10.幼児、ウサギの疑い

冷蔵庫を確認した禅一はため息をつく。

(後の食材の残りは……卵と、牛乳、豆腐、冷凍しておいたつくねの残りと、冷凍うどん。野菜は玉ねぎ以外、使い切ったし、米も残りが少ないな……パンはあるが、弱ってる子にパンもなぁ……貰ったりんごも後二玉……)

普段、適当な食生活しかしていないので、幼児の病気食と言われても、思いつくレシピがない。

ネットでレシピを検索しても、買い物に行けるわけじゃないので、作る事ができない。

この村で食材を手に入れようと思ったら、車で市街地に出かけるしかないが、残念ながら車は弟が乗って帰ってしまった。

生物学上の父親が取り仕切っている本家に行けば、食材を分けてもらえると思うが、本家には先程の騒動を引き起こしてくれた最上もがみがいる。


(がっかりさせるかもしれないが、また雑炊にするしかないか……しかし、野菜がないなんて、あんまりにも貧相すぎるよな…………)

目をキラキラと輝かせ、大きく口を開けて食べ物を待つ姿は、さながら鳥の雛で、その口にご飯を運ぶのは、何とも言えない喜びがある。

昔、学校のウサギが食べる姿があんまりにも可愛くて、差し入れるキャベツを貰いにスーパーを巡ったものだが、あの時のような、否、あの時以上の感情が胸に込み上げてくる。

美味しいものをたっぷりと与えて、丸々と太らせてやりたい。

それなのに碌な食材がないなんて。

禅一は項垂れる。


(譲に土下座でもして協力を依頼すれば良かった)

頼りになる双子の弟は、自ら厄介事を拾いに行った禅一に怒っていたが、誠心誠意頼めば協力してくれただろう。

厄介事に巻き込むのが申し訳なくて、そうしなかったが、今となっては大きな判断ミスだったと思う。

(今から戻ってきて手伝って欲しいと頼むか……?しかしここから家まで一時間半もかかるんだ。今朝帰ったのにまた来てくれと言うのも負担が大きいよな……)

言えば来てくれると思うが、弟にかかる負担も気になる。


貧相なご飯を与えるか、本家に食材を貰いに行くか、はたまた弟に救援依頼を出すか。

悩みながら、再び禅一はアーシャの髪を解す作業を始める。

絡んだ髪さえ何とかなれば、次の入浴で頭皮を全部綺麗にしてやれるはずだ。

起こさないように、出来るだけハサミを入れないように、丁寧に丁寧に、綿毛のように頼りなく、ともすれば千切れてしまう弱々しい髪の毛を扱う。

そうやって集中して作業しているうちに、答えは自ずと出てくる。


(今日はもう仕方ない。でも明日、支援物資を頼もう)

昼のような輩がいるから、本家に頼るのは危険だ。

ノコノコ本家まで行って、アーシャと引き離されてしまったら万事休すだ。

本当なら、すぐにでもここを離れたいくらいだが、この痩せた体が一時間を超える移動に耐えられるかが、わからない。

ならば必要な物資を弟に買ってきてもらい、アーシャの回復を待ったほうが良いだろう。


自分の中で答えが出てきた頃に、アーシャの髪も、そこそこ櫛が通るようになってきた。

すっきりした気分で、弟に連絡を取ろうと部屋を出る。

「禅一さん、ごめんください」

それを待っていたかのように、トントントンっと、玄関が叩かれる。

先程の男たちのような荒々しさも、悪意もない様子の訪問者だ。

しかし禅一は大きく顔を顰める。


「すみません、禅一さん?ごめんください」

細々とした、頼りない声がもう一度聞こえてきてから、渋々禅一は対応した。

「何か用でしょうか?」

我ながらかなり渋い声が出てしまった。

「あの………先程、私の実家の者たちが、先走ってしまったようで……ご迷惑をかけたお詫びに参りました」

声はとても申し訳なさそうに、そう告げた。

「詫びは結構です。詫びる気持ちがあるなら、最上に人を弄ぶような発言を控えるように言ってください。最上は物を正確に宗主に伝える事が仕事のはず。『あんたの迂闊な発言で、罪のない子供の未来を奪うかもしれない事を肝に銘じろ』とお伝えください」

禅一は取り付く島もない声で答える。


玄関のガラスに写る影が小さくなる。

この相手には悪感情はないのだが、苦手意識が付きまとう。

一族の中で最も『視える』者は『最上』と呼ばれ、宗主の補助を務める。

本来は、自分が視た物を正確に宗主に伝えるのが役割なのだが、今代の『最上』は宗主の妻の母、つまり義母にあたるため、発言権が非常に大きくなってしまっている。

「あの……そのことに関して、母ともども謝りたいと思いまして……。本宅にいらしてもらえないかと……」

今代の最上を母と呼ぶ彼女こそが、禅一の父の妻なのだ。

禅一とはいわゆる『生さぬ仲』という関係である。

親が犯した過ちなど自分には関係はないし、自分を恥じる気持ちもないが、なんとなく彼女には気まずい物を感じる。


「何故謝る側でなく、謝られる側が出向く必要がありますか?最上が謝りたいなら自身で来いとお伝え願います」

いつもなら、か細く弱々しい彼女の頼みを無碍にできなくて、本宅に足を運んだかもしれないが、今は懐に守るべき者がいる。

断られると思っていなかったのであろう。

外の人影は困ったようにモジモジしている。

「あの、お父様も一度話を伺いたいと……」

本家から出ることの出来ない者の名を出されて、ますます禅一はうんざりしてしまう。

「宗主まで出してくるとは、余程俺をあの子から引き離したいようですね。……いい大人が寄ってたかって子供を攻撃するなんて、恥を知って欲しい」

一応今まで義理の母にあたる人なので礼儀を守っていたし、多少の後ろめたさから丁寧に扱ってきた。

だからこそ、こんなに痛烈な言葉をかけられると思っていなかったのであろう。

ドア越しに息を呑む音がする。


「す、すみません、引き離そうとする意図はなくて……最上が寒さで足が痛むと言っていて……あの、赤ちゃんも一緒で構いませんので……」

それこそ禅一がしたくない事だ。

何が悲しくて敵の本拠地に、あの痩せ衰えた子を連れて行かねばならないのか。

「なら日を改めてください。大人気ない連中のおかげで、あの子は寝込んでいます」

立場上の後ろめたさもあるが、この繊細で壊れ易そうな雰囲気も、禅一が彼女を苦手とする一因である。

まるでいじめているような気分になって禅一は話を切り上げる。




「はぁっ」

禅一は胸の中に溜まった苦々しい思いを、溜息と一緒に吐き出す。

我知らず威圧感を与えるらしく、か細い連中や、子供、果ては小動物にも怯えられてしまう。

邪険に扱われてきたので、全く親近感は持っていないが、対話するなら、図太いクソババァである最上の方がまだマシである。

(ちょっとアーシャを見てくるか)

そのまま弟に連絡する気にもなれなくて、禅一は部屋に戻る。

ささくれた心が癒しを求めている。



相変わらずアーシャはミイラのような顔で眠っている。

ヨシヨシと頭を撫でると、ダラッとニヤけつつ、むにゃむにゃと言っている。

(そういえばこの子は俺を全然怖がらないな)

その痩せこけた顔に、可愛がっていたウサギの面影が重なる。


学校で飼育していたウサギも、初めの頃は禅一には寄って来ず、集めたキャベツの大部分は他の餌やり当番がやっていた。

しかしそんな中、一番小さいウサギだけは、いつも率先して禅一の所に来てくれていた。

ボケっとした奴で、それはそれは幸せそうに、もっもっと餌を食べていた。

体が小さいから他のウサギとの餌取り合戦に敗れて、こちらに来ているだけかもしれないが、その頃の禅一には、あのウサギが無条件に信頼してくれているように見えた。

餌がなくても寄ってきて、撫でろ撫でろとやる、人懐こい奴だった。

あのウサギのおかげで他のウサギも寄ってきてくれるようになったんだよなと、懐かしくなる。

小さいくせに、もっさりと太っていたウサギと、骨の形がわかるほど痩せ衰えたアーシャは、外見的に全く似ていないが、行動が似ているような気がする。


無条件に全幅の信頼を寄せてくれる所。

食べ物に夢中になる所。

手を伸ばしても逃げない所。

やたらと能天気そうな所。

撫でると気持ち良さそうに擦り寄ってきてくれる所。

懐かれると、余計可愛がりたくなるのは、人も動物も一緒だ。

(やっぱり美味しい物を食べさせてやりたいな……)

改めてそう思える。

そして残りの食糧を思い浮かべて思い悩む。


「………ぜんわにゃ………」

すると重そうな瞼をこじ開けて、緑の瞳が禅一を見つめる。

「すまん、起こしたか?」

慌てて頭を撫でていた手を引くと、何とも寂しそうな目がその手を追う。

「…………」

そっと手を戻して、ゆっくりと撫でると、気持ち良さそうに目を細めて擦り寄ってくる。

(何かホント、重なるなぁ)

ほぼ無神論者の禅一だが、もしかしてこの子はあのウサギの生まれ変わりなんではないかと、柄にもなく思ってしまう。


パサパサの枯れかけの草のような髪の感触が切なくなる。

(俺がしっかりタンパク質を摂らせて、ふわふわの毛並みに戻してやるからな)

しっかりウサギと混同して毛並みだとか考えてしまっていることに、彼は気がつかない。

「ぜんわにゃ?」

パサパサの肌や、ガタガタの薄い爪も、全てはタンパク質不足だ。

(今あるタンパク質は……卵と豆腐とつみれか……)

とにかくタンパク質を摂らせねばと思い悩む。

(雑炊に豆腐を入れるのはなんか違うよな。煮込みうどんの方がいいだろうけど……二食続けてうどんも飽きるよなぁ)

「ぜんわにゃ」

うんうんと悩む禅一は呼びかける声に気がつかない。


アーシャはもそもそと毛布の中を転がって移動する。

「ゼン」

「ん?」

そう呼びかけられて、ようやく禅一は思考の波間から浮上した。

見れば、アーシャが心配そうな顔で禅一を見上げている。

「心配してくれたのか?有難う」

禅一がまた頭を撫でると、か細い手も禅一の膝を撫でる。

何やら元気付けられているようだ。


禅一が笑って見せると、納得したようで、アーシャはコロコロと転がって枕に頭を預ける。

一応起きたものの、まだ起き上がれる程元気にはなっていないようだ。

(動けないとなると、何か暇つぶしがいるな)

ここで世のお母さん・お父さんなら絵本やお話、おもちゃで乗り切ろうとするだろうが、生憎と禅一にそう言う発想は無かった。

(動画でも見せてやるか)

あっさりと、どうしても子供が騒ぐ場合に使用する保護者のリーサルウェポンに手を出した。


自分のバッグを漁り、タブレットを取り出し、先程譲ってもらったプラスチック製の足台の上に設置する。

そしてアーシャの背中に何枚か座布団を入れて、体を起こす。

「とりあえず……教育チャンネルとかで良いのかな……」

子供が何を好んで見るのかわからない禅一は、テレビ視聴用のアプリを起動する。

しかし映し出されたのは残念な事に子供向け番組ではなく、お料理番組だった。

(一日中子供向け番組をやっているわけじゃないんだな)

などと禅一が考えた瞬間、

「ふほぉぉぉおおお!?」

物凄い速さでアーシャが、タブレットに向かって転がってきた。


「ほぁ、ほ、ほへぇえ!?」

何故か激しくお料理番組に興奮している。

それで立ち上がれないなんて嘘だろうと言いたくなるスピードで回転して、タブレットの周りをウロチョロとする。

「料理が好きなんだな」

ちょっと違うような気もするが、凄く楽しそうだ。

前に回ったり、後ろに回ったり、横から見てみたりと忙しそうだ。

どこまでもそのテンションが続くと思ったのだが、画面の向こうで、和装姿の先生がハンバーグを捏ね始めると、夢中になって見始めた。


(本当に食欲が凄いな)

キラキラと輝き始めた目に、禅一は苦笑する。

細い首は懸命に、重たそうな頭を支えているが、プルプルしていて限界に近そうだ。

禅一は転がって行ったアーシャを、元の見易い位置に戻してやる。

「ほぁぁぉぁぁ」

「ふほぉぉぉ!」

「うぃにぃみむゅないにぁ!!」

アーシャはすっかり料理番組に夢中である。

ため息やら、合いの手やらを入れつつ、ひき肉に目が釘付けだ。


(やっぱり肉が好きなんだな)

ハンバーグを焼き始めたら、タラタラと涎まで垂らし始めた。

一筋、二筋流れ出る程度ではない。

豪快に滝のように溢れ出ている。

(ハンバーグか………)

その涎をティシュに受け止めながら、禅一は思案する。

(つみれを崩して、豆腐に練り込んで……豆腐なら消化に悪い事もないはずだしな)

スマホで豆腐ハンバーグの作り方をざっと調べる。

嵩を増す為にハンバーグに豆腐を突っ込んだ事はあるが、豆腐メインでは作った経験がない。

(まぁ、出来なくもなさそうだな)

レシピ通りに作れる食材がないが、やってみるだけやってみよう。


見ればアーシャは、司会役の女性アナウンサーが試食するのに合わせて、口をあ〜んと開け、空気を食べている。

「ぷっ」

思わず吹き出した禅一は口を押さえる。

夢中になりすぎて、シンクロしてしまっている。

罪がないというか、無邪気すぎるというか。

空気を食べたって味などしないだろうに、幸せそうにモグモグとやっている姿は、可愛らしいが、餓鬼のような外見も相まって、可哀想でもある。

(本格的なやつも、もうちょっと元気になったら絶対作ってやろう)

禅一はそう決心しながら、幼児がタブレットに向かってウニャウニャと興奮して叫んでいる姿を見つめる。


アーシャは興奮冷めやらぬのか、番組が終わっても、禅一に向かって、何やら興奮して語りかけてくる。

ハンバーグについて熱く語っているのか、食べたいとねだっているのかはわからないが、禅一は任せろとばかりに頷きながら聞いてやる。

「作れるかどうかわからないけど、頑張ってみるな、ハンバーグ」

言葉は通じていないはずだが、そう声をかけると、アーシャはホッとした顔で笑う。


こんなにガリガリの餓死寸前にまで追い込まれているのに、この子は人懐こい。

普段は子どもに怯えられる事が多い禅一にも、全く物怖じせず、信頼のこもった眼差しを向けてくる。

禅一は普通の学生で、大した事なんか全くできない。

でもこの子の眼差しには応えてやりたい思う。

(ウサギと違って色々食べさせてやれるのが良いな)

ハンバーグだけではない。

ステーキ、トンカツ、唐揚げ、ビーフシチュー、トンテキ、チキンの照り焼き。

単純に焼き肉も喜びそうだ。

早く元気になって、食べてもらいたい物が沢山ある。

喜んで食べてくれる日が待ち遠しい。


禅一の頭には丸々と太ったウサギがちらつく。

(早く元の姿に戻してやらないとな)

とりあえずは残った食材で、なんとか美味しい物を作らねば。

禅一は腕まくりをしてキッチンに向かうのであった。

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