11.聖女、謎のフワフワお肉を食す

うとうとと微睡んでいたアーシャは、何やら刺々しい声で目が覚めた。

「?」

不思議に思って耳を澄ませてみると、凍えるような鋭い声は、どうやらゼンのもののようだ。

いつもあんなに温かな声なのに、と、アーシャは不穏な物を感じて、もそもそと最高の寝床から這い出る。

萎えていた足も、ようやく力を取り戻したようで、プルプルしているが、何とか立ち上がれるようになった。

力が入り難いせいで、若干ガニ股気味だが、転がって移動するより早い。


ゼンに巨大な肉塊をプレゼントする夢を見ている間に、日はすっかり暮れ、辺りは薄暗い。

真実の鏡(仮)はゼンが離れてしまった為か、元の金属の板に戻っている。

アーシャはガニ股でカサカサと歩き、紙の扉へ向かう。

「う〜〜〜」

しかし四肢がまだ完全回復しておらず、中々扉を開けることができない。

「おひゃっ!!」

何とか扉と柱の間に指を突っ込もうと、頑張っていたら、急に扉が開いて、扉と一緒に体が持っていかれてしまう。


「アーシャ!」

べたんと草を編んだ敷物に倒れ込んだアーシャに、慌ててゼンが駆け寄ってくる。

そうするのが当然とでも言うように、大切そうに抱き上げてもらって、アーシャは嬉しくなってしまう。

ニヤニヤとにやけていたら、怖い顔をしていたゼンも相好を崩す。

ヨシヨシと撫でて貰って、嬉しくなったアーシャの足はピコンピコンと動いてしまう。


「謂池腰渋藩梢緊賠垂閥」

そこに、やけにガサついた声がかかる。

「っっ」

ゼン以外、誰か居ると思わなかったアーシャは驚いて、声の方向を見ようとしてバランスを崩す。

が、危なげなくゼンに受け止められる。

背中にまわされた腕の力強さに、アーシャの心は緩む。

父親と言うには、ゼンは若過ぎるが、とても力強くて安心する。

『守ってくれるお父さんが欲しい』と思っていたのは遠い過去の話で、早々に従軍し、皆を守る立場になったから、諦めて忘れてしまったと思っていた。

(……アーシャのお父さん)

しかし気がついたら、父親に甘えるように、ゼンの胸に体を預けてしまっていた。


抱きついた瞬間、ハッと正気に戻ったが、ゼンは気を悪くした様子もなく、ヨシヨシと頭を撫でてくれる。

頬も、胸も、お腹も、腕も、背中も、心も全部あったかい。

(至福……そりゃあ子供たちは抱っこされたがるはずだわ)

こんな幸福感が得られるから、子供たちは抱っこして欲しいとぐずるのだ。

アーシャも子供の頃に、この幸福を知っていたら、全力でぐずっていたはずだ。

(もう成人間近なのに……でも、ゴブリンだし!絵面的には大いに問題はありそうだけど、人の常識には縛られなくて良いわよね!?)

アーシャはとてつもない幸福感を手放す事ができずに、腕に力を込めてゼンに抱きつく。


「……単訳曙競誤塚開皮殿豚生慧陪」

そこにしゃがれた声がまたかけられる。

今度はがっちり背中を支えられている為、バランスを崩さず、声の主を見る事が出来た。

(ドワーフ?)

もう顔が平面とか言うレベルでは無い。

闘犬のように皮膚が垂れていて、鼻と口の位置は辛うじてわかるが、後は深い皺に飲み込まれてしまっている。

腰はしゃんとしているのに、真っ白な頭はゼンの腹辺りまでしかない小ささだ。

着ている服は素晴らしい柄の入りの美しい生地で、胸の下で衣服を止めている腰紐も見たことないほど細かく複雑な模様が入っている。

工芸の民ならではの繊細な細工だ。

しかも腰紐の一番上にはドワーフが好む宝石が巻き付けられている。

女性なので、立派な髭はないが、恐らくドワーフで間違い無いだろう。


「扶冶桜盤慾秀祇牡段葛腰海梱累堕滑菊」

その老ドワーフに向けられた声の冷たさに、アーシャは驚いて、声の主を見上げる。

そこには戦神本来の姿を見せたゼンがいた。

悪鬼を睨む鋭い眼光に、敵を威圧するが如く、溢れ出す冷たい神気。

アーシャに優しく『あ〜ん』をしてくれた人、いや、神とは思えない。

小型の魔物なら、こんなに強い神気に当てられただけで消滅しそうだ。


「銘諾戦回悟凄閥」

柔らかな女性の声に、首を伸ばしてみると、老ドワーフの隣にはもう一人いた。

黒絹のような繊細な髪を、肩を覆うほどまでに伸ばした少女だ。

黄色味を帯びた肌色で、先程の亜人と同種と思われる。

先程はひたすら平たいという感想しかなかったが、この少女はスッと通った鼻筋を、平たい顔が際立たせ、自然と視線を引き寄せる魅力がある。

化粧気はないが、切長の瞳と薄い色の唇が、異国情緒のある美しさを醸し出している。

彼女はすまなさそうに肩をすぼめ、ゼンに頭を下げている。


(一体どんな関係なのかしら)

厳しい顔をしたゼンと、老ドワーフは何やら言い争っており、老ドワーフの隣で少女はすまなそうに縮こまっている。

少女はどう見てもドワーフには見えないので、祖母と孫という関係ではなさそうだが、距離が近いし、何かと老ドワーフを諌めようとしたり、頭を下げたりしているので、それに近しい関係のように見える。


興味津々で観察していたら、言い争いを止めたゼンがジッとアーシャを見つめてくる。

「?」

首を傾げると、ゼンは辛そうな顔でアーシャの頭を撫でる。

そしてゼンはゆっくりとしゃがむ。

「??」

抱っこされたままなので、特に怖さは感じないが、老ドワーフが直近に寄ってくる。

(あ、下から見たら目があったわ!!)

深い皺に隠されていた両眼が下からは見える。

真っ黒で、瞳孔が妙に開いていて、底の見えない目だ。

感情が削ぎ落とされたようで、あまり長い間見ていたいと思えない。


(あっ………!!)

こちらの奥底まで見通すような、この目に見覚えがある。

(『鑑定眼』だ!!)

そう思い至った瞬間、アーシャはブンっと手を振り上げていた。

「とやっ!」

そしてそのままスパァァンと良い音を響かせて老ドワーフの眉間に叩き込む。

相手に断りもなしに『鑑定』するなんて無礼も無礼。

貴族相手になら私刑で殺されてもおかしくない、無礼だ。

同意なく他人の情報を覗き見するのは、突然下着の中に手を突っ込むようなものだ。

ゴブリンとて怒って良い筈だ。


そう思っての一撃だったが、あまりに綺麗に入り過ぎた。

「ひぎっ!!!」

「きゃあぁっ!!」

老ドワーフは後ろにすっ転んで、隣の少女は小さな悲鳴を上げる。

「?」

こんな弱々しい干からびかけのゴブリン・ハンドで、ぶっ叩いただけで大袈裟である。

まるでアーシャが物凄い暴力を振るってしまったようではないか。


「っっプハッ!!」

老ドワーフは突然息を吐き出したかと思うと、ばね仕掛けのおもちゃのように起き上がる。

ゼンも少女も、そんな老ドワーフの元に駆けつける。

「膳橋馨柁!屍観蛭!?与遡祇予俣角煮!?」

少女が悲痛な声を上げながら、起き上がった老ドワーフを支える。

(え、え、え、何か私がとっても酷い暴力を振るったような流れになってる!?)

アーシャは焦る。

軽くペちっと叩くつもりだったのだが、確かにちょっとイラッとしたので、力がこもってしまったかも知れない。

(あわわ、治癒をかけないといけない感じ!?)

しかし見れば、何か呟いている老ドワーフは外傷など何もない。

カタカタと震えているだけだ。


そんな老ドワーフの様子を見て、アーシャは安堵のため息を漏らす。

(なんだ、魔力切れね。あ、ドワーフだから神力切れか)

『鑑定眼』を実力差が大きい相手に使うと、自分の力が尽きてしまう事がある。

どうやらこの老ドワーフの力は大した事ないらしい。

無理もない。

ドワーフは工芸の民。

物理攻撃が得意で、強大な神力を行使する種族ではないのだ。

随分と無茶をして鑑定しようとしたものだ。

「もう……仕方ないな」

魔力と神力は相反するものなので、アーシャは魔力持ちに干渉できない。

人間で『力』を行使する者は、大体が魔力持ちなので、治癒などは難しい。

しかしドワーフは神界から降りて来た種族なので、癒したい放題だ。


アーシャはこの辺りに満ちている神気を力に変えて、込めてやる事にする。

流石に踊れる気はしないので、アーシャは声で神気をつむぎ、それを老ドワーフの頭から注いでやる。

十回も注げば、力が満ちたらしく、老ドワーフの血色が良くなる。

「………餓桶派疋文………」

老ドワーフは何か呟く。

恐らくお礼だろう。

ぶっ叩いてしまったお詫びも兼ねているので、気にする必要はないとばかりに、アーシャは笑って頷く。

「『鑑定』は相手の許可を取らなきゃ駄目ですよ」

多分通じないだろうと思いつつ、一応アーシャは忠告する。

すると老ドワーフは、唐突に平伏してしまった。

「疫珍創箆、厩湾黒娠輝茜在碇栽脇儲幣耐泡窄麗猫盲、倒輯浮労歌煙琉湊這璽約覇、災肱這匂陳芽豊開蕗隣裳抵岱孔救鴛、芳酔創箆厩湾黒娠輝」

そして伏したまま、何やら鬼気迫る様子で訴え始める。


「え!?あの!?お金とかは取りませんよ!?」

ゼンに抱っこされたまま、アーシャはオロオロしてしまう。

「私も叩いてしまったし!!謝罪も要らないですからね!?」

しかし何を言っても老ドワーフは顔を上げない。

アーシャは困り果てて、ゼンを見上げる。

ゼンはポカンとした顔をしていたが、アーシャの視線に気がついて、老ドワーフに声をかけてくれる。

しかしゼンの説得にも負けずに、老ドワーフは平伏姿勢を崩さない。


言葉が通じないというのは本当に厄介だ。

一体何がどうなってこんな状況になっていうのかがわからない。

途方に暮れていると、突然ぐいぃぃぃ〜と間の抜けた音が腹から鳴り響いた。

「!!!!」

空気を読まない胃袋の唐突な反逆だ。

アーシャは腹に力を入れる事で、それを制圧しようとしたが、キュキュキュキュキュ〜と嘲笑うように更に胃袋が妙な声で鳴く。

(いやぁぁぁぁぁ)

多弁な腹の虫は絞るように押さえても、元気に食べ物を要求してくる。


そんなアーシャの背中をさすってから、ゼンは老ドワーフに何か声をかけている。

しかし老ドワーフは頑なに平伏を止めず、遂には強制撤去に踏み切られてしまった。

ゼンは老ドワーフの腰の布を持って、片手で軽々と持ち上げてしまう。

流石戦神だ。

荷物がジタバタと騒いでも全く揺るがない。

そのまま開いた扉から、ポイッと老ドワーフを投げ捨ててしまった。


ゼンが何事か少女に語りかけると、少女も老ドワーフを追うように、外に出ていく。

驚いた事に、この扉も巨大な硝子でできており、しかも驚くほどの透明度を誇っている。

扉の外には木で作った、柵のない小さなバルコニーになっており、少女はそこに座って靴を履いている。

少しその背中が寂しそうで、このまま行かせても大丈夫なのだろうかと、アーシャは心配になってしまうが、ゼンは容赦なく扉を閉めてしまう。

扉の真ん中には金属製の鍵らしき物が付いていて、ゼンはそれをくるりと回して鍵までかけてしまう。


一体何がどうなって、これからどうなるのか。

全くわからないアーシャにゼンは優しく微笑む。

「アーシャ、ご・は・ん」

彼が短く切りながら何かを言ってくるときは、何かを教えてくれる時だ。

「ご・は・ん?」

聞き返すと、彼はアーシャを抱っこしたまま、歩き始めた。

そしてある物を指差す。

「ご・は・ん」

「!!!」

アーシャは目を見開く。


これに見覚えがある。

長丸で、焦げ目があって、茶色のソースがかかっている。

間違いなく、うたた寝する前に、小人たちが真実の鏡の向こうで作っていた、肉を捏ねて作る、あの超絶豪華な料理だ。

そうか、あの素晴らしい料理の名前は『ごはん』と言うのだ。

「ご・は・ん!!!」

張り切って復唱したら、既に漏れ始めてた涎が滴る。

ゴゴゴっと腹の虫も喜びの雄叫びを上げてしまう。

生きる目標にしようと思っていたら、いきなり叶ってしまった。

小人大ではない。

今のアーシャの掌くらいの大きさがある。


アーシャは低いテーブルの前に下ろされ、待っていて、とばかりに頭を撫でられる。

このテーブルは凄く珍しくて、上の板と下の足が離れるようになっていて、間にふわふわの布団が挟まっている。

寝ながらご飯も食べられるとか、きっとそんな画期的な装置なのだろう。

アーシャは『ごはん』が待ちきれずに目の前の布団を抱き締める。


(あの、おっきなお肉を食べられるなんて……凄いわ!凄いわ!!天国って本当に天国なのね!!私ってば知らない間にすっごい善行をしまくっていたのかしら!?朝は白くて甘味のある不思議な穀物に、野菜と旨味たっぷりのお肉の団子を頂いて、昼は白くて不思議なツルツルに卵一個を贅沢に添えてもらって!!それから甘いりんごの煮物に、果実水!!こんな贅沢許されて良いのかしら!?)

胸がいっぱいで、布団を抱き締める手に力が入る。

溢れ出る唾を飲み込みながら、お肉への期待が膨らみすぎて、アーシャは体を振って悶える。


幸せ過ぎて頬が溶け出しそうだ。

( でも………ちょっと待って?)

そんな中、彼女はふと正気に戻る。

(一日に四食も食事できるなんて、そんな事あり得るかしら?)

聖女は起きて直ぐに体を清めて、朝のお勤めに入る。

そして昼少し前に務めを終わらせてから、漸く硬いパンにありつける。

この時運が良いと、薄いスープが付いてくる。

午後はひたすら仕事、仕事で、どっぷり暮れて疲れ果てた頃に、パンとスープ、そしてメインとなる料理が食べられる。

メインと言っても肉など皆無で、豆を煮込んだやつとか、芋を蒸したやつなどで、お腹いっぱい食べられることはない。

一日二食。

それが庶民の普通である。

騎士や農民、肉体労働者は一日四食を食べたりする事もあるらしいが、それは珍しい例だ。

食欲を満たすことは快楽を求める事。

よって労働もせぬうちから食事をしたり、満腹まで食べることは神の教えに背く行為と言われてしまうのだ。


もしかしてあれは神様専用の食事なのでは?という疑念が湧いてくる。

(ただ単に、あの料理の名前を教えてくれただけなんだとしたら……)

アーシャは血が顔に集まってくるのを感じて、布団に顔を埋める。

勝手に食べられると思い込んで、ご機嫌になっていた自分はすごく恥ずかしい奴なのではないだろうか。

(いやーーーー!!それは間抜けすぎる!!)

こんな状況でもグウグウと楽しそうに鳴いている腹の虫が憎い。

こんなに多弁なお腹じゃなかったはずなのに、ゴブリンになったせいか、とにかく騒がしい。


ゼンが食べる横でぐーぐー腹の虫を鳴らしているなんて絶対嫌だ。

うんうんと布団を抱き込んで、お腹を黙らせようとしていたアーシャの目に、皿を二つを持ってくるゼンが入る。

(『ごはん』が二つ)

アーシャの手くらいの『ごはん』と、それより一回りほど大きい『ごはん』がのった器。

それに朝と昼アーシャに出してくれた器と、白い穀物を大盛にした器。

中身が見えないが、何かスープのような物が入っている様子の器は二つ用意されている。


ドキドキとアーシャの胸が期待に膨らむ。

「アーシャ」

当然のようにゼンはアーシャを呼んでくれる。

「!!!!」

アーシャは内心狂喜乱舞で、ガニ股で出せる最高速度で、ゼンの隣に陣取る。

すると彼はポンポンと膝を叩いて見せる。

「?」

食事の前の儀礼か何かだろうか。

アーシャも真似して自分の膝をポンポンと叩いてみる。

「ぷっ」

するとゼンは少し吹き出した後に、アーシャを軽々と持ち上げて、彼の膝にのせてくれた。

どうやら『のっておいで』のサインだったらしい。

視点が高くなって、お尻と背中が温かい。

「へへへへへ」

胸の奥がくすぐったくて、アーシャは思わず声を出して笑ってしまう。

頬がだらしなく緩んでしまう。


ゼンはそんなアーシャの両手を持って合わせる。

「疫珍碇栽ます」

そして何か祈りの言葉を言った。

「………まーす!」

アーシャも聞き取れた所だけ、元気に一緒にお祈りの言葉を言うと、良く出来ましたとばかりに撫でてくれる。

今日だけで長い聖女生活の数倍褒められている気がする。


ゼンはアーシャの器の蓋を開けてくれる。

フワッと立ち昇る、美味しい匂いのする湯気。

そしてその湯気の奥には……

「ふあぁぁぁぁぁぁ!!!」

見間違えようがない、黄金色の卵が一面に広がっている。

まだ熱が通り切っていない、トロンとした黄身が、ほんのり甘い白い穀物たちを包む。

見ているだけで涎が顎の奥から吹き出してくるのがわかる。

(お昼に一卵、恐らく『ごはん』に一卵、そしてこれに一卵!!合計三卵!!一日で三卵!!!こんな贅沢が本当に許されると言うの!?)

信じられない思いで、アーシャは器とゼンを何度も見比べる。


しかし驚きはこれだけに留まらなかった。

『ごはん』は一見そのまま置かれているように見えたのだが、何と柔らかい透明な硝子のような物に覆われていたのだ。

「ふぅぉぉおおお!?」

一体どのような技術なのか。

髪の毛にも満たない薄さの硝子は、とても柔らかいようで、パリパリと音を立てて小さく折り畳まれる。

そしてその硝子が取り払われると共に広がる、美味しい予感しかしない芳しい匂い。

驚く事に、あの極薄の硝子は匂いまで皿に閉じ込めていたらしい。

(凄い神の技術!美味しそうな匂い!凄い!美味しそう!堪らない!!)

色々と衝撃や感動がない混ぜで、最早アーシャには、どこに驚いて、何に喜べば良いのかわからない。


「あ〜ん」

混乱するアーシャは、目の前に差し出された『ごはん』に条件反射的に飛びついてしまう。

「んんんんん!!!」

口に入った瞬間広がる、酸っぱさと、それと釣り合いの取れた辛さ。

酸っぱ辛いなんて、初めての味だ。

しかし問答無用に美味しい。

ソースは不思議なトロミを持っていて、舌を包み込む。

(お肉……やっわらか〜〜〜い!!!)

獣臭が全くしない肉は、歯が無くても噛み切れるのではないかというくらい柔らかで、とろみのあるソースとよく馴染んで、優しく口の中に広がる。

あっさりとしていて、肉汁も出てこないのに、内側から不思議な旨味が出てくる。

旨味は噛み締める毎に出てきて、

「う〜〜〜!美味しい!美味しい!!」

頭の中はそれ一色になってしまう。

アーシャは決壊しそうなほど涎を分泌する頬を押さえて頭を振る。


(このあっさりしながらも旨味たっぷりなお肉は何なの〜〜〜!!!)

アーシャはお皿の上に乗った『ごはん』を凝視する。

外側は焦げ目がついているが、全体的に白っぽくて、時々灰色っぽい物が混ざっている。

鶏かなとも思うが、柔らかさが段違いだ。

口当たりがフワフワしていて、舌の上で優しく崩れる。

飲み込むと、絶妙な酸っぱさが更に食欲を刺激して、次が欲しくて堪らなくなる。


そんなアーシャの目の前で、白い穀物と黄金の卵が、お匙に掬われる。

「ふぁぁ〜」

匙の上で、半熟の卵がいかにも美味しそうに、フルフルと揺れている。

思わず口を大きく開けてしまうが、苦笑したゼンに止められてしまう。

ふうふうとゼンが匙を吹くと、嗅ぎ覚えのある匂いが鼻に届く。

朝と昼に食べた、あの素晴らしい味が脳裏に蘇り、じゅじゅっとまた涎が湧き出す。

「あ〜ん」

許可が出ると共にアーシャは匙に飛びつく。


それだけでも十分美味しい卵が、深みがある絶妙な塩味のスープと、白い穀物の優しい甘味と混ざり合って、アーシャは溶けてしまいそうだ。

『うどん』と卵の相性も最高だったが、この白い穀物も負けていない。

ツルツルの『うどん』は卵を纏って美味しさを増していたが、白い粒々は卵と融和して旨味を引き出している。

「はふっはふっ」

熱々のそれを口の中で転がす度に、喉が飲み込みたいと強請る。

(堪らない!!)

もっと口の中で味わいたいのに、ゴクンと飲み込んでしまう自分の喉が憎らしい。


ゼンはアーシャが食べる様子を嬉しそうに見ながら、『ごはん』と卵入りの白い穀物を交互に口の中に入れてくれる。

どちらも蕩けるほど美味しくてアーシャは夢中で口を開けて、咀嚼する。

(あれ?)

しかし腹の虫が鳴き止んだ頃、ようやくアーシャは気がついた。

『ごはん』の皿は二つ。

一つがアーシャの分なら、もう一つはゼンの分のはずだ。

(そういえば、朝も昼も私だけ食べて、ゼン様は食べていない!!)

自分の分を用意しているのだから、神だからご飯がいらないという事ではないだろう。

先程まで沢山湯気が上がっていた『ごはん』は、冷たくはないものの、ぬるくなってしまっている。


ゴブリンだけ食べて、神様が後回しなんてとんでもない。

これ以上我慢させるなんて、魔物の風上にも置けない行為だ。

「ゼン様も食べてください!」

そう言ってみるが、通じていない様子だ。

ゼンは首を傾げている。

「私ばっかりじゃなくて、食べてほしいんです!」

アーシャがゼンの皿を指差すと、ゼンは笑って頷く。

「こ痢築鳴味印射笹赤杖のか?脇儲秀技ぞ」

そして自分の皿の『ごはん』を小さく切って、アーシャの口元に持ってきてくれる。

自分の分もアーシャが欲しがったと思われてしまったようだ。

それであっさりと、こんなに美味しい物を差し出してしまうなんて神か。

いや、神だった。


(違う!違う!ちっがーーーう!!)

アーシャは自分の口を押さえて頭を横に振る。

食べたいけど、食べたいわけではない。

「碇碇析蹄茎か?」

ゼンは困り顔で首を傾げている。

アーシャは二本の棒に掴まれた『ごはん』を指差し、次にゼンの口を指差す。

何度も繰り返し指差してようやく通じたようだ。

「あっ」

そう言って、ようやくゼンは自分の『ごはん』を自分の口に入れた。


(通じた!!!)

アーシャはうんうんと大きく頷いてみせる。

きっと今、ゼンも美味しさに震えているに違いない。

こんなに美味しいのだ。

温かいうちにゼンにも食べてもらえて良かった。

ゼンの口に入ったであろう、あの美味な『ごはん』の酸っぱ辛さを思うと、アーシャの口にも涎が湧く。

「押銚髭仔策杷帽峰を冷灸浅検附凡坤のか」

優しい顔でゼンが何やら話しかけてくれる。

きっと『美味しいね』とか言ってくれているに違いないと、アーシャは笑顔になる。

「石幅匹とう」

ゼンはヨシヨシとアーシャを撫でてくれる。

一体何を褒められているのかわからないが、頭を撫でられると、胸があったかくてムズムズする。


ゼンは自分が食べたらアーシャ、アーシャが食べたら自分、と、テンポ良く食事を進める。

「美味しい〜!」

アーシャがそう言うと、ゼンも

「劃礼な」

何か答えてくれる。

そう言えば、誰かとご飯を食べたのは久しぶりだ。

言葉は通じていないが、言葉を交わすだけで心が弾む。

美味しい物を一緒に食べて、視線を合わせて、笑い合える人がいる。

それはこんなに心躍る事なのだ。


(ずっとゼン様と一緒にいれたらいいのに)

世の中そんな甘くないとアーシャは知っている。

これが明日生贄にする魔物への施しであったとしても、それほど驚かない。

『ずっと』なんて願っても、そんな事は絶対に叶わない。

しかしあまりに幸せで、少しでもこの時が長くあれと願わずにはいられない。

アーシャは祈りを込めるように、そっとゼンの服の裾を握った。

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