12.幼児、『御使い様』の疑い

「……う〜ん……」

禅一はイワシ豆腐ハンバーグを味見して、首を傾げる。

(歯応えがないのは仕方ないとして……ちょっと淡白すぎるよな……ハンバーグとはとても言えないなぁ……)

ハンバーグと言わなければ「そんなもんか」で済むのだが、ハンバーグと言うには油っぽさが足りない。

(今まで味がついてれば良いって感じで作ってきたからな……)

白っぽさが目立ち、見た目もハンバーグっぽくない。

ソースもポン酢ベースにしてしまったので、トロミをつけても、さっぱりし過ぎている。

それでも不味いわけではないし、貴重なタンパク質だ。

禅一は渋々ハンバーグを皿に盛る。

アーシャはまた眠ってしまったので、いつ目覚めるかわからない。

いつでも温められるようにラップをして保存する。

卵も好きなようなので、ご飯も卵雑炊にして、これでもかとタンパク質を盛っていく。


これからの自分が取るべき行動に禅一は頭を悩ませる。

(風呂をアーシャが寝てるうちに済ませるか?いや、でも、いつ目を覚ますかわからないし、トイレに起きた時俺が居ないと困るよな。昼に一回行ったきりだから、そろそろまた行きたがる頃だろ。第一、俺が風呂に入っているなんてアーシャはわからないから、一人にされたら心細いかもしれん)

うんうんと悩みながらも、禅一はどんどん家事を進める。

雑炊を後は卵を入れるだけにして、庭に干したシーツを取り込みに出る。


昼に干したシーツは寒さも相まって、あまり乾いていない。

日が沈みかけている時間なので、外の風は冷たく、生乾きのシーツは冷え切っている。

(今日は日差しが暖かいからもしかしてと思ったが……仕方ない。ソファーにでも掛けて乾かすか)

離れにある布団は二組。

片方が使えないので、残りは一組だけだが、小さなアーシャとだったらシェアも可能だろう。

そんな事を考えながら他の洗濯物を仕分けしつつ取り込んでいた時だった。

「邪魔するよ」

縁側に人影が入ってきた。



言葉では『邪魔』なんて言っているが、さも当然と言う顔で入ってきた老婆。

彼女を視認した禅一は顔を顰めた。

そして持っていた洗濯物を室内に放り込み、老婆に向き直る。

「勝手に庭に入らないでもらおうか」

不機嫌にそう言うと、老女は馬鹿にしたように笑う。

「この家は宗主の物だ。稼ぎも無い甲斐性なしが勝手に私物化するんじゃ無いよ」

「その宗主が俺たちに貸し与えた家だ。大家の岳母だからと、店子の家にズカズカ入ってくるのは非常識だと言っている」

「ふん、よそっ子が。この村で私が入ってはならぬ場所などないのさ。覚えておきな」

「ボケて自分の敷地と他人の敷地までわからなくなったか。耄碌したくはないものだな」

禅一と老婆の間の空気は張り詰める。


「お母さん!禅一さんに謝ると言うから連れてきたのに!!」

そんな空気の中に、表で待っていたらしい人影がもう一つ入って来る。

枝毛ひとつなさそうな美しい黒髪に、全く日焼けしていない透き通るような肌の、儚げな女性だ。

三十代に入ったばかりで、とても皺々の老婆の娘には見えないが、彼女はこの老婆の末っ子長女だ。

老婆の長男が五十代なので、随分と高齢出産だったのだろう。

「謝る前に、躾のなっていない、よそっ子が噛み付いてきたのさ」

「お母さん!……母がすみません。禅一さん」

太々しくそう言う老婆の代わりに、彼女は頭を下げる。


「謝罪の気持ちがない事だけは受け取った。用が終わったら帰ってもらえるか」

「誰が謝罪のためだけに、わざわざ足を運んでやったと言ったかい?」

早々に追い出しにかかった禅一を尻目に、老婆は我が家とでもいうような様子で、開いた窓に歩み寄る。

とても足に痛みを持っているとは思えない、スムーズな歩き方だ。

「勝手に縁側から入らないでもらおうか」

「私を誰と心得るんだい?『最上』だ。……あの赤子を視に来たんだよ」

勝手に草履を脱いで上がり込もうとする老婆を、禅一は止めるが、老婆は全く意に介さない。


高位の御巫みこが仕事として来ているならば、止めるのは難しい。

「既に見ただろう。わざわざ二回も見る必要はないだろう」

しかしそれでも禅一は抵抗する。

「誰かさんがみっともなく大騒ぎして連れ帰ったから、じっくり視れなかったのさ」

「アンタの所の馬鹿どもが、あの子を吊し上げようとするからだろう。じっくり視たかったなら自分の駒くらいきちんと抑えられるようにしておくことだ」

険しい顔でそう言う禅一を、老婆は鼻で笑う。


さっさと家に上がり込み、我が物顔でアーシャの眠る部屋に行こうとする老婆の前に、禅一は立ちはだかる。

「あの子は今眠っている。起こす気か!」

アーシャを害そうとしていた連中を、自分の駒であると言われても否定しない老婆に、禅一の警戒心は高まる。

「どうせもうすぐ夕食だろ」

老婆は美味しい匂いの漂う台所を、顎でしゃくる。

「あの子は弱っているんだ。眠れる時にきっちり眠らせなくては元気になれない」

「ふん、ちょっと見たくらいで起きるなら、起こしておけば良いんだよ」

老婆はどけとばかりに手を振るが、禅一は道を譲らない。

「お母さん、ここは禅一さんのお住まいよ。遠慮して」

そんな老婆に、彼女の娘であり、禅一の義理の母である女性が言う。

彼女も慌てて家の中まで老婆を追ってきたらしい。


「何でよそっ子にお前が気を使う。お前はコイツに命令できる立場なんだ。お前がしゃんとしないから、こんな青二才に舐められるんだ」

「でも、お母さん………」

「でもも何もない。お前が餓鬼を連れて来れないから、私がわざわざ出向くことになったんだ。あの餓鬼は、ただ人ではない。これから藤護ふじもりを左右するかも知れぬ存在だ。吉となるか凶となるか……。家を守らねばならんお前が、よそっ子に気を使って、家に降りかかる禍事まがごとを看過する気か!」

母親にきつく言われた女性は、返す言葉もなく、俯く。


禅一は大きなため息を吐く。

「俺は藤護の家など興味はない。吉と出ようが凶と出ようが、あの子を庇護する。……家の為にあんな幼児に手を出そうとする己を恥じろ」

「その藤護の家に、おんぶにだっこのお前が、大きい事を言うでないよ。お前が大学に通う金も生活する金も、どこから出ていると思っているんだ」

「学校は成績優秀者奨励奨学金だ。アパートと生活費は年に四回の『祓い』をする引き換えに提供してもらっているだろう。労働に対する報酬だ」

学費が禅一払いだった事を知らなかったらしい老婆は、少し驚いたようだが、それでも勢いは衰えない。

「過分すぎる報酬と思わないのかい?」

「全く。むしろ寿命の代償としては低過ぎるくらいだ。何なら俺はもう、この取引から下りてもいいくらいだ。アルバイトだけでも十分にやっていけるからな。困るのは『正統な後継』を作れなくなるアンタたちだろう」

しかし禅一も一歩も引かない。


老婆と禅一は睨み合う。

そこに

「う〜〜〜」

と唸る声と同時に、ガタガタと襖が揺れる。

アーシャが起きてしまったらしい。

「そこで待っていろ」

そう言って禅一はアーシャの元へ急ぐ。


「おひゃっ!!」

トイレかも知れないと慌てて襖を開けたせいで、アーシャの小さな体が、襖に吹っ飛ばされて、畳に転がってしまう。

「アーシャ!」

配慮が足りなかった自分に、舌打ちしたい気分で、禅一はアーシャに走り寄る。

倒れ込んだアーシャは禅一を見ると、嬉しそうに笑う。

抱き上げようと手を伸ばすと、両手を上げて抱っこされる体勢になるのが何とも嬉しい。

掛け値無しの信頼を感じる。

ちょっと赤くなってしまった額を撫でてやると、上機嫌にピョコンピョコンと動く。

たった半日ほどの付き合いで、すっかり慣れてくれている。


禅一が嬉しくなって、パサパサの髪を更に撫でていたら、背後に気配が立つ。

「元気になったようだね」

ビクッとしたアーシャが落ちそうになったので、禅一はしっかりと背中を支える。

そうするとアーシャはこれまた嬉しそうに笑ってボスっと禅一の胸に飛び込み、ぎゅっと抱きつく。

大いに懐かれている。

これを可愛がるなと言う方が無理だ。

「……だいぶん懐かれたみたいだね」

デレっと笑って、更にヨシヨシとアーシャを撫でる禅一に、少し呆れまじりの声がかけられる。


「勝手に部屋を移動しないでもらおうか」

人の言うことを聞かない老婆に、禅一は冷たい視線を向ける。

「す、すみません」

自分の母親を止めきれない義母が謝る。

彼女はこちらに頭を下げて、一見、すまなそうにしているが、三十代の彼女に七十過ぎの老婆を実力行使で止められないはずがないから、結局のところ親の意見に逆らえないのだろう。

いざとなったら敵に回る人間だ。

心を許せるはずもない。

冷めた目で禅一は彼女を見る。


「さぁ、もう起きたなら文句はないだろう。その餓鬼を視せてもらおうかね」

「アンタが来たおかげで起こされたんだ」

アーシャを『餓鬼』呼ばわりされて、禅一は不機嫌に老婆を睨む。

確かに痩せ衰えた姿は餓鬼っぽいが、溢れ出るこの愛らしさがわからないらしい。

「『最上』の仕事を邪魔しないでもらおうか」

「俺はこの子に対する責任を果たそうとしているだけだ」

この愛らしさすら見えない耄碌に、何が視えると言うのか。

そう内心で文句を言いつつ、禅一はアーシャを見る。


アーシャは人見知りしないたちらしく、興味津々といった顔で、闖入者を観察している。

相手が自分に害意を持つかも知れないなんて、全く考えていない顔だ。

禅一の視線に気がつき、不思議そうに首を傾げて見上げてくる。

その仕草は、いかにも幼く、罪がない。

(大丈夫だ。何があっても俺が守るからな)

心の中で誓って、禅一はアーシャのパサパサの頭をまた撫でる。

彼女の緑の目が、あまりにも信頼に満ち溢れていて、禅一は切なくなる。

今日会ったばかりの男に命運を預けるしかない、この子が気の毒でたまらない。

そんな気持ちを飲み込んで、禅一はアーシャを抱えたまま、しゃがむ。


何かするなら即反撃する。

相手が目上であろうと、老婆であろうと関係ない。

そう決めながら、アーシャを抱く手に力を込めていたが、意外にも危機が訪れたのは、最上の方だった。

「っっ」

力を込めて視ようとした瞬間、最上は喉に何かが詰まったような音を出した。

深い皺に隠れた両眼がカッと見開かれる。

最上の顔から一切の感情が消え、ぐぐぐっと彼女の瞳孔が開く。

(引き込まれた!!)

最上の様子を見ていた禅一と義母は同時に息を呑む。


一気にトランス状態に陥った最上の息が止まる。

神を降ろした御巫の入神状態とは違う。

何かを取り込んだのではなく、体の中にあるべきものが抜け出てしまった。

そんな様子だ。

体の中が空になったのが分かったのだろう、義母は真っ青になって母親の肩に手をかける。

しかし軽く揺すられても、瞬時にして魂が吸い取られ、抜け殻になった最上は反応しない。


どうする。

異常を感じ取ったが、どうやって解決すればいいのかがわからない。

「とやっ!」

そんな緊迫した空気を、呑気な掛け声が破った。

禅一の腕の中から手を伸ばしたアーシャが、容赦なく最上の眉間に掌底を叩き込んだのだ。

「ひぎっ!!!」

引き攣りながら最上が後ろに倒れる。

「きゃあぁっ!!」

その最上に義母が悲鳴をあげて、駆け寄る。


禅一もアーシャを抱きしめたまま、最上の傍に膝をつく。

「っっプハッ!!」

覗き込んだ瞬間、最上は息を吹き返した。

開き切っていた瞳孔が素早く引き絞られる。

ビクンと痙攣して、最上は老人とは思えない素早さで身を起す。

そして激しい震えと共に、こちらに聞こえるほど強い呼吸を繰り返す。

室内は適温なのに、彼女の体からは一気に汗が吹き出している。


「お母さん!大丈夫!?一体どうしたの!?」

その背中をさすりながら、義母が半ばヒステリーを起こしかけているような声で尋ねる。

「………器………強大………神威の………」

いつもの太々しさのない、しゃがれた声で、最上は単語を紡ぐ。

そして震える自分を抱きしめるようにして縮こまる。

「うつわ?」

禅一も聞き返してみるが、最上はとても喋れる状態ではないようだ。

いつもは偉そうにふんぞり返っているのに、今は無力な老人に見える。


異常な最上の様子に、義母は倒れそうな顔色になっている。

「みう……まめえぃん」

そんな中、最上に枯れ木のような手が差し伸べられる。

「ひっ!」

義母は自分の母親に何をされるのかと、怯えた声をあげる。

しかし恐れるような事態は起こらなかった。

アーシャは聞いたことのない不思議な歌を口ずさみ、小さな手で優しく老女の頭を撫で始めたのだ。


それは眠りに誘うかのような、優しい旋律だった。

白髪の頭を撫でる手も、ゆったりと穏やかで慈愛に満ちている。

まるで子守唄で寝かしつけているかのようだ。

老婆と赤子の立場があべこべな状況なのに、不思議な事に違和感がない。

「……………」

そして小さな手が最上に触れる度に、最上の震えが弱くなる。

目に見えて最上が回復しているのがわかる。


いつもは皺の一部のようになっている瞼を押し上げて、最上はアーシャを見つめる。

「………御使い様………」

そして呆然とした表情で呟く。

アーシャはそんな最上に、微笑みながら頷く。

「まむやにゅあなはみぃむぅにぃぁるせうきゅまめぇいぬあ」

そして何かを諭すように語りかける。


己の言葉を肯定された最上は、畳に頭を擦り付ける。

「御使い様、この度は傲慢にも貴方様に『目』を使い、大いなる流れに取り込まれ、自我を失う所を、お救いいただき、有難うございました。本来であれば消えても文句が言えない卑小なる身に、お力まで注いでいただき、感謝に堪えません。そして、これまでの我が一族の御無礼、伏してお詫び申し上げます」

最上が頭を下げる所など、見た事がなかった禅一は、ギョッとしてしまう。

尊大で太々しく、支配者として振る舞っていたこの老婆が、敬語を使うだけでも驚きなのに、素直にお礼と謝罪をするなんて、信じられない。

冗談で作ったCGをVRで見ているようだ。

アーシャも驚いて、腕の中でうにゃうにゃ言いながら、オロオロしている。


何を言っても土下座したまま動かない最上に、アーシャは困惑し切って、助けを求める視線を禅一に投げかけてくる。

「えっと……最上、アーシャは日本語わからないみたいだから。多分適当に頷いただけで、その『御使い様』じゃないと思うぞ」

テレビのハンバーグでヨダレを垂らす幼児が、そんな大それた存在であるはずがない。

確かに少し不思議な力があるようだが、禅一の目には、アーシャはちょっと食い意地の張った無邪気な幼児でしかない。

「黙らっしゃい!!お前も頭を下げんか!!」

しかし最上は全く聞く気がない。

「いや、俺が抱っこしてるのに、どうやって頭下げるんだよ……」

禅一はぼやく。


処分すると言っていたかと思えば、敬えと言う。

極端から極端に走る老人は扱いに困る。

最上の隣の義母も呆然としているだけで、撤去の手伝いをしてくれる様子はない。

土下座しっぱなしの老人に、呆けるしかできない成人女性。

一体コイツらをどうしたらいいんだ。

禅一が考え込んだ所で、ぐいぃぃぃ〜と間の抜けた音が部屋に響く。

「!!!!」

腕の中のアーシャは音と共に体を緊張させる。

密着しているので、小さな腹にグッと力を入れるのを感じたが、努力虚しく、キュキュキュキュキュ〜と何とも間抜けな音が続いて鳴ってしまう。

アーシャは恥ずかしそうにお腹を抱える。


「悪いが、今から夕飯なんだ。土下座はもう良いから帰ってくれ」

食えぬ土下座なんかしてもらっても、アーシャは嬉しくともなんともないだろう。

「御使い様には最高級の……」

「要らん。今、アンタが一番すべき事は、自分が焚きつけた連中を落ち着かせる事だ。一人残らず二度とアーシャに手を出すなと伝えろ」

禅一は最上の帯の太鼓結びを掴んで持ち上げる。

「こら!妙なところを持つんじゃないよ!!御使い様は本家でお世話を……」

「却下。この子を訳わからんモノに祀り上げるなんて事は絶対にさせん」

「何が訳わからんモノだ!!御使い様には最高の環境を……」

「却下。アンタはアンタのやるべきことをやれ」

禅一はジタバタと騒ぐ荷物をポイッと縁側から捨てる。


「……で?貴女は?あくまで母親に従って、俺につまみ出されますか?それとも自分の意思で出て行ってくれますか?」

何も言わずに、背後からおずおずとついて来ていた義母に、禅一は冷たい声で問う。

「すみません……帰ります……」

義母はくしゃりと顔を歪めて縁側から外に出る。

彼女は文句を言う最上を宥めながら、靴を履いてから、振り向いて深々と頭を下げる。

萎縮したまま帰すのは申し訳ないが、ここでこちらが下手に出ては、最上に隙を与える。


ピシャンと窓を閉じると、お腹の虫がオーケストラ状態のアーシャが、恥ずかしそうにしながらも、不安そうな顔で禅一を見上げている。

「アーシャ、ご・は・ん」

「ご・は・ん?」

不思議そうな顔をしながらも復唱する様が微笑ましい。

窓の外では何か怒鳴っている最上と、それを止めようとしている義母がいるが、見えなかった事にしてしまう。

さっと障子を閉めて、台所に戻り、先程ラップをかけた皿をアーシャに示す。


「ご・は・ん」

指差しながら言うと、緑の目がキラキラと輝き、腹の虫オーケストラに重低音が入る。

「ご・は・ん!!!」

理解したらしいアーシャは、張り切って復唱する。

タラタラと垂れ出した涎はご愛嬌だ。

禅一はリビングダイニングのコタツに、アーシャを座らせる。

(あ………そのままは無理か)

しかしアーシャの大きさでは、座るとコタツ布団に埋もれてしまう。

(まぁ、膝に乗せればいけるか)

そう思い直して禅一は雑炊を火にかけ、卵を溶く。


ハンバーグをレンジで温め、自分の分のご飯をよそう。

アーシャはご飯が楽しみなのか、ぐーぐーお腹を鳴らしながら、ご機嫌にコタツで遊んでいる。

その様子を微笑ましく見ながら、禅一は手早く夕ご飯の準備を進める。

『御使い様には最高級の……』

ふと、最上の言葉が脳裏をよぎって、目の前の貧相飯が申し訳なくなる。

(いやいや、あのババァの息子たちを見ろ。どう見ても全員育児失敗の産廃だ。アーシャをあんなババァに預けたら碌な大人に育たない)

貧しくとも工夫して栄養をたっぷりとらせてみせる。

庶民感覚が大切なのだ。

贅沢三昧させられ、歪んだ選民思想を植え付けられたら大変だ。


「アーシャ」

コタツに座って呼べば、嬉しそうに寄ってくる。

のっておいでと、ポンポンと膝を叩くが、不思議そうに首を傾げて、禅一の真似をしてポンポンと膝を叩く。

仕草は可愛らしいが、これまで彼女は誰かに膝に呼ばれた事はないのだろうかと、心が痛む。

膝に抱え上げると、何も嬉しそうに笑う。

「へへへへへ」

鳴きまくっているお腹を押しながらも、ポスンと禅一の腹に背中を預けてくる。

この小さな生物は本当に無邪気すぎて、可哀想で可愛い。


「いただきます」

小さな手を合わせて、禅一は言う。

こうやって少しづつ日本のやり方を教えていったほうが良いだろう。

キョトンと禅一を見上げたアーシャは「まーす」と復唱する。

何となく通じているようだ。

「ふあぁぁぁぁぁぁ!!!」

アーシャの雑炊を入れた、一人用土鍋の蓋を開けると、それを見た彼女は歓喜の声を上げる。

大体パターンが読めてきた禅一は、すかさずティッシュをアーシャの口の下に配置する。


なんて事ない卵雑炊だ。

しかしアーシャは喜色満面で、卵雑炊を見ては禅一を見上げるを繰り返す。

激しい首振りでヨダレが飛び散っているが、その辺はご愛嬌だろう。

(これまでどんだけ悲惨な食生活だったんだ)

喜んでくれるのは嬉しいが、複雑な気分にもなる。

「ふぅぉぉおおお!?」

苦笑しながら、イワシ豆腐ハンバーグのラップを外すとこちらにも食らいつく。

目をまん丸にして、テーブルに齧り付く勢いで見つめている。


(がっかりしないと良いんだけど)

禅一は豆腐ハンバーグを一口サイズにして、口元に運ぶと、餌に食らいつく鯉のように、アーシャは飛びつく。

「んんんんん!!!」

カッとアーシャは目を見開き、口に入ったハンバーグを咀嚼する。

最初は味わうようにゆっくりと、そしてその後は三倍速くらいで噛んで、あっという間に飲み込んでしまう。

「う〜〜〜!うぃにぃあぅ!うぃにぃあぅ!!」

今回の喜びの舞は凄い。

歌舞伎役者の毛振りのように、グルングルン頭を回している。

喜ぶどころの話じゃない。

大歓喜だ。


卵雑炊も恍惚とすら見える表情で、飛びついてくるから、何とか抑えて冷ますのが大変だ。

具は卵と冷凍ネギだけだと言うのに、アーシャは夢中だ。

口を開けて待っている雛がいるので、自分のご飯を食べる時間はないが、これだけ喜んで食べてくれるなら、多少ご飯が冷えても構わない。

禅一はせっせと豆腐ハンバーグと雑炊を与え続ける。


アーシャは差し出される箸と匙に夢中で飛びついていたが、お腹の虫がすっかり落ち着いた頃、ウニャウニャと禅一のハンバーグを指差して何か言い始める。

「ははは、こっちにも興味があるのか?同じ物だぞ」

禅一が自分のハンバーグを小さくして口元に持っていくとアーシャは自分の口を押さえて、首をブンブンと振る。

「食べないのか?」

禅一が首を傾げると、アーシャは禅一の口を指差す。

何度も何度も指差されて、「あっ」と禅一は思い至る。


箸を変えて、禅一が自分のハンバーグを食べて見せると、アーシャは『我が意を得たり』とばかりの、はち切れそうな笑みで、大きく頷く。

そして美味しいでしょ?美味しいでしょ?とばかりの顔で、自分の頬を撫で撫でしている。

「俺が食べてない事を気にしてくれたのか」

淡白でいまいちだと思ったハンバーグが、心なしか美味しくなった気がする。

「ありがとう」

頭を撫でると、アーシャは恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑う。


禅一がハンバーグと米を食べたら、アーシャがハンバーグと卵雑炊を食べる。

「うぃにぃあぅ〜」

「旨いな」

そして二人でそう言い合う。

不思議な事にそうするだけで、グッと貧乏飯が美味くなる。

言霊というやつかもしれない。

弟と食べている時はテレビを見たり、各々の動画を見ていたりだったから、こんなにお互いの表情だけで食事が美味しくなる物だと思わなかった。


アーシャは禅一が食べるのが嬉しそうで、禅一もアーシャが美味しそうに食べるのが嬉しい。

(こんな優しい子を最上なんかに渡せるわけがない)

時々空いた時間に、ほぼ具なしの味噌汁を啜りながら禅一は思う。

祭り上げられ、過度に優遇され、この優しさを摘み取らせるわけにはいかない。

出来るだけ早くここを出なくてはいけない。

禅一は決心を固めつつ、

「あ〜ん」

と、可愛い雛に匙を向けるのであった。

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