18.幼児、囲い込まれる疑い(前)

十畳ほどの和室には温かな日差しが差し込んでいる。

普段は閉められている障子と、その外の窓が開かれ、日差しに暖められても、なお冷たい空気が室内に流れ込む。

高い壁によって外界と遮断されている空間は、庭の人工川の流れる音が聞こえるほど静かだ。

「じゃあ、あの子を連れて山を下りるつもりなんだな」

少しの間の沈黙を、禅一の目の前に座った和装の男は破った。

「ええ。この村は特殊な力を持つ子を育てるに相応しい環境とは思えません」

間をおかずに禅一は返答する。

そんな禅一に、向き合った和装の男―――宗主は小さく首を傾げる。


「特殊な子ほど、ここで受け入れるべきだと思うが……」

「『力』を育てるなら、確かにここには最適な場所でしょう」

宗主の言葉に禅一は頷く。

「なら……」

「しかしここは『力』以外は全く無視されます。人格も良識も削ぎ落とされて、『力』だけを祭り上げられて、子供が歪まないはずがない」

不可解そうな顔で言葉を継ごうとした宗主を、禅一は遮って否定する。

一族の宗主にして、血縁上の父を、禅一は真正面から見つめ、視線を逸らさない。

学友たちに『無駄に強い目力』と言われる禅一なので、相手から見ると、睨みつけているように感じるかも知れない。


禅一の言葉に、宗主は軽く息を呑むが、彼は気にせず言葉を続ける。

「あの子の状態は酷い物です。ほぼ骨と皮で、栄養失調のせいで腹水が溜まっています。体も全く洗ってもらっていないらしく、垢だらけで、髪も解けなくて切るしかないほどでした。歯も虫歯だらけで、すぐにでも病院に連れていかないといけないレベルです。そんな子をここに置いて、更に精神的に痛めつけるわけにはいきません」

禅一の言葉に、宗主の顔は少し引き攣る。

「痛めつけるなんて……そんなわけがないだろう?最上に素晴らしい能力の持ち主だと聞いた。そんな子を傷つけるような真似をする訳がない」

宗主の言葉に、禅一は苦い顔をする。

この世の中、『悪気がない』ほど始末に悪いものはない。


「『優しい虐待』という物を知っていますか?」

どこから話そうかと少し悩んでから、禅一は口を開いた。

「優しい……?虐待と優しいとはちょっと結びつかない気がするな」

禅一の言葉を口の中で転がしてから、宗主は首を傾げる。

「一見して分からない虐待のことです。通常の虐待は、殴ったり蹴ったり、はたまたアーシャのように放置されたり。その結果は、子供の体に残りますから、一目瞭然です。しかし優しい虐待は手間暇かけて、子供を自分に依存させる事で、子供を支配するから、外から判別するのが難しい。『精神的な虐待』と言った方が分かり易いかも知れません」

禅一は一度言葉を切って、宗主の様子を観察する。

彼はわかったようなわからないような曖昧な顔をしている。


「優しく手助けをするかのように、全ての事に親が先回りして自信を奪い、子供の自主性の芽を摘み、親達が望む未来を選ぶ事しか出来なくするんです。自分の望む道に進むのが、『悪』という概念を植え付けられる……と言った方が、わかり易いかもしれません」

禅一は宗主の目を真っ直ぐに見つめる。

やはり宗主にはピンと来ない顔をしている。

「……この村は全ての者をそうやって育てます。宗主候補たちには宗主という役割、最上候補たちには最上という役割、村の子供たちには宗主の従順な使用人という役割。それぞれの役割を果たすように、親が精一杯の愛情を注いで、一つ一つ子供たちの可能性の芽を剪定して、それ以外には絶対なれないように、縛り付けて、役に応じた子になるように育てるんです」

その言葉を聞いて、宗主は眉を顰める。


「……我らは使命を果たすために、代々引き継ぎ、皆で歯を食いしばってやってきた。確かに、子供達に各々の道を選ばせてはやらないが……それを虐待と言われるのは心外だ」

そう言う宗主に、禅一はため息を吐く。

『使命』の為に、全てを削ぎ落として生きてきた宗主を、一般の環境で育った禅一が理解する事はできない。

否、理解してはならない。

「この村がやっている事の重要性は分かっています。だから『半分混ざり物』の俺も正統な後継ぎが立つまでの中継ぎを受け入れました」

異常な村だが、そうしてまで果たさなくてはいけない重い使命を彼等は負っている。

禅一は『正殿』と呼ばれる屋敷の中央部と、その先にある禁域の方向を見る。


彼等はその禁域に封じられたを祀っている。

外来の神は人を導いたり、赦したり、救ったりする。

しかし古来より在る、この国の神は、人の為に存在するものではない。

強大な力を、敬い、祀る事により、その力のほんの一部を貸し与える事を願う事のできる存在。

また、その力を荒ぶらせてくださるなと、跪き、乞い願う存在だ。

力を分け与える慈愛の和御魂にぎみたま、絶対的な力を振るう荒御魂あらみたま

この国の神は常に二面性を持つ。

尊さを祀り上げられる存在と、どうぞこの内に留まって下されと祀り上げる事により封じられる存在。

この村に存在する神は後者だ。

何代にも渡り、何人もの宗主を犠牲にしながら、祀り、浄化しようとしてきた存在だ。


「しかし無関係の子供を、この地の因縁に巻き込むのは違うと思っています」

禅一は半分開けた障子から覗く庭に、視線を向ける。

池のほとりに立っていたアーシャは、ずっと禅一を見ていたのかも知れない。

目が合うと、顔が緩んで、満面の笑みになり、禅一に手を振ってくる。

ぴょんぴょんと左右の足で跳ねながら、ここにいるよとばかりに全身を使って手を振る姿はあまりに無邪気だ。

アーシャに好意的な『若奥の会』の二人を呼んで、付き添ってもらっているが、彼女らもアーシャの様子に目を細めている。


こんな話の最中に手を振り返すわけにはいかないので、禅一は軽く頷いて見せる。

「この地にあの子を残せば、力のみを伸ばされ、後の全ては摘み取られ、この地で生きる以外出来ない存在にされます。………それだけは決して許されない」

禅一は真っ直ぐに宗主を見つめる。

『圧が凄い』と言われる禅一の眼圧を、宗主は真正面から受け止める。

「私は一族が役目を果たす為に、最大限の努力をせねばならない立場だ」

宗主としての立場で、彼が発言せねばならない事を、禅一は知っている。

「虐待を受け、心身共に傷付けられた子供を、更に精神的に追い込むのが宗主の役割なんですね」

だからこそ、こう言う狡い物言いをする。


宗主はこれまでの跡取りとは違い、一度外部に出ている。

せめて一生に一度だけ、外の学び舎に出して、自由を満喫させてやりたいとの、先代の意向で、外部の大学に通ったのだ。

いくら閉鎖的な村であっても、電波が届かないわけではない。

外から流れ込んでくる情報を受け取って、我が身の不自由さを嘆き、それを引き継ぐしかない息子への、せめてもの慰めだったのだろう。

だから今代の宗主は『外』の考え方も染み込んでいる。

そこが攻撃できる唯一の弱点だ。


「十二で保護者を失い、大人たちの力に抵抗する事ができなかった俺たちは、この地の義務に縛られ、命を懸けさせられました。全くこの地に恩も因縁も無かったはずなのに、貴方の血を引くと言う一点で逃げられなかった」

宗主が満喫した自由の中には、自分で恋人を選ぶと言う物もあった。

そこに子供という取り返しのつかない種を残してしまったのは、彼の失敗だ。

その失敗を殊更、禅一は突く。

「俺はもう逃げられません。逃げる気もありません。この『義務』を誰かが果たさなくては取り返しのつかない事になると知らされてしまったから、もう引き返せません」

宗主の顔がどんどん強張っていく。


罪悪感だ。

それを煽り、アーシャをこの因果に引き摺り込むという、新たな罪を犯す事への躊躇を生む。

そこでアーシャの自由に対する確約を得る。

宗主は一度口に出した事を翻すことが出来ない性格だ。

村の外にアーシャを連れ出しても、最上が人を動かして奪いにくる事は十分に考えられる。

だからこそ宗主の言質が欲しい。

最上を抑えることができる、宗主の言質が欲しい。


「しかしあの子はこの地に因縁も無ければ、血筋も引かない。無関係なあの子も生贄になさいますか?力以外の全てを削ぎ落として育てて、縛り付けますか?」

大きなため息を吐いて、宗主は顔を覆う。

申し訳ないと思う反面、勝った、と思う。

「―――当面の教育は禅一に一存しよう」

大きなため息と共に、宗主は禅一が欲しかった一言を吐き出した。

「『当面』ですか?」

しかし禅一は攻勢を緩めない。

「あのお嬢さんが善悪の区別がつくようになって、自主的に、この地に力を貸したいと言ったら、ぜひ迎え入れたい」

禅一を人質にしたならアーシャを引き込めるとの計算だろう。


「じゃあ、少なくとも成人まで待ってもらわなくてはいけませんね」

その思惑を知りながら、禅一は頷く。

アーシャの年齢だ。

ちゃんとした引き取り手を見つけて、禅一が養育を依頼すると言う形で引き取ってもらえば、きっとすぐに禅一の事など忘れてしまうだろう。

あの手を離すのは、かなり寂しいが、彼女の安全のためだ。

庭のアーシャを見れば、また嬉しそうに手を振ってくれる。

彼女の幸せな未来は何物にも変え難い。


成人までという期限に、宗主は渋々頷く。

「じゃあ最上やその他に緘口令かんこうれいを出してもらって良いですか?アーシャの力を知ったら、無理に引き込もうとする輩も現れかねません。俺は禁域に『偶然』いただけの『ただの』子供を引き取った。その子の成人まで後見に着くと。決してあの子の力のことが外部に漏れないように」

アーシャが力を持つ事を知ったら、親が名乗り出てしまうかもしれない。

親がここに関わりのない人間であれば良いが、禅一が睨んだ通り宗主方の人間だったら最悪だ。

血を引くと言う一点で、アーシャがこの地に引き摺り込まれるかも知れない。

一番お願いしたかった事項に、あっさりと宗主が頷いた事に、禅一は大きく安堵する。


「駐在の牧さんに話を通してもらって良いですか?村に放置された子供がいたから保護した事、子供は明らかなネグレクト痕があって、過度の栄養失調、体は垢だらけで風呂すら入った事がなさそうだった事、俺が一応の保護者になる事。……あ、発見した時小笹先生に診てもらっているんで、彼の証言を伝えてください。思い切り虐待の疑いがあると言う事を強調しておいてください。……そうすれば、少なくとも、この地に関わりのある俺の手元からアーシャを取られる事はないでしょう」

アーシャの保護者が出できた場合でも、禅一が彼女の保護者となり、安全を確保できるように依頼する。

流石に頼みすぎかと思ったが、宗主はあっさりと頷いた。

「貴重な力の主だ。そのように取り計らおう」

他人に取られるより禅一と縁を深めて欲しいのだろう。


(アーシャが宗主の従兄弟の子供かもしれないと言う事は、絶対に漏らせないな)

アーシャは何の力もない、ただの子供である事。

保護者として名乗り出るなら、虐待親の汚名を被らなければいけない事。

これさえしっかりしておけば、万が一従兄弟が親でも名乗り出る事はしないだろう。

策を弄するのが苦手な禅一にしては上手い事やれたのではないだろうか。


「では、そう言う事で」

戦果に満足した禅一は深々と頭を下げて、宗主の前を辞そうとする。

「あ………その、前期の成績を見せてもらった。素晴らしい成績だったな」

立ち上がりかけていた禅一は、驚いて固まってしまう。

今は大晦おおつごもりを終えた新年だ。

もうすぐ期末試験が始まろうと言う頃に、中間テストの話をされて、戸惑わないはずもない。

「はぁ……まぁ、成績優秀者である事が、奨学金の条件ですので」

たった今、自分を引き合いにアーシャの自由を確約させたので、何となく気まずくて、禅一の歯切れは悪くなる。

大学でしっかり学んでいると言う事は、何だかんだ言いながら、絶対に生き残るつもりなのがバレバレだぞと釘を刺されている気分になる。


「……学費くらい、こちらで負担できるから、無理はし過ぎなくても良いんだぞ」

そうは言われても、これ以上恩を着せられて、首に縄をつけられたら堪らない。

「有難うございます。無理なくやっていますので、お気遣いなく」

本心は隠して禅一は頭を下げる。

「……小さい子の面倒を見ながらの勉学は大変だろう。こちらから出来るだけサポートするし、万が一、それで成績が下がっても、こちらでカバーできるから、焦らないように。育児は夫婦であっても大変だと聞く」

「そうですね。何かあったら遠慮なく頼らせていただきます」

アーシャには出来るだけ関わらせたくない。

そんな気持ちを顔を出さないように、禅一は苦労して笑う。

拒否し過ぎて、こちらの腹を探られてはたまらない。




「…………っっっ!?」

そして、もう一度頭を下げてその場を辞そうとした時だった。




体が覚えている、吸い込んだだけで内臓を食い荒らすかのような、よどみ切った空気。

いつも存在は感じるものの、結界により隔絶されているため、決して直に感じる事のない『御神体』の、肌にまとわりつく様な純粋な憎悪。

「うぅっっ!?」

宗主が頭を抱える。

彼は禅一などとは比べ物にならない程『御神体』に接触しているから、影響を受け易いのだ。

「何だ!?結界が……解けた!?」

そんなはずはないと思いながら禅一は廊下に飛び出し、禁域方向を見て息を呑んだ。


禁域から真っ黒な霧が立ち昇っている。

『見える』方はからっきしの禅一にすら、はっきりと見える霧は、少しづつ、少しづつ濃さを増している。

あの下には太陽の光さえ貪り尽くす、真の闇がある。

「何で………しっかり封じたはずなのに………」

禅一は愕然とその黒い霧を見つめた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る