8.幼児、人外の疑い
禅一は昼ご飯の仕込みが終わってから、アーシャの傍らでスマホをいじっていた。
『若奥の会』に結果とお礼の連絡をしていたのだ。
そこで幼児の電源はオンオフが激しい等の、驚きの子育てトリビアを知った。
幼児とはパワーセーブモードが無いので、起きている間は100パーセントで活動し、唐突に電池切れを起こし、スリープモードに移行するらしい。
故に体力がない赤ちゃんほど活動と睡眠の間隔が短くなるらしい。
この痩せ方だから、もちろん体力が無いよな、と、納得しながら、禅一はアーシャを眺める。
眼窩が落ち窪み、目を閉じていたら子供のミイラのようだ。
今は健やかな寝息が聞こえているが、最初に目覚めるまでは呼吸音すら碌に聞こえてこず、何度も口に耳を持っていって生存確認をしたものだ。
譲ってもらったベビーオイルを塗ったせいか、肌のカサカサ感が減り、昨日よりミイラ度は下がった気がするが、それでも痩せ衰えた体は、少しの食事で回復するはずもない。
この見た目で、本人が無邪気で元気いっぱいなので、余計に胸が痛む。
(たくさん食べさせて、元気にしてやるからな)
そう思いつつ、連絡が終わった禅一はアーシャの髪を梳かす。
残念ながら、絡み方が複雑過ぎて解けなさそうな所は切るしか無いようだ。
出来るだけ切らなくて良いように、汚れを拭いたり、時にはお湯を持ってきてふやかしてみたりして、何とか櫛の通る範囲を広げる。
よく寝ているので、今のうちに、少しだけでも人並みな子供に戻す手伝いをしたくて、禅一はせっせと髪をほぐす。
その髪が半分程ほぐれてきた時だった。
玄関が激しく叩かれる音がした。
明らかに害意を感じる叩き方に、禅一は顔を顰める。
お湯を張った洗面器やハサミはアーシャが起きた時に、そばに置いていたら危ないので、台所のテーブルに置いて、玄関に向かう。
「誰だ」
こんな傍迷惑な音を立てる奴に、『どちらさん』などと言ってやる気はない。
禅一の鋭い誰何の声に玄関を叩く音は一度止む。
「若様、『アレ』を引き取りに来ました。さっさとここを開けてください」
言葉遣いこそは丁寧だが、こちらを見下しているのがありありとわかる、これぞ慇懃無礼の見本と言いたくなる言い
(ジジィ連中か)
そろそろ来るかと思っていたが、人数が多い。
玄関ドアの磨りガラスと格子状の木枠越しに、少なくとも四人の人影が見える。
「俺が責任を持って面倒を見ると言ったはずだ。帰れ」
玄関ドアを閉めたままで禅一は対応する。
下手に扉を開けて、アーシャに危害を加える気満々な奴等を迎え入れるような真似はしたくない。
玄関が普通の開戸ならまだしも、この家は引き戸だ。
素早く締められない上に、引違いになっているので、鍵を開ければ、左右どちらからも開いてしまう。
「勝手な事をされては困ると言ったはずですけどね!」
「そうだ!誰もそれを認めていない!!」
「宗主様もお困りなんだ!!手を焼かさないでください!!」
老人から壮年ぐらいの男たちの声と共に、再び玄関ドアが叩かれる。
『若様』と呼ばれながらも侮られているのがありありとわかる。
「これだから犯罪者の子供は!」
などという嘲りも聞こえて来る。
彼らにとって、禅一は宗主の過ちの産物であり、二十にもならない若造であり、所詮、正式な後継が産まれるまでの、使い潰しの中継ぎなのだ。
しかしこんなに玄関を叩かれたら、アーシャの睡眠妨害になる。
ドアを開けて実力行使で黙らせたいのを、禅一はグッと堪える。
コイツらは歳と共に分別を捨てた、駄々っ子のような存在なのだ。
うるさく騒げば要求が通ると思っている、スーパーでひっくり返っている子供だ。
「どれだけ煩くされても開ける気はない。あの子を基本的人権も理解してなさそうな猿どもに渡す気もない」
騒ぎ立てる老人たちに冷たく禅一は言い放つ。
「さ……猿だと!?」
「婚外児の分際で……!!」
そのまま高血圧になって倒れてしまえと思うが、玄関の外は怒号が響くだけで、誰一人倒れる気配はない。
元気な年寄りどもだ。
「後は葬儀屋を潤すくらいしかできない老害が、未来ある幼子の睡眠の邪魔をするなよ」
もうちょっと煽ってみると、方言混じりの怒声になって、何を言っているかわからない。
ドアの内側からは精神攻撃をするくらいが精々なのだが、テンションアップしてさらに煩くなってしまって、禅一はうんざりする。
怒り混じりに更にドアを叩き始めたので、玄関を開けてバケツの水でも浴びせかけようか、と、禅一は悩む。
興奮した動物は水をかけるのか一番だが、リスクある行動は控えたい。
「開けろ!俺たちは
そんな事を悩んでいたら、男たちのうちの一人がそう言い出した。
「……何だと?」
バケツを取りに行こうか迷っていた禅一はその言葉に眉を顰める。
「最上が?お前らに子供を虐待しろって言ったのか?」
「最上『様』だ!!お前如きが呼び捨てにするなんて烏滸がましい!!」
「質問に答えろ。『視る』のが仕事の奴が、『指示』を出したのか?」
「『奴』だと!?最上様を侮辱するか!?」
猛り狂った老人は話が通じない。
何回質問しても、ちゃんとした返答はないだろう。
禅一は大きなため息を吐く。
(駄目だな。物理的に冷やすか)
彼は自制ができているように見えて、ギリギリ十代の大学生だ。
狂ったように叫びながら、玄関を殴ったり蹴ったりしている奴らに背を向けて、ゴミバケツを逆さまにして、まとめてあるゴミ袋をドサドサと出す。
それを風呂場に持っていき、蛇口全開にする。
水を張っている間に、手頃なつっかえ棒を探して、引違いのドアの片方を動かないように固定する。
そしてギリギリ抱え上げられる重さまで、ポリバケツに水を入れて、玄関に運ぶ。
この間も元気な奴らは騒ぎ続けている。
肩に担ぐようにして片腕でバケツを持って、禅一は玄関の鍵を開ける。
すると、待っていましたとばかりに、ドアが開けられる。
そのままドアの中に雪崩れ込んでこようとした男たちが見たのは、襲い来る水の柱だった。
フルスイングで遠心力をかけられた水の塊に、二人が薙ぎ倒され、後ろの三人を巻き込んで吹き飛ぶ。
ドアの影にいた一人は無傷だったが、怒りの表情でドア内に踏み込もうとした瞬間に、ついでとばかりに飛んできたゴミバケツの直撃を受けて、もんどりを打って倒れる。
立ち上がっている影がなくなって、禅一は玄関の外に出る。
「頭は冷えたか?」
地面に転がって呆然としていた男たちは、その声で再び闘志を激らせ、食ってかかろうとするが……上から
顔を見ない、玄関越しだったら文句を言いまくれた男たちだったが、実際に面と向かって文句を言える度胸はなかったのだ。
六人という数の多さ、相手は十九の若造で、宗主の息子とはいえ、正妻の子ではないと普段から侮っていたから、強気になっていたが、本人を前にすると、途端に戦力差が明らかになり、萎んでしまったのだ。
彼らは一番高い者でも170センチ程度で、楽隠居に入って衰えが目立つ者が多い。
対する禅一は190を超える高身長な上、体は鋼のように鍛えられ、高校生の頃は剣道で全国大会を制した実績がある。
宗主の息子という事で、あらゆる体術も叩き込まれ、村で敵う者は居ない。
加えて顔は彫りが深く、草原の覇者を思わせる威風堂々とした雰囲気を持つ。
例えそれが『働きたくないでござる』と書かれたネタTシャツを着ていたとしても、威圧感は薄まらない。
自分達が誰に手を出そうとしていたのか、認識して、黙り込む壮年・老年連合軍をゆっくりと見回し、禅一は口を開く。
「最上がうちの子を酷い目に合わせろと言ったのか?」
改めて禅一が問うと、男たちは顔を見合わせる。
そして男たちの目が、言い出しっぺらしき中年男に集まり、渋々その男が口を開く。
「連れて来いと直接は言われてない……言われてませんが、『あれは人間ではない』と………」
その言葉を聞いて禅一は少し眉を顰める。
『人間ではない』と言うのは穏やかではない。
しかしあの子が人間でないはずがない。
禅一の脳裏に、つみれを食べて歓喜する姿や、リンゴジュースに踊る姿が過ぎる。
(……食い物関連ばっかりだな……)
内心でそんなツッコミが流れるが、それはそっとしておこう。
『人間ではないから』と、こんないい年の大人たちが、寄ってたかって、あの子にどんな事をしようとしていたのか、悍ましくて想像もしたくない。
「特に指示を受けたわけでもないのに、最悪の忖度をしたわけか」
禅一が冷たく言い放つと、萎れた青菜みたいになっていた男たちは、ムッとした顔を上げる。
「しかしあの子供はおかしい!!」
「そうだ!!誰の目にも触れず禁域に入り込めるはずがない!!」
「若様も見たはずだ!!あの赤子は祓った『穢れ』の中にいた!!」
「アレは『穢れ』から生まれた子供だ!!」
口々に叫ぶ顔には、畏れが見て取れる。
「馬鹿馬鹿しい。『穢れ』は『穢れ』に過ぎない。周りに憎悪を撒き散らすだけの薄汚れた存在だ。何かを産み出す力なんかない。あの子はただの子供だ」
未知を恐れ、魔女狩りをする聖職者そのものの姿に、禅一は吐き捨てる。
「しかしおかしいだろ!?門番はおろか、誰もあの子供を見ていない!」
一人が顔を引き攣らせてそう言う。
『門番』とは、この村に入って来られる、ただ一本の道の脇に家を構える者達の呼び名だ。
「そうだ!村を抜けて禁域まで行ったなら、必ず誰かが見ていないとおかしい!」
「余所者が入り込めば子供であろうと赤子であろうとすぐわかるのに、だ!」
「大体あんな体で一人で歩いて来られるはずがないんだ!!」
唾を飛ばす男たちに禅一はうんざりする。
確かに、この山に挟まれた村に来られる正規のルートは、一本しか無い。
更に言うと、周りの山は全て宗主の持ち物で、許可なく入る事は許していない。
しかし子供を捨てようとする輩が律儀に侵入禁止なんて守るだろうか。
戻って来れないように山奥にあの子を捨て、あの子は山を彷徨い、あの場に偶然出てきたとは考えられないのだろうか。
見極めもせずに、恐ろしい物は消してしまえなんて、短絡過ぎて馬鹿にする気にさえなれない。
こんな奴らが村の中枢に我が物顔で座っているから、禅一たちはここが嫌いなのだ。
「要するにアンタたちは、怖いから消してしまおうって事なんだろ。誰がそんな奴らにあの子を渡すか。風邪をひく前にとっとと帰れ。最上にはこちらから苦情を出しておく」
言い捨てて踵を返そうとして、禅一は家の中から興味津々の顔でこちらを見ている存在に気がついた。
その姿を、この頭の硬い連中に見せてはならないと、禅一は慌ててゴミバケツを拾って、ドアをピシャリと閉める。
しかししっかり見られていたらしい。
「そいつだ!!」
「こちらに寄越せ!!」
「最上様の言う事を無視するつもり!?」
男達は再びギャアギャアと叫びながら、またドアを叩く。
深刻そうな顔でドアを見ているアーシャの頭を、禅一は撫でる。
「大丈夫だ。怖くない」
そう言って、もう一杯かけてやるかとバケツを担ぐ。
その時、急にアーシャがピョンと玄関土間に飛び降りた。
「こらこら、危ないぞ」
うまく着地出来ずに、たたらを踏むのを見て、手を伸ばしたが、アーシャはパッとこちらに手のひらを開いて見せる。
「みぃみゅいぃ!まむぃりな!」
どうも待ってくれと言っているようである。
「………?」
何だろうと見ていると、トンットンッとアーシャは不思議なステップを踏み始めた。
そして手をパタパタと動かし始める。
「……………っぷぷ!」
それを見て、思わず禅一は噴き出しそうになる。
かなり真剣な顔でやっているが、盆踊りと阿波踊りを足して二で割り、フラダンスでアレンジしたような奇妙な踊りだ。
もしかしたら、ちゃんと筋肉がついていたら、それなりに見られる踊りなのかも知れないが、アーシャの痩せ衰えた体でやると、故障寸前のオモチャのようだ。
しかし禅一が笑っていられるのもそこまでだった。
アーシャは土間で円を描くようにして踊っていたのだが、その円の中心にゆっくりと立ち昇り始めた物がある。
微かに見える輝き。
一般人には見ることのできない物で、この村の者達はそれを『氣』と呼ぶ。
ゆっくりゆっくりと、それが立ち昇り、本来それが殆ど見えない筈の禅一の目にもはっきりと認識出来るほど濃ゆくなる。
そして十分にそれらが高まった時、
「はっ!!」
とアーシャが何かを押し出すような仕草をした。
その瞬間、目に見えぬ何かが、風となって走り抜けた。
「ぎゃっ!!!」
「ひぃっっ!!!」
そしてドアの外で短い悲鳴が上がり、磨りガラスの向こうの人影が吹っ飛んだ。
ドアや窓はカタカタと鳴ったが、全くダメージはない。
(『氣』だけを投げた………!!)
禅一は驚愕に目を見開く。
そんな芸当ができる者を禅一は見たことが無い。
(しかも打ち出しポーズがまるきりかめは○波)
金髪の戦士たちもびっくりな仕上がりだった。
『あれは人間ではない』
その言葉が脳裏を覆う。
こんな小さな子が、何の媒体も使わず、禅一ですら、厳しい修行に耐えて、できるようになった以上の事をやってのけた。
本当に、この子は違う生物なのかもしれない。
禅一の心の中に警戒が生まれようとした時、べしゃりとアーシャは土間に座り込んでしまった。
脱力……と言うか、足が体重を支えられなくなってしまったように見える。
「アーシャ!!」
尻餅だけで耐えきれず、そのまま土間に倒れ込みそうになったアーシャを、禅一はバケツを放り投げて支える。
ぬいぐるみ程度の、あまりに頼りない重さがポスンと禅一の胸に当たる。
「アーシャ、大丈夫か?」
抱え上げても、先程持っていたゴミバケツの方が重いくらいで、切なくなってしまう。
アーシャは額に汗を滲ませ、ぐっと顔色が悪くなっているが、誇らしいような、褒めて欲しいような、キラキラと輝く目で禅一を見上げる。
「うにぇめまぃいやぉうぇいなぁ!」
そして枯れ木のような手が、シュッシュと玄関に向かってパンチを放つ。
まるで「やってやったぜ!」とでも言いたげな様子に、思わず禅一の顔が綻ぶ。
この子はあまりにも邪気がない。
人間にしろ、人間じゃないにしろ、守ってやらなくてはいけない存在だ。
それに『氣』は『穢れ』を祓う神聖な物だ。
邪悪な者には使いこなせないだろう。
「……昼ごはんは食べられるかな」
そう言いながら、禅一はアーシャを布団に戻す。
煮込んだ野菜が鍋の中で待っている。
あまり固形物を食べさせるのは気がひけるが、卵だったら大丈夫だろう。
トロトロの半熟で食べさせてやろう。
お昼はしっかりと具を入れた煮込みうどんだ。
(うどんは好きだろうか)
喜んでくれると良いのだけれど、と思いながら禅一はキッチンに戻った。
吹っ飛ばされた連中はそれから騒ぐ事は無かった。
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