まれてしまった。

初速が全然出ていなかったから、軽く喉が詰まるくらいで済んだが、なんて事をしてくれるんだろうか。

ゴブリンは乙女の細腕でぶん殴った程度で簡単に駆逐できる、ヤワな防御力の魔物なのだ。

大切に扱ってくれないと、うっかりまた天に召されるかもしれないではないか。


「笛彰翻酪諭癌慎廉錨街……皇委、諾菱、色制姶年班砲順」

しかもあろう事か、乙女の鼻を、ばっちい物を掴むかのような手つきで、掴みやがる。

「………染誰竹具憧渇尚床語罰敦詰慢億芭嬬没四十」

何かしら呟く男の目には、憐憫すら浮かんでいる。

「フガッフググッッ!!」

多分、何事か、喧嘩を売られるような事を言われていると本能で察知したので、鼻を摘まれながらも、猛然と抗議しようとしたが、口からは豚の鼻息のような物しか出てこない。


仕方ないので、視線に盛大に恨み込めて睨みつけてやったら、鼻が解放される。

利口だ。

窮地に陥ったネズミは猫をも齧るのだ。

「猷焔、ゼン成施事降儲散籾苔侭?」

相変わらず何を言っているかサッパリだが、ゼンの名前が入っている事は確実だ。

「ゼン!!」

何か聞かれていることだけはわかったので、ゼンの所に駆けつけたい気持ちを込めて、強く頷く。

「戒新塗豊害ゼン章載飲沸誕洗猫?」

「ゼン!!」

取り敢えず質問には強い肯定と、行きたい場所アピールで答える。


それを聞いた男は、アーシャの襟首を掴んだまま、少女たちと何やら話し合う。

アーシャはさっさと解放して欲しくて、ジタバタとするが、男の手は服と一体化しているかのように離れない。

(もう服を脱いで行こうかな。元々ゴブリンなんて腰蓑こしみのが標準装備なわけだし)

思い切って服をパージして駆け出そうと思っていたら、不意に首の圧迫がなくなる。

「!!!」

男がアーシャを解放したのだ。

全裸逃走を回避できたアーシャは、脇目も振らずに走り出す。


しかしゴブリンの足は、膝が外を向いている関係上、凄く走り難い。

(この体で走るには練習が必要だわ)

そう思いながらもアーシャは必死に足を動かす。

足元が真っ黒な石で平らにされている道で良かった。

これで凹凸のある道なら、更に走ることは困難だっただろう。

「廉高、予女厚!」

そんなアーシャは、男の声と同時に、宙に浮かび上がった。

「あわわわっ」

鷹に捕獲された憐れな小動物のように、背中を掴み上げられ、ポイッと空中に放り投げられ、思わず両手両足を広げて滞空しようとした所で、ガシッと、胴を力強い腕に抱えられる。


そして次の瞬間には物凄い速さで地面が動き始めた。

ユズルがアーシャを小脇に抱えて走り出したのだ。

きっと地面スレスレを滑空する鳥はこんな景色を見ているのだろう。

爽快な速さでユズルは駆ける。

ゴブリンの足の十倍は速い。

「ゼン!ゼンはあっちにいましゅ!」

扱いは酷いが、何て頼もしい男だろうか。

漸く希望を叶えてくれた男に、アーシャは力強く示す。

「……拶購、片粒廟期登著狽升勲茜触?」

「ゼン!」

ゼンがいる方向を確認された気がしたので、アーシャは自信を持って彼のいる方角を指差して力強く頷く。

「ゼン!掛潜欽寄!!」

しかし何故か頭に手刀を叩き込まれた。

「何しゅんの!!」

怒ってみたが、言葉が通じないので、どちらが悪いかわからない。


出来ればゼンのように、しっかりとお尻を押さえて運んで欲しい物だが、お荷物の立場上文句は言えない。

男の腕から落ちないように、足をバタつかせてバランスをとりながら、アーシャは噴き出る漆黒の霧を睨む。

(今ユズルを連れて行くからね!待っててね!!)

しかしそんなアーシャの思いを裏切るように、漆黒の霧を呑み込むような勢いで、神気が噴き上がる。

「ゆずぅ!ゼン!ゼン!!」

あれはゼンの神気だ。

彼が噴き上がらせた神気だ。

(ゼンがアレを押さえ込もうとしている!!)

アーシャは急いで欲しくてユズルに必死に「ゼン!」と何度も繰り返す。


アーシャの言葉のせいではないだろうが、ユズルはどんどん速度を上げて、先程の建物に走り込む。

「ゆずぅ!!」

そのままゼンが消えて行った鉄門に手をかけようとするから、アーシャは慌てて全力で、ユズルを止める。

抱えられた小脇から、激しく腰を振って、落りようとするが、意外としっかりと掴まれていて、上手くいかない。

「特語っ!概詔庁摺直安丸温具迷!」

眉を逆立ててユズルは怒っているが、ここは譲れない。

無手のアーシャが行っても、足手纏いにすらなりかねない。

ゼンを助けるためには、神具という武器が必要なのだ。

「あれ!あれ!ゼンに持っていくの!!ゼン!!」

難しい言葉は通じない。

だからアーシャは身体中の力を両手に込めて、激しい動きで、残された一対の神具を指さす。


「え……斡雲躍吠ー?……副翫頼斬弧蜜、涌伐粗?」

ゼンほど大量ではないが、神気を纏っているのに、彼には神具がわからないらしい。

不思議そうな顔で、足の長い机の上に置かれた、それを見て、首を傾げている。

彼の小脇でアーシャは激しく神具を指差し続ける。

とにかく言葉が通じないから、体を使ったアピールが大切だ。


激しい指差し乱舞で伝え続けた末に、彼は漸く、黄金色の木のような神具を手に取る。

「!!!」

瞬間、神具からシャララと清らかな音が溢れてくる。

(……ベル!?ベルなの!?もしかして、この丸いの全てがベルなの!?………ちょっと!!めちゃくちゃ可愛い!!)

たわわに実った果実のような楽器なんて、とてつもなく可愛い。

アーシャの知る、下半分が開いているベルとは異なり、球形の金属の中に小さな玉が入っている。

コロンとした愛らしい小さな丸が、口々に涼やかな音を出す楽器なんて、神は物凄い物を作る。

こんなの可愛いの極みではないか。


アーシャが感動していたら、

「只堆確?」

これで良いのか?とばかりに神具が渡される。

「もう一つも!!」

アーシャは強く頷きつつ、もう一つの涼やかな音のする神具も取ってくれと指差す。

ユズルはやれやれと言う顔でもう一つの神具を手に取る。

「…………!!!」

するとどうした事だろう。

彼が纏っていた神気が増幅され、それが神具を通して、アーシャの持つ方に流れてくる。


そっくりな神具が二つある意味がわかった。

この神具は二つで一つ。

一対で神気のやり取りができる物なのだ。

アーシャは神々のように自分で神気を生み出すことなんて出来ない。

地中にある神気を探り、それを体に取り入れたり、舞い上がらせて使用するだけなのだ。

万が一の時、彼が片割れを持っていてくれたら、舞えなくても、彼からもらった力で戦える。


ユズルは片割れの神具を渡そうとしてくるが、アーシャは男の手の上からギュッギュッと押さえつけて、持っていて欲しいと示す。

「???」

男は不思議そうな顔をしながらも、神具を握ってくれる。

突然頭に手刀を叩き込んできたり、アーシャの運び方が雑だったりするが、結構良い人(神?)なのかもしれない。

「ゼン!ゼン!!」

いざゼンの元へと張り切って扉を指差すと、何やらブツブツ文句を言いながらも、彼は走り出す。

しっかりとアーシャも忘れずに、小脇に挟んでくれている。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る