17.聖女、忘れ物になる(後)

ゼンは急ぎ足で歩み、先ほど潜った二重扉を出る。

すると次々と人々がゼンに吸い寄せられるようにやって来る。

言葉はわからないが、顔色の悪い人々は何かゼンにお伺いを立てて、それにゼンが次々と指示を出しているのはわかる。

どうやらゼンは、ここで一番偉い立場なようだ。

先程、一緒にいてくれた二人の少女にも何か指示を出し、彼女らを引き連れゼンは歩く。

大股で歩くゼンの揺れで、胸に入れておいた甘味がカサカサと音を立てる。

(騒ぎが落ち着いたらあげよう)

アーシャはポンポンと胸を叩いた。


(こっちはさっき、強い神気を感じた建物だ)

あまりに強い神気と瘴気の気配に、身体中の毛が逆立ちそうだ。

壁がない、屋根のついた橋のような不思議な通路を通ると、一層神気が濃くなる。

「っっっ」

ゼンが足を踏み入れた建物は、神気と親和性の高い聖女ですら圧迫感を感じるほどの、強い神気に満ちていた。


板張りの部屋の広さや、清浄さ、素晴らしい彫り細工の天井や、美しい刺繍を施された垂布たれぬの

普段のアーシャなら、目を輝かせて周りを見たはずだが、それらを一切無視させる存在がそこにはあった。

建物の奥にある階段を登った先にある、どう見ても座っては使用できない、足が妙に長い木の机。

(これは一体……)

その上に置かれている一振りの剣だ。


剣というにはあまりに簡単な造りだ。

タングが剥き出しで、柄がついていない。

一応グリップ部分は握られる形になっているが、全てが金属でできた原始的な剣だ。

しかし、その簡単な姿とは裏腹に恐ろしい力だ。

そこにあるだけで、地中から物凄い量の神気を吸い上げ、刀身に纏っている。

あまりに強い神気なので、周りの空気が帯電しているかのように感じる。

(神具なのだろうけど……こんな物、触れる人間なんているの?)

遠目で感じた時から、凄まじい神気を感じたが、近くで見ると、格の違いに押し潰されそうだ。

少なくとも、アーシャには絶対触れない。

触った途端、あの濃過ぎる神気に打たれて、倒れてしまうだろう。

人が使う道具である筈なのに、相応しくない者には触らせることすらしない、高慢な気配を感じる。


その剣の両側には、王を守る騎士のように、黄金色の木を模したような神具が控えている。

黄金の輪が縦並びに三つあり、それぞれに黄金の球体が、たわわに実った果実のようにぶら下がっている。

その下に赤く塗った木が取り付けられており、その下には五色の細長い布がついている。

不思議な形状だが、剣が地中から組み上げた神気を増幅して周りに広げている。

こちらは剣ほどの恐ろしさはないが、やはりに只人ただびとは取り扱えない神具だ。


(空気が澄み過ぎて息苦しい)

アーシャはゼンを持つ手に力を込める。

ゼンはこの空気にも、神具にも気圧される事なく、周りに指示を出し続けている。

あの神具はもしかしなくても、ゼンが使うのだろうか。

人ならざる、神ならば、あの剣を使い熟し、溢れ出した漆黒を治められるのだろうか。

(いいえ、あんなの、一人で何とかなんてできないわ)

あれは国を滅ぼしても、おかしくないレベルの厄災だ。

アーシャもしっかり頑張らなくてはならない。


一人でやる気を高めていたら、指示を出し終わったらしいゼンが、アーシャに目を向ける。

(任せて!何でもやるし、頑張るわ!!)

やる気は人一倍あるのだが、神の国は勝手がわからないので、一体何をお手伝いすればいいのかはわかっていない。

そんなアーシャにゼンは小さく笑う。

「?」

その笑みが何故かとても寂しそうに見えて、アーシャは首を傾げる。


ゼンはそんなアーシャを優しく床の上に下ろす。

そして大きな手で髪を梳かすように撫でてくれる。

非常事態ではあるのだが、温かい手に頭を包まれると、嬉しくなってしまう。

「ゆ・ず・る。アーシャ飽図肺襖僅練床。銅墜李惜。ゆ・ず・る、だ。嫁須秤虎?ゆ・ず・る」

真剣に何やらゼンが語りかけてくる。

『ゆずる』が何を指す言葉なのかわからないが、覚えて欲しい単語だと言う事だけはわかる。

「ゆ・ず・う」

復唱してみたら、ゼンの笑みが深くなる。

「杷牢。ゆ・ず・る。アーシャ採傍背絞宋斧有濫菰跡。ゆ・ず・る、だ」

そして褒めるように呟いて、アーシャの頭を大切そうに撫でてくれる。

「???」

一体『ゆずる』が何かわからないが、覚えておくと、ゼンは安心するようだ。


「裏飢、附什克力此忽拷扉携含理甘」

亜人の男性が、真っ白な装束を持って、ゼンに声をかける。

するとアーシャの背中が優しく押される。

「蓮戚近前樺迄。……用裸鬼平輩衷、アーシャ肴壷慧陥蓑謂聡祢郡岡沢」

アーシャが押されるままに数歩進むと、先程の二人の少女たちがいて、泣きそうな顔で手を握られる。

「???」

一体何が起こっているかわからない。

戸惑ってゼンを見上げると、彼は既にアーシャに背を向けていた。


何故かゼンは次々に衣服を脱ぎ捨てている。

もしかして裸になるから遠ざけられているのだろうか。

「アーシャ衰秀漕、耽凄撲遥」

アーシャの手をとった少女の手は冷たく湿り、そして小さく震えている。

「???」

アーシャは促されるままに歩く。

しかしそのまま進むと、この建物から出てしまう。

向かうべきはこちら側ではなく、奥のはずなのに。


不安になってアーシャは後ろを振り向く。

するとゼンは真っ白な服を身に付けていた。

複雑そうに見える腰紐をしっかりと結えている。

純白の衣装はまるで祭司のようだ。

「ゼン?」

ゼンは着替えが終わっても、こちらを見てはくれない。

スッと背筋を伸ばして、神具の置かれた机に向かって、階段を上がる。

彼は神具の周りの、帯電するかのような、苛烈な空気をものともしない。

「あっ」

そして全く躊躇ためらいなく剣を掴んだ。


瞬間、無遠慮に掴まれた剣が、怒ったように神気を噴き出すが、ゼンはアッサリとそれを受け流す。

まるで何も感じていないようだ。

かなり離れていたアーシャですら、その神威に縮み上がったと言うのに、ずば抜けた胆力である。

噴き上がる神力を軽くいなされると、剣は悔しそうな、それでいて嬉しそうな様子で、少し鳴動する。

(あの神具には意志があるのだわ……)

神の世界は驚きに満ちている。


剣を手にしたゼンは、そのまま奥にある鉄門に向かう。

十名程が彼に付き従い、その鉄門を開く。

「えっ」

アーシャは驚いて目を見開く。

剣の両側に残った神具も、アーシャも置き去りだ。

「ゼン!」

置いていかれると思っていなかったアーシャは、慌てて声を上げる。

剣と両隣の神具は対だ。

離してはならない。

手は三本ないから、全ては持てないだろうが、剣でない方の神具ならアーシャでも持てる。

手伝える。

なのに何故置いていこうとしているのか。


こんな所で忘れられるなんて予想外過ぎる。

追いかけようとしたが、手をしっかりと握られている。

「アーシャ用鮫尻、力泣父斌戚塵尺」

手を握っている少女が、泣きそうな顔でアーシャを引っ張る。

「私、行かにゃいと……!!ゼンを助けにゃいと!!」

その手を何とか振り解こうとするが、少女の手は吸い付くように離れない。

どんなに激しく降っても、びくともしない。

そうやって抵抗し過ぎたアーシャは、遂持ち上げられてしまう。

「待って!お願い!!剣だけじゃダメにゃの!あっちの神具を持っていってあげにゃいと……!!」

回らない舌で、一生懸命訴えるが、少女たちは急足で部屋から出てしまう。

「ねぇ、聞いて!」

言葉が通じない事が、これ程までにもどかしいとは思わなかった。


少女は繊細な体つきなのに、足をバタつかせても、体を捻っても、全く歯が立たない。

「ゼン!……ゼンっっ!!」

彼ならきっとアーシャの言う事をわかってくれる。

アーシャは出来る限りの大声を張り上げた。

しかしゼンが優しい顔を、部屋から覗かせてくれる事は無かった。

「誰か!!ねぇ!!私の言葉を聞いてよ!!お願い!!剣だけでは駄目なのよ!!!」

アーシャの叫びを聞き入れてくれる人は何処にもいなかった。

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